「げほっ!」
「ごほんっ!」
「っくしゅん!」
現場に踏み込んだ途端、撃退士達は盛大な咳とくしゃみの発作に襲われた。
パニックを起こして走り回る鶏達が撒き散らす羽毛と盛大に巻き上げられる埃で、辺りは白く霞んでいる。
「思ったより状況は厳しそうだね。だけど何とかしないといけない、か」
埃が飛び込んで来た目をこすりつつ、グラルス・ガリアクルーズ(
ja0505)が言った。対処が遅れれば、卵の数もそれだけ減ってしまうだろう。
覚悟を決めて、モワモワの中に飛び込む撃退士達。
グラルスは無事な巣の脇に陣取ると、そこから運動場の全体を見渡してみた。
その脇に、真っ赤なマフラーをマスク代わりにした礼野 真夢紀(
jb1438)が立つ。
「一か所に誘い込む……入り口から入って反対方向に追い込むか、皆で散らばって周囲から追い立てて中央に追い込むか、ですよね?」
「追い込むのであれば勢子の役は自分に任せるで御座る!」
その提案に、静馬 源一(
jb2368)が胸を張って答えた。自分は忍者だ。自慢の俊足で子鬼ごときは自由自在に追い込んで見せよう。
「追い込む先は、砂地や岩場の方が良いで御座るな。見たところ遮蔽物が無いで御座るし、派手な攻撃をしても運動場への被害は少ないはずで御座る。砂場に巣を作る鶏もいないで御座ろう」
「その間に、卵の方は私達で回収してしまえば良いね」
翼の種族ハルルカ=レイニィズ(
jb2546)が、同族のギィ・ダインスレイフ(
jb2636)をちらりと見る。彼にも異論はなさそうだった。
それで決まった。いざ、作戦開始!
「私は向こうから、ヒリュウに追い立てさせますね!」
自分は卵や鶏を守る様に立つと、ジェラルディン・オブライエン(
jb1653)は高速召喚で呼び出したヒリュウに指示を与える。
それを受けて、ヒリュウは一直線に指示した場所まで飛んで行き、子鬼達を追い立てにかかった。
ヒリュウがブレスを吐くと、卵に手をかけようとしていた一匹の子鬼が吹っ飛ばされる。それを見た周囲の子鬼は慌てふためいて逃げ始めた。
それを追って、二度三度とブレスが襲いかかる。が……四度目は、なかった。
ブレスが打ち止めになった事を子鬼達も見抜いたらしい。馬鹿にした様な笑い声を立てると、彼等は再び鳥の巣を探しに舞い戻る。
ヒリュウはそれを阻止しようと、精一杯の威嚇を試みるが……しかし、丸っこくて可愛らしいヒリュウの姿では、いくら頑張って威嚇しようとも迫力に欠ける。と言うか、全然怖くない。
体当たりを仕掛けても、それほど効果がある様には見えなかった。
それどころか、周囲で跳ね回る鶏達と子鬼の間でてんてこまい。
「……あらあら」
どうしましょう。
そしてこの、回収した卵もどうしましょう。
――ぐう。
卵をじっと見詰めるジェラルディンのお腹が鳴った。
「美味しそうですね……」
卵も、そして近くの餌入れに入っている鶏の餌も。
あぁ、いやいや……我慢我慢。晴れて究極のTKGを頂く迄は……!
オロオロしているヒリュウに代わってその場所に立ったのは、金属バットを構えた相羽 菜莉(
ja9474)だった。
「狙うは、サヨナラホームランです!」
バタバタと騒いで邪魔をする鶏達の合間を縫って、フルスイング!
「お帰りくださいませ、子鬼さん!」
ばこーん!
インパクトの衝撃も加わって、子鬼は見事場外へ!
それを見た他の子鬼達、再び泡を食って逃げ始めた。
しかし、菜莉はそれを追いかける事はしない。あんなものを追い回しても体力や時間を浪費するだけだ。
そう、バッターはじっとバッターボックスに立って、ピッチャーの投げる球を待てば良いのだ。
そんな訳で……
「皆さん、こちらですー! こちらに追い込んで下さい−!」
ぶんぶんとバットを振り回す。
「卵かけご飯の為に、がんばりましょー!」
それに応えて、源一は走った。
「人様の卵に手を出すとはふてぇ奴で御座る!」
卵を狙う子鬼目掛けて手裏剣を投げて蹴散らしながら走った。
「世間様の為、依頼人様の為、鶏の為、そして何よりもTKGの為! 一匹残らず成敗してやるで御座るよ! 待っているで御座る! TKG〜!!」
走りながら考える。
(あ、おかわりはありで御座ろうか?)
それは君達の働き次第。守った卵の数で、おかわりの有無が決まるのだ。
――じゅるり。
全ての素材にこだわった世界一のTKG……想像するだけで今からヨダレが止まらない。
(海苔を入れるか、刻みネギ混ぜるか、ゴマを振り掛けるか、はたまた違う何かを加えるか、迷うで御座るよ〜♪)
もとより、胃袋の受け入れ体勢は万全だ。その上更にこうして走り回れば、空腹が絶頂に達する事は必至。その何を食べても美味しく感じる所に、世界一のTKG。
しかし、ここで卵を守りきる事が出来なければ、空腹を抱えたまま帰るハメになってしまう。
有り得ない。ここまで来てそれは、有り得ない。
「子鬼どもめ鬼道忍軍の機動力、しかと目に焼き付けるで御座る!」
源一は走る。逃げる子鬼を追って、縦横無尽に走り回る。回り込んで逃げ道を塞ぎ、仲間が待ち構える場所へと誘導する。鶏達までもが追い立てられて道を空けた。
その姿はまるで牧羊犬。と言ってもコリーやシェルティではなく、豆柴。しかも子犬だが。
子鬼達が追い込まれて来た所を、菜莉が金属バットで打ち返す。
一匹、二匹、子鬼の貧相な体が宙に舞った。
バットの届く範囲から辛うじて逃れた子鬼もいたが、阻霊符の効果でフェンスをすり抜けて逃げる事も出来なかった。
立ち往生した彼等の前に、緋の太刀を振りかざした真夢紀が立ち塞がる。
「お弁当食べ損ねたじゃない!」
連絡が入ったのは、今まさにランチタイムが始まろうかというその時だった。
撃退士たる者、いつ如何なる時でも救助の要請には迅速に応えるべし。
とは言え……
(ご飯の恨みは恐ろしいのよ)
第一目標は卵と鶏の保護だが、それだけでは腹の虫が治まらない。
(子鬼殲滅!)
真夢紀は手近な子鬼に向かって、太刀を思い切り振り下ろした。
情け容赦の無い一撃に続いて、吸魂符でトドメを刺す。
「田舎育ち舐めるんじゃないわよ、ちぃ姉には劣るけど野山走って木通や野苺や桑の実取ってたんだから」
怖れをなして逃げ出した子鬼も、右往左往する鶏達を身軽に飛び越えながら追いかけた。
「卵取られる前に保護です」
途中で目に付いた卵を拾いつつ、子鬼達を追い詰める。
そこに待っていたのは……
「はいさようなら、ですね!」
菜莉のサヨナラホームランだった。
「意外とすばしっこいな。でも逃がさないよ……狙い撃つ!」
グラルスは手近な所を逃げ回る子鬼に向けて雷の矢を放った。
「貫け、電気石の矢よ。トルマリン・アロー!」
そうして一匹ずつ潰しながら、グラルスは全体の状況把握にも努める。
一匹も逃す事のない様にと勢子役には追い詰める方向を指示し、卵が狙われそうな気配を感じれば近くの仲間に注意を促した。勿論、魔法が届く範囲にいる敵は自らの手で葬っていく。
「黒玉の渦よ、すべてを呑み込め。ジェット・ヴォーテクス!」
呪文を唱えると、狙われた子鬼は渦巻く漆黒の風に呑み込まれた。
遠距離の敵を狙う時はコンセントレートで神経を研ぎ澄まし、射程を伸ばす。
だが、遠くの敵を狙うには少々問題があった。いつ何時、ふいに飛び出した鶏達によってその射線を塞がれるか、予測が付かないのだ。
そしてそれは、いくら気を付けていても防ぎ様のない事故の如きもので……
グラルスの手から雷の矢が放たれたその直後、一羽の鶏がまるで子鬼を庇う様に飛び出して来た。
勿論、鶏にそのつもりはないのだろうが……
その瞬間、一陣の風が吹いて白い塊を浚って行く。
「……美味しい卵産む、大事な生き物……護る」
風と見えたのは、ギィだった。
地面に膝をつき、真っ白な鶏をぎゅっと抱き締める。まるで恋人にする様に、それはそれは大切そうに。
だが、鶏の方はますますパニックを起こしてギィの腕の中で暴れ回っていた。
「コケッコケッコケッ」
もしかしたら、自分はオスだと主張していたのかもしれない。
やがて暴れる鶏をそっと放すと、ギィはゆっくりと立ち上がった。
その背から傍若無人オーラが立ち上る。
「……賞味の仕方も心得ない粗忽者に、美食は不要。その分俺が喰うから、安心してくたばるといい盗人共」
その視界が、ちょうど卵を呑み込もうとしていた子鬼の姿を捉える。ギィは再び風となると、その背中を思い切りどつき倒した。
『ごふっ!?』
今まさに子鬼の喉元を通り過ぎようとしていた卵が逆流し、ぽんっと吐き出される。
ギィはそれを素早く受け止め、真綿を敷き詰めた籠の中にそっと置いた。少しヌルヌルしているが……後で洗えば問題はないだろう。
「こういう時は、おめぇに食わせるTKGは無ェ! ……とか言うのだった、か?」
不敵な笑みを浮かべた悪魔の姿に縮み上がった子鬼は、一目散にその場から逃げ出した。
だが逃走の瞬間、その手が巣に残っていた卵に伸びる。その見事なまでの早業に、流石のギィも咄嗟の対処が出来なかった。
しかし、問題はない。
卵を持った子鬼は柵の方に向かって走る。そのまま柵に体当たりをし、すり抜けようとしたが……
『ぎゃっ』
阻霊符の効果によって、その体からは透過能力が失われていた。
柵にぶつかり跳ね返された所に、もうひとつの風が舞い降りる。卵を掴んでいた腕が細い糸に絡め取られた。
「最下級のディアボロ程度が、はぐれたとはいえ悪魔に逆らうとはね。不思議な感覚だよ」
ハルルカは手にしたチタンワイヤーを容赦なく引き絞る。
「その卵は返して貰うよ?」
子鬼の腕ごと、卵が落ちた。
喉の奥から耳障りな声を上げた子鬼は、周囲の鶏を蹴散らしながら闇雲に走る。
だが、その行く手にはシュトルムエッジを構えたギィが待ち構えていた。
そして背後にはハルルカ。
子鬼の体は切り裂かれ、切り刻まれて地に崩れ落ちる。
ディアボロ如きが悪魔に逆らうなど、百万年早いのだ。
ハルルカは子鬼の手から卵をもぎ取ると、籠に収める。その中には既に、各所に点在している巣から集めた卵が並んでいた。
「これはそろそろ、どこか一箇所に纏めておこうか」
「そうだな……」
その方が守り易いし、小鬼達を呼ぶエサにもなる。
二人は回収した卵を鶏小屋の中へ置いた。ここなら運動場から丸見えな上に、三方を壁に囲まれている。阻霊符の効果が続く限り、子鬼達は開いた一方からしか近付く事が出来ない。囮の置き場所としては最適だった。
その後も二人は巣を回り、無事な卵を回収していった。
戦闘班が確保した卵も預かれば、彼等も心置きなく暴れる事が出来るだろう。
そして鶏と子鬼と人が入り乱れてカオスになっている場所では、ギィが咆哮を上げて周囲の鶏達を追い散らした。
少し可哀想な気もするが、踏まれたり蹴られたり、間違って撃たれたりするよりはマシな筈だ。
叫び声と共に一斉に逃げ散る鶏達。その中には子犬の様な姿も混ざっていた様だが……
「おしりぺんぺんは勘弁で御座るぅー!」
……気のせいか?
やがて子鬼達は逃げ去り……いや、ここから無事に逃れた者など居るのだろうか。
居たとしても、もう二度とこの場所を襲う事はないだろう。
「いやぁ、ありがとう! お陰でほら、こんなに沢山の卵が!」
依頼人が満面の笑顔で籠を差し出すと、中には二十個近くの卵が入っていた。
それでは早速、ご褒美のTKGタイムと行きましょうか。
最高級品揃いの材料で作られた卵かけご飯。
さて、どんな味がするのだろう。
「普段家や学校で食べるご飯と違う味わい深さもありそうですね」
ほかほかのごはんと卵を前に、菜莉は期待に胸を膨らませる。
「この醤油も、ラベルからしていかにも高級そうだね」
グラルスは食卓に置かれた醤油瓶をまじまじと見詰める。勿論、TKGはその醤油で頂くつもりだ。
「専用の醤油もある、など、TKGは偉大……」
何故か尊敬の眼差しで見詰めるギィ。彼にとっては、これが記念すべきたまごかけごはんデビューだった。
「知り合いが、食べるラー油かけると美味い、と言っていたが、あるか?」
勿論ある、しかもやっぱり最高級のものが。
「私は特に拘りもない、というより初めて食べるからね」
同じくこれがデビューとなるハルルカは、オーソドックスに基本の調理法を選んだ。
(究極の卵かけごはん、ね)
掻き混ぜられて黄色く染まっていくご飯をじっと見つめる。「究極」とつくからには、人間はさぞ美味しく感じるのだろう。
「さて、それじゃあ悪魔の私は美味しく頂くことができるかな?」
それでは……
「「いただきまーす!」」
「うわぁ……、こんなに美味しいのか。想像以上だよ」
グラルスの顔に自然と笑みが溢れる。普段食べ慣れたものとはひと味もふた味も違っていた。
特に卵の味が濃い。甘くてまろやかでコクがあって、黄身など箸で刺してもなかなか崩れない程にしっかりしている。
その黄身だけを掬って、真夢紀は高級醤油を一滴。
「……何か違う」
ポケットからお弁当用に持って来ていた、いつもの醤油を取り出してかける。
「うん、まゆはこれが一番」
実は最近になるまで、この「きいろいごはん」を食べた事はなかったのだが……そのきっかけが漫画の影響というのが、いかにも中学生らしい。
「あ、残った白身は自分が頂くで御座る!」
源一の丼の中には、海苔や葱、ゴマなどがてんこ盛りになっていた。
「すごいじゃないですか、この烏骨鶏!」
その黄身をつつきながら、ジェラルディンが超いい笑顔で言う。
「私よりいい物食べてますよ!!」
そんな彼女のTKGは、何と鰻重!?
「いいですか、蒲焼きのたれをご飯にかけるとなんと、鰻重マイナス鰻になるんです!! ほぼ鰻重!!」
鰻重がTKGにドッキング。鰻重がトッピング扱い! 更に大根おろしまで添えられているとなれば、ブルジョワもいいところだ。
「死ぬまでにやってみたかったんですよ。まさかこんなところで叶うとは。ありがたやありがたや。生きててよかった」
マイナス思考でここまで幸せな気分に浸れるとは、何と幸せな人なのだろう。
「うん、美味しい。究極を自称するだけのことはあるね」
食べ比べたことは無いけれど、きっと一般的なTKGよりもずっと美味しいのだろうとハルルカは思う。
(……けど、流石にコレに人生の全てをつぎ込むのは――いや、本人が幸せなら何も言うまい。黙ってTKGを味わうことにしよう)
「辛いのと、卵のまろやかさが一緒になって、結構美味……」
ギィもこの味が気に入った様だ。
「……次は、醤油で食べる……おかわり」
ずいっと差し出される丼。
それに続いて、いくつもの丼が差し出される。
「「おかわり!」」
頑張った撃退士達の食欲は、遠慮というものを知らなかった。