.


マスター:STANZA
シナリオ形態:イベント
難易度:易しい
形態:
参加人数:34人
サポート:3人
リプレイ完成日時:2017/06/30


みんなの思い出



オープニング


 北海道、某所。

 春の訪れが遅い土地では、暖かな日差しを待ち焦がれた花たちが一斉に咲き誇る。
 なだらかな丘陵を埋め尽くす菜の花の黄色やレンゲソウのピンク、空の青が落ちてきたようなネモフィラの群生、山の斜面には梅や桃、桜に始まって、ツツジ、藤、山吹、紫陽花などなど――
 徒歩で回るには何日もかかりそうな広大な敷地には、春から初夏にかけて見頃となる殆ど全ての花が咲き乱れていた。

 ここは知る人ぞ知る花のテーマパーク。
 本来の季節に花見の機会を逃しても、ここなら大丈夫。
 さすがに真夏に満開の桜が見たいという願いを叶えるのは難しいが、今の季節ならまだ間に合う。
 このパークでは土地柄と開花時期を制御する最新技術をもって、前後二ヶ月程度であれば本来の季節からずらして花を咲かせることが出来るのだ。

 園内はテーマごとに複数のエリアに分かれ、エリア間は自動制御の電気自動車で移動することになっている。

 入口を入ってすぐのエリアは近所の公園のように気安く立ち寄れるカジュアルガーデン。
 芝生の広場や花時計、遊具などが置かれ、あちこちにアイスクリームやジュース、軽食の売店がある。
 パンジーやペチュニア、ゼラニウムなど、誰でも名前は知らなくても見たことはあるような身近な園芸植物が多い。
 ウサギやモルモット、羊などをもふもふ出来るミニ動物園もある。

 隣は日本庭園。
 趣はあるが堅苦しいものではなく、桜並木や藤のトンネルを抜けた先には色とりどりのツツジとアジサイが一緒に咲いている。
 茶屋風の休み処では日本茶や和菓子を気軽に味わうことが出来るが、庭の花を見ながら本格的な懐石料理を楽しむことも可能だ。

 イングリッシュガーデンには様々なハーブやバラの花が咲き、芝生の上にテーブルが置かれたオープンカフェではハーブティーやスイーツを楽しめる。

 温室の中には珍しい熱帯植物が繁茂し、バナナやマンゴーを始めとするトロビカルフルーツをその場で採って食べることも出来る。
 また、ラフレシアやショクダイオオコンニャクなどの開花も、運が良ければ(或いは悪ければ)見られるだろう。
 なお開花日に当たった場合、その強烈な腐臭によりトロビカルフルーツ食べ放題は非情に困難となるが、不可能ではない。多分。

 他、菜の花、レンゲ、シロツメクサ、チューリップ、スズラン、ネモフィラ、シバザクラ、ラベンダーなど、単体の植生が見渡す限りに広がる広大な丘陵地帯もある。

 また、園内の花を摘んで押し花を作ったり、陶芸体験や、花を使ったジャムやスイーツ、お茶などの作り方を教わったりといった体験コーナーも充実している。
 滞在期間に余裕があるならプリザーブドフラワーを作ったり、それを更にアクセサリにして持ち帰ることも可能だ。
 バラやチューリップなどの新種に好きな人の名前を付けてプレゼント、などということも出来る。

 園内は移動に車を使ったとしても一日で回りきれる広さではないが、近くには様々なタイプの宿泊施設も用意されている。
 泊まりがけなら夜のパークで散歩を楽しむことも可能だ。



 ――と、各種お楽しみ盛りだくさんのフラワーパーク。
 しかし最寄りの都市から車で数時間、パークの他には特に有名な観光地もないという立地条件のせいか、客足は今ひとつだった。

 そ こ で。

 久遠ヶ原学園の生徒の皆さん、フラワーパークに遊びに来ませんか!
 今なら無料で遊び放題、宿泊費だって無料にしちゃいます!
 その代わり、SNSで呟いたりして宣伝してね!
 PRビデオとか作ってくれてもいいのよ!

 まぁ若い子がいっぱい来てくれて、楽しく遊んでくれるだけで嬉しいんだけどね!
 ここで働いてるの、おじちゃんおばちゃんばっかりだからさ!




リプレイ本文


 その日、一枚の画像がSNSにアップされた。

『彼氏とデートなう に使っていいよ☆』

 写っているのはいかにもチャラそうな(失礼)金髪眼鏡の青年。
 薔薇を背景に微笑む少女マンガの王子様のようなその画像には「※無修正」との注釈が添えてある。
 つまり一切の加工をしていない、素のままの素材ということだ。
 しかし、それでもその画像はエフェクトがかかったようにキラキラと輝いて見えた。
 北の大地の凛とした冷たい空気を通した透明な朝日が、薔薇の葉に残る朝露を光らせているのだ。

「いやーほんと良く撮れてるよね、さすがは僕が見込んだ撮影係だよ」
 砂原・ジェンティアン・竜胆(jb7192)は、妙齢のレディからスマホを受け取ると、次に上げる画像を探して次々に画面をめくる。
 レディには腕が良いと言ったけれど、実は誰が撮っても「コレぜったい盛ってるだろ」という画像になるのだ。
 どうやら写真写りが良くなるように、植物の配置を考えてあるらしい。
「そこまで考えた植物園ってあんまり聞かないよね」
 人が少ないゆえに撮影ポイントをじっくり選べるというという利点もあるかもしれないが、それがなくなったとしても、このパークに閑古鳥を鳴かせておくのは勿体ない。
 レディにはもう暫く撮影に付き合ってもらうことにして、ジェンティアンは薔薇園を抜けてハーブガーデンへ。
 真っ赤なラズベリーを「あーん」しているところや、カフェで優雅にお茶を楽しんでいるところにシャッター音が響く。
 なお白いクロスがかけられたテーブルに置かれた甘いケーキは撮影の小道具ということで、後でスタッフ(撮影係のレディ――実は従業員のおばちゃん)が美味しくいただきました。
 花咲く丘では白馬に跨がって「おいで?」と手を差しのべてみたり、でも何故か次のショットでは一人で颯爽と馬を飛ばしていたり。
 シロツメクサの花冠を満面の笑みと共に被せようとしているけれど、そこに相手の姿はない。
 だって乙女ゲーのヒロインは画面に映らないものでしょう?
「そんな配慮まで出来る僕って超イケメン(きりり」

 そんな一連の写真を皮切りに、その日から暫くネット上にはフラワーパークで遊ぶ楽しそうな人々の姿が次々にアップされることになった。
 これは、経営不振にあえぐパークを救うべく立ち上がった有志達の、甘い甘いドキュメンタリーである。



●観光プランナー始めました

 とある宿の一室に、臨時の旅行代理店が出来上がっていた。
 部屋の主は言わずと知れた月乃宮 恋音(jb1221)、そしてサポートするのは恋人の――ではない。
「……あのぅ……申し訳ありません、わざわざこちらまで出向いていただいて……」
「ああ、いいのいいの。どうせあたしも暇だったんだし」
 あははと笑って手を振るのは、久遠ヶ原商店街の一角に店を構える旅行代理店、ヴィクトリーツアーズの店主、勝山悠里(かつやま・ゆうり)だ。
 しかし商売人が暇だというのは由々しき事態ではなかろうか。
「それにさ、ほら、やっぱり自分の目で見ないとお客様にはオススメ出来ないじゃない」
 言われてみればその通りかもしれないが、要するに自分が遊びに来たかっただけなのだろう。
「で、良いプラン出来た?」
 悠里に問われ、恋音は手帳を開いて見せる。
 そこには交通機関での移動時間や園内にある施設の詳細、宿泊施設のサービスや価格などが、こと細かに記されていた。
「……やはり、問題はこの立地条件にあると思うのですねぇ……」
 パークには無料の送迎バスもあるが、事前に予約が必要な上に団体さん専用。
 個人旅行の場合はレンタカーかタクシーを使うことになるが、どちらも台数が少ない上にタクシーは運賃がネックになる。
「……今回、学園生が色々とPRしてくれていますのでぇ……興味を持ってくれるかたは多いと思うのですよぉ……」
 しかし、移動手段が限られすぎている。
 ちょっとついでに、と気軽に立ち寄ることも難しいから、何かしらの提案も必要だろう。
「……移動手段や、低価格のツアーなど……何か最初のハードルを下げる手段がないと、行きたくても行けないという状態になり易いのではないでしょうかぁ……」
「ふんふん、それで?」
 身を乗り出して熱心に聞こうとする悠里に向けて、恋音は話を続けた。
「……立地条件が長期滞在型のツアー向きですのでぇ……」
 何か時間をかけて楽しめるような企画とは相性が良いだろう。
 それはパークで既に実施されている体験教室を今よりも充実させることで対応出来そうだ。
「……それに、北海道という立地は希少な植物が多く、其方を扱った場所が幾つかありますのでぇ……それらの施設と提携して、お互いの情報をPR出来ると良いかもしれませんねぇ……」
 各施設を結んで回るツアーがあっても良さそうだ。

 恋音の提案を元に企画書が作られ、それがパークの担当者に提出される。
 ここから先は専門家に任せるとして――

「それじゃあ恋音、行きましょか!」
 満を持して、袋井 雅人(jb1469)の登場である。
「……はい、お待たせしましたぁ……」
 本当に、いったいどれだけ待たされたことか。
 いやいや、でもその時間は有意義に過ごしましたよ!
 デートコースは何日もかけて、じっくり下見をしましたからね!
 時間帯、天候、その他あらゆる状況を想定した絶好の撮影スポットも頭に入れてあります!
 そして遂に、その地道な努力が実を結ぶ時が来た!
 今日は生憎の雨模様だが、こんな日だからこそ映えるのが紫陽花の花。
「雨に濡れたアジサイも綺麗ですよね!」
 しかも雨の日は堂々と相合い傘が出来るという特典付き――まあ、晴れた日でも日傘でやるし、傘がなくてもくっついてますけどね!
 旅行プランの作成と、いつものマネージャとして緊急連絡先を買って出たために、恋音は招待期間いっぱいの長期滞在を予定している。
 雅人もそれに合わせて予定を組んであるから、時間はたっぷりあった。
 晴れた日には広大な花畑まで足を伸ばしてみたり、時間のかかるアクセサリ作りを楽しんだり。
「薔薇のジャム作りなんかも良さそうですね、他にも花びらの砂糖漬けなんかが出来るそうですよ!」
 ストックしておけば、恋音の料理やお菓子作りのレパートリーが更に増えることになるだろう。

 それに、忘れちゃいけないPR。
 行く先々で写真やビデオを撮るのはもちろん、その他にも特別な企画があった。
「さあ恋音、これを着てください!」
 差し出されたのは純白のドレス。
「テーマは六月の花嫁ですよ!」
 写真や動画を繋いだプロモーションビデオと、それを素材にしたミニカタログを作るのだ。
 調べてみたら近くには結婚式を挙げられる教会もあるということで、パークとタイアップした花いっぱいの挙式プランを提案してみるのも良いだろう。
「……あのぉ……どうでしょうか……おかしくは、ありませんかぁ……?」
 ドレスに身を包みおずおずと尋ねる恋音に、雅人は満面の笑みを浮かべる。
「ええ、最高に綺麗ですよ、6月の花嫁さん」
 上気した頬にそっと口付けをして、雅人は緑の芝生と薔薇が咲き乱れる庭園へとエスコート。
 緑と白のコントラストが、陽の光に眩く輝いていた。



●初めてのお泊まりデート♪

「今日は全力で楽しむぞ! おー!」
 自分で言って自分で答え、春都(jb2291)は拳を天に衝き上げた形のまま、少し照れたように後ろを振り返る。
 その姿を、華澄・エルシャン・御影(jb6365)はすかさず写真に収めた。
「えっ、華澄ちゃん今の撮ったの!?」
「とっても可愛く撮れてるよ、見る?」
「うん、どれどれ?」
 春都は差し出されたデジカメの画面を覗き込む。
「ほら、ちょっと逆光になってて……夏の元気少女って感じかな」
「名前は春だけどね」
 くすりと笑って、春都はじっと華澄を見つめた。
「ふむふふ、つまり逆光でよく見えないから可愛い、と」
「えー、そんなこと言ってないよー」
「はい、その表情いただき!」
 春都は半分笑いながら頬を膨らませた華澄に向けてシャッターを切る。
「うん、可愛い。これでおあいこだね」
 写真を撮ったり撮られたり、二人は楽しそうにじゃれあいながらイングリッシュガーデンへと歩を進めた。

 見事に咲き誇る薔薇もクレマチスもあっさりスルーして、真っ先に向かったのはベリー類がたわわに実る果樹園。
 ブルーベリーにラズベリー、ブラックベリー、それに同じベリー繋がりでイチゴも摘んで、カフェのキッチンへ。
 春都はプレーンなスコーンと、ミックスベリーのミニマフィンを、華澄は苺と薔薇の花びらでジャムを、それぞれに作ってバスケットに詰めて。
 ここまでは準備段階、デート本番はここからだ。

 ポコポコ、パカパカ、並足で進む馬の背に揺られ、二人は見渡す限りシロツメクサが咲き誇る白い丘にやって来た。
「馬の背中ってけっこう揺れるんだね、それに視線が高い! 遠くまでよく見える!」
 初めての乗馬に、春都は目を輝かせる。
 やがて大きく枝を広げたハルニレの木を見付けると、木陰に馬を繋いで花畑に飛び込んだ。
「雲の上を歩いてるみたい」
 華澄は花を踏まないように気を付けて歩こうとしてみたものの、足の踏み場もないほどぎっしりと咲き誇る花の間には本当に足の踏み場がない。
「大丈夫、こういう背の低い草は踏まれても枯れたりしないって、どこかで聞いたよ!」
 むしろ強く丈夫に育つのだと、向こうで春都が手を振る。
「それにね、踏まれたところは四つ葉になりやすいんだって!」
「それなら……」
 華澄は恐る恐る足を踏み出してみた。
 ふわりと柔らかい感触が足の裏に伝わってくる。
 そっと足を上げてみると、踏まれた花はもう元通りに立ち直りかけていた。
「華澄ちゃん、こっちこっちー!」
 手を振る春都に追い付こうと、華澄は花の中を駆け出した。
 そのまま追いかけっこをしたり転げ回ったり、まるで子犬のようにはしゃいで、疲れたら手近な花を摘んで花冠や指輪を作って。
 可愛く綺麗に飾ったら二人並んで写真に収まる。
 ついでにもうひとつ、大きな首飾りを作ってお馬さんにプレゼント。
 尻尾をばさばさ振っているのは、喜んでいるのか迷惑なのか……

「お腹すいたね、そろそろおやつにしようか」
 ハルニレの木陰にシートを広げ、春都はバスケットからお菓子を取り出す。
 華澄は秘蔵のティーセットでお茶を淹れ、苺と薔薇のジャムを添えてロシアンティーに。
 青空の下、花に囲まれて食べる食事が美味しくないはずがない。
 けれど、それ以上に……大好きな友達と一緒だから。

 夢中で遊んだ後は、西洋のおとぎ話に出て来るようなお城ホテルでのんびりと。
 猫足のバスタブに薔薇の花を浮かべた美容タイムを堪能したら、香りを纏ったまま天蓋付きのベッドへ。
「すごいね、二人どころか五人くらい一緒に寝られそう!」
 ベッドの真ん中にダイブして、パジャマ姿の春都は華澄を手招きする。
 お姫様のようなネグリジェを纏った華澄は、その姿に相応しく優雅な動作で隣に潜り込んだ。
 女の子が二人、寝る前に話すことと言えば……恋バナの他に何があると言うのか。
 ちょっと真面目に未来の話なんかもするけどね!
「ねえ、華澄ちゃん」
「なあに、おはるちゃん」
 ころんと寝返りを打って、春都は華澄に向き直る。
 それまでは何も考えなくても言葉がスラスラと出ていたのに、改まって何か言おうとすると緊張で喉が詰まりそうになるけれど。
「華澄ちゃんのこと、親友って呼んでもいいかな」
 その言葉に、華澄は驚いたように目を見開き……次の瞬間、それは嬉しそうに細められた。
「私はずっと、おはるちゃんのこと親友だと思ってるよ」
「ほんと!? 華澄ちゃん大好きっ!!」
 首に抱き付いてきた春都と「ずっと仲良し」の指切りをして、華澄はそっと瞼を閉じる。

 枕元では、二人が名前を付けた花がその寝顔を静かに見守っていた。
 夕日に翳すと黄金色に輝く鮮やかなピンク色の百合は、華澄のようだと『twilight Princess(黄昏色のお姫様』に。
 白い花が中心に向かって淡いピンクに変化し、幾重にも重なったその奥に金色の芯が光る芍薬には、春都のイメージで『暁の乙女』と名付けた。
 花言葉は、お姫様が『永遠の友情』、乙女が『秘めた可憐さ』だ。
「これから毎年、咲くこの花達を見ながら一緒に今日の思い出を語ろうね」
 まどろみの中に春都の囁きがふわりと広がった。
 頷いた華澄は幸せな夢の中へ落ちていく。

 夢の中でも二人で遊ぼう。
 光の中で笑い転げて、内緒話も宝物。
 胸に咲く花清らにいませ。
 彼女の幸せきっと叶えて――



●仲良し女子旅? いいえ――

 まだかまだかと周囲に気を揉ませること幾星霜、猫野・宮子(ja0024)とAL(jb4583)は、このたび遂に、晴れて恋人同士となりました。
 二人は部活の先輩と後輩。
 その関係性に関する呼び名は変わっても、実際の面では特に何かが変わった気はしない。
 けれど、やはり「恋人同士」を名乗るのは新鮮で、繋いだ手から互いの心臓がスキップしている様子が伝わってくる。
「……美しい場所ですね。このような鮮やかな場所、久しぶりで御座います」
「う、うん、そうだね」
 二人が歩いているのは、ちょうど見頃になった薔薇の庭園。
 赤に黄色にピンク、オレンジ、薄紫、全ての色を混ぜたような変わり咲き、存在感のある大きな花に、小さな花がいくつも咲き誇るもの、クラシックなイングリッシュローズ――
「宮子様、あそこで色々な体験が出来るようで御座いますよ」
 言われて、宮子はALが指さすほうを見る。
 コテージ風の建物に掲げられているのは「体験教室」の看板。
 脇にある黒板には、その日体験できるメニューが書き出されていた。
「押し花に陶芸、プリザーブドフラワー……スイーツ作り?」
 見本として添えられた写真には、文字通りの薔薇色をしたジャムの小瓶が写っている。
「バラのジャム、美味しそうだし僕はこれにしようかな♪ ALくんはどれにする?」
「僕は……そうですね、ちょっとしたアクセサリでも作ってみましょう」
 教室は別々になってしまうけれど、またすぐに会えるから。
「うん、ボクも頑張って作るから……ALくん、出来たら貰ってくれるかにゃ?」
「もちろんで御座いますよ」
 むしろ貰えなかったら泣く。

 宮子は香りの良い薔薇を選んで、花びらを一枚ずつほぐしていく。
 軽く水洗いしたら水気を切ってレモン汁をかけ、出て来た鮮やかな薔薇色の汁を取り分けて。
「これはあとで使うから、捨てたらダメなんだね」
 花びらは水とグラニュー糖でコトコト煮詰めて、柔らかくなったら粗熱を取って、取り分けておいた汁を加えてまたコトコト。
 良い具合に水気が減ってきたら、煮沸消毒した瓶に詰めて出来上がりだ。

「さすが宮子様、良い出来で御座いますね」
 リボンをかけて渡された、まだ温かい瓶を両手で受け取ったALは嬉しそうに目を細める。
「あちらにティーセットをご用意しましたので、さっそくご一緒にいかがですか?」
 白いクロスが掛けられた丸テーブルには、お茶のポットやティーカップと共にスコーンやビスケットが並べられている。
 さすがに手際が良いけれど、アクセサリ作りは上手く行ったのだろうか。
「それは後ほどのお楽しみです」
 まずはお茶とお菓子を楽しもうと、ALは椅子を引いて宮子を座らせる。
 貰ったジャムを紅茶に添えて、スコーンとビスケットにもたっぷり付けて、いただきます。
「とても美味しいです」
「うん、すごく美味しいんだよ、先生の教え方が良かったのかな?」
「いえいえ、宮子様の腕が良いのですよ」

 のんびりと午後を過ごした後は、宿に入って……いや、その前に。
 ライトアップされた藤のトンネルを抜けて、桜の下を歩く。
 ふと立ち止まり、ALは懐から何かを取り出した。
 それは猫のシルエットに桜の花びらが埋め込まれた、透明なレジンのペンダント。
「あっ、さっきALくんが作ったやつだね」
「ええ、宮子様に差し上げます」
 ALはそれを宮子の首にかけてやった。
「ありがとうなんだよ、すごく可愛いんだよ!」
 動くたびに、猫の首に付けられた小さな鈴がチリチリと微かな音を立てる。
 その音と共に、二人は桜の並木を抜けて――

「ALくん、あそこも入れるのかな?」
 宮子が指さしたのは、明かりの消えた巨大な温室。
「そうですね、入口が開いていますし、夜間の観察も可能だと伺っておりますので」
 殆ど真っ暗だが、足下だけは僅かに明るい。
 植物の観賞よりも怖いもの見たさで、二人は温室の奥へと歩を進めた。
 繋いだ手から、昼間とは違ったドキドキが伝わって来る。
「一緒の夜……宮子様も緊張してますか?」
「緊張って言うか、昼とは違った雰囲気で不思議な感じだn……ふにゃ?」
 ぴたり、宮子の足が止まる。
「宮子様、どうかなさいましたか?」
「……な、何か向こうにいたヨウナ……」
「……え、何か見えた?」
 真っ暗で何も見えないけれど、そう言われてみれば何かの気配がするような、しないような。
「宮子様、こちらへ」
 気のせいだと思うことにして、ALはそっと恋人の手を引く。
「そろそろ宿に戻りましょう」

 宿には既にチェックインを済ませ、荷物も置いてある。
 和風の旅館を選んだから、留守の間に部屋には布団が敷かれているはず――
「……え?」
 確かに敷かれていた。
 真ん中に、一組。
「ふ、布団が一枚しかない……?」
 おかしい、二人で一緒の部屋だから普通は二組あるはずなのに、何故?
 仲居さんが気を利かせてくれたのだろうか……しかし、利かせる方向が間違っていませんか、二人とも外見は中学生程度なのに。
(「今回は、僕が女子に間違われたわけではない筈。……筈」)
 いや、たとえ仲良し女子旅に見られたとしても、普通は二組をくっつけて敷くとか、その程度なのでは。
 しかしここでビビっては男が廃る。
「いえ、宮子様、一緒に寝ましょうっ」
 ALはめっちゃ笑顔で言った。
「えっ、あ、ALくん、ボク達はまだ、その、そういうアレは、あのっ」
「大丈夫です、宮子様は僕が護ります……この先もずっと」
 ALは真っ赤になって狼狽える宮子をぎゅっと抱きしめる。
「何もしないから、このままで」
「うう、流石にこれはドキドキするんだよ……」
 こんな状況で、眠れる気がしない。

 しかし気が付けば宮子は熟睡、朝の光が差し込む頃にはALに思い切り抱き付いていたとか……
 ALくんのほうは、眠れたのだろうか。



●いつものお泊まり四人旅

 広大な花畑の真ん中に並んで立つ、四つの人影。
 夏雄(ja0559)にユリア・スズノミヤ(ja9826)、飛鷹 蓮(jb3429)、そして木嶋 藍(jb8679)……いつもの顔ぶれだ。
「地上に虹が架かっているようだな」
 彼等が立っている場所からは、幾重にも連なる丘のそれぞれに異なる色合いの花が見え隠れしている。
 それを虹と表現した蓮には詩人の才がありそうだ。
「んーーーっ!!」
 ユリアは思い切り手足を伸ばし、甘い香りを胸一杯に吸い込む。
「いい香り……寝転がって泳ぎたーぃ」
 風に乗って鼻をくすぐっていくのは、足下に広がるスイートアリッサムの香りだ。
「にゅぅ、なんか理不尽」
「何がだ」
「だってこんな美味しそうな匂いなのに、匂いだけじゃ全然お腹ふくらまないし」
 いや待て、もしかしたらアレは食べられるかも。
 スイートアリッサムは白やピンクの小花が集まって、こんもりと咲く。
 遠目に見れば、その姿はふわふわの綿あめに見えないことも――
「食うなよ?」
「食べないよ!」
「ふむ、ユリア君にも好き嫌いがあったのか」
「待って夏えもん、そういう問題じゃないと思うにゃ」
「うんうん、いくらユリもんでも食べられないものは……あるのかな?」
「藍ちゃんまで、って言うかちょっとー藍ちゃんには言われたくないんだけどー」
「えー、私そこまで食いしん坊じゃないよ?」
「どの口が言うのかにゃー?」
「食欲界のゴ○ラ対モ○ラ、頂上決定戦……勝つのはどっちだ」
「何にしても、平和だな」
 そんな話をしながら、ぶらぶらと歩くこと暫し。
「あっ、馬さんいる」
 ユリアが目を輝かせた。
 指さす方を見れば、花畑の遙か向こうに緑の牧草地が広がっている。
 そこに何頭かの馬の影があった。
「よっしゃ! 蓮、お花の海を一緒に泳ぎに行こうぜぃ☆」
 ユリアは蓮の手を取って走る。
 夏雄と藍は、その後ろからのんびり歩いて付いて行った。
「青春だねえ」
「若いっていいねー」
「縁側に座ってお茶でも飲みたい気分だ」
「そうそう、膝に猫を乗せて……」
 って、何故に孫を見守るじじばば目線なのか。

「赤毛の馬さん……おー、いた!」
 あれ、この馬さん鞍とか付けてないけどまあいいかー。
 いつぞやの乗馬教室でロデオもマスターしたし、へーきへーき!
「よろしく、ファルコン」
 勝手に名付けて勝手に飛び乗る。
 馬は一度だけうるさそうに尻尾を振ったが、暴れることもなく好きにさせていた。
「ほら蓮も早くー」
「ファル、……なに?」
「だって赤毛だし、ぶすっとした感じがだれかさんにそっくりですにゃー」
 そう見えて実は……なところもね。
「前にも同じ台詞を聞いた気がするが、懐かしいな。あの時は……」
 思い出す。
 背筋に冷たい汗が流れる。
「暴走した馬も真っ青のようなユリアのウエスタンっぷりだった、ような……」
「カッコよっかったでしょー? だから今度は裸馬に挑戦してみるよん☆」
「いや待て、それは無謀……」
「はいよーファルコン!」
 蓮を後ろに乗せ、問答無用で馬を走らせるユリア。
「ファルコン無愛想にぱっぱか走るー♪」
 鞍も手綱もない馬の背でポップコーンのように跳ねながら、変な歌を歌っている。
「おい、舌を噛m……んぐっ」
 思いっきり噛んだのは蓮のほうだった。
 おかしい、どうしてこう巻き込まれた自分のほうが酷い目に遭うのか。
 それに、その歌詞。
(「解せん……」)
 いいけどね、幸せだから!

 藍はそんな二人の姿をカメラに収め、甘い文句のテロップと共にSNSにアップする。
 大丈夫、許可は取ったし写真じゃ声は聞こえないし、どこからどう見てもうふふあははな幸せカップルにしか見えないし。
 作品の出来映えに満足すると、藍はおもむろにしゃがみ込んで熱心に何かを探し始めた。
「四つ葉のクローバー……ううん、どうせなら6枚探す!」
 倖せは欲張らないとね。
 四つ葉が幸運の象徴なのはよく知られているが、実は他の枚数にもそれぞれに意味がある。
 5枚は経済的繁栄、6枚は地位や名声、7枚は無限の幸福……
「やっぱり7枚の探そう!」
「ふむ、なら手伝おうか」
「ありがと、なっちゃん!」
「なに、見つかるかは不明だけれどね」
 手伝うと決めたら力は尽くす。
 幼き日は全てに全力だった……かな?
「クローバーは踏まれることで葉を増やす、らしい」
 だから人も獣も踏み込まないような群落の真ん中よりも、周辺部のほうが見付かる確率が高いそうだ。
 高いと言っても元々の確率が四つ葉でも一万分の一、それが半分になったとしても五千分の一、葉の枚数が増えるほどレア度は急上昇するから、体感的に殆ど変わらないかもしれないが。
 それより童心に返る事に意味がある……かも?
「そうだね、幸せって探してる時が一番幸せって説もあるし」
 いやいや、もちろん手にしてからも充分に幸せだけど!
 藍は探しながら花も摘んで、せっせと編んだそれを夏雄の頭にぽん。
「ん? 何だい藍君」
「うん、いつもありがとう的な?」
「花冠?」
 何故に礼を言われるのか心当たりはないけれど、その気持ちは素直に受けておこう。
「ああ……ありが――」
 ぱしゃー。
 その姿をカメラに収めようと、藍はシャッターを切る。
 しかし。
「え? あれ?」
 目の前に転がる白熊の着ぐるみ。
 撮った写真にも白熊の着ぐるみ。
「えー?」
「写真は魂的なあれだ」
 いきなり後ろから声がした。
「見るがいい、身代わりになった白熊の哀れな姿を」
「ほんとだ、魂が抜けちゃってぺしゃんこに――って、んなわけあるかーい!」

 花咲く丘を堪能したら、そこで摘んだ花を手に体験教室へ。
「7つ葉は見付からなかったけど、四つ葉はたくさん見付けたよ」
 それをプレートにして小瓶に閉じ込めラッピング。
「ずっと変わらずに幸せでいようね」
 そんな願いを込めて、出来上がったものを全員に手渡した。
「それと、おばあちゃんにも……」
 こちらは箱にクローバーを敷き詰めて、手紙を添えて宅配の手配。
 なおクローバーをシロツメクサとも呼ぶのは、こうして緩衝材に使っていた歴史があるからだとか。
 それから、一輪だけ詰んできた勿忘草でピアスを作る。
「片方ずつ一緒に付けたいな」
 それは恋人が選んでくれた思い出の花。
 想いを込めて――そして食事も忘れて、藍は夢中で手を動かす。
「あの藍が食べることを忘れるか」
 そんな蓮の台詞も耳に入らない様子。
 それに比べて双璧のもう一方は、ブレない。
「国色天香の薔薇ジャム作るよん☆」
「クォステ……なに?」
「クォ・ス・テン・シャン、チャイナ系の薔薇で、すっごく香りが良いんだよー」
 ほら、と差し出された赤と濃いピンクの中間のような色をした薔薇は、確かに芳醇な香りを漂わせていた。
「レモン汁加えて色鮮やかにー☆」
 そんな歌を歌いながら、ユリアは弾む足取りで厨房に消えた。
 それを見送り、蓮は桜の花弁を押し花にして和紙に挟み、五枚の栞を作る。
 四枚はもちろん同行した四人に、残る一枚は藍の“海”に。
「……桜の奇縁が此処まで深くなるとはな」
 それに、もうひとつ。
 ネモフィラのブリザーブドフラワーは幸を得た兎へのお土産だ。
「ふむ、新種の命名とな」
 夏雄はそちらに興味を惹かれ、まだ名前のない花達が名付け親を待って並ぶコーナーへと足を運ぶ。
「是非とも害虫のみを撃滅する食虫植物にサマンサと……え?」
 花限定?
 と言うか新種の食虫植物なんてそうそう出来ない?
「……残念だ」
 残念なので粘土を捏ねよう。
 無心で捏ねてクルクルして湯呑を作ろう。
 現実逃避とか言うな。
 無心で回せば形良く……あれ?
「歪んでしまったね」
 これはこれで一種の芸術作品と言えなくもないが、実用には適さないだろう。
 クルクルするのは友のため、皆に使ってもらうため。
 雑念を捨て、クルクル、クルクル……時間の許す限り。

 そして夜。
 お泊まりは四人一緒にコテージを貸切だ。
 夕食後のひととき、ベッドに入る前のリラックスタイムにユリア特製のロシアンティーが供される。
「さっき作った薔薇ジャムを入れてみたよん☆」
 正式なスタイルではジャムはウォッカと混ぜて別添えにし、それをちびちび舐めながら紅茶を飲むもの、らしいのだけれど。
「美味しければ何でもよろしい」
「なるほど、あの花がこうなるのか……上品な香りだな、美味い」
「いいねぇ、ほっこりするー」
 これで夏雄が作ったカップを使えたら演出は完璧だったのだけれど、さすがに捏ねてクルクルから始めたものは完成まで一ヶ月はかかる。
「その時はまた、みんなでお茶しようね」
 藍に期待に満ちた眼差しを向けられ、夏雄は頷いた。
 では、今すぐにブツを提供出来ない代わりに話のネタを提供してみようか。
「学生にコテージと言えば」
 声のトーンを落とし、意味ありげな視線を窓の外に向ける。
「チェーンソー、鉈、マスク、十三日のプレミアムフライデー」
「あ」
 ユリアが何かを見付けたようだ。
「今、窓の外にホッケーマスクの人いなかった?」
「いや、何も見えないが?」
 窓を開けて外を覗いた蓮が首を振る。
「じゃあ鏡みたいに映ったのかにゃ?」
 だとしたら、その誰かは部屋の中に――
「藍ちゃんの後ろとか!」
「ひゃっ!?」
「夏えもん出番だよ! おかめDE、GO!」
 ユリアはどこから取り出したのか、おかめの面を夏雄にON。
「……似合うな」
「いいや、そんな事より」
 おかめになったまま、夏雄は一同を見渡す。
「夏の夜と言えば怪談」
 はだ早いとか聞こえない。
「実は、あの温室には夜になると……」
「な、なっちゃん、そういうの、やめよう? ね?」
 ぷるぷる震えだした藍に、ユリアがツッコミを入れる。
「藍ちゃん……色んな意味で本当に怖いのは藍ちゃんのかr」
「な、なんでそんな話を! ユリもんそれホラーテロだよ! れーくん止めて!」
「無理だな」
 と言うかホラーであることは否定しないのか。

 そんなこんなで盛り上がり、気が付けば朝。
「もう、ユリもんが変なこと言うからすごい夢見ちゃったよ……」
 プルプルしながら寝落ちた藍が、目を擦りながら起きてくる。
 どんな夢だったのか、後でkwsk。
 そして白猫はやっぱり、赤鷹の隣に潜り込んでいたそうな。



●青い丘で

「ギィ先輩、ネモフィラの花はご存知です?」
 陽向 木綿子(jb7926)の問いに、ギィ・ダインスレイフ(jb2636)は暫く記憶を探るように視線を彷徨わせ、やがてゆっくりと首を振った。
「いや……聞いたことがない、な」
 そのぼんやりとした答えに、木綿子は心の中で拳を握る。
 知らないなら丁度良い。
「青くてとても綺麗なんですよ。あの、それで……良かったら一緒に見に行きませんか?」
 片思いの君は、いつものように気怠げに頷く。
 誘いを喜んでくれているのか、それとも断るのも面倒だから承知してくれたのか。
 木綿子の片思い歴も思えば随分と長くなるけれど、未だにその真意を読み取ることは難しい。
 しかし、そこは恋する乙女の純情パワーでポジティブに捉えることにした。
「じゃあ私、お弁当作って行きますね」
 真意は読めなくても、食べ物に弱いことは知っている。
「あっ、それから……ネモフィラのこと、調べないでいてくれますか?」
「……?」
「実物を見せて、ギィ先輩を驚かせたいんです」
 悪戯っぽく笑う木綿子に、ギィは素直に頷いて見せた。
 乙女心、というものはよくわからないが……彼女がそれを望むなら。

 そしてやって来た、ネモフィラの丘。
 青い花畑が遠くに見え始めた頃から、木綿子はそれはもう楽しそうにはしゃいでいた。
「ギィ先輩、ほら、あれです!」
「……ん」
 大丈夫、見えてる。
「ほら早く!」
 堪えきれず、木綿子はギィの手を取って走り出す。
 こんな素敵な景色の中なら、少しくらい大胆になっても許される気がした。
「ユーコ、急がなくても……花は、逃げない」
 と言うか、転ぶ――ほら。
「きゃっ!?」
 しかし今日は手を繋いでいるから大丈夫。
 お弁当を入れたバスケットが青空にダイブしそうになったけれど、それは木綿子本人が根性で阻止。
 そこからはゆっくり歩いて、少しずつ広がる青の面積に心を躍らせて。
「この花が……ネモフィラというのか」
 手を繋いだまま、ギィが眩しそうに目を細める。
「空の上に立っているような心持になる、な」
「綺麗ですよね……ほら、向こうのほう。空と解け合って――」
 そこれ木綿子は、はたと気付いた。
 手を繋いだままだったことに。
 引きはがすように手を離し、木綿子は慌ててバスケットを掲げて見せる。
「あっ、あのっ、お弁当にしましょう、ギィ先輩」
「……ん」
 離れた手を少し残念そうに見ていた気がするのは、きっと自分の思い込みだと言い聞かせ、木綿子は花畑にシートを広げた。
「ギィ先輩が今まで美味しいって言ってくれた、卵焼きとか、から揚げとか、沢山詰めて来ました。焼き菓子も沢山焼いたんですよ」
「ユーコの作る弁当はいつも美味い」
「ありがとう、ございます……!」
 彼がそう言うなら、それは本心から出た言葉なのだろう。
 腕に自信はあるけれど、改めてそう言われると、やはり嬉しいものだ。

 食事を終えた後は、暫くひと休み。
「あ、そうだ……」
 やがて木綿子は、ふと思い付いたようにネモフィラの花を手折った。
「何をしている」
「花冠です。子供の頃こうやってよく作ったんですよ」
 ギィが見守る前で、花冠が魔法のように形作られていく。
「……できた。ギィ先輩にあげます」
 青い輪を、その頭にちょこんと乗っけてみる。
「ふふ。似合ってますよ」
「……そう、か」
 その微笑がとても眩しくて、思わず目を逸らしそうになる。
「ユーコ」
「はい?」
「俺にも、それは……作れるだろうか」
「あっ、はい。作り方、教えますね」
 木綿子はギィの隣に座り、ゆっくりと基本の動作を繰り返してみる。
「ふむ、こうか……」
 何度目かの試行錯誤の末、出来上がったのは小さな指輪。
 木綿子が作ったものに比べて随分と拙い出来であることは承知しているが、それも自分らしい味だと思えばいい。
 ギィは木綿子の左手をとって、薬指にその指輪を滑らせた。
「……え……?」
 一瞬、意味を測りかねるように目を見開いた木綿子は、次いで心配そうな目でギィを見た。
「……あの、ギィ先輩。薬指に指輪って意味分かってます? こういうことは……」
「わかって、いる」
「……えっ」
 それでもまだ半信半疑な様子の木綿子に、ギィは言った。
「ユーコは、今まで沢山の事を俺に教え与えてくれた」
 それでもまだ、自分が知らない事、心の機微に疎い事も多くあるのだろうが――彼女と共に歩めるなら、自分もいつか人間のようになれるだろう。
「お前が俺にくれたものに報いる為、俺の生きる時間をお前に預ける。これはその約束、だ」
 その言葉をゆっくりと反芻した木綿子の瞳が揺れる。
 やがて溢れた雫が、青い光にキラリと輝いた。
「……迷惑、だったか」
「……っ」
 首を振った木綿子の周囲に光が舞う。
「……す、すみません泣いてしまって……」
 止まらない雫を手の甲で拭うことを諦めて、木綿子は顔を上げた。
「迷惑じゃないんです。人間は嬉しくても泣くことがあるんですよ」
「そうか……またひとつ、教えられたな」
「これから、もっともっと……色んなことを教えてあげます」
 それだけではなく、彼から教わることもきっと多いだろう。
「先輩のこの先が、沢山の幸せで溢れるように……約束、お預かりしますね」
 頷いて、ギィは赤く腫れたその瞼にそっと口付けを――



●ネコ、今日はヒト

「もしもしザラームさん?」
 カーディス=キャットフィールド(ja7927)は、ザラーム・シャムス・カダル(ja7518)に問いかけた。
「よろしければフラワーパークへ遊びに参りませんか?」
「うむ、それは構わぬがのぅ」
 ザラームは目の前の男をじっと見る。
「カーディスよ」
「はい、なんでしょうザラームさん」
「わらわはほれ、このようにぬしの目の前におるのに、ぬしは何故に電話のような話し方をするのじゃ?」
「はっ!!」
 言われてみれば、確かに。
 二人はまだ出来たてほやほやの初々しいカップル、慣れない距離感と適度な緊張のために、つい言動が混乱してしまうのかもしれない。
「愛いやつよのぅ」
 ニヤニヤしているザラームさん、さすが自ら認めるどえすである。

 そして当日――いや、前日。
 カーディスは丸一日を弁当の仕込みに費やしていた。
 たかだか二人分、それも一食だけの弁当を作るのに、えらく気合いの入ったことだ。
(「だって美味しいものを食べていただきたいじゃないですか」)
 それにほら、ザラームさんってば家事全般壊滅的ですし?
 きっと普段は学食やスーパーのお総菜なんかで、腹が膨れればいい的に済ませていると思うのです。
 だからこの機会に美味しくて栄養たっぷりの、手間暇かけた一品で胃袋を鷲掴み……ではなく、喜んでいただきたいと!

「ザラームさん、お花が綺麗ですのよ」
「うむ、そうじゃのぅ」
 並んで歩く二人の間には、微妙な距離がある。
 だらりと下げたカーディスの右手とザラームの左手は、甲が触れ合いそうで触れ合わない、けれどどちらかが積極的に動けば簡単に指先が触れるような距離。
 離れていても感じる互いの体温が気になって、二人は正直花を愛でるどころではなかった。
 甘いのか甘くないのか、どちらともつかない半端なオーラと緊張感を漂わせ、カジュアルガーデンを通り抜けた二人はレンゲソウが咲き乱れる丘へと向かう。
 近付くに連れて、ほんの僅かだが甘い香りが漂い始めた。
「レンゲソウは余り香りがしない花ですが、これだけ群生しているとやはり良い香りがしますの」
「……何をしておる?」
 ザラームは急にその場にしゃがみ込んだカーディスの手元を覗き込む。
「花冠ですのよ、ザラームさんへプレゼントですの」
 黒い髪と褐色の肌に、濃いピンク色の小花を散らした冠がよく似合う。
「可愛いですのよ」
「そうか、では礼を受け取るがいい」
 カーディスの手の中に、するりと滑り込んでくるザラームの手。
「誰も見ておらぬし、この程度のことは……その、恋人同士ならば当然じゃろう?」
 自分で言いながら頬の火照りを感じるが、この肌色なら変化はきっとわかりにくいはずだ。
 そう思ってカーディスを見ると、こちらはわかりやすく真っ赤になっている。
「愛いやつよのぅ」
「そう仰るザラームさんも可愛らしいのです」
 あ、バレてた?

 手を繋いで暫く散策を楽しみ、足下の花がレンゲソウからタンポポに変わった頃、二人は遊歩道脇の休憩所でひと休み。
「お弁当の時間ですの」
 カーディスが広げたそれは、高級料亭の仕出しもかくやという豪華絢爛ボリュームたっぷり。
「ふむ、これは……見たことのないものばかりじゃのぅ」
 弁当と言えば白いご飯に真っ赤な梅干し、揚げ物、塩鮭、きんぴら、ポテトサラダ、ナポリタンに漬け物くらいしか思い付かないザラームさん。
 しかし今、目の前に広げられた重箱には名前も知らないカラフルな食材がぎっしりと詰まっていた。
「珍しいものではありませんの、ただ少し工夫を凝らしてみただけですのよ」
 まずは前菜からと、カーディスは白とピンクの肉球型をした一口サイズのテリーヌを差し出してしてみる。
「ザラームさん、はいあーんですの」
「……ぁ、……あー……」
 どうしよう、恥ずかしい。
 恥ずかしいけれど、これは恋人検定三級合格のためにはクリア必須の種目である。
 目を逸らしつつ小さく開けたザラームの口に、にくきゅうテリーヌがぽいっと放り込まれた。
「お口に合えば嬉しいですの、味付けはいかがです?(ドキドキ 」
「うむ、まずまずじゃのぅ」
 嘘です、ほんとはうれしはずかしのドッキドキで味なんてわかんないです。
「では、わらわもあーんを返すとするかのぅ。はい、あーん?」
「え、私もですの!?」
「当然じゃ、わらわだけでは不公平であろう」
 こうして、あーんしつつされつつ、食事はなかなか進まない。
 そうしているうちに、恋人検定二級のハードルが現れた。
 すなわち、カーディスの口元にごはんつぶを見付けてしまったのである。
(「ふむ、これは……カーディスはどんな顔をするじゃろうのぅ」)
 ちょっと恥ずかしいけれど、恥ずかしさは既にマックスで振り切れた感がある。
 それに、反応を見てみたくもあるし……ここは少し、冒険してみようか。
「カーディス」
「はいですの」
「ここに、付いておるぞ」
 そっと唇で拭い取るザラーム。
 カーディスは一瞬、何をされたのかわからなかったようだ。
 それを理解した時、彼は声もなく真っ赤になって……ドローリ、溶けた。
「ぬしはほんに、愛いやつよのぅ」
 真夏のアイスのように形をなくしたカーディスの上に、ザラームの「くっくっく……」という楽しそうな含み笑いが響く。
 もう一度ほっぺにちゅーしたら、反動で元に戻るだろうか――



●百合と薔薇

 料亭の一角、日本庭園を一望する部屋に百合と薔薇が咲いていた。
 柄違いの和装で懐石料理の膳を前に並んだ二人は、大きくとられた窓から見える庭の景色に暫し目を奪われていた。
 手前の池では色鮮やかな錦鯉が悠然と泳ぎ、藤の花が水面に影を落としている。
 白砂を模した小石が敷き詰められた向こうには、松の緑と満開の桜が見事に調和していた。
「此処は素敵ですわね、緋色。まるで一幅の日本画のようですわ」
 桜井・L・瑞穂(ja0027)は、隣に座った座った帝神 緋色(ja0640)の前に先付として出された筍とイカの木の芽和えを差し出してみる。
「はい、あーんっ♪」
 マナーなにそれ美味しいの?
 一番のマナーは出された料理を美味しくいただくことではありませんこと?
「うん、瑞穂が食べさせてくれると尚美味しいかも♪」
 緋色もお返しに、あーん。
 この場合は向かい合ったほうがお互いの顔も見えてやりやすいのだろうが、二人は視覚よりも触覚を重視した。
 つまり、身体を密着させあってお互いの感触を堪能すること。
「次はお凌ぎだって。次の料理が出るまで酒を飲みながら凌ぐって意味らしいけど、僕はまだ未成年だからね」
 はい、あーん。
「でも瑞穂は飲んでいいんだよ?」
「いいえ、緋色が飲めないものをわたくし一人でいただくわけにはいきませんわ。それに……一人ではきっと美味しくありませんもの」
「ん、じゃあ僕が成人したら一緒に飲もうね」
 こくりと頷き、瑞穂は差し出された一口サイズの手鞠寿司をぱくり。
「まぁ! 此方も美味しいですわね。本当、最高ですわ♪」
「目と舌で良いものを楽しむ、ってなかなかに贅沢な時間だよねぇ」
 目の方は、ちゃんと庭を見ているか怪しいものだけれど。
 二人は恋人で、婚約者。
 瑞穂が百合で緋色が薔薇、対になるモチーフの女性用着物に、纏めて結い上げた髪にはお揃いの櫛と簪が挿してある。
 緋色が似合いすぎているせいで、どう見ても女の子二人――いや、百合ップルにしか見えないが、緋色はれっきとした男の子。
 そして人目を気にせずイチャつくのはカップルの特権、であるかどうかは議論の余地があるだろうが、とにかくこの二人は人目どころか他の一切を気にしなかった。
 懐石料理とは、フランス料理フルコースの和食版のようなもの。
 つまり、次から次へと料理が運ばれてくるわけで、個室とは言え配膳係は常に出入りしている。
 しかし二人は気にしなかった。
 ただ只管、二人仲良く、イチャイチャイチャイチャイチャイチャイチャイチャイチャイチャイチャイチャ……
「緋色、口移ししても宜しくて? よろしいですわね♪」
 家でやれよ、同棲してンだから。
 なんて言ってはいけないし、言われても耳に入らないだろう。
 二人の時間を楽しむためなら、非常識と言われても構わなかった。
「今この瞬間、わたくしが世界の常識ですわ!」
 だめだこのひと、はやくなんとか……出来る気がしませんね。
 放っておくしかないのでしょう。
 どうぞ、存分に満喫してください……。



●結婚前の、最後のデート?

「沙羅、見ろ! サクランボだぞ、スーパーで1パック800円とふざけた値段で売っているアレだ!」
 妙に所帯じみた台詞を吐きながら、ミハイル・エッカート(jb0544)は真っ赤な実が鈴なりになった木の下へまっしぐら。
 近くで見ると、その実は1パック800円よりも更に大きい。
 さて甘さはどうかと一粒ちぎって口に入れてみる。
「……、…………っ!!」
 あまりの美味さに、感動で言葉も出ない様子。
「なんだこの甘さは、砂糖水でも入れたんじゃないのか、それにしても種がデカいな、正味どんだけだ!?」
 そこで、はたと気付いた。
 真里谷 沙羅(jc1995)がビデオカメラを回していることに。
 慌てて姿勢を正しイケメンハードボイルドらしく、しかしサングラスは外して爽やかな笑顔と共に、サクランボを上品に食す。
 もう手遅れとか言うな。
「大丈夫ですよミハイルさん、そんな無邪気な姿も素敵です」
 ふわりと微笑んだ婚約者の言葉に、鼻の下の筋肉が仕事を放棄する。
「撮影のテーマは『大好きな人と過ごすフラワーパーク』ですから、楽しそうにしているほうが絵になりますし」
 でも、この部分はPRビデオとして使う時には編集でカットしたい気分だった。
 恋人の無邪気な笑顔を独り占めしておきたいのは、男性ばかりではないのである。
 沙羅は近くの木にカメラを固定すると、小走りにミハイルのもとへ駆け寄った。
「私サクランボ狩りは初めてで……ミハイルさん、コツを教えていただけますか?」
「ああ、もちろんだ」
 ミハイルはさも詳しく知っているかのように、手近な実に手を伸ばした。
「サクランボはこうして茎の部分だけを引っ張るんだ。根元になんか付いてるのは来年の花芽になる部分だからな、そこを一緒に取らないように気を付けるだぞ」
 実はネットで調べただけで、実際にやってみるのはミハイルも初めて。
 さっきうっかり根元から取ってしまって「やべっ」となったのは秘密だ――まあそのお陰で加減を知ることが出来たので、花芽ひとつの犠牲で済んだのは良かったのだと思っておこう。
「こうかしら?」
「そうそう、上手いぞ。サクランボはな、なるべく上の方にある実を取るんだ、光がたくさん当たって甘くなってるからな」
 これも、ついさっきネットで見付けた豆知識。
 しかし沙羅は素直に尊敬の眼差しを向けている……ああ、気持ちいい。
 固定してあったカメラを手にとって、ミハイルは高い枝に手を伸ばす沙羅の姿をフレームに収める。
「これは特に美味しそうかしら」
 ぷちんと取って、カメラを構えるミハイルにズームイン。
「はい、あーん、ですよ」
「お、おう」
 はーふぼいるどが、とろふわオムレツになりました。

 心行くまでサクランボを堪能したら、次はブルーベリー。
「こいつは手や口が凄い色になりそうだからな。撮影は一時中断だ」
 代わりに、心置きなくいちゃらぶに専念しよう。

 暫しの撮影中断のあと、再開された場面は薔薇園の中。
「綺麗なお花がたくさん、素敵だわ」
 色とりどりの薔薇に囲まれた沙羅の姿を撮影しない手はない。
「ああ、なんということだろう……花に囲まれた女神がいるぜ……」
 いや、むしろ沙羅が花か、周りの薔薇がただのモブに見えるぜ。
 そんな中で、二人は運命の出会いを遂げる。
 ミハイルは作り物ではない、本当にピカピカに光る金色の薔薇と。
 沙羅は花弁の中心が琥珀色で、縁に向かってシェルピンクに変化する微かに輝く薔薇と。
 その花にはまだ名前が付いていないと聞いて、二人は名付け親に手を挙げる。
 ミハイルの薔薇は『ムーンライト』、沙羅の薔薇は『セイントメアリー』と名付けられ、その一鉢が記念品としてそれぞれに贈られた。
「命名できるなんて珍しい機会は貴重ですね」
 そればかりか、名付けたばかりの花を使ってアクセサリが作れるとあらば、その機会を逃すはずもない。
 互いの手元をちらちら気にしながら、作業を進めること数時間。
「沙羅、付けてみてくれ」
 ミハイルはムーンライトの花びらをレジンで固め、数枚繋げたキラキラのペンダントを沙羅の首にかけてやる。
 その姿をビデオに収めつつ自画自賛。
「俺、アクセサリーデザインの才能もあるかもな!」
「ありがとうございます、私からはこれを……」
 差し出されたのはセイントメアリーの花びらで作ったカフスボタン。
 小さめの花びらを何枚か合わせて薔薇の形を作り、それを黒い土台と共にレジンに閉じ込めたものだ。
 花に添えられた葉にムーンライトが使われ、それが漆に金箔を貼ったようで、男性が使っても違和感がないようなデザインになっている。
「ありがとう。しかし前言撤回だ、沙羅のほうが才能あるぞ」

 ビデオカメラには、その後も二人の仲睦まじい様子が延々と記録されていく。
 べっ、べつに羨ましくなんかっ!!



●真夜中の温室

「ふあぁ、外の空気は気持ちいいのじゃ」
 真っ暗な温室から転がるように飛び出してきたハルシオン(jb2740)は、冷えた空気を胸一杯に吸い込んだ。
 常夜灯の明かりに照らされたその姿は、乱れた着衣が汗ばんだ肌に貼り付き、髪には木の葉や草が絡み付いている。
 その乱れ方は、まるで今の今まで誰かと格闘していたかのようだった。
「んー、ほんと気持ちいいねぇ」
 続いて現れたアムル・アムリタ・アールマティ(jb2503)の服や髪も、同じように乱れている。
 二人でプロレスでもしていたのだろうか。

「ぐぬぬっ、アムル! おぬしのせいで、こんなに食われてしまったのじゃ!」
 火照った肌をぽりぽり掻きながら、ハルシオンはジト目でアムルを見やる。
 ひとつ痒くなると、刺されたところ全てが連鎖して猛烈に痒くなる……それが虫刺されの困ったところだ。
 あっちにもこっちにも、普段は服の下に隠れているはずのあんなところやこんなところにも、褐色の肌に赤い跡が出来ている。
「でもハルちゃんもなんだかんだ気持ち良さそうだったよねぇ?」
「そーゆー問題ではないのじゃ!」
 ぶーたれながら文句を言うハルシオンに、アムルは意味深な視線を投げる。
「でもぉ、その赤い跡……ほんとに虫刺されかなのなぁ?」
「どういう意味じゃ」
 聞き返されて、アムルは自分の首筋に出来た赤い跡を見せる。
「これ、なーんだ?」
「決まっておる、虫刺されじゃろう」
 そう答えてはみたものの、本当は知っている――それがハル虫に食われた跡だということを。
 自分の虫刺されも、半分くらいはアムル虫のせいだということも。

 最初は普通に温室の中を見て歩いていたのだ。
 夜に咲く月下美人や夜香木などの花を愛で、光るキノコや熱帯に棲むホタルの光に目を奪われ……
 しかし、温室は暑い。
「ハルちゃんの汗ばんだ肌見てたら、えっちな気分になっちゃってぇ」
 と、アムルは証言する。
「人目につかない場所に連れ込んで、汗だくになりながらあんなコトやこんなコトしちゃったんだよねぇ♪」
 んで、一通りコトが終わってイマココ。
 温室探険はハードである。

「帰ったら覚えておれよ! むぅぅっ!」
「んふん、お仕置きでも気持ち良くしてほしーなぁ……♪」
 ハルシオンは赤い顔でぷんすか怒っているけれど、なんだかんだとアムルには甘いし、むしろ溺愛。
「百倍返しは当然と覚悟しておくのじゃな」
「それってつまり、百倍気持ちよくしてくれるってことでしょぉ?」
 答えがないのはイエスのしるし。
 そうして清くも正しくもない天魔な二人は仲良く手を繋ぎ、月明かりに照らされた夜道を帰って行く。
 探検の続きはベッドで、ね。



●ツンデレ姫と白馬の王子

「えっ」
 アレン・フィオス・マルドゥーク(jb3190)は、基本的に大抵のことでは驚かない。
 その彼が驚いたのだから、それは多分かなりズレた発言だったのだろう。
「……フィリアさん乗馬経験ないのですか」
 それどころか馬さえ知らないという彼女に、アレンは携帯端末で馬の画像を探して見せる。
「これですよ、サーバントで乗ってる子達いましたよね?」
 画面を覗き込んだフィリアもまた、「えっ」と声を上げた。
「これなら見たことがあるが……この生き物は、天界の馬と同じものなのか?」
「さあ、どうでしょう……厳密に同じかどうかはわかりませんが、違いがあるとしても天使と人間の違い程度だと思いますよー」
 どうやた全くの別モノだと思っていたらしい……が、乗ったことがないのに変わりはなかった。
 ならば、まずは花見より先に乗馬教室だろうか。
「教えますので一緒に乗りましょう」

 厩舎は公園の外れにあった。
「お馬さん、今日はよろしくお願いしますね」
 アレンは貸し出された白馬の首筋を優しく撫でる。
「馬の言葉がわかるのか?」
「そうですねー、わかると嬉しいのですがー」
「わからないのに話しかけるのか?」
 不思議そうに尋ねたフィリアに、アレンもまた不思議そうにかくりと首を傾げた。
「フィリアさんも、よくアラレさんに話しかけていますよね」
 アラレさんとは、彼女が飼っているサビ猫のことだ。
「あ……そうか」
 猫には返事が欲しくて話しかけているわけではない。
 通じていないとわかっていても、自然と言葉が出てしまうものだ。
 それに言葉は通じなくても、そこに込めた想いは通じている……気がする。
「お馬さんも同じですよ」
 挨拶を済ませ、いきなり一人で乗るのは難しいだろうとまずは二人乗り用の鞍を付けてフィリアを前に乗せ、アレンが後ろで手綱を取った。
「ずいぶん揺れるものだな」
 その揺れに合わせて腰を浮かせる必要があるなど、乗馬は楽そうに見えて実は意外に疲れるものだ。
「ゆっくり歩いてこれなら、走ったら振り落とされそうだ」
「大丈夫ですよ、後ろで支えていますから」
 それでも、走ったりはしないけれど。

 馬の背にのんびり揺られるうちに、空が大きく広がってくる。
 見渡す限り遮るもののない丘を吹き降りた風が、ラベンダーの香りを運んで来た。
 紫色に染まる野を越えて、次に見えてきたのは一列に並んだ赤や黄色の縞模様。
「チューリップ畑ですねー」
 ピンクの芝桜に黄色い菜の花、真っ白なスズランやシロツメクサ。
「どの花も美しいのです」
 その中に自分も含まれていることに、夢中で花畑を眺めているフィリアは気付いているのかいないのか。
 中でも圧巻なのは、どこまでも広がるネモフィラの海だろう。
「なんと幻想的なのでしょう」
 空よりも濃く深い、一面の蒼。
「この世界を取り戻す事ができて本当によかったです」
 フィリアは何も言わないが、その横顔には同意の色が見てとれた。

 一通り回って馬を返し、宿に戻る途中で立ち寄った売店。
 そこでネモフィラの髪飾りを見付けたアレンは、一瞬の迷いもなくそれを手にとった。
「淡い緑の髪と青い瞳に今日見た花の中で一番映えると思ったのです」
 花言葉は「可憐」という、それもぴったりだ――などと言えば照れ隠しの槍が飛んで来るだろうから、口には出さないけれど。
(「帰ったら髪飾りに合わせたワンピースを縫ってみましょう」)
 色は淡い水色か、それとも白か、伸ばしっ放しの髪も整えて――
 頭の中でイメージを描いていると、目の前に白からピンクに移り変わるアザレアの髪飾りが差し出された。
 八重咲きの花が華やかで、並の女性なら花に負けてしまいそうなボリュームたっぷりの一品だ。
「お前にはこれが似合いそうだ」
 本人は花言葉など気にせず、ただ見た目だけで選んでいそうだが……白いアザレアには「あなたに愛されて幸せ」という意味が込められている。
 そこにピンクが入るとまた違う意味になるのかもしれないが、物事は嬉しく楽しいほうに解釈するのが幸せの秘訣だ。
「ところでフィリアさん」
「ん?」
「私、女性の服は美しいので好きですが、女装趣味はないですし、女性に間違われるのも不本意なんですよ」
 なんだかものすごく理不尽なことを主張している。
 しかしフィリアはそれに気付かないようだ。
「それは知ってるが……すまない、私が何か気に障ることを言ったのだろうか。それとも髪飾りは嫌だったか?」
「いいえ、そうではないのですー」
「なら問題はないな」
 他人の言うことなど気にする必要はないと、フィリアは胸を張った。
「私がちゃんと知っているから、大丈夫だ。それでも気になるなら、そいつを槍で突き刺してやるからな。それに……」
 言い淀んで、フィリアはぷいと目を逸らす。
「……私も、お前が知っていてくれれば、いいから」
 これ、花言葉知ってて選んだ疑惑が浮上してきましたね……?



●佳境、らぶらぶ大作戦!

「素晴らしい花々に圧倒されてしまいますね」
 リュールと並んで英国庭園を歩くユウ(jb5639)は、咲き乱れる美しい花達に感嘆の声を上げる。
「どれだけ精魂込めて手入れを行っているのでしょうか」
「そうだな、ここには面倒な作業を厭わぬ奇特な者が大勢いるのだろう」
 この一年、アパートでの家庭菜園に付き合わされてきたリュールは、その管理の面倒さを身をもって味わっていた。
 油断するとあっという間に雑草が繁茂するし、油断しなくても虫食いだらけになるし、病気は出るし、枯れるし、花が咲いても実が付かないし……
「植物など放っておいても勝手に花を咲かせて実を付けるるものと思っていたがな」
 放っておいても元気の育つのは雑草くらいなものだ。
 特に薔薇は手入れが大変で、管理を怠ると容赦なく枯れる。
 手入れを一日サボっただけで虫食いのために葉が全滅ということも珍しくない。
「しかもこの庭園ではジャムやスイーツに使うために無農薬で育てているそうですよ」
「有り得ん」
 ユウの言葉にリュールは真顔で首を振る。
 しかし、それは事実だった。
 植物を育てる才に恵まれた者を「緑の指」と呼ぶことがあるが、このパークにはそうした才を持つ者が多いのだろう。
 おかげで健康を気にすることなく、存分に花のスイーツを味わうことが出来る――というわけで、花より団子のリュールさん。
 ローズガーデンを一直線に突っ切って、オープンカフェに腰を据えた。
 鮮やかな緑色に輝く芝生に、真っ白なクロスをかけた丸テーブル。
 周囲には様々な種類の薔薇やクレマチス、株元を覆うハーブ類や色とりどりのカラーリーフ、マーガレットやチューリップ、ムスカリ、アスチルベなどが競い合うように咲いている。
 が、リュールはやっぱり色気より食い気。
 いや、それなりに景色を楽しんではいるのだけれど。
 幸せそうにスイーツを頬張るその姿を保護者目線で見守りながら、ユウは待ち合わせ相手のことを考える。
(「お二人の関係は前よりもよくなっているはず……」)
 今ならきっと、この場で鉢合わせしても和やかな空気が乱されることはないだろう。
(「これ以上は要らぬお節介、きっかけのみ作りお二人の心を見守りましょう」)
 出来ることは全てやりきった。
 後は保護動物を野性に帰した保護官の如く、信じて見守るのみ。
(「まあ、しいて希望を言えば先生の弟か妹を……」)
 妄想の暴走は止まらない。
 いや、意外と現実味を帯びている気も……?


「ぶえっくしぃっ!!」
 静かな日本庭園に豪快なクシャミが響く。
「お父さんカゼですかぃ? 暑いからってヘソとか出してねちゃいけやせんぜ?」
 秋野=桜蓮・紫苑(jb8416)に言われ、ダルドフは鼻を擦りながら首を傾げた。
「うむ、それは気を付けておるつもりだが……はて、誰か噂でもしておるのかのぅ?」
「あぁそっちですかい、それなら……」
 にっしし、と紫苑は意味ありげな視線を父に向ける。
 噂の主はきっと、あの姐さん達だ。
 今日は適当に遊んだ後で合流する手筈になっていたが、まずはそれぞれに目一杯、好きなことをして楽しんでからだ。
「お父さん和の物すきですからねぃ! この庭なんか、お父さんのしゅ味にぴったりでしょぃ」
「うむ、良いのぅ」
 しっとりと落ち着いた雰囲気の日本庭園は、まさにダルドフが思い描く理想の庭。
 これで猫が放し飼いにされていたら、もう言うことはないのだが……さすがにそれはないか。
 その代わりというわけでもないが、今日はちょっと猫っぽい新顔が一緒だった。
「え、僕って猫っぽい?」
 その新顔、ヴェズ(jc2530)がおどけた様子でニヤリと笑う。
 新顔と言っても、顔を合わせるのはこれが初めてではなかった。
「そうそう、東北のお祭で一緒だったよね」
 最終決戦に於けるアレを「お祭」という一言で片付けて良いものか……いや、アレはどう考えてもただのお祭だった気がする。
 それはともかく、あの時は祭の興奮やら何やらで碌な自己紹介もしていなかった。
「そう言やあの時はノリといきおいだけで、まわり全部みんな友だちって感じでしたからねぃ」
 というわけで、改めて自己紹介。
「ヴェズだよ、よろしくー」
 ……。
 …………。
 ………………。
 それだけ?
「ヴェズ、もう少し何かあるだろう」
 ファウスト(jb8866)が泣く子の火にも油を注ぐような三白眼で友を見る……が、頭に乗せたケセランのせいで全然怖くないどころか抜群の癒やし効果を発揮している。
「何度見てもミスマッチだよね、ファウとケセラン」
 無遠慮に笑いながら、ヴェズは紫苑に向き直る。
「そうだねー、何か面白いエピソードでも披露しようか。例えば……そう、魔界時代のファウの引き篭もりっぷりとか。それはもうすごかっ……ぶほっ」
 あることあること立て板に水の勢いで暴露を始めたヴェズの顔面に、もふっとした白いものが押し付けられる。
「ちょっと何するのファウ、ケセランとちゅーしちゃったじゃない」
 それを見ていた紫苑が嬉しそうに言った。
「じいちゃ、お友だちできてよかったですねぃ!」
 でも何だろう、お祭の時を抜きにしても初めて会った気がしないのだけれど。
「ヴェズのだんな、どっかで会いやしたっけ……?」
 ほら、なんか不思議な扉の向こうとかで!
 それともあれは夢だったかな?
「さあ、なんのことかな……もしかしたら、同じ夢を見てたかもしれないけどね。だとしても僕は会ってないよ、どこか物陰でこっそり見てたんじゃないかな」
 くすりと笑って、ヴェズは心友を見る。
「あれから色々あったんだよ。もうファウとは二度と会えないだろうって格好つけて別れたのに、結局は僕もこっちに来ることになっちゃうなんてさー」
 人生って本当わかんないもんだねーと笑いながら、ヴェズは心から安堵していた。
 あの表情筋の動かし方さえ忘れてしまったような鉄面皮の超絶引き籠もりが、こうして知り合いと戯れ、からかわれて相好を崩している。
 その姿を拝めただけでもこの世界に来て良かったと思えるし、あの日の選択が間違っていなかったと実感出来る。
 彼が辿り着いた新たな岸には、どうやら良い水があったようだ。
「もういいだろう、行くぞ」
 放っておいたら何をどこまで暴露されるかわからないと、ファウストは一人でさっさと歩き出す。
「あっ、じいちゃ待ってくだせ! 一人で行ったら迷子になっちまいやすぜ!」
 ダルドフの手を引いて、紫苑がその後を追いかける。
 くすくすと笑いながら、ヴェズが続いた。

「桜の根本には死体が埋まっているという噂があってな」
 ファウストは音声ガイドよろしく目に入る植物の解説をしながら庭園をのんびりと歩く。
「桜は元々真っ白だったものが、根元に埋まる死体から血を吸い上げたためにほんのりピンクに染まるのだという説が――ヴェズ、何をしている」
「え、だって気にならない? 本当に埋まってるのかなって」
「ただの噂だ、掘っても何も出て来ないぞ」
「じゃあ何だってそんな話が出て来たんですかねぃ?」
 紫苑はホラー系が大の苦手だが、好奇心も人一倍。
 それに、ただの作り話なら怖くない、怖くない……お父さんの後ろに隠れてひっついてるのは怖いからじゃない。
「紫苑は桜の草木染めの方法を知っているか?」
「知ってやすぜ、花じゃなくて枝を使うんでさ!」
 流石に花のことには詳しいと感心したように頷き、ファウストは先を続ける。
「しかし桜の枝はピンク色をしていない。なのに抽出される色素はピンク色だということで、これは桜が吸い上げた血の色なのではないか……桜染めを扱う職人の間では昔からそんな噂が流れていたらしい」
 それが文学作品に取り上げられたことで一気に広まった、というわけだ。
 他にもソメイヨシノがたった一本の原木からコピーされたクローンであることや、紫陽花の色が変化する仕組みなどを魅惑の低音ボイスで語って聞かせる。
「もっとも近頃は品種改良が進んで、色が変わらないものも増えて来たがな」
「流石に詳しいねー……あ、いっそ音声ガイドのバイトすればいいんじゃない?」
 その低音、オバチャン達にウケることは間違いない。
「貴様、真面目に聞いているのか」
「聞いてるよー、それにわりと本気だし」
 わざわざ引っ張って来た甲斐あって、植物に囲まれたファウストは実に生き生きと楽しそうだ。
 これからは撃退士としての仕事は減る一方だろう。
 そうなった時に好きなことで収入を得られるというのは悪くないと思うのだ。
「そうですねぃ、おれらもそろそろ真けんにしょう来のてんぼうってやつを考えねぇと」
 紫苑が真剣な表情で頷く。

 そんなわけで、茶屋で一休みしつつ今後の方針について話し合いましょう。
「主にお父さんの!」
「そうだな、恐らくそれが一番の問題だ」
「いや、某には何も問題など……っ」
 ないとは言わせないと、紫苑とファウストはダルドフを引きずって行く。
 ヴェズもよくわからないけれど、何だか面白そうだと野次馬的にくっついて行った。
「……学園でいっしょにくらすのは、まだむずしいですかねぇ」
 桜餅を頬張りながら、紫苑はダルドフの顔を覗き込む。
 正直、良い返事は期待していなかった。
 状況が落ち着いたら天界へ帰ってしまう可能性だってあるのだ。
 しかし。
「うむ、部屋は既に確保してあるでな。向こうが片付けば、それも可能になるだろうて」
「……ほん……ほんっ!?」
「まことの話ぞ。リュールの住んでおる、あのアパートにのぅ」
「お父さん、リュールのねぇさんといっしょに住むんですかぃ!?」
「うむ、まあ……お隣さんといったところかのぅ」
 ええい、じれったい。
 そこまで来たなら一気に押すのが男だろう。
「ほんとに、お父さんは世話がやけますねぃ」
 ふぅと溜息を吐いて、紫苑は大きな青い百合の花束を差し出した。
「これ、リュールのねぇさんによくねぇですかぃ? 今なら名前も付けられますぜ?」
 にししと笑ってこそりと耳打ち。
「これ持って一発こくっちまいやしょうや。ねぇさん、カフェで待ってやすぜ?」
 ここまでお膳立てをしてもらって動かない、なんて有り得ない。
 花束を手に、意を決したダルドフは席を立つ。
 その背を見送り、ファウストは桜茶を一口すすって桜色の空を見上げた。
「さて、上手く行けば良いが」
 成功を祈りつつ、庭園をもう一回りしてみようか。
 庭石の組み方に借景、様々な見立てなど、まだまだ見所はたくさんある。
「500年の間にいくつかの国を訪れたが、日本の文化は特に独特だと感じるな」
「そうだねー。パワーは足りないけど、この繊細な感じは悪くないかなぁ」
 こういうの何て言うんだっけ、ワサビ?


 待ち人が姿を現した時、ユウはそっとその場を離れた。
 後は若……くはないが、それなりの二人に任せて、木陰でじっと見守るスタイル。
 二人が別れたのは、リュールに危害が及ぶことを恐れてのことだったと聞く。
 ならば天界が変わろうとしている今、その原因は既にほぼ取り除かれたと考えていいだろう。
 よりを戻すなら今が絶好のチャンス、果たして二度目のプロポーズの結果は如何に――!?

「お父さん、お帰りなせ!」
 夕刻、宿に戻ったダルドフを一足先に帰っていた紫苑が出迎える。
「で、しゅびはどうでしたぃ? リュールのねぇさん、何て言ってやした?」
「うむ、振られたわぃ」
「えっ!?」
 それにしては、やけに清々しく嬉しそうな顔をしている。
 だからてっきり、上手く行ったものと思ったのだが。
「そうさのぅ、振られはしたが執行猶予付きといったところかのぅ」
 リュールをイメージして「氷凛」と名付けた青い百合は受け取ってもらえた。
 かつてリュールから贈られた名も、東北が完全に安定しダルドフが自由の身になった時点で戻して良いと言われた。
「それってぇと、つまり……」
「うむ、将来的にはほぼ確定かのぅ」
 ダルドフは酔ってもいないのに赤く染まった頬をポリポリと掻く。
 その太い首に、紫苑が思い切り抱き付いた。
「おめでとごぜぇやす! これでおれも安心してヨメに行けまさ!」
「なんとっ!?」
 いやいや、冗談だけどね――今のところ。
「これもしっこーゆーよってヤツでさ」
 にししと笑う紫苑に内心穏やかならざるダルドフだったが、それは見えないところに押し込めて。
「紫苑、ぬしやユウ、それに他の者達にも、ずいぶんと世話になったのぅ」
「でも、まだまだ安心するのは早いですぜ、やることきっちりやっちまわねぇと」
「そうさの、もうひと頑張り気合いを入れねばのぅ」
「そんながんばるお父さんに……」
 紫苑は傍らに置いてあった荷物の中から、なにやらごそごそと取り出した。
「これ父の日のプレゼントでさ!」
 差し出されたその手には、可愛いリボンをかけたジャムの小瓶が乗せられている。
「あまさひかえめに作ったバラのジャムでさ、いそがしい朝にいいですよ!」
「ほぅ、ぬしが作ったのか。綺麗に出来ておるのぅ」
 礼を言って受け取り、ダルドフは嬉しそうに小瓶を光にかざしてみる。
「これでもあますぎたら、りょう理に使うといいですぜ」
 甘いものが苦手でも煮物などでは砂糖も使うだろうから、その代わりでも良いし、ドレッシングにほんの少し加えても良い。
「ふむ、ではさっそく明日の朝にでも使ってみるとするかのぅ」
 ここの旅館、朝は和風定食だった気もするけれど――いや、薔薇の香りの味噌汁も案外いけるかも?


 夜、ファウストはヴェズに引きずられるように温室へと足を運んでいた。
「変な物が出るって言うなら行くしかないよね!」
 でも何かが出たとしても、こう暗くては何も見えない。
「ファウ、灯り点けて灯り」
「貴様、自分で誘っておきながら明かりも用意しておらんのか」
 文句を言いながらも、ファウストはトワイライトの明かりを灯す。
「どうせ最初からこれをあてにしていたのだろう」
「当然でしょ、立ってる者は親でも使えって言うじゃない」
 それは微妙に用法が違う気がするのだが、彼にも国語辞典が必要だろうか。
「ねえねえ、あれは何の木? あっちの花は? うわ、なんかくっさ!」
 矢継ぎ早の質問に、ファウストは的確に答えていく。
 もっとも世界各地を巡ってきたファウストも、熱帯地方には行ったことがない。
 それらの知識は全て書物から得たもので、解説しながら「なるほど、これがそうか」と興味津々。
「熱帯の植物はなんというか、力強いな。濃い生命力を感じる」
 主にその大きさや派手な色、そして強烈な匂いから。
「まぁ、魔界の植物も別の意味で力強かったが……」
 と、そこに突然何かが飛んで来た。
 ファウストは咄嗟にフェアリーテイル@物理で弾き返したが、ヴェズは見事に直撃を喰らう。
「痛っ、今何か飛んできt……バナナ?」
 プレゼントかと思ったが、まだ青い。
 ファウストが飛んで来たほうに光を投げると、一瞬ちらりと姿が見えた。
「……えっと、アレは確かサル、だっけ? 天魔かもだけど」
「いや、野生化した学生かもしれん」
 久遠ヶ原の生徒ならば、さもありなん――



●薔薇園に咲く二輪

「リコと出かけるのもこれで何度目やろな」
「わかんない、そんなのいちいち数えてないもん」
 相変わらずどんどん先を行くリコを小走りに追いかけながら、「それもそうやな」と浅茅 いばら(jb8764)は小さく笑みを漏らす。
 リコと一緒なら何度でも、どこに出かけても楽しいに決まっている。
 それが薔薇園なら尚更だ。
「うちもリコも、薔薇の花に縁のある名前やしな。折角なら綺麗な薔薇を見ようやないか」
「一番きれいなバラは、ここにあるけどね?」
 そう言って、リコは自分を指さした。
「なーんて……あ、今ウヌボレすぎとか思ったでしょ!」
「思てへんて、うちにとってはリコが一番やし」
「うん、知ってる。でもね、きれいなバラにはトゲがあるんだよ? がおー!」
 リコは両手を顔の上に上げて、人に襲いかかる寸前の熊のようなポーズをしてみる。
 けれど全く怖くない。むしろ可愛いくて抱きしめたくなる。
「リコの棘なんて可愛いもんやろ?」
 にっこり笑ってナチュラルに口説いてみたけれど、ナチュラルすぎて気付いてもらえなかった。
 それどころか、リコはなんだかしょんぼりしている。
「どないした?」
「そうだよね、リコはキレイっていうよりカワイイだもんね」
 可愛いも嬉しいけれど、そろそろ綺麗と言われてみたいお年頃。
 外見の成長は止まってしまったけれど、本当なら今年の誕生日で19歳になるはずなのだ。
「ほんとなら、リコもちゃんとしたお嫁さんになれるんだけどな」
「やっぱり、ジューンブライドも憧れる?」
 いばらの問いに、リコは黙って頷いた。
「オネェさんに頼んだら、大きくなれるかな?」
 それはリコをヴァニタスにした悪魔。
「そないなこと、出来るん?」
「わかんない。けど、ダメモトで頼んでみようかな」
「せやな……けど、もし今より大きくなってもリコの棘は可愛いまんまやろな」
「どうして?」
「リコにはいつも助けてもろとるし、な?」
 もし鋭い棘があったとしても、それが自分に向けられることはない。
「うちの棘はリコを守るためにあるもんやし、リコもそうやろ?」
「あっ、そうそう! ハリネズミのお腹って、ふっかふかなんだよね!」
 またしてもあらぬ方向に話を飛躍させながら、リコは楽しそうに薔薇園を駆け回る。
 躓いて薔薇のトゲトゲに頭から突っ込んだりはしないかとハラハラしつつ、そんな無邪気な姿にいばらは目を細めるのだった。

 一通り回ったらオープンカフェでお茶を楽しみ、その後は体験教室へ。
「アクセ作り? リコもやる!」
「リコは手先が器用やし、こういうんも上手やろな。そんで、なにつくるん?」
「んー、何にしようかなー……いばらんは?」
「内緒や」
「じゃあリコもないしょ!」
 と言っても隣同士で並んで作ればすっかり丸見えなのだけれど。
 いばらはリコの髪色によく似たピンクの薔薇でブローチを作っていた。
(「一緒にこういう記念の品を作れるって、幸せや」)
 一度花びらを外して乾燥させ、レジンでコーティング、それをまた組み直して可愛いデザインに仕上げていく。
(「リコの胸元飾ったら、きっと可愛いやろな」)
 ふと隣を見ると、リコの手元では小さな青い薔薇のピアスが出来上がりつつあった。
「青いバラの花言葉ってね、奇跡っていうのが有名だけど……夢かなうっていうのもあるんだよ?」
 視線に気付いてリコが微笑む。
「昔は青いバラなんて絶対に出来ないからって、不可能っていう花言葉だったんだって。でもそれが出来たから、不可能から夢かなうになったの」
 出来上がったその片方を、いばらに手渡す。
「片っぽずつ、お揃いで付けたいな……夢が叶いますようにって」
 それを受け取り、いばらはピンクのブローチをリコの胸元に付けてやった。
「リコの夢て、なに?」
「んー……やっぱりないしょ!」
 リコは悪戯っぽく微笑む。
「ないしょだけど、きっといばらんは知ってるよね」
「ん、だとええけど」
 思っていることは、ある。
 それが正解かどうかは――

「……な、リコ」
 夕暮れ時、可愛いピンクの薔薇が咲き乱れる庭で。
「もし、もしよかったら」
 ごくりと唾を飲み込もうとしたら、喉はカラカラに乾いていた。
 代わりに手のひらがじっとりと汗で濡れている。
「うちと、……うちとずっと、死ぬまで一緒にいてや?」
 きっと、これが正解。
 その証拠に、リコはいつもより百倍増しの可愛い笑顔でこくりと頷いた。



●恐らくはごく標準的な、パークでの過ごし方

「こんな良い天気の日はお花がいっぱいある所で遊ぶのよ!」
 雪室 チルル(ja0220)は今日も元気だ。
 まずはサイクリングコースの始点で、サイドカー付きの自転車を借りる。
 この国で自転車のサイドカーと言えば存在そのものが珍しく、知っている者でもリヤカーが横に着いたような形を思い浮かべるかもしれない。
 だが、ここのサイドカーは違う。
 変身ヒーローのバイクに付いているような流線型で、はっきり言ってカッコ良い。
 そこに乗ったら是非ともマフラーを風になびかせたくなるカッコ良さだ。
 さて、何故にそんなものを借りたのかと言えば――Rehni Nam(ja5283)と一緒に楽しむためだ。
 彼女は今、見た目には特に普段と変わりない。
 しかし服の下は包帯グルグル巻き……あ、でも大丈夫、ちゃんと病院で外出の許可は取ってあるから。
「これなら座ってるだけでいいし、乗り心地も抜群よ! こんなものを見付けてくるなんて、あたいってやっぱり頭良いわね!」
 チルルはヘッドライトのようなウェアラブルカメラを装着し、ペダルを漕ぎ始めると同時に録画スタート。
 自分の目の高さから、自分が見ているものを臨場感たっぷりに撮影していく。
 その姿をレフニーの大佐が撮影し、それを見上げたチルルのカメラにもまたその姿が映る。
「なんだか合わせ鏡みたいですね」
 後で再生してみたら、何かホラー的なものが映っていたりして。
「大丈夫よ、だってこんなに天気が良いんだもの!」
 初夏の光と風を受けて自転車は快調に進む。
 花いっぱいの花壇や芝生の広場をぐるりと回ると、コースは公園を離れてポプラ並木や牧場、森の脇を通り抜ける。
 満開の桜を見ながらイングリッシュガーデンの横を抜け、温室を回って花畑の広がる丘へ。
 流れる風景の中で楽しそうに遊ぶグループや、イチャつくカップル、時には自転車ですれ違う者達や、並行して走る馬専用の道路を颯爽と駆け抜けて行く誰かの後ろ姿――
「良い素材になりそうね!」

 一周回ったら、落ち着いた雰囲気の日本庭園でひと休み。
 葛餅と緑茶で腹拵えすると、チルルは再び良い画を求めて何処かへ旅立って行った。
「私は暫くここでのんびりしていましょう」
 ただ座っていただけとは言え、ずっと同じ姿勢でいるのもけっこう疲れるもの。
 ゆっくりと立ち上がり傷に響かない程度に伸びをしたレフニーは、改めて周囲を見回してみた。
「故郷の、西洋式の庭園は、何と言いますか動的な感じがします」
 直線が多かったり、草木も整然と刈り込まれていたり、いかにも人の手が入っているように見えるところも西洋式の特徴だろうか。
「でも日本庭園は静的な感じで、静養するには実に良いのです」
 人の手が入らず自然のままに放置されているように見えて、実は緻密な計算のもとに形作られていたり。
 植物に合わせる形で通路も曲がり、先の見通しが利かない場所も多いから、人の歩みも自然にゆったりとしたものになる。
 人の声も足音も、虫や鳥の声さえも、聞こえているのに何故か意識に上らない。
 あちこちに配された大きな岩や足下の砂利が、全ての音を飲み込んでしまうように思えた。
「蝉の声が岩に染み入る……とはよく言ったものです」
 まだその季節には早いけれど、街中では五月蠅いだけの蝉時雨もここなら心地良く耳に響くのかもしれない。
 そんなことを考えながら、レフニーはのんびりと歩く。
 本当は夜のライトアップも見たいところだが、あまり無理をしては傷に障る。
 ここは自重して、けれどせめて今だけでもと、藤を愛でつつトンネルを抜けて桜の園へ。
 と、ふと見れば向こうから見覚えのある人影が――

 その少し前。
 もうひとつの小さな出会いがあった。
「あれ、桃源さん」
「ひりょ、お兄ちゃん…」
 黄昏ひりょ(jb3452) meets 桃源 寿華(jc2603) in 日本庭園。
 その瞬間、寿華の世界に光が溢れ、周りの景色が眩く輝き出す。
 一人で見ていた時も花はそれなりに綺麗だったけれど、今はもっとキラキラと輝いて見えた。
「桃源さん、ひとり?」
 こくりと頷き、寿華は遠慮がちに尋ねる。
「あ、あの、ひりょお兄ちゃん…一緒で、いい…かな」
 世間ではよく、ひとりの時間を大切にとか、孤独を楽しむとか言われているけれど。
 友達と一緒に来ている周りの人達はみんな楽しそうで、自分だけが別の世界にいるみたいで。
(「一人で…出来る…様に、なりたい…けど! やっぱり…友達、羨ましいの…」)
 きっと、一緒の時間があるから一人も楽しいのだ、と思う。
「うん、じゃあ一緒に回ろうか」
「ありがと…なの」
 ひりょの隣にちょこんと収まり、寿華は嬉しそうに笑った。
「藤のトンネル…綺麗♪ 綺麗♪」
 さっきまでと同じ景色なのに、全然違って見える。
 上を見ながらぴょこぴょこと、スキップとジャンプを混ぜたような弾む足取り。
「転ばないように気を付けて」
「大丈夫、なの…」
 ぴょこ、ぴょこん。
「私も…お兄ちゃん…みたいに、お友達…作るの。今より、もっと…楽しく…過ごすの!」
「そうか、楽しみだね」
「うん…!」
 ひりょは保護者的な慈愛の眼差しで寿華を見守る。
(「学園生活楽しんでくれてるみたいで、自分の事のように嬉しいな」)
 けれど、意気込みとは得てして空回るもの。
 いざ他の参加者と行きあうと、寿華は思わずひりょの後ろに隠れてしまうのだった。

「おやタソガレさん」
「あらレフニーさん」
「こんにちはですよ。そちらのかたは先日もお見かけしましたね」
「はいこんにちは。そうだね、風雲荘のパーティで」
 どこかのご隠居と近所のオバチャンのような挨拶を交わし、レフニーはひりょの背後に視線を向ける。
「あ、あの……こんにちは、です」
 一瞬「見付かってしまった」とでも言いたげな表情を浮かべ、寿華はぺこりと頭を下げた。
 やっぱり、まだ緊張する。
「はい、こんにちはです。お二人はお散歩ですか?」
「うん、藤と桜が綺麗だなって思って。でも、そろそろひと休みしようと思ってたところなんだけど……せっかくだし、レフニーさんも一緒にどうかな」
「そうですね、ちょっと休憩しましょうか」
 花に見とれて歩くうち、気が付けばずいぶん遠くまで来ていたようだ。
「あ、あの…向こうに、お休み…出来るところ、あったの」
 寿華は恐る恐る声をかけ、桜の花が満開になった一角を指さす。
「では、そこにしましょうか」
 同意が得られたことで少し緊張が解けたのだろうか、寿華は再び弾む足取りで先に立って歩き出した。

 お茶と和菓子を手に、三人は緋毛氈が敷かれた縁台に並んで座る。
「お邪魔…します…」
 ひりょとレフニーの間に場所を空けられ、寿華はその真ん中にちょこんと腰かけた。
 そこから見えるのは、お馴染みのソメイヨシノにヤマザクラ、八重桜に枝垂れ桜、その他名前も知らないものまで、とにかく桜、桜、桜。
 咲き方も色合いもそれぞれに違う様々な品種の桜が一斉に咲き乱れている。
「なんだか自分の身体まで桜色に染まってしまいそうな気がしますね」
 レフニーの呟きに、寿華は感心したように頷いた。
 同じものを見ていても、自分はただ漠然と綺麗だなぁという感想しか出てこなかったけれど、そんな感じ方や表現の仕方があるのだ。
 それも、一人では気付けないこと。
「みんなで…お花を、見ると…一人…で、見るより…楽しいの」
 でも、ひりょやレフニーはどうだろう。
 自分と一緒にいて楽しいだろうか、邪魔になっていないだろうか。
 けれど、そんな心配は無用だった。

「目とお腹が満足したら、次はその満足感を形にして残したいよね」
 というわけで、当然のように三人揃って体験教室へ。
「桃源さんは何かやってみたいことある?」
「えと、やっぱり…いつも、持ってられるのが…良いかな」
 選んだのはブローチ作り。
「これなら…制服に、つけても…いいよ…ね〜」
 道具と材料は揃っているから、あとは好きなものを選んで、お手本通りに作るだけだ。
 乾燥した小さな花を型に入れて、レジンで固めて――
「……ガタガタ…なの…」
 しょんもり。
 けれど、よく見ればこれはこれで味がある。
「…でも…水の中の、お花みたい♪」
 作ろうと思っても二度と同じようには作れないだろう、世界にひとつだけの記念品だ。
「ひりょお兄ちゃんは、なに…作ってるの?」
「ん? 押し花で栞をね。6月生まれの友達に贈ろうと思って」
 今月が誕生日の友達は意外に多い。
 その日付ごとの誕生花を、相手の顔や今までのやり取り、様々なエピソードなどをを思い浮かべながら、ひとつひとつ丁寧に。
 洋風の花は透明なアクリル板に、和の花は薄い和紙に挟むなど、バリエーションを考えるのも楽しかった。
「私はバラのスイーツにしましょうか」
 レフニーは厨房で薔薇三昧。
「病院のご飯は味気ないですし、おやつぐらい美味しいものが食べたいですし」
 内科の病気ではないのだから、間食は自由だろう。
「バラのゼリーとか良いかなぁ」
 それに、恋人へのお土産も。
 がんばる二人の姿を見て、寿華は思う。
 自分も次に来た時には、他の誰かのために何か作れたら良いな、なんて。

 そして夜。
 チルルは単身、温室に忍び込んでいた。
 いや、忍んでない。
 めっちゃ堂々と乗り込んでいる。
「こんないい感じのパークなら、きっと何か伝説の生物が出てくるに違いないわ!」
 どうしてそうなるのか、そんなことは訊くだけ野暮だ。
「行くわよ、突撃ー!」
 真っ暗闇の中に、強烈なソーラーランタンの光が走る。
 その中に、ちらりと映る何かの影。
「大きいわね!」
 ゴリラだろうか。
 しかも、影は三つあった。
 光を嫌ったのか、三つの影は図体の割に素早い動きで密林の奥へと姿を消す。
「逃がさないわよ!」
 追うチルル、影は温室を抜け出して外の闇へ。
 桜や藤がライトアップされたその場所は、一部だけに強い光が当たっているぶん影になった場所はより一層闇が濃い。
 その闇を縫って、三つの影はどこへともなく姿を消した。

『ちょっとアンタ、ガセネタ掴まされたでしょ!』
『ごめんなさい、でも次は確かよ!』
 そんな野太いひそひそ声を残して。

「夜の桜も綺麗ね!」
 それを追っていたはずのチルルは、その美しさに足を止め、思わず見とれ――
「あら? あたいってば何を追っかけてたんだっけ?」
 なんだか逃げられたみたいだし、まあいいか!
 なお現在も、頭に付けたウェアラブルカメラは高感度モードで作動中である。
 後で画像を分析すれば、謎の影達の正体も明らかになるだろう。
 今は逃がした獲物のことは忘れ、この光景の撮影と新たな獲物探しに集中しよう。

 その頃、近くの温泉旅館では誰もいない露天風呂にひりょが一人で浸かっていた。
「広い湯船を貸切なんて、贅沢だな」
 明かりは最小限に抑えられ、お陰で見上げた夜空には無数の星が瞬いている。
 自然の岩場を再現した湯船の周囲には蛍がちらほらと舞っていた。
(「温泉にのんびりしたのは実はそう多くないんだよな」)
 思い返せば今までの温泉は、大抵何かしらの騒動に巻き込まれていた。
(「今回は大丈夫……だよな? うん」)
 こうしてのんびり湯に浸かっていると、あれはあれでいい思い出と――
 しかし、騒動の思い出が美しく塗り替えられようとしていた、その矢先。
「あぁらぁ! ひーちゃんじゃなぁい!?」
 闇の中から野太く茶色い声が上がる。
「お・ひ・さ(はぁと なーんか呼ばれた気がしたから、来ちゃった☆」
 呼んでない。
 呼んでないけど、ああやっぱり、という気はする。
「もう、さっきなんかミーちゃんが温室に来るなんてガセネタ掴まされちゃって」
 そう言ったのはリカ。
「そうなのよぉ、アタシったら温室と温泉聞き間違えちゃったみたいでぇ」
 これはマリの声。
「すみません、すみません、また兄達がご迷惑を……」
 ひたすら謝る常識人ポジションのミキ、しかし止めるつもりはないらしい。
「で、結局ここもガセだったわけ、だ・け・ど」
 ばちゃ、ざぶん。
 湯を掻き分けて、迫るマッチョの気配。
 ひりょの明日はどっちだ、果たして貞操は守れるのか、待て次回!



●男だって恋バナしたい

「姫叔父の周りに花が飛んでる気がする!」
 不知火あけび(jc1857)が言う通り、不知火藤忠(jc2194)の周囲にはキラキラとしたエフェクトと共にお花が舞っていた。
「いや、どうもふわふわした心地で困る」
 心地どころか足取りまでがふわふわと、まるでそこだけ重力が六分の一になったかのようだ。
 目に見えるもの全てが美しく輝き、全てが愛おしく、憂いのない希望に満ちている。
「ミハイルや章治の気持ちがようやく分かった」
 恋とは、かくも素晴らしきものか。
「世界が薔薇色に見えるぞ」
「だってここ薔薇園だし」
 あけびに混ぜっ返されても、藤忠はひたすら上機嫌に舞い上がっている。
 その足がしっかりと地面に付くことは当分なさそうだ。
「ああ、章治にはまだきちんと話していなかったな」
 藤忠はくるりと門木に向き直ると、お姫様のように頬を染める。
「実は、その……恋人が出来た」
「うん、知ってる」
 と言うかその緩みまくった表情が言葉よりも雄弁に全てを語っていた。
「おめでとう、よかったな」
 門木は藤忠の頭をくしゃくしゃと撫でる。
「しかし、あけびは少し寂しいんじゃないか?」
「そんなことないですよ、姫叔父が幸せそうにしてると私も幸せな気分になるし、なんだか自分のことみたいで私も嬉しいです」
「そうか、お前は良い子だな」
 幸せは、幸せそうにしている者のところへ好んでやって来るという。
 近いうちに、あけびにも大きな幸せがやって来るに違いない。
「それでな、章治」
 藤忠がもう話したくて話したくて仕方がないという表情で話に割り込んでくる。
「どんな子か聞きたいか、聞きたいだろう?」
 聞きたくないと言われても聞かせる勢いで、藤忠は話し始めた。
「気が強くて少々我儘だが、寂しがり屋で……本当はすごく優しい奴だな」
 それからそれからと、枯れることのない泉のように湧き出る恋人自慢。
 そうして言葉にする度に、その存在が身近に感じられる――なるほど惚気とは良いものだ。
 惚気のシャワーを頭から浴びせられれば対抗意識を燃やすのが人の常で、門木も負けじと嫁自慢を始めたり。
「男の人も恋バナで盛り上がったりするんだ……」
 話に付いて行けないあけびは、半ば呆れたように呟く。
 何となく、恋バナは女子の特権という気がしていたし、男性の恋バナと言うとすぐ下ネタに走るイメージがあるが、この二人の話なら安心して聞いていられそうだ。
 けれど、それはそれ。
「もう、二人とも話は座ってしようよ。それに今日は三人で遊びに来たんだからね!」
 言われて素直に謝る男二人。
 ちょっと可愛い。

 そんなわけで、まずは苺三昧!
「風雲荘でも作っていたな?」
「うん、五月にね」
 三人はラズベリーやブルーベリーなど、他のベリー類と一緒に植えられた野性味溢れるイチゴ園に足を踏み入れる。
「あの時も独り占めする勢いで食べていた気がするが、まだ食べるのか」
「だって今年の苺はこれで終わりなんだよ?」
「そうだったか? 苺などスーパーで年中見る気がするが」
 生の苺がない時期でも、菓子やスイーツ、ジャムなどはいくらでも手に入るだろうという藤忠の言葉に、あけびは「わかってないなぁ」と首を振った。
「こうやって自分で採って食べるのが良いんだよ、それに露地栽培だと春が旬だし」
 春の訪れが遅い北海道なら、ちょうど今頃がその時期に当たるだろうか。
「そうだったのか、俺はてっきり冬の果物だと……」
「うん、確かに出回る量が多いのは冬かな、苺の日とかも一月だしね」
 そう言いながら、あけびは真っ赤に熟した苺を次々と口に放り込む。
「来年の収穫も楽しみだね。今年は初めてだから少ししか作れなかったけど、コツはわかったし色んな品種を作ってみたいな」
 温室を作っちゃうのも良いかも。
「それはいいが……あけび、それくらいにしておいたらどうだ」
 既に食べ尽くされて手遅れの感はあるが、少しは残しておかないと出禁を喰らいそうだと藤忠が促す。
「そうだね、名残惜しいけどカフェに行こうか!」
「まだ何か食べるつもりか」
「決まってるじゃない、甘い物は別腹なんだよ?」
 女の子にはいったい何個の別腹があるのだろうか。
「姫叔父にだってお酒用の別腹があるじゃない」
「まあ、そうだな」
 好物に勝てないのは誰でも同じかと、藤忠は苦笑い。
「章治の別腹は何だ?」
「え、うん……おにぎり、かな」
 はいはい、ごちそうさま。

 オープンカフェではお洒落にローズティーを楽しんで、お菓子はそれぞれに好きなものを。
「私は苺ショートかな」
「また苺か、よく飽きないな」
「そう言う姫叔父だって」
 藤忠の目の前にはパンプキンパイと南瓜のプリン、南瓜タルトに南瓜シフォン、メニューにある南瓜スイーツを網羅する勢いでずらりと並んでいる。
「章治先生はスコーンなんだ、本格的なアフタヌーンティーって感じですね! さすが大人のチョイス……」
「いや、よくわからないから定番のオススメにしただけなんだが」
 そういうことは言わなくていいから。
「あけび、お前には誰か気になる相手はいないのか?」
 他愛もないお喋りをしながら、話がふとそんな方向へ向かう。
「え、なに突然? いないよ?」
 あけびはぶんぶんと首を振り、藤忠に訊かれて咄嗟に浮かんだイメージを振り払った。
「もう、姫叔父ってば自分に恋人が出来たからって、人にまでお勧めしなくていいんだからね?」
「それはそうだが……恋人は良いぞ」
「うん、良いな」
「章治先生まで!?」
 世間でよく言われる「爆発しろ」は、恐らくこういう時に使うのだろう。
「しかし、あれだな」
「なに?」
「あけびに好きな奴が出来たら……俺はシスコンになるかもしれない」
「今でも充分その気はあると思うけど」
 真剣な表情の藤忠に、あけびもまた真顔で返す。
「そんな筈は」
 ないと思っているのは、恐らく本人だけだろう。

 腹拵えが済んだら、次は――
「入院中のお師匠様に何か欲しいな。二人も恋人にお土産だよね?」
 あれ、この言い方だとお師匠様が恋人みたいに聞こえる?
 誰も突っ込まないけれど、何となく照れて挙動不審になるあけび。
 甘い空気は伝染するのだろうか。
「章治は花に名前を付けたいと言っていたな。命名したら贈り物にするんだろう?」
「……うん」
 こくりと頷いた門木がやたら可愛く見えるのも、伝染した甘い空気のせいだろうか。
「姫叔父もだよね、私が花選びのサポートするよ!」
「お前、詳しかったか?」
「詳しくはないけど女の勘ってやつだよ!」
「……いや、自分で探すからいい。章治のサポートも俺がやる」
「えー」
 だが二人がサポートするまでもなく、門木は迷わなかった。
 選んだのは翼を広げた鳥のように見える、真っ白な胡蝶蘭の一種。
 鳥の胴体に当たる部分が僅かに青みがかったその花に、門木は何のヒネリもなく妻の名を与えた。
 どんだけ好きやねん。
「私はこれかな」
 あけびが選んだのはオレンジのガーベラ。
 西洋の花言葉は「あなたは私の輝く太陽」という。
「お見舞いにも良い花だし何よりお師匠様みたい。名前は……『暮れの日』なんてどうかな」
「其の侭だな」
「いいじゃない、夕日だって太陽なんだし。そういう姫叔父は?」
「俺はこれにしようと思う」
 ふと目に付いた中心が白く花弁の縁が桃染色の薔薇。
 その色は彼女の瞳を思い起こさせる。
「命名は『桃兎』……これも其の侭だな」
 人のことは言えないと笑う藤忠は、もう帰りたくて仕方がない様子だった。
 まだ時間はあるし、見ていない場所も多い。
 けれど、一番の景色は大切な人と二人で見たいから。
 帰ろう。
 染井吉野と八重桜が一緒に咲いているトンネルを通って、それぞれの大切な人が待つ場所へ。
「綺麗だね」
 違っていても寄り添える、違うからこそ美しい。
 人と天使も、きっと――

「あっ、ふーじたーだちゃーん☆」
 良い雰囲気で締めようとしたところに、のんびりとした声がかかる。
 見れば、桜の下でユリアが手を振っていた。
「ごめんねー、ちょっとお邪魔しまーっす」
 そう言って駆け寄ったユリアは、藤忠の手に何かを押し付ける。
 それは、体験教室でこっそり作ったネモフィラの押し花ネックレス。
「二つあるからお揃いでどうぞ、兎姫と倖せにね☆」



●一夜限りの再結成、ただしソロ

 ジェンティアンには秘密がある。
 いや、秘密でも何でもない……普通に忘れられていただk(げふん
「実は僕、アイドルとしてデビューしたことあるんだよね」
 インディーズだが、当時はそれなりに人気があった……はず、だと思う。
 ライトアップされた藤棚の下をステージに、ジェンティアンは歌い、踊る。
「SLM72、パイモン一夜限りの復活だよ」
 大丈夫、身体のキレは変わらない。
 こっそりボイトレも欠かさないから、声の張りも昔のまま――いや、あの時よりも出ているかもしれない。

 たとえ散る宿命(さだめ)に咲くとも
 玉響の煌き
 吾が胸に 君が胸に
 夢と現 過去と未来
 ゆきつ戻りつ 想い花咲く

 その様子はライブ配信され、世界中を駆け巡る。
 昼間の投稿に加え、更に視聴者を増やした彼のアカウントは一躍有名に。
 この分だと、本当に再結成が実現するかもしれない。
 或いは新たなメンバーを得て新規グループを立ち上げるか――
「どっちにしても、初ライブはここでやらせてもらえるといいな」




 SNSに情報が流れ始めてから数日。
 フラワーパークには早くも入場者が増え始めていた。
 これでツアー計画や周囲の施設との連動が軌道に乗れば、更なる集客が見込めることだろう。

 後日、宣伝に貢献した彼等には謝礼として無期限の入園フリーパスが贈られたそうだ――


依頼結果

依頼成功度:大成功
MVP: −
重体: −
面白かった!:18人

無念の褌大名・
猫野・宮子(ja0024)

大学部2年5組 女 鬼道忍軍
ラッキースケベの現人神・
桜井・L・瑞穂(ja0027)

卒業 女 アストラルヴァンガード
伝説の撃退士・
雪室 チルル(ja0220)

大学部1年4組 女 ルインズブレイド
沫に結ぶ・
祭乃守 夏折(ja0559)

卒業 女 鬼道忍軍
魅惑の囁き・
帝神 緋色(ja0640)

卒業 男 ダアト
ラーメン王・
佐藤 としお(ja2489)

卒業 男 インフィルトレイター
前を向いて、未来へ・
Rehni Nam(ja5283)

卒業 女 アストラルヴァンガード
Walpurgisnacht・
ザラーム・シャムス・カダル(ja7518)

大学部6年5組 女 アストラルヴァンガード
二月といえば海・
カーディス=キャットフィールド(ja7927)

卒業 男 鬼道忍軍
楽しんだもん勝ち☆・
ユリア・スズノミヤ(ja9826)

卒業 女 ダアト
Eternal Wing・
ミハイル・エッカート(jb0544)

卒業 男 インフィルトレイター
大祭神乳神様・
月乃宮 恋音(jb1221)

大学部2年2組 女 ダアト
ラブコメ仮面・
袋井 雅人(jb1469)

大学部4年2組 男 ナイトウォーカー
久遠ヶ原から愛をこめて・
春都(jb2291)

卒業 女 陰陽師
好色天使・
アムル・アムリタ・アールマティ(jb2503)

大学部2年6組 女 陰陽師
precious memory・
ギィ・ダインスレイフ(jb2636)

大学部5年1組 男 阿修羅
快楽至上主義・
ハルシオン(jb2740)

高等部1年1組 女 ナイトウォーカー
Stand by You・
アレン・P・マルドゥーク(jb3190)

大学部6年5組 男 バハムートテイマー
繋ぎ留める者・
飛鷹 蓮(jb3429)

卒業 男 ナイトウォーカー
来し方抱き、行く末見つめ・
黄昏ひりょ(jb3452)

卒業 男 陰陽師
正義の魔法少女!?・
AL(jb4583)

大学部1年6組 男 ダアト
優しき強さを抱く・
ユウ(jb5639)

大学部5年7組 女 阿修羅
愛する者・
華澄・エルシャン・御影(jb6365)

卒業 女 ルインズブレイド
ついに本気出した・
砂原・ジェンティアン・竜胆(jb7192)

卒業 男 アストラルヴァンガード
陽だまりの君・
陽向 木綿子(jb7926)

大学部1年6組 女 アストラルヴァンガード
七花夜の鬼妖・
秋野=桜蓮・紫苑(jb8416)

小等部5年1組 女 ナイトウォーカー
青イ鳥は桜ノ隠と倖を視る・
御子神 藍(jb8679)

大学部3年6組 女 インフィルトレイター
Half of Rose・
浅茅 いばら(jb8764)

高等部3年1組 男 阿修羅
託されし時の守護者・
ファウスト(jb8866)

大学部5年4組 男 ダアト
明ける陽の花・
不知火あけび(jc1857)

大学部1年1組 女 鬼道忍軍
Eternal Wing・
サラ・マリヤ・エッカート(jc1995)

大学部3年7組 女 アストラルヴァンガード
藤ノ朧は桃ノ月と明を誓ふ・
不知火藤忠(jc2194)

大学部3年3組 男 陰陽師
『楽園』を創る英雄・
ヴェズ(jc2530)

大学部1年4組 男 アーティスト
一緒なら怖くない・
桃源 寿華(jc2603)

中等部3年1組 女 陰陽師