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マスター:STANZA
シナリオ形態:イベント
難易度:非常に難しい
形態:
参加人数:23人
サポート:3人
リプレイ完成日時:2017/06/17


みんなの思い出



オープニング


 久遠ヶ原学園、科学室。

「……よかった……あいつ、無事だったんだ……」
 通話を切った門木章治(jz0029)は、待ち受け画面に戻ったスマートフォンを見つめたまま深く息を吐いた。
 人間界に堕ちて来た自分を救い、学園へと導いてくれた恩人、宮本章太郎。
 もう長いこと消息が知れず心配していたところに、思わぬところからもたらされた吉報だった。
 電話では詳しい話は聞けなかったが、彼は間もなくこの学園を訪れるという。
「これでようやく、お礼参りが出来るな」
 暫しの余韻を噛み締め、スマートフォンをポケットにしまうと、門木は準備室のドアを開けた。

「あ、先生。もう用事は済んだんですか?」
 科学室に戻ると、装備の強化を待っていた生徒が声をかけてくる。
「ああ、待たせて悪かったな。その代わり、今日はどんな強化も上手く行きそうな気がするぞ」
「今の電話、何か良い知らせだったんですね。でも気がするだけじゃ困るんだけどな……」
 そう言って、生徒は少し心配そうな様子で装備品を門木に手渡した。
 いや、手渡そうとしたのだが。
「先生?」
 門木はあらぬ方を見つめたまま、ぴくりとも動かない。
「先生、どうしたんです? 先生ってば!」
 何度目かの呼びかけで、門木は我に返った。
「……あ、いや……今、誰かに呼ばれた気がしてな……」
 まだ半ば心ここにあらずといった調子で答える。
「え? 何も聞こえませんでしたけど……?」
「そうだな、気のせい――、……っ!?」
 返事の半ばで突然膝を折り、門木は右肩を押さえて蹲った。
「先生っ!?」

 背中の痣が焼けるように痛む。
 どこか遠くで声が聞こえた。
 耳元でガンガン響く生徒の切羽詰まった声よりも、もっと近くはっきりと、けれど言葉にはならない声が。
「……呼んでる……行か、ないと……」
 門木はふらりと立ち上がる。
 けれど、心のどこかで「行ってはいけない」とい引き留める声も聞こえていた。

「ど、どうしよう……保健室、いや救急車!?」
 病気だと思ったのだろうか、とにかく誰かを呼んで来なければと、生徒は慌てて科学室を飛び出して行く。

 残された門木は、痛みに耐えながら進退窮まった様子で立ち尽くしていた。


 ――――――


 その同じ頃、某所。
 一見してごく普通の人間のように見える少年が、北の空を見上げて呟いた。

「……レドゥ、今までありがとう。僕もすぐ、そっちに行くから……君には怒られるかもしれないけど……でも、また一緒に遊べるよ」

 これがきっと、最後の食事になる。
 少年は食べかけのドーナツを口に押し込み、無理やり飲み込んだ。
 さっきまでは美味しく感じていたそれは、もうまるで石でも飲んだように味気ない。

 父が呼んでいた。
 幼い頃に一度会ったきりで、顔も覚えていないけれど、その血は確かに自分の中に受け継がれている。
 兄達が次々に命を落とした今、戦える者はもう自分しかいない。
 いや、何をやらせてもダメな自分に、父は何の期待もしていないだろう。
 呼んでいるのは、きっと……食べるためだ。

「ごめんね、願いごと……叶わなかったよ」
 少年は手首に巻かれた手作りのブレスレットにそっと触れると、ふらりと歩き出した。
 誰かが近くにゲートを作っていれば、コアを借りて父のもとまで一瞬で跳べる。
 どうせなら電車やバスを乗り継いで、なるべく時間をかけて行きたいけれど――
 そんな勝手が許されるはずもなかった。


 ――――――


 少し前、北海道。

 人間牧場から北に数百メートル離れたダムの下に、マルコシアスのゲートがある。
 牧場開放作戦のために彼とその協力者を足止めするべく、撃退士達はゲート内部に踏み込んでいた。

 今は倒さずとも、ただ彼をこの場に釘付けに出来ればいい。
 牧場開放の邪魔さえさせなければいい。
 そう考えて、撃退士達は戦力を温存しつつ抑えに徹し、解放成功の報がが入れば一時撤退する心づもりだった。
 しかし。

「ネズミ風情がこの我に歯向かうか……小賢しい」
 払っても払っても鬱陶しく絡み付いて来る撃退士達のしぶとさに業を煮やしたマルコシアスは、少年の姿を捨てた。
「どうにも知性が感じられぬゆえ、気に入らぬのだがな……」
 身の丈は2メートルをゆうに越す。
 蝙蝠の翼と蛇の尾を持ち、頭に二本の巨大な角が生えた、ミノタウロスと人間のハーフの様な筋肉質な姿。
 それが彼の本来の姿だった。
「あら、あたしはこっちのほうが好きよ?」
 マルコシアスの協力者、様々な生き物の骨を飾った杖を手にした女が笑う。
「骨になったらさぞかし美しいでしょうに」
「汝(なれ)の悪趣味には付き合いきれぬわ」
 マルコシアスはそう言って鼻を鳴らすと、丸太のような腕を振り上げ、拳を床に叩き付けた、
 その一撃で、撃退士達は総崩れとなる。
 更に追い討ちをかけるように、マルコシアスに付き従っていた巨大な骸骨狼が倒れた者を噛み砕き、ひと呑みにする。
「ちょっとやだ、骨はあたしにくれるって言ったじゃない!」
「ヒトの骨ならもう充分に集まっただろう」
「もう、あんたコレクターの心理ってものが全然わかってない!」
 女はマルコシアスを睨み付ける。
「あれはね、ひとつとして同じものはないのよ……ああっ、だからもっと綺麗に殺しなさいってば!」
 骨を除いた体組織を全て溶かしてしまう、イカ男の墨。
 あれは、この女が骨のコレクションを作るために開発したものだった。

 やがて数分もしないうちに、周囲に動くものの姿はなくなる。
「何匹かは逃げたか……まあいい」
 それよりも。
「我が息子達は、何故こうも出来の悪いものばかりなのか」
 また一人、死んだようだ。
 次に控えているのは、確かその中でも最も使い物にならない出来損ないだったはず。
 それ以外で生き残っているものは、まだ戦いに出せる年齢ではなかった。
「女、汝は我の子を産む気はないか?」
「やだ冗談でしょ! あたしはあんたといれば骨集めが捗りそうだから協力してあげてるだけよ。それに、名前を覚える気もない男なんて願い下げだわ」
 その言葉を聞き流し、マルコシアスは虚空に向けて意識を集中させた。
「戦いでは使い物にならずとも、我の糧くらいにはなろう」
 呟いて、心の中で呼びかける。

『我が血に連なる者よ、我がもとへ来たれ――』


 ――――――


 牧場での戦いを終えた撃退士達のもとに、血塗れの男が駆け込んでくる。
 彼はマルコシアスを抑えるために派遣された部隊の生き残りだった。

「真の姿を解放したマルコシアスは、我々の手に負える相手ではない……それに、奴の周囲では通信機器が全く使い物にならなかった……光信機さえも」
 その状態での攻撃力は通常の倍程度、更に射程や攻撃範囲も拡大されるという。
「……ただ、その状態は長くは続かないようですが……残念ながら、我々はそこまで持ち堪えることが出来ませんでした」

 今すぐに攻撃すれば、まだ勝機はあるかもしれない。
 それだけ言うと、男は意識を手放した。




リプレイ本文

 その報告は予想外のものだった。
 マルコシアスを倒せるとは考えていなかったが、ある程度の足止めなら可能と判断した上での人選――しかし。
 それが全滅したとなれば、今回の作戦そのものを考え直す必要があるかもしれない。
 ひとまずはマルコシアスが牧場を取り返そうと動く気配はなかった。
 ここは彼の気が変わらないうちに、牧場に捕らわれていた人々の救出を優先すべきと考え、上層部はその指示を現場に送る。

 だが、現場の判断は違った。

「え、まだ何かあるの?」
 一仕事を終えて帰りかけた鬼塚 刀夜(jc2355)は、ぴたりと足を止める。
「マルコ……なに君? それがラスボス?」
 ふうん、と気のなさそうな感想を漏らしつつ、刀夜は回れ右。
「なんか面白そうな事になっているみたいだから、もう少し付き合おうかな」
 イカの刺身、まだ作り足りないし?
「作っても食えないがな」
 アドラー(jb2564)が恨みを込めてバキバキと指を鳴らした。
「だが、せっかくここまで来たんだ。そうあっさり引き揚げたんじゃ勿体ないよな」
 最後まで付き合って、帰りには本物の新鮮なイカ料理フルコースを心置きなく満喫する。
「退治のご褒美として、それくらいは付けてもいいだろう?」
 そのためにも、落とし前はきっちり付けなければ。

「ここで火種を残す訳にはいかない」
 不知火藤忠(jc2194)が、宮本の肩にそっと手を置いた。
 薄いシャツを通して骨張った感触が伝わってくる。
 その足下には上着を掛けられた小さな膨らみが横たわっていた。
「元凶を潰す。それがレドゥと呂号への、せめてもの手向けだ」
 宮本が心配そうに顔を上げるが、藤忠は不動の決意をもってそれを見返した。
 余計な感傷を挟む余地はない。
「いつも通り敵を倒すだけだ。お前は章治と話す内容でも考えていろ」
「だから……章太郎さん、もう少しだけ待ってて下さい」
 不知火あけび(jc1857)が言葉を継ぐ。

 全ての元凶はマルコシアスだ。
 それを潰さなければ、また同じことが繰り返されるだろう。
 ここで追撃の手を緩める考えは、他の誰にもなかった。

 撃退士達は僅かな時間で体力を回復させ、全力で戦うための準備を整える。
 その最中に、学園から連絡が入った。


 ――――――


『ミハイル殿、大変なんだの! 門木殿が……!』
 いつになく慌てた様子の声が、ミハイル・エッカート(jb0544)の端末から響く。
「樹か――なんだ、章治がどうした?」
『門木殿がきのこ……いや、きつね憑きになったんだの!』
「……何?」
 ごめん、よくわからない。

 その少し前、橘 樹(jb3833)は騒ぎを聞きつけ、科学室に飛び込んでいた。
「門木殿、大丈夫かの!?」
「……あぁ……大丈夫、だ……」
 しかし、机の角を握り締めるようにして身体を支えていた門木の顔色は青を通り越して死人のように白く、額には脂汗が滲んでいる。
 どう見ても大丈夫ではなかった。
「倒れたら危ないんだの、ひとまずどこかに座ると良いんだの!」
「でも……呼んでるんだ」
 門木はその顔を北の方角へ向ける。
「ずっと遠くで、誰かが……」
「わしには何も聞こえないんだの」
 集まって来た他の生徒達に訊いても答えは同じだった。
 門木にだけ聞こえる、声にならない呼びかけ。
 しかも、その声が聞こえだしてから背中の痣が脈打つように痛み出したという。
「なんだか嫌な予感がするであるよ。門木殿、行ってはいけな……門木殿!?」
 考えを纏めながら僅かに目を離した隙に、門木はふらふらと歩き出す。
「門木殿、どこへ行くんだの!?」
「わからない、けど……とにかく北へ……」
「北のどこかもわからないのであろ、闇雲に向かっても辿り着けないんだの!」
 とにかく落ち着いて考えてみよう。
 北の方と言えば、思い当たるのは北海道での悪魔との戦いだが――

「……なるほど、それでこっちに連絡を寄越したわけか」
 ミハイルは端末をスピーカーモードにして、周囲の仲間達にも会話の内容を聞かせていた。
「今のところ変わった動きはないようだが……痣が痛むってのは気になるな」
 ミハイルの記憶では、門木の痣が痛むのは危険が迫っている時や恐怖を感じた時、悪魔の血を覚醒させるような要因がある時など――いずれにしても良いことの前触れではない。
『ほむ、とにかく足止めしておくのが良さそうなんだの、どうにか頑張ってみるんだの』
「部室にアルバムと日誌がある、そいつで気を惹いておいてくれ。何かわかったら連絡する」
『わかったんだの、やってみるんだの! ありがとうの!』
 通話を切って、ミハイルは北の方角を見やる。
「マルコシアスの奴が何かしやがったのか、しかし何故それで章治が……」
 いや、考えていても始まらない。
 マルコシアスは他に気を取られた状態で相手が出来る敵ではないだろう。
 今は友を信じて任せ、戦いに集中しよう。


 ――――――


 撃退士達は水路を通ってダムの地下調整池へと走り込む。
 そこは雪解けの時期など一度に大量の水が流れ込んだ時に、ダムの決壊や洪水を防ぐために作られた施設だが、今は所々に水溜まりがあるだけの広い空間になっていた。
 マルコシアスのゲートは、彼等の目と鼻の先に口を開けていた。

「これでラストよ! あたいに続けー!」
 雪室 チルル(ja0220)は当然のごとく先頭に立って飛び込んで行く。
 先の情報通り、内部には何もない。
 ぼんやりと薄暗く、距離感を測る目印になるようなものもないせいか、広いのか狭いのか見当も付かなかった。
 ただ、遠くの方に赤い光が淡く灯っている。
 その滲むような色を背に、いくつもの影が蠢いていた。
 チルルが腰に吊したソーラーランタンを点けると、影が色を纏って形を成す。


「……ネズミどもが、またぞろぞろと現れおったか……。いや、ハエだな」
 五月蠅いとはよく言ったものだとだるそうな声を上げ、のそりと現れたのは牛のような大男。
「マルコシアスか……久々に姿を見るな。と言っても、暫く見ないうちに随分と逞しくなったようだが」
 鳳 静矢(ja3856)が前に進み出た。
 姿を変えたと聞いていなければ、これがあの子供だと気付くことはなかっただろう。
 だが、これまでの姿を保っていられなくなったということは、追い詰められた証拠だ。
 この機を逃す手はない。
「東北から流れ流れて北海道、か。ビッグネームの悪魔貴族が何やってんだ」
 ミハイルが煽るように声をかける。
「よほどお偉いさんに嫌われたか。元々こっちには左遷で飛ばされて来たと聞いてるが、その様子じゃ復帰の目はないな」
 返事がない、ということは図星か。
「前置きはいい、悪はただ滅するのみ! 人間牧場事件の決着と北海道奪還の一歩として、マルコシアス、貴様を討つ!」
 雪ノ下・正太郎(ja0343)は再びリュウセイガーに変身、その全身に怒りと力を漲らせる。
「マルコシアス、ここで決着をつけさせて貰いますよ!!」
 袋井 雅人(jb1469)はびしっと指を突き付けながら、静矢と絆を結んだ。
「みんなーここはガッチリ連携を組んで戦いましょう!!」
「そうですね、個人で散発的な攻撃をしていたのでは効率も落ちますし」
 前に出たRehni Nam(ja5283)が盾を構えながら頷く。
 見たところ敵は二手に分かれているようだ。
 マルコシアスと、それに付き従う巨大な骸骨狼でワンセット。
 イカ達は数は多いものの、積極的にマルコシアスを守ろうという意識は薄いように思える。
「比重が高いのは、あの女の護衛ですか」
 しかし状況次第ではどう動いて来るかわからない。
「まずは両者を分断し、連携を取らせないことが重要ですね」
 回復の暇も、手を貸す余裕も与えずに。
 出来ればマルコシアスと骸骨狼も引き離したいところだ。


「ふむ、あちらの悪魔も気にはなるが……わしは烏賊男対応と行くとしよう」
 白蛇(jb0889)は両者を見比べ、圧倒的な数を誇る方に向き直った。
「数を抑えるは、わしの得意とするところ故な」
 喚び出されたフェンリル、雪禍が鬨の声を上げる。
 その咆吼は仲間の士気を上げ、その身体に力を分け与えた。
 ゲートの影響で目減りした分を、これで少しでも補えれば良いのだが。
「ありがとう、でもまだ減った分には足りないかな」
 刀夜は鬼の血を更に濃くすることで、剣に魅入られし鬼となる。
 それでも初見の敵に対するのは無謀かもしれないが、イカの刺身なら散々作ったし、相手の動きも身体で覚えていた。
「と言っても油断は禁物だけどね」
 大丈夫、慢心はしない。

「えー、まぁーたイカ男なのー?」
 ユリア・スズノミヤ(ja9826)は、もう見飽きた感のあるその姿を見て不満そうな声を上げた。
「イカMANの次はタコMANかと思ってたのに……」
 刺身に酢蛸、燻製、たこ焼き、寿司に丼食べ放題の夢が!
「てゆーか」
 ユリアはイカ男に囲まれた紅一点……にしては随分とアレな風貌だが、とにかく女には違いないと思われるソレを上から下まで眺め回す。
「めっちゃ趣味わるーぃ☆」
 笑っている。
 それはもうニコニコと機嫌良さそうに。
 しかし、助っ人に駆けつけた飛鷹 蓮(jb3429)には、その笑顔の裏にある感情が透けて見えた。
(「……何時も通りの微笑みを浮かべてはいるが、胸中穏やかではない空気を纏っているな」)
 蓮は知っている、この状態になったユリアの恐ろしさを。
 いや、彼ならずとも多少なりとも人の心がわかるものであれば、即座に尻尾を巻いて逃げるだろう。
 しかし、その女が人に対して極めて即物的な興味しか抱いていないことは、カラカラと乾いた音を立てて身を飾る数々の骨を見れば明らかだ。
 イカ男の墨が肉を溶かすのはつまり、このコレクションのためか。
「食べられもしない、食 べ ら れ も し な い、イカMANに汚い仕事ぜーんぶ任せて自分の手で下せない人がさぁ、コレクションとか……センスなーぃ☆」
「ユリア、趣味の悪い悪魔女にお得意の蹴りでも一発食らわしてやれ」
「言われなくてもやってあげるよーん、食べ物の恨みと、ついでに骨にされた人達の恨み、思い知るがいいー!」
 ついでなんですかぃ。


「あたいはあの邪魔な犬っころの注意を引き付けるわ!」
 チルルは骸骨狼の注意を惹こうと、ソーラーランタンを目の前にかざして振ってみる。
 魔改造の結果凄まじい光量を発するようになったそれは、薄暗いゲートの中で太陽のように周囲を照らしていた。
 しかし、本物の太陽が眩しすぎて直視出来ないように、それも目で追うには眩しすぎたようだ。
「目を逸らしてるわね、がらんどうのくせに! でも、これならどうよ!」
 このランタンには光量調節機能も搭載されているのだ!
 周囲を照らすのに充分な程度にまで光量を落とし、チルルは再び骸骨狼を呼んでみる。
「あんた何て名前なの?」
「骨っ子でいいだろ、あんなもん」
 飼い主の代わりにアドラーが答えた。
「来いよ、骨っ子。俺は犬よりも猫派だが相手しよう」
 わんこが好きそうなオモチャは持ってないけどな!
 二人の挑発に乗せられたのか、骸骨狼はカチャカチャと床を鳴らしながらのっそりと近付いて来る。
「イカばかりってのもそろそろ飽きてきたしな、土産話のネタに戦ってみ……でかっ!」
「確かに、あれだけデカいとマタギになった気分だな」
 佐藤 としお(ja2489)が頷く。
 マルコシアスの隣でお座りしていた時にはそれほど大きく見えなかったのは、主人との対比と距離のせいか。
 しかし、ここで引き下がったのでは何のために残ったのかわからないと、アドラーは自分に喝を入れる。
 気持ちよくイカ三昧をいただくための試練だと思って踏ん張れ俺。
「いいぜ、やってやろうじゃないか。ノーコンティニューでなんとかだぜ!!」
 ただし、もっぱら逃げる専門。
「ほーら餌だぞー」
 アドラーは闇の翼で狼の周りを飛び回る。
 チルルはランタンを振りかざしながら目の前を走り抜け、手を叩いて呼んでみたり。
 傍目には楽しく遊んでいるように見えるかもしれないが、当人達はわりと決死の思いだった。
 狼はうるさそうに首を振り、大口を開けて飛びかかってくる。
 図体の大きさに比べて身のこなしは軽やかで、跳躍の飛距離は思いのほか伸びた。
 としおの回避射撃に助けられつつ、二人は狼を主人のもとから引き離していく。
 マルコシアスはそれを呼び戻そうともしなかった。
「二人とも下がってください」
 充分に引き離したところで、鈴代 征治(ja1305)が声をかける。
「四ツ足で動き回られるのも面倒ですし、ここは良い子にお座りしてもらいましょう」
 周囲に広い空間が出来たことを確認し、征治は銀の十字架を高く掲げた。
「さあ、撫でてあげるからちょっと大人しくしててもらおうかな」
 彗星の雨が頭上から降り注ぐと、隙間だらけの骨の身体にも当たり所はあるらしく、その動きが僅かに鈍る。
 直後、としおがありったけの銃器を展開、その狙いを狼に集中させた。
「ペットの躾はキチンとしないといけないな」
 スナイパーライフルXG1、アサルトライフルNB9、スナイパーライフルSB-5、ガトリング砲、アサルトライフルMk13、スナイパーライフルMX27――六丁の銃器が一斉に火を噴き、狼に襲いかかった。


『ギャォン!』
 声帯もないのに、狼が悲痛な叫びを上げる。
 しかし、その声を聞いても飼い主は眉ひとつ動かさなかった。
「それはそうだろうね」
 枯れた声で、あけびが言う。
「自分の子供の事だって、道具としか思ってないんだもの」
 飼い犬が怪我をしたくらいで動じるはずもない。

「思えば彼も哀れな存在でした」
 レフニーはレドゥの最期を思い返す。
「それを生み出したこの男を討てば、悲劇の連鎖の一つは止るのでしょう」
 ただ、ひとつ気になることがあった。
 最期にぽつりと零した「お前を護れなかった」の言葉。
 今際の際に意識に上ったことを考えると、それは心底からの想いなのだろう。
 だとしたら、誰を護れなかったのだろう。
 誰を護りたかったのだろう。
「討つだけでは、連鎖は止りきらないかもしれませんね」
 何かある。
 でも、何だろう。

「言われてみれば妙だな」
 ミハイルが攻撃の手を止めないまま言った。
「以前会った時より弱い……と言うより逃げ回るばかりで殆ど反撃がない」
 いかにも強そうな見た目に反して、逆にパワーダウンしている。
 なのに、その態度からは余裕が感じられた。
「何かある……時間稼ぎか?」
 時間をかければ、何かマルコシアスが有利になるようなことが起きるのだろうか。
 いずれにしても速攻でケリを付けなければ消耗が激しくなるばかりだ。

「私がアシストするから、みんなは思いっきり暴れてね!」
 いつもの蒼いハイレグ水着に身を包んだ桜庭愛(jc1977)がアウルの力で風を操り、周囲のイカ達に強烈な一撃を叩き付ける。
 格好はリングコスチュームだが、攻撃スタイルは遠距離からの狙撃。
「だってアシストが近くにいたら巻き込みとか気になるでしょ?」
 しかし、これなら余計な気を回すことなく、攻撃だけに集中出来るだろう。

「出し惜しみしている余裕はありませんね」
 エイルズレトラ マステリオ(ja2224)は上空でヒリュウのハートを喚び出すと、いつものように一人と一匹で前後を挟む。
 しかし、マルコシアスには後ろにも目があった。
「蛇の尻尾……あれにも目があるんですか」
 いや、蛇だから熱を感じ取っているのかもしれないが、視野が広いのは厄介だ。
 おまけに蛇はただ見ているわけではなく、口から熱戦を吐いて反撃してくる。
「でも、四方全てに目が届くわけではないでしょう?」
 尻尾が三本あったら危なかったが、これならまだ残りの二方向に隙が出来る。
 自分達がヘイトを稼げば、後は他の誰かが上手くやってくれるはずだ。

「雪ノ下君、左右から挟み撃ちにしますよ!」
「わかった、全力でいくぞ!」
 雅人は奇声を発しながらフローティングシールドをぶん回し、駄々っ子パンチのごとくマルコシアスに殴りかかる。
 その攻撃を取るに足りぬものと見たマルコシアスは、反対から迫るリュウセイガーに意識を向けた。
「怒りの鉄拳受けてみろ、ドラゴンスピン!」
 ボロ布を巻き付けた腕が伸ばされ、マルコシアスの腕を絡め取ろうとする。
 しかし、それはまるで虫でも払うようにあっさりといなされた――が、それでいい。
「僕の攻撃が全てフェイクだなんて、誰が言ったんです?」
 上空から突っ込んできたエイルズレトラが一枚のカードを叩き付ける。
 マルコシアスの頭に刺さったそれは頭蓋の内部で爆発を起こし、脳に直接ダメージを与えた。
 更に両側から雅人と静矢、二人の絆を力に変えた一撃が叩き込まれる。
 脳震盪と傷の痛みで、マルコシアスの足下がふらついた。
 そこにリュウセイガーの腕が伸び、足を絡めとって地面に叩き付ける。

 その機を逃さず、あけびが周囲に靄を発生させ、藤忠は式神をその身体に絡み付かせた。
 五感を乱され足を封じられたところに追撃の八卦石縛風、そして蟲毒。
 レドゥには殆ど効かなかったバステ攻撃が面白いように決まった。
「こいつ本当は弱いんじゃないのか?」
 だから息子に強さを求め、自分の代わりに戦わせていたのではないか。
 そう思いつつ、藤忠は呪詛を込めた眼差しでマルコシアスの目を覗き込んだ。
 その眼光に怯んだ瞬間、あけびが叫ぶ。
「ラル、今だよ!」
「おう、お膳立ては整ったってか」
 あけびの後ろに身を潜めていたラファル A ユーティライネン(jb4620)が飛び出して来た。
 学園一のメカ撃退士のライフワークは悪魔の心を折る事である。
 そのためであればこそ、学園の技術屋共に体の改造を許しもしたし、ボランティアや数々の実験にも加担してきた。
 長い年月をかけて準備し、気の進まないことも我慢してきた。
 その全てはこの日のために。
 ラファルは対悪魔用決戦兵器に変形する。
 悪魔共にウォーウォー唸るKAKA偽装解除!
 インフィニティ装着!
 サイバー瞳術「ウロボロスの蛇輪眼」起動!
「くそ悪魔共おまえらのために強化してやった機械体だ、存分に味わいやがれ」
 フィンガーランチャーから撃ち出されるアウルの銃弾と共に、ラファルは突撃する。
 懐に飛び込んでゴッドラファルと化し、その分身を隠れ蓑にぼこ殴り、更には傷口からナノマシンを送り込み内側から破裂させた。

「どうだ痛ぇか? だが俺が舐めた地獄はまだまだこんなもんじゃねえ」
 身体を丸めて蹲ったマルコシアスの巨体は皮膚が焦げ、あちこちで燻って煙を上げている。
 それでも撃退士達は攻撃の手を緩めず、最大火力を叩き込んでいった。
 しかし。
 どさくさに紛れて殴る蹴るの狼藉三昧を働いていた雅人が、一段と強烈な蹴りを見舞ったその時。
 ぽろり、焦げ付いた皮膚が剥がれ落ちた。

「なるほど、同じハエでも先ほどのコバエよりはマシというわけか」
 ゆらりと立ち上がったその足下に、固くひび割れた皮膚の残骸がパラパラと落ちる。
「だが所詮はハエだ、我の周りを五月蠅く飛び回るだけの、な」
 焦げた皮膚を払い落としたマルコシアスには、僅かな傷跡さえ残されていなかった。
「東北の時とは御互い違う……と言った所かね」
 静矢が不敵な笑みを浮かべる。
「再生、か。しかし不死身というわけでもあるまい」
 回復量にも限度はあるはずだ。
 それを越える攻撃を、休みなく叩き込み続ければいい。
「とにかく手を休めないことですね」
 レフニーが言った。
 大技でなくとも、ダメージさえ入ればマルコシアスは回復に手を取られざるを得ない。
 それはつまり、攻撃に回す手を封じるということ。
「体力を温存すれば粘り勝ちに持ち込めます」
 骸骨狼やイカ男を相手取る仲間達も、片付き次第こちらに合流するだろう。
 そこから一気に畳みかけるためにも、今は暫く耐えることが必要だ。


 ――――――


「……シャヴィくん……こないの、ですね……」
 その少し前、茅野 未来(jc0692)は校門の前に立って不安げに空を見上げていた。
 何となく思い立って、一緒に遊びたいオーラを送ってみたものの――いつもなら何故か通じるその思いが、今日は届かない。
 具合でも悪いのだろうか。
 それとも魔界に呼び戻されてしまったのだろうか。
 不安と心配が膨れ上がったところに、緊急招集のアラートが鳴った。
「ほっかいどう……えんぐんを、ぼしゅうしてるの……ですね」
 厳しそうな戦いだ。
 普段なら、他の誰かに任せて応援に回るだろう。
 しかし何故か、自分が呼ばれている気がした。
「なんだか、いやなよかんがするの、です……」
 行かなかったら、もう二度とシャヴィに会えなくなる。

 その予感は的中した。


 ――――――


「彼がマルコシアス……」
 闇の翼で宙に舞ったユウ(jb5639)は、上空からその姿を見下ろす。
「皆さんが戦いに集中出来るよう、邪魔なディアボロは食い止めなくてはいけませんね」
 今のところ、マルコシアスの周囲に目立った数の敵はいない。
 申し訳程度の護衛としてイカ男が何体か貼り付いていたが、そちらは既に白蛇が動いていた。
「数を減らすのも重要じゃが、まずは邪魔をさせぬ事が一番じゃろう」
 白蛇は雪禍に命じて、マルコシアスを守るように動くイカ達に突進させた。
 次々と薙ぎ倒され、吹っ飛ばされたイカ達が体勢を立て直そうとモタモタしているうちに、上空からユウが放った影の刃が降って来る。
 その一撃で、マルコシアスはイカの群れから完全に切り離された。

「ねぇマルコ、あたしの助けが必要かしら?」
 イカ男の青いコートがひしめく波間から、妙に艶っぽい声が響く。
「今までに貸した分も合わせて、もうけっこうな貸しが出来てるけど……もっと欲しいなら貸してあげてもいいわよ?」
 声の主は骨の装飾を身に纏った女。
 どうやらマルコシアスは手助けを拒んでいるようだが――

「どちらにしても、あの数は脅威ですね」
 邪魔されないうちに片付けてしまおうと、ユウは仲間達に近い位置に固まっているものを狙って上空から三日月の刃を踊らせた。
 手当たり次第に切り刻まれ、ブツ切りの山を築いていくイカ男達。

 ある程度数を減らしたところで、地上の仲間達が走り込んで来た。
「イカの刺身、お代わりはどう?」
 刀夜はもうすっかり慣れた様子でイカの触手を翻弄しつつ本体に迫る。
 正面の敵は鉄をも断ち斬る一撃で頭部を輪切りにし、左右から襲い来るものは二体まとめて返り討ち。
 そうしながら、ちらりと悪魔女に視線を投げてみる。
 代わり映えのしないイカ達よりも、そちらのほうが仕留め甲斐がありそうだった。

「ユリア、あの女に話があるんだろう?」
 手近なイカに銃撃を浴びせつつ、蓮が声をかける。
 話と言っても、そこで使われるのは言葉ではないだろうが。
「存分に話し合って来るといい、道は俺が作る」
 蓮は時に弾丸となり、時に盾となって、先導するようにイカ男の壁に穴を開けていく。
「ありがとねん☆」
 その後ろから続いたユリアは残ったイカ男を扇で薙ぎ払いつつ、フレイムシュートどーん!
「ごめんねー、イカ焼きは前回ので飽きちゃったから今回は丸焼きとぶつ切りで……って一緒かぁ」
 そしていよいよ、悪魔女とご対面。
「ねぇ、知ってる?」
 爽やかな、しかし決して笑っていない笑顔を作り、ユリアは女に話しかけた。
「死者を……遺体を弄ぶのは冒涜なんだよ?」
 イカ焼きの炎から一転、氷の錐がその手から放たれ、女の胸元を穿つ。
「いったぁーい! ちょっと何すんのよ!」
 女はカラカラと音を立てる不気味な杖を振り上げた。
 その先端から犠牲者達の怨嗟を凝縮したような、ドロリとした靄が溢れ出す。
 しかし、ユリアはそれをマジックシールドで受け流し、更に一歩、前に詰め寄った。

 パァン!

 閉じた扇が、女の頬に炸裂する。
「逃げたいなら逃げてもいいよん、逃がさないけどね?」
「……っ!!」
 頬を抑えた女は瞳に怒りを燃え立たせた。
 しかし次の瞬間、炎は消え、愉悦の色が広がっていく。
「あんた達、もう終わりね」


 その姿を最初に見付けたのは天宮 佳槻(jb1989)だった。

 マルコシアスとの戦いが始まった直後、佳槻は上空に飛んで敵の配置を確認する。
 イカ男が分厚く壁を作ったその真ん中あたりに、見たことのない女の姿。
 更にその向こうには、ぼんやりと赤く光るコアがあった。
 その周辺を守る敵は、今のところ見当たらない。
 ただ、定期的に赤い光が強くなる度に、コアからは何体かのイカ男が生まれ出ていた。
 コアとマルコシアスの間は100メートルほどだろうか。
 佳槻の耳に仲間達の会話が届く。
「マルコシアスは何かを待っているのか?」
 だとすれば、それが現れるのはゲートの出入り口か、それともコアか。
「いや、真っ当に出入り口から来られるはずもないか……」
 この戦いや牧場からの救出に余計な邪魔が入らないように、外は残った撃退士達で固めてある。
 ならばコアを見張っておけば、その何かはマルコシアスよりも先に見付けられるだろう。
 どう対処するかは、それを確認しないことには決められない。
「出て来るのが敵とは限らないしな」
 ひとまずはマルコシアスをコアに近付けないこと、それに周辺の見晴らしを良くしておくこと。
 相手が救助対象なら、イカ男が邪魔になる。
 佳槻はまずマルコシアスに近い場所に群がっているイカ男達の群れに向かって稲妻を撃ち落とした。
 コア狙いと見られ、余計に周囲を固められてしまうことがないように場所を変えながら、二発、三発。
 焼き払ったところに鳳凰を突っ込ませ、引っかき回し、上から護符で攻撃を加えていく。

 コアの光が何度目かに強くなった、その時。
 現れたのはレドゥと同じくらいの年頃に見える少年だった。
「あの子は……」
 確か、何度か見かけたことがある。
 クリスマスには、撃退士の女の子と一緒に飾り付けやパーティを楽しんでいた。
 その子も今ここにいるはずだと、佳槻は上空から姿を探す。


「そう言えば、学園で何か騒ぎがあったね」
 高野信実(jc2271)は斧槍でイカ男を薙ぎ倒しながら、コアをちらりと見た。
「先生が何かに取り憑かれて、おかしくなったとか何とか……」
 いや、誰かに呼ばれていたのだったか。
 招集があってすぐに駆けつけたから、そちらの様子にはあまり詳しくない。
 けれど仲間達の会話から察するに、それがここでの戦いに関係している可能性があるらしかった。
「もしかしたら、あのおおきなあくまのひとが、よんだのかもしれない、です……」
 何か変わったことはないかと周囲に気を配りながら、未来が答える。
 その視界の隅で、コアの光が赤く膨れ上がった。
 またイカ男が増えるのだろうかと、未来はそちらに注意を向ける。
 しかし。

「シャヴィくん……!?」
 現れたのは、未来がよく知る少年だった。
「未来ちゃん、知ってる子……っと、危ない!」
 そちらに気を取られた未来は、イカ男の触手が迫っていることにも気付かない。
 それを斧槍で払いのけた信実は、未来の表情から必要な情報を読み取った。
 二人が友達であること、あの少年が場違いな存在であること、このままでは何か悪いことが起きる予感。
「助けないと」
 しかし彼我の間には多くのイカ男達が壁を作っている。
 彼等は少年を仲間だと思っているのか、とりあえず危害を加えることはなさそうだが――
「あの子のところに行きたいんだね、私に任せて!」
 飛び込んできた愛が防御を固めつつ、希望のルーンをイカの壁に投げ付ける。
 弾け飛んだ光の槍に思わず怯み、イカ達は触手を引っ込めた。
 その隙に背面から体当たりを仕掛け、壁を一気に突き崩す。
 起き上がろうとしたイカ男にロメロスペシャルを喰らわせて、愛は叫んだ。
「ここは抑えるから、行って!」
 イカ男の足に関節はなく、ぐにゃりとした感触が伝わってきたけれど……一応、形になればそれでよし。
「愛先パイ、あざっす!」
 礼を言い、信実は残った敵を斧槍で蹴散らして少年までの道を作った。
 その後ろから飛び出した未来が少年に駆け寄る。

「なんでシャヴィくんがここに……っ」
 未来の問いに少年は寂しそうに笑い、一言「ごめんね」と呟いた。
 その瞳にマルコシアスの姿が映っている。
「どうして……どういうこと、です……? あの、あくまのひと……」
「僕の、父さん」
 その姿に視線を据えたまま、シャヴィは答えた。
「呼ばれたんだ、父さんを強くするために……出来損ないの僕は、それくらいしか役に立たないから」
 その言葉に未来が反応する前に、それは起こった。


「来たか」
 マルコシアスがコアの方角に顔を向ける。
 直後、何の前触れもなく中空に放電が起こり、避けようのない衝撃が撃退士達を襲った。
 予備動作はない、少なくとも目に留まるような動きはなかった。
 更にその正面に位置していた静矢に向けて雷撃を放つ。
 こちらは狙った場所に視線が向く分だけ、避けることはいくらか容易かもしれない。
 とは言え殆ど不意打ちに近いその一撃は受け止めるだけで精一杯、相殺しきれなかった衝撃が身体を突き抜ける。
(「ゲート内と言う事を差し引いても……十分備えねば回避は難しいか?」)
 今はまだ能力が落ちた状態であるはずなのに、この威力だ。
 避けきれず戦いが長引けば、やがてジリ貧になるのは目に見えている。
 そうなる前に片付けたいのだが。
「肩慣らしは終わりだ」
 攻撃の結果を確かめもせずに、マルコシアスは悠然と歩き出す。
 目の前にあるものを全て、敵も味方も見境なしに、一直線に走る稲妻で薙ぎ倒しながら。
 彼が魔界に居場所を失った最たる要因が、この味方を味方とも思わない自分本位な行動原理だった。
「どうやら、改めるつもりは毛ほどもないらしいな」
 体勢を立て直し、リュウセイガーが吐き捨てる。
 その耳に、あけびと藤忠の声が飛び込んできた。
「シャヴィ君!?」
「シャヴィ、何故ここに!?」
 二人ともその姿は何度か見かけたことがある。
 だが、戦場で顔を合わせるのは初めてのことだった。
「よくわからんが、このまま放っておいたら良くないことが起きるってことだけはわかるぜ」
 ミハイルはシャヴィの腰に必死でしがみついている未来の姿をちらりと見る。
「一気に畳みかけるぞ」
 五丁の銃が幻影となってミハイルの周囲に現れた。
 アサルトライフルAM5、カルタゾーノスC28、魔銃フラガラッハ、スナイパーライフルXG1、PDW SQ17――それぞれの銃に施された意匠が、まるで現身のようにマルコシアスを取り囲む。
「古の勇者、神々、猛る獣、悪しき化け物を食らい尽くせ!」
 軍神に一角獣、魔剣、黒き隼、隻眼の老騎士、その攻撃が嵐のように襲いかかった。
 それに呼応して静矢が紫鳳凰天翔撃を放つ。
「何を企んでいるか知らんがさせる訳にはいかんな!」
 絡み合う明暗の紫炎が鳳凰の姿となって刀身から飛び立ち、マルコシアスに襲いかかった。
 しかし、それでも僅かに眉を動かしただけで足を止めるには至らない。

「どれだけタフなんですか! まさに見た目の通り――」
 ぴたり、二人の全力攻撃にも止まらなかったマルコシアスの足が、雅人の一言で動きを止めた。
「まさに、何だ? 我の見た目が何だと?」
 高みから見下ろす視線に、怒りと苛立ちが滲む。
「あ、いえ、パワフルな重戦車のようだと感心した次第ですよ! 敵ながら天晴れ、倒し甲斐があるというものです!」
 だが、その答えはお気に召さなかったようで、いきなり目の前に岩のような拳が飛んで来た。
「うわっ!?」
 間一髪、転がるように避けた雅人に向かって、今度は雷撃が襲いかかる。
 それはアウルの鎧をまとったレフニーが間に入って受け止めたが、それが気に食わなかったのか今度は広範囲に防御不能の雷が落ちた。
「どうやら煽り耐性は低いようですね」
 癒しの光を周囲に投げかけながら、レフニーはまるで手に負えない駄々っ子を見るような目でマルコシアスを見た。
 魔界一の科学者を自称する彼にとって、いかにも脳筋といったこの姿は屈辱的なまでに耐えがたいものであるらしい。
「許さぬ、我にこのような姿をさせたハエどもめ……血の一滴も残さず握り潰してくれるわ!」
「いやいやいや、私達が来る前からその姿でしたよね!?」
 濡れ衣だと、雅人が超高速で首を振る。
「しかも握り潰すとか、結局は脳筋だって自分で認めてるようなものですし」
 エイルズレトラが鼻で笑った。
 傍ではハートが空中でひっくり返り、腹を抱えてキィキィと声を上げている。
 弱点を見付けたなら、それを突かない手はない。
 芸達者なハートは更に、怒ったマルコシアスの真似をしてみた……つもりなのだろう、あまり似ていないけれど。
 似ていないことが余計に彼を苛立たせたが、それでもまだ冷静さを残していた。
 いや、逆に冷静さを欠いていたと言うべきか。
 彼がこれからやろうとしていることは、理性をかなぐり捨てた更なる脳筋化なのだから。


「何をしようとしていたのかは大体察しがつきますが、あんまりこちらが嬉しくないようなことは見過ごせませんね」
 骸骨狼の相手をしながら、征治はちらりとマルコシアスを見る。
 狼のほうも主人のもとへ戻りたいのか、盛んにそちらを気にしていた。
 しかし、その鼻先に征治のディバインランスが突き付けられる。
「おっと、そっちに行っちゃあ駄目だよ!」
 それでも言うことを聞かない狼に、征治は躾と称して痛烈な一撃を加えた。
 鼻先の骨が砕けるほどの衝撃に、狼は転がるように後ろに下がる。
「よーし良い子だ」
 もっと撫でてあげよう、この槍で。
 今はとにかく、向こうの邪魔をさせないこと。
「もう少し離れたほうがいいかな?」
 鼻先にもう一撃、更に遠くへ弾き飛ばす。
 上空で待ち構えていたアドラーが真上から闇の力を叩き込み、としおは鋼鉄の装甲さえも溶かすと言われるアウルの銃弾をぶち当てた。
「骨粗鬆症には注意しないとね、スカスカの骨じゃ良いスープは取れないし」
 腐敗の効果を与えたところで総攻撃に移る。
「いくわよ、あたいに続けー!」
 チルルはお馴染みのブレない真っ正面からの突撃で狼の注意を惹いた。
 氷結晶を目の前にかざして盾にしながら、まずは氷砲『ブリザードキャノン』で風穴を開ける。
「元から風通しは良かったけどね!」
 撃ち尽くしたら氷静『完全に氷結した世界』で時間を止めて連続攻撃。
 その間にとしおは脇から牽制し、征治は背後に回って逃亡を阻止、アドラーは上空で世界の武器書を開く。
「ゲート・オブ・バビ……以下自粛!」
 その猛攻に、狼の前足が一本砕け散る。
 背骨や肋骨にもヒビが入っていた。
「トドメよ、みんな一斉に! あたいに続けー!」
 ここでもやはり先頭を切るチルルは、やはり真っ正面から氷剣『ルーラ・オブ・アイスストーム』を振りかざす。
「主には足止めだけど、攻める時は攻めるのが肝要だよね」
 倒してしまえば足を止める必要もないと、征治は左腕に光のオーラを、右腕に闇のオーラを纏わせる。
 元を辿ればチルルの氷剣と同じ技だが、こちらは基本に忠実なスタイルだった。
「これで最後にしようか」
 としおはスナイパーライフルの銃身に蒼い光を放つアウルを溜める。
「なあ、まさかここまでは奴の攻撃は届かないよな?」
 アドラーはドキドキしながら戦斧を振りかざした。
「いくわよ、せーの!」
 四人の一斉攻撃に、狼は乾いた音を立てて崩れ落ちる。
 後に残ったのは、無造作に積み上げられた骨の山だった。


「シャヴィくん、いっちゃだめなの、です……っ」
 未来はどこにこんな力があったのかと自分でも驚くほどの力を込めて、シャヴィにすがり付いていた。
「まわりでみんなたたかってるの、です……こんなとこにいたら、しんじゃうの、ですよ……!」
 戦闘能力、ほぼゼロ。
 流れ弾にでも当たれば、本当に一撃で命を落としかねない。
 だが、シャヴィはゆっくりと首を振った。
「僕は行かなきゃいけないんだ。レドゥはもう、いないから」
「え……?」
「レドゥがいてくれたから、僕は今まで好き勝手が出来た。おかげで未来ちゃんにも会えたし……楽しかったよ。でも、もう……おしまい」
 にっこり笑った表情が、とても苦しそうに見えた。
「なんで……わかんないの、です……たからもの、てにいれたらおしえてくれるって……まだきいてないの、です………」
「そうだったね。宝物は、もう見付けたよ。僕の宝物は――」
 しかし、未来は両手で耳を塞ぎ、首を振った。
「きこえないの、です……っ!」
 聞いてしまったら、それが最期の言葉になってしまいそうで。
 けれど、耳を塞げば両手はシャヴィから離れてしまう。
「みんな、逃げたほうがいいよ。あの人、僕を食べて……ものすごく強くなるから。僕はそのために呼ばれたんだ」
 そっと離れて、シャヴィは言った。
 そこに電撃が襲いかかる――が、上空からそれを察知した佳槻が割って入る。
 透明な盾に反射して、雷の一部がマルコシアスに跳ね返った。
「どういうつもりだ、聞けばこの子は息子のようだが」
 しかもシャヴィが言ったことが本当なら、自身の力を増幅させるために必要な存在であるはずだ。
 しかし、マルコシアスは返事の代わりにもう一撃、今度は雷の槍を放つ。
 進路にあるもの全てを巻き込む貫通攻撃は盾でも防ぎきれず、シャヴィは未来もろとも僅かの加減もないその一撃をまともに受けた。
「新鮮であれば死体でも構わん」
 むしろ死んでくれたほうが、余計なことを言いふらされる危険が減る。
 マルコシアスは彼の名前も知らないし、覚える気もなかった。
 面影に見覚えすらないが、自分の呼びかけに応えたのなら、どこかで作った息子の一人なのだろうという、その程度の認識。
「出来損ないでも一時凌ぎの栄養剤程度にはなるであろう」
 その言葉に、肉親の情は微塵もなかった。

「来い!」
 マルコシアスの命令にシャヴィの身体は硬直し、足が勝手に動きだした。
 もう、自分の意思で逆らうことは出来ない。


 ――――――


「門木殿、しっかりするんだの!」
 不良中年部の部室であるプレハブ小屋まで引きずるようにして連れて来た樹は、継ぎ接ぎのソファに門木を座らせた。
「ちょっと待つんだの、今いいものを見せるでの!」
 ミハイルとあけびから聞いた通りの場所で不良中年部の日誌とアルバムを見付け、樹はいそいそと門木の隣に座る。
 膝を寄せ、その真ん中にアルバムを広げた。
 最初に張ってあるのは部室が出来た当初の写真だ。
「この頃はまだ、ミハイル殿はちょっぴり怖かったんだの」
 と言っても、それは写真で見る限りの印象。
 実際は昔からピーマン嫌いのプリンスキーで、ネタを振られれば応えずにはいられないハーフボイルド。
 恋人が出来てから随分と丸くなったのは確かだが、ノリは基本的に変わらない気がする。
「文化祭懐かしいの! 鍋の被害者続出に震えたであるよ……」
 それは多分に具材のチョイスに問題があったせいだという気がしてならないのだが、キノコ鍋にしようと言ったのはどこの誰だったか。
 タマゴテングタケとかコレラタケとかオオワライタケとか。
「そう言えばキノコの着ぐるみで店番をしたっけ……」
 話を聞くうちに気が紛れてきたのか、門木は次第に話に乗ってくる。
「着ぐるみの写真は見当たらないな」
「ほむ、そうだの……」
 記念写真は撮ったのか撮らなかったのか、その辺りの記憶が少し曖昧になっているのは、キノコ鍋のカオスの影響だろうか。
「島の廃墟を探検したのも、もう去年のことになるんだの」
「あれはまだ、続きがあった気がするな」
 卒業までにもう一度行けるだろうか。
「門木殿の結婚式も凄く素敵だったの!」
「ん、ありがとう……次はミハイルの番だな」
 そうして思い出に浸ったり、近い将来のことに思いを馳せてみたり。
「わし部の皆が大好きなんだの」
 閉じたアルバムを大切に抱えるようにして、樹がしみじみと呟く。
「門木殿とも出会えてよかったんだの」
「なんだ、突然」
 そういうの照れるんだけど。
 うれしはずかし、でも言われたからには返さねばなるまい。
「……うん、俺も……」
 しかし、最後まで言うことは出来なかった。

 北海道でシャヴィが身体の自由を奪われた、その同じ頃。
 何の前触れもなく、門木は立ち上がった。
「行かないと……」
「門木殿!? どこへ行くんだの!?」
 せっかく落ち着いたと思ったのに。
「わからない、でも……さっきより強くて……足が、勝手に……っ」
「門木殿っ!」
 よろめきながら歩き出した門木の前に回り、樹は身体ごとぶつかっていった。
 その衝撃で、二人はソファに倒れ込む。
「行ってはいけないんだの、辛抱するんだの!」
 樹は暴れる門木にのしかかり、全体重をかけて押さえつけた。
「今みなが戦ってるから一緒に待ってて欲しいんだの」
 わけのわからない呼びかけに抗うこと。
 友を信じて待つこと。
「それがわしらの戦いなんだの!」
 彼らならきっといい結果を導いてくれるはずだから。
「……戦い……、そうか、そうだな……」
 待つことが戦いなら、門木はいつもそうしてきた。
 一度くらい華々しく活躍してみたいと、思わないこともないけれど。
「みなが無事帰ってきたら一緒に出迎えるんだの」
「……わかった……」
 相変わらず背中は痛み、巨大な掃除機で吸われるような引力を感じる。
 しかし、どうにか踏ん張れそうだ。
「……わかったから……降りてくれない、かな」
 誰かに見られたら誤解されそうな体勢なんで、うん。


 ――――――


「……ぅ……あぁぁああああっ!!」
 突如、叫び声が辺りに響く。

「……まーくん?」
 悪魔女に詰め寄っていたユリアは、思わず声のした方角を見た。
 今の声は確かに信実のもの、彼に何かあったのだろうか。
「だいじょぶかにゃ……」
 しかし、気を逸らした一瞬の隙を突いて、女は踵を返す――が。
「逃げられると思った?」
 その行く手を六本腕の鬼が塞いだ。
 それぞれの手に光る刀が一斉に振り下ろされたと、そう錯覚させるほどに素早い斬撃が繰り出される。
 実際に手応えがあったのは四回、そのうちの一太刀は女が持つ趣味の悪い杖を真っ二つに叩き切っていた。
「いやあぁぁぁっ!」
 女は自らも血を流しながら、杖のために慟哭する。
「ホネスキーもそこまで来ると立派なもんだね、褒めてないけど」
 力を出し切った攻撃の後で身動きが取れなくなった刀夜は、それを悟られまいと余裕の態度を見せる。
「僕の攻撃を凌いだことは褒めてあげるよ、次で仕留めるけどね。だから記念に、名前を教えてくれないかな……ほら、よく言うでしょ、墓を建てるのに墓碑銘がなくては困るだろうって」
 それは大抵、悪役の台詞だけれど。
 女は何も答えずに、折れた杖を大事そうに抱えて刀夜の脇を抜けて行こうとする。
 しかし、その足は数歩も行かないうちに動きを止めた。
 足下に炸裂するアウルの銃弾、見上げれば手の届かない遙か上に黒蝶が舞っている。
 それはエクレールCC9の銃口をぴたりと急所に向けた、ユウの姿だった。
「ね、ねえ、ちょっと待ってよ」
 不利を悟った女は自分を狙う撃退士達に呼びかけた。
「あんた達、あいつのこと知りたいんでしょ? 教えてあげるから見逃して!」
 答えを聞く前に、女は勝手に喋りだす。
「あいつスタミナないけど体力バカなの、だから一気に攻撃して後は守りながらスタミナ回復させてるのよ。つまり煽って暴れさせるのは正解ってこと。体力あるから効いてるように見えないけど、そろそろ焦り始めてるから」
「ふぅん、他には?」
 ユリアの問いに暫く考え込んだ女は、「あたしもそれ以上は知らないわ」と肩を竦めた。
「でも、これって結構お役立ちでしょ? だから見逃し――」
「うみゅ、助かったにゃ。ありがとねん☆」
 それはそれとして。
「逃がさないって言ったよね?」
 ユリアが放った氷の錐が女を貫いた。
 女が「信じらんない何コイツ」とでも言いたげに目を見開いた直後、復活した刀夜が再び六本腕の鬼となる。
 六つの剣閃がその背に舞い、女は今度こそ膝を折った。
「名前、聞きそびれたけど……まあ良いか」
 気を失っただけで、まだ息はあるようだ。
 昨今の流れでは命まで奪うのはやめたほうが良さそうだし、然るべきところに引き渡して裁きにかけたほうが、お仕置きとしては素敵なことになりそうだし。
「簡単に終わらせちゃ勿体ないよね」

 数を減らし、主人を失っても、イカ男達は戦いをやめなかった。
「やれやれ、頭を失えば戦意も失せようと思うたのじゃが」
 創り主をさっさと見捨て、彼等はマルコシアスに鞍替えしたらしい。
「まったく、節操のないことよ」
 一抹の虚しさを感じつつ、白蛇は新たな主人を守るべくぞろぞろと移動を始めた彼等の前に立ち塞がる。
「ここを通すわけにはいかんのう」
 雪禍が吠え、突出した一団を体当たりで薙ぎ払った。
「ご苦労じゃったのう、おぬしは暫し休んでおれ」
 腕輪を外し雪禍を還すと、得物をスナイパーライフルに持ち替える。
「ここから先は量より質じゃな」
 安全な場所に腰を据えると、白蛇は仲間の邪魔になりそうなものから一体ずつ確実に仕留めていった。


「子どもはっ! 親の所有物じゃなああい!」
 シャヴィの進路を塞ぐように立ち塞がった信実は、マルコシアスを見据えて叫んだ。
 脳裏に蘇る、自分と父との関係。
 まるで自分の過去を見るようで、喉が詰まりそうになる。
 ぎゅっと縮んだ気道をこじ開けて、信実は背中に庇った少年に向けて語りかける。
「理不尽なことには従わなくたっていいんだよ、たとえ相手が実の親でも」
 それは、かつての自分に言ってやりたかったこと、かもしれない。
「どんなに酷いことされても、親は親だよね。理屈じゃなく、本能で従うように出来てるのかもしれない」
 でも、違うんだ。
「離れたって大丈夫なんだよ。親も、自分も、離れたって生きていける」
 信実はゆっくりと振り返り、シャヴィを見た。
「だからこれから……君は君の為に生きてほしい。ねえ、君が生きたい場所はどこ?」
 手を差しのべながら、信実は少し恥ずかしそうに小さく笑みを浮かべる。
「俺も学園に来るまではずっと父さんの存在に縛られてたから、偉そうな事言えないんだけどね」
 でも、だからこそ、黙って見過ごすことは出来なかった。
 知ってしまったら、放っておけなくなった。
「行こうよ、君が君でいられる場所に」
 差し出された手は動かない。
 シャヴィが握り返すまで、きっといつまでもそこにあるだろう。
「こっちにいたいって、いってたの……いなくなっちゃいや、です……っ」
 追い付いた未来が再び後ろからしがみついてくる。
「でも、僕は……っ」
 シャヴィは迷っていた。
「僕は今までレドゥに生かしてもらってたんだ。レドゥだって、やりたいこと……いっぱいあったのに。僕だけが自由に生きるなんて、出来ないよ……!」
「では、とりあえずこうしませんか」
 佳槻が声をかける。
「シャヴィさんの葛藤はひとまず置いて、今だけは守らせてもらえないでしょうか。このタイミングでマルコシアスにパワーアップされれば、僕達みんながとても危険なことになります」
 奴に力を与えるわけにはいかない。
 それに何よりも、シャヴィを守りたいという二人の想いを尊重したかった。
「自分のためではなく、誰かを助けるためだと考えませんか。そのためなら、ここは逃げても良いのではないでしょうか」
 そう言われて、シャヴィは自分にしがみついている未来を見た。
 未来もそう強いわけではない……と言うより、既にかなりボロボロになっている。
 守りたいと、思った。


「彼の心は決まったようだな」
 シャヴィの様子を見て、リュウセイガーが満足げに頷く。
「残るは貴様ひとりだ、マルコシアス」
 だが、悪魔はまだ余裕の表情を崩さなかった。
「部下も子供もコマ扱い、誰もお前に味方しない、それで勝てると思うのか」
 ミハイルが問いかけるが、マルコシアスは何も答えない。
 こちらをとことん見下しているのだろう、対話をする気は全くないようだ。
「あの子、レドゥの弟だったんだ」
 あけびが呟く。
 もう少し早く知っていたら、何かが違っただろうか。
 いや、変わらなかった気がする――この男が彼等の父親である限り。
「レドゥや呂号を手に掛けたのは私達だよ。だけど……だからこそ貴方は必ず斬る」
 あけびは腰の刀を抜き放った。
 子供に危険が迫っていたら、何を置いても助けに来るのが親の情ではないのか。
 なのに、この男は助けに来なかった。
 息子の死を知っているはずなのに、その表情には僅かな動揺も見られない。
 それどころか、もう一人の息子まで自分のために殺そうとしている。
 家族が全て仲が良いわけではないことは知っている。
 血の繋がりよりも強い絆があることも。
 けれど、これは……あんまりだ。
「マルコシアス!」
 あけびは堂々と宣言した。
「目を背ける事は許さない! このサムライガールが相手だよ!」
 その背に眩い光が溢れ、白い翼の幻影が現れる。
 背中に師匠の存在を感じ、あけびは臆することなく悪魔の目を見据えた。
 その眼力に圧倒されたのか、僅かの間ではあったが、マルコシアスの視線はあけびの上に留まる。
 他から注意が逸れたその時を狙って、藤忠は背後から不意打ちを仕掛けた。
「息子を食おうとするとは、どこまでも下種だな……!」
 式神が巨体に絡み付き、その動きを止める。

 マルコシアスとの間に張られていた引力の糸が切れ、シャヴィはしがみついていた未来を巻き込んで後ろに転がった。
 業を煮やしたマルコシアスは待つのをやめ、呪縛を振り切って自ら回収に動こうとする。
 その前にあけびが立ち塞がり、翼のように両腕を大きく広げた。
「私を見なさい!」
 未だ残る後光のせいか、消えたはずの幻影と相俟って、その背には四枚の翼が輝いて見える。
 藤忠は残った全ての技を使って、その動きを止めようとした。
 だが現在はその地位を剥奪されているとは言え、マルコシアスは高位の貴族階級。
 不意打ちでは効果があったものの、迎撃態勢を整えた後ではその身体はおろか、意識を繋ぎとめることさえ出来なかった。
 マルコシアスは鬱陶しそうに鼻を鳴らすと、周囲の撃退士達を払いのけるように翼を広げる。
 あけびが纏う白い光をかき消すような、黒く大きな闇が視界を覆った。
 しかし。
「残念だったな、そんな動きは予測済みだ」
 ミハイルがその身体に赤と黒の鎖を絡み付かせ、地上に縫い止めようとする。
 その鎖はあっけなく千切れて消えたが、代わりに物理的な衝撃がマルコシアスの足に加わった。
「ここから動いてもらっちゃ困るんでな……!」
 見れば藤忠が組み付いている。
 なりふり構ってなどいられない、泥臭くても格好悪くても、目的さえ遂げられればそれでいい。
「なるほどな、物理的な重さなら俺の右に出る者はねーぜ!」
 もう片方の足にラファルが組み付いた。
 その身体は殆どが機械部品、普段は年相応の女の子として標準的な範囲に収めているが、偽装を解除すれば重さもパワーも人としての限界を軽々と超える。
 ただ長続きしないのが難点だが、続かないなら切れる前に潰せばいい。
「こいつにひいひい言わせる役目は譲ってやるぜ、最後にぶっ殺すのは俺だけどな!」

 マルコシアスの注意が下に向いたところで、頭上からトランプの兵隊達が降って来る。
 彼等は頭や肩に降り注ぎ、手にした槍で適当にチクチクと突き刺しては雪のように消えていった。
「多分こんなのは蚊に刺されたほどにも感じないのでしょうけど」
 新たな兵士を生み出しつつ、エイルズレトラが嗤う。
「たかが虫刺されと思ってると、わりと酷い目に遭うんですよねぇ」
 その嫌がらせのような攻撃の合間にも、他の仲間達が次々に重い一撃を加えていた。
「鳳君、もう一度行けますか?」
「ああ、大丈夫だ」
 雅人と静矢は両側から挟み込んで再びの絆・連想撃。
 それを凌いで僅かに気を緩めた瞬間に、レフニーが放った千枚通しが突き刺さる。
 分厚く毛深い胸板に青い薔薇の花弁が美しく渦巻く様子は、何か見てはいけないものを見てしまったような、えも言われぬ背徳感を漂わせていた。
「ここが年貢の納め時だ、もっとも貴様の収めた年貢など受け取る気にもなれんが」
 リュウセイガーは修羅の如き力を拳に乗せて、必殺の萬打羅を叩き込む。
 悪魔と言えど、その倫理観は人とさほど違ったものではない――それは友人達から学んだ。
 だから、この悪魔は個人として外道なのだ。
 純粋な悪というものがこの世にあるとすれば、それは目の前にいるこの男のような姿をしているのだろう。
「閻魔の前に俺が裁く、地獄へ落ちろ!!」


 転がった未来とシャヴィを信実が助け起こす。
「二人とも大丈夫? 動ける?」
 仲間の猛攻を受けているせいか、マルコシアスからの引力は切れたままだった。
「あいつの手が届かないところに逃げよう、ひとまずはこのゲートから出るよ」
「ありがとう、えっと……」
「俺は信実、よろしくね。でも詳しい自己紹介は後だ」
 支え合いながら立ち上がった二人を背中に庇いつつ、信実は出口までの安全なルートを探す。
 新たな主人の命を受けたのか、周囲にはまだ残っていたイカ男達が集まり始めていた。
 信実は得物をピストルに持ち替え、空いた片手でシャヴィの手をとる。
 シャヴィは未来の手を引いて、三人はなるべく壁が薄いほうへ向かって走った。
 しかし一丁の銃では敵の数に抗しきれない。
「俺が食い止めるから、二人は先に行って!」
 信実が再び得物を持ち替え、CRを上げて殲滅モードに切り替えようとした、その時。
 目の前に黒蝶が舞い降りた。
 その周囲に淡い闇が広がり、イカ男達を凍り付かせていく。
「今のうちに早く!」
「ユウ先パイ、恩に着るっす!」
 それでもまだしつこく追いすがるイカ男達は、愛が盾となって食い止めた。
「もう少しだから頑張って、外に出ればもう安全だから!」
 その声に背中を押され、三人は転がるように出口へと急ぐ。

 ただ、事情を知らない外の人達は、シャヴィの姿を見て何と思うだろう。
 事前に了解を得ようと思っても、この場所ではあらゆる通信が遮断されている。
(「念のため、フォローしておくか」)
 佳槻は上空から先行し、周囲の敵を片付けながら三人を待った。


(「俺は天魔自体にも戦うことに関しても思い入れはない」)
 手近な範囲のイカ男達を片付けて、一息ついたところで蓮はちらりとマルコシアスを見た。
(「憎むべき相手も仇も、愁う敵もいない。……只、自分の手で築いた路を歩み、これからの路を進む」)
 その視線をユリアに戻し、目を細める。
(「それは、結んだ絆があるからだ」)
 見られていることに気付いたのか、ユリアがかくりと首を傾げた。
「うみゅ? 蓮、なんか言ったかにゃ?」
「なんでもない、残りのイカを片付けるぞ」
 あれは想いのある者達に任せよう。
「誰かの想いを含んでいるのなら、せめて美しく散ってほしいものだな」
「そういうのに限って、みっともなく悪足掻きしそうだけどねん」
 さて、あの牛男はどうだろう。


 仲間のサポートを受けながら出口に飛び込んでいった三人の姿を視界の端に確認すると、あけびは改めてマルコシアスに向き直った。
「散々他人を利用してきた貴方を、最後に助けてくれる人はいる?」
 周りを見れば、あれだけ大勢いたイカ男達は悉く切り刻まれ、悪魔女は捕縛され、頼みの息子にはもう手が届かない。
 それらに対処していた撃退士達も合流し、マルコシアスの周囲を取り囲んでいた。
「孤立無援だ、覚悟するがいい」
 静矢が刀の切っ先を突き付ける。
「……ふん……」
 鼻を鳴らし、マルコシアスはゆっくりと自分の周囲を見回した。
 無傷の者は一人もいない。
 そろそろ回復手段も尽きる頃合いだろう。
 だが自分を見据える瞳はどれも、忌々しいほどの自信に満ちていた。

 へし折ってやりたい。
 叩き潰してやりたい。

 その瞳に二度と希望の光が宿らぬまでに。

 だが、今の状態では力が足りなかった。
 暫く休んで回復させる必要がある。

 刹那、マルコシアスが消えた――いや、小さく縮んで子供の姿に戻った。
「貴様らは、幼子には手が出せぬだろう?」
 だが、そこに容赦のない薙刀の一撃。
「すまんが何の仮借もない、その根が腐っていることは隠しようがないからな」
 藤忠でさえそう感じるのだから、あけびが攻撃を躊躇うはずがなかった。
「ここで全てを終わらせる。私は皆を救う刃となる!」
 小さくなった的の中心を狙い、神速の居合斬りを叩き込む。
 振り切って、返す刀でもう一撃。
 手応えはあったが、マルコシアスは表情を変えなかった。
 自分の、師匠の技が通用しないのだろうか――不安と焦りが手のひらにじわりと滲む。
 だが、それを刀夜の声が吹き飛ばした。
「大丈夫、効いてるよ! 痩せ我慢してるだけだってさ!」
 六本の刀が小さな影を短冊に斬り降ろす。
「……ちっ」
 マルコシアスは小さく舌打ちすると、再び攻撃に転じた。
 撃退士達はまるで放電実験の装置に放り込まれたような電撃の嵐をひたすら耐える。
「台風の日に傘が役に立たないのと一緒ですね!」
 ブレスシールドを展開した雅人が、思い切り電撃に打たれながら晴れやかな笑顔で言った。
「確かに、傘がお猪口になったらもう笑うしかないか」
 妙に納得の表情で静矢が頷く。
「最後まで倒れるな! この地域の人々の未来が掛かっている!」
 藤忠が叫んだ。
 回復手段も底を突けば、後は根性論しかない。

 漸く猛攻が止み、間髪を入れずにレフニーが審判の鎖でその身体を縛り上げた。
「今のうちです!」
 それを合図に、残されたありったけの技を総動員した反撃が始まる。
 もうこの後三日くらい動けなくてもいいという勢いで、効きそうなものを手当たり次第。
「ペットより先に、躾が必要なのは飼い主のほうだったかな」
「ルシフェルやベリアルの好感度が高いわけがよく分かるぜ」
 仕上げの一撃にとしおとミハイルがダブルスターショットを叩き込み、ラファルがアウルオーバーロード「VMAX」閃滅を起動。
 蒼いアウルが彗星の如く閃き、マルコシアスを打ちすえた。

 さすがの体力バカにも、疲れの色が濃くなってくる。
 このまま押し続ければ討伐も可能かと思われた。
 しかし、撃退士達はひとつ、肝心なことを忘れていた。

 翼を広げたマルコシアスは彼等の頭上を飛び越え、淡く光る赤い光を目指す。
 コアはまだ、傷ひとつ付かないまま、そこにあった。


 ――――――


「貴様らの命、暫し預け置く――この傷が癒えるまでな」
 そう言い残し、マルコシアスはコアに消えた。


 既に手遅れではあるが、コアを破壊してから、撃退士達はゲートの外に出る。
 そこにはシャヴィを間に挟んだ未来と信実、そして佳槻の姿があった。
 少し距離を置いて、以号の姿も。
 どうやらシャヴィの存在は問題なく受け入れられたようだと、レフニーはその前に進み出た。
「ひとつ、伝えたいことがあります」
 ちらりと視線を移し、レフニーは以号を見る。
 その腕には上銀にくるまれた小さな遺体が抱かれていた。
「レドゥが最期に残した言葉……お前を護れなかった、ごめん……と。きっと、あなたに充てた言葉なのでしょう」
 その言葉に、シャヴィはこくりと頷く。
 既にさんざん泣き腫らしていたその目からは、もう何もこぼれ落ちることはなかった。


「……ああ、章治か」
 門木に電話をかけたミハイルは、その無事を確認すると「おとなしく学園で待ってろよ」と念を押す。
「それから、宮本のことなんだが……まあ、色々あってな」
 彼は暫く、シャヴィが養うことになった。
 ひとまずはレドゥを故郷に還してやりたいというシャヴィの希望を受けて、共に魔界に赴くことになるだろう。

 必ず戻ると、シャヴィも宮本も言っていた。
 だからもう少し、信じて待とう――皆が笑顔で向き合える、その時を。

「その前に、恒例のアレを用意してくれても良いんだぜ?」
 高級料亭フルコース、いっちゃう?


依頼結果

依頼成功度:普通
MVP: きのこ憑き・橘 樹(jb3833)
 撃退士・茅野 未来(jc0692)
 かわいい後輩・高野信実(jc2271)
重体: −
面白かった!:9人

伝説の撃退士・
雪室 チルル(ja0220)

大学部1年4組 女 ルインズブレイド
蒼き覇者リュウセイガー・
雪ノ下・正太郎(ja0343)

大学部2年1組 男 阿修羅
最強の『普通』・
鈴代 征治(ja1305)

大学部4年5組 男 ルインズブレイド
奇術士・
エイルズレトラ マステリオ(ja2224)

卒業 男 鬼道忍軍
ラーメン王・
佐藤 としお(ja2489)

卒業 男 インフィルトレイター
撃退士・
鳳 静矢(ja3856)

卒業 男 ルインズブレイド
前を向いて、未来へ・
Rehni Nam(ja5283)

卒業 女 アストラルヴァンガード
楽しんだもん勝ち☆・
ユリア・スズノミヤ(ja9826)

卒業 女 ダアト
Eternal Wing・
ミハイル・エッカート(jb0544)

卒業 男 インフィルトレイター
慈し見守る白き母・
白蛇(jb0889)

大学部7年6組 女 バハムートテイマー
ラブコメ仮面・
袋井 雅人(jb1469)

大学部4年2組 男 ナイトウォーカー
陰のレイゾンデイト・
天宮 佳槻(jb1989)

大学部1年1組 男 陰陽師
男を見せた・
アドラー(jb2564)

大学部1年278組 男 ナイトウォーカー
繋ぎ留める者・
飛鷹 蓮(jb3429)

卒業 男 ナイトウォーカー
きのこ憑き・
橘 樹(jb3833)

卒業 男 陰陽師
ペンギン帽子の・
ラファル A ユーティライネン(jb4620)

卒業 女 鬼道忍軍
優しき強さを抱く・
ユウ(jb5639)

大学部5年7組 女 阿修羅
撃退士・
茅野 未来(jc0692)

小等部6年1組 女 阿修羅
明ける陽の花・
不知火あけび(jc1857)

大学部1年1組 女 鬼道忍軍
天真爛漫!美少女レスラー・
桜庭愛(jc1977)

卒業 女 阿修羅
藤ノ朧は桃ノ月と明を誓ふ・
不知火藤忠(jc2194)

大学部3年3組 男 陰陽師
かわいい後輩・
高野信実(jc2271)

高等部1年1組 男 ディバインナイト
戦場の紅鬼・
鬼塚 刀夜(jc2355)

卒業 女 阿修羅