「よし、このブロックは避難完了っと」
天羽 伊都(
jb2199)は手にした地図の一角に印を付けると、小走りに次の区画へ移る。
彼がこの地に出向いたのは情報収集の為だったが、襲撃現場に居合わせれば撃退士として黙って見ている訳にはいかなかった。
伊都は住民の避難を徹底させる為に、一軒一軒の住宅を訪ねて残っている者がいないかを確認していく。
と、その時だった。
「犬の声…?」
置いて行かれたものが吠えているのだろうか。
いや、違う。だんだん近付いて来るし。
そう思った瞬間、一頭の犬が目の前の十字路を横切って行った。
続いて、大人の男性と子供が追いかけて来る。
「まだ避難してなかったのか!」
伊都は慌ててその後を追った。
そしてもうひとり、彼等を追う撃退士の姿があった。
「せっく避難してたのに、どうして戻って来ちゃうのー?」
ぱたぱたと懸命に走るのは、白鳳院 珠琴(
jb4033)だ。
走って走って、やっとの思いで追い付いた、その目の前に――
異形の兵がいた。
それは、親子の頭上に真紅の巨大剣を振りかざす。
間に合わない、そう思った瞬間。
「ヒリュウ、体当たりだ!」
声と共に、ピンク色の塊が突っ込んで来て、異形の兵を弾き飛ばした。
「大丈夫ですか!」
声の主、長幡 陽悠(
jb1350)はヒリュウを還し、代わりにストレイシオンを呼び出して親子を護らせる。
「また天魔出現か…早く済ませて被害少なく済ませなきゃなぁ」
その隙に走り込んだ伊都が、敵の体にツヴァイハンダーの一撃を叩き込んだ。
『ギャゥッ』
叫び声が上がり、血飛沫が飛ぶ。
敵は傷口を押さえると、ふらふらと後ずさりをし…逃げた。
「逃がすか!」
伊都が阻霊符を発動させ、逃げ道を塞ぐ。
「ストレイシオン、ハイブラストを!」
陽悠が追い討ちをかけるが、その攻撃は殆ど効いた様には見えなかった。
「魔法は効かないのか…?」
追撃に移ろうとした伊都の隙を衝いて、異形の兵は傷口を押さえながら門扉の残骸に張られたロープをちぎって逃げて行く。
その背に、日下部 千夜(
ja7997)がマーキングで印を付けた。
「逃がしてしまいましたね」
少し残念そうに、陽悠が呟く。
しかし、こちらもまだ仲間が揃っていない状態だ。
敵は恐らくすぐに戻って来るだろうが、体勢を整える為の時間くらいはあるだろう。
それから数分も経たないうちに、残りの仲間達も次々に集まって来た。
「上空から索敵して貰う事は出来ますかねえ?」
伊都の要請に陽悠は再びヒリュウを呼び出し、その視界を共有する。
「よろしくな」
もうひとりの龍使い、神谷 愛莉(
jb5345)もヒリュウのひーちゃんを呼び…その頭から青いレインコートをすっぽり被せた。
「偵察にひーちゃんの全身ピンクは目立つって聞いたんです」
うん、まあ、確かにそうかもしれないけれど、その姿も別の意味で目立つと言うか、目を引くと言うか。
「うわぁ、可愛いっ!」
ほら、親子も目がハート型になってるし。と言うか、危機感なさすぎるよこの人達。
「…あんたら、この状況わかってんのか?」
ほら、宗方 露姫(
jb3641)が額に青筋立てる。
それにしても、この親子はここで何をしていたのだろう。
「こんな所に居ちゃダメなんだよ。急いで逃げないと…」
戦いの間ずっと親子を庇っていた珠琴は、事情を聞いて頷いた。
「ふに? 子猫さんもいるの?? それは大変、ボク達が助けるんだよ!」
(猫を助ける為に、自分の命を危険に晒すなんて)
伊都には納得がいかないが、どんな命も重さは同じだという考えもある事は理解出来た。
「うん、ギアもこの万能蒸気の力で助けるよ。でも…」
蒸姫 ギア(
jb4049)が言った。
「猫を助けたい気持ちもわかるけど、それで命を落としたらギア本末転倒だと思う、可愛いのわかるけ…ってギア、別に猫可愛いとか好きとか思ってないんだからなっ」
ここでツンになるのは平常運転。ついでに、レインコートを着たヒリュウが可愛いなんて事も、全然思ってないんだからなっ。
「ったく、猫が好きなのは悪いことじゃねぇけど、優先しなきゃならねぇ事ってあるだろうが」
そこまで言って、露姫は大きな溜息をついた。
「ま、説教話は後だ。今は生き残る事を第一に…な」
まずは周囲の安全を確保しない事には下手に動かす事も出来なかった。
「ギア、来る途中で傷ついたディアボロ見た」
偵察を兼ねた潜行モードで合流したギアは、その際に仕入れた情報を皆に伝えた。
それにもう一体。そちらは杖を手にしていた。
しかし、数を頼みにするのが常である彼等が、たった二体きりとは考えにくい。
何処かにもっといる筈だ。
「気は抜けないな…」
鳳 静矢(
ja3856)は敵の不意打ちに備えて周囲を警戒しながら、龍使い達の報告を待った。
「いました!」
「えりも見付けました!」
東と西から一体ずつ。透過を阻止されたせいか、道路を歩いて来る。
そして、ギアが見たという二体は南側から。
そのうちの一体…剣を手にしている方は、千夜がマーキングで印を付けたものだ。
だが、受けたダメージは回復している様に見える。
「あの杖持ちは回復要員なのか?」
静矢が呟いた。
「それに…奴が指示を出している様だな」
四体の敵は門の手前で合流すると、剣を持った三体のみがそのまま進んで来る。
杖持ちは後方に控えたまま動かなかった。
「ならば、あれを先に潰すか」
「手伝いますよ」
伊都がその隣に進み出た。
「親子さん隠れる場所の為に潰れたお家に近づけさせない、なら…出来るだけ道路に近いお庭に引き付けますか?」
愛莉の進言通り、撃退士達はその付近に陣を張った。
「…救助を急がなければ」
塀の上に上がった千夜は、残る敵に印を付ける。
使い切ったスキルを回避射撃に変更すると、千夜は親子と犬の元へ。
露姫と共に彼等を安全な場所へと誘導する。
「…この建物は、危険ですから」
「いいか、何があっても大声や物音を立てるなよ?」
二人に言われ、親子はこくこくと頷いた。
「猫は俺達が助ける。だから、鳴き声が聞こえても絶対に近付くな」
こくこく。
この際だからと、ついでにお説教が始まった。
「あのな、仔猫の事が心配だったのは分かるぜ? でもそのために危険な場所に飛び込むのはどうかしてるだろ、少なくともあんたらじゃあ対処の出来ない危険だろ?」
「でも、体が勝手に動いてしまう事ってあるでしょう?」
父親の方が言った。
(せやな、俺も子猫なんか見付けたら放ってはおかれへん)
千夜も無表情に心の中で同意するが、露姫は容赦なかった。
「もしあんたらが死んだら、残してきた猫達とかーちゃんはどうなるんだよ。かーちゃんからしてみたら、大事な家族を猫のせいで亡くしたって事になるんだぞ。そうなりゃ飼い猫達はどうなる?」
「…ぁ…」
「一番身近な大事なものをほっぽらかしてまで、あれこれと守ろうとしてんじゃねぇ! 片が付くまでここでしっかり頭冷やして待ってやがれ!」
親子は萎れた。そりゃもう、青菜に塩どころかナ○ク○に塩くらいに。
ここまで言えば、これ以上の危険な真似はしないだろう。
露姫は珠琴と共に、子猫の救出にかかった。
敵の目は仲間達が引き付けてくれる。阻霊符はもう解除しても大丈夫だろう。
「あの辺りみたいだよ」
珠琴が生命探知で位置を探る。
二人は廃屋の瓦礫を通り抜けて子猫達の所へ近付いた。
「いたぞ」
奥の暗がりに、小さな塊がふたつ。
「助けに来たよ、もう怖くないからね?」
床板をすり抜けて、珠琴が手を差し伸べる。
しかし、床板には子猫達を通せる様な隙間はなく、そのままでは外に出せそうもなかった。
瓦礫をどかして隙間を作ろうにも、下手に動かせば全てが崩れてしまいそうだ。
出口の方へ追い立てようとしても頑として動かない。
「そりゃそうか、怖がるなって言う方が無理だよな」
「戦い、続いてるもんね」
敵を片付けるまで、救出はお預けだ。
それまでは、二人で盾になって子猫達を護ろう――
「絡みつけ蒸気の鎖よ、スチームストリーム!」
ギアは自分の周囲に身体の自由を奪う結界を展開する。
二体がそれにかかり、足を止めた。
その隙に、静矢と伊都が邪魔な敵を蹴散らしつつ、後方に控えた指揮官を狙って飛び出して行く…が。
その杖から炎の球が打ち出された。撃退士達の頭上で爆発したそれは、小さな炎の礫となって広範囲に降り注ぐ。
命中率は低そうだが、親子や子猫達に当たれば致命傷になりかねない。千夜は回避射撃で親子の近くに着弾しそうになった礫の軌道を逸らす。
しかし、その間に束縛を逃れた一体が動いていた。どうやら親子を狙っている様だ。
「死角を作らない様にするんだ!」
静矢が叫ぶ。阻霊符を使っていない今、隙を見せれば何処からでも攻撃を受ける危険があった。
「通すな、もう一度ハイブラストだ!」
陽悠は紅鏡霊符で攻撃しながらストレイシオンに命じる。
「すーちゃん、そっちに行かせちゃダメです!」
愛莉は祈念珠から紫色の炎の刃を呼び出して、自らも攻撃に加わった。
魔法攻撃は殆ど効果が無い事は、先程の一件で判明している。
それでも足止め程度にはなるだろうと、二人は攻撃を続けた。
その間にも、炎の礫の第二波が降り注ぐ。千夜はそれを逸らす事で手一杯で、攻撃に転じる事が出来なかった。
そうするうちに束縛を受けていた一体が回復し、攻撃に転じる。
二体の敵は互いの死角を補う様に動きながら、じわじわと親子に近付いて行った。
「石縛の粒子を孕み、吹きすさべ蒸気の風よ…その連携崩させて貰う!」
ギアが八卦石縛風を放ち、その淀んだ氣のオーラと舞い上がる砂塵で片方を石化してやろうと試みる。
だが、それも魔法防御の高い彼等には通用しなかった。
「やはり、あの指揮官を先に潰さないと…!」
静矢は前衛の敵を無視して後方の杖持ちに狙いを定めると、挑発をかける。
「さぁ、此方に来い!」
敵の目が静矢に据えられる。
その機を捉え、伊都は走った。黒い光の衝撃波が直線上に並んだ敵を貫いて行く。
次の瞬間、標的の体は癒やしの光に包まれた。
が、伊都は構わず間合いを詰め、純白の光を宿したツヴァイハンダーを振り下ろす。
ほぼ同時に、背後に回り込んだ静矢が叩き込んだ刃もまた、純白の光に包まれていた。
敵の手から、指揮官の証である杖が乾いた音を立てて転がり落ちる。
暗赤のコートに包まれたその体はもう、ぴくりとも動かなかった。
「よし、残るは手下だけだな」
静矢は庭を振り返る。
「油断せず確実に一体ずつ潰そう」
まずは先程、伊都がダメージを与えたものを斬り捨てた。
まだ動けずにいる一体に千夜がストライクショットを撃ち込む。そこに静矢が追撃を加え、二体目。
最後の一体はギアがもう一度束縛し、龍使い達がダメージを与えた所に伊都がトドメを刺した。
「さあ、もう大丈夫だよ♪」
珠琴が子猫達をそっと撫でる。
彼等もそれがわかったのか、再びみゃーみゃーと大きな声で鳴き始めた。
しかし、出口の方に回り込んで「おいで」と呼んでみても動かない。
「パン牛乳でふやかしたら…食べれるかなぁ?」
お腹が空いているならこれで出て来るかもしれないと、愛莉は荷物からお弁当の牛乳とパンを取り出してみる。
しかし、それには猫好き親子から待ったがかかった。
「牛乳はお腹壊す子もいるんだ」
先程の恐怖もすっかり忘れた様に少年が言う。
「猫用のミルクは、確か車に積んであった筈だな」
父親も頷いた。
ならば、後は子猫達を無事に助け出すのみだ。
「猫さん救助…隙間にえりかひーちゃんなら入れますか?」
瓦礫をどかすより、その方が早いのではないかと愛莉が奥を覗き込む。
「ちょっとやってみましょうか」
陽悠も再びヒリュウを呼び出してみる。しかし…
「途中に倒れた柱みたいな物があって、無理ですね」
そこを通れるのはネズミか、ネズミサイズの子猫くらいなものだろう。
やはり、ある程度は瓦礫を片付けるしかなさそうだ。
作業の間、露姫と珠琴が子猫のガードに入る。
他の仲間達は余計な場所を崩さない様に気を付けながら、少しずつ瓦礫を取り除いていった。
やがて、床の一部に子猫を通せる位の隙間が空いた。
「ギア、受け取るから」
闇の翼で宙に浮きながら差し出したギアの手に、二つの小さな命が乗せられる。
と、その瞬間――
ズシン!
足元から地響きが伝わって来る。
辛うじて骨組み程度は残っていた廃屋は、完全に潰れて瓦礫の山となってしまった。
「大丈夫か!?」
誰かが声を上げる。
だが、珠琴は瓦礫の中に半分埋まったまま、にこにこと手を振っていた。
「ボクは大丈夫だよー♪」
勿論、露姫も。物質透過って、便利だ。
しかし、二人が実は子猫救出の瞬間まで、崩れようとする家の重みを懸命に支えていた事は誰も知らない。
そういう事は、黙ってやるのがカッコイイのだ。
「皆は大丈夫かな? ボクも手伝いに行かないと」
スキルをライトヒールに切り替えた珠琴は、仲間達の傷を癒やしていく。
幸いどれも大した傷ではなく、皆で懸命に守ったお陰で親子と犬にも怪我はなかった様だ。
「この子達はどうかな…」
子猫達を掌に乗せたギアは、怪我はないかと慎重に毛並みを掻き分けてみる。
片方は三毛で、もう片方は茶トラ。その短い毛の根元に…
「なんか動いた!?」
小さな、黒いものが。これは…ノミだ。
よく見れば、体のあちこちに噛み跡が付いて赤くなっている。
「ほらほら、怖くない…よしよし、今治してあげるからな」
これも多分、れっきとした怪我だよね。だって噛み傷だし。
ナデナデしながら治癒膏を使うギアは、何とも幸せそうな微笑を浮かべていた。
「…はっ!」
もしかして、皆の注目を集めている!?
「べっ、別にギア、可愛いとかそんな事思ってなんか、いないんだからなっ」
いや、そんな真っ赤なほっぺで言われても。
やがて合流した避難所には…鬼がいた。
「こういう時にも自分以外を大切にするのは大事な事だと思いますよ」
陽悠が尻込みする二人の肩を軽く叩く。
「でも、心配かけた人がいるならちゃんと怒られて下さいね」
笑いかけられて、猫馬鹿親子は神妙な様子で母親の元に歩み寄る。
その頭上に雷が落とされるかと思いきや…
「もう…この猫馬鹿のロクデナシどもーっ!」
言葉とは裏腹に、彼女の全身からは喜びと幸せのオーラが溢れている。
その様子を珠琴もまた幸せそうに眺めていた。
子猫達もミルクを貰って嬉しそうだ。
(子猫はやっぱりかわええなぁ…)
それを膝に抱いている千夜も、その真顔な無表情からは想像も出来ない程の幸せオーラを放っていた。
こんな優しい感情を護る為に、珠琴はこの地に降り立ったのだ。
「満ちて溢れている感情をおすそ分けしてもらうのが天使なんだよ」
もっともっと、頑張ろう。皆がこんな優しい感情を持てる様に――