「毒を吐く蛇ですか…。趣味が悪いですね」
現場に到着したアイリス・L・橋場(
ja1078)は、温泉街を流れる川に目を落とした。
どうやら、毒はまだこの辺りまでは達していない様だ。
しかし、のんびりしてはいられない。
「わぁ、毒で温泉が台無しになったら大変だもん、それにお客さんも心配だ、急がなくちゃ!」
「毒を吐く大蛇をこのまま放置しておいてはどれほどの被害になるか分かりませんし、一刻も早い対処が必要ですよね。微力ながら全力を尽くさせて頂きます」
状況を聞いた犬乃 さんぽ(
ja1272)や、楊 玲花(
ja0249)の言う通り、一秒たりとも無駄には出来なかった。
撃退士達は事前の打ち合わせ通り、それぞれの担当に分かれる。
「安斉さんには…大蛇までの…案内をお願いします」
アイリスに言われ、虎之助が頷いた。
案内と言っても、川沿いの道をひたすら走れば良いだけなのだが。
「走るだけ…なら、ちょっと待ってて!」
すぐに戻ると言い残して、さんぽが何処かに駆け出して行く。
「香織は俺達と一緒に露天風呂の方に回ってくれ」
そう指示を出したのは、東郷 煉冶(
jb7619)だ。
作戦内容は、かくかくしかじか。
「っつーカンジでさ、頼むわ」
まずはタオル等、女性の身体を隠す物の調達から。
「でないと俺も目のやり場に困るっつーか、うん」
男たるもの、女性が嫌がる事をしてはならないのだ。
裸体を拝むなど、もってのほか。
「ほいじゃ、見張りはあたいの役目かね」
ノンアルコールの缶ビールを開けると、桃香 椿(
jb6036)は露天風呂に続く階段を降りて行く。
「準備の間に下手な動きされちゃ敵わんけん」
「わかりました。では私達はタオルの用意を…」
満月 美華(
jb6831)は、香織と共に近くの旅館へと走った。
露天風呂担当が急いで準備を進める仲、大蛇担当は川の上流へ向かう。
と、川沿いに流れる道路脇を走る彼等の横に、旅館のマイクロバスが急停車した。
「乗って! …流石に走っていったら、時間かかりすぎるかなって思って」
運転席から、さんぽが身を乗り出して叫ぶ。
先程は近くの旅館にこれを借りに行ったのだ。
四人の仲間が飛び乗ったのを確認すると、助手席にナビ役の虎之助を乗せて、車は急発進。眼下に川を見下ろす道をフルスピードで突っ走る。
「ボク、日本の温泉大好きだもん、それを壊そうとする悪い奴は、絶対に許しておけないから!」
「でも、何故温泉に毒を流しているのでしょうか」
ハンドルを握ったさんぽの言葉に、ミズカ・カゲツ(
jb5543)が後ろで首を傾げる。
雫(
ja1894)がそれに答えるともなく呟いた。
「此方の戦力を分けるのが目的で2ヶ所で出現したのでしょうか?」
「其の本当の狙いは分かりませんが、放置する訳にもいきません。まずは蛇を倒して、毒の流出を止めなければ…」
そう言いつつ川面に視線を落としたミズカの目に、異様な光景が飛び込んで来た。
ある場所を境に、水が紫色に染まっている。
しかもその境目は、ゆっくりと下流に移動していた。
「確かあと15分程で毒が温泉に到着するのでしたね」
急がなくては。
やがて上流に元凶の姿が見えて来た。
道端に車を乗り捨て、六人は川岸の斜面を転がる様に下る。
しかし彼等の姿を目にした途端、大蛇は水の中に姿を隠してしまった。
「水に潜って攻撃を避けるつもりですか。でも、そうはさせません」
それを追って飛び込んだ玲花が、フォトンクローから伸びる非実体の爪を鱗の間に突き刺した。
息が切れるまで攻撃を続け、息が切れても息継ぎをして、再び水中に戻る。
水中では攻撃の効果は余り期待出来ないが、大蛇にストレスを与えられれば上出来だ。
執拗に纏い付く玲花のしつこさに、大蛇はとうとう沸点を超えた。
何度目かの息継ぎに向かう玲花を追って再び現れた大蛇は、毒の塊を吐き散らしながら暴れ始める。
水面を蹴ってそれを避けた玲花は、脇に回り込んで目隠しの発生させた。
頭部に纏い付く霧が大蛇の逸らす中、玲花は八卦翔扇を投げ付けて反撃、闇の翼で舞い上がったミズカもそれに加勢する。
玲花と同じく水上歩行が使えるさんぽは、側面から雷遁での麻痺を狙った。
しかし、残る三人は川岸に留まるか、或いは動きが制限される事を承知で川の中に踏み込むか、どちらかを選ぶしかない。
「岸からでは…届きませんね」
一対の直剣、干将莫耶を両手に、アイリスは遥か遠くにある大蛇の頭部を見上げた。
「大きな岩でもあれば、それを足場に出来るのですが」
雫は川の中にじっと目を懲らす。
しかし水は一様に深い色を湛え、足場に出来そうなものは見当たらなかった。
「上の方さ誘き寄せらんねぇかな」
非ネイティヴ用に訛りを極力抑えた虎之助が上流を指差す。
「もう少し行けば、岩がゴロゴロした浅瀬になってっから」
そこなら少しは戦いやすくなるだろう。
「わかった、ボクに任せて!」
さんぽは大蛇の上手に回り込むと、ニンジャヒーローで名乗りを上げた。
「こらっ、綺麗な川とか温泉を毒で汚すなんて、絶対絶対許せないもん! ボクが相手だっ」
大蛇の気を惹きながら、上流へと走る。
更にその周囲を飛び回るミズカが、追い立てる様に建御雷で斬り付けた。
まんまと釣られた大蛇はその巨体をゆっくりと上流に向けて、静かに動き出す。
川は次第に浅くなり、やがて大蛇の胴体が水面に見え隠れし始めた。
もう一押しで、大蛇の全身を剥き出しに出来そうだ。
「そこから出て貰いますよ」
ミズカが掌底を撃ち込む度に、大蛇はその巨大な身体をくねらせ、水面に打ち付けながら後退して行く。
やがて頭部は完全に岸に上がり、それに続く胴体もかなりの部分が水から出て、川面に道を作った。
「これで水中からの不意打ちも出来なくなるでしょう」
鎌首を持ち上げた大蛇の頭部はまだ手の届かない所にあるが、その道を辿れば近付く事が出来る筈だ。
Alternativa Lunaを発動したアイリスは友が作った道を駆け上がり、出来るだけ頭部に近い場所に両手の刀を突き刺した。
滑り落ちながら、刀に体重を乗せて下に切り裂く。
その傷に鋭雪の純白の刃を押し当てたミズカは、損傷した大きな鱗をメリメリと引き剥がした。
痛みに耐えかねたのか、大蛇が大きく身を捩る。
のたうちながら、川の中に戻ろうとしている様だ。
「そうはさせないよ、幻光雷鳴レッド☆ライトニング! …毒吐き大蛇もパラライズ☆」
さんぽの声と共に、真紅の雷光が放たれる。
大蛇の身体はその場に釘付けになった。
だが、移動を封じられただけで、攻撃手段は残されている。
頭上から次々に飛んで来る毒の塊、上から叩き付ける様に振り下ろされる巨大な首。
その首を自分に引き付けた雫は、間一髪の所でそれを避ける。
が、ただ避けただけではなかった。
僅かに体をずらし、その開いた口に大剣フランベルジェの刀身を滑り込ませ、そのまま胴体に向かって一気に切り裂き開く。
しかし大蛇はその痛みに対して声を上げる事も出来なかった。
「その意識…狩らせて貰いました」
大蛇の頭が手の届く所に伸びて来たのを幸い、アイリスが渾身の力を込めて薙ぎ払いを叩きつけたのだ。
それは丁度、雫の攻撃と重なり、大蛇はその場に死んだ様に横たわる。
「この蛇にはピット器官はあるのでしょうか」
雫はその巨大な頭部を覗き込んでみたが、よくわからない。
わからないから、適当に鼻先を斬り落としてみた。
更にはアイリスがその顎をこじ開け、舌を切り取った挙げ句、喉の奥に発煙手榴弾を放り込む。
毒の代わりに煙を吐きながら、意識を取り戻した大蛇は再び鎌首を上げようとする。
しかし今度は雫が放った一撃により、大蛇の意識は再び闇の底へ。
「もう二度と、浮かび上がる事はありません」
後の事を仲間に託し、雫はその頭部を目掛けて力が続く限りの連続攻撃を叩き込んだ。
それに合わせて、玲花とアイリス、ミズカの三人が首筋の傷口を深く抉る。
三人が武器を引き抜いて飛び退くのと入れ替わりに、さんぽが必殺の韋駄天斬りを繰り出し――
「僅かな点を穿ち一撃を通す、これがニンジャの速さだっ…疾風必殺くりてぃかる☆ひっと!」
いずれも経験豊富な先輩達の活躍を、虎之助はただ口を開けて見守るしかなかった。
一方、こちらは温泉街。
「まったく、温泉を襲うやなんて、つまらん真似しよる」
タオルの調達に行った二人が戻ったのを見て、椿は空になったビール缶をぽいっと投げ捨て――
え、ポイ捨て禁止?
わかった、後でちゃんと片付けるから。
「さて、ツマミに暴れるばい♪」
大きく伸びをすると、椿はまず女湯を囲む子鬼達の前に立った。
「ここは任しとき」
烈光丸を閃かせ、躍りかかる。
「ええなぁ、どっちを向いても敵ばっか♪ 攻撃すりゃ当るってね!」
両脚に雷のアウルを、身体に風のアウルを纏い、疾風迅雷の如く椿は舞う。
突然現れた邪魔者に、包囲を解いた餓鬼共は怒りの声を上げながら飛び掛かって来た。
「そうそう、こっちやでぇ!」
一匹でも多くの餓鬼を引き付けようと、椿は挑発しながら後ずさる。
その挑発に釣られなかった分は、煉冶が引き受けた。
「要らんことせんでもええのに」
苦笑混じりに言葉を投げた椿に、煉冶は「ほっとけ」とぶっきらぼうに答える。
日本男児たるもの、女性を危ない目に遭わせる訳にはいかないのだ。
例えそれが、自分よりもレベルの高い強そうなお姉さんであっても。
敵の意識が二人に向けられた隙を伺って、美華と香織が入浴客にタオルや浴衣を手渡して行った。
「用意が出来た人から逃げて下さい、そこを上れば旅館はすぐそこです」
美華が指差した先には、川原の土手に作られた石組みの階段がある。
ところが、温泉客の中には怖ろしさに腰を抜かしたり、元々足腰の弱い老人も多かった。
「大丈夫、私が背負って行きます」
「では私も」
だが、美華は腰を浮かしかけた香織を止めた。
「あなたには、ここをお願いします」
手助けが必要な人数は多い。二人とも離れてしまったら、残った人々が敵に襲われる危険があった。
「私の方が体力ありそうですし…ね」
微笑んで見せると、美華は老人をその背に負って階段を駆け上がる。
その間に、男湯の方からは「こっちも早くなんとかしてくれ」と文句を言う声が聞こえたが、煉冶は敵を殴り飛ばしながらそれを一蹴。
「そう慌てんなよ、助けんのは女が先だ!」
あくまでレディファーストを貫き、女湯は無事に避難を終えた。
「待たせたな、行くぜ!」
今度は男湯、もう目を覆う必要も背を向ける必要もないと、煉冶が勢いよく飛び込んで行く。
「どーしたぁ? ガリガリのクソ野郎ども。もっと来てみろよ!」
相手に僅かばかりの知能があるなら、それを利用しない手はなかった。
挑発し、蹴散らし、熱い源泉に突き落とし――
その間に、男性客は手持ちのタオルで最低限の部分を隠し、転がる様に逃げて行く。
「さて、強引に行ったあとは、ジックリとね…ふふ…色気の無い相手だこと」
避難経路を守る為に残った椿は、不敵な笑みを浮かべながら敵を見据えた。
餓鬼共は相手がたった一人である事を見ると、その脇をすり抜けて脱出路に入り込もうとする。
しかし、椿がそれを許す筈もなかった。
「あかんなぁ、浮気はあかんでぇ」
雷神の手が背後から掴みかかり、脳天を貫いて電撃が走る。
麻痺して動けなくなった餓鬼を蹴り飛ばし、脱出路から遠ざけた。
その道を、最後の一人が慌てて駆け抜ける。
「おう、こっちは無事に片付いたぜ」
「もちっと、ゆっくりしとってもええのに」
合流した煉冶の声に、椿は再び減らず口を叩いた。
「さあ、競争や!」
ここからは遠慮も手加減もナシの殲滅戦だ。
舞う様に華麗に軽やかに、素早い動きで敵を切り刻むその様子は、実に楽しそうだ。
「死ぬも生きるも紙一重ってねぇ」
敵の数が多いほど、怯むどころか不敵な笑みさえ湛え、押して押して押しまくる。
「競争か、望む所だ」
三節棍を連結させて、煉冶は手近な敵を突き飛ばし、薙ぎ払った。
スマッシュの威力を乗せれば、餓鬼など一撃で沈む。
敵は素早く攻撃も当たりにくいが、三節棍の節を外して足に絡め、転ばせてしまえばこっちのものだ。
それでも容易に数を減らさない餓鬼共の一角に、美華が斬り込んで行った。
「やれやれ。いっぱいいるわね…」
大蛇の方も手伝いに行きたいし、こちらは出来るだけ素早く殲滅させたいのだが。
心の中で溜息を吐きながら、フレイムクレイモアを豪快にぶん回す。
ただし、温泉施設は壊さない様に…仕事の後のお楽しみを満喫する為にも、ね。
強烈な一撃を食らい、大蛇の身体は急速に縮みながら水中に没して行った。
玲花が再び潜ってみたが、今度は影も形もない。
と、川を染めていた紫色の毒素が見る間に消えて行った。
「倒したって事で、良いのかな」
さんぽが呟く。
以前戦った風の大蛇も、死体を残さずに消えた。
この大蛇も同じ様に消えたのだろう。
岸辺の高台からその様子を見つめていた人影が、その場をそっと離れる。
「…む」
戦いを終え、周囲を警戒していたアイリスがその気配に気付いたが――
「今は放っておきましょう」
ミズカが首を振った。
まずは毒の影響を受けた生き物を探し、救助する事が先決だ。
「そうですね、残念ですが…」
雫が頷く。
あの気配は恐らく、前回もディアボロと共に姿を現したというヴァニタスだろう。
その能力を測り情報を得る為にも、個人的には一戦交えてみたい所だったが…露天風呂の方がどうなったのか、それもまだ確認が取れていない。
自分にも仲間達にも余力はありそうだったが、無理は禁物。
それに。どうやら、既に気配は消えた様だ。
乗り捨てた車の回収を虎之助に任せ、五人は救助活動を行いつつ川辺を下って行った。
毒水は温泉の500mほど上流で消えた。
観光客にも被害はなく、毒の影響を受けた生き物も、応援に駆けつけた撃退士達の協力で治療が施され、元の場所に戻された。
勿論、温泉の施設が被害を受ける事もなく――
「いやー、極楽極楽♪」
露天風呂に酒と肴を持ち込んだ椿が、ご機嫌で鼻歌を口ずさむ。
今日は一日、この温泉は撃退士の貸切だった。
「頑張ったご褒美ですね」
美華も遠慮なく、ゆったりと温泉に浸かる。
そして竹垣の向こうでは。
「お前さ、女湯行っても問題なかったんじゃねえ?」
煉冶にからかわれたさんぽが、真っ赤になってわたわたしていた。
「はわわわ、ぼっ、ボク男湯、男湯」
温泉を管理する旅館の人にはナチュラルに女湯に案内され、うっかり脱衣場に入ってしまっても誰も悲鳴を上げなかったけれど。
しかし、それも無理はない。
男湯に首まですっぽりと浸かったさんぽは――
違和感、少しは自重しても良いのよ?