案内された居酒屋の一角。
奥では二人分のスペースを占領した巨漢が、満面の笑みを浮かべながら手招きをしていた。
「タダ酒じゃあああああい!!」
その目の前にどっかりと腰を下ろすと、久我 常久(
ja7273)は心の声だだ漏れで叫ぶ。
この不思議な状況に対する警戒も困惑も、勿論遠慮さえなく、店で一番高い酒を堂々と注文した。
「人の金で酒が飲める! 嗚呼なんて素晴らしい…」
しかし人の世は、そんなに甘くない。
人の世に来た天使も甘くない。
「えっこれだけじゃない? ちっ…」
常久、思わず舌打ち。
「正直な奴よ」
ダルドフが豪快に笑った。
「だが、タダほど高い物はないと言うぞ」
「違いねぇ」
向かい合う常久もまた、劣らぬ巨躯を揺らしながら笑い声を上げる。
そんな二人の圧倒的な存在感に少々気圧されつつ、亀山 淳紅(
ja2261)は遠慮がちに隅っこの席を取った。
「お、お邪魔、します」
果汁100%のオレンジジュースを注文し、ぺこりと頭を下げる。
「え、えと。自分は、亀山淳紅いいます。よろしゅお願いします、です」
「ん? おお、これはまた、ちんまいのが来おったな!」
ちんまいって、酷いな。
ダルドフと並べば大抵の者はお子様サイズだろうに。
「ぬしも撃退士か。まあ飲め!」
意外にフットワークの軽いダルドフは淳紅の隣に座り直すと、運ばれて来たジュースをコップに注いでやった。
「あ、お、おおきに」
「食い物は何が良い、生憎ここには若いモン向きのメシは多くないがのう!」
ばすんばすん、ダルドフはその大きな手で淳紅の頭を叩いた。
本人はそれで手加減しているつもりなのだろうが、叩かれる方にしてみれば、まるでハンマーで打たれる杭にでもなった気分だ。
「や、あの、出来れば、やめ…っ」
縮んじゃう、せっかく伸びた背が縮んじゃう!
「おお、これはすまん」
今度はぐりぐりと頭を撫でつつ――それでもその圧迫感は相当なものだが、叩かれるよりは良い――ダルドフは何か適当に見繕う様にと店の主人に注文を出す。
「ボクは旨い酒が呑めれば、それでええわ」
その様子を横目で見つつ、早速一杯やりながらそう言ったのは、蛇蝎神 黒龍(
jb3200)だ。
「景色が良くて酒も旨いなら何もいうことはないやろな」
「ぬし、悪魔か」
じろり、ダルドフが鋭い視線を投げる。
悪魔は敵だとでも言い出すのかと思えば――
「しかし、それはいかんぞ」
「…?」
「呑むだけではいかん。適当に肴も食さねば、いかな悪魔と言えども身体を壊す。酒は百薬の長とも言うが、無闇に呑めば良いというものでは――」
頼まれもしないのに、蘊蓄は続く。
舌が良く滑るのは悪魔と相場が決まっているが、この大天使の舌も負けてはいない。
その様子を、片瀬 集(
jb3954)は隠密で気配を殺しつつ、じっと見守っていた。
(…変なおじさんって思うけど、強いのは分かった)
下手に動くのはやめておこう。
「あ、オレンジジュースください」
その一言で、存在がバレた。
早速寄って来たダルドフは、ジュースを注ぎながら上機嫌で話しかけて来る。
集の反応は薄いが、特に気する様子もなかった。
「ほれ、メシが来たぞ。存分に食え、遠慮はするな。子供は遠慮してはいかんぞ?」
ぐりぐりぐり、集の頭も掻き混ぜる。
どうやら未成年は一律に子供扱いらしい。
(豪放磊落な武人か…家の爺さんを思い出すな)
烏龍茶をちびちびと飲みつつ、黒羽 拓海(
jb7256)は、ダルドフに懐かしい面影を重ねてみた。
(変わった相手だが、こういう手合いは嫌いじゃない。ある種の信頼が置けるしな)
小細工とは縁のない、どう見ても騙し討ちなど出来そうもないタイプだ。
こうして和気藹々と他愛もない会話を楽しむのも悪くない。
しかし、ここに来た目的は――
「それで、何故戦うのかだったな」
本題を切り出してみる。
和やかだった空気が引き締まった。
だが、ピリピリと張り詰めるという程でもない、適度な緊張感。
「俺は護りたいから剣を執っている」
そう言った拓海の脳裏に浮かんだのは幼馴染と義妹、二人の少女の面影。
普段あまり意識した事はなかったが、真っ先に思い浮かんだ二人は、拓海にとって何よりも大切な存在だった。
「あいつらを…俺の大切な人達を失いたくないから、奪われたくないから」
だから戦う。
「故に俺が剣に込めるのは一つ。『例え何があろうとも、自分の大切な存在を護り抜く』という意志だ」
その為に必要なら戦うし、敵は等しく討つ。そこに人も天魔も無い。
「俺は俺の願いの為に、己の意志で剣を振るう」
「ふむ、では…その大切な存在さえ無事であるならば、ぬしは剣を置くのか?」
立派な顎髭を弄りながら、ダルドフが訊ねた。
その目が「つまらぬ答えを寄越すなよ」とでも言う様に、悪戯っぽく光る。
「そういう事じゃない」
拓海は首を振った。
「アンタ達天使や悪魔に挑むのは、好き勝手にされて理不尽に奪われたくないからだ。ほんの僅かだろうと、無理矢理に奪われるのは嫌なのさ」
それは自分の周囲に限らず、赤の他人であっても。
「依頼で他人の為に戦うのも、俺自身が喪失を厭うから、だな。手の届く範囲は何とかしたいと思ってしまう」
大義や復讐心、憎悪などは無い。
「正直、戦わずに済むならそれが一番だと思っているぐらいだが…そういう訳にはいかないんだろう?」
答える代わりに、ダルドフは「くくっ」と喉を鳴らした。
笑っているらしい。
尋ねるまでもないという事か。
「なら語った通り、全力で戦うさ」
烏龍茶を一口飲んで、続ける。
「…アンタを殺さずに済めばと思わなくもないがな」
甘いだろうか。
だが、それがあるから自分は人で居られる――拓海はそう考えていた。
「唯殺すだけなら、それは武人でなく悪鬼羅刹だ」
ダルドフは答えなかった。
しかし、その目には同意の色が見てとれる。
恐らくこの場にも、何かしらの監視の目があるのだろう。
不用意な発言は、彼にとって命取りになりかねない。
中間管理職は辛いのだ。
「ダルド、あんたがボスならボクは何も言うことはない」
事情を察したらしい黒龍が言った。
私的に一時搾取していた側からしてみれば、ダルドフのやり方は良策だろう。
徹底した管理の下、開発を迫られる事なく、ある程度の自給自足が出来る環境が保たれる事は好ましい。
後は伝統や歴史が脅かされずに残され、継承されていくのならば、さらにいう事はなし。
彼にしても武人たる処は好感が持てる。
だが――それが長続きするとは限らない。
上司や配下に理解されるとも限らない。
寧ろ覆される事の方が多いかもしれない。
「上からせっつかれたり、下が暴利に出たり、というのは何処でもあるからな」
そうした例に、黒龍はつい最近も出会った。
「自分の意志とは離反して、事が進められてくのは何処でも同じや」
黒龍の望みは現状維持。
一般人が脅かされなければそれでいい。
歴史伝統の紡ぎ手に及ばねばそれでいい。
だから。
「残したい未来を護る為に戦うだけやな、ボクは」
そう声に出しながら、意思疎通で言葉を送った。
『もしソレが崩れそうな時は敵として現れ<同じ利害>を潰す事に尽力したい』
ダルドフからの返答はなかったが、その意思がある事さえ伝われば良い。
「上の義を果して戦いを起こすのなら、その時はその時でやろう」
龍の名に相応しい、紅の瞳孔を見開いてダルドフを見据え、笑みを浮かべる。
「個人的に戦いたければ、学園に依頼を出せばええ」
挑戦状でも送り付ければ、戦いたい者はこぞって馳せ参じるだろう。
なにも住民を人質に脅しをかける必要はないのだ。
「して、ぬしはどうだ、ん?」
ぼふぼふ。頭を叩かれて、淳紅はふにゃっと笑った。
「ダルドフさんええ人っぽいし、あんまり戦いはしたないな…なんて、自分の悪い癖やね」
しかし、戦いはなにも刃を交える事だけとは限らない。
自分には自分の戦い方がある。
「結構、厳しいの覚悟で来てたんで、安心しました。人間を酷い扱いせんでくれて…ほんま、ありがとうございます」
ぺこり、頭を下げた。
「自分は、撃退士が現状絶対の安全を保障できない以上、こういった場はあっても問題ない、むしろ…あって欲しいと、そう望みます」
それは良い。
「でも!」
それでも、譲れない事があった。
「…でも。少し疲れて気力を奪われただけで、もしかしたら生きることを止めたくなる人もおるかもしれません。ここから出られへんことで、自分のなりたいもんになられへん人がおるかもしれません」
自分が身の安全よりも、心の平穏よりも、痛い身体をひきずって、苦しい心を持って、這って進む事を選んだように。
「一見、何の不満の欠片のないここにも。自由を求める人は必ずいます」
淳紅は自分を見据えるダルドフの目を、真っ直ぐに見つめ返した。
強く、意思の力と想いを込めて。
「せやから、自分個人のダルドフさんと戦う理由は――選択の権利を人側に認めてもらう、です」
仲間達のやりとりを、集は黙って見守っていた。
(俺は多分、このおじさんの話を聞きたいという「欲」は満たせない)
それは自分が一番分かる。
(だって、俺自身が何故戦っているのか、分からないんだから)
自分は自分で、他人は他人。
助けたい、守りたい、救いたい…色々な感情があって、色々な結果が待っている。
その二つを繋ぐのは、戦い。
なんでもいい、力と呼べる言葉でも暴力でもいい。
それをぶつけて、我儘を通すのが戦い。
誰かを蹴落とすのが戦い。
例えどんな敵でも、敵ならそうなる。
でも、自分は何の為に我儘を通し、誰かを蹴落とそうとしているのだろう。
(いつもいつも家の事ばかり、血筋、才能、立場…)
自分が守りたい物を守るために息子を力として使う、親という「他人」。
それに嫌気が差し、自ら追い出される様な形で家を出て、今ここにいる。
(これも、俺が俺を守りたいという願いからくる、戦い)
何故戦うのかは、分からない。
学園に来れば何か分かると思ったけど、まだ分からない。
「だから、俺は語れないんだ」
ぽつり、言った。
「出来る事はしよう思った。だから今も戦っている。この土地を取り戻したいと願う人が居て、俺もそれに加担して」
でもそれは、彼等の為ではない。
「俺の為、俺の戦いの意味を知る為の戦いで」
だから、語っちゃいけない。
語れる事なんか、何もない。
「俺がどこかずれているのは分かる。ただ生きているだけの空っぽ、のっぺらぼう。それが俺で、それが全て」
他には何もない。
「でも、俺は戦うよ。少なくとも、今はそれが、俺を満たす「何か」なんだから」
「ま、良いんじゃねぇか、それで」
答えたのは常久だった。
「それだって立派な理由だ、語るだけの価値はあるさ」
己を満たす何かを戦いを求める、男にはよくある話だ。
満たされぬままに求め続け、やがて壊れて朽ち果てる――それもまた、よくある話ではあるが。
「大の男が、戦う理由が無いやらなんかぬかすよりは、よっぽど良い」
願わくば、それ以外の何かを見つけてくれると良いのだが。
(子供が戦ってる世界なんてまっぴらゴメンだ)
とは言え、今の自分にその「何か」を示す事は出来ない。
ただ――自分の言葉が、少しでも助けになるなら。
(子供の前で理想を言うのは大人の仕事だ)
子供の頃はそんな助けてくれる大人が欲しかった。
居なかったのでその穴を自分で埋めようとした。
同じ思いは、させたくない。
「支配の様子を見た、お前さんの力も知った」
常久はダルドフに向き直った。
「逆に聞くけどよ、お前さんは何で戦ってるんだ?」
「それは、俺も知りたい」
そう言ったのは拓海だ。
「アンタはどうして戦うんだ? 正々堂々闘るなら、相手とは対等でありたい。聴かせてくれ」
その言葉に、ダルドフは少し気恥ずかしそうな様子で鼻の頭を擦った。
「なに、某もぬしらと同じよ」
守りたいものがあるからという、それに尽きる。
例えそれが、他の誰かの大切な存在を奪う事になろうとも。
それはもう自分の手が届かない所へ行ってしまったが…それでも。
それ以上は語ろうとしないダルドフに、淳紅が尋ねた。
「ダルドフさん。人間の世界はどう見えますか?」
愚かで汚くて、弱くて、脆くて。
でも時々、信じられない程優しくて、綺麗で、強くて…とても愛おしい。
そんな世界に見えたら、すごく嬉しい。
「そうさな。とてもよく、似ておるわ」
美しい所も醜い所も、天界とそっくりだ。
だからこそ、人間をただの餌と見る事は出来なかった。
しかし上の命令に逆らう事も出来ず、見出した妥協点。それが今の状況だ。
「なあ、『支配』なんてしなくていいんじゃねぇの?」
酒を煽りつつ、常久が言った。
「助け合いして共存してるわけだろ、なら別に問題ねぇんじゃないの? ただな、その支配っつうのが気にいらねぇ」
支配とは上下関係を生むもの。
共存を望むなら、支配はいらない。
「ワシ達はお前さんらに支配される為に生まれてきたんじゃねぇんだ」
それに。
「お前さんの力なんて関係無いんだよ。助けなければいけない人間が居て、ワシ等が居るならそれで戦う理由足りえる。命を消費するんじゃなくて命と共に歩く為に戦ってる。そういうやつ等もいるんじゃねぇかな」
と、他人事の様にではあるが、まともに答えたところで。
「その礼に、何かくれても良いんじゃね? 例えば、お前さんらが何を目指して行動しているのか、とか」
しかし、そんな事を話せばダルドフの首が飛ぶ。
「なら、土産に支配下の住民票はどうや?」
黒龍が言った。
「こっちも上があるから、何かしら成果は持って帰らんと。あかん?」
「あかんな」
今はこの現状を維持するだけで精一杯、これ以上の便宜を図れば反逆と取られかねない。
そうなれば全てが水の泡だ。
「欲しければ勝ち取れ。力を示せ。某の刃を、見事へし折って見せよ」
ダルドフは自分の分厚い胸板を拳で叩いた。
武器をとって戦うなら手にした刃を、言葉や想いをぶつけて戦うなら心の刃を。
「ぬしらに、それが出来るか?」
彼の刃が折れた時、何かが変わるだろう。
良い方にか、悪い方にか、それは刃の折り方次第。
けれど、ひとまずは――
「心ゆくまで世界を、人を、楽しんでってくださいね」
帰り際、淳紅はダルドフに携帯音楽プレーヤーを手渡した。
「‘もし’ こんな機会がまたあったら一緒にカラオケ行きましょ」
それまで、これで練習を。
「指切拳万、人の‘約束’の作法です!」
その大きな手を取って、強引に小指を絡ませる。
「約束、か」
それは是非とも、機会を作らねばなるまい。
いつか、きっと。
「ごちそうさまでしたー♪ おごってもろておおきにです」
次は戦場で会う事になるだろう。
その時には、互いに悔いのない戦いを。
それぞれが求める、理想の未来の為に。