ヴァニタス呂号を倒した撃退士達は、体勢を立て直すとすぐさま地下通路へ飛び込んで行った。
「いよいよクライマックスね! これで終わりにするよ!」
雪室 チルル(
ja0220)を先頭に、増援を加えた一団は一気に地下へ雪崩れ込む。
「どんな攻撃して来るかわからないけど、まとめてやられないように散らばって!」
行く手を塞ぐイカ男は適当に蹴散らし、とにかく奥へ。
「邪魔な奴は足止めますっ。後は煮るなり焼くなりお任せです!」
黄昏ひりょ(
jb3452)が虚空に五芒星を描くと、その中に囚われたイカ男の多くが動きを封じられた。
「はいはい、任されたー! たのしーイカ狩りだー!」
それに応えて鬼塚 刀夜(
jc2355)が斬り込んでいく。
「僕はイカの刺身を量産するだけの鬼になるよ!」
剣鬼・無幻で鬼の血を解放し、まずは燕返しで手近な触手を斬り払った。
四方八方から向かって来る触手は絶影・二式で二本同時に斬り払い、それでも絡み付いて来るものは敢えて絡め取り、振り払いざまに刃を滑らせ一刀両断。
足元を狙って来るものは縄跳びのように跳んで避け、着地のついでに踏みつけた。
ぐにゃりとした感触が足の裏から這い上がって来るが、剣鬼と化した今はそれを気持ち悪いと感じることもない。
引き戻そうと引っ張った触手をすっぱり切り落とされた反動で、バランスを失ったイカ男はたたらを踏む。
そこに飛び込んで、刀夜は心臓の辺りに刃を突き通した。
「人の形してるなら、ここが急所だと思うけど……でも本体はイカの方かな?」
思った通り、人間部分の心臓を貫かれても大したダメージを受けた様子はない。
「それなら――」
手首を返し、そのまま上に向かって腕を振り上げる。
切れ味の良い刃がイカの頭を真っ二つに切り裂くと、それは電池が切れたようにぴたりと動きを止めた。
「みんな、狙うなら頭だよ!」
刺身にするなら、やっぱりぷりっぷりの胴体が一番だしね!
「藍ちゃんと共にイカMANの山を築きに来たよーぅ」
ユリア・スズノミヤ(
ja9826)は走る。
「イカのぶつ切りご覧あれー☆」
青白い光を纏ったブーメランのように飛ぶ扇は、迫り来る触手をスパスパと切り刻んでいった。
「あ、イカMANってイカ男の意味だから……む?」
手元に戻った扇を構え直しつつ、ユリアはふと考える。
「イカマン……イカまん……イカまんじゅう?」
ぶつ切りのイカ足をたっぷり入れた、ほかほかのイカまん。
揚げまんじゅうにしたら絶品かも、かも!
「取り敢えず私にできることは、イカの丸焼き作……じゃない、ユリもんのイカまんじゅうのためにゲソのブツ切りを大量生産すること!」
木嶋 藍(
jb8679)の目的はユリアの思考に浸食されていた。
「じゃなくて! イカ退治!」
イカまんじゅうのイメージを慌てて振り払い、シリアスモードに切り替える。
「道を空けてもらうよ、レドゥ退治の人達には指一本触れさせないんだから!」
人間牧場なんて悪趣味なモノ、これ以上放置してはいられない。
「ユリもんとのコンビネーションを見よ!」
イカスミを被らないように注意しながら、ユリアが切り損ねた触手を爪で引き裂いていく。
手も足もイカスミも出なくなったら、イカそのものの姿をした頭を横撫でに。
「イカそうめん上がりましたー!」
あれ、結局食べ物から離れられてない?
「イカ退治でイカ料理が食えると聞いてやってきた!」
アドラー(
jb2564)も食べる気満々で参戦、周囲の状況を見てその認識が間違っていなかったことを確信する。
「デカいイカだな、あの臓物を引っこ抜いてメシを詰めたら食いでがありそうだ」
サイズの大きなものは得てして大味で硬いものだが、果たしてこれはどうだろう。
たとえ食用には今ひとつでもイカ徳利にする手がある。これだと一体何合の酒が入るのか……
「……って、違うのか!? ディアボロだから食えない!?」
言われてみればそうかと、アドラーは肩を落とす。
しかし、だからといってそのまま帰るような真似はしなかった。
「まあいい、暴れられるならおおいにやってやる」
幻と消えたイカ三昧の夢、その恨みも込めてメッタ切りにしてやるぜ。
と言っても最前線に突っ込んで行けるほど装甲厚くないけどな!
「俺こう見えてもひ弱だからな! イカ野郎、近づくんじゃないぞ!!」
ヘルゴートで本能覚醒! 野生開放! にゃおーん!
敵の足が止まっている今がチャンスとオンスロートをぶち込んで一撃離脱、後は味方の後ろから武器書で魔法攻撃だ!
たまたま射線が通った時はダークブロウでガツンと一発!
イカ退治組は何故にかくも食欲の権化と化した面子ばかりなのか。
仕方ないね、イカは食べ物だから。
しかし、そんな中にあっても本能に惑わされない孤高の存在が、ここにいた。
上空から敵の動きを見ながら、天宮 佳槻(
jb1989)は黙々と因陀羅の矢を放つ。
ひりょが仕掛けた覇王の印に囚われてもなお動けるものや、その外から妨害に動こうとするものを狙って麻痺を狙い、足を止めた。
効いたものは他の仲間に任せ、佳槻は戦場の全体を見渡してみる。
悪魔レドゥに対する者達は既にイカ達の防壁を突破し、その間近に迫っていた。
ドームの入口を背に、僅かな取り巻きのみを従えて立つ少年。
小学校の入学式で着るような黒のハーフパンツにジャケットをきちんと着込んだ、十歳くらいの男の子。
しかし、その表情に子供らしい明るさはない。
年相応の部分があるとすれば、それは白蛇(
jb0889)が「無邪気な邪気、とは言ったものじゃな」と評したような、歯止めの利かない剥き出しの好奇心や罪悪感の欠如といった類のものだろう。
「だから、こんなことが平気で出来るのか」
レドゥの背後に見えるドームの中に目をやった雪ノ下・正太郎(
ja0343)――リュウセイガーは、両の拳を震わせる。
そこから見えるのは、ごく普通の人々がごく普通の生活を送る、どこにでもあるような日常の風景。
だが、彼等が置かれた状況は如何なる意味でも普通ではなかった。
ドームの外で起きていることに気付きもせず、赤ん坊を抱いた女性が幸せそうに微笑んでいる姿が哀しく、痛々しい。
「話に聞いていたが反吐が出る、許せん!!」
ヒーローとして、いや、人間としての怒りが腹の底から湧き上がって来る。
リュウセイガーはその滾る想いを闘気に変えて全身に漲らせた。
「久しぶりですね……もっとも、懐かしがるような間柄でもありませんし、会いたかったわけでもありませんが」
エイルズレトラ マステリオ(
ja2224)が空中からその姿を見下ろす。
鶴ヶ城の地下で遭遇した時には出会い頭に一撃を喰らって、そのまま逃げられてしまった。
しかし今度はそうはいかない。
「終わりにしましょうか」
その言葉と同時に、ヒリュウのハートがレドゥの背後に回り込む。
「人の心を蔑ろにして……と憤るのは、悪魔に対して難しい話なのでしょうけれど」
華宵(
jc2265)は自身も半分は悪魔ではあるが、悪魔の心は正直よくわからなかった。
それは恐らく育った環境によるものだろう。
自分も悪魔として育ち、悪魔としての教育を施されたなら、人の心を理解することは難しかったかもしれない。
ただ――難しくはあっても、不可能ではないと思いたかった。
「父を恐れる感情があるなら、人にも同様に様々な感情があると理解出来るでしょうに……哀しいわね」
誰も、この子に教えてやらなかったのだろうか。
もう少し時間があれば、理解することが出来たのだろうか。
(「見た目は子供。少々やりづらい相手だな……」)
少し後方で立ち止まったひりょは、仲間達の頭越しにレドゥの姿を見た。
これで中身が大人ならまだ抵抗も少ないが、彼の場合は中身も殆ど見たままだと聞いている。
(「でも、そんな事言っていられる状況じゃない」)
あれは倒すべき敵なのだと自分に言い聞かせ、ひりょは戦闘開始の合図を待った。
「ねえ、お前らってバカなの? 学習能力ないの?」
レドゥが口を開く。
周囲を撃退士達に囲まれながらも、その所作には余裕が感じられた。
或いは去勢を張っているのかもしれないが、だとしても上手く誤魔化しているようだ。
「この間ボクにやられて逃げ帰ったくせに、まだ懲りないのかな? もっとも、ボクもコレの借りを返さなきゃって思ってたとこだから、丁度良いけどね」
レドゥは視力を失った右目を指差して、ニヤリと笑う。
その傷を付けた撃退士の顔など覚えていないし、この場にいるかどうかもわからないが、そんなことはどうでもよかった。
「お前らを片付けたら、残りの撃退士達も根絶やしにしてあげるよ。連帯責任ってやつさ」
その言葉に、いかにも人を馬鹿にしたような口調で返事が返る。
「へえ、出来ると思ってるんだ? さすがにお坊ちゃんは考えることが違うねぇ」
声の主は逢見仙也(
jc1616)だった。
しかし、レドゥのところからその姿は見えない。
「父親の物を壊されてるわ、僕を大掃除されるわ、それでも自分が父親にとって価値のある存在だって信じて疑わないんだ?」
「ボクを煽って怒らせるつもり?」
「いやいや、そんなつもりはないよ……ただ事実を述べたまででね」
煽って思考能力を奪い、キレて暴れるだけの駄々っ子になってくれれば対処も容易になる――なんて思ってないから、これっぽっちも。
「あれだけの条件でこれな奴になんの価値が有るのか、俺にはさっぱりわからないが……純粋な悪魔ってのは価値観が違うものなのかね?」
だが、レドゥの煽り耐性は意外に高かった――と言うより、それだけ「そうと信じたい」思いが強かったのだろうか。
「無駄だよ、お前らには何も出来ない」
レドゥはちらりと背後のドームを振り返る。
「ボクに何かしようとしたら、この中は毒ガスで満たされる。言っとくけど催眠ガスとか、そんな生やさしいものじゃないからね?」
「即効性の致死ガスか」
それを聞いても、声の主はまだ口調を変えなかった。
「だとしたら、お坊ちゃんがそれを使えば牧場は全滅……つまり大失敗だ。父親の期待と信頼がどうなるか、見ものだね」
レドゥの表情が、僅かに揺らいで見えた。
「それに、そんな脅しは効かないよ」
人垣を割って不知火あけび(
jc1857)が前に出る。
「今、ミハイルさんが止めに行ってるからね」
「止められるものか」
「止めるよ、そしてここに囚われた人達を解放する。全員、無事にね」
あけびは腰の愛刀を抜き放つ。
柄を握る手と背中に、この刀を譲ってくれた友の存在を感じた。
(「呂号の未来は消した……他を助けるなんて彼女に申し訳ないよ」)
レドゥの姿を目の当たりにすると、多少なりとも決意が揺らぐ。
その情を忍の非情で押し殺し、あけびは刀の切っ先を上げた。
「さあ、仕合おうか」
その同じ頃。
制御室に飛び込んだミハイル・エッカート(
jb0544)は、真っ先に目に入った人物を思いきり突き飛ばした。
「何をするつもりか知らないが、どうせろくな事じゃないんだろう。そこから離れてもらおうか」
他に人影がないことを確認して初めて、ミハイルはその人物をよくよく見る。
「やはり以号だったか。レドゥの傍にいないのはおかしいと思って来てみれば、ビンゴだったな」
だが、何かおかしい。
ミハイルが知っている以号とは何かが違う。
確かに同一人物には違いないのだが、まるで中身がそっくり入れ替わりでもしたような――
「そうか、レドゥの術が解けたんだな?」
ミハイルはよろよろと起き上がろうとする以号に歩み寄り、手を差しのべる代わりにチェーンで拘束し、引き立たせた。
「俺の事覚えているか? 門木章治の事は?」
「……ああ、前にもその名前を聞いたな……あんたの口から」
その答えからまともな会話が可能と判断したミハイルは質問を続けた。
「ここで死ぬか、宮本章太郎に戻るか、どちらかを選べ」
死ぬことを選ぶならこの場で射殺、戻りたいと言うなら助ける。
しかし彼の答えは、そのどちらでもなかった。
「あんたらは、あの子を殺しに来たんだろう?」
「レドゥのことなら、そうだ」
「だったら……黙って見過ごすわけにはいかない」
「何故だ、お前にとってもレドゥは仇じゃないのか?」
「ああ、俺は奴に妻と娘を殺された。だが、それでも……相手は子供だ」
「甘いな」
「我ながらそう思うよ」
言うが早いか、以号――宮本章太郎はチェーンを引きちぎる。
戦闘タイプではないと見て甘く見ていたのか、虚を突かれたミハイルが判断に迷う一瞬の隙に、彼はその脇をすり抜けて走った。
遠ざかる背中に向けて、ミハイルは魔銃の狙いを付ける。
しかし、引き金が引かれることはなかった。
「まだちゃんとした答えを聞いてないからな」
撃退士達の真ん中に飛び込んで、無事に生き延びたなら――その時、改めて答えを聞いてやろう。
「……待ってくれ……!」
人垣を抜けて、転がるように走り込んで来る男がいた。
その「いかにも普通のおじさん」といった様子があまりに場違いだったためか、それとも誰かに似た面影を見たせいか、彼の行動を阻止しようと動く者は誰もいない。
「この子を、殺さないでやってくれるか」
「以号、お前なんで……っ!? 制御室で命令を待てって言っただろ!?」
動揺を見せたレドゥの言葉に、撃退士達はその男がヴァニタス以号であることを知る。
「あの人が、以号……?」
イカを刻みながら、藍がちらりと視線を投げた。
ぼさぼさの頭に野暮ったい黒縁眼鏡、どことなく世の中を斜めに見ているような目つき。
「んー、門木先生に似てる雰囲気?」
ただし今の彼ではなく、バージョンアップ前の古い写真で見たような。
「どうして……」
思わぬ登場に、あけびの刀が揺れる。
「ミハイルが取り逃がしたのか……いや、好きにさせてやったのかもしれんな」
不知火藤忠(
jc2194)が制御室の方に目を向ける。
そこにはいつでも撃てるように銃の狙いを付けたまま立つミハイルの姿があった。
「レドゥに感情を奪われていると聞いたが、どうやら戻ったようだな」
しかし、殺すなとはどういうことか。
「あんたらも、このまま引き下がるわけにはいかないんだろ?」
宮本は撃退士達の顔を順番に見て、小さく肩を竦めた。
「そうだよなあ。俺もさんざん協力してきたから、あんたらの怒りももっともだと思うぜ」
だが、相手は子供だ。
「どんなに酷いことをしても、人間の世界じゃ未成年者は罪に問わないってことになってるよな? だから、代わりに俺を殺せ。……いや、殺してくれ……頼むから」
「あんた、死にたいのか」
藤忠の問いに、宮本は哀しげな笑みを返した。
「なら、死なせない。死にたがってる奴を素直に死なせてやるほど、俺達は親切じゃないからな」
それに、と藤忠は付け加える。
「章治はお前を大切に思っている。あいつが泣くから死にたいなんて言うな」
「姫叔父、助けるつもり?」
あけびが問いかけるが、答えは聞くまでもなかった。
「やっぱり姫叔父は忍には向いてないね」
その甘さを、弱さと笑う者もいるだろう。
しかしそれこそが藤忠の強さであり、彼がいるからこそシノビはサムライの心を失わずにいられるのだと、あけびは思う。
「死ぬのは簡単だけど、生きて貴方に出来る事もある」
だから、殺さない。
「悔やむ人をただ斬るなんて侍らしくないよ」
けれど邪魔もさせない。
あけびは素早く距離を詰めると、宮本の首筋に刀の柄を叩き込んだ。
「でも、レドゥは斬るよ」
意識を失って倒れ込む宮本の耳に、非情な宣告が響く。
そうするしかないところまで、あの子は来てしまった。
生きて償わせるという選択肢はもう存在しない。
「以前の探索以来、ですか」
Rehni Nam(
ja5283)が五芒星型の盾を掲げる。
「……今日で、決着をつけましょう」
もう後戻りは出来ない。
先延ばしにも出来ない。
「過ちを悔いつつ、逝くが良い」
白蛇が喚び出した翼の司、権能:千里翔翼が鬨の声を上げる。
「わかっている攻撃は一種類のみだ、他にどんな手を隠しているかわからん……気を付けろ」
鳳 静矢(
ja3856)が注意を促した。
「それに、牧場の人達に施しているという術も気になる」
そうしたものは通常、一般人にしか効果がないことが多い。
(「これもアウルを持つ者には効かぬなら良いが……さて?」)
「そういうことなら、抵抗を上げておけばいい」
リュウセイガーは自身と袋井 雅人(
jb1469)に聖なる刻印を施した。
「不安な者がいれば、あと一人分あるぞ」
「それじゃ、私にいただけるかしら」
少しばかり心許ない華宵が申し出る。
「お安いご用だ、仲間を守るのもヒーローの努めだからな」
「ありがとう、助かるわ」
「ありがとう雪ノ下君、いやリュウセイガー! 僕はラブコメ推進部の大切な仲間である君と共に戦えることを誇りに思いますよ!」
加護を受けた雅人は、一方で大親友たる静矢と絆を結ぶ。
これでラブコメ仮面に変身すれば向かうところに敵はないのだが、空気は読むのがラブコメ推進部。
「今日も変身はありませんよ! さあ行きましょう!」
その声に応えて、ひりょは前線で戦う者達に韋駄天をかける。
藤忠は自身の周囲に四神結界を張った。
そのままではレドゥを範囲に収めることは出来ないが、誰かが後ろから突き飛ばすことに成功すれば、上手い具合に転がり込んで来るだろう。
「それなら、もうひとつ張っておきましょうか」
上空からそれを見ていた佳槻は、レドゥの真上から結界を張った。
「後はお任せしますよ」
もちろん結界の加護は味方にしか及ばない、これで反撃を受けても多少は持ち堪えることが出来るだろう。
「その代わり、イカ達は任されました」
通路を塞いでいたイカ男達は、既にあらかた下拵えが済んでいた。
「後は邪魔な取り巻きを剥がすだけだね!」
キラキラ輝くマントを身に纏い、刀夜が躍り込む。
動く度にその軌跡に添って刀夜の幻影が現れ、まるで分身の術でも使ったように見える。
それに惑わされてあらぬ方場所へ伸びる触手を、刀夜は一刀のもとに斬り捨てていった。
飛んで来たイカスミはマントを広げて優雅に振り払う。
不思議な素材で織られたそれは、まるで撥水加工を施したようにイカスミを弾き返し、後には一点のシミも残さなかった。
「潰しちゃうのは勿体ないと思ったけど、食べられないならこれでいいや!」
要塞の壁をも打ち砕く攻城兵器に見立てた重い一撃で、イカの頭を吹っ飛ばす。
「イカ焼きいっちょあがりー☆ 海の家に並べてあげるねん☆」
弱った敵にフレイムシュートを撃ち込んだユリアは、ずらりと並んだ巨大イカ焼きと香ばしい匂いを想像して、思わずじゅるりん。
「これが終わったら、みんなで海に行こーう☆」
「あっ、それ良い! 海の家にはまだ早いけどイカ焼きならうちで作るよ!」
藍の答えに、ますます張り切るユリアの唾液腺。
なんてフザケてるように見えるけど、仕事は真面目にやってるよ!
藍との息の合ったコンビネーションで、レドゥ対応組を狙うイカ男の意識を自分達に引き寄せる。
「ほらほらこっち、この世界的ダンサーの踊り、見ないと損するよん☆」
見た瞬間にブツ切りだけどね、何しろ舞うは殺る気満々の剣舞だから!
対応が間に合わない触手はマジックシールドで防ぎ、後の処理は藍にお任せ。
二人ともイカ男達に恨みはない――煮ても焼いても食べられないという事実以外には。
「知ってたけど、食べ物の恨みは怖ろしいんだよ。ね、ユリもん?」
「うみゅ、ダイオウイカの丸焼きで許してあげないこともないけどねん」
つまり、絶対に許さない。
レドゥにも個人的な恨みはないけれど、美味しそうなのに食べられないイカを配下にしているだけでギルティ――じゃなくて。
皆がそれぞれに、想いを籠めた戦いが出来るように!
「悪魔の俺が言うのもなんだが、人間を家畜にするのは趣味悪いと思うぞ!」
さきイカを作りながら、アドラーがレドゥをちらりと見る。
(「もっとも俺が人間の女に惚れることがなければ気にしちゃいなかったが」)
あの子供も、誰か人間に恋でもすれば何かが変わったのだろうか。
友達でもいい、対等な存在として見ることの出来る誰かが。
「まあ、今更だがな!」
それっきり、もうレドゥのことは考えず、アドラーはひたすらイカを切り刻む。
「だからこっち来んなっつってんだろ!」
もふもふ子猫ならいっそ埋もれて潰されても本望だが、イカにのされるのはご免だ。
イカ対応に戻った佳槻は上空から霊符で攻撃を加えていく。
「鳳凰、奴等を掻き回してやれ」
指示の通りに、鳳凰は巣を守るカラスのように上昇から急降下を繰り返し、イカ達を翻弄していった。
その頭上から風の刃が降り注ぐ。
「まずは悪魔対応の射線を塞ぐ連中から片付けていこうか」
上空からの攻撃で、一体のイカ男が倒れ伏す。
それを踏み付けて、チルルは走った。
「視界が開けたわ、一気に攻め込むわよ!」
反撃の魔法矢を氷結晶の盾で防ぎつつ、真っ正面から馬鹿正直に突っ込んでいく。
初撃の矢は防いでも、その背後に隠された二の矢までは防ぎきれず、周囲を巻き込む爆発に呑み込まれる――しかし、その程度でチルルの足は止められなかった。
姿勢を低く保ち、目の前にかざした氷剣で爆炎を切り裂くように飛び出したチルルは、黒い炎を後に引きながらレドゥに飛びかかる。
「余所見してると氷漬けよ!」
氷砲『ブリザードキャノン』の白い軌跡がレドゥに向かって伸びる――が。
「そんな攻撃、ボクに効くとでも?」
レドゥはそれを片手で難なく受け止め、弾き返した。
しかし。
「残念、本命はこっちじゃないわ!」
チルルが後ろに跳んで頭を下げた直後、後方から白蛇のロケット砲が飛んで来た。
その炸裂と同時に、上空からは華宵が放った影縛の術が飛んで来る。
それはレドゥの足下の影を縫い付けたかに見えたが、効力はほんの一瞬だった。
「さすがに抵抗は高いみたい」
華宵がさほど残念がる様子も見せずに言う。
「でもこれも本命じゃないのよね」
その言葉が終わらないうちに、華宵の後ろからエイルズレトラが飛び出した。
急降下からレドゥの頭上に手をかざし、そこに出現させたカードを突き刺すように叩き付ける。
派手な爆発音が地下空間に響いた。
しかし、それでも効いている様子はない。
「ああ、やっぱり……でもこれも、ただの嫌がらせなんですよ」
エイルズレトラが高度を上げると、レドゥの背後からヒリュウのハートが渾身の体当たりを喰らわせる。
その大きさとパワーでは、どんなに頑張っても突き飛ばすのは無理だろう。
しかし、小さいことにも利点はある――ハートがぶつかって行ったのは、レドゥの膝裏だった。
つまり膝カックン。
ただのイタズラのようだが、これが意外に効くのだ。
「うわっ!?」
予期せぬ攻撃に、レドゥは思わず膝を折る。
それでも踏ん張ろうとしたところに、今度は翼の司が突っ込んで来た。
身構える間もなく頭突きを喰らったレドゥは、あっけなく吹っ飛ばされて尻餅をつく。
「どうじゃ、これでもうどーむに逃げ込むことは出来まい?」
重たいロケット砲を引きずるように少しずつ前に進んでいた白蛇はそこで得物をワイヤーに持ち替え、身軽になってドームの入口を抑えた。
「やれやれ、この中に逃げ込まれでもしたら厄介なことになっていたやもしれぬのう」
最悪、より直接的に人質を取られていたかもしれない。
まだ充分に引き離したとは言い難いが、自分と司がここを抑えている限りはそうそう抜けられることもないだろう。
「おぬしの指示を受けるはずじゃった以号とかいう者も、そこでオネンネしておる。もう切り札は使えぬな」
振り返ったレドゥに、白蛇はガンを飛ばす――いや、ただ睨み付けているわけではない。
神気を込めた眼で睨み付け威圧する事で敵を縛するという、その名も蛇神縛眼。
「どうじゃ、蛇に睨まれた蛙の心持ちであろう?」
「そんなもの――」
だが撃退士達は答える暇も与えない。
忍の気を纏ったあけびは、尻餅をついたままのレドゥに向かって居合い斬りからの舞うような連撃を叩き込む。
「あけびに忍の振る舞いをさせた事……後悔してもらおうか」
殆ど同時に、その本性を押し殺した藤忠が反対側から薙刀を振るった。
しかし、攻撃が効いた様子はない。
「それでも全く効いていないわけではないでしょう」
レフニーが言った。
「どんなに硬い岩でも、叩き続ければいつかは脆く崩れます」
或いは傷ひとつ付かなかったゲートのコアが、耐久力を越えた瞬間に砕け散るように。
それに、ダイアモンドが一定の方向にだけは割れやすいように、レドゥにもどこか弱点があるはずだ。
それを見付けるためにも、手を止めてはならない。
「守ることで手一杯なら攻撃する暇もないし、まさしく攻撃は最大の防御だね」
式神・縛を使うタイミングを計りつつ、霊符で攻撃を続けながらひりょが頷く。
「誰も攻撃しない空白の時間を作らないように、味方の誰かが後ろに下がるなら必ず代わりの者が前に出るようにしましょう」
そう言うと、自らレドゥの真っ正面に躍り出たレフニーは盾を構え、不動の姿勢をとる。
「防御は任せてください」
それにバステもかけ続ければ、抵抗されたとしても集中を乱す効果はあるだろう。
「なら私は、ちょっと引っかき回してあげようかしら」
レドゥの背後に回った華宵は急降下からの一撃離脱を繰り返す。
そこにエイルズレトラとハートのコンビも加わり、嫌がらせの度は急上昇。
「ああもう、うるさいハエどもめ!」
のらりくらりと飛び回る二人と一匹に、レドゥは苛立ちを募らせた。
「だったら撃ち落としてごらんなさいな?」
しかし、その間にも他の撃退士達からの攻撃が止むことはない。
上空にばかり気を取られていては足下を掬われることになるだろう――もっとも、それこそが狙いなのだが。
「絶対に逃がさない。逃げる場所なんて、どこにもないけどね」
立ち上がったレドゥに対して、忍法・鏡傀儡で藤忠の技を真似たあけびが式神・縛を放つ。
その他ありったけのバステ攻撃を叩き込み、さんざん抵抗させた後で、レフニーは審判の鎖で不意打ちを喰らわせた。
レドゥほどの防御力があれば喰らっても痛くも痒くもないだろうが、当たれば抵抗の有無に関わりなく問答無用で身動きが取れなくなる――冥魔なら確実に。
「防御には自信があるようですが、それが徒になりましたね」
身体を締め上げる聖なる鎖を、レドゥは振りほどくことが出来なかった。
「今のうちに畳みかけるわよ!」
チルルは再び先頭に立ち、真っ正面から特攻を仕掛ける。
「あんたの時間を止めるわ、凍り付きなさい!」
「またお前か、そういうのを馬鹿の一つ覚えって言うんだ」
動かない足に舌打ちをしつつ、レドゥは精一杯の悪態をつく。
だがチルルには効果がなかった。
「そうなの? 教えてくれてありがとう!」
それに残念、これもやっぱり本命じゃないんだな。
「あんたこそ、少しはかしこくなったほうがいいわよ? あたいみたいにね!」
チルルが飛び退くと、入れ替わりに雅人の姿がレドゥの視界を塞ぐ。
それに合わせて、静矢が側面から走り込んだ。
「なかなかの強者と聞いているのでな……遠慮せず行くぞ!」
雅人とタイミングを合わせ、絆・連想撃の二連撃を二人同時に――しかも景気よく二連続で叩き込む。
更にもう一方からリュウセイガーの怒りが炸裂した。
「正義の怒り、思い知れえぇぇ!!」
リュウセイガー・アックスは古式ムエタイの技をベースにした止め用の肘打ちである。
「この技を喰らって、立っていられる者など――なに!?」
レドゥはまだ立っていた。
「凌いだのか、これを……」
敵ながら天晴れ――しかし、そこまでだった。
「凌ぎきったと思って油断したでしょ!」
チルルの奥義、氷剣『ルーラ・オブ・アイスストーム』がレドゥの小さな身体を貫く。
赤い雫がぽたりと落ちた。
「どうやら自慢の防御もここまでのようだな」
刀を収めた静矢がレドゥに歩み寄る。
だが、それは手を差し伸べるためではなかった。
「さて……そろそろそこから退いてもらおうか!」
居合の一閃でレドゥの身体を更に遠くへ弾き飛ばす。
転がった先に、あけびがいた。
「情けをかけてもらえるなんて、思ってないよね」
弱った敵にも容赦はしない、弱っているからこそ追い討ちをかける――それが忍。
あけびは意表を突いた攻撃でレドゥを怯ませようとする。
しかし、期待した効果は現れなかった。
まだ見た目ほど弱ってはいないのか、それとも思った以上にレベルが高いのか――
「……わかったよ、お前らはけっこう強い……それは認めてやる」
レドゥはよろよろと立ち上がる。
「だけど、ボクだって……負けられないんだ」
「パパが怖いからか?」
混ぜっ返した仙也の声に、レドゥは鼻を鳴らす。
そんなもの、本当はどうでもよかったのだ。
「……知ってたさ、ボクが期待されてないことなんて……ずっと前から」
期待されていないから、頑張った。
頑張れば認めてもらえると思って、必死になった。
けれど、いくら頑張っても自分はしょせん、今いる中では一番マシな程度。
もっと優秀な息子が生まれるまでのツナギでしかない。
「じゃあ、どうして? 他に何か……もしかして、きみにも何か守りたいものがあるんですか?」
雅人の問いに、レドゥは答えなかった。
「あっ、人に何か尋ねる時はまず自分の考えを言うべきですね!」
沈黙をそう解釈し、雅人は大仰な身振りで熱弁を振るう。
「ラブコメ推進部の守りたいものはみんなの心ですよっ! さあ、きみの守りたいものは何ですか!?」
反応はない。
それでも雅人はめげなかった。
「では質問を変えましょうか」
深呼吸をして、一息に言い放つ。
「呂号ってどこの誰だったんですか!? 答えて貰えるまで問い続けますよ!!」
相変わらず、反応はなかった。
「根比べなら負けませんよ! 親友のミハイル君と約束したんですからね、ほらここに書いてあるとおりのことを聞いといてくれって!」
雅人はポケットから取り出したメモ用紙をレドゥの目の前に突き付ける。
しかし、答えは――
「お前、うぜぇ」
油断していた。
相手が手負いだと思って近付きすぎた。
手負いの獣こそ、最も危険な存在であるのに。
レドゥの赤く染まった手がふわりと上がった瞬間、雅人の身体が弾け飛んだ。
「袋井さん!?」
駆け寄ったリュウセイガーが抱き起こす。
「……だ、大丈夫……眼鏡がなければ、即死でしたけどね……」
「冗談を言ってる場合か!」
いや、冗談を言えるならまだ大丈夫と言うべきか。
「あんたもファミリーだ、死なせねえよ」
リュウセイガーはありったけのライトヒールで雅人の傷を癒やす。
「これで大丈夫だ、しかし無茶はするなよ」
「多少の無茶はヒーローの嗜みですよ」
肩を貸して雅人を立たせ、リュウセイガーレドゥに向き合った。
「やはり話してわかる相手ではないようだな」
「ボクは最初から、話し合う気なんてないけどね?」
薄笑いを浮かべて、レドゥは立ち上がる。
「この姿、好きじゃないんだけど……しょうがないや」
耳の上に捻れた水牛の角が、背中には蝙蝠の羽が現れ、爪と犬歯が長く伸びる。
「ボクは負けるわけにはいかないんだから!」
叫びと共に舞い上がり、レドゥは上空から巨大な火球を放った。
レフニーが盾で、仙也が庇護の翼でそれを受け止めるが、二人で全体をカバーしきれるはずもない。
範囲攻撃では空蝉も効果がなかった。
「あいつ飛べるのか」
得物を和弓に持ち替えたひりょがスターショットを放つ。
が、その反撃に雨のような光線が頭上から降り注いだ。
「このままじゃ圧倒的に不利だな」
上を取られていることはもちろん、飛べない者や射程の短い武器しか持たない者は手も足も出ない。
「でもこちらの攻撃も効くようになってるわね……その分、反撃も痛いけれど」
距離をとって辻風で牽制しつつ、華宵が答える。
「そういうことなら、俺の出番だな!」
下からミハイルの声が響いた。
「降りて来ない奴は引きずり下ろせばいい」
使う予定のなかった星の鎖をセットし、ミハイルは上空のレドゥに魔銃を向ける。
しかし、相手も大人しく待っているはずがなかった。
「出来るもんならやってみろよ!」
上空から無差別に降り注ぐ光線に、撃退士達は防戦一方。
「まずはあの攻撃を抑える必要がありそうですね」
エイルズレトラがレドゥの背後に回り込む。
それに反応したレドゥがくるりと向き直るが、その背にヒリュウのハートが体当たり。
ハートに反撃しようとすれば、今度はエイルズレトラから攻撃を受ける。
そこに華宵も加勢して波状攻撃を加えれば、嫌がらせのトライアングル再び。
「ちょろちょろちょろちょろ……鬱陶しいんだよ!」
キレたレドゥが全方位に衝撃波を放つ。
が、その直後に僅かな隙が出来ることを、ミハイルは見逃さなかった。
庇護の翼でガードしてくれた仙也の背後から飛び出し、星の鎖を撃ち放つ。
絡み付いた鎖に手応えを感じた瞬間、レドゥの身体は真下の床に叩き付けられていた。
「皆さん、下がってください」
周囲から仲間を遠ざけ、レフニーが彗星の雨を三連発。
重圧を与えたところで生体レンジに切り替える間、替わって前に出たひりょが残しておいた式神・縛で束縛を試みる。
弱っているせいか、抵抗はなかった。
その上空にプラズマ火球が現れ、レドゥもろとも容赦なく焼き払う。
「……あつい……あついよ……たすけて……!」
しかし、その声にも撃退士達の決意は揺るがなかった。
「お前はそう懇願する者を助けたことがあるのか」
静矢の両腕が明暗に分かれた紫のアウルに包まれる。
「人間界には因果応報という言葉がある……覚えておくのだな」
次の生では役に立つかもしれない。
だが今生ではもう手遅れだ。
「この機を逃すつもりはない!」
一切の情を捨て、静矢は奥義・紫鳳凰天翔撃を叩き込む。
「袋井さんの痛み、思い知るがいい! リュウセイガー・アックス!!」
リュウセイガーは今度こそ止めを刺すべく必殺の一撃を放った。
「さすがにもう立ち上がることは出来まい!」
その言葉通り、レドゥにはもう立ち上がる力はおろか、悪態をつく気力も残っていないように見えた。
だが、まだ楽にしてやることは出来ない。
「もう一度……何度でも訊きますよ、呂号ってどこの誰だったんですか?」
やはり、答えはない。
「ねえ、知っているなら教えてちょうだい」
「遺髪くらいは届けてやりたいからな」
華宵と藤忠がもう少し柔らかい調子で尋ねてみるが、やはり答えはなかった。
「……呂号は最後まで貴方を守ろうとしてたよ」
頑なに口を閉ざしたレドゥに、あけびが語りかける。
何も言わないのは、自分達が彼女の仇だから――レドゥも彼なりにその喪失を悼んでいるのだと、そう感じたから。
けれど、大切なことは伝えた。
後はもう語るべきことは何もない。
ただ刃に語らせるのみと、あけびは愛刀を鞘に収める。
手足に紫の花弁のアウルを集中させ、居合いからの二連撃。
「……ごめん……おまえを……まもれなかった……」
それが少年の最期の言葉だった。
「……あの悪魔もすこし、かわいそうかな」
イカの片付けを終えて成り行きを見守っていた藍が呟く。
「親に見放されたくない一心に突き動かされた、ただの子供な気がする。力があるばかりに、子供のまま……その残酷さを止められなかったのかな」
それに、あの最期の言葉。
「誰を守りたかったのかな……」
それを本人の口から聞くことは、もう出来ない。
けれど、あの人なら知っているのではないか――そう思って、藍は宮本を見る。
彼は既に意識を取り戻していた。
「んみゅ……」
魂が抜けたように呆然と座り込んでいるその姿を見て、ユリアはふと考える。
殺してくれと願うのは命の放棄ではないだろうか。
「……“誰か”でいいの? 自分にとっての“唯一”とかじゃなくてもいいのかな?」
ヴァニタスだからもう死んでいると考えれば、もう一度死に直すことに拘りはないのかもしれないけれど。
「私にはわからないけど……死ぬのも生きるのも後悔しなければいいねん。……誰だって、ね」
誰であろうと、何をしてきた人であろうと……たとえこれまでの人生が後悔だらけだったとしても。
「呆けている場合じゃないだろう」
ミハイルが宮本の肩を叩く。
「罪の意識があるなら、時間が残されているうちに少しでも償いをしたらどうだ」
具体的には、牧場の開放に協力してもらえると助かるのだが。
「催眠ガスあるか?」
その問いに、宮本はゆっくりと首を振る。
「毒ガスだって本当に仕込まれてるのか、わかったもんじゃない……試しにボタン押してみるか?」
「いや、遠慮しておく。……そうか、眠らせて運び出せれば楽だと思ったんだがな」
「もし正気に戻ったら、こいつらは牧場の出来事を覚えているのだろうか?」
アドラーの問いにも、宮本は首を振った。
「恐らく何も覚えていないだろう……浦島太郎みたいなもんだな」
「そうか、なら……まあ、良かったと言って良いんだろうな」
それでもリハビリは大変だろうが、記憶が残されていた場合と比べれば、それほど深刻な傷は残らないだろう……と、思いたい。
「ここに放送設備はありますか?」
今度は佳槻が尋ねてきた。
「そろそろ洗脳が解け始める人が出て来るかもしれません。あらかじめ事情を説明しておけば、パニックも起こしにくいだろうと思うのですが」
「ああ、それなら……」
勝手に使えばいいと、宮本は制御室を顎で示す。
暫くすると、ドーム内のスピーカーから佳槻の声が流れ始めた。
彼等がドーム内で悪魔に捕らえられていたこと。
詳細は安全な場所に移動してから説明すること。
撃退士の指示に従って欲しいこと――
繰り返し呼びかけ、それに応じた人から誘導していけば良いだろう。
「それじゃ、私も手伝おうかしら」
華宵は変化の術で尖った耳を隠すと、ドームに向かって歩き出す。
「あの人達を怯えさせてもいけないし……」
そこまで言って、気が付いた。
「あらあら、これじゃ私の耳がどうこうより、もっと酷いことになりそうね」
斬られ、潰され、叩き付けられて床一面に飛び散った、イカの残骸。
これはちょっと一般人には見せられない。
それに、片隅に転がった小さな遺体も。
「とりあえず何かで隠したいわね」
「それなら雪でどうかな?」
「おぉ、藍ちゃんあったまいいー☆」
雪なら地上に出ればどっさりあると、藍とユリアは早速駆け出して行く。
「なんだ、人間じゃなくて雪運びか」
話を聞きつけたアドラーがそれに続いた。
「どっちでもいい、手伝うぜ」
「それはいいけど、どうやって運ぶつもりかしら?」
首を傾げつつ華宵も後を追う。
まあ何とかなるだろう……だって久遠ヶ原の生徒ですもの。
「後はマルコシアスに関する情報か。知っていることがあるなら全部話せ」
これも償いのうちだと、ミハイルは宮本を促す。
しかし彼はマルコシアスに会ったことがなかった。
「レドゥの話で聞いたくらいでな……恐らく情報量はあんたらとそう変わらない。ただ、本当の姿は蝙蝠の翼と蛇の尻尾、頭に二本の角が生えたミノタウロスと人間のハーフの様なものだと言っていた」
それに、今でこそただの下っ端悪魔だが、元は高位の貴族だったらしいということも。
「あとは、えらい子沢山だってことか……それくらいだな、俺が知ってるのは」
「呂号さんのことは? 何か知りませんか?」
雅人が尋ねる。
「ああ、彼女は……俺も名前は知らないが、現場は見ていたよ」
呂号がヴァニタスにされた時、宮本は既に以号としてレドゥの傍に仕えていた。
「彼女は幼い弟を守ってレドゥと戦おうとしたんだ……勝ち目もないのにな。結局、彼女は何も守れなかった。でも、レドゥはそれでも必死に戦おうとする姿を自分に重ねたんだろうな」
「どういうことです?」
首を傾げる雅人に、宮本は続けた。
「レドゥにも弟がいるんだ。だが、それがどうにも出来の悪いポンコツらしくてな」
弟が自分のように戦場に駆り出されることになったら、確実に命を落とす。
だが自分が頑張っている限り、その順番が弟に回ってくることはない。
「あの子はあの子なりに、大事なもんを守ってたのさ……やり方は褒められたもんじゃなかったがね」
レドゥが死んだ今、その弟が彼の代わりを務めることになるだろう――務まるものならば。
「あんたらは、その子も殺すのかい?」
答えを望んではいない口調で、宮本は尋ねた。
「さて、これで俺の知ってることは全部話した。もういいだろう……死なせてくれよ」
「そうはいかない。言っただろう、章治が泣くと」
藤忠が割って入る。
「その命が尽きる前に、会ってやってくれないか。会えないというなら電話や手紙でも良い。生きたいなら新たな主も探してやる。だから――」
「……あんたらがあいつのダチなら、もう何も心配はいらないな」
聞いているうちに、宮本の顔が綻んでくる。
「俺は少なくとも、一人は救えたらしい……もう、充分だ」
「何が充分なもんか、章治と話してみろ、もっと驚くぞ」
そして会わずにはいられなくなるという予言を付けて、ミハイルは通話中の表示が出ている携帯端末を宮本に手渡した。
「本人だ」
そのまま押し付けるように手渡して、ミハイルはその場を離れた。
誰が何と言おうと、宮本は学園で保護する。
学園側にはレドゥの強い支配下により無理やり協力させられたと言えばいい。
望むなら家族の墓参りもさせてやろう。
見付かる可能性は低いが、ヴァニタスを養うことが出来るはぐれ悪魔も探してやる。
それが無理でも、せめて命が尽きるまでは楽しく過ごさせてやってもバチは当たるまい。
「さて、片付けの手伝いでもするか」
夢中で話し込んでいる宮本の様子を横目で見ながら、ミハイルは歩き出す。
「俺達も手伝ってこよう」
藤忠はあけびの頭をそっと撫でた。
お前が心を痛めることはないと、想いを込めて。
しかし、穏やかな時は続かない。
マルコシアスを抑えていた部隊が全滅したという報告が入ったのは、その直後だった。