「これは…」
暖かな陽気に誘われて、春を探しにふらりと出かけた藍那湊(
jc0170)は、微かに聞こえた小さな鳴き声に耳を澄ませた。
「猫の鳴き声みたいだけど、どこで鳴いてるんだろ?」
頭のてっぺんにピンと伸びたアンテナが、湊にその方角を教えてくれる…気がする。
それを頼りに暫く行くと、角を曲がったところで見覚えのある背中が見えた。
(「あれ、門木先生だ…そう言えば、先生のアパートってこの辺だっけ」)
湊はそっと後をつけながら様子を伺ってみる。
門木は足元に三毛猫を従え、手には大きな段ボールを抱えている。
鳴き声はどうやらそこから聞こえて来るようだ。
(「まさか、子猫を捨てに行くんじゃ…?」)
しかし、事実は全く逆だった。
「ふわわ、可愛い猫さんたちがいっぱいですっっ」
アパートに戻った門木を出迎えた新田 六実(
jb6311)が、箱の中を覗き込んで目を輝かせる。
「この子達、ここで飼うのです?」
「ああ、皆が良ければそうしようと思ってる」
「なーんだ、そうだったんだー」
それを聞いた湊は安堵の声を上げた。
なお勝手に上がり込んで「ここ僕の家だし」みたいな顔をしていても、アパートの住人達は気にしない。
元々ここはそういう場所なのだ。
「拾ってもらえて良かったねー」
湊は箱の中でみーみー鳴いている子猫達を一匹ずつ取り出して、母猫のそばに置いてやった。
「えっと、あの、個人的に飼ったり、は…出来るの、です?」
六実はその中の一匹、サバ白子猫をじーっと見つめて、ふいにその視線をちらりと投げる。
投げた先には父親である鳳・白虎(
jc1058)の姿があった。
「ん? なんだ、俺は構わないが…」
「ほんとっ!?」
視線を子猫に戻し、そっと指先を近付けてみる。
子猫はふんふんと鼻を鳴らしてその匂いを嗅ごうとするが、まだ距離感が上手く掴めないらしく鼻先がちょこんと触れる。
「あ、冷たい…」
嬉しそうに笑って、六実は門木を見た。
「このグレーの子欲しいです…いいですか?」
「それは俺じゃなくて、お母さん猫に訊いた方が良いんじゃないかな」
「あっ、そうですね!」
六実は三毛猫の前に三つ指を突いて、真剣にお願いする。
『…にゃ』
どうやらお許しが出たようだ。
「名前は…虎猫(フーマオ)が良いです」
子猫を抱き上げ、そっと喉や背中を撫でる。
「これからよろしくね、虎猫」
『にぃー』
その姿を見て親馬鹿スイッチの入った白虎は、だらしなく目尻を下げた。
「俺の方見てサバ白って…ひょっとして俺の悪魔顕現時の白虎獣人姿からか? それならかなり嬉しいなぁ」
デレッデレである。
心の声がだだ漏れしまくる程にデレている。
「なに、門木先生さんもそのうち娘が出来ればこうなるさ」
門木の脇腹を軽く小突いて、白虎は他にも何か入っているらしい段ボールの中を覗き込んでみる。
「ん? これは…雛人形か?」
猫と雛人形という取り合わせに首を傾げる白虎に、門木は事情を話し始めた。
「なるほど、そういう事か。しかし酷い有様だな、汚れを落としたりする程度なら俺も手伝えるだろうが…」
いや、ここは風雲荘だ。
人形修理のエキスパートもきっといる。
いなくても何処かから誰かが駆けつけてくれるに違いない。
「これが雛人形かぁ。本物ははじめて見たなー」
「えっ、みなとんお雛さま見たことないの?」
箱の中を覗き込んだ湊の言葉に、あっさり馴染んで勝手な渾名を付けたリコが尋ねる。
「うん、だってひな祭りって女の子の行事でしょ?」
こう見えても、湊はれっきとした男の子なのである。
「汚れてるけれど、よく見るとすごく繊細な造りで美人だ」
湊は箱の中から人形をひとつ取り出して、乱れた髪を手櫛で整えてみた。
「ほら、ね?」
そう言って見せられても、リコは「うーん」と眉を寄せている。
そんなリコに、浅茅 いばら(
jb8764)が言った。
「雛人形はガッツリ見ると怖いかもしれんけど、これも日本人形の味やなあ」
「リコが持ってたお雛さまは、もっとぽっちゃりしててかわいかったよ?」
「今風のお雛さんは、そういうのが多いかもしれへんな。けど、昔はみんなこういうお顔やった…うちはこういうんも好きや」
「ふむふむ、いばらんはこういうちょっと怖い系の美人さんが好き、と」
リコはわざとらしく真剣な表情で頷き、次いでかくりと首を傾げた。
「じゃ、もしこんな美人のお姉さんがいたら浮気しちゃう?」
「するわけないやろ、お人形さんやったらの話やし」
「だよねー♪」
そう言って、リコは楽しそうにコロコロと笑う。
相変わらず振り回されている感は半端ないが、リコが楽しければそれで良いと、いばらは悟りを開いた境地でその笑顔を見つめていた。
「ねえ、それでこのお人形さん達どうするの? ここに飾る?」
「そうですねー、この子達はきっともうお役目を果たしたのだと思いますよー」
アレン・マルドゥーク(
jb3190)が答え、雛人形を飾る意味や行事の由来などを、傍らで不思議そうな顔をしているテリオスにもわかるように説明する。
「ですから、供養してさしあげるのが良いと思いますー」
「せやな、飾られなくなったんは寂しいからちゃんと供養せんと。人の形をしたもんには魂やどるていうし…リコのぬいぐるみさんも丁寧に扱わんとなぁ」
「大事にしたら、動いたりお喋りしてくれるようになるのかな?」
「もしかしたらそういう事もあるかもしれへんな」
それはそれとして。
「うん、僕も供養に賛成だよー」
三人のやりとりを聞いて湊が言った。
「でもこのままじゃ可哀想だし、綺麗に手直ししてから送り出してあげようね」
「そうね、供養する場があるのならそこへ持って行くべきだよね」
かつては人界知識に乏しかった鏑木愛梨沙(
jb3903)も、今ではだいぶ馴染んできたようだ。
「お裁縫はあんまり得意じゃないけど、綺麗に拭いてあげるくらいなら出来るかな」
「姉様、それなら一緒にやりましょうっ」
「お裁縫ならリコに任せてっ☆」
六実とリコに言われて、愛梨沙は自然な笑みを返す。
無意識に出ていた天使の微笑は、今では殆ど見られなくなっていた。
「そうね、色々教えてもらえると嬉しいな。それに、この子達のことも…」
愛梨沙はちらりと猫達に視線を投げる。
「とっても可愛いとは思うけど、どうやってお世話すれば良いのかわからないの」
「任せてくださいっ」
六実は嬉しそうに何度も頷いた。
その姿は普通に見ても可愛いし、妹だと思えば更に愛おしさが募る。
愛梨沙の記憶はまだ戻らないけれど――
(「それでも『姉様』と慕ってくれるこの子がとても可愛い…この子の事だけでも思い出してあげたいな…」)
門木が猫と雛人形を拾ったという話は、その頃にはSNSを通して友人知人の間に拡散していた。
「…では…私は対応可能な寺社を調べておきますねぇ…」
いつもの安心、敏腕マネージャ月乃宮 恋音(
jb1221)が早速行動に移る。
供養してくれる神社や寺を調べ、個別に対応してくれるなら予約を入れて、祭礼の一環として行われる場合は直近の日時を調べて。
「…修繕するなら材料も必要になりますし、その手配もしておきますねぇ…」
それに、猫を飼うための環境も整えなければ。
「…まず必要になるのは…トイレと餌、寝床と…玩具やタワー、爪研ぎなどでしょうかぁ…」
と、恋音がそう呟いた時。
『うぁおなぁーーーん!』
三毛猫が何やら悲痛な声で鳴いた。
「どうした、ん?」
その切羽詰まった様子にミハイル・エッカート(
jb0544)が声をかけてみるが、母猫は全く気にも留めずに何かを探すようにウロウロと歩き回っている。
『うなぁ! うなぉーーーん!』
その様子を見ていた真白 マヤカ(
jc1401)が、トコトコと近寄って来た白い子猫の頭を撫でながら言った。
「子猫を探してるんじゃないかしら…ねえ?」
『にぃー』
「この子も、きょうだいがひとり足りなくて寂しいって言ってるわ」
猫の言葉がわかるわけではないけれど、状況から見てそういうことなのだろうとマヤカは推理する。
「あなた、お名前は? 私は真白マヤカよ、よろしくね」
『にぃー』
「あら、まだ決まってないのね。それじゃ私が付けてもいいかしら」
『にぃー』
実は見た瞬間に閃いた名前がある。
「あなたの名前は『おへそ』よ、可愛いでしょ」
『にぃー』
よくわからないけれど、気に入ってもらえたのだと思っておこう。
それはともかく――
「言われてみればそんな気がするな」
ミハイルが頷き、門木を見た。
「章治、本当に全部連れて来たのか?」
「そのはず、なんだけど…」
改めて思い返してみると自信がなくなってくるし、足元で見上げる三毛猫にも違うと言われている気がするし。
「ちょっと、探して来る」
「おう、なら俺も付き合うぜ」
そう言いながら、ミハイルは三毛猫をひょいと抱き上げる。
「こいつに探してもらった方が早いだろうし、子猫も安心して出て来るだろう」
「お母さんがお留守の間、子猫達は私が面倒を見るわ」
膝の上に子猫達を山盛りにしたマヤカが小さく手を振った。
「猫探し、ですか」
ひな祭り用の料理でも作ろうかと顔を出してみた逢見仙也(
jc1616)は、買い出しのついでにそれを手伝ってみることにした。
いや、どちらがついでなのかわからないし、見つけるつもりがあるとも言ってないけれど。
とりあえず門木とミハイルを尾行して、現場に着いたら陰陽の翼で上空からざっと眺めてみるが。
「上から見てわかるようなものでもありませんよね」
猫は隠れたり潜り込んだりすることが多いものだし、ましてや子猫のサイズでは獲物を狙う鷹の目でも見付けるのは難しいだろう。
とは言え、同じ場所にじっとしていられないのもまた子猫…いや、猫に限らず子供とはそういうものだ。
そして、それを待ち構えていた敵に襲われる――あんな風に。
「多分、あれですね」
集積場の隅に黒い塊が群れている。
ここにはカラスが狙うような生ゴミは捨てられていないから、獲物は恐らく生き物だろう。
仙也は上空から音もなく近付くと、アウルを込めた子守唄を歌った。
途端、一時停止ボタンが押されたように全ての動きが止まる。
「多分あれだと思いますよ」
地上の二人に声をかけ、やる気のなさそうなヒーローはふらりと飛び去るのでありました。
ミハイルが空に向けて空砲を撃つと、カラス達は一斉に逃げ散って行く。
『ぅにゃぉわーん!』
その腕から飛び降りた三毛猫は、粗大ゴミの隙間にするりと潜り込むと、小さな白い毛玉を咥えて戻って来た。
「おぉ、無事だったか。その子で最後か、後はもう忘れてないな?」
ミハイルの言葉に、毛玉を降ろした三毛猫は照れ隠しのようにそっぽを向きながら、バリバリと後ろ足で首を掻く。
「それにしても、この子猫は随分と度胸があるな」
白い毛玉は何事もなかったかのように、すやすやと寝息を立てていた。
度胸があると言うか、のんびり屋と言うか、置き去りにされた事にも気付いていないどころか、カラスに命を狙われてもマイペースに夢の中。
「よし、気に入ったぞ。こいつは俺が飼う」
ミハイルは肝の据わった毛玉を両手でそっと掬い上げた。
「いいよな、風雲荘で飼うなら親と引き離す事にもならないし、俺が留守にしている間は章治が面倒みてくれるだろ?」
よし、決まりだ。
「名前は…そうだな、ぷりんにしよう」
真っ白だから牛乳プリンか。
「どうだ、粋だろう」
「…プリンって、粋なのか…」
「漢字で風鈴と書いて、ぷりんと読むんだ。その遊び心が粋なんだぜ、章治も覚えておくといい」
もっとも、子供の名前でやるとキラキラだのDQNだのと言われて、後で恨まれることにもなりかねない。
「使い処には気を付けるんだぜ」
さて、これで猫達は無事に揃った。
三毛猫母さんに、黒、キジトラ、サバ白、トラ、サビ、そして白が二匹で計八匹。
人形を取り出した後の段ボールを猫ハウスに改造し、彼等にはひとまずそこで落ち着いてもらうことにして――
「まずは雛人形の修繕ですね〜」
人形作りも趣味だという星杜 焔(
ja5378)が道具箱をひっさげて、星杜 藤花(
ja0292)と共に参上。
「私も衣装や髪を整えるくらいならお手伝い出来ますので」
藤花は汚れて色褪せた衣装に元の色を見て、うっとりと目を細める。
「きっと昔はとても綺麗なお雛様だったのでしょうね」
今では輝きを失ってしまった金糸も鮮やかに、襟や袖の重ねは春らしく紅や薄紅で彩られていたに違いない。
「汚れは落ちても失われた色は戻りませんし、新しく作り直して着替えてもらった方が良いでしょうか」
「そうだね〜」
生き別れになった首と胴体を揃えて並べながら焔が頷いた。
古い衣装もきちんと整えて、一緒に供養してもらおう。
「♪明かりをつけましょ♪ 蝋燭にー♪ …あれ?」
何か違った気がすると思いつつも構わず歌い続けながら、Rehni Nam(
ja5283)は人形の汚れを丁寧に拭き取っていく。
残念ながらバラバラ事件を解決出来るほどの推理力、もとい修復作業に関する知識も技術も持ち合わせていなかった。
「でもでも、せめて綺麗にしてあげたいですよね!」
幸い汚れを拭き取るだけでも見栄えが良くなりそうな人形が何体かある。
それを絹布で拭いて、埃を落として――
「うーん、このシミも落としてあげたいですけど…何やら、シミとかがあっても、無理に落そうとすると逆に酷くなるとか聞きますし」
お化粧を失敗するくらいなら、スッピンのままでいた方が良いだろうか。
「うん、このシミもお人形さんの味と言うか、生きてきた証みたいなものですからね」
むしろ堂々と見せ付けるべし。
あとは衣装のほつれを丁寧に切り落として形を整え、綺麗に磨いた道具を手に持たせて。
「壊れた道具の修理は得意な人にお任せですね」
ちらりと門木を見て、そっと目の前に差し出してみる。
あ、直すのはいいけど変な改造はしないでくださいねー。
「裁縫は得意だよー、苦手な人はどんどん僕に押し付けていいからねー」
恋音が集めたハギレの中から気に入った柄を選び、湊は慣れた手つきで型紙通りに裁断していく。
なお型紙も人形の寸法を測って作ったオーダーメイドだ。
「えっ、女子力じゃないよ、独り暮らしの男子力っ」
普通はどんなに独り暮らしが長くてもそんなスキルは身に付かないどころかますます縁がなくなっていくとか知りませんね、どこの世界の話ですか。
「もつれた髪だって丁寧に櫛をあてれば…あてても、なかなか通らないけど、うん、こういうのは根気が大事だから」
焦ったら負けだ、辛抱強く丁寧に、それでもどうにもならなければ思い切ってイメチェンしてみるのも良いかもしれない。
「いっそアフロとか…ダメかな」
もつれた部分を活かした大胆アレンジを施すと、今度は衣装にも手を入れたくなる。
「うん、この髪型ならもっとこう…」
情熱の赴くままにアレンジを施し、気が付けば出来上がっていた三人官女のファッションドール。
「…現代風アレンジということで」
こういうのもアリだよね!
マヤカは慣れない手つきで人形を修理しながら、膝の上にちょこんと収まった「おへそ」に話しかけてみた。
「ねえ、おへそ。どうしてかしら。この人形達、どうしてバラバラになってしまったのかしらね」
おへそは片目を開けてまた閉じる。
その態度が、なんだか訊いて欲しくなさそうにも、秘密を嗅ぎ付けられて誤魔化したようにも思えた。
おやつに出された雛あられをポリポリしながら考えてみる。
「もしかしたら、拾われる為の罠だったり?」
この人形達も、元々は汚れていなかったのかもしれない。
「先生に仕掛けたにゃんこさんののら猫脱出作戦かしら?」
だとしたら、作戦は見事に当たったわけだ。
その餌として使われた人形を何とか元に戻し…多分、手を加える前よりは綺麗になっている、はず。
後は髪を編み込んだり、ハーフアップにしてリボンで飾ってみたり。
「サイズが小さいから、なかなか難しいわね」
あっ、おへそはリボンにじゃれないでー!
作戦は無事に終わったんだから、これ以上ボロにしなくていいから!
「ずいぶん綺麗になりましたね」
紆余曲折の末に修繕の終わった人形達を並べ、藤花は嬉しそうに目を細める。
手がけた職人の腕やセンスによって、人形達には様々なバリエーションが生まれていた。
後は最後の仕上げに衣装や髪を丁寧に整え、それぞれの道具を持たせれば完成だ。
「…お寺さんの方は手配が付きましたので…供養はいつでも都合の良い日で構わないそうですぅ…」
「じゃあ、なるべく早いほうが良いかな〜」
恋音の言葉を受けて、焔が少し名残惜しそうに人形達を見る。
「飾ってあげられないのにいつまでも置いておくのは、かえって可哀想だしね〜」
「ええ、ひな祭りの前に供養してあげたほうが良いと思います」
藤花はそう言って、人形達を薄紙で丁寧に包んでいった。
一式全てを箱に詰めたら、修繕に関わった皆で寺に納めに行く。
「可哀想な気もするけど、これで良いんだよね」
人形の入った箱を手渡す瞬間、六実が愛梨沙の手をぎゅっと握った。
「そうね、役目を果たすことが出来て、人形達も幸せなんじゃないかしら」
きちんと供養することで、人形が引き受けた厄も綺麗に祓われることだろう。
「持ち主だった子も、幸せになれる?」
「ええ、きっと」
娘達のそんな会話を聞いて、白虎が声をかけてきた。
「うちのお姫様達にも雛人形を用意したぞ、帰ったらリビングに飾ろうな」
「えっ、ほんと!?」
「ああ、部屋には収まりきれないほどのデカい奴だ」
というのは誇大表現かもしれないが、娘のために奮発したそれは、六畳間に飾るには確かに大きすぎた。
「…お父さん、お財布大丈夫?」
組み立てられた雛壇を見て、六実は心配そうに父を見上げる。
「何を言ってる、俺にだってこれくらいの甲斐性はあるさ」
おどけて答える白虎だったが、本音は今まで何もしてやれなかった事に対する罪滅ぼしといったところだろうか。
「ありがとう、お父さんっ」
素直に喜んだ六実は愛梨沙の袖を引いた。
「姉様も一緒に飾りましょうっ!」
「ええ、でもどうやって並べれば良いの?」
「大丈夫です、ちゃんと資料もありますから! あ、リコさんも一緒に!」
リビングには個人の私物から共有の物まで、他にもいくつかの雛壇が並べられている。
「折角やし、これならリコのぬいぐるみでお雛さんしてもええね」
いばらの提案に、リコはさっそく部屋から大量のぬいぐるみを抱えて来た。
「えっと、この子がお雛さまで、お内裏さまは…あれ?」
ふと見ると、雛壇の一番上には既にぬいぐるみが置かれている。
しかもやたらとリアルな猫の…と思ったら、本物だった。
三毛猫母さんはすまし顔、まだ段を上がれない子猫達は下で右往左往。
いばらはその全員を拾い上げて、三毛猫の隣に置いてやった。
「雛祭り…いやひにゃまつり?」
「うわぁ、かわいい!」
「写真撮りましょう、写真!」
六実がすかさずカメラを構える。
「ほら、姉様も入って! じゃあ撮りますよー!」
娘達の楽しげな様子を、白虎は目を細めて眺めていた。
(「ひな祭りかぁ。そういやウチのチビの事をきちんと祝ってやれるのはこれが初めてだな」)
愛梨沙との間に流れる空気はまだ微妙だが、それなりに仲良く出来ているようで何よりだ。
「しかし人間というのは何かを飾ることが好きな種族だな」
飾り付けを手伝いながら、テリオスが呟く。
「七夕にクリスマスマス…それにハロウィンや、他にも」
「五月には端午の節句もありますよー」
飾ることにはそれぞれの意味があるのだとアレン。
「テリオスさんは、そういうのあまりお好きではないのでしょうかー」
「べつに、そういうわけじゃない」
むしろ好きだし楽しいけど素直に認めるのは悔しいからツン。
「行事そのものにも意味がありますが、人形や道具のひとつひとつにも意味があるのですよ」
藤花が御所車を指さす。
「これは昔、身分の高い人が乗るものだったのです」
だから、そこには娘が「裕福な家庭に嫁げるように」との願いが込められているのだそうだ。
他にも右近の橘と左近の桜の由来や道具類の意味など、説明しながら飾っていく。
やがて気紛れな三毛猫が段を下りてしまうと、今度は上に取り残される子猫達。
「あらあらー、ひとりで先に降りちゃって、仕方のないお母さんですねー」
レフニーは「ちっち」と呼びながら子猫達に手を差しのべてみる。
「ねこねこにゃーん、お猫様ーおいでー怖くないですよー」
だが子猫達はそこに乗れば降ろしてもらえるという考えには至らないようで、ひたすら困ったように右往左往。
仕方がないので一匹ずつ抱き上げて降ろしてやった。
「かーいーですねー」
なで。
「ふわもこですねー」
なでなで。
「遊びましょうよー」
猫じゃらし、しゅたっ!
しかし、子猫より先に母猫が飛び付いて来た!
「ええ、よくあることですねー」
「よくあるのか…」
母猫の勢いに吹っ飛ばされそうな子猫達を忍法「友達汁」で引き寄せたミハイルは、子猫まみれになりながら目を丸くする。
「うちにも半野良が遊びに来ますけど、子連れだったりすることもあるのです」
いなくなると大騒ぎするくせに、普段の扱いはわりと雑。それが猫。
「まとめて引き取りたいと思っても、寮だから勝手に飼えないのですよねぇ」
レフニーは残念そうに溜息を吐く。
「なら、ここに住めば良いんじゃないか?」
実際マヤカなどは既に手続きを済ませたようだ。
別荘でも良いし、気が向いたらいつでもどうぞー。
そしてひな祭りの当日。
風雲荘のリビングには立派な雛壇とキャットタワーがお目見えしていた。
日当たりの良い窓辺にはふかふかの猫ベッドが置かれ、親子が気持ちよさそうに昼寝をしている。
「猫、もふもふだね!」
ひな祭りを楽しみにやって来た不知火あけび(
jc1857)がそっと撫でても気付かない。
「猫、多くなってないか?」
確か住人の誰かが飼っていた記憶はあるがとその様子を横目に見つつ、不知火藤忠(
jc2194)はキッチンへ。
「あけび、お前も猫を構いに来たわけじゃないだろう」
「あっ、そうだった! ちらし寿司作りますね、ほら章治先生も手伝って!」
ごはんを炊く間に、錦糸卵に干し椎茸や干瓢の煮染め、ニンジン、酢蓮、筍に油揚げなどを手早く用意して。
「蟹も買ってきました! カニカマじゃなくて本物の蟹ですよ!」
茹でて身を解して、そのまま食べたいのを我慢しながら炊きあがったご飯を寿司桶に移す。
熱いうちに寿司酢を回しかけたら――
「先生、出番ですよ!」
何やら誤解を生みそうな台詞と共に門木にしゃもじを渡し、あけびは団扇を装備。
「こういう時男手って良いですよね!」
むしろこういう時にしか役に立たないと言うか…いやいや、出来る事はちゃんと手伝ってるからね!
「章治、こっちも頼む…安心しろ、手伝いじゃない」
藤忠に呼ばれて、今度は甘酒の味見。
「大吟醸の酒粕で作ったんだ、品の良い甘さだろう」
それに、蛤の吸い物も。
「貝殻が対になっているだろう。たった一人と添い遂げるという縁起物だ」
二枚貝なら何でも良いと思うなかれ、ひな祭りには蛤が欠かせない理由があるのだ。
「蛤の貝殻は対になった二枚の他には絶対に噛み合わないんだ、貝覆いという遊びもあるくらいでな」
その事から、蛤には良縁に恵まれ夫婦円満になるようにとの願いが込められるようになったらしい。
「…俺にもそんな相手が出来れば良いが」
そう言ってから、小声で付け加える。
「まぁ気になる奴はいるんだが…」
「えぇっ!?」
しょうげきのこくはく。
「どんな人かな、私も知ってる人だったり…うう、気になる…!」
「それは…戦争が終わって、あけびが当主になってから、だな」
「これは早く当主にならないと!」
とは言うものの、それはいつになるのだろう。
「自覚があるならさっさと告白した方が良いと思うがな」
と、自覚するまでが長かった経験者は語る。
「まあ、出来ない理由を考えている間はまだ本気じゃないのかもしれない。じっくり考えてみるのも良いだろう」
「あー、それは言えるかも。本気だったら何が何でもって気になりますよね!」
そうでなくても早く大人になりたいと、あけびは思う。
でも今は、無理に背伸びをするよりも出来る事と必要な事を確実に。
そうすればきっと、未来は望んだ形でやって来るから。
「まずは世界平和、だね」
お師匠様も姫叔父も守ってみせる。
それが叶ったら…どうしよう。
「みんなもう、その後の事まで考えてるんだよね」
「ミハイルもいなくなるんだな。すぐに会えるとはいえ章治は寂しいだろう」
「不良中年部も静かになるなぁ。寂しいのは皆同じだけど…」
三月という季節柄のせいか、どうもしみじみしてしまう二人。
「章治先生、ここって家賃かからないんですよね?」
だったら、たまにこちらに住んで色々と話すのも楽しそうだ。
「ちょっと見学させてもらって良いですか?」
というわけで、風雲荘見学ツアー(甘酒サービス付き)が始まりました。
「ホームバーもあるのか。酒飲みには良い場所だな」
「菜園、順調ですね。これを機に土に親しんでみるのも良いかも」
というわけで、あっさり決定二名様ご案内〜。
「恋音、味付けはこんな感じでどうでしょうか?」
あけび達と入れ替わりに、キッチンでは恋音と袋井 雅人(
jb1469)が腕をふるっていた。
「…はい、良いと思いますぅ…」
本日の雅人は空気を読んで普通の格好、彼があのアレであるとは誰も気付くまい。多分。
「恋音が雛祭り用の料理を準備していると聞けば、手伝わないという選択肢など有り得ませんからね!!」
それはもう気合を入れて手伝いますよ!!
食材の調達から下拵え、そして仕上げに至るまで、自分の手足と思ってどうぞ存分に使い倒してください!!
作るメニューはちらし寿司などの一般的な雛祭り料理に加えて、海老と彩り野菜の和風ゼリー寄せに、鯛の和風餡かけ、バニラと苺、抹茶で仕上げた菱餅型の三色アイス。
どれも春らしく、そして祝いの席に相応しい華やかな一品だ。
焔と藤花は、今日は息子の望と愛犬もふらも一緒に連れて来ていた。
その後ろには、のっそりと大きな熊…いや、ダルドフの姿が。
「折角なら皆で楽しみたいと思って、お呼びしました」
「ダルドフさん猫好きそうですし〜」
手土産は昆布で丁寧に出汁をとったはまぐりのお吸い物に、デコレーションケーキ型ちらし寿司。
「早朝に港で仕入れた新鮮なお魚がたっぷりだよ〜」
他にもイクラや海老に、蓮根、お豆や卵、菜の花や飾り切りした人参などがどっさり入っている。
「縁起物は皆で楽しく食べてこそですしね〜」
かつて焔の両親も、季節の行事には気合いを入れた料理を作ってくれた。
そんな幸せな記憶を息子にも残してやりたいという気持ちもある。
「男の子は端午の節句に祝うものですが、ひな祭りを楽しんでも構いませんよね」
藤花がふわりと笑う。
「リュールさんには甘い雛あられと白酒をご用意しました」
「ダルドフさんには蛤の酒蒸しや菜の花のからし合えなんかが良いかな〜」
もちろん誰でも好きなものをどうぞ。
他にもリクエストがあれば旬の素材で何でも作るよ!
「どれも縁起物で、それぞれに意味があるんですよ。こういう人間の行事も面白いでしょう?」
そんな、甘いものが食べられれば何でもいいなんて色気のないこと言わないでー。
「おーやってるやってるね〜♪」
ひょっこり顔を出した佐藤 としお(
ja2489)は、さっそくラーメンを作り始め――え、違うの?
「ちっちっち、いくら僕がラーメン大好きだからって空気くらい読むし、ラーメンしかネタのない奴みたいに思われるのも心外だな!」
それに、ひな祭りにラーメンなんて、ねえ?
「え? でも期待してた? 何かやってくれると思ってた?」
いやー、そう期待されると応えないわけにはいかないな!
というわけで作りました、ひな祭りラーメン!
「三色の麺に菱餅型のナルト、ゆで卵でお雛様とお内裏さまを作ってみたよ!」
さあどうぞ、召し上がれ!
「ダルドフ! 酒盛りだ!!」
雛祭り@俺流。
ミハイルはダルドフに右大臣の格好をさせ、自分は左大臣のコスプレで白酒を飲む。
「歌の通りなら大臣は赤い顔をするのがセオリーなんだが」
天使も撃退士も酔わないものだし、白酒程度ではジュースも同然。
「アルコールの味はするので良しとしよう」
そして自然に集まる飲兵衛な大人達。
「今日は白酒しか飲んじゃけないってわけでもないだろ?」
そう言って白虎が持って来たのは焼酎の瓶。
「俺はこいつが好きだな」
「おっ、なかなかいけるクチだな…俺も邪魔して良いか?」
藤忠は大吟醸をどん。
互いに何度か姿を見かけたことはあるが、こうして会うのは初めてだったか。
しかし杯を交わせばその瞬間に旧知の友となれる、それが酒飲みの良いところだ。
「俺もお邪魔させてもらうねー」
焔もせっかくだからと酒の席へ。
飲んで食べて、笑って騒いで、一段落したところで急にミハイルがしんみりとした調子で呟いた。
「なあダルドフ。俺な…、これまで戦場で天使を葬ってきたが、ダルドフはそういうの気にするか?」
「どうした、なんぞ弱気の風にでも吹かれたのかのぅ」
「そうじゃない」
ただ、少し思うところがあっただけだ。
「別件でサーバントはいいが天使は不殺推奨って依頼があってな。おそらく天使側との停戦協定のせいだろうが…」
「ふむ。しかし彼奴らも遊びで攻めて来るわけではあるまい」
ダルドフは杯を一気に飲み干すと、いつもの豪快な笑みを見せた。
「戦場で落とす命なら、気にはせぬよ」
「…そうか」
止めていた息を吐き出すと、ミハイルもまた杯を煽った。
「世の中、変わったもんだ」
「そうさのう、良い方に変わるのであれば何も言うことはないのだが…」
望んだゴールに近付いていると、今は信じて進むしかないのだろう。
「これはさすがに多かったか」
仙也はテーブルを見て、自分の料理はどうしようかと暫し考える。
並べるスペースはあるが、ちらし寿司は既に三つ。
「同じものばかりでも飽きるだろうし、これは必要ないか」
しかし、その腕をがっしりと捕まえる者が――あけびだ。
「仙也君もちらし寿司作ったんだね、私のとどっちが美味しいか食べ比べしようよ!」
「それは…俺の方が美味いに決まってますけど」
「くっ、はっきり言うね、多分その通りだけど!」
悔しいけれど、それは認めよう。
しかし料理とは同じものでも作り手によって味わいが異なるもの。
それどころか同じ名前でも地域によって全く別の料理になったりもする。
今も「ちらし寿司」として作られたもの全てが、それぞれに独特の個性を主張し合っていた。
「食べ比べてみるのも楽しそうだし…それにほら、今日は女の子のお祭だよ? だから女の子の言うことは聞くものじゃないかな!」
「だからといって、特にサービスの必要はありませんね」
まあ、とりあえず作ったもの――寿司と甘い雛あられは並べておくけれど。
「人間だったら猫かまってた方が面白いし」
「えー」
そんな抗議の声を聞き流し、仙也はさっさと猫達のところへ。
「降りようとしないってことは、気に入られたと思って良いのかな?」
膝の上に子猫を乗せた愛梨沙は戸惑い気味にその頭を撫でてみる。
人差し指でそっと撫でなければ壊れてしまいそうなほど、子猫はまだ小さくか弱く見えた。
「…猫を飼うのは初めてでしょうかぁ…?」
声をかけてきた恋音に、愛梨沙は頷いて見せる。
「あたしが飼うわけじゃないけど、アパートで飼うならみんなが飼い主ってことになるわよね」
「…でしたら、こちらをどうそですぅ…」
差し出されたのは猫の飼育マニュアル。
「…初めての方には必要かと思いまして…急遽、基本的な事を纏めてみましたぁ…」
「ありがとう、参考にさせてもらうね」
読者としてテリオスを想定して作った初歩の初歩だが、猫ビギナーには役に立つはずだ。
その彼は、アレンに猫の扱い方を教わっていた。
「家政夫先にも白猫がいますので、扱いには慣れているのですー」
まずは触ってみるところから。
「そう言えば、猫はよく見かけるが触ったことはなかったな。…大丈夫だろうか、壊れたりしないか?」
「大丈夫ですよー」
習うより慣れろ、触っているうちにわかってくることもあるだろう――人と人が付き合いを通して理解を深めていくように。
「この猫達どんな名前になるでしょうねー。テリオスさんはどの子がいいでしょうー?」
「私は…引き取るなら、この配色がデタラメな子がいい」
ちらりと見たのはサビ猫。
「作り主が手抜きをしていい加減に放り出したみたいで…だったらこっちが幸せにしてやる、みたいな気になる」
「なるほどー」
では、他に希望者がいなかったらその子にしようか。
「名前はどうしましょうねー」
「…サビコ?」
言った途端、アレンが噴き出した。
「章ちゃんとセンスが似てるのですー」
そう言われて、テリオスは思い切り不満げな顔を見せる。
まあ、照れ隠しなのだろうけれど。
「ねー、だったら僕が付けてもいいかなー」
小袋に包んだ雛あられを差し出しながら、湊が声をかけてきた。
「はい、これお土産。お雛様にちなんで…そうだなー、アラレちゃんとか、どうかなー」
ほよよ、とは鳴かないけれど…多分。
「ああ、可愛いな」
テリオスも気に入ったようだ。
「他にも女の子はモモとかヒメとかー…あぁ、それはねこじゃらしじゃないよー」
シャツに爪を立ててよじ登ってきた子猫にアホ毛を弄られ、叱りながらもデレまくる湊。
おかげでちっとも効果はないが、むしろそれが良い。
「あれ、お雛様も猫なんですね!」
恋音と一緒に子猫と戯れていた雅人が、初めて気付いたように雛壇を見る。
それは衣装直しで余った布で作られた小さな猫雛だった。
誰が作ったのだろうと見れば、湊のアホ毛がピコピコしている。
それをまた子猫が弄って、全く効果のないお説教をして…実に楽しそうだ。
目を戻した雅人は、今度はチラチラと門木に視線を投げた。
「うーん、このクロさんかわいいですねー。お家に連れて帰りたくなっちゃいますねー…えっ、良いんですか!!」
ただし、もう少し大きくなるまでは母猫に育ててもらう必要がある。
連れて帰るのは暫く先の事になるだろうけれど。
やがてひとしきり猫と遊んだ後で、アレンはテリオスを自室に呼んだ。
「お渡しするものがあるのですー」
そう言って手渡されたのは、手製のミニお雛様。
「大切にしてると幸せな結婚ができるというジンクスもあるとか…」
「私には縁がなさそうだが…ありがとう」
そんな事はないと言う代わりに、アレンは続けて切り出した。
「クリスマスに約束しましたよね」
テリオスに新しい名前を付けると。
誕生日も決めていいと。
「誕生日は貴方が貴女でいられるようになる日を」
そして名前は――
「…フィリア」
兄妹で同じ名の男性形と女性形がつけられるのは珍しくない。
「嫌…でしょうか?」
問われて、テリオスは小さく首を振った。
「では、もうひとつ」
「まだ何かあるのか?」
「ええ」
むしろ最後のこれが大本命かもしれない。
「…私はきっと残りの寿命が貴女より大分短いし、過去が綺麗とも言えません。それでも受け入れて貰えるなら――」
息を整えて、続ける。
「フィリア・アーレンベルの名前を贈りたい」
テリオスがその意味を理解するのに、どれほどの時間を要しただろうか。
ずどーーーん!
結果、天井を透過で突き抜けて、リビングに天使が降って来る。
「兄貴っ! どどどうしよう! どういう意味だこれ!?」
門木に壁ドンをかまして問い詰めるが、どういう意味かは本人にもわかっている筈。
だからこそパニックになっているのだろう。
「テリオス、もういいだろう?」
「なっ、何が――」
答える前に、門木は集まった全員に聞こえるように言い放った。
「あのな、実はこいつ…妹だから」
途端にリビングが騒然となった事は言うまでもない。
が、順応が早いのも久遠ヶ原ならでは、数分後には何事もなかったようにまったりした空気がリビングを包んでいた。
華やかな雛飾りに、美味しい料理、そして女の子達の笑顔。
「雛祭りは女の子の成長を祝うものや。リコはこのままかもしれんけど…うちがそばにいたるから、ずっとな」
「どうしたの、急に?」
「いや、どうもせぇへんよ」
いつも想っている事を口にしてみただけだと、いばらは笑う。
いつ終わるともしれない幸福な時間を少しでも共有したいから。
想っている事はきちんと伝えないと、いつそれが出来なくなるかもわからないから。
「リコに辛い思いはさせへんで、絶対に」
「うん、知ってる」
微笑を返し、リコはその頬にそっと唇を寄せた。
「こうしてると女の子も欲しくなるねぇ〜」
焔の呟きに、藤花は頬を染めながらも小さく頷く。
女系の一族出身であるせいか、女の子が欲しいとは密かに想っていたようだが――
果たして具体的な一歩は踏み出せるのだろうか、主に旦那様が。
「春、だな…」
杯を片手にしみじみと呟く藤忠。
彼の春も、きっともうすぐそこに――?