満開の桜を背に、それは立っていた。
その表情がどこか悲しげで、寂しそうに見えるのは……彼がそこに居る理由を知ってしまったからだろうか。
(何としても、成仏させてあげたいですね……)
最初は鬼と戦える事を楽しみにしていたシスティーナ・デュクレイア(
jb4976)だったが、その姿を直に見てしまった今はただ、安らかに眠ってほしいと、それしか考えられなくなっていた。
「すごく綺麗だ。こんな綺麗な桜の木、見たことが無い」
ぼろぼろな桜の木を見て、緋野 慎(
ja8541)が呟く。
「じいちゃんが守ろうとした理由、わかる気がするよ」
自分達は勿論、今は鬼と化した老人さえ生まれる前から、この木はずっとずっと、こうして綺麗な花を咲かせてきたのだろう。
「桜ってのは綺麗なもんだよな」
ぽつり、桂木 桜(
ja0479)が誰にともなく語りかける。
「うちの親もいろいろ思い出を語ってくれた。大切な人との思い出の樹、そこに宿る想い……」
守りたい気持ちは、痛い程わかる。
「でも、じいちゃん」
慎が言った。
「大切なら、じいちゃんのわがままでこれ以上苦しめさせちゃダメだ」
じいちゃんが出来ないってんなら、俺達が止めてやる。
でも、その前に……
「無粋な連中を排除しねーとな」
遠くの高台から双眼鏡でそれを見ている陽波 透次(
ja0280)の指示に合わせ、桜は土手の斜面に咲き誇る菜の花に紛れてゆっくりと近付いて行く。
囮班が死神達を誘い出した所で、身を潜めていた奇襲班が背後から襲いかかり、挟み撃ちにして叩く。それが作戦の第一段階だ。
少し離れた場所に紅葉 公(
ja2931)が、その近くに転がった重機の影にはシスティーナが身を潜める。
囮役は透次、革帯 暴食(
ja7850)、そして慎の三人だ。
(皆さんには危険な役割をお任せする事になってしまいますが……)
彼等を信じ、神月 熾弦(
ja0358)は自らの務めを果たすべく菜の花の海に潜る。
所々は刈り取られて身を隠す事も難しくなっていたが、全体の状況を見ながら指示を出す透次のお陰で、敵に気付かれる事なく所定の場所まで進む事が出来た。
その向こうには楊 礼信(
jb3855)が身を伏せて、攻撃の合図を待っている。
「さって、行こうか」
準備完了。
気合いを入れた慎は、感傷を振り払う様に立ち上がった。
走り込みつつ、大鎌の射程外から疾風の忍術書を使う。風の手裏剣が真っ直ぐに飛んで、死神の体に吸い込まれていった。
「ほら、こっちへ来いよ」
その挑発に乗って、何体かの死神がふわりと動き出す。
「あー……ウッゼぇッ……」
それに続いて、暴食が吐き捨てる様に叫びながら飛び出して行った。
ムカつくッ。ムカつくムカつくムカつくッ。
もう、何だか無性にムカついて、喰らいたくて。
「付いて来やがれ、死神どもッ!」
魔法の鎌は出来る限り避けて、避けきれない分は当たるに任せ、暴食は敵に向かって突っ込んだ。
懐に飛び込み、蹴りを入れながら、僅かずつ後退する。
二体の死神がその挑発に乗って来た。二体は暴食を挟み、左右から大鎌を振るう。
それを蹴り返し、或いは避けながら、暴食は後退した。奇襲班が待ち伏せる、その向こうまで。
「さて、そこから離れて貰いますよ」
透次はルキフグスの書を取り出し、そこに書かれた呪文を読み上げた。
まずは射程外から威嚇して様子を見る……と、それだけで死神はこちらに向かって来た。
「僅かでも敵意を見せれば容赦はしない、という事ですか」
敵の射程外になる距離を維持しながら、透次は後退する。
桜の傍にはまだ三体の死神が残っていたが、彼等に動く様子はない。
ならば、今はこの引き付けた分を叩く事に専念すべきか。
三人の囮は奇襲班の潜む地点を越えて、敵を桜から遠く離れる様に誘導する。
だが、彼等は桜の木から一定の距離を超えると、慌てた様子でくるりと背を向けた。
そのまま、囮を放置して戻ろうとする――が。
「人の想いにつけ込んで下僕を増やす死神共、八百万の神が許しても、この桂木桜が許さねぇ!」
菜の花の海から飛び出した桜が、トンファーで一撃を入れる。
その攻撃をかわして上空に逃れた所で、それを追う様に得物を一閃。高速の衝撃波が死神に向けて飛んだ。
「落ちやがれ!」
そこに暴食に蹴り飛ばされたもう一体がぶつかって、二体は共に高度を下げる。
「これで、燃やし尽くしてあげます!」
公が作りだした巨大な火球が、それを纏めて呑み込んだ。
別の二体が通り過ぎた背後からは、熾弦がヴァルキリージャベリンを撃ち込む。
アウルの力で作り出された槍は二体を纏めて貫き、CRの恩恵を受けて大打撃を与えた。
側面に回り込んだシスティーナがトドメの一撃を叩き込み、沈黙させる。
残る二体にライトニングの雷が放たれ、その衝撃に振り向いた所に、透次のフェイントを交えた魔法攻撃が背後から襲いかかった。
暴食がそれを叩き落とす様に蹴りを入れ、下で待ち構えたシスティーナがトンファーで突き上げる。
最後に慎の放った風の手裏剣が、黒いローブを引き裂いていった。
六体の死神を倒した撃退士達は、桜の木を取り囲む様な陣形を取って、ゆっくりと距離をつめる。
残る三体の死神と鬼は、じっと動かなかった。
「ならば……仕方がありません。この様な攻撃は本意ではありませんが……」
死神を引き離すべく、熾弦は桜の木にジャベリンの狙いを付ける。
「その木を撃ちます!」
死神が木を守る為に、攻撃を受けに来てくれる事を願った。
しかし、彼等は微動だにしない。
仕方なく、熾弦はジャベリンを撃ち放つ。これで危険度の高さを認識し、倒すべき敵であると思ってくれたら――
その瞬間、死神達が動いた。
三体が同時に飛び出し、距離を詰めた所で魔法の大鎌を放つ。三方から放たれた鎌が、熾弦を目掛けて一直線に飛んだ。
ジャベリンを放った直後の隙を衝かれ、熾弦はシールドを張る事も出来ない。
だが、その前にアウルの衣を纏った礼信が飛び込み、全ての攻撃を自身で受け止めた。
『グオアァァッ!』
獣の叫びの様な声が耳を貫く。
「楊さん!?」
だが、その声の主が礼信である筈はなかった。
熾弦の目に飛び込んで来たのは、桜の木を守ってジャベリンに貫かれた黒鬼の姿だった。
熾弦を庇った礼信もまた、がっくりと膝をついてはいるが――
「……僕は大丈夫です。それより、今のうちに……!」
自らにライトヒールをかけて、礼信は立ち上がる。
余り大丈夫そうには見えなかったが、これは彼が体を張って作ったチャンスだ。
「テメぇらを喰らうのはうちだってンだよッ」
素早く背後に回り込んだ暴食が、背中から蹴りを喰らわせる。
その横からは桜とシスティーナが、両側から挟み込む様にトンファーの一撃を叩き込み、沈めた。
残る二体を公の火球が包み、キフグスの書から生み出された黒い刃がその周囲を自在に舞い、切り刻む。
桜を守る者は、黒鬼ただ一人となった。
「桜…満開ですね、お爺さん」
通じていないと知りながら、透次は黒鬼に向かって微笑みかける。
「……死してなお自分が大切なものを守ろうとする……」
受けた傷に手当を施した礼信は、氷の様に薄く透明な刃を持つ両刃の直剣を抜き放った。
「これに天魔が関わっていないのなら、力なき人に被害を及ぼさないのなら、まだ許されたかもしれません。ですが、冥魔の手先に墜ちた以上、看過する事は出来ません。力なき人々の為にあなたを退治させて頂きます」
剣を両手に持ち、黒鬼に向けて飛び掛かる。
続いてシスティーナが、その目の前に無造作に躍り出た。
「さあ、あなたのその怒り、悲しみを全てぶつけて下さい! 私達が全て受け止めましょう!」
『グゥオォォ!』
今はただ妄執の虜となった魂は、虚しく吠え、両腕を広げた。
それは敵を攻撃する為ではなく、背後の桜を守る為の行動。
しかし……
「調子こいてんじゃねぇぞ爺ッ!」
暴食が叫んだ。
「テメぇその桜に、婆様が乗り移った気ぃしてたんだろッ!? だったらよぉ、惚れた女に無様な姿晒して、恥ずかしくねぇのかッ!? テメぇが惚れた女を、泣かす様なことしてんじゃねぇぞボンクラがァッ!」
叫びながら、喰らい付いた。
飢えた牙でその黒い皮膚を噛みちぎり、呑み込む。
「守るなとは言わねぇ……だがテメぇの拳は、ただの暴力だッ。男ならァッ! 優しさで拳を振るえってんだよ糞爺ィッ!」
喰らい付く暴食を振り払おうと、黒鬼は腕を振り回す。
だが、どんなに暴れても暴食は喰らい付いたまま離れなかった。
振り上げた腕には透次が放つ魔法の刃が襲いかかり、その狙いを逸らす。
「喰わせろ、爺ッ」
だが、暴食はとうとうその体を掴まれ、引き剥がされて地面に叩き付けられてしまった。
その上から、踏み潰そうと黒鬼の足が迫る。
が、咄嗟に飛び出した慎がゼルクの細い糸を鬼の足に絡め、その動きを封じた。
「今のうちに、早く!」
それを受けて、素早く駆け寄った礼信が暴食の体を引きずり出し、ライトヒールをかける。
その隙を衝いて、仲間達が一斉に攻撃を仕掛けた。
「まだです! あなたの持つ負の感情、全て吐き出してください!」
システィーナが渾身の連撃を叩き込みながら叫ぶ。
「そんな気持ちのまま天国の奥さんの元へ行くなんていけません!」
鬼となった者が天国へ行けるかどうか、それはわからない。
言葉が耳に入らないのも承知の上だ。
しかし、こうして真っ正面から挑む事で、この拳を通じて伝わる事がきっとある筈だ。
それに……この一撃一撃は彼の魂を浄化する為に叩き込んでいるのだと、そうとでも思わなければ拳に迷いが生じてしまう。
その脇に体を滑り込ませた桜は、ゼルクに絡め取られて動かない、その反対の足を狙って渾身の蹴りを見舞った。
「同じ花の名を持つ身として、俺が手づから送ってやるよ……喰らえ、トンファーキック!」
軸足を蹴られてバランスを失った黒鬼は無様に尻餅をつく。
背後の桜の木に倒れかかると、幹がミシミシと悲鳴を上げた。
『ウオオォォン!』
悲痛な叫びが撃退士達の耳を貫く。
黒鬼は身を起こす事もせずに、桜の老いた幹をその手で撫でていた。
(あとほんの少し、あと1年だけ、役所の判断が違っていれば、或いは寒気が来なければ……)
その様子を見て、熾弦の胸が痛む。
しかし、仮定の話をしても仕方がない。事実、彼は今、鬼となって立ちはだかっているのだ。
(幕を引きましょう。その方の桜を守りたいという想いは、きっとこんな方法でなされるようなものではなかったはずです)
その状態のまま、審判の鎖でその場に縛り付ける。
「……せめて、大好きだった桜の傍で成仏させてあげたい…」
木に寄り添う格好になった黒鬼に向けて、公は魔法の雷を放った。
「これ以上、何も守らなくていいんだぜ……待ってる人のとこに行ってやんな」
そろそろ潮時と見た桜は、その体内でアウルを燃焼させ……トンファーに乗せて一気に爆発させる。
『グゥアァァァッ』
黒鬼は桜の幹にしがみつく様にして、崩れ落ちた。
「じいちゃん、聞こえるか?」
その背後にゆっくりと歩み寄った慎が、静かに声をかける。
「桜が泣いているんだ。じいちゃんを鬼にしてしまったって、泣いているんだ」
『グウゥ、グゥ……ッ』
鬼は背中を向けたまま、いやいやをする様に小さく首を振った。
「もういい、もう休ませてやる。俺達の手で終わらせてやる。ごめんな、じいちゃん」
慎の腕に、炎が宿る。
それを弓を射る様に大きく振りかぶると――
「緋炎拳!」
鮮やかな緋色の火線が弧を描く。
アウルの炎は鬼の体を朱く染め、鮮やかに舞った。
満開の桜が、河原を渡る風に揺れている。
花びらが一枚、二枚……ひらひらと空に舞った。
「……桜の挿し木は可能らしいですね」
難しい様だけど……と、システィーナは老いた桜の根元近くから生えた何本もの小さな枝に目を落とした。
その幹に身を預けた鬼は、柔らかな笑みを浮かべている様に見えた。
これで良かったのだろうか。
満足してくれただろうか。
答えはない……けれど。
「挑戦、してみましょうか」
でも、上手く出来るかどうか、自信はない。
専門の業者に頼めば大丈夫だろうか。
そしていつか、その木が大きくなったら……
「挿し木ですか」
その後ろから、礼信が声をかけた。
「僕も、そうしようと思っていました」
いずれ作られる桜並木に、その命を繋ぐ事が出来る様に。
「……死してなお守ろうとした、その想いだけは踏みにじってはいけないと思います。ですから、偽善でも御老人が守ろうとした『桜』を残してあげたいと思うんです」
礼信は鬼の前に跪き、そっと両手を合わせた。
システィーナもそれを真似てみる。
「あなた達の大切な桜。どんな形になろうとも私たちが必ず守って見せます。だから、安心してください」
その隣で、公もまた祈りを捧げる。
もう声は届かないとわかってはいても、伝えたかった。
「あなたの大好きだったこの桜は無くなってしまいますが、ここには沢山の桜が植えられるそうです」
そこに並ぶのは、きっとこの桜の分身。
「だから、今度は天国から二人で…また桜を見ていてください」
新しく生まれ変わった桜の下で、沢山の人が二人の様な素敵な思い出を作れる様に。
「きっとさ、綺麗な桜並木になるよ!」
慎が皆を励ます様に、明るい調子で言う。
だが、その声は鼻にかかり、喉に詰まったように聞こえた。
ディアボロの死体はその場で焼却されるのが原則だ。
鬼の遺体に放たれた火は、やがてそれを抱いた桜にも燃え移った。
浄化の炎は分かち難い二つの影を共に包み込んで、天へと昇って行く。
「じいちゃんへの手向けだ」
本当は自分の炎で燃やしてやりたかったと、慎はじっと弾ける火の粉と共に舞う白い花びらを見つめていた。
(どうか安らかに…)
透次は炎に向けて手を合わせる。
出来る事なら、花が終わるまでこのままにしたかったけれど――
桜と共に旅立つ事が出来るなら、老人も本望かもしれない。
やがて、鬼と共に桜の木は燃え尽きた。
けれど、その魂はここにある。きっとまだ、奥さんと一緒に。
それは巡り巡って新しい命に宿り、この河原の土手を見守り続けるのだろう。
その種となる沢山の小さな枝は今、撃退士達に守られて新たな芽吹きを待っている。
「爺さんへの手向けも兼ねて、花見でもしたかったんだがな」
桜が荷物を見て残念そうに呟いた。
「流石に酒はないけど、茶と食い物用意してきたんだぜ」
人数分と、二つ余計に。桜餅もある。
桜はそれを、燃え残った黒い幹の根元に供えた。
「あと何年かしたら、きっと大勢の花見客で賑わうようになるんだろうな」
そうなったら、今度こそ皆で花見をしよう。
十年後なら、皆も酒を飲める歳になっている筈だ。
その頃には……世界はもっと、優しくなっているだろうか――