●四人でお泊まり女子会、男子もいるよ!
夏雄(
ja0559)とユリア・スズノミヤ(
ja9826)、それに木嶋 藍(
jb8679)は、言わずと知れた仲良し三人組。
今日はそこに飛鷹 蓮(
jb3429)も加わって、四人でお泊まり女子会だ。
約一名男子が混ざってるとか気にしたら負けだ、お泊まりも四人一緒の部屋だけど女子会だから問題ないね!
というわけで、まずは海賊船でスイーツ食べ放題。
「私の前で食べ放題の看板を掲げるとは……覚悟せぃ!」
久遠ヶ原にはこんな伝説がある。
ユリアに狙われた食べ放題会場は一瞬にして食材が底を突き、彼女が通った後には皿の一枚も残らないと。
「もぉー、誰にゃーそんな根も葉もないけど花くらいはありそうな噂流したのはー」
「ゆりもん、そこは認めるんだ?」
ユリアより先にせっせと小皿……いや、大皿にケーキを取り始めた藍が笑う。
「チョコケーキ食べたい、あとイチゴと生クリーム!」
「だってほら、白百合だしまんざら嘘でもないかなーって」
「そうだね、お皿は残るけど他はなんにも残らないし……あ、ホール切らなくても平気ですよー?」
「とりあえず牛一頭分のお肉――あ、スイーツでしたか」
「え、もう切っちゃってあるんですか、じゃあ崩さないように丸ごとお願いしますー」
「じゃあ、タライ三個分のケーキからいきまっしょぃ☆」
二人の会話は微妙に噛み合っているような、噛み合っていないような。
まあお互いの間では通じているようだから、問題はないのだろう。
「白と青の姫は本能のままだな」
洋菓子と珈琲を適当に取ってきた蓮は、あれだけ食べて何故太らないのかと思いつつ席に着く。
が、あまりの食べっぷりに少し心配になってきた。
「ふむ、飲み物でも用意しておくか……万が一喉に詰まらせたら大変だ」
再び席を立ち、ドリンクバーに向かう。
何が良いだろうかと選びながら、ふと気が付いた。
「……何だろうな、保護者のような……」
ような、というよりそのものと言った正しい気がするけれど、その思いにはそっと蓋をしておく。
「藍、ブラックの珈琲だ……飲めるよな?」
「……ミルク、入れて?」
差し出された真っ黒な液体を見て、藍は笑顔で即答した。
もちろんその要求に逆らえる者はいない……多分、ただ一人を除いては。
だが残念なことに、その彼はこの場にいない。
つまり今、藍の暴走を止められる者は誰もいないということだ。
なお、ユリアの食欲も止められない。
恋人の蓮にも制御不能ということはつまり、それは人類には早すぎた何かなのだ、きっと。
「二人ともよく食べるね……こっちはケーキ二つで満足だ……」
ちびちびとケーキを口に運びながら、夏雄がその様子をじっと見ている。
彼女のケーキ二個はもちろん、ホールで二個ではない。
恐らくそれが女子としては一般的……え、ショートケーキ二個で満腹になる女子なんてリアルでは希少生物?
まあ、とりあえずそれは置いといて。
「ま、お茶飲んで待ってるから、ごゆっくりだ」
しかしただ待っているだけというのも……いや、二人の様子は見ているだけで面白いけれど、折角だから何か余興を。
「ふむ……どうだい蓮君、予想しないかい?」
「予想か、賭けでもするのか?」
「そういうわけじゃない、ただの遊びだよ。あの二人が満腹になるのが先か、厨房の偉い人が直々に登場するのが先か」
「なるほど、それなら俺は……いや」
蓮は言いかけてやめた。
「取り敢えず……厨房にはチアシードを沢山入れた菓子を作ってもらいたいな」
「ふむ、それが君の答えなんだね」
波風を立てず、誰も不利益を被らない賢い選択。
ところで、あの二人に満腹という概念はあるのだろうか。
「お腹もいっぱいになったし、次は何を食べよっか……じゃなかった、何して遊ぶ?」
藍がついうっかり漏らしたところによれば、やはり二人の胃袋には果てがないようだ。
「どんなに食べても腹八分目、健康的だにゃー☆」
ものは言いよう、まあ本人がそう言うならそうなのだろう。
そして一行はダンスホールへと雪崩れ込む……ああ、もちろんちゃんと着替えてからね!
夏雄は白のタキシード、藍はブルーのひざ丈シフォンドレス。
ユリアはアッシュレッドのスリット入りロングドレス、蓮は黒のタキシードに暗赤のネクタイで決めている。
「ここは生演奏なんだね、いいなー私も混ざりたいなー」
「よーし混ざっちゃえー☆」
どーん!
ユリアに背中を押され、藍は飛び入りでピアノの前へ。
それを見て蓮が続いた。
「ふむ、久しぶりに奏でてみるか。ヴァイオリンはあるか?」
余った楽器を手渡され、蓮は即興で軽く弾いてみる。
それに応じてノリの良いバンドメンバーが音を重ねて始まるセッション。
「って、え?」
飛び入りっていいの、と即席楽団の演奏に聴き入る夏雄。
そうか、いいのか、ならば――
「……まぁ、掻き捨てか……」
旅の恥ならぬ飛び入りの演奏は笑いのタネくらいにはなるだろう。
トランペットを借りて、とりあえず音を出してみる。
ぷぉん!
「……出た……」
「なっちゃんすごーい! 初めてでちゃんと音が出るなんて!」
そうか、すごいのか。
音階とかよくわからないけれど音さえ出ればこっちのものだ、トランペットはドラムだと思え。
「じゃあ始めるよー! 君◯瞳に恋してる、でノリよく行こう!」
藍のリードで本格的な演奏が始まった。
ボーカルのメロディをピアノが歌い、そこにヴァイオリンが華を添える。
トランペットは適当なところで合いの手を入れて。
曲のノリに合わせて、ホールの天井からキラキラ光るミラーボールが降りて来た。
七色のスポットライトが照らすその下では、ユリアがソロで音に乗る。
「私のダンス、安くないけど今夜は特別、タダで見せちゃうよん☆」
一曲をフルで踊ると、今度は蓮に手を伸ばす。
「もしもしそこの赤鷹さん? 私のリードを取れるかにゃ?」
ヴァイオリンを置いた蓮は差し出された手をとって、優雅に膝を折った。
相手はプロのダンサー、しかしここは自惚れてもいいだろうか……いや、自惚れるべきだな。
「ユリアをリード出来る男は俺しかいない」
「おぉ、言い切ったー」
言い切ったからには見事にリードしてみせると、更にノリの良い曲に合わせてステップを踏む。
少し調子の外れたトランペットの合いの手が、楽しげに「ぷぉん」と鳴った。
「みんな恋する幸せな夜を!」
やがて夜も更けて、即席バンドとダンサー達は予約しておいたホテルの部屋に雪崩れ込む。
部屋の作りは横長で、中央の壁際に置かれたサイドテーブルを挟んだ両側にシングルベッドが二つずつ並んでいた。
「楽しかったー!」
藍は一番端のベッドに思い切りダイブする。
そのまま寝落ちてしまいそうだけど、まだまだ寝るのは勿体ない。
「4人でお泊りなんて初めてじゃない? 楽しいね!」
「夜更かしは女子の嗜み……」
その隣には夏雄が転がり、少し間隔の空いた向こう側にはユリアが……と思ったら、こっち来た。
「まだ寝ないし、みんなと一緒がいいにゃー」
夏雄の隣でゴロゴロ、眠くなるまでお喋りしようねー。
「やっぱりこの4人は安心するねん」
そんな女子の生態を目の当たりにした黒一点は、とりあえず端っこに避難――しようと思ったのだけれど。
「蓮もこっち来るにゃー」
女子トークに混ざれとのご命令、これは逆らえない。
「蓮さん、れーくんって呼ばせて?」
引っ張り込まれたところで藍にそう言われ、蓮は「子供の頃を思い出す」と小さく笑った。
「勿論、構わないぞ」
「ありがと、れーくん!」
そして始まるのは当然のように恋バナである。
「じゃあまずは、新入りのれーくんからね!」
「新入りって」
それより何を話せば良いのか、恋バナと言われても男同士で話すような内容はドン引かれるだろうし……
と、迷っているうちに話題は既に次へ飛んでいた。切り替え早いよ女子トーク。
「……藍ちゃん、寂しくない?(にま」
ユリアの問いに首を振ってみるものの、藍の顔には本音が溢れ出していた。
「付き合ってるのに、片想いしてたときより逢いたいのはなんでかな……は!」
心の声がだだ漏れしていたことに気付いた時にはもう遅い。
「い、今のなしなし!」
「おー、見事な林檎顔にゃー、おいしそー」
じゅるり。
そう言えばここってルームサービスあるのかな?
あるなら何か夜食でも……え、夜中に食べると太る?
大丈夫、ダイエットは明日から!
そして気が付けばもう朝だった。
女子トークに付いて行けず、仕方ないので夏雄がいつ寝落ちるかと観察していた蓮は、彼女が遁甲の術で姿を消したところまでは覚えていた。
しかし、そこから先の記憶がない。
「温い……この香、君か」
半分眠ったまま、蓮はその温もりを抱きしめる。
そして二度寝から目覚めた時、ベッドの脇には興味津々の顔が並んでいたことは言うまでもない。
いや、何もないからね、期待してるようなことは何も……多分。
その後、四人は海賊船から飛行船に乗り移り、そこからダイビング帰宅を果たすことになる。
「えーっと、パラシュートは……」
「夏えもんは大凧で行く?」
「……え? 大凧……は……流石に用意されてないんじゃないかなー……流石に……」
え、あるの?
「うんうん、やっぱりニンジャは大凧だよね!」
テレビで見たと、ユリアはご満悦。
準備を整え、着地点を見極めて――いざ!
「ユリア、行きまーす☆(でゅわっ ちょっくら雲の城まで旅してくるー」
一瞬の躊躇もなく飛び降りたユリア、それを追って藍と蓮が身を投げる。
「ラ〇ュタは本当にあったんだ!」
そして最後に夏雄の大凧が……風に流されどこまで行くのか。
「着地点は……ハッ!?」
「なっちゃんどこまで行くのー!? ゆりもんも捕まってー!」
夏雄に抱き付きユリアの手を繋ぎ、藍は翼を広げる。
空中ダイブは楽しいけれど、安全第一とブレーキをかけた。
翼に助けられてゆっくりと降下する三人。
しかし藍は降下速度を抑えるのに手一杯で、風に逆らう余力はない。
大凧は流れ流され、どこまで行ってしまうのか。
「国境を越えたら面倒なことになりそうなんだが……」
ひとり普通にパラシュート降下した蓮は、三人の行方を目で追ってみる。
しかし今、彼に出来ることは何もなかったのだ――ただ、祈る他には。
●二年目の挑戦と、その先の未来
クリス・クリス(
ja2083)が華麗なる社交界デビューを果たして早一年。
「今年は成長した姿をお披露目だよ♪」
というわけで、今年も来ました海賊船のダンスパーティ。
「今どきレディは積極的に動かなきゃ」
「あら、クリスさんもダンスを? 素敵じゃないですか」
一緒に来ていた真里谷 沙羅(
jc1995)に言われて、クリスは「でしょ?」とにっこり笑う。
けれど困った相手がいない。
そりゃそうだよね、ダンパって普通は最初からペアで参加するものだよね。
海外ドラマなんかでよく見る学園ものの卒業パーティとかでも、まずは相手探しから始めるもんね。
会場に行けば誰かしら見付かるだろう、なんて考えが甘かった。甘すぎた。
「うーん、普通ならこんな可愛い子を放っておくはずがないんだけどなー」
自分で言っちゃうくらい、今日のクリスは可愛い。
シルクのドレスに白百合の髪飾り、足元は無理せずヒール低めのパンプスだが、肩にふわりと掛けた桜色のストールが少し背伸びをしているようで、そこが却ってチャームポイントになっていた。
「可愛いぞクリス、さすがは俺の娘だ」
ミハイル・エッカート(
jb0544)が鼻の下を伸ばす。
「こんな可愛い娘を壁の花にしておくとは、ここの男どもは見る目のないジャガイモばかりか、芽が出て腐ってるんじゃないのか」
酷い言われようだが、相手がいたらいたで文句を付けたい親心。
誰か生贄……じゃなかった、ダンスのお相手はいませんかーと、クリスは周囲をきょろきょろ。
「あれ?」
その目に留まったのは、どこかで見たような三人組。
「……って、黒咎の人だー」
サトルにマサト、そしてアヤの三人は風雲荘でよく顔を合わせるお馴染みさん。
けれどすぐにはそれと気付かなかったのは、三人とも普段とは違った装いをしているせいだろう。
男二人はタキシード、小柄なサトルは服に着られている感じでちょっと七五三のようにも見えてしまうが、図体だけは一人前のマサトは良い感じに決まっている。
いつもは動きやすいラフなパンツ姿のアヤも、今日はシックなドレスに身を包んでいた。
(「普段と違うおめかし、格好いいなぁ」)
あ、いやいや、笑っちゃいけない。
いくら普段とのギャップが激しすぎるからといって、ねぇ?
それはそうと、あの三人なら丁度良いかもしれない……ほら、ペアで踊るなら男の子がひとり余るわけだし。
なお、まさかの男同士という可能性は考えないことにした。
(「知らない顔じゃないし……よし」)
意を決したクリスはするすると三人に近寄り、ドレスの裾を優雅に摘んでご挨拶。
「宜しかったら一曲お願いできますか?」
「え、俺!?」
標的はマサトだった。
体格差から言えばサトルの方が適任かとも思えたが、彼はどうも社交的とは言い難い。
その点、マサトは単純バk……いやいや、ノリが良いからきっと快く応じてくれるって信じてる。
「うぉ、どーすべ! 逆ナンされちゃったよ俺!」
反応がアホなのも大目に見よう。
と、その前にゆらりと立ち塞がった黒い影。
「ほう、選ばれたのはお前か、マサト」
はーどぼいるどなみはいるぱぱ、ここはひとつ言っておかねばとプレッシャーをかける。
「いいか、舞い上がるなよ? そして勘違いするな、恋人同士とかそういうのじゃないからな」
「ったりめーだろ、相手は小学生だぞ」
「春から中等部だよ!」
しかし、クリスの反論は二人の耳を右から左。
「ふっ、小学生と高校生なら確かに釣り合うとは言い難い、だが二十歳を超えれば五歳や十歳の差など誤差に等しいものだ」
いっそ二十の差があっても愛があればオールOK。
「って何の話してんだよオッサン!」
「もー、ぱぱったら今はそういう話じゃないのー」
言われてはっと我に返るミハイル。
「まあいい、俺が手本を見せてやる……これが大人のダンスというものだ」
ミハイルは沙羅の手を取って踊りの輪の中へ。
今宵の沙羅は清楚セクシーなミントグリーンのドレスに身を包み、編込んでハーフアップにしたピンクブラウンの髪には白い花が飾られている。
一方のミハイルは定番のタキシードにミントグリーンのポケットチーフ、さりげないお揃い感が大人のオシャレだ。
二人で優雅に踊りつつ、ミハイルはマサトに向けてチラチラと視線を投げる。
(「娘に恥かかせたらどうなるか分かってるだろうな?」)
少年を萎縮させるのもマズイと思い、眼光は極力ソフトに……しかし、その努力はさほど実を結んでいるとは言い難かった。
「こえぇ、足とか踏んだら殺されそうじゃん?」
「大丈夫だよ、踏まれないようにボクがリードするから」
「いやいや、リードするのは俺だろ」
なんやかんや言いながら、二人はお手本をじっと見つめる。
「何より楽しむのが一番ですよ」
一曲踊り終わった沙羅は、そんなアドバイスと共に花飾りをクリスの髪に挿してやった。
「沙羅さんとお揃いだね、ありがと♪」
「とても良く似合っていますよ」
自信を持って行ってらっしゃいと、沙羅はクリスの背をそっと押す。
「行って来ます……っと」
マサトに手を引かれながら、クリスはサトルとアヤの前で立ち止まる。
「折角なので、お二人もご一緒に(にぱ」
「そうね、サトルが相手じゃお遊戯みたいだけど」
くすりと笑って、アヤはサトルの手をとった。
「自分こそ、フォークダンスと間違えないでよね」
ぼそっと一言、サトルが呟く。
こちらも結構良いコンビかもしれないと思いつつ、クリスは気合いを入れた。
(「ボクも頑張らないと……」)
マサトは大きいから、うっかりすると振り回されそうになる。
そうでなくても大人と子供のように見えるだろうから――まあ実際にほぼその通りなのだけれど、なるべく対等に見えるように背伸びして、動きを大きく。
サトルとアヤのペアと合わせて見栄えするように、出来れば負けないように、華麗にステップを踏んで。
暫く踊って少し余裕が出来たところで、クリスはカメラを構えつつ微笑ましそうに見守る沙羅と、心の中で何かと戦っているミハイルにも声をかけた。
「パパと沙羅さんも一緒してくれるともっと嬉しいのー」
誘われて、二人は互いに顔を見合わせる。
「そうだな、行くか」
「ええ、行きましょう」
大人の本気を見せてやろう――え、それが既に大人げない?
また別の日、ミハイルと沙羅は空の上にいた。
「今日は大人のデートだ」
大人のと言っても夜のあれこれではない、大人だって楽しみ方は人それぞれに色々あるのだ。
二人は飛行船に乗り込んで透明デッキへと向かう。
しかし、船内マップの指示通りに歩いたはずなのに、辿り着いたのは白い床材が敷き詰められた、ごく普通の展望デッキだった。
「場所を間違えたのでしょうか?」
「いや、地図の方が間違ってるのかもしれないぞ」
どうやら他の乗客達も状況は同じらしく、皆が落ち着かない様子で辺りを見回したり、ウロウロと歩き回ったりしている。
或いはこれも余興のひとつで、オリエンテーリングにでもなっているのだろうか。
だとしたら、本物の透明デッキに辿り着くためのヒントか何かがありそうなものだが――
と、その瞬間。
「きゃあぁっ!?」
床が抜けた。
一瞬ふわりと浮くような感覚を覚え、それを自覚した途端に今度は強烈な重力に引っ張られる。
「沙羅!」
ミハイルはその身体をしっかりと抱きしめた。
とは言え翼もない身では落下の衝撃に抗うすべもなく……、…………いや、何か変だ。
修学旅行で体験したパラシュート無しスカイダイビング、あの時に感じた衝撃はこんなものではなかった。
それに耳元で唸る風の音も聞こえない。
(「静かだ、死の瞬間というものは、こんなにも穏やかに……いやいや、落ち着け俺!」)
そっと目を開ける。
自分も沙羅も、他の乗客達も、何もない空間に浮かんでいた。
いや、何もないというのは事実ではない。
そこに何かがあると、足の裏の感覚が告げていた。
具体的には、床が。
なるほど、床がいきなり透明になったから落ちたような錯覚にとらわれ、更にあるはずもない強烈なGまで感じてしまったらしい。
心を鎮めて周りをよく見れば、床ばかりではなく壁も天井も透明になっている。
原理はわからないが、久遠ヶ原の技術ならそういうことも出来るのだろう、多分。
「沙羅、大丈夫だ……俺達は生きてる」
ミハイルにしがみつき、手の筋が白く浮き上がるほどに上着の背を握り締めていた沙羅は、その声にはっと我に返った。
「……え……?」
慌てて身体を離し、こわばった両手を胸元で組み合わせて隠すように顔を伏せる。
「ごめんなさい、服が皺に……」
「いいんだ」
むしろこの頼りにされてる感は最高のご褒美、男に生まれて良かったと感じる至福の瞬間。
「もう平気か?」
その問いに、沙羅は小さく頷いた。
見えないけれど、足元はしっかり支えられている。
それを理解すれば怖いことなど何もない……と、理性は冷静な判断を下していた。
理性では。
「透明と言うのがドキドキしますね……」
高い所は苦手と言うほどではないし、落ちないと理解もしているけれど、やはり多少の怖さは残る。
それを感じ取ったのか、ミハイルはその身体をそっと抱きしめた。
「こうしていれば、怖くないだろう?」
「ええ」
そっと寄り添い、その存在と温もりに包まれて肩の力を抜く。
と、その目の前で見覚えのある小さな翼が揺れた。
二人で作ったペアストラップの片割れだ。
沙羅は目の前で揺れる右翼に自分が持っている左翼を重ねてみる。
二つが揃うと、一対の翼が出来上がった。
「俺、沙羅と一緒ならどこまでも飛べる気がするぞ」
「私もミハイルさんとならどこまでも行けると思います」
二人なら、互いの互いの足りないところを補って何でも出来る――そんな気がする。
彼等の未来は、きっと明るい。
●最初の音は
まだ誰もいない、海賊船のダンスホール。
その隅に置かれたグランドピアノの前に座り、Rehni Nam(
ja5283)は開いた楽譜を見るともなしに眺めていた。
この戦いが終わったらどうしようか――心の隅でいつも問いかけていたその声に、最近は具体的な返事を返せるようになっていた。
自分の進むべき道はここにあると、指先で白い鍵盤をそっと押し下げる。
狂いのないラの音が、控えめな音量でホールに放たれた。
レフニーの道はここまで来た。
そしてまた、ここから始まる。
恋人の影響、そして自身も以前から趣味としていたこと。
幸いにも、趣味の領域を越える技術を持ち得たこと。
それらが重なって今、レフニーは本格的に音楽家としての道を歩き始めようとしていた。
最近は演奏者として、機会があれば積極的にイベントに参加している。
プロとして要求されるのが演奏技術の高さだけなら、その基準をクリアするのは難しくないだろう。
技術的なものは練習を重ねればそれなりに何とかなるものだ。
しかし、それだけではただの「演奏の上手い素人」と変わらない。
必要なのはむしろ、テクニックでは補えない何か――場の空気を音楽で温めたり、彩ったり、聴衆を巻き込んでどこか別の世界へ飛び立つような……表現力とも違う、一人では作れない何かだ。
だからレフニーは、暇を見付けてはせっせと演奏会に顔を出す。
時に聴衆として、時に演奏者として。
今回のバイトもその一環、いわゆるOJT――要するに場数を踏んで自分を鍛えろ、みたいなものだった。
「自分の思い出を作るのも大事ですけどね」
今はそれよりも、誰かの思い出に色を添えるために。
「その色のひとつひとつが自分の大切な思い出にもなりますし」
いずれは彼と一緒に様々な色を紡いでいけるように。
それがきっと、一番大切な思い出になるのだろう。
だから今は、そのために必要なことを地道に積み重ねていくのだ。
昼間は服装もカジュアルに海賊船のデッキで軽めのムード音楽やクラシック、ノって来たら即興のジャズアレンジなども加えて。
ピアノの担当が他にいる日はヴァイオリンに回り、どちらの楽器でもリクエストには柔軟に応じて。
「定番はもちろん、流行りの曲や懐メロもドンと来いですよ」
アニメの主題歌もボカロ曲も、演歌、民謡、浪花節だって……え、そんなリクはない?
そして夜はシックな衣装で、優雅なワルツをメインに大人の時間を演出する。
たまに天井からミラーボールが降りて来たりもするけれど、慌てず騒がずノリよくモードチェンジ。
このバイトを完璧にこなせたら、もう演奏会でのどんな無茶ぶりも怖くないかもしれない。
●PTSD? いいえ、STPDですわ
「え、今日は休みなんですか?」
今日も託児所バイトに精を出そうと飛行船に乗り込んだ黄昏ひりょ(
jb3452)は、急な知らせを受けて困ったように眉を寄せた。
聞けば今日は、学生の団体が船を丸ごと借り切っているらしい。
だいぶ前に予約が入っていたものを、担当者がうっかり忘れたままスケジュールを組んでしまったようだ。
「いやぁ申し訳ない。その代わりと言っちゃなんだが、今日は一日自由にしていいから」
もちろん客の邪魔をされては困るが、貸切と言っても船の全部を使うわけではない。
空いている場所ならどこでも好きな場所に出入りして構わないというわけだ。
「……とは言っても……」
思いがけずに休みをもらえたことはラッキーだが、さて、どうすれば良いのか。
これといって見たいものがあるわけではないし、高所恐怖症にとってはむしろ周りの景色など見えないほうが有難い。
(「高いところが苦手なのにどうして飛行船でバイトしようなんて思ったのかって?」)
それは、あれだ。
託児所なら去年の経験が活かせると思ったから。
でも去年と全く同じというのもつまらないし、新しい環境には新しい出会いが待っているかもしれない、なんて淡い期待もあったりして。
飛行船だって全部が透明になっているわけではないし、外の景色さえ見なければ高層ビルの上階にある部屋と何ら変わりはなかった。
お陰で今まで、何の問題もなくバイトを続けていたわけだが……さて、この大量に持て余した時間はどうすれば良いのか。
(「ん〜一人でぼ〜っとするのもなぁ……」)
それに、この飛行船には透明デッキ以外の売りが殆どない。
ゲームコーナー等の遊戯施設もあるが、わざわざ高度300mまで来てやることがそれというのも、ちょっと虚しい。
(「少しだけ、覗いてみようかな……」)
借り切ったのは学生の団体だと言うから、知った顔もあるかもしれないし。
結果――知った顔どころではなかった。
「凛さん!?」
その声に、テーブルの準備をしていた斉凛(
ja6571)が顔を上げる。
「いらっしゃいませ、飛び入り大歓迎ですわよ?」
2015年の春、修学旅行。
凛と愉快な仲間達は空の上でお茶会を開いた。
それがSTPD、スカイティーパーティーダイビングの記念すべき第一歩。
そして今――
「空がわしを呼んでる気がするのじゃ」
熊の着ぐるみに身を包み、首に唐草模様の風呂敷を巻いた上野定吉(
jc1230)は、頭上に浮かぶ巨大な飛行船を見上げて感嘆の溜息を吐いていた。
発着場で離陸を待つ飛行船は、ラグビーボールの下にピーナッツをくっつけたような形に見える。
ボールがヘリウムガスの詰まった本体、ピーナッツが人を乗せるゴンドラだ。
定吉はゴンドラの入口に向かって伸びたタラップに足をかける。
「空飛ぶお茶会、良い響きじゃのう」
わくわくが止まらない。
定吉が乗り込むと、飛行船はそれを待っていたかのようにふわりと浮き上がる。
充分に高度を取ったところで、デッキの床が透明になった。
「うおぉ!」
定吉は見えない床に足を踏ん張り、腰に手を当てて堂々と仁王立ち。
「わしは来た! 二年ぶりの空に!」
目に映る景色がじわりと滲んだ。
「あれから二年。また皆で集まってお茶会嬉しいですわ」
「ええ、今日は久しぶりに皆さんに会えますね」
凛の言葉に夜桜 奏音(
jc0588)が微笑を返す。
お茶会の楽しみと言えば、美味しいお茶とお菓子、そしてお喋り。
けれど、その為の準備もまた楽しいものだ。
凛は透明デッキにアンティークソファを持ち込んでいた。
同じデザインの丸テーブルにレース編みのテーブルクロスを広げ、その真ん中にはまだ何も載せられていない三段重ねのケーキスタンド。
名前にこそ「ケーキ」と付いているが、そこに載せられるのはケーキばかりではない。
「それぞれの段には載せるものが決まってるのよね」
真白 マヤカ(
jc1401)が皿をセットしながら言った。
「一番下はサンドイッチ、昔はキュウリを挟んだだけのものだったらしいいけど、さすがにそれだけじゃ味気ないわよね」
ということで、そこにハムとチーズを加えて一口サイズにカットしてみました。
「真ん中の段にはスコーンね、クロテッドクリームとベリーのジャムもたっぷり用意したわ」
そして最上段にはケーキが置かれるのが正式なアフタヌーンティーのスタイルだが、仲間と楽しむお茶会にそんな格式張ったしきたりは必要ない。
「真ん中には苺のケーキとタルトも添えてみたの。そして一番上にはこれよ」
一口で摘めるマカロンや、花型クッキーにビスケット、メレンゲを少し混ぜた空をイメージした水色のゼリーに、ガナッシュ、ボンボンなどのチョコや飴を絡めたアーモンドなどなど。
載せきれない分は硝子の器に盛って、テーブルを飾る花の代わりに飾り切りした新鮮な果物を添えて。
その全てがマヤカの手作りだ。
朝から厨房に籠もり、今日という日が素敵な一日になるようにと願いを込めて。
「味は保証するわよ、これでもお料理はそこそこ出来るんだから」
特にお菓子作りは得意分野だ。
ただし料理の腕前とドジっ子属性との間に相関関係はない。
料理が出来るからといってドジを踏まないとは限らないのだ。
完成までに数多の試練がマヤカ襲ったが、その戦いの記録は後でじっくりと振り返ることにしよう(訳:なんか厨房がすごいことになったから、後で片付け手伝ってくれると嬉しいな!)
「まだ他にもあるけど、ちょっと載せきれないかな?」
「でしたら、こちらのテーブルにどうぞ」
奏音に声をかけられて、マヤカは「こちら」と示された方を見る――が。
「え? そこ何もないわよ?」
首を傾げるマヤカに、奏音は何もない空間を叩く仕草をして見せた。
コンコン、堅い音がする。
「透明なテーブルセットを置いてみたのです」
テーブルもクロスも、椅子も透明。
それが透明な段差の上に置かれている。
「そのままでも空から落ちているかのように見えるでしょうけれど、こうして高低差を付けてみると、よりその感覚が際立つのではなでしょうか」
奏音が更に高い場所を指さすと、そこには花瓶や開かれたままの本が宙に浮かんでいるように見えた。
「あの場所はちょっとした広場になっていて、そこの透明な階段を上がって行けるのですよ。空中庭園ならぬ空中広場といったところでしょうか」
その少し下には逆さまになった椅子が浮いているが、そこにも足場か何かがあるのだろう――見えないけれど。
「少し思い付いて、改造していただいたのです」
「面白いわね。じゃあ、もっと色々なものを飾って賑やかにしましょ!」
「あっ、走ると危な――」
ごんっ!
「いったぁっ!?」
言われたそばから、マヤカは向こう臑をしたたかに打ち付けた。
「気を付けて下さいね、何しろ透明ですから……そうそう、この眼鏡をかけると見えるようになりますよ」
サングラスのようなものをそっと手渡す奏音。
「ありがとう、助かったわ」
でも出来れば最初に渡してもらえると、もっと嬉しかったな……!
セッティングも終わり、仲間も揃った。
それぞれの席では、紅茶神こだわりの紅茶が湯気を立てている。
「第二回空中お茶会の開始ですわ」
まずは挨拶からと、馴染みの顔も初顔も皆で一通り自己紹介。
奏音はあらためて凛に向き直る。
「お茶会に招いていただいてありがとうございます」
それから二年前の出来事を思い起こすように、定吉と炎武 瑠美(
jb4684)に視線を移した。
「お久しぶりです。今日は楽しいお茶会にしましょう……私も、いつも通り楽しませてもらいますね」
「はい、今回も良い思い出を作りましょうね」
それに応えて、瑠美は笑みを返す。
表情が少し硬いのは、久しぶりのことに少し緊張しているせいだろう。
「上野さんも、お誘いありがとうございました」
主催者の凛はもちろん、奏音と定吉も二年前にうっかり三途の川を渡りかけた仲間だ。
しかし、今度のお茶会に命の危険は伴わない……はず。
足元は自分の影さえ映らないほどに透明で、わかってはいても時々心臓が跳ね上がるけれど、下を見なければきっと大丈夫。
ドキドキしているのは初めましての人達もいるからだと、自分を納得させてみる。
「皆さんもよろしくお願いします」
身内以外の誰かとこうしてお喋りするのは久しぶりだった。
「よろしくお願いするのです〜」
雲の形をしたふわふわもこもこのソファに身を沈め、春都(
jb2291)が嬉しそうに笑う。
まるで本物の雲のようにデッキのあちこちに置かれたそれは、一人用から三人ほどが並んで座れそうなもの、ベッドにも出来そうなものなどサイズも色々。
どのソファもすっぽりと体を包み込み、座り心地は満点だ。
「えへへ。空の上、雲に乗ってお茶するの……ちょっと憧れだったのです」
「おぉ〜、確かにふっかふかじゃ」
ぼふんぼふん、定吉もまるで初めてベッドを目にした子供のように、その上で跳ねている。
しかし、居心地の良いソファにはひとつ問題があった。
「ふっかふかすぎて一度座るともう立てないのです〜、なんですかこの驚きの吸引力は〜」
これは多分、人をダメにするやつだ。
ダメになるのは構わないけれど(今だけね!)、テーブルに手が届かないのは困る!
「お菓子〜、お菓子が〜!」
「それでは、こうしてみてはいかがでしょう」
凛が透明なサイドテーブルを目の前に置いてくれた……のだと思う、多分。
見えないけれど、お菓子の皿が宙に浮いているところをみると、そこには確かに何かがあるのだろう。
「凛さんありがとう〜!」
「わしも! わしにもそのさいどてんぶるとやらを!」
もうすっかり「動きたくないでござる」状態になった定吉も、ソファにひっくり返ったまま手招きする。
「おお、そうじゃ! すっかり忘れておったわい」
希望通りにテーブルをセットしてもらった定吉は、首にかけたままだった風呂敷包みを解いた。
「わしからも茶菓子を提供させてもらうとするかのう」
取り出したのは煎餅と金平糖、どちらもこの日の為に奮発した高級品だ。
「綿あめもあるぞい、まるで雲みたいじゃろ」
「ええ、紅茶に和菓子の組み合わせも意外に合いますものね」
奏音も彩り豊かな和菓子の数々を手土産に用意していた。
煎餅だっていいじゃない、焦げた醤油の香りが食欲をそそるし、塩辛さが丁度良いアクセントになるし。
「皆様お茶のお代わりはいかがかしら?」
湧かしたばかりのお湯を注ぎ込むと、透明な丸いガラスポットの中で茶葉が踊る。
小さな毛糸の帽子のようなティーコージーを被せて待つこと三分、美味しい紅茶の出来上がりだ。
「こちらはダージリンのファーストフラッシュ、クオリティーシーズンを迎えたばかりの旬のお茶ですわ」
フルーティな甘い香りが特徴で、その味わいはどちらかと言えば緑茶に近いかもしれない。
「お煎餅とも合うかもしれませんわね」
「ふむ、これはまた結構なお点前」
定吉はカップを両手で捧げ持ち、ずずーっと啜る。
お行儀が悪いと咎める者は誰もいなかった。
「眺めは良いし、凛さんが淹れてくださる紅茶は絶品だし、お菓子もどれもおいしいし……ここは天国でしょうか」
雲のソファにすっぽり埋まり、すっかりダメになった春都は夢見心地で下を覗き込む。
同じような格好で空中散歩を楽しんでいた定吉が、テーブルにしがみつくようにして食事に専念していたひりょを手招きした。
「ひりょどのもこちらへ来たらどうじゃ、眺めの良いところで食べたほうが美味いじゃろ」
「え、ああ……うん、ありがとう。じゃあ、そうさせてもらおうかな」
定吉は知らない、彼が高所恐怖症であることを。
だからその提案は全くの善意から出たものだった。
となれば断るわけにはいかないと、ひりょは意を決して歩き出す。
下を見ないようにしながら、そーっと、そーっと。
その様子を見て、凛が言った。
「透明だけど足下があるし大丈夫ですわ……ほら」
ヒールでコンコンと床を叩き、その存在の確かさを示してみる。
(「それはわかってるんだけど……」)
わかっていても、怖いものは怖い。
けれど精一杯に去勢を張って、怖くないと言い張るのが男の子。
「うん、そうだね。大丈夫、全然平気だよ」
額に脂汗が浮いてるとか、顔色が青を通り越して白くなってるとか、そんなのは気のせいだ。
「ほんと、今回は落ちる心配がないから良いですよね」
美味しいお菓子とお茶、そして皆の楽しい会話で緊張もほぐれ、自分から話しかける余裕も出て来た瑠美が微笑む。
それでも、たまに落ちている錯覚にとらわれてビクッと身を縮めてしまうのはご愛敬。
「前の時のお茶会は大変でしたね……」
空中をダイブしながらお茶を楽しもうなんて、無茶ぶりにも程がある。
「いえ、それに嬉々として乗っかった私も大概だとは思いますが……顔に熱いお茶被ってしまったり、コントみたいでした」
当時のことを思い出して半泣きになる瑠美。
「でも、それだけに印象に残る思い出になったのも確かです」
あんな体験、忘れられるはずがない。
けれど、二度目はどうかと言われれば遠慮したいのも確かなわけで、どうか床が抜けたりしませんようにとこっそり祈ってみる。
ちょうどその時、眼下の海を海賊船が横切って行く姿が見えた――いや、こちらが船の上空を通過したと言ったほうが正しいだろうか。
(「ん? あれは……」)
恐怖を忘れ、ひりょは足の下を通り過ぎようとする小さな船に目を凝らした。
甲板に、何か見てはいけないものが見えた気がする。
「ん? どれどれ?」
双眼鏡をすちゃっと構えた春都は、一体何を探しているのか。
「春ちゃん見つかったかしら?」
「あっ、ありました! あれですね!」
あれ、とは。
そう……あれだ、黄昏ひりょの記念すべき青春のヒトコマ。
(「うわ、あのモニュメントまだあるよ。ある意味羞恥プレイだよっ」)
甲板にそそり立つ、と言うか突き刺さった彼の勇姿は未だ健在、空の上からでもはっきりと見てとれた。
「あれが、あの……!」
「ええ、あれですわね」
「どれどれ、わしにも双眼鏡を……ほう、あれが!」
もうすっかり有名人、いや有名像。
甲板の下に埋もれているから顔は見えないし、モデルに関する説明はおろか、それが何ゆえそのような形でそこにあるのか、由来を示す解説なども一切ない。
なのに、そのモニュメントが誰をモデルにし、どんな状況を再現したものであるか、その情報は既に学園中に知れ渡っていた。
「ひりょさん、すっかり有名人ですね」
奏音の言葉に、ひりょは「有名なのはあの像であって自分自身ではない」と反論しかけて諦めた。
きっとそのうち、像の足の裏を撫でると良いことがあるとか、実は夜中になると人間に戻って船の中を歩き回るらしいとか(多分それは船に遊びに来たご本人)、様々な伝説が作られることになるのだろう。
(「ま、いっか。こうして皆の笑いに貢献出来るなら……」)
ひりょは遠い目をして紅茶をすする。
あれ、でもじっと船を見ていたせいか、高いところがそれほど怖くなくなったような……?
その後、あのモニュメントにお参りすると高所恐怖症が治るという新たな伝説が生まれたとか、生まれなかったとか。
「こうしていると翼で飛ぶのとは違うのね」
仲間達のはしゃぐ声をBGMに、のんびりと下を覗き込んでいたマヤカが小さく呟いた。
高さも違うし、何より自分で飛ぼうとしなくても勝手に宙に浮かんでくれるし。
「そうなんですね、人間で言ったら動く歩道に運ばれてる感じでしょうか」
「動く歩道?」
春都の言葉にマヤカはかくりと首を傾げる。
「見たことないですか? エスカレーターが平らになったみたいな……」
「エスカレーターならわかるわ。そうね、そんな感じかもしれないわ」
ほっこりしたところで、お茶をもう一杯。
今度はルフナの葉を使った濃厚なミルクティーだ。
「うむ、これも美味いのう、それに菓子も絶妙な味わいじゃ」
思わず煎餅から浮気しそうだと夢中で頬張る定吉は、徐に立ち上がって紅茶のカップと苺のタルトを高々と掲げた。
「わしは凛どのとマヤカどのが大好きじゃ!」
一瞬、その場の空気が凍り付き全ての視線が定吉に集中した。
まさかの告白、しかも二股宣言。
しかし爆弾を落とした本人は、何故そんなに見られているのかと首を傾げるばかり。
その二秒後、一時停止が解除されたように時間が動き出し、爆弾発言のデータは跡形もなく削除されていた。
「ええ、承知しておりますわ。上野さんは本当にお茶会が大好きでいらっしゃいますのね」
凛の華麗なフォローに、定吉はますます首を傾げる。
いや、それがフォローであることにも気付いていなかった。
「だからわしはそう言ったじゃろう、凛どのとマヤカどのが大好きじゃと」
もうひとつ、定吉が気付いていないことがある。
彼の頭の中にあった台詞と、実際に口から出た台詞には決定的な違いがあったのだ。
その違いとは何なのか、それはご想像にお任せしよう。
やがて弧を描く水平線の向こうに日が落ちようとする頃、楽しいお茶会も終わりに近付いていた。
「うん、雲の上も良いけどこういうアンティークのソファも良いですね! ちょっとお姫様気分?」
春都は様々な椅子を渡り歩いて、その座り心地を試してみる。
透明な椅子に移ると、飛行機のように両腕を広げて足を床から離してみた。
「こうしたら本当に飛んでる気分!」
そうして終わりが近付く寂しさを紛らわせようとしてみたのだが……だんだんと赤みを増してくる空の色は、容赦なく現実を突き付けてきた。
「紅茶もとても美味しかったし、お喋りも楽しくて、まるで夢みたいだったわ」
マヤカが呟く。
「こんな和やかな時間を、大きな戦いが終わった後も過ごしたいな」
そんな瑠美の言葉に、銀の髪を夕日の色に染めた凛が答えた。
「今日が終わってもいつか皆で集まって、永遠のお茶会ですわ」
約束などしなくても、きっと皆が自然に集まるのだろう。
今日ここに集まったことが、二年前からの約束ではなかったように。
「そう言えば、いつの間にか紅茶を飲むのが習慣になってたな」
ひりょが空になったカップの底を見つめながら呟いた。
(「俺の学園生活、考えてみたら凛さんに淹れて貰った紅茶から始まったようなものかもな」)
心の中でその出会いに感謝しつつ、凛の手元を見る。
ポットの中で新しい茶葉が楽しげに踊っていた。
●いつもの裏方さん
イベント開催期間の約一ヶ月間、月乃宮 恋音(
jb1221)は殆ど休む暇もなくバイトに精を出していた。
昼間はオープンカフェ、夜はディナーショーで主にマネジメントや厨房での調理を担当し、客が多い時間帯にはホールでの給仕も行う。
更にはイベント会場に急病人が出れば救急対応と病院への搬送を手配し、ホテルの担当が人手不足で倒れそうだと聞けば行ってその仕事を手伝い、そういう人に恋音はなっていた。
海賊船では配属先ごとに制服が違う。
しかし恋音はこんなこともあろうかと、事前に全職種の制服を手に入れていた。
ただしどの服もそのままでは着られない――主に胸囲が脅威であるために。
そのため全てを二着ずつ用意し、上半身のみ二着分の生地を使って仕立て直すという方法で自分専用にカスタマイズ。
そうした周到な準備の甲斐もあって、彼女は今やあちこちから引っ張りだこになっていた。
「恋音、ホテルの方でルームサービスが滞っているようですよ」
今年から共に働くことになった恋人の袋井 雅人(
jb1469)に言われ、恋音は少し心配そうに厨房を見渡す。
「……わかりましぁ……袋井先輩、その間はこちらの仕事をお任せすることになってしまいますが、大丈夫でしょうかぁ……」
「心配ありませんよ、こちらはそろそろ客も引ける頃合いですから」
その言葉に頷き、恋音は素早く制服を着替えて飛び出していく。
「まったく、よく働いてくれるねぇ」
その後ろ姿を見送って、現場の管理責任者がしみじみと呟いた。
彼女が働き始めた去年から今年にかけて、船では食材の手配ミスや予約の重複など信頼に関わるトラブルは一件も起きていない。
「お陰でとても助かってるんだが、休みを取ろうとしないのは困ったもんだねぇ」
いや、最初に提出したシフト表ではちゃんと休みが確保されているのだ。
しかしいざ当日になると急な欠員が出たり何か問題が起きたりで、人手が足りなくなる。
そうなると恋音は頼まれなくてもその穴を埋めてくれるので、つい重宝に使ってしまうのだ。
「申し訳ないとは思うんだが、つい……」
だが今年のイベント期間もそろそろ終わり、一度くらいはということで――
最終日、恋音はとうとう「お手伝い禁止令」を言い渡されてしまった。
「今日は客として存分に楽しむようにと仰ってましたよ」
「……はぁ……そうですねぇ……」
おもてなしを受ける側になるのはあまり慣れていないせいか、恋音は少し緊張した様子で雅人と共に甲板を歩いていた。
そうしていても、他のバイト達の動きやサービスについつい目が行ってしまう。
しかし、今日は何があっても絶対に仕事をしてはいけない日なのだった。
昼間の服装は、二人とも普段とそう替わらない。
ドレスコードはないが、雅人もちゃんと空気を読んでいた。
「もしもドレスコードHENTAIが許されるイベントがあれば、その時は存分に本領を発揮させていただきますよ!」
いや、そこはそんなに張り切らなくてもいいんじゃないかな。
って言うかそんなコードあったっけ。
「なかったら作ればいいって、昔のOMCでも言ってましたよね!」
と、メタな話は置いといて。
「まずはデートの前に甘いスイーツで腹ごしらえといきましょう!」
二人はオープンカフェのスイーツ食べ放題へ。
ずらりと並んだスイーツは今まで自分達がせっせと作り続け、もう見慣れたと言うか見飽きたと言うか。
「でも実は完成品って殆ど食べたことがなかったんですよね」
雅人は端から端までとりあえず全部をひとつずつ取ってみる。
食の細い恋音は、その中から特に美味しいものだけ少しずつ分けてもらうことにした。
その方法はもちろん――
「はい恋音、あーん?」
「……は、はいぃ……」
さあ皆さんもご一緒に、砂糖の雨を降らせましょう!
夜は雰囲気を変えて、スターライトクルーズに参加してみた。
「足元が暗いから気を付けて!」
タキシード姿の雅人は、胸元の大きく開いた薄桃色のカクテルドレスを纏った恋音の手を取って、船の舳先へと歩いて行く。
この場所に立つと、例の映画のあのポーズを再現してみたくなる……いや、やらねばならぬという義務感のようなものさえ湧いて来る。
前に立って両腕を翼のように広げた恋音の腰を、雅人が後ろから支えた。
「恋音、どうですか飛んでいるみたいですか?」
「……は、はいぃ……飛んでいると言うかぁ……風で飛ばされそうですぅ……」
真っ正面から吹き付ける風はまだ冷たかった。
おまけに少し気を許すと、胸に付いている二つの重りが持ち主を海の底へ引きずり込もうとする。
「大丈夫、しっかり支えてますからね!」
頼もしい言葉に、恋音は黙って頷き、その腕に身を預けるのだった。
そう言えば、例のあの映画も公開から二十年ですってよ奥さん(誰
やあねぇ、あたしたちが年取るわけだわぁ(だから誰
●ごく普通の、普通じゃないこと
間下 慈(
jb2391)と水竹 水簾(
jb3042)は、ほぼ二年ぶりに久遠ヶ原へ戻っていた。
離れている間に変わったことは色々ある。
けれど、変わらないものあった。
それは互いを想う心――いや、それも変わったのかもしれない。
より強く、そして深いものへと。
その日、慈と水簾は久方ぶりに二人の時間を過ごしていた。
お互いに今度会ったら話したいこと、聞いてほしいことは数え切れないほどにあったはずだ。
けれど、いざ久しぶりに顔を合わせてみたら、二年の空白など存在しなかったかのように、普通に船に乗って、普通にディナーを楽しんで、普通にお喋りをして――
縁というのは、そういうものかもしれない。
どれだけ遠く離れても、どれだけ長く逢えない日々が続いても、その空白を一瞬で飛び越える魔法。
普通って、こんなに幸福で満ち足りたものだったんだ。
けれど少しだけ、そこから外れてみるのも良いかと思った。
「折角です、普通じゃないことしましょう」
「普通じゃないこと?」
慈の提案に、水簾は目を輝かせた。
普通じゃないことって何だろう?
「それ、楽しそう!」
子供の頃に悪戯を考えてワクワクしていた、あの感じが蘇って来る。
「でも何するの?」
「そうですね、ひとまず甲板に出てみましょうか」
今はもう真夜中、ダンスホールから微かに聞こえていた音楽も闇に溶けて消えた。
耳を澄ませば、代わりに人々のたてる寝息が聞こえて来そうなほど静かな船内。
足音を忍ばせ、気配を消して、二人は誰もいない甲板に出た。
「すごい、星が落ちて来そう!」
夜空を見上げ、水簾は背を逸らす。
逸らしすぎて後ろに倒れそうになった。
けれど大丈夫、慈がしっかりと支えてくれる。
暫くそのまま、二人はじっと動かずにいた。
耳に聞こえるのは波の音、そして脈打ち重なるふたつの鼓動。
「わたしと一緒に踊ってくれますか?」
「ええ、よろこんで」
そのリズムに合わせて、ふたりは身体を揺らし始める。
見よう見まねで最初は拙く、やがて自然に。
音楽も足音もなく、観客は空に瞬く星達のみ。
(「互いの鼓動、よく聞こえる」)
(「すごく、心臓がうるさい」)
それは真夜中に、誰にも見つからないように踊る背徳感か。
それともふたり密着しているからか。
やがて踊り疲れた二人は甲板に寝転がった。
板の感触が硬く、冷たい。
けれど、それは火照った心と体をほどよく冷やしてくれた。
暫くそうしていると背中に当たる感触も薄れ、ただ隣に横たわる互いの心音と息遣いだけが世界に満ちてくる。
やがて慈がそっと口を開いた。
「普通は、どうだった?」
「どうって……うん、わかったような気がする」
二年間、撃退士であることを封印して世間の荒波に揉まれてきた。
数多くの普通の人達の、色々な普通を見て来た。
けれど、どれひとつとして同じ普通はなくて……普通だけど、それぞれがみな特別で。
「人が生きていて、いろいろ考えて、毎日が過ぎていく。それが普通なんだなって」
「……そう」
水簾の答えに、慈は微笑を返す。
何が正解かなんてわからないけれど、水簾の得たものは確実に彼女を変えた。
慈は懐からずっと大切に持っていた「お守り」を取り出して、星明かりにかざす。
「あ、それ……」
「ずっと持ってた……肌身離さず」
それは水簾の写真が入った一枚のカード。
「……うん、なんか、前より綺麗になった」
化粧が上手くなったせいもあるだろう。
でも、それよりも内面から滲み出る何かが彼女の表情を和らげ、輝かせていた。
「二年分の重み……年輪かな」
「それシワが増えたってこと?」
「違う違う」
降る星を眺めながら、ようやく湧き上がって来た言葉の奔流に身を任せる。
空いていた時間を埋めるように、星が巡りゆくことにも気付かずに。
けれど、さすがにまだ外は寒い。
「そろそろ中に戻りましょうか」
起き上がり、慈は水簾に手を差しのべる。
触れた手を引き、その身を抱き寄せて、慈はそっと唇を重ねた。
初デートから四年目にして、初めてのキス。
「慈のことを愛してます」
名残惜しそうに離れると、水簾の喉から小さな声が漏れた。
「これからもずっと一緒にいてほしい」
もう、どこにも行かないから。
この幸福を、手放したりしないから。
●夜間飛行
飛行船での遊覧飛行にドレスコードの指定はない。
けれど――
「こういうのは雰囲気大事、ですよね」
搭乗前に立ち寄った貸衣装屋で、カノン・エルナシア(
jb2648)はずらりと並んだドレスを前に、眉間に皺を寄せていた。
気に入ったものがあれば買ってもいいと夫には言われている。
しかし堅実な奥様はレンタルを選んだ。
「思い出に残すのはウェディングドレスだけで充分ですし……それに、その、ナーシュも色々な姿が見たい、ですよね?」
それなら、家計とクローゼットを圧迫しないレンタルという選択は、妥当かつ賢明な判断だろう。
問題はレンタルだと種類がありすぎて、どれにするかなかなか決まらないという点だが――そうして迷うのもまた、楽しみのひとつでもある。
それに夫は物事を急かすタイプではないし、むしろそうして迷う姿を見て楽しんでいる様子。
今も衣装選びに付き合いながら、余計な口を挟むでもなく、ただにこにこと機嫌良くしていた。
「これは、どうでしょう……」
悩んだ末に手に取ったのは、黒のロングドレス。
黒と言うと地味に聞こえるが、それはしっとりした雰囲気の中にも華やかさが光る一品だった。
基本の形はスレンダー、そこに夜空のような濃紺のオーガンジーが重ねられ、斜めにカットされた襞の端には銀色の星が散りばめられている。
髪はハーフアップにして、透明なガラスと真珠で作られた小花のヘッドドレスで留めてあった。
「……冒険しすぎでしょうか?」
試着室から現れたカノンの姿を見て、ナーシュは自己最高速度を更新する速さで首を振る。
「似合ってるし、綺麗だ……この世界でも、天界でも魔界でも、他のあらゆる世界を全部ひっくるめた中で、一番」
表現力に難はあるが、ここは本人なりの最大級の褒め言葉ということでご容赦願いたいところ。
「えっと、じゃあ……俺のも選んでくれる?」
「そうですね……では、これなどはどうでしょう」
カノンが選んだのは光沢のあるワインレッドのタキシード。
「ちょっと派手じゃないかな」
「そんなことはないと思いますが……ほら、こうしてシャツを黒にして……タイとポケットチーフは彩度の高い赤が良いでしょうか」
言われた通りにしてみると、なるほど良い感じに仕上がった。
うちの嫁はすごい。
その日の乗船客は数えるほどしかおらず、知った顔も見当たらなかった。
透明デッキもほとんど貸切状態で、落ち着いて景色を楽しむには丁度良い。
「皆さんでわいわいも勿論嫌いではないのですが……こういう日ですし」
「そうだな、今日は一日ゆっくりしよう」
床がいきなり透明になった時にはさすがに驚いたけれど、二人とも翼があるからそれほど慌てることもない――とは言え、互いにしっかり支え合うことは忘れなかった。
どちらかが一方的に頼ろうとするのでもなく、支えようとするのでもない、対等な関係が心地良い。
(「今はまだ、俺が支えられてる部分の方が大きいけど」)
自分がカノンを支えてやれる部分を少しでも増やしていきたいと、ナーシュは思う。
と、天井を見上げたカノンが弾んだ声を上げた。
「ここは空まで透けて見えるんですね」
「ああ、ほんとだ」
床と壁は微弱な電流を流すと透明になる素材で出来ていようだ。
天井の方は恐らく光学迷彩を応用した技術で上空の映像を映し、擬似的に透明に見せているのだろう――などと、野暮な解説はしないけれど。
「お互い飛ぶこと自体は生来できたことですけど、これほどの高さはやはり心が躍ります」
それから数時間、二人は食事も忘れて空を漂い、気が付けば周囲は夕暮れの色に染まっていた。
「まだ見てる?」
「ええ、もう少し……空が暗くなるまで」
カノンには、この高さから見てみたいものがあった。
「なんというか、気持ちの問題だと思うのですが、高いところだと星が近い気がして」
「そうだな、ここからなら手が届くかもしれない」
もちろん、そんなはずはないと二人ともわかっているけれど。
「……そうだ、ちょっと待ってて。すぐ戻るから」
ナーシュは何かを思い付いた様子で立ち上がると、どこかに消えて――言葉通り、すぐに戻って来た。
腕には何故か毛布を抱えている。
「おいで、上に行こう」
「え?」
意味がわからず首を傾げるカノンの手を取って、ナーシュは非常口のある方へ歩いて行く。
「ここから外に出られるんだ。本体の上に上がる許可もらってきた」
本体とは、ヘリウムガスが詰まった大きなラグビーボールのようなアレだ。
その側面に取り付けられた足場を昇って、てっぺん近くに腰を下ろす。
念の為に命綱で身体を固定し、ナーシュは毛布でくるんだカノンを足の間に座らせて後ろから抱きしめた。
「……どう?」
頭上には吸い込まれそうに深い、星の海。
「いつか、もっと高いところに連れて行くよ」
人が宇宙へ行く方法は既にある。
ならば、いつかは宇宙船も宇宙服もなしに宇宙を飛べる日が来るかもしれない。
「それまで、一緒にいてくれるかな」
「いやです」
「えっ」
まさかの答え、しかも即答。
これは夫婦の危機かと思いきや――
「その後もずっと、でしょう?」
「……はいっ!」
ただの超新星爆発案件でしたよちくしょーめ。
●ツンデレ女子はリハビリ中
ある夜のダンスホール。
「ハロウィンを思い出しますね」
白のタキシードに彩度を落としたピンクのベストを合わせ、同色のタイとチーフを身に着けたアレン・マルドゥーク(
jb3190)は、背後の女性を振り返る。
「またフィリアさんと踊りたいのですが……いかがでしょう?」
そう言われて、彼女はどうにも居心地が悪そうに視線を彷徨わせた。
「それは、構わないが……こ、今度は、その、何か顔を隠すものはないのか」
アレンが見立てた白とクリームイエローのカクテルドレスは、彼女――テリオス・フィリア・アーレンベルをどこから見ても立派な淑女に仕立て上げている。
だが本人としてはまだ、女装しているという感覚が抜けないようだ。
その正体に気付く者はまずいないだろうが、万が一にも誰かに気付かれたらと考えると、恥ずかしさで目眩がするらしい。
しかし、そこはアレンも抜かりはない。
「大丈夫ですよ、今日は誰も知った人はいませんから」
「……そうか」
それで多少は安心したようだが、それでも肩に入った力は抜けなかった。
これまでに習った女性らしい振る舞いを頭の中でおさらいし、失敗がないようにと、まるで親の仇でも討ちに行くような顔つきで一歩を踏み出す。
ゆったりと流れる音楽に合わせて体を揺らし――だが、やはりどうにも居心地が悪い。
「アレン、替われ」
「はいー?」
「お前は女性パートも踊れるのだろう? 私がリードする」
まさかの男女逆転、しかし意外にも違和感はなく、一曲が終わる頃には周囲の目も好奇から賞賛へと変わっていた。
「こういうのは堂々と開き直った者の勝ちだ」
何曲か通しで踊った後は、隅の座席でひと休み。
目の前に置かれた緑色のカクテルにそっと口を付けると、柑橘系とミントの爽やかな香りが鼻を突き抜ける。
「綺麗な色だな」
透き通った緑の液体に真っ赤なチェリーが浮かぶ、そのカクテルの名はエメラルドクーラー。
一方のアレンが手にしているのはグラスの縁に塩を飾ったコズミック・コーラル、塩の白さとカクテルの深い青、そのコントラストが印象的だ。
二人とも人の酒では酔わないから、その分は目で雰囲気を味わおうという趣向だった。
「ところでフィリアさん、私の名前を受け取っていただけたという事は……」
つまりそういうことだと解釈して構わないのだろうと、アレンは目の前の相手にじっと視線を据える。
「私にもフィリアさんのお名前、いただけますか?」
しかし、それを受け止めるはずの眼差しは、緑色の海に漂う氷の間を彷徨っていた。
「そのこと、なんだが……」
視線をグラスに落としたまま、フィリアは小声で語る。
「名前をもらったことは素直に嬉しい。だが、女としてその想いに応えられるかどうかは……正直、まだわからなくて」
好きか嫌いかと問われれば好きだと即答出来る。
だが、その「好き」は一体どのカテゴリに入るのか。
友や仲間としてなのか、世話になった恩を感じているだけなのか、それとも――
「こういった服装には多少慣れてきたが、中身はそうそう変われない。それに……男として過ごしていた私も偽りではなく、本当の私だ」
自分で望んだものではないが、もう習い性になっているし、今はまだそのほうが自然体でいられる。
もしかしたら、ずっとこのままかもしれない。
「それでも構わないなら、もらってくれると……嬉しい」
ただし自分はネーミングセンスが壊滅的なので、加工やアレンジはセルフでお願いしますということで。
「あと……な。こういう格好もたまには良いが……普段はやはり、男の服装でいたほうが気が楽だし……名前も、まだ慣れないし……他の者も混乱するだろうし……いちいち説明するのも面倒だし」
「わかりました、では他に誰もいない時だけフィリアさんとお呼びしましょうか」
そう言われて、フィリアは少し恥ずかしそうにこくりと頷いた。
「注文が多くてすまない。その代わりというわけでもないが……アレン、お前も気にせず、ドレスでも振袖でも好きなものを着ればいい」
男女逆転でもお揃いの女装でも、他人の目など気にせず楽しんだ者勝ちだ。
「お互い楽にいこう」
緑のグラスを青のグラスにそっと合わせ、さりげないふりを装いながら一言。
「これから長い付き合いになるんだからな」
その夜、アレンはロイヤルスイートを確保していた。
保護者である門木にはお許しをもらってあるし、あとは本人さえ良ければ――ということなのだが。
アレンが用意した可愛らしいパジャマに着替えたフィリアは、ベッドの端に腰かけて足をぶらぶらさせながら、両手で持った甘いホットミルクを飲んでいる。
警戒心の欠片も見られないのは信頼されている証拠と喜ぶべきか、それとも男として見られていないと嘆くべきか。
どちらにしても無理強いをするつもりはないし、焦っても良いことはないだろう。
「今日は女の子として……いえ、素のままの貴方として、一晩ゆっくり休んでくださいね」
そっと髪を撫でると、はにかんだ笑みが返って来る。
少しずつでも、こんな表情を見せてくれる瞬間が増えていけばいい。
(「ずっと男性として生きてたら集団生活の頃大変だったでしょうね……」)
想いの熟成には時間が必要だ。
今は暫し、保護者的ポジションに甘んじておこう――
●いつもの四人――まだ、もう暫くは
2月28日は樒 和紗(
jb6970)の誕生日だ。
それは毎年必ず巡って来るけれど、今年は特に大切な、20回目の節目となる特別な一日。
「誕生日おめでとう、和紗」
他には人影もない夜明け前、透明デッキの片隅で、砂原・ジェンティアン・竜胆(
jb7192)はそっと告げる。
「ありがとうございます、竜胆兄」
「あれ、今年は素直だね」
「俺はいつでも素直ですよ」
そうは言いつつも、和紗にも自覚はある。
もしかしたら、彼に誕生日を祝って貰えるのもあと少しかもしれない――そんな想いがあるから。
「お店ではもう祝って貰ったんだろうけど」
「ええ、日付が変わってすぐに祝って貰いました」
微笑を返す和紗に、竜胆は心の中でこっそりと涙を呑んだ。
こんな時間だからもしかしたら一番乗りかなー、なんて淡い期待は水平線を切り取った朝の光で真っ二つ。
知ってたけど、むしろそうじゃなかったら殴り込みに行くところだけど、でもやっぱりちょっと悔しいと思うくらいは許されると思うのだ。
一方で、悔しいけれどそれで良いとも思う。
(「僕の願いが叶えば、遠くない未来に別世界へ旅立つことになるだろうからね」)
和紗もそれがわかっているから、誕生祝いを素直に受け入れているのだろう。
(「それまでに、あと何回祝えるかな……」)
その後は、自分の分まで祝ってくれる人達に託そう。
「とにかく、今日は一日……夕方まで、この飛行船は和紗のものだ」
誕生日だからと奮発して、一日借り切ったこの侠気を見よ。
いや、金銭的な負担は全くないけれど、気持ちの問題として頑張った的な。
昇り始めた朝日は透明な床や壁を素通りして、二人の目を射貫く。
それが刺激となって、食欲のスイッチが入った。
そうは言っても和紗は元々小食だから、豪華な食事をどーんと出されても嬉しくないだろう。
代わりに好物を見繕い、量は少なくても見た目に綺麗なものをオーダーしておいた。
透明なテーブルに、ガラスの器に盛られた料理が運ばれて来る。
「まるで料理が宙に浮いているようですね」
食べる前にスケッチしても良いだろうかと問う前に、和紗の手はスケッチブックを開いて鉛筆を握り締めていた。
「スケッチもいいけど、料理が冷める前に終わらせようね」
「大丈夫です、すぐに終わりますから」
言葉の通り、あっという間に絵が出来上がっていく。
モノクロの鉛筆画なのに、何故かそこには色があるように感じられた。
「そうだ、20歳になったしワインでもどう?」
「……お酒は……その……」
「……あー、カクテル作って貰う約束か」
そう言えば、そうだった。
ここでも二番手に甘んじる竜胆、しかしそれはわかっていたことだ。
「次は俺が作ってあげますから、一緒に飲みましょう」
「くそ、初めての酒は奴に譲ってやる」
でもハンカチ噛み締めてぎりぃするくらいはいいですよね。
食事が終われば、あとは自由時間。
のんびりと眼下の景色を眺めたり、竜胆の歌に乗せてダンスに興じてみたり。
その途中でも何か興味を惹かれるものを見付ければ、和紗はパートナーをスケッチブックに変えて紙の上で踊り始める。
その時のBGMも、やはり竜胆の歌声だった。
時は移ってホワイトデー。
海賊船では蓮城 真緋呂(
jb6120)と米田 一機(
jb7387)がすごろく宝探しに興じていた。
夜には和紗とジェンティアンも合流する予定だが、それまでは二人きりだ――と言っても、残念ながら艶っぽいことは何もない。
「狙うは高級スイーツ詰め合わせ! それか駄菓子……とにかく食べ物(ぐっ」
色気より食い気、腹ぺ娘はブレない。
「でも駄菓子一年分って誰基準だろ?」
「うーん、少なくとも真緋呂基準ではないと思う」
彼女を基準に考えるのは、ゲームで言えば尖りまくった廃課金勢を基準にバランス調整するようなものだろう。
「僕は高級リゾートがいいかな」
あれは確かペアでご招待だったはず。
もし当たっちゃったらどうしようと、ちらちらと真緋呂を気にしてみたりして。
でも多分、本当に当たったら真緋呂にあげて「和紗と楽しんで来るといいよ」なんて言ってしまうのだろう。
(「いや、ジェン君と二人で行く羽目になるかも……」)
そんな怖ろしい予感に身を震わせながら、一機は手首の端末でダイスを振る。
その指示通りに進むと、そこにはこんな指示が書かれていた。
【次に3が出るまでの間、最も近くにいるプレイヤーに背負われて進む】
「近くのって真緋呂しかしないし……って、僕が背負われる方!?」
「そうみたいね、でも背負った私はどうすればいいの? 一機と一蓮托生?」
「そうなるみたいだけど……」
「じゃあさっさと次に行きましょ、ほら乗って!」
くるりと背を向けられても、男としては素直に従うのも抵抗があると言うかなんか色々まずいことになりそうって言うか。
「こんな時に遠慮してる場合じゃないでしょ、食べ放題が逃げちゃうじゃない」
どっこいせー!
真緋呂は豪快に一機を担ぎ上げた――まるで米俵のように。
それ、おんぶじゃない。
しかしルール的には問題ないようで、そのまま宝探しは進行する。
荷物になった一機は半ばヤケクソで次のダイスを振った。
「えーと、次のお題は……」
【三回まわってワン】
「なんか、ものすごく適当じゃない?」
「適当って言うか投げやりって言うか……お題丸投げされて考えるのが面倒になったのかも」
それはともかく、真緋呂は一機を担いだまま三回まわってワン。
その後もダイスの女神の悪戯か、はたまた主催者の思考放棄ゆえか、一蓮托生スタイルのまま宝探しは続く。
互いの黒歴史を暴露しつつ、振り出しに戻されたりあちこち飛ばされたり、歌ったり踊ったりスクワットしたり片足跳びで進んだり――もちろん全て荷物()を担いだまま。
「すごろくって、強化プログラムの一種だったのね」
これは燃料補給のためにも何が何でも食べ放題を手に入れなければと、真緋呂はゴールに向けて突き進む。
そこで待っていたのは、高級和牛一年分……の、カタログでした。
「むう、私は今すぐ食べたいのに」
それに一年分なんて書いてあるけど中身はせいぜいまるごと一頭分くらい、そんなの一度の食事でなくなっちゃうじゃない。
というわけで、夜までスイーツ食べ放題に入り浸る!
なお高級リゾートは儚い夢でした。
そして夜、真緋呂は昼間とは打って変わって、お淑やかなお嬢様スタイルで登場した。
桜色のくるぶし丈ドレスに身を包み、優雅な動作で一礼すると、黒のタキシードを着た一機に椅子を引いてもらってディナーのテーブルに着く。
残る二人、和紗は藤色のロングドレスで、ジェンティアンはダークグレーのタキシード姿。
いずれもこうした場には慣れた様子で、落ち着いた雰囲気を身に纏っている――ひとりを除いて。
「くそう、どいつもこいつもいい育ちしやがって」
バリ庶民の一機は自慢じゃないがテーブルマナーなんて知らないし知る機会もなかったし必要になる場面もなかったし……つまり教えてぷりーず。
「一機ちゃん、ライスはフォークの背に乗せて……って知ってるね、ごめんごめん☆」
ジェンティアンにそう言われれば、つい「当然だ」と答えてしまうイジラレー。
「知ってるけど、同席した皆に恥かかせちゃいけないと思って確認しただけだから」
えーと、これをこうして……くそ、手先の器用さも育ちの良さで決まるのか、なんでこんな方法でごはんを食べられるんだ。
しかし、それに気付いた和紗が冷たい視線を投げる。
「竜胆兄、嘘を教えないように」
彼の性格は知っているはずなのに、うっかり真に受けてしまう一機もどうかと思うけれど。
「米田、普通に右手でフォークを使って腹に乗せて構いませんよ」
「あ、そうなんだ? うん、変だと思ったよ」
「マナーも大切ですが、食事は美味しく楽しむことが一番ですから」
「そうだね、ご飯おいしい」
和気藹々と食事は進み、そろそろコースも終わりかけた頃。
「美味しい……けど足りない」
「えっ」
声の主はもちろん真緋呂さん、ついさっきまでスイーツ食べ放題してたはず、なんてことは言わないのがマナーです。
足りない分はまた後で何か食べるとして、まずはデザート。
そして大人には食後のアルコール。
「どうぞ、竜胆兄」
「おっ、気が利くねえ」
和紗が頼んでくれた赤茶色のカクテルを、ジェンティアンは嬉々として口に含み――直後、何かが彼の体を抜けていった。
その液体はラスティ・ネイル、作り方によってはこの世のものとも思えないほどに甘く仕上がるという。
「お仕置です」
さっきの悪戯を、一機くんと神様は許しても和紗さまは許しませんでした。
食事の後は再びスイーツ食べ放題……の前に。
まずは優雅にダンスのお時間。
(「そういえばこんな事も出来るようになったんだよなぁ」)
男同士のダンスにもそれなりの練習効果があったのだろうかと過去の一幕を思い返しつつ、一機はそれなりに上手くリードしながら真緋呂と踊る。
いや、真緋呂の合わせ方が上手いのかもしれないけれど、ここは自分も上達したのだと胸を張っておこう。
「真緋呂の『これから』は、見付かった?」
音楽に合わせて体を揺らしながら、一機はさりげなく口にしてみる。
けれど、返って来たのは力ない微笑と「……まだ」という呟き。
「一機君はどうするの?」
「僕はこのまま撃退士でいようと思う。護れるものが他にまだあるかもしれないから……」
「そっか……」
一機には自分の進む道がはっきりと見えている。
その姿が真緋呂には眩しく見えた。
「こうして踊るのも最後かもしれないね」
「え、何故?」
真緋呂は動きを止め、驚いた顔で一機を見る。
「戦争が終わればチームは解散する。それは皆の道が分かれるという事だから……」
気が付けば、それはもう「いつか」の話ではなくなっていた。
近い将来、確実に訪れるであろう未来。
けれど……それを素直に受け止めることを、真緋呂の心は拒んでいた。
「……私は、嫌だな」
ぽつりと呟く。
何故かは分からないけど嫌だ、寂しい。
だが、一機の言葉にはまだ続きがあった。
「それでもまだ踊ってくれるというのなら……また来ようか、二人で」
真緋呂の顔にゆっくりと、小さな笑みが広がっていく。
「うん。そうね」
そうなると、いいな。
●さがしものは、おたからですか?
その日はバレンタイン。
茅野 未来(
jc0692)は、シャヴィと共に海賊船のすごろく宝探しに興じていた。
「がんばってゴールまでいきましょう、です……」
わくわくしながら手元の端末でダイスを振る未来。
「シャヴィくんはなにがたからものだったらうれしい、です……?」
「んー、そうだなー……お菓子いっぱい、とかかな」
シャヴィは暫く考えて、にっこり笑った。
今までのパターンから考えると、これは自分が欲しいと言ったものを未来が取りに行く流れ。
ならば無茶な要求はせずに、取りやすそうなものを選ぶのがお互いのためだろう。
(「本当は他に欲しいものあるけど……宝箱には入らないし」)
そんなことを考えながらダイスを振ると、進んだ先にはこんなお題が書かれていた。
【一番最近ついたウソを暴露する】
ちょっと待って、何ですかこのお題。
もしかして運営スタッフに心の中が読める人がいて、お題がリアルタイムで書き換えられてたりしませんか。
そんな疑惑はあれど、お題なら従うしかない。パスしたら三回休みだし。
「ごめん、さっきのウソ。僕が嬉しい宝物はお菓子じゃないんだ。ほんとはね……」
「ほんとはなんなの、です……?」
興味津々の様子で真剣に見つめる未来に、シャヴィは再びにっこりと笑いかけた。
「教えなーい!」
「えぇー……」
しゅんと項垂れた未来の様子が予想外に悲壮感たっぷりだったので、シャヴィの胸がちくりと痛んだ。
「んー、じゃあ手に入れたら教えてあげる。宝箱には入ってないと思うけどね」
「やくそくなの、です……」
「うん、約束」
指切りをして、二人は再び宝探しに戻る。
「あれ、分岐点だ」
そこはダイスの目に関係なく、通ったら必ず止まるマス。
「右と左、どっちを選んでも良いんだ……じゃあ僕は左にしようかな」
「じゃあボクもそっちにいくの、です……」
「え、こういう時って手分けしたほうが良いんじゃないの?」
「いいの、です……」
だって道が分かれちゃったら一緒に進めないじゃない。
モニタ越しにお話は出来るけど、せっかく一緒に遊んでるんだから最後まで一緒がいい。
正直、宝物なんてわりとどうでもよかったりするし――参加したからにはゴール出来るように精一杯頑張るけどね!
「えと、つぎは……」
【5が出るまで語尾に「ぴょん」を付けたウサギ語で喋る】
「……っていう、おだいだったの、です……ぴょん」
「こっちは三回休みだよー」
歌を歌って、片足ケンケンで進んで、ロープを伝って船底まで降りて、真っ暗な中を手探りで出口を探して、出られたと思ったら今度は――
【好きな人の名前を叫ぶ】
「さ、さけぶの、です……ぴょん?」
しかも好きな人って、なにその公開告白。
「無理ならパスしてもいいみたいだぱん。そのかわり10マス戻るぱん」
なお、シャヴィはパンダ語で喋る人になっているぱん。
「う……もどってくるの、です……ぴょん」
言うだけならまだしも、叫ぶのはハードルが高すぎただろうか。
その間にシャヴィがゴール、大きな宝箱を手に入れていた。
わくわくしながら蓋を開けてみると、そこには――ポケットティッシュがみっちりと詰まっていた。
「どうするの、これ……ぱん」
多分、あって困るものではないと思うけれど。
どうやら少しお高めの保湿ティッシュのようだし、皆に配ったら喜ばれるかもしれない。
「これからのきせつは、きっとほしがるひとがたくさんいるの、ですね……ぴょん」
遅れてゴールした未来が箱の中を覗き込む。
「未来ちゃんは何が当たったの?」
未来が手にした箱は文庫本くらいのサイズで、とても軽い。
振ってみるとカサカサという音がした。
「なんでしょう……あけてみるの、です……ぴょん」
入っていたのは花の種だった。
ただし、八重桜が咲く時期に蒔くようにと書かれているだけで、何のタネかはわからない。
袋を開けてみると、色々なタネがミックスされているようだ。
「ヒマワリはわかるの、ですね……ぴょん」
でも他はさっぱりだ。
「ボクにそだてられるでしょうか、です……ぴょん」
「わかんないけど、やってみたら? どんな花が咲くかか楽しみじゃない」
シャヴィに言われて、俄然その気になる未来。
家に帰ったら必要な道具を揃えるところから初めてみようか。
無事にお宝も手に入れて、二人は甲板のオープンカフェでひと休み。
食べ放題のお茶とお菓子で――
「あ、おかしは……ちょっとまってほしいの、です……」
シャヴィの服をくいっと引っ張り、お茶だけを持って未来は席に戻る。
「あの、これ、もし……よかったらたべてほしいの、です……」
差し出されたのは綺麗にラッピングされた小さな箱。
中身はちょっとデコボコした、ふわふわのチョコケーキだった。
「が、がんばってつくったの、です……」
混ぜて焼くだけのレシピだけど何個も失敗したなんて言えない。
これでも一番上手に出来たものだなんて、そんな。
けれどシャヴィは素直に喜んでくれた。
「未来ちゃんが作ってくれたの? すごいね! ……えっと、食べてもいい?」
「どうぞ、です……」
大丈夫、味は問題ないはずだ。
失敗作も味だけは美味しかったから。
「いただきます……うん、美味しい!」
フォークで端っこを崩して口に入れると、チョコの香りとほろ苦い甘さが口の中に広がった。
「すごく美味しいよ、未来ちゃんも食べる?」
「あ、ボクはえんりょしておくの、です……ぜんぶシャヴィくんのもの、なのですよ……」
実を言うと、もう暫くチョコは遠慮したい気分だった。
ええ、失敗作は責任をもって処理しましたから、自分の胃袋で。
どれだけ失敗したの、なんて訊いてはいけません。
ところでシャヴィくん、今日が何の日か知ってますか……?
●沈みゆく日を追いかけて
「ドレス、似合っているぞ」
少し大人びたデザインのシックなドレスに身を包んだ不知火あけび(
jc1857)を見て、不知火藤忠(
jc2194)は素直にそう評した。
この妹分も元々の素材は良いし、なかなか綺麗なお嬢さんなのだ――黙ってさえいれば。
「ありがとう、今なにか失礼な心の声が聞こえた気がするけど、気のせいだよね」
「ああ、気のせいだ。淑やかにしていればレディだなんて言ってないぞ」
「言ってるし!」
でもまあ、いつものことだし多少なりとも自覚はあるし、今日のところは大目に見よう。
せっかく綺麗なドレスでお姫様気分なんだから、ここはそれらしく優雅に鷹揚に、そして寛容に。
「姫叔父も似合ってるよ、そのタキシード。襟の所だけ藤色なんて、姫叔父らしいね」
「ああ、ありがとう」
なんだろう、そう素直に言われると寂しいような物足りないような、拍子抜けするような。
「私も少しは大人にならないとね」
それも確かにその通りなのだが、どうにもあけびらしくない気がしてならない。
そう感じるのは、成長した妹分が自分の手を離れていくことに対する兄貴分としての寂しさなのだろうか。
それとも、あけびの決意の裏に何か今までとは違うものを感じたゆえの不安か。
しかし表面上はいつもと変わりなく、二人は海賊船でのデート(?)を楽しんでいた。
生演奏に心を震わせ、完璧なマナーで豪華なディナーに舌鼓を打つ。
「こういう時に実家で習った礼儀作法が役に立つね」
ダンスだって去年より上手くなった……と、自分では思う。
「姫、一曲踊って頂けますか?」
今日はこんな格好だし、どう見てもあけびが姫役だけど、言わないと何か落ち着かなくて。
「だから誰が姫だ!」
ああ、心安らぐ予定調和。
そして二人は優雅な曲に合わせてワルツを踊る。
知らない者から見れば、その姿は仲睦まじい恋人同士のように見えたかもしれない――お互い、黙ってさえいれば。
やがて夜も更けて、ここは船長室。
部屋の等級としてはロイヤルスイートだが、甘い空気は欠片もない。
二人の目的は部屋に設置された特別製のホログラムだ。
今、部屋の中では桜が満開になっていた。
「初めて一緒に参加したのは花見の依頼だったか」
「そうだね、こんな風に桜が綺麗に咲いてた」
「……そんなに時間は経ってないのに、なんだか懐かしいな」
しみじみと呟きながら、藤忠は持ち込んだ酒を煽る。
「あいつに言われたんだ。『あけびを頼む』と」
ただ、それだけの理由で今こうしてあけびと共にいるわけではなかった。
「あいつに言われなくたって、俺は必ずこの学園までお前を追ってきた」
杯に、ホログラムの花びらが一枚舞い降りる。
「お前はあいつに大事にされている。俺にとってもお前は大事な妹分だ」
「うん、知ってる」
「お前は、お前らしくいてくれ」
「私らしく……私らしいって、何だろう?」
どうすれば自分らしくいられるだろう。
「私も姫叔父も、他の皆も、きっと変わっていくんだよね」
それでも「その人らしさ」を失わないためには、どうすればいいのだろう。
「私にも好きな人が出来るのかな」
「何だいきなり」
「ううん、何となく……そういう展開もあるんだろうなって」
「それはまあ、あるだろう……普通に考えれば」
想像すると花嫁の父的な気分になるけれど。
「……どんな人かわからないけど、何となく私が面倒見る側かもしれない……姉さん女房的な?」
「あけびは世話の焼けるタイプが好みか」
「どうだろ、でもつい放っておけなくなっちゃうっていうのはあるかも?」
ホログラムの桜吹雪が舞う中で、二人はそんなとりとめもない会話を続ける。
気が付けばもう、東の空が白みかけていた。
翌日は寝不足の目を擦りながらの遊覧飛行。
「昨日あれから考えたんだけど」
眼下をゆっくりと流れる地上の景色を目で追いながら、あけびは他愛のない世間話と同じ調子で切り出した。
「戦争が終わった後のこと」
「ああ」
透明デッキに仰向けに寝転がった藤忠が、流れる雲から目を逸らさずに答える。
「私は元々忍だからね。当主になって一族をまとめるよ」
父の跡を継ぎたい。
不知火はこのままじゃ駄目だ。
「だいたい、いくら傍流だからって姫叔父が私の家にいられないなんて、そんなのおかしいよ。私が跡を継いだらそういう不公平とか変なしきたりとか、全部なくしてやるんだから!」
「それは嬉しいが……」
なんとなく「暴君あけび王」みたいなイメージを想像して、藤忠がくすりと笑う。
「俺はあくまで、身軽な一般人なんだ」
だからこそ出来ることもある。
「俺はお前の補佐をしたい。その為に学びたい」
ただ、それは必ずしもすぐ近くにいなければ出来ないものとは限らないのではないか。
「どこにいても……たとえ傍を離れたとしても、俺はお前を護りたい」
「他には?」
問い返されて、藤忠は答えに詰まる。
それ以外のことなど、あまり考えたこともなかった……いや、今ちらりと脳裏をかすめた面影は。
「……そうだな……あけび以外に護る対象が増えるなら嬉しい位だな」
とりあえず、そう答えておこう。
「ふぅん?」
覗き込んだニヤニヤ顔が藤忠の視界を塞ぐ。
「こら、見えないだろ」
しっしと追い払われて、あけびは素直に脇にどいた。
「あ、でも侍を諦めた訳じゃないよ? 義理人情を持った忍だっていて良い筈だし!」
前例がないなら自分がその第一号になってやる。
「……天魔と人……その未来の為に暗躍するなら悪くないしね」
「そうだな」
空の色は青から赤へ、そして深い闇の色へと移り変わっていく。
ゆるく弧を描く水平線に沈む夕日は、何故かいつもより小さく感じられた。
夕日はいつも朝日を追いかけて、永遠に追い付けない堂々巡りを続けているのだと、そんな話をどこかで聞いた気がする。
でも、勝手に沈もうとする夕日を追いかけて、引っ張り上げる朝日がいたって良いじゃない。
追い付けないなんて、誰が決めたの?