撃退士達をここまで運んでくれた船が遠ざかっていく。
これでもう、文明との繋がりは経たれてしまった。
次に迎えの船が来るまでの一週間、彼等は文明と隔絶された生活を送らねばならない――
なんてことは、なかった。
勿論その設定通りにワイルドライフを満喫しても構わないのだが、大抵の生徒はそこまでの野生化は望んでいない……多分、到着早々に島の奥へと姿を消した数人を除いては。
彼等の様子はまた後ほどレポートするとして、まずは程よくサバイバル生活を楽しみに来た面々にカメラを向けてみよう。
月乃宮 恋音(
jb1221)は、事務と各種マネジメントに於いては右に出る者がいないと自他共に認めるであろう、任せて安心の敏腕マネージャだ。
無茶なイベントには欠かせない最後の砦たる彼女は、今回も緊急時の連絡場所となるべく拠点を築いていた。
「……この場所なら、船からもよく見えそうですねぇ……」
川の河口に作られた桟橋から、少し上流に遡った地点。
その高台にテントを張れば目印にもなるし、水の確保も容易だろう。
保存食や水は大量に運び込んであるが、それはあくまで緊急用の物資、普段の食料は川で魚を釣って間に合わせる予定だった。
「……いつでも連絡が取れるようにしておきますので、何か困った時には遠慮なくご相談くださいねぇ……」
もっとも、いくら恋音が準備を整えても他の者達に用意がなければ文明の利器は使えない。
「……充電の準備などは大丈夫でしょうかぁ……?」
「それならお任せください」
答えたのはRehni Nam(
ja5283)だ。
「大容量のバッテリーに、携帯発電機も用意しましたので!」
発電機は手回し式とソーラー式の両方を揃えてある。
なお、それ以外の殆ど全ては現地で調達する予定だった。
「オリエンテーリングという名の探検、冒険……久遠ヶ原探検隊の血が騒ぎます!」
ところで、探検隊と言うからには隊長ポジションが必要になるだろう。
言い出しっぺはラファル A ユーティライネン(
jb4620)だが、本人はあまり気のない様子。
「俺はそんなガラじゃねーし、まー適当で良いんじゃね?」
ラファルはそう言ってレフニーを見た。
「つーかそこの偽乳娘がヤル気満々じゃねーか」
レフニーは昔どこかの特番で某探検隊が着ていたような、背中に「酔酔(すいよう)スペシャル」と書かれた青いシャツを身に着けている。
ちなみにこのシャツ、どうやら人数分をお揃いで用意してあるらしい。
というわけで、けってーい。
撮影係は静止画のA班と動画のB班に分かれ、A班の責任者を不知火藤忠(
jc2194)、B班をレフニーのヒリュウ「大佐」に任せることとする。
撮影した写真はアルバムに収め、動画には赤で題字を入れて、後ほど皆に配る予定だ。
なおB班は大佐の稼働時間に難があるため、動画はここぞという時にのみ撮影されることとなっている。
「では出発しましょう!」
いざ征かん前人未踏の地へ!
あ、名前は「ギニュー探検隊」でいいですか?
ところでラファルは何故、オリエンテーリングをやろうなどと言い出したのだろうか。
その背景には義体特待生である彼女に課せられた極秘(?)任務が関係しているのであった。
「ったくあの技術屋ども、人をいいようにコキ使いやがって」
ラファルには高価な義体を無償で提供される代わりに、新たな装備の性能試験だの何だのと、様々な要求に応える義務があるらしい。
今回の要求は一週間の無補給耐久トライアル――つまり島にぽいっとひとりで放り出されるということで。
「一人でキャンプ生活なんてバカみてーじゃねーか」
幸い同時期に他の皆も島に招待されている。
そして任務の条件として「一人で耐えること」という項目はなかった。
結果、みんなでオリエンテーリングをやるという名目で自分の課題に巻き込むことにしたわけである。
「みんなノリが良くて助かった、つーか物好きだよなー」
課題は内陸部のどこかにベースキャンプを置いて、そこを起点に島の外周と縦横断にハイキングして島の地図を作るというものだ。
本来のオリエンテーリングとはかけ離れているが、そういう課題なんだから仕方ない。
「サバイバルなんて面白そうだね! でもラル、測定とか私わかんないよ?」
不知火あけび(
jc1857)は親友の提案に真っ先に乗っかりつつも、少し心配そうに問いかけた。
「まー地図うんぬんは俺ひとりで充分だ。あけびちゃんは好きなように探検を楽しんでくれればいいさ」
もちろん、他のみんなも。
「そうなんだ、じゃあ大丈夫そうだね。でも出来ることがあったら手伝うから、遠慮なく言ってね!」
崖の高さを測る時などは壁走りが役に立ちそうだし。
「メジャー持って走るくらいなら出来るよ!」
「おう、ありがとなー」
多分そこまで正確な計測は求められないし、ラファルには全自動測距義がある……と言うか、この島も何かしら時空の歪みのような怪奇現象が働いて、正確な計測は出来ないようになっている気がする。
多分、大人の事情とかそういうアレで。
なので、地図に関してはあまり期待しないほうが良さそうだが――どこに何があるか、絵地図のようなものくらいは出来るだろうか。
●サバイバルオリエンテーリング
「さあ! ロマンがあたい達を待っているわ!」
雪室 チルル(
ja0220)は夢と憧れを胸に抱き、冒険を求めて歩き出した。
無人島といえば秘境!
秘境と言えば洞窟や深い森、山奥の滝や神秘の湖!
なお、そこにロマンはあるが、ロマンスは多分ない。
ロマンスの担当は、残念ながら他のメンバーであるようだ。
「あら…探検も楽しそうで良いですが、あまり無茶はいけませんよ?」
真里谷 沙羅(
jc1995)はそう言いつつも、嬉しそうに探検隊の制服に袖を通した。
こうしてみんなでお揃いの格好をすると、いかにもそれらしい雰囲気が出て何だかわくわくしてくる。
「ミハイルさんもお似合いですよ」
「そうか?」
本当に似合っているかどうかはともかく、見慣れない服装が新鮮であることは確かだ。
道なき道をかき分けて歩き続けること数時間、途中に休憩を挟みながら奥地へと進む。
「それにしても、虫がすごいね」
周囲を呼び回る羽虫を手で払いのけながら、あけびが眉を寄せた。
でも大丈夫、虫除けスプレーをシュッとしておいたから飛び回るだけで刺されることはない。
「使いたい人がいたら遠慮なく言ってね!」
それに、薬剤の成分によってはヒル避けにもなるのだ。
あれが服の中に潜り込んだり、血を吸われても平気だという人は、さすがにあまりいないのではないだろうか。
途中、日当たりの良い草原に出たところでひと休み。
「皆さんでどうぞ」
そう言って、沙羅は用意しておいた手作りのクッキーやマフィン、チョコや飴などを配る。
サバイバル生活の中でお菓子を作るのは流石に難しいだろう、これを食べ終えてしまったらあと一週間は我慢しなければならないと思うと、勿体なくて喉を通らなくなる――なんてことはない。
元の生活に戻ればいくらでも作ってもらえるとわかっているのだから。
「あっ、見てラル! 秋桜の花畑だよ!」
風に揺れる赤やピンク、白い花を見付けたあけびは、ラファルの腕をとってその中に飛び込んで行く。
「花冠作りとか乙女だよね! 作り方知らないけど!」
「知らねーのかよ!」
あかびのボケにラファルがツッコむ。
「シロツメクサなら花だけでも作れますけど、コスモスはワイヤーを使わないと……」
二人の様子を見ていた沙羅が言った。
「あ、やっぱり! 沙羅さんなら知ってると思ったんだ!」
さすがは元女学校の先生。
「今度シロツメクサの編み方教えてくださいね!」
でも今は……これでどうだと、あけびは持っていたヘアゴムで何本かの花を束ねて、ラファルの髪に挿してみた。
「あはは、ペンギンが髪飾り付けてるみたい!」
「じゃあケビーちゃんにはこうだ」
ラファルは切り取った花を一本ずつ、あけびの髪に挿していく。
「花冠が作れねーなら、花冠みてーに挿していきゃ良いんじゃねーの?」
「そっか、ラル頭良い!」
無邪気に戯れる二人の様子を、藤忠がカメラに収める。
「こうしているとお前達も一応乙女なんだがな」
一応とは失礼な。
「言っておくが、俺は花は挿さないからな」
何か言いたげな二人に対して釘を刺したつもりが、ヤブヘビと言うかフラグ乙と言うか。
直後、藤忠の頭が物理的にお花畑になったことは言うまでもない。
「ミハイルさん、章治先生、秋桜の花言葉って知ってますか?」
二人に花束を差し出し、あけびが微笑む。
「一般的には『調和』ですけど、花の色によっても違うんですよ」
赤は「愛情」、白は「優美」、ピンクは「純潔」などなど。
「恋人や奥様にどうです?」
何色がいいかと訊かれてミハイルは赤と即答……いや、白も捨て難いか。
「俺は白が良いな」
門木がそう答えた理由を訊けば、白が一番似合うから、とのこと。
花言葉はどうした。
そして遂に――
『謎の島を訪れた我が探検隊はベースキャンプを設営すべく適当な場所を探していた。そこに! 怪しい洞窟が!』
ナレーションbyミハイル
ここは大事なところだから、B班の大佐にビデオカメラを回してもらおう。
「わかりました、あらゆる角度から凝ったアングルで撮影しますね!」
自分の代わりにレフニーに答えさせ、大佐は「めんどくせぇな」とでも言いたげな様子でカメラを担いだ。
そのレンズに映されたのは、いかにも何かがありそうな感じに隠された洞窟の入口。
『そこはねじ曲がった木々の枝やツタによって人の目から隠されていた。まるで侵入を阻むかのような障害を乗り越えて、我々は今、果敢に進む!』
入口付近は一人が腰を屈めてやっと通れる程度の幅と高さしかなかったが、進むに連れてそれが次第に広くなる。
「暗いですから、足下に気を付けてくださいね」
奥に向かって傾斜する通路を歩きながら、救護班の沙羅が声をかける。
暫く行くと壁から滲みだした地下水が集まって、足下が小さな川のようになっていた。
「これは滑りそうだね、苔も生えてるし」
慎重に、慎重に……あけびは忍軍だから壁走りか水上歩行でクリア出来るが、他の人は一度ツルッと行ったら後はもうウォータースライダーよろしく最後まで滑りきるしかなさそうだ。
後ろの方で藤忠の声がする。
「押すなよ、絶対に押すなよ……!」
「姫叔父、それフラ――」
言い終わらないうちに、列の後ろで誰かが足を滑らせた。
「すまん!」
押してない、押してないけど結果的には同じこと。
「章治、お前かーーーっ!」
それが起点となって玉突き衝突が起き、一行は団子になって濡れた床を滑り落ち――
ばっしゃーーーん!
「……あー……みんな、大丈夫……か?」
トリガーを引いた犯人は、ひとり翼を活性化して難を逃れた模様。
「章治、ずるいぞ!」
「いや、ほんと……すまない」
それはそれとして、周りを見てほしい。
一行がずぶ濡れになったまま座り込んでいるその場所は、ただの水溜まりではなかった。
その先は巨大な地底湖へと続いていたのだ。
『そのとき我々は見た! 太古の遺跡を! 未知の巨大生物を!』
「この壁に書かれている壁画、これはまるでラスコーの洞窟画だ」
水から上がったミハイルが興奮した様子で壁の一面を指さした。
「見ろ、古代人の手形まで残されてるぞ!」
地底湖の岸辺は充分に広く、壁際の奥まった場所には地面が黒く焦げたような場所もいくつか見受けられる。
「これはきっと、古代人が焚き火をした跡だな」
ミハイルは炭化した地面を指でなぞってみる。
「この炭と赤土に獣脂や樹液を混ぜて顔料を作り、それでこの壁画を描いたんだ」
それが出来るということは、この場所が安全である証拠。
ベースキャンプを置くには丁度良い。
「古の息吹を感じながら寝食か、浪漫だ」
それに、あの巨大生物。
「あれって恐竜の生き残りかしら!」
チルルは地底湖の真ん中あたりに佇む首長竜のようなシルエットに向けてスコップを振りかざす。
それを投げても届かないどころか、スナイパーライフルでも攻撃が届く距離ではないが、要は気合いだ。
チルルはすっかり狩人の目になっていた。
「あいつを狩る気かよ」
「決まってるじゃない、あれを仕留めたら一週間どころか一ヶ月は食料に困らないわ!」
ラファルの問いに、やる気満々で答えるチルル。
「なら俺も手を貸して――」
「えっ、ちょっと待って!」
愛用の双眼鏡を目に当てていたチルルは暫し黙り込み、やがてがっくりと肩を落としながら黙ってそれをラファルに差し出した。
「なんだ、こいつで見てみろってか?」
そしてラファルもまた、拍子抜けしたように肩を落とす。
「ありゃハリボテじゃねーか」
作り物かよ!
まあ、おかしいとは思ったんだ、人工的に作られた島に恐竜の生き残りとか。
そしてもちろん、古代遺跡も本物であるはずがなかった。
「いいか章治、この壁画には人類の狩猟の歴史が刻み込まれているんだ」
壁画を前に、それがただのラクガキにしか見えないと失礼なことをのたまう駄天使に対して、ミハイルはドヤ顔でレクチャーを始めた。
「見ろ、鹿とかマンモスとか恐竜とか……え?」
鹿とマンモスはいい、地域はともかく時代は合っている。
しかし恐竜、お前は何だ、時空が歪んだのか。
「くそぅ、適当に用意しやがって」
夢を見させるつもりなら半端なモノを作るな、本気で信じさせるつもりで嘘をつけ。
そうこうしている間に洞窟内では新たな発見があったようだ。
「ここから乾いた風が吹き出してるよ、しかも暖かい!」
「ここは温泉が湧いているようだな」
あけびが岩の間に謎の亀裂を、地底湖の一角では藤忠が温泉を見付けていた。
「温泉で汗を流す間に、こちらで洗濯物を乾かすことも出来そうですね」
まずは濡れた服を乾かそうと、沙羅が温風の前に立つ。
探検の間は縛っていた髪を解くと、風にふわりと舞って広がった。
「服が乾いたら、温泉の周りに目隠しを作りましょうか」
「あと更衣室も欲しいな! 物干しはどこかにロープでもかければ良いだろうけど」
「じゃあ何か適当な材料でも拾ってくるか」
ついでに食料も探して来よう。
壁や天井の鍾乳石にヒカリゴケのようなものが生えているせいか、洞窟内は明かりがなくても人の顔がぼんやりと見える程度には明るい。
風が吹き出す謎の隙間の他にも通気口があるようで、じっとしていると僅かに空気の流れが感じられ、酸欠になる心配もなさそうだった。
ところで、重大な問題がひとつ。
「トイレ、どうしよう」
いくら換気がされていると言ってもトイレは別だ。
サバイバル生活のトイレと言えば、穴。
そこで用を足し、一杯になったら埋めるくらいしか思いつかないが、やはりそういうモノは生活空間とは別の場所にあってほしいもの。
ただし、あまり離れていても困るし、安全が確保されないのはもっと困る。
そう考えると設置場所を決めるのは意外に難しかった。
「ではゴミ捨て用の穴を掘るついでに、トイレ穴も掘って来ましょう」
巨大なドリルを肩に担いだレフニーが言った。
「手に入れて以降未使用の、この、ドリルで!!」
掘り進む際に『ドドドド』と大きな音を立てながら回転するという、その名もドドドドドリル!
「ここで使うと騒音公害になりそうですし、ちょっと外で掘って来ますね」
ついでに他の出入り口も探して来ると言い残し、レフニーはドリルと共に去った。
ドリルは男の浪漫と言うけれど、女の子がドリルに浪漫を感じたって良いじゃない。
ついでに他の通路が見付からなければ、それもドリルで掘ってしまおう。
この、天を衝くドリルで!
「あたいは出入り口の通路に滑り止めの溝を掘って来るわね!」
チルルはスコップを担いでウォータースライダーへ。
でも下りは滑ったほうが楽だし、半分はそのままにしておいたほうがいいかな?
「なら俺達は飯の支度だ、未知の巨大生物を狩りに行くぜ」
解説を終えたミハイルが門木の肩を叩く。
「いや、俺は狩りとかそういうのは役に立たないから……」
「なに言ってる、罠を作ったりするのは得意だろう?」
なにも獲物を追いかけ回すだけが狩りではないと、そう言われればそうか。
「山菜採りなら任せといて!」
あけびは修行時代に培った忍の知識をフル活用して、食べられる植物や木の実などを探す。
「それはいいけど、バナナとリンゴが同じ場所で採れるってどういうこと?」
椰子の実もあるし、梨やブドウ、野イチゴやブルーベリー……土地柄も季節感もあったものではないけれど、色んな種類がいっぺんに、しかもたくさん採れるならまあいいか!
「キノコもいっぱい生えてるけど、これは危ないからやめておこう」
毒の識別修行をさせられていた時の、間違えて酷い腹痛を起こしたり笑いが止まらなくなったり、その他諸々の苦い経験が脳裏に蘇ってくる。
鑑別の難しい野生のキノコは遠慮しておこう……撃退士なら毒キノコでも平気らしいけどね。
「あっ!」
何かを見付けたあけびは藪に突進しながら、少し離れた場所で食料探しをしていたラファルと藤忠を手招きする。
「これこれ、見て!」
「ああ、むかごか……懐かしいな」
昔はよく山で見かけたものだと藤忠は言うが、ラファルは知らない様子。
「何だそれ、食えるのか?」
「うん、むかごって言ってね、山芋とかの葉っぱの付け根に出来るんだ。山芋の赤ちゃんみたいなものかな?」
あけびは濃い茶色をした大粒の豆のようにも見えるそれをむしり取って、そのまま口に放り込んだ。
「生でもカリカリして美味しいよ、はい、ラルにもあげるね!」
「こんなもんがホントに美味いのかねぇ……?」
受け取ったラファルは何やら疑わしそうにじっくりと眺め、目を瞑って口に入れる。
奥歯で潰すと、サクッとした感触の次に僅かな粘り気を感じた。
「ああ、うん……山芋だな」
山芋を摺りおろす時に、最後に摺りきれずに残った塊を食べた時の感じに煮ている。
「俺はどちらかと言えば塩茹でのほうが好きだが。あれは酒が進む」
「わかった、じゃあ少し多めに採って帰るね。あ、でもお酒はないよ?」
あけびの言葉に、藤忠はニヤリと笑い返した。
「俺が持って来てないとでも思ったか?」
ですよねー。
うん、知ってた。
「夜が楽しみだ」
飲兵衛という人種はこれだから。
そして夕暮れが近くなった頃。
「今夜はジビエで焼肉だ!」
ミハイルが未知の巨大生物……だったものをひっさげて戻って来た。
既に外で皮を剥がれて解体され、見た目にもただの肉になっているから、これなら料理する時にも抵抗はないだろう。
「後は頼んだ」
料理を沙羅に任せて、ミハイルは更衣室と目隠しが出来たばかりの温泉へ。
「あれ、章治先生は?」
あけびの問いに、ミハイルは苦笑い。
「ああ、少々刺激がキツすぎたらしくてな……そこの木の枝に青い顔して引っかかってる」
どうやら解体作業は初めて見たらしく、そのスプラッタ具合に何かが振り切れたようだ。
まあ、夕食が始まったら回収しに行ってやろう。
食欲が湧くかどうかは知らないが。
「ミハイルさん、お疲れ様でした。支度が出来るまで温泉でゆっくり休んでくださいね」
大きな肉の塊を受け取った沙羅は、早速それを切り分けにかかる。
獣臭さを消すためにハーブや香辛料をたっぷり練り込んで、食べきれない分はハムやベーコンにしてみようか。
「葉っぱで包んで丸ごと焼いてみるのはどうでしょう」
巨大なバナナの葉を両手に持ったレフニーが声をかけた。
「豚肉の包み焼きという料理があるそうですから、イノシシ肉でも出来るかと……」
それに、バナナの葉は折りたたんで鍋や器にすることも出来る。
「紙皿や何かと違って外に出ればいくらでも採れますし、すぐに土に還りますからゴミも出ません」
拾った枝は包丁でスパっと切って箸や串に加工したり、とにかくサバイバルらしく現地で調達したものを使い倒すのがレフニー流だ。
肉も魚も、なんだかよくわからない草も、葉っぱの鍋にぶち込んで、とにかく煮る。
コンロは穴の底に枯れ枝を敷き詰めて火を付けたもので、穴の上には生木を格子状に並べて……
「ふむ、これでは少し強度が足りませんか」
ならば小石を焼いて鍋に突っ込んでみよう――ほら、あっという間にグツグツ煮えてきた。
平らな石を焼いてフライパン代わりに使うのも良い。
「あたいはこれで焼くわ!」
チルルは綺麗に洗ったスコップを火の上に置いてみる。
適度な窪みもあるし、炒め物には丁度良いかもしれない。
「このワイルドさがいかにも野生100%のサバイバルって感じよね!」
初日の夕食も無事に済んで、そろそろ寝る時間。
「キャンプなんて学生の時以来だな」
「姫叔父はキャンプしたことあるの? 私は初めてだから楽しみだよ!」
とは言うものの、あけびは野生動物の襲来が心配な様子。
「洞窟の中までは入って来ないと思うけど、念のために見張っておくね」
入口付近に立つ大木に壁走りで登ってみると、そこには先客がいた。
「章治先生、寂しくて眠れないんですか?」
「べつに、そんなことはないが」
口ではそう言っているが、顔には「イエス」と書いてある。
わかりやすい人……いや、天使だ。
「月明りって結構明るいんですね」
少し離れた枝に座り、あけびは月を見上げる。
そう言えば数日前は中秋の名月だった。
「章治先生、天使にもお月見ってあるんですか?」
「いや」
天界には月も星もない。
「ただ、人が月を愛でる気持ちはわかるし……俺もこっちに来てからは楽しむようになった」
「そうなんですね」
呟いて、あけびは再び月に目を転じる。
(「同じものを綺麗って思えるのになぁ……」)
どうして、天使の多くは人間を下に見るのだろう。
そう思っていないと……通じ合える対等な存在だと思ってしまったら、もう侵略など出来ないから、だろうか。
かつで、あけびを使徒にしようとした彼が、それを諦めたように――
「あけび、交代だ」
暫く後、下から藤忠が声をかける。
まあ、見張りというのは口実で、実はこっそり月見酒と洒落込む算段だったのだが。
「ひとりで酒盛りなんてずるいぞ、藤忠」
やはりと言うべきか、ミハイルに見付かってしまった――まあ、そうなるだろうと思って酒も肴も多めに用意したのだが。
空が開けた場所に腰を下ろし、杯に月の姿を閉じ込めてみる。
そうして飲む酒にはまた格別な趣があった。
「そう言えば部室に褒め倒しバトルのDVDがあったぞ」
「見たのか」
「ああ、こちらが照れたが、お前達が幸せそうで良かった」
「お前も誰かのことを思い切り褒め倒してみるといい、口に出すと思わぬ発見があるものだぞ」
「いや、俺にはそんな相手など……」
「あけびがいるじゃないか」
褒める相手は家族や友人でも構わないとミハイルは言うが、あの妹分は褒めると調子に乗るからな……などと思ったことは秘密だ。
「しかしネジが飛んだ時の俺と章治のポスターは外せ」
「だが断る」
寧ろ帰ったら増えているから楽しみにしているがいい。
何がって、それはもちろんミハイルにお姫様抱っこされている藤姫の勇姿が――
●のんびり、まったり
「テリオスお兄さん、一緒に遊びに行きませんか、キャンプとか……僕で良ければ、ですけど」
テリオスが仲間になりたがっていると聞いたシグリッド=リンドベリ(
jb5318)は、彼が住処にしているゲートまでこっそりお誘いに行ってみた。
しかし、テリオスは胡散臭そうに見返すばかり。
上から下までじろじろと眺めた上で、低く唸るような声で言った。
「誰だお前、何故この場所を知っている」
やっぱりそう来たか。
「章兄にも言われたのですよ……」
シグリッドは学生証を取り出して見せた。
そこに貼ってある写真は、まだ昔のものだ……これでも「知らない」とか言われたら泣く。
「なんだ、お前か」
よかった、認識してくれた!
「人間は成長が早いと聞くが、なるほどな……」
それに、と付け加える。
「お前、男だったのか」
「テリオスお兄さんまで、僕を女の子だと思ってたのです?」
「いや、まあ、確証はなかったが……」
目を逸らしたところを見ると、やはり間違えていたらしい。
おまけに胡散臭そうな目つきは変わらないどころか、ますます酷くなる。
「それで、キャンプとは何だ、また何か怖ろしいことを企んでいるのか?」
「違うのですよ、キャンプは怖くないのです……!」
「お前の『怖くない』は悪魔の二枚舌と同じくらい信用ならん」
そう思うのも無理はないと納得する程度には、シグリッドにも自覚がある。
だからこそ。
(「今回はトラウマ増えないように気をつけないと……」)
大体いつも「今度こそ」と思いながら失敗しているという事実は封印しておく。
「外で、自分たちで頑張って作ったご飯はきっと美味しいですよ」
こくり、頷いて精一杯の笑顔を作ってみた。
「まあいい、近頃は騙されるのも楽しくなってきた」
「だから騙してないのですよ……!」
そんなわけで、やって来ました無人島。
お題はサバイバルだが、入門編ということで道具や食材は全て持ち込み、サツバツとしそうな要素は全て排除してみた次第。
「キャンプといえばカレーですよね……テリオスお兄さん、一緒に作ってみませんか?」
「……カレー……?」
あれ、食べたことなかったっけ?
「ああ、あの口の中で爆発する着火剤のことか」
どんだけ辛いの食べたんですか。
え、中辛でそれ?
「さすがに章兄の弟なのですね……あ、章兄も辛いのは苦手なのですよ」
大丈夫、そんなこともあろうかとルウはお子様用を持って来ました!
「肉と野菜を炒めて煮込んで、あとはルウを入れるだけなのです……簡単でしょう?」
え、まさか包丁持ったことないとか、そういうレベル?
「……ピーラーも持って来るべきだったのですね……」
テリオスが皮を剥いたと主張するジャガイモは、中身よりも取り除いた皮(と主張する)部分のほうが多い気がする。
うん、これは後で皮付きのフライドポテトにしよう。
「……どうです……?」
出来上がったカレーを一口、恐る恐る味見したテリオスは渋い顔を作ったままで「まあまあだな」と頷いた。
が、その手はおかわりを要求するように味見用の小皿を突き出している。
まったくもう、ツンデレさんなんだから。
「今ごはんと一緒によそいますから、ちょっと待っててくださいね」
こうしてサバイバル生活一日目はトラウマを増やすことなく無事に(多分)過ぎ――
翌日。
「テリオスお兄さん、見て下さいシャボン玉ですよー」
すっきりと晴れ上がった青空に、虹色に光る透明な玉がふわりふわりと漂う。
「体を動かすのも楽しいですけど、のんびりもいいですよねー」
と、見上げた空に見覚えのあるシルエット。
片方しかない翼でちょっと危なっかしく飛んでいる、あの姿は……
「章兄?」
その声が聞こえたのか、片翼の天使は半ば墜落するように降りて来た。
「どうしたのです?」
確かみんなと一緒に探検に行っていたはずだというシグリッドの問いに、門木は苦笑いを返す。
「学園に呼び戻されてな、遊んでる場合じゃなくなった」
もうそろそろ、迎えの船が来るはずだ。
「じゃあ、秘密基地とかは……」
「それはまた今度だな」
残念そうなシグリッドを見て、門木は付け加える。
「そうだ、どこか良い場所を探しておいてくれないか。出来れば見晴らしの良い、大きな木とか」
秘密基地は木の上に作るものだと、何かで読んだらしい。
「わかりました、テリオスお兄さんと一緒に探しておくのですよ」
山の向こうに烽火が見える。
あれは船が来たという恋音の合図だ。
「じゃあ、また今度な」
「気を付けて、なのです……」
一緒に食事でもどうかと思ったが、そんな時間もなさそうだった。
「せっかくだからのんびり過ごしてみようかな」
黄昏ひりょ(
jb3452)は自然の多い所が大好きだ。
都会の雑踏ではいくら周りに人が多くても孤独を感じる時があるけれど、大自然の中ならたとえ半径1km以内に誰もいなくても、寂しいとは思わない。
「そりゃ、たまには誰かと話がしたくなるかもしれないけど……」
一週間くらいなら大丈夫。
(「最近は戦い等も激化して、心が荒んできてる感が自分でしていたからなぁ……」)
大事な友達に暗い顔を見せないためにも、リフレッシュが必要だ。
まずは陽光の差し込む明るい森に入って森林浴。
「新緑の良い香りがするな……!」
もうそろそろ秋だけど、ここはそういう細かい(?)ことを気にしてはいけない場所なのだ、きっと。
乾いた地面にテントを張って、持ち込んだ荷物を整理して。
一週間分の食料と燃料は用意したから困ることはないと思うけれど、毎食レトルトや缶詰では飽きも来るだろう。
森林浴ついでに、何か果物くらいは見付けられるだろうか。
(「天魔との戦いとは無縁の場所。平和、だなぁ……」)
途中で見付けた桑の実やブルーベリーを、木から直接むしって食べる贅沢よ。
(「とはいえ、いつも賑やかなメンバーも一緒の無人島、何事もなく済むだろうか……」)
あれ、これってもしかして……フラグ?
「シャヴィくんは、いっしょにあそびたいとおもったらすぐにきてくれるの、です……」
茅野 未来(
jc0692)は、当たり前のような顔でそこにいる悪魔の少年、シャヴィを見て不思議そうに首を傾げた。
(「はっ」)
まさか、もしかして……
「今、エスパーかもって思った?」
「ど、どうしてわかるのです……!?」
「だって僕、エスパーだから」
しょうげきのじじつ。
でも本当は、人の心が読めるわけではない。
(「顔に書いてあるもん」)
なんてことは言わないけれど。
わかりやすい子だなぁ、なんてことも言わないよ!
「それで、今日は何して遊ぶの?」
「いかだ、つくってみたいの、です……いっしょにつくりませんか、です……」
「いかだって何?」
そこから説明が必要なのか。
「えと……いかだっていうのは……これ、なのです……」
未来はスマホで検索、画像をシャヴィに見せる。
「なにこれ?」
「え、だから……いかだ……」
しかし、シャヴィが尋ねたのは画像のことではなかった。
「もしかして……スマホ、しらないの、です……?」
「これ、スマホウっていうのか。人間達が下向いて弄ってるのはよく見かけるけど、あれ何だろうなって思ってた……なるほど、マホウのアイテムなんだな!」
いや、スマホウじゃなくてスマホ……そしてマホウでも何でもないのだけれど。
でもそれ以上に突っ込まれた質問をされても、未来にはきちんと説明できる自信がなかった。
シャヴィがそれで納得しているなら、それで良しとしよう……当分の間は。
「えっと、つくりかたもこれでしらべるの、ですね……」
なになに、ベニヤ板を組んで空のペットボトルを浮きに……?
そんなものは用意してない。
流木を組む方法……あ、これだめだ沈んでる。
丸太を組めば何とかそれらしい形になりそうだけれど……
「むかし、えほんでみたのも……まるたでつくってあったの、です……」
小さい頃に筏で散歩する絵本を読んで以来、一度乗ってみたいと思っていたのだ。
しかし丸太なんてそうそう都合良く転がっているものではないし、撃退士と悪魔とは言ってもまだ子供、伐採から始めるのはとても無理だ。
誰かに手を借りたくても、他の人達はもう島じゅうに散らばっている。
「こどもでも、できそうなもの……ないの、です……?」
ちょっと涙目になりながら探すこと暫し。
「……あ……これなら、できそうなの、です……」
見付けたのは竹で作る筏。
近くに竹林もあるし、これなら子供だけでも何とかなりそうだ。
「まずは、たけをきって……ならべれば、いいのですね……」
二人は手頃な竹を探してずんずん奥へ進んで行く。
それだけでもちょっとした探検気分で、未来の足取りは弾んでいた。
「シャヴィくんとあそべてうれしいの、です……」
ほわんと微笑みながら、珍しく鼻歌など口ずさみつつ竹林を進む。
その先で待ち構えていたもの、それは――
「……パンダさん、なのです……?」
動物園で、しかも遠目にしか見たことのないものが、目の前にでーんと座っている。
しかも子パンダまで一緒だ。
「かわいいの、です……」
あ、どうしよう、筏作らないと。
でもパンダももふもふしてみたい。
結局、その日は一日ずっとパンダの観察に明け暮れてしまった。
「あしたは、ちゃんとがんばるの、です……」
未来は持って来た缶詰を開けて皿に盛り、ドーナツを添えてシャヴィに差し出す。
「どうぞ、です……」
料理はまだ出来ないから、その分ちょっとお高い缶詰を用意しました。
「……おりょうり、かえったられんしゅうするの、です……」
上手になったら味見してくれるかな。
その時はまた、心の中で念じれば来てくれるだろうか。
もしかして:シャヴィくんストーカー?
●狩猟採集民族の生態
「ひゃあ!」
エイネ アクライア(
jb6014)は到着早々、見晴らしの良い高台に駆け上がった。
「無人島でござる、森でござる、海でござる!!」
ぐるりと見渡し、叫ぶ。
「うーーみーーー!!!」
その声は遙か水平線の彼方に吸い込まれていった。
耳を澄ましても、こだまは返らない。
「拙者、知ってたでござるよ!」
べ、べつに期待なんかしてなかったし、この耳に当てた手は何と言うかその……そう、潮騒の音を聞くために!
エイネは今回、海で存分に好き放題泳ぐために来た。
だから本来なら山や森には用がない。
用はないが、そこには食べ物があった。
「魚貝も好きでござるが、獣肉等も食べたいでござる」
聞けば美味しい木の実や果物も豊富だと言うし、山の幸も楽しみたい。
海の幸は遊んでいるうちに勝手に手に入る気がするし、まずは山の幸を確保しに行ってみようか。
エイネは重力制御:翔を展開し、まずは上空から獲物を探す。
理想:「今の拙者は鷹でござる! 何者であろうと、この鋭い目から逃れることは出来ないでござるよ!」
現実:「木が邪魔で何も見えないでござるうぅぅ!!」
仕方ない、地道に罠でも張って待ち呆けようか……。
一方、シエル・ウェスト(
jb6351)はエイネの縄張りを避ける形で拠点を築いていた。
「いざ征かん久遠ヶ原探検隊! 無人島の奥深くに謎の猿人は存在するのか!!!」
存在しますとも、だってここは久遠ヶ原島……ではないけれど、多分きっと似たようなものだし。
「この辺りでいいでしょうか」
シエルはまず文明から自由になるための儀式として、文明の利器を全て土に埋めた。
「このところスマホに頼りすぎていましたからね……」
SNSやメールを通した繋がりは大切だし、情報収集の点などでも便利なところは多い。
だからこそ、今は敢えてそれを絶つ。
森で拾った枝や葉、藁などを組み合わせて小屋を作り、居心地が良くなるように内部を整えて。
しかし、その小屋が活用されたのは最初の数日のみ。
シエルは消えた。
小屋の前に仕留めた獲物の骨を積み上げて作った不気味なモニュメントを残して。
しかも、下に積まれた古い骨には調理の痕跡があるものの、上の方は火を通された形跡さえない。
いったい、彼女の身に何が起きたと言うのだろうか――!
狩猟生活を始めて数日。
エイネの狩りは順調だった――こと、海の幸に関しては。
魚も貝も取り放題だったが、森の中に仕掛けた罠には一向に獲物がかかる気配がなかった。
「そろそろ肉が食べたいでござるな……」
エイネはカツオを丸ごと火で炙りながら、串焼きにしたサザエにかぶりつく。
少し場所を変えてみるべきだろうか。
「よし、今日は少し遠出をしてみるでござるよ!」
そして足を踏み入れた深い森で、エイネは「それ」に出会ったのだった。
「ニンゲン……カエレ……」
頭の上から降って来る声。
見上げると、そこには……!
やはり!
猿人は存在したのだ!
赤と緑で紋様が描かれた仮面を付けたソレは、木の上からエイネを威嚇している!
「せ、拙者は人間ではないでござるよ! こう見えても、れっきとした悪魔でござる!」
しかし猿人にはもはや言葉でのコミュニケーションは不可能だった!
「あれは確か、久遠ヶ原の生徒だったでござるな……」
どうしてこうなった。
「狩猟生活は拙者も同じでござるし、良いのでござる。良いのでござるが、何故高々一週間で野生化でござる!?」
一週間どころか、まだ三日ほどしか経っていない。
「人間とはそういうものでござったのか……」
いや、あの生徒は確か自分と同じ悪魔だったはず。
「この森に留まれば、拙者もいずれあのような姿に!?」
恐るべし極限環境。
しかし自分がいた森ならば影響はないはずだ。
この森は獲物が豊富なようだが、それが野生化を促進させるのだとしたら……
「これは手遅れにならぬうちに捕獲して、この森から連れ出す必要があるでござるな!」
エイネは持っていた網を投げて、その猿人を捕まえてみようと試みる。
しかし猿人は素早く身をかわしたかと思うと、木の枝を伝って森の奥へと姿を消してしまった。
「むむ、身軽さなら拙者も負けぬでござるよ!」
エイネは近くの木から垂れ下がった太いツタに飛び付くと、身体を振り子のように揺らして枝から枝へと華麗に飛び移る……予定だった。
「あーあーあー…………あーっ!?」
べしぃん!
次に飛び移るツタを捉えることに集中するあまり、横からせり出した木の枝に気付くのが遅れた。
結果、そこに顔面ダイブしたエイネはズルズルと地面に滑り落ちる。
猿人の気配はもう、どこにも感じられなかった。
「追跡は無理でござるな……」
大丈夫、帰る頃になったら誰か強い人が連れ戻してくれるよ、多分きっと。
「拙者はそれまで、魚介食主義者として生きるでござるよ」
さらば原始の森。
さらば謎の猿人……!
●このままここに住んでも良いかもしれない
「わぁ……開拓……頑張る」
手付かずの大地に降り立った浪風 威鈴(
ja8371)は、その人を寄せ付けないような大自然を前に不安よりも期待の方が大きいようだ。
それはそうだろう、自分は超一流の狩人で、夫の浪風 悠人(
ja3452)は超一流の料理人とくれば、サバイバル生活は天国も同然。
あとは快適な住処さえ見付けられれば、一週間でも一ヶ月でも、或いは一生でも暮らして行けるだろう。
「まずは寝床を確保しよう」
悠人は威鈴の手を引いて歩き出す。
海岸を離れて森に足を踏み入れると、すぐに傾斜がきつくなった。
「山育ちの本領発揮、かな」
歩き慣れているのはもちろん、植生を見れば地形の見当も付くし、どこに行けば木の実や山菜、キノコなどが手に入るかも、水場の位置さえ予測可能だった。
一方の威鈴は匂いや音、地面に残された様々な痕跡によって、周囲にどんな生き物が生息しているかが手に取るようにわかる。
「ん……このあたり……ウサギや、リス……多い……シカやイノシシも……」
「それだけでも色んな料理が作れそうだな」
話しながら歩くうちに、悠人は洞窟の気配を察知した。
「この辺りに何かありそうな気がする……ほら、あった」
獣道さえ見当たらない藪をかき分けたその先の崖に、黒い隙間が開いている。
威鈴を外に待たせて、悠人はランタンを手に洞窟の中へ。
「入口は狭いけど、奥はけっこう広いな……それに地面も乾いてるし、獣くさい匂いもしない」
ゲームか何かだったらゴブリンの巣になっていそうな感じだが、ここには天魔はいないと聞いている。
一通り確認して問題なしと判断し、悠人は威鈴を招き入れた。
「ここ……新居……?」
「新居って言うか、まあ一時滞在だけどね」
威鈴が気に入ったなら、ここを別荘にしても良いかもしれない。
「あとは近くに水場があれば申し分ないんだけど」
「水……匂い、する」
威鈴が指さした方角に斜面を下ると、そこには小さな川が流れていた。
魚が棲むには少しばかり無理がありそうだが、生活用水には困らないだろう。
「釣りが出来るような川はまた後で探すとして、とりあえずは部屋を整えようか」
悠人はバケツに水を入れて持ち帰るついでに近くにあった枯れ葉や枯れ草を確保し、洞窟の床に敷き詰めてみた。
その上に大きな葉を被せれば簡易ベッドの出来上がり。
「わあ……ふかふか……藁ベッド、きもちいい……」
「うん、でもまだ寝るには早いね、先に食料を確保しないと」
「ん……狩り……いってくる……」
名残惜しそうにベッドから身を起こし、威鈴は洞窟を出て行く。
その姿を見送って、悠人は出入り口付近の細い木や草を刈って見通しを良くし、出来た広場の真ん中あたりに石を積み上げた。
枯れ枝に火を付けて中に仕込めば、かまどの出来上がりだ。
「あとは獲物を待つだけ、かな」
待っている間に薪割りでもしておこうか。
威鈴はすっかり狩人になりきっていた。
森へ入り、獲物の気配を探る……狙うのは先程ちらりと見かけた大きなシカだ。
他に木の実や魚も手に入るだろうことを考えれば、一頭仕留めれば一週間分の食事としては充分だろう。
匂いと気配、そして音を頼りに居場所を探る。
(「見付けた……」)
遠くの木陰にちらりと見えた影、そこまでの最短ルートを割り出してそっと距離を縮め、気付かれないように斜め後ろから忍び寄り――和弓「天波」の弓弦を引き絞った。
急所に狙いを付け、放つ。
シカはその場でたたらを踏んだが、倒れることなくそのまま走り出そうとした。
そこにトドメの矢が放たれる。
倒れ込んだところに素早く駆け寄った威鈴はその場で血抜きをし、近くの沢に引きずって水で肉を冷やしながら内蔵を抜き取る。
大まかにバラしたら、担ぎ上げて洞窟へ凱旋だ。
「すごいの獲って来たね」
「ん……頑張った……」
獲物を受け取った悠人は炊事場でそれを切り分け、火にかけて、まずは焼肉に。
他には近くで採ってきた山菜と合わせてスープにしたり、木の実を潰して団子を作ってみたり。
「残った肉はビニールに入れて、小川の水で冷やしておけば何日かは保つかな」
ほかの野生動物に嗅ぎ付けられて、食べられてしまってもそれはそれで仕方がない。
「明日は俺が魚を釣ってくるよ」
その前に魚が棲んでいそうな川を探して、見付からなければ海釣りでも良いか。
そうしてお腹が一杯になったら、抱き合って眠る。
暖房設備はないけれど、互いにくっついていればそれだけで暖かい。
テレビもネットもない世界で、狩って、食べて、寝て、そんなシンプルな生活を一週間。
それに慣れてしまったら、もう文明社会へは戻れなくなりそうだ。
●ワイルドライフ
「きゃはァ、無人島生活、何をしようかしらねェ……とりあえずゥ、戦いましょうかァ♪」
黒百合(
ja0422)は陰陽の翼で空を飛び、上空から「狩り場」を探す。
危険生物どんと来い、寧ろ自分が野生の王者になってやる……そんな気分だった。
そして見付けた野獣の王国。
トラにライオン、ヒグマにオオカミ、そしてワニなどの肉食獣はもちろん、巨大な牙を持つイノシシや、踏み潰されるのはもちろん、鼻や牙でどつかれただけで骨が砕けそうなゾウも侮れない。
そんな中に飛び込んだ、ちっぽけな少女は丸腰で立つ。
「さァ、仕合いましょうかァ♪」
猛獣達の目に、それは格好の獲物として映ったことだろう。
しかし。
その獲物は猛獣達の理解を超えた存在だった。
デコピン一発でトラを撥ね飛ばし、ライオンはタテガミをむしり取って男の娘に、ヒグマには懐に入り込んで足払いから肘打ちを喰らわせ、ワニは大きく開けた口を押さえ込んで顎を外す。
イノシシの突進は真っ向から受け止めて投げ飛ばし、ゾウは――襲って来ないか。
流石に頭が良いと言われるだけあって、無益な戦いは望まない主義らしい。
それ以外のケモノは半殺しの目に遭わせて、誰が強者であるかを身をもって学習させる。
「うーんゥ、やっぱり天魔の連中と違って自然生物達との戦いは新鮮ねェ♪」
学ぶ気がない、もしくはそこまでの頭がないものは気絶させたまま放っておけば、あとは他のケモノが上手く処理してくれるだろう。
結果、その日から黒百合は働く必要がなくなった。
優しく調教したケモノ達が、食料を貢いでくれるようになったのだ。
肉食獣は肉を、雑食のものは魚や果物を、草食獣はそこらへんの草を――
「気持ちは嬉しいけどォ、雑草とか貢がれても困るのよねェ」
それに腐りかけの肉とか持って来るのはハイエナですか、ジャッカルですか、それともハゲワシですか。
こうして彼等の上に君臨した女王様は楽しいワクワク危険生物ランドを建設し、大自然の支配者となったのでありました。
一方、雫(
ja1894)もまた凶暴な動物達を従えて、テリトリーを構築していた。
ただしこちらは動物達に貢がせる形ではなく、彼等を手駒として使役しつつ他の生き物を襲うというスタイルをとっていた。
配下のケモノ達と共に森の中に潜み、通りかかる獲物を捕らえ、それがヒトだった場合は荷物を奪う。
野生化した山賊である。
しかし彼女も、初めは普通にサバイバるつもりだったらしい。
「久々に狩りを純粋に楽しみますか」
必要最低限の荷物だけを持ち込んで、森で小動物を狩り、木の実や果物を採って、真っ当にサバイバルライフを楽しんでいたのだ。
それがどうしてこうなったのか、誰も知らない。
本人にもきっとわからない。
気が付いたら、そうなっていたのだ。
自分で苦労して獲物を狩るより、持っている者から奪った方が楽だし、手っ取り早い。
他人の金で食う焼肉の美味さを知ってしまったら、もう自腹を切る道には戻れないのと同じことだ。
木に登って獲物を待ち伏せ、手下のケモノ達で取り囲んで逃げ場を塞いだ後、遁甲の術で忍び寄り荷物を頂戴する。
もちろん相手も素直に奪われるはずがなく、抵抗を試みるが……この山賊は容赦なかった。
跳躍から全体重を乗せた頭頂部への一撃で意識を朦朧とさせ、その隙に召喚したパサランに荷物を呑み込ませる。
しかし、数日が経つと雫のテリトリーには誰も足を踏み入れなくなってしまった。
ここには野生化した山賊が出ると噂になってしまったらしい。
そこで仕方なく、雫はテリトリーの外に出ることにした。
山にエサがなくなって人里に降りるクマも、恐らくは同じような心境なのだろう。
彼女が狙いを付けたのは――
●運命のニアミス
「この気候であればオリーブも生えている可能性があるな」
ローニア レグルス(
jc1480)は日当たりの良い山の斜面を見上げ、目当てのものを視界に捉えた。
あれは確かにオリーブの木、しかも群生している。
「季節的にも実が着く頃合いだ、天然のオリーブオイルを絞るか」
黒天翼を展開し、上空からダイレクトに侵入。
その実り具合に暫しうっとりと見入った後に、空のペットボトルを取り出した。
何故そんなものを持っていたのかなんて野暮なことを訊いてはいけない、「とりあえず一杯」がオリーブオイルである身としては、採集道具は常に持ち歩くもの。
それを半分に切り、注ぎ口を下にして布を被せて漏斗を作る。
中に種を取って握り潰したオリーブの実を入れて、下半分の容器にセットすれば簡易絞り器の完成だ。
後はそのまま数時間放置するだけの簡単作業で、容器の中に勝手にオイルが溜まっていく。
ぽたり。
ぽた。
ぽたり……
滴る様子を見つめていると、うっかり眠ってしまいそうになる。
しかし、この一滴がやがてオリーブオイルになると思えば眠気も吹き飛ぶ……吹き飛……吹き……ぐぅ。
目が覚めた頃には丁度良い具合にオイルと果汁が分離した液体が、ペットボトルに溜まっていた。
そこから上澄みを掬い取って布で漉せば完成だ。
「うむ、なかなかの出来だ」
彼にとって、オリーブオイルは水であり燃料であり、そして万能調味料でもある。
とりあえず何にでもマヨネーズをかける者をマヨラーと呼ぶらしいが、それがオリーブオイルの場合は……オリラーとでも呼べば良いのだろうか。
とにかく煮物でも焼き物でも、何にも合う(本人談
「これさえあれば辺境でも生きられる」
気のせいだと?
そう思う方が気のせいだ。
しかし、とりあえず今はこのオイルをかけるモノがない。
「食料を探しに行って来るか……」
「これが無人島というものなのですね」
アーシュ・カメリアリア(
jc2425)は島の様子を物珍しげに眺めていた。
「堕天して間もないけれど、地上で生きる術を身に着けるには最適な環境ではないかしら」
よくわからないけれど、「さばいばる」とうのは多分そういう意味だ。
これぞまさしく、自分のために用意された環境ではないだろうか。
「頑張りましょう、リリ」
喚び出したヒリュウに声をかけ、アーシュは森の中へと分け入って行く。
「水辺にはお魚がいるはずですわね。今日のごはんにしましょう」
川を見付けたアーシュは、適当な木の棒を拾って、その先にロープを結わえ付けた。
何かで見た釣り糸というものは見えないくらいに細かった気がするけれど、ここにはそんなものはないのだから仕方がない。
「形としては何となく似ていますもの、きっとこれで大丈夫ですわ」
でも、何かが足りない気がする。
そうだ、確か糸の先には――と、アーシュは主の作業に興味深そうに見入るリリに視線を向けた。
『きゅ?』
首を傾げるリリをひょいと抱き上げ、ロープの先に括り付ける。
『きゅきゅ!?』
「泳いで捕まえてきて下さいな」
そーれ、ばっしゃーん!
『きゅーっ!(無理……!』
え、釣りってこういうものじゃないの?
「なかなか上手く行きませんわね……」
釣り糸を垂れること召喚時間×2、もう今日はいくら喚んでも来てくれないところまで粘っても、魚は釣れなかった。
水面下には銀色に光る魚の背が見えているのに、何故だろう。
と、そこに……くまさんがあらわれた!
熊は見事な手つきで次から次へと魚を捕らえ、一口囓ってはポイと捨てて、また次の魚を捕らえていく。
「まあ! あれが匠の技……私を弟子にしてくださいませ!」
熊にその言葉が通じるはずもない。
が、魚で腹が膨れていたせいか、熊はアーシュを襲うこともなく黙々と魚を捕り続ける。
その沈黙を「了承」と解釈したアーシュは、師匠の隣でその動きを真似てみた。
しかし上手くいかない。
何度やっても失敗ばかり。
そんな不出来な弟子に同情したのか、熊は黙って捕ったばかりの魚を差し出してくれた。
「ありがとうございます、お師匠様! 私どこまでもあなたに付いて行きます!」
というわけで、アーシュは熊師匠のお宅にも招かれ(押しかけ)、以来、師匠の家族と共同生活(居候)する事となったのである。
めるへん。
それから数日。
アーシュはお師匠様のために森でどんぐりを集めていた。
「木登りならお師匠様よりも得意ですわよ」
木に登って枝を揺すり、落ちた実を広い集める。
と、大きくて美味しそうな実が、ころんと逃げて転がった。
「あっ!」
アーシュはそれを夢中で追いかける。
追いかけて、追いかけて……足を滑らせた。
「……ん?」
今、誰かの悲鳴が聞こえた気がする。
食料を集めていたローニアは、声のしたほうへ目を向けた。
その視界に、崖の上から真っ逆さまにダイブする人の姿が映る。
「とりあえず、助けたほうが良さそうだ」
遊んでいるわけではないと判断し、翼を広げたローニアはその身体を空中で受け止めた。
「おい」
地面にそっと横たえて揺すってみたが、反応はない。
気付けに水でも……と思ったが、あいにく手持ちはオリーブオイルのみ。
さすがにそれは拙いだろうと、代わりに持っていたリンゴをひとつ、そっと置く。
「怪我はないようだし、じきに目覚めるだろう」
少女が気付くのを待たずに、ローニアはその場を後にした。
去り際に何か気になることでもあったのか、ちらりと振り返る。
「……どこかで会ったか? いや、知らないな」
知っていたのかもしれないが、その記憶も殆ど残されてはいなかった。
鼻腔をくすぐるリンゴの香りで、アーシュは目を覚ました。
気を失う前に見えた姿が、おぼろげに思い出される。
「もしや生き別れの兄さま……?」
甘酸っぱいリンゴの香りが胸に広がった。
●悠々自適
「……今日も良い一日になりそうですねぇ……」
恋音は川岸に座ってのんびりと釣り糸を垂れていた。
二日目に門木が呼び戻されて以来、途中で帰る者もいないし、大きな事故も起きていない。
緊急の連絡が入ることもないし、皆それぞれに島での生活に順応しているようだ――中には順応しすぎている者もいるようだけれど。
恋音はと言えば、無人島暮らしだからといって生活が乱れることもなく、食事に睡眠、洗濯、入浴と、殆ど普段通りに過ごしていた。
そんな無人島生活も終盤にさしかかった、ある日のこと。
「月乃宮さん、こんにちは」
久しぶりに、自分以外の誰かの声を聞いた。
「……あ……黄昏先輩、お久しぶりですぅ……」
「ここ、いいかな?」
「……ええ、どうぞぉ……」
許可を得て、ひりょは少し間を開けて隣に座る。
「……黄昏先輩は、良いお休みになったでしょうかぁ……?」
「うん、それなりにね。心も体もリフレッシュしたよ」
だから、つい人恋しくなって森から出てみたわけだが。
「他の人には会った?」
「……いいえ、どなたもぉ……」
「みんな帰る日のこと覚えてるかな。忘れてたら、ちゃんと連れて帰ってあげないとね」
そんなお喋りをしている間に、手応えがあった。
恋音は慣れた様子で釣り竿を操り、あっという間に大型の魚を釣り上げる。
「釣り、上手いんだね」
「……はい……一通り、教わりましたのでぇ……」
なるほど、恋人にか。
「……おかげで、持って来た保存食には、手を付けずに済みそうですぅ……」
しかし、その時。
キャンプの方で何かが動いた。
野生動物がエサを求めて現れたのかと、二人は咄嗟に走り出す。
しかし、そこで発見したのは野生の撃退士だった!
「……雫さん、ですかぁ……?」
「ぐるるぅ……!」
野生の雫は大剣を口に咥えて唸った。
まさか、言葉も忘れてしまったのだろうか。
「がるるぅ!」
その目は恋音が持っていた魚に引きつけられている。
それを渡せば大人しく森に帰ってくれそうな雰囲気ではあったが……それではいけない。
「何とかして人間に戻さないと!」
ひりょは考えた。
「そうだ、絆だ!」
絆のスキルを発動すれば、人間としての大切な何かが戻って来るかもしれない!
ひりょは野生の雫の手を取ろうとした。
しかし!
「邪魔です」
「え?」
次の瞬間、ひりょは真っ白な巨大もふもふ毛玉に呑み込まれてしまった!
「この荷物は頂いて行きます」
呆然と見守る恋音に軽く頭を下げて、雫は保存食の入ったバッグを担いで悠々と引き揚げて行く。
なんだ、野生化してないじゃないですか!
なお、そこから僅かに離れた場所で、パサランの唾液によってぐっちょんぐっちょんになったひりょが発見された。
「……お風呂、湧かしましょうかぁ……?」
ええ、そうして頂けると有難いです。
真に野生化とは、このような状態を言うのだろう。
森の奥に潜んだ野生のシエルは地上を四つ足で歩き、既に片言の言語さえ発することはない。
その身体に泥を塗り、闇に紛れ、足音を消し、木の上から獲物を狙い、槍で突く。
闇の中でも「夜の番人」があれば昼間のように良く見えた。
しかし彼女はこの森では新参者、所場代も払わずに商売をするばかりか断りもなく勝手に舎弟を増やすとは何事かと森の主がお怒りになるまで、そう長くはかからなかった。
ゆらりと現れる巨大なトラ。
「グルルル……!(お前がこの森のヌシか!」
「ガルルル……!(いかにも!」
「グォアア!(ならばその座、私が貰い受ける!」
「ガォワァァ!(百万年早いわヒヨッコが!」
多分、そんな会話が交わされたのではないだろうか。
野生のシエルは野生のトラと向き合い、互いに攻撃のチャンスを伺う。
睨み合いが続いた時は、先に動いた方が負けだという。
二頭は視線を交えたまま、その場で輪を描くようにじりじりと動き――
どーん!
「ブギィーッ!(おっといけねぇ、何か轢いちまったぜ!」
野生のシエルは横合いから飛び出して来た無粋な暴走イノシシに撥ね飛ばされて、お星様になりました。
●戻っておいで!
「そろそろ野生化した仲間達を探しに行ったほうが良いわね!」
ラファルと行動を共にして、あらかた地図を作り終えたチルルは、そう言って旅に出た。
「帰る時はみんな一緒よ!」
たとえどんなに変わり果てた姿になっていようとも、見捨てたりはしない。多分。
その時、藤忠は島での最後の食事に供するべく、川で魚釣りに勤しんでいた。
川面に漂う浮きに時折目をやる以外は、のんびりと周囲の景色を眺めつつ……
「この風景も見納めか」
そう思うと、少し名残惜しくもなってくる。
だが今回のサバイバルも、元はと言えばどこかの金持ちの酔狂によって企画されたものだ。
その人物の気が向けば、また来ることも出来るだろう。
或いは自由に行き来が出来るように解放されるかもしれない――などと考えていたら、浮きが突然水面下に消えた。
「この引きは……!」
強い、かなりの大物……まさか川のヌシ級がかかったか。
藤忠は静かな闘志を燃やしつつ、慎重に竿を操る。
「しかし魚にしては引きの具合が妙だな」
まさか川底のゴミでも引っかけたのだろうかと思い切って引き揚げてみる。
ざばぁっ!
釣れたのは、人の形をした何かだった。
「藤忠、離れて! それは野生化した久遠ヶ原の生徒よ!」
はぐれ生徒を探しに来たチルルが、泥の塊のようになったまま蹲る物体の前に立ちはだかる。
「さあ、大人しく学園に帰るのよ! 抵抗するなら……」
チルルはその物体を威嚇するように氷剣の切っ先を向ける。
抵抗するなら物理的に返り討ちにすることも辞さない構えだった。
しかし。
ぶるぶるぶるっ!
それはずぶ濡れになった犬のように身体を震わせ、泥を弾き飛ばした。
「……あれ、私は何を……?」
現れたのは野生のシエル、いや、もう野生ではない。
お星様になったショックで、シエルは理性を取り戻したようだ!
「よかった、これで無事に帰れるわね!」
チルルは後のことを藤忠に任せ、意気揚々と次なる獲物(?)を探しに行った。
しかし彼等は誰も気付かなかった。
その間、背後の川を流れて行った、竹で編まれた筏の存在に。
「……どこまで、ながれていくの、です……?」
心配そうに未来が呟く。
筏には帆がない、舵もない、オールもない。
ただ流れに任せて流されるのみ。
「もうすぐ、うみにでてしますの、です……」
どうしよう、缶詰は残り少ないし、このまま沖まで流されてしまったら――
「運が良ければ、船が拾ってくれるかもね?」
「うんが、よくなかったら……どうなるの、です……?」
「んー、クジラに食べられちゃうかも?」
それを聞いて、未来はガクブルと震え始める。
「なんて、冗談だよ。危なくなりそうだったら、僕が運んであげるから」
そう言って、シャヴィは悪魔の翼を広げて見せた。
●星降る夜に
翌日には島を後にするという、最後の夜。
この一週間、毎晩そうだったように、その夜も空には満天の星が輝いていた。
「毎日眺めていても飽きないものですね……」
見晴らしの良い高台に立ち、沙羅は夜空を見上げる。
隣にはもちろん、ミハイルの姿があった。
「俺もあれから、少しは見分けられるようになったんだぜ」
ミハイルは夜空を指差しながら、目立つ星座をひとつ、ふたつと辿り、名前を挙げていく。
「はい、良く出来ました」
「先生が良かったのさ」
やがて会話も途切れがちになり、沈黙が二人を包む。
周りには誰もいない。
虫達さえも遠慮して、じっと息を潜めていた。
今しかない。
ミハイルは沙羅に向き直り、その両肩にそっと手をかけた。
星明かりに照らされた白い顔に、ほんのりと赤みがさす。
「もうすぐ大きな戦いが始まる。それが終わったら結婚しよう」
一息に言い切った。
こんな時、答えを聞くまでのほんの数秒の間が、何時間にも感じられるものだという。
しかし時の流れを感じる間もなく、それは返って来た。
「はい、もちろん……喜んでお受けします」
フラグ成立。
いやいや、フラグはヘシ折るものだ。
「キスしても良いか?」
小さく頷いたのを確認して、ミハイルはそっと唇に触れる。
ただ触れただけの軽い口付けに耳まで赤く染めた沙羅は、そっとミハイルの胸元に顔を伏せた。
その背を、力強い腕が柔らかく抱き寄せる。
「二人で幸せになろう」
「えぇ……二人仲良く、末永く……よろしくお願いしますね」
末永く爆発しやがりくださいませ。
●撃退士の帰還
「そろそろ塩だけの味付けにも飽きたでござるな……」
海岸で煮炊きをしていたエイネは、海水で煮込んだスープをすすり、軽く溜息を吐く。
食材は新鮮で、魚介類なら何でも取り放題なところは気に入っていた。
しかし肉も食べたいし、味噌や醤油、コンソメやカレーの味が懐かしい。
ふと顔を上げると、岬の向こうに烽火が上がっていた。
「船が来たでござるな!」
エイネは余った食材や、木の枝や葉っぱで作った調理道具などの一切を砂に埋めて駆け出して行く。
船に乗ったら、まずは食堂で焼肉定食だ――!
なお、島に放たれた生徒達はひとりも欠けることなく、全員が無事に学園へと帰り着いた。
帰りの船が出る際には、三つの集団に分かれたケモノ達が海岸に押し寄せ、それぞれのボスに別れを惜しんでいたとか……
彼等は待っている。
自分達を従えたボスがいつの日か再びこの島に舞い戻る日を。
野生化した三人のうち誰が最強であるか、その雌雄を決する日が来ることを――