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マスター:STANZA
シナリオ形態:イベント
難易度:易しい
形態:
参加人数:25人
サポート:1人
リプレイ完成日時:2016/06/30


みんなの思い出



オープニング


 六月の花嫁は幸いである。
 彼女は女神の加護のもと、その生涯にわたり幸福に満ちた結婚生活を送ることが出来るであろう。

 西洋の国々には、そんな言い伝えがある。
 現実には、その後の幸福に関して結婚式を挙げる時期は何ら影響を持たない。
 結婚式が真夏だろうと真冬だろうと、土砂降りの雨の中であろうと、幸せになる人もいれば、残念ながらそうでない人もいる。

 だが、人は何かにつけて縁起を担ぎたがるものだ。
 ましてや多くの人にとっては一生に一度の大切な節目となる重要なイベント、縁起担ぎを総動員したくなるのも無理からぬことだろう。

 大安吉日、空は一点の曇りもなく晴れ渡り、教会の鐘が鳴り響く中を、純白のドレスに身を包みヴァージンロードを歩く――
 女の子なら、誰しも一度は憧れたに違いない。
 その後、諸事情により諦めることも多い夢だが、それが現実になる可能性があるならば、何を躊躇うことがあろうか。


 ――――――


 そんなわけで。

 久遠ヶ原商店街の一角にある旅行代理店ヴィクトリーツアーズ。
 その店先にあるショーウィンドウには、何故か豪華なウェディングドレスが飾られていた。

「あたしのドレスよ、何か文句ある?」
 ドン!
 店を切り盛りするアラサー女子、勝山悠里(かつやま・ゆうり)は客用のテーブルに資料の山を積み上げた。
「そうか、じゃあお前も良い人が見付かっ――」
「そんなわけないでしょ!」
 その客、門木章治(jz0029)はビームが発射されそうなその視線に射すくめられて、思わずソファの端っこに身を寄せる。
 いや、厳密に言えば彼は客ではない。
 店の前を通りかかったところを、例によって強引に引っ張り込まれたのだ。
「あたしが着るわけじゃないし着るあてもないし、着るとしたら棺桶に入るときね」
 悠里としては、こんなものレンタルで充分だと思ったのだが、娘を案じる母親がどうしてもと言い張ったらしい。
「ドレス作ったからって相手が現れるわけでもないでしょうに……でも、目立つでしょ?」
 まあ確かに、旅行代理店にドレスが飾ってあれば人の目を引くだろう。
 しかし何故?
「決まってるでしょ、宣伝のためよ」
 悠里は腕を組み、なんだか偉そうに胸を張って門木を見下ろした。
「うちは旅行代理店よ、結婚式って言ったらハネムーンが付きものでしょ?」
 だから式場と旅行の手配をまとめて引き受け、売り上げ倍増を目指す――それが旅行代理店ヴィクトリーツアーズが新たに打ち出した販売戦略らしい。
「そこで、これよ」
 バン!
 悠里はテーブルに山と積まれた資料を叩く。
「あんたにも、ウチの売り上げに協力してもらうわ。いや、協力しなさい」
 この資料はその為のものだ。
 結婚式場はもちろん、披露宴の手配から招待客の宿泊関連、引き出物のカタログに、人気のハネムーン先に的を絞ったツアーの数々――
「必要なことは全部あたしが手配してあげるわ。だから安心しなさい」
「いや、ちょっと待て、俺はまだ――」
「まだ何よ?」
 それはそれは怖ろしい形相で、悠里は門木に迫る。
「まさかこの期に及んで怖じ気づいたとか? それとも、早くも浮気の虫が疼き出したってわけ?」
「それはない、どっちも」
 門木はきっぱりと首を振る。
「ただ……もう少し、今のままでいいかな……って」
「気楽な付き合いのほうがいいって?」
「そうじゃない。でも……出来れば、皆に祝福してもらいたい、から」
 今はまだ、少し早い気がする。
「皆がお前みたいに、切り替えられるわけじゃないと、思うし……」
「あたしだって、すっきりさっぱりきっぱりスイッチ切れたわけじゃないわよ。でも、あんた達の足を引っ張るのは違うと思うから」
「そうか……ありがとう」
「べつに、礼を言われる筋合いじゃないわよ、これも商売のうちだし!」
 バン!
 もう一度資料の山を叩く。
「とにかく、これ持って帰りなさいよ。今すぐどうこうじゃなくても準備は進めといたほうが良いでしょ?」
「うん、そうだな……」
「それに、ほらここ」
 悠里は一冊の資料をパラパラとめくり、付箋の貼ってあるページを開いた。
「ここの教会、20人も入ればいっぱいになる小さなところだけど、そのかわり色々と自由が効くのよ」
 本職の神父や牧師を呼ばず、友人知人だけで必要な役職をカバーする手作り結婚式も可能だ。
 当日になって急に「その気になった」場合でも、その場で式を挙げることが出来る。
「だから、もし見学とか友達の式に参列とかで気分が盛り上がっちゃっても大丈夫よ。衣装の販売やレンタルもあるし、指輪もその場で買えるから」
「……何と言うか……商魂たくましいな」
「商売上手って言ってよ」
 他には記念撮影だけのプランもあるし、未成年者には「ハーフウェディング」という形だけのプランもある。
「ま、そんなわけで……他の皆にも宣伝よろしくね!」

 大量の資料を押し付けられ、門木は放り出されるように店の外に出た。
「まったく、強引だな」
 苦笑いと共に歩き出す。
 だが、少々強引に引っ張られでもしなければ動かない自信はあった。
 そんな自信あってどうする、と我ながら思うけれど。
 とにかく、本番がいつになるにしても、準備を進めておいて悪いことはないだろう。
 ドレスと指輪くらいは選んでおきたいところだし、出来れば――
「……名前は、欲しいかな」
 彼にとって名前は絆の証、指輪の交換よりも名前の交換のほうが重要な意味を持つ。
 寧ろそれだけで良い気もするくらいだ。
 贅沢は言わない。
 毎日でなくてもいい。
 顔が見られて、声が聞けて、たまに手を触れることが出来れば、それで。
 目下最大の野望は膝枕という慎ましさ。
「贅沢言ったらバチが当たりそうだし……」
 なにしろ今でもドッキリか何かではないかと内心ビクビクしているくらいだ。
 突然「全部夢だったんだよ」と言われても、きっと驚かないだろう。
 それに、掌を返される恐怖は今でも心の奥底にしつこく根を張っている。
 おそらく、それが消え去ることはない。
 今度は絶対に大丈夫だと、そう思っていても、ふとしたきっかけで不安が大きくなる。
「……なさけない、な」
 振り払うように首を振り、荷物を抱え直す。
 その耳に、聞き慣れた声が響いた。

「先生、コロッケ揚げたてだよ! 持ってきな!」

 気が付けば、もう夕暮れが迫っていた。




リプレイ本文

●発端

 ミハイル・エッカート(jb0544)は見た。
 校内の掲示板前で、なにやら落ち着きなくそわそわきょろきょろしている門木の姿を。
 何をしているのかと声をかけようとして、思いとどまった。
 相手はどうやら人に見られたくない様子。まさか教師が何か良からぬことを企んでいるはずはないだろうし、教師でなくとも、彼に悪巧みが出来ようはずもない。
 となれば、これは何か恥ずかしい系の企みだろうと、ミハイルは物陰に隠れて様子を見守った。

 見られているとも知らず、門木は掲示板の隅っこに何やら一枚のチラシを貼り付け、逃げるように走り去る。
 暫く後、隠れ場所からそっと姿を現したミハイルは掲示板を覗き込んだ。
「章治のやつ、いったい何を……」
 ふと見ると、学舎の掲示板で目にするには余りにも場違いな文字が目に飛び込んでくる。
「結婚式場に、ドレスに、新婚旅行……ウェディングプランの案内か」
 下の方を見ると、取次店として馴染みの旅行代理店の名が記されていた。
 どうやら宣伝を頼まれたらしいが、それにしても何故あそこまで、人目を忍ぶようにコソコソと……
「なるほど、そうか」
 閃いた。
「章治め、背中を押してほしいんだな?」
 あの性格だから、きっと自分からは最後の一歩を踏み出せないのだろう。
 押してくれとも言いにくいに違いない。
 だからこうして、気付いた誰かが気を利かせてくれることを願ってさりげなく、こっそりと仕込みに来たのだ。
 事実はどうか知らないが、そういうことにしておこう。

 そうと決まれば、さっそく準備だ。
 皆に声をかけて会場を押さえ、段取りを決めて――
「忙しくなるな」
 嬉しそうに呟くと、ミハイルは行動を開始した。


●暗躍

「……なるほどぉ……歯切れの悪い門木先生の後押しをしてさしあげようと、そういう計画なのですねぇ……」
 話を聞いた月乃宮 恋音(jb1221)は、それなら丁度良かったと頷いた。
 彼女は今、その会場でアルバイトをしているのだ――将来に供え、結婚式関連の勉強をする為に。
「……ですから、式場の手配などはお任せいただければと思いますぅ……」
 それに、恐らく本人は全く気が回らないであろう、諸手続きや根回しの面でも役に立てるだろう。
「……それで……日程はもう、お決まりでしょうかぁ……?」
 え、まだ未定?

「わかりました、そういうことでしたら、わたくしがお手伝いさせていただきますわ」
 斉凛(ja6571)が応える。
 何を隠そう、凛は門木の婚約を知った時にしばらく「門木ロス」に陥ったほどの門木ストーカー、いや、ファンである。
 それから半年ほどが経った今ではその傷も癒え、殆ど立ち直っていた。
 だが、気持ちの区切りをつける為にも、ここは一肌脱ぐのがファンの正しい在り方というものだろう。
「メイドニンジャの本領を発揮させていただきますわね」
 情報収集ならお任せを!

 そうして噂が噂を呼び、伝言ゲームが広がって、気が付けば内容が変わっているのはよくある話。
(「門木先生がご結婚?」)
 その噂が黄昏ひりょ(jb3452)の耳に届いた時、既に話は「後押し」から「挙式本番」へと完全にシフトしていた――本人達の知らぬ間に。
(「これはお祝いにいかねば……」)
 出来れば何か式場での手伝いなどを出来ると良いのだが。
「これじゃ、ちょっと無理かなぁ」
 ひりょは包帯でぐるぐる巻きにされた自分の姿を見て苦笑い。
 でも、受付の係くらいなら出来るだろうか。

「えっ、ウエディング……」
 浅茅 いばら(jb8764)は、何故こんなチラシが学校の掲示板に貼られているのだろうと首を傾げた。
 しかしそこは「久遠ヶ原だから」ということで納得し、自分に引き寄せて考えてみる。
「……ま、まあ、うちはまだできへんけど……でもリコに思い出作りしたりたいなあ」
 尋ねてみたことはないけれど、女の子ならドレスに憧れる気持ちもあるだろう。
 隣に立つのが自分でいいのかという僅かな不安はあったが、自分がそこに立たずして誰が立つのだと思い直して気合いを入れる。
(「リコはヴァニタスやしな……」)
 主たる悪魔の気まぐれで、いついなくなるかもわからない。
 その前に、楽しい思い出を、たくさん作ってあげたい。
「門木せんせも結婚するらしいし参加しよ!」
 ここでもやはり、既成事実となっていた。

『なんとっ!?』
 ユウ(jb5639)が耳に当てたスマホからダルドフの弾んだ声が返って来る。
『あやつが結婚とはのぅ、リュールもさぞかし喜んでおるだろう』
「ええ、ですからダルドフさんにも是非、出席していただきたいと思って」
『もちろん参るぞ!』
 即座に答えたその声はしかし、失速するように勢いを失っていく。
『……実はその日、娘からも招待を受けておってのぅ……』
 愛娘である秋野=桜蓮・紫苑(jb8416)の話によれば、その日、仇敵・百目鬼 揺籠(jb8361)から果たし合いの申し込みがあるらしい。
「ああ、ハーフウェディングですね。おめでとうございます」
 祝いの言葉をもらっても、ちっともめでたい気分になれない。
 ハーフとは言え気分はすっかり花嫁の父だった。
 電波に乗って、魂も抜けそうな深い溜息が聞こえてくる。
「それなら、ダルドフさんも対抗してみてはいかがですか?」
『むぅ?』
 どういう意味だと尋ねるダルドフに、ユウは少し声を潜めて言った。
「実はウェディングドレス試着会の予約を入れてあるんです、お二人でどうかと思って……リュールさんの花嫁姿、見たいと思われませんか?」
『し、しかし、嫌がられはせんかのぅ?』
 いかにも自信がなさそうな答えが返って来る。
「ええ、ですから今のところリュールさんには内緒で」
『お、怒られはせんかのぅ?』
「大丈夫ですよ、おめでたい席ですからリュールさんも機嫌が良いでしょうし」
 知ってる、そういう時にはガードが甘くなるって。
「過大な期待は禁物ですが、ダメモトで」
『う、うむ』
「では当日は遅れないように、結婚式に相応しい服装で来てくださいね?」
 そう念を押して、ユウは通話を終えた。
 特に確認はしなかったが、教会での挙式と伝えてある。
 伝えてあるのだから……まさか和服で来たりしません、よね?

 鏑木愛梨沙(jb3903)は、その日何度目かの溜息を吐いた。
(「兄様とカノンの結婚式、かあ……」)
 嬉しく思い、祝福したい気持ちの中に、ほんの僅かな寂しさが混ざる。
 けれど、それを振り払うように愛梨沙は首を振った。
「やっぱり実の弟なんだから、テリオスにも来て欲しいな」
 堕天したわけではないのだから、そうそう人間界を自由に出歩くわけにも――いや、今までもわりと自由に遊び歩いていた気がする。
 問題は本人にその気があるかどうかだけれど。
『……結婚式?』
 誘うだけは誘ってみようと連絡を入れた愛梨沙の耳に、相変わらず不機嫌そうな声が返って来る。
「知らないの?」
 まさかと思って聞き返したが、言われてみれば愛梨沙も天界に同じ儀式が存在したという記憶はなかった。
『私が知る限り、結婚式とは上位の天使がその力や影響力を誇示するために行う政治的なものだ。我々のようなただの天使には関係ない』
「じゃあ結婚する時はどうしてるの?」
『べつに……互いに名前を交換して、それで終わりだ』
 名前の交換。
 そう言えば、前にも聞いたことがある。
「でも人間界では結婚式を挙げるのが普通なの。身内の人や友達にお祝いしてもらって……だからテリオスも来てね?」
 返事はない。
「いやなら伝言だけでも預かるから……ううん、首に縄を付けてでも連れて行く」
 と言うのは冗談だけれど、軽く引っ張っても抵抗しない程度の「NO」なら、きっと本音は「YES」なのだろう、このツンデレさんめ。
「引きずられて行くより、自分で行ったほうがいいでしょ?」
 きっと場所がわからないだろうから、当日は自分が迎えに行くと告げて、愛梨沙は通話を切った。
「あとは、あの子達ね」
 サトル、アヤ、マサトの黒咎達。
 アヤは女の子だし、喜んで来てくれるだろうけれど……男の子二人はどうだろう。
 料理で釣れば引っかかるだろうか。


●蚊帳の外

「母上、お出かけなのですか?」
 朝早くから珍しいこともあるものだと、門木は出支度をする母リュールに声をかけた。
「ああ、ユウに誘われてな。女同士の楽しいショッピングだ」
 留守番を頼むと言われ、門木は「ごゆっくり」と返す。
「楽しんで来てください、なのです。あまりワガママを言って困らせないように」
 その言葉にリュールは何か異議申し立てをしたそうに眉を跳ね上げたが、そのまま大人しく引き下がった。
「お前も水入らずでゆっくり楽しむといい」
 ニヤリと笑うと、くいと顎で二階を示す。
「いるのだろう?」
「ええ、まあ」
 いると言うか、他に誰もいないと言うか。

 そう言えば前にもこんなことがあった気がすると思いながら、玄関まで母を見送った門木はカノン(jb2648)にメールを入れた。
 この距離なら意思疎通でも充分に届くが、急に呼びかけられても驚くだろうし、色々と都合があるだろうし……ということで、お呼び出しは控えめに。
 やがて部屋を出る気配がしたところで、門木はリビングのテーブルに資料の山を築いた。
 持ち帰ったは良いが、見せるタイミングを計りかねていた「例のブツ」だ。

「もう、相変わらず押しに弱いというか……」
 隣に腰を下ろしたカノンは、それを見て嬉しいような恥ずかしいような、困ったような複雑な表情で、ひとつ息を吐いた。
 しかし受け取ってしまったものをそのままにしておくわけにもいかない。
「せっかくですし、ご厚意に甘えましょうか」
 それが純粋な厚意かどうかは置くとして。
「うん、ありがとう」
 明らかにほっとした様子で、門木は分厚いカタログを並べ始める。
「お説教されると思いましたか?」
「うん、それもあるけど……まだ早いかな、とか……焦ってがっついてると思われるんじゃないかな、とか」
 それに、まだやるべきことを何も成し遂げていない、という思いもある。
 とは言え、それはあまりに高く遠い目標で、それを待つというのも現実的とは言い難いだろう。
「話し合っておく、くらいは……いいよな」
 そう言って、門木はまず指輪のカタログを開いた。
 婚約指輪は自分が勝手に選んでしまったものだから、結婚指輪は二人で選びたい。
 と言うか、シンプルな細身のリングに小さなブルートパーズがあしらわれたそれは、元々は渡すつもりのなかったものだ。
 自分に何かあった時にせめて想いだけは知ってほしいと用意して、隠しておいたのが去年のホワイトデー。
 それがまさか、生きているうちに日の目を見ることになろうとは。
 しかもただ渡すだけではなく、その先に進めるなんて。
「両方で重ね着けしても邪魔にならないようなデザインがいいかな」
「そうですね、せっかくいただいたものをしまっておくのも惜しい気がしますし」
 後はドレスだが――
「前に一度、着たことあるよな。ほら、依頼で……報告書、見ただけだけど」
「いえ、あれは巻き込まれたと言うか、その」
「写真ないの?」
「ありません!」
 ちぇー。
「それに……本番はこれから、ですから」
 頬を染めたカノンは蚊の鳴くような声で呟き、視線を逸らす。
 その表情がまた可愛くて、門木はもう通算で何度目になるかわからない「俺もう死んでもいい」の呟きを心の中で漏らした。
「じゃあ、どんなのがいいかな……」
 上背がある場合はマーメイドラインやスレンダーラインが似合うらしいが、やはり定番のAラインも捨て難い。
「俺がいいなーと思うのは、ふわふわでひらひらした感じのだけど」
「すると……この辺りでしょうか」
「うん。でも最後はカノンが自分の好みで決めていいよ、花嫁が主役だもんな」
「いえ、私はナーシュが望むように……」
 はいはい、ごちそうさまです。

 その後も皆が帰ってくるまで、カタログを見ながら幸せそうに語らう二人。
 まだ現実味の薄いこの段階こそが、実は一番楽しい時期なのかもしれない……と、リアル結婚生活に夢も希望も持てない層などはつい考えてしまうのだが、そこは置いといて。

 残る式場の下見はまた後日と日程を決めたところで、暗躍班が本格的に動き出したのである。


●狙ったわけではないけれど

 船上舞踏会で華麗なる社交界デビューを果たしたクリス・クリス(ja2083)の次なる目標はもちろん、「可愛いお嫁さん」である。
 今のところ、その予定もなければ相手さえ見付かってはいないが、いつなんどき白馬の王子様が現れるかもわからない。
 その時になって慌てずにすむように、まずはお手本を見て学習だ。
 必要なものはドレスと靴と……まあいいや、後は詳しい人にお任せすれば、全て上手くあつらえてくれるだろう。

 というわけで、クリスは意気揚々といつもの商店街へ。
 馴染みの洋品店に顔を出し、にっこり笑う。
「おばちゃ……お姉さんの若い頃みたくモテモテになれるのをお願い♪」
「おやおや、おめかししてどこへお出かけだい?」
「あのね、門木せんせの結婚式にお呼ばれするんだー♪」
 それを聞いて、おばちゃんの表情がスライドショーを始めた。
 驚きから戸惑い、疑いの眼差しから再び驚きに変わり、最後に満面の笑顔で固定される。
「まあまあまあ、あの先生が遂に! それはおめでたいこと! それで、お日取りはいつ? ええ、ええ、そうなのね、わかったわ!」
 その情報が瞬く間に商店街の隅から隅まで知れ渡ったことは言うまでもない。
 かくして、当日はほぼ全ての店が臨時休業となることが決定した。
 もちろん大挙して式場に押し寄せるためである。
「披露宴のお料理やケーキの手配なんかも任せてちょうだいね!」
「ありがとう♪ でもケーキはボク達みんなで作るって決めたんだ。お料理も作る人がいると思うし」
 だから材料の提供だけお願いできないかなーというお願いは、当然のように二つ返事で聞き入れられた。
 やったね、これで材料費の心配せずに好きなだけ豪華なケーキが作れるよ!


●不良中年部、ケーキを作る

 当日、不良中年部の部員やその関係者達は、朝早くから教会近くにあるホールに顔を揃えていた。
 ここは各種挙式タイプに対応した結婚式場と、大人数を収容できる披露宴会場を備えた施設だが、用があるのはその裏にある厨房だ。
「……材料のほうは、すでに商店街の皆さんが揃えてくださいましたので……あとは作るだけですねぇ……」
 道具と材料を確認し、恋音が皆を見る。
「めでたいんだの! わしはきのこのケーキを作るんだの!」
 ブレない橘 樹(jb3833)は、調理台にケーキの完成予想図を広げた。
 そこに描かれているのは、パステルカラーの丸いきのこ型ストールが大中小と三段重ねになったような、めるへんちっくなもの。
「おぉ、可愛いですね!!! これ良いです、これにしましょう!!!」
 ダリア・ヴァルバート(jc1811)が無条件に諸手を挙げて賛成の意を示す、が。
「いや、せめてベースは普通にしてやろうぜ」
 ミハイルが止めた。
 キノコが悪いとは言わないけれど、そういう個性はデコレーションで表現したほうが良いと思うんだ、うん。
「じゃあ、こう……こーんな高いの作りましょう!」
「そうです!!! 芸能人の披露宴で見るような、とびっっきり豪華なのを!!!」
 不知火あけび(jc1857)が自分の背よりも高く手を伸ばし、ダリアが首が外れて飛んで行きそうな勢いでさかんに頷く。
 しかし、ここでまたしてもダメ出しがあった。
「タワー型のことか?」
 ラファル A ユーティライネン(jb4620)が首を振る。
「あれは一番下の土台しか食えねーぜ?」
「えええっ!!! ほんとですか!!!!!」
「ああ、どう考えてもあの高さと重量はナマモノで支えるのは無理だろ」
 いかにも危なっかしい上の方はハリボテだ。
「えー、あのケーキ憧れだったのにー」
「なんでしょう!!! なんだかすっごく騙された気分です!!!」
 その二人を宥めつつ、不知火藤忠(jc2194)がホールの入口に置いてあったパンフレットを見せる。
「こんなのはどうだ?」
 そこには様々なケーキが紹介されていた。
 どれも三段程度だが、凝った飾り付けが施されて、華やかに存在を主張している。
「せっかくだし、全部食べられたほうがいいよな。直径を大きくすれば色々と飾れるだろうし」
「よし、決まりだな」
 反対意見はないと見て、ミハイルが手を叩く。

「それじゃ、まずは土台のスポンジを作るんだの!」
 樹が小麦粉の大きな袋を抱え上げ、調理台の上にどさりと置いた。
 続いて少し小さめの袋を取り出すが……それ、何ですか?
「きのこパウダーなんだの! 栄養豊富で香りも最高なんだの!」
「待て、まさかそれをスポンジの生地に……?」
 ミハイルの問いに、屈託のない笑みが返る。
「隠し味なんだの!」
「そ、そうか、隠し味か」
 隠れてるなら、まあ……いいかな、うん。
 一番下の土台は潰れないように少し固めに焼き上げて三枚にスライス。
 直径は1メートルほどあるから普通にナイフで切るのは難しいが、魔具のワイヤーを二人で持ってスパっとやれば簡単だ。
 魔具は調理器具じゃないとか気にしない。
 その真ん中を丸く切り抜いて、残ったドーナツ状の部分にシェリー酒入りのシロップを塗って生クリームとカットフルーツを挟み、重ねていく。
 スポンジを切り抜いた真ん中の穴には、ミハイルが巨大なプリンをどぼんと嵌め込んだ。
「これが土台の補強剤にもなるんだぜ、多分な」
 一段目の基礎が出来たところで、恋音がその表面を生クリームでコーティング。
 先ほど切って取り除いたスポンジは二段目として、やはりシロップとクリーム、フルーツを重ねていく。
 そして最後の三段目は――

「いよいよこれの出番ですね!!!」
 ダリアが自信満々に差し出したのは、鯛の尾頭付き(塩焼き)だった。
「これをですね、こうしてこう、スポンジに挟んで隠し味に……!!!!!」
「ダリアちゃんそれ隠れてない、頭と尻尾出てるよ!」
「待てあけび、突っ込むところはそこじゃないだろう!」
 ダリアとあけび、藤忠のやりとりに、ラファルがぽつり。
「トリオ漫才かよ」
 ダリアにチョップ。
「つか食いもんで遊ぶな」
「遊んでません!!! 私は真剣です!!! ほら見てくださいこの目、深淵を映す鏡のような!!!」
「あー、うるさいやかましい」
 そんな微笑ましい(?)やりとりの中に、上から逢見仙也(jc1616)の手が伸びて来る。
「この鯛は没収します、いくら何でもケーキに鯛はなでしょう」
「なんでですか!!? だってほら、樹さんだってキノコ並べてますよ、あれは良いんですか!!!??」
「いいんだの」
 三段目のスポンジにスライスしたきのこを並べながら樹が頷く。
「このきのこはシロップ漬けなんだの、お菓子のように甘いから問題はないんだの!」
 フルーツと同じように並べ、生クリームを塗って、スポンジを重ねて。
 三段重ねが出来上がったら、真里谷 沙羅(jc1995)が生クリームの飾り絞りでお洒落に飾り立てていく。
 側面にはピンク色のいちごクリームでリボンのようなラインを描いていった。
「ああ、メッセージを書く部分は平らなままで残しておいてくれ」
「わかりました」
 藤忠に言われ、沙羅は最上段のスペースにハート型の枠を作る。
 その両脇にはバラの花のようにクリームを絞り出した。
 生クリームのデコレーションがあらかた終わったら、後はフルーツやお菓子で最後の仕上げ。
 一段目の円周上に等間隔でこんもりと盛られたクリームの上に、樹は淡いピンク色をしたきのこを並べていく。
 そこは本来ならイチゴが乗っているべき場所だが、もはや誰もツッコミを入れないどころか更に煽っていくスタイル。
「きのこが乗るならタケノコも必須だよね!」
 クリスが隣に並べると戦争になりそうなお菓子を置いていった。
「でもちゃんと空気は読んだよ」
 ほら、ピンク色のイチゴ味だし違和感ないでしょ?
「あとは食用花でアクセントを付けるんだの!」
 食用の花と言えば黄色い菊が日本の伝統と、ピンクのきのこと互い違いに並べていく。
 その内側にはミハイルと沙羅がカットフルーツを花のように並べ、二段目にはあけびがこれでもかという程に並べたイチゴがぎっしり。
「それでは、私は洋風にエディブルフラワーを散らしてみましょうかね〜」
 アレン・マルドゥーク(jb3190)はボリジにナスタチューム、バーベナ、プリムラ、それにバラの花びらなど色とりどりに散らしてカラフルに。

 ダリアはまだ名残惜しそうに没収された鯛を見つめているが、仙也は返す気はないようだ。
「ご心配なく、鯛は鯛らしく有効利用させていただきますので」
 鯛飯、あら炊き、潮汁と、余すところなく使えるのが鯛の魅力でもある。
「その代わりと言ってはなんですが、これをどうぞ」
 差し出されたのは、鯛は鯛でもたいやきだった。
 これなら一応はスイーツだから、塩焼きよりはマシだろう。
「はっ!!! ひらめきました!!!」
 それを暫く見つめていたダリアは、その身を少し反らせた形でケーキの最上段に鎮座させてみた。
「どうですか、まるでシャチホコのように見えませんか見えますよね寧ろそれ以外の何だと!!!!!」
 よし、あとは藤姫がチョコペンで書いた「寿」の周囲に真っ赤なクリームで「ご結婚おめでとうございます」と書き入れて、と。
 え、その赤いクリームは何だって?
 気にしない気にしない、おめでたいことには赤、ほら何も間違ってない。

 そして最後に、薄く透明な飴細工で出来たリボンを両脇にセットする。
 優美な曲線を描いて左右に広がるそれは、天使の翼をイメージしたものだった。


●シアワセノオト

「健司も手伝ってくれるの? ありがとう!」
 こちらも早朝から準備にかかった木嶋 藍(jb8679)は、ひょっこり顔を出した藤谷 健司(jb9147)の手を両手で握り、ぶんぶんと振った。
「まあ、こういうのはアレだ、祝うほうもソロよりペアのほうが良いだろ。ピアノだけってのも悪かねぇけど、少しばかり華を添えてやろうと思ってな」
「そうだね! これで選曲の幅も増えるし、ほんとに嬉しいよ!」
 挙式の際にはパイプオルガンのみになるだろうけれど、披露宴ではピアノかキーボードで。
「んー、せっかくだから電子音より生の音のほうがいいかな?」
「だな、コイツもあることだし」
 健司がトランペットとトロンボーンが入った楽器ケースを両手に掲げて見せる。
「じゃあ本格的にグランドピアノ借りてこよう! そういえば隣のホールにあったよね!」

 披露宴は教会前の小さな庭で行われると聞いた。
 ホールのピアノを木陰に移動させ、念のために軽く調律してもらったら、本番に備えて二人で音合わせだ。
 基本は楽譜の通りに、でも時折はジャズのセッションのように即興を入れて――楽譜にはない音が次々に生み出されては絡み合い、また次の音を連れて来る。
「わ、楽しい!」
「ああ、音楽の好みも似てそうだし、やりやすいな」
 ついでに息もぴったりだ。
「この調子で本番も頑張ろうね!」


●お散歩デートin教会

 その日、いつものように二人で出かけた穂原多門(ja0895)と巫 桜華(jb1163)は、ふとした気まぐれでいつものデートコースを変更した。
 特に目的があったわけではないが、数日前に学園の掲示板で見かけたチラシが頭の隅で気にかかっていたのだろうか。
 足が向いた先には小さな教会があった。

「素敵な教会でスね!」
 まるで外国の絵葉書にでも出てきそうな小さな教会を見て、桜華は嬉しそうに多門を見上げる。
 開け放されたままの正面扉に続く階段は五段ほど。周囲を囲む木々が、まだ新緑の色合いを残す明るい影を白い壁に踊らせていた。
 前庭には鮮やかな色の芝生が広がり、そこではパーティの準備が行われているようだ。
「今日も誰かガ結婚式を挙げるみたいですネ?」
「そうだな」
 桜華は他人事のように頷く多門の袖をくいっと引く。
「多門サン! ウチ、教会の結婚式なんテ、テレビでしか見たことないのでス! 見てみたいのでス!」
「ああ、確か見学は自由だったはずだが……」
 こうした場合、大抵の男性は多少なりとも尻込みをするようだ。
 特に多門のように武骨者を自認する場合は、教会での結婚式など見るだけでも恥ずかしい、ましてや自分がその場に立つなど場違いにも程があると、そう感じるかもしれない。
 だが、それを彼女が望むならば。
「見るだけでも見てみるか、祝い事なら頭数が多くて困ることもなかろう」
 腕を組んだ二人は芝生の上に置かれた白いテーブルの間を縫って歩く。
「大きな式場で盛大なノも良いですけド、小さな教会で心づくしのガーデンパーティ……憧れてしまいまス♪」
「そうか……そうだな、確かにこんな素朴な会場がいい」
 喉元まで出かかった「結婚式を挙げるなら」という言葉を呑み込んで、多門は会場の様子に目を向けた。
 そこまでストレートに言ってしまったら、なんだか催促しているように聞こえるかもしれない。
 しかし、そう思うのは女心がわかっていない証拠。
(「わかってないなラ、わからせてあげまショウ♪」)
 その腕にぶら下がるようにくっついたまま、桜華は期待の眼差しで多門を見上げた。
「ウチも、結婚式はこんな場所がいいでス!」
 きらきら、にこっ。
 どうよ、この破壊力。
「桜華もやはり、こういうものに憧れるのか」
「女の子なら当然なのでスよ?」
「そうか」
 ふと表情を緩め、多門は頷いた。
「俺にはあまり似合わないと思うが」
「そんなことないのでスよ?」
「ああ、桜華が隣りにいるのであれば……」
「多門サン、大好きなのでス♪」
 ぶらさがった腕にますます体重をかけ、桜華は嬉しそうに微笑んだ。


●皆の思い

 その頃、何も知らない二人ものんびりと会場入り。
「今日もどなたか式を挙げられるのですね」
 周辺の慌ただしい様子に目をやって、カノンは繋いだ手に少し力を入れた。
 今のところはまだ下見だけの予定だが、やはりただの冷やかしとは違って多少の緊張があるようだ。
「お邪魔にならなければいいのですが……」
 それ以上先へ進むことを躊躇うように、カノンはそこで立ち止まる。
 しかし。

「ふっふっふ、そうはイカのキンピラゴボウですよ!!!!!」
 どこからともなく謎の声がした。
 いや、このやたら元気な声とビックリマーク過多の喋り方はダリアさんしかいないでしょう、意味わかんないけど。
 物陰から飛び出したダリアは、何故かヒラヒラのドレスを身に纏っている。
 その後から続々と現れる見知った顔、その誰もが普段とは違う「よそゆき」の服装に身を包んでいた。
 ミハイルはいつものダークスーツだが、今日はその胸に深紅のバラが一輪挿してある。
 その隣に寄り添う沙羅は、清楚な中にも大人の色気を感じさせるペールピンクのロングドレス。
 反対側で少し背伸びをしているクリスは、白と水色を重ねたフリルが可愛いミニ丈のドレスを身に纏っていた。
 あけびはゆったりとしたドレープが美しい薄紫のドレス、藤忠はダークスーツに藤色のタイとポケットチーフ。
 樹の狩衣は上品な光沢のある絹織物、その上に掛けた豪華な袈裟は金糸で彩られている。
 アレンはもちろん艶やかな振袖姿だが、それが女性用の衣装であることには意に介していなかった。
 紺色から白に移るグラデーションのドレスを纏ったユウと、同じ型でアイスブルーから白に変わるドレスを着たリュール、それに期待(?)に違わず和装のダルドフや、普段より少し高級そうな服を着たテリオスの姿まで。
 人垣の向こうには、きちんとスーツを着こなしたディートハルト・バイラー(jb0601)の顔も見えた。
 さりげなく部外者のようなそぶりで横を向いているが、こちらの様子を気にしている気配は充分に感じられる。
「え、あの……なんでしょう……?」
 皆の視線が自分達に集まっている。
 しかも、そのどれもがニコニコと……いや、ニヤニヤと笑っている?
 当惑する二人に、その答えが返った。
「門木殿カノン殿、待っていたんだの! おめでとうなんだの!」
「章治、いよいよ年貢の納め時だな!」
「章ちゃんとカノンさんがとうとうご結婚! とてもおめでたいのですー♪」

「「……え……?」」

 二人で仲良く声が揃う。
 まさか、この準備は全て自分達のため?
「待て、ちょっと待て、そんなの聞いてないぞ……!?」
「それはそうだろう、言ってないからな」
 門木の慌てた様子を見て、ミハイルが笑いながら胸を張った。
「でも、そんな急に」
「何が急だ、婚約から半年もあれば充分だろう。それとも今になって怖じ気づいたか?」
「そうじゃない、けど」
「だったら何を躊躇う必要がある」
 ミハイルはその背を軽く叩き、髪をくしゃくしゃと掻き混ぜる。
「大丈夫だ、章治は幸せになる資格がある。充分にな」
 説得はミハイルに任せると決めたのか、他の皆は口を出さない。
 しかし誰もが全力で背中を押しに来ている空気は、カノンはもちろん、鈍感な門木にも充分に伝わっていた。
 くい、とカノンが袖を引く。
「カノン……いい、の?」
 問われて、こくりと頷いた。
 色々と複雑な周囲の思いに、門木が気を遣っていることは重々承知している。
 自分とて「本当にいいのか」という思いはあるけれど。
 ここに集い、わざわざ準備を整えてまで背中を押そうとしてくれる皆の気持ちもまた、周囲の思いであることに変わりはない。
「皆さん、ありがとうございます。今日はよろしくお願いします」
 丁寧に頭を下げたカノンの横で、門木も慌ててそれに倣う。
「これは早くも尻に敷かれる気配が濃厚だな」
「それは仕方があるまい、何しろ姉さん女房だ」
 ミハイルの言葉に、笑いを含んだリュールの声が答えた。
 それを聞いたほぼ全員が「え?」という顔をするが、実は門木のほうが年下なのだ――こう見えても。
「尻に敷かれるくらいが丁度良い、男が威張ると碌な事はないからな」
「女が強すぎるのも考えものだがのぅ」
 小声で呟いたダルドフは、氷のような視線を向けられて思わず身を縮めた。
「まあ、この国でも『姉さん女房は金の草鞋を履いてでも探せ』と言うからな」
 藤忠が門木の肩をぽんと叩く。
「ともあれ、おめでとう」

 さて、話は決まった。
 後は式次第の細部を決めて、本番に雪崩れ込むだけだ。
「それジャ、ミーは変な連中が寄りつかないヨウニ、周りを見張ってるネ」
 なにか嫌な予感がすると、長田・E・勇太(jb9116)がふらりと出て行った。
 ミハイルがあちこちに招待状を送っていたようだが、それがうっかり招かれざる客のもとへも届いてしまったような気がしてならないのだ。
「ま、気のせいだと思うケドナ」
 気のせいであってください、お願いします。


●人間界のオキテ

「……まずは、おめでとうございますぅ……」
 教会の奥にある控え室では、恋音が二人を待ち構えていた。
「……それでは、取り急ぎ各種の手続きについて、ご説明させていただきますねぇ……」
 まずは必要な書類のあれこれと、学園への報告について。
「……この国では、結婚はお二人だけの問題ではありませんので……門木先生のお立場ですと、関係各所へのご挨拶は必須ではないかと思いますぅ……」
 それを聞いて、二人は顔を見合わせる。
 知らなかった。
 近頃は人界知らずのスキルも殆ど活躍の機会を失っていたが、まさかここに来て再び脚光を浴びることになろうとは。
「……それは……ある程度は仕方がないものと思いますねぇ……」
 殆どの者にとっては、結婚を真剣に考え始めるまでは縁のない知識だろう。
 少なくとも普通の女子高生が知っているようなものではないはずだが、恋音さんはハイパーJKだから。
「……本来なら、職場への事前の報告が必要となり……事後報告では問題になる可能性もあります……」
 しかし、こんなこともあろうかと。
「……学園長には、このようにお願いをしておきましたので……今回は問題が発生することはないと思いますぅ……」
 二人の前に差し出される、書類のコピー。
 そこにはこう書かれていた。
 即結婚となった場合、それは周囲の厚意による後押しの結果であり、本人にとっては急な予定変更であること。
 その為、事前の挨拶等が出来ないが、問題になりそうな場合は周囲を抑えてほしいこと。
「……学園長は、そういう機微が解る方ですのでぇ……」
 はい、あの、色々とお手数をおかけしました、ありがとうございます、助かります。
 しかし人間も面倒なことを考えるものだ、天界では――少なくとも門木が育った地域では、名前の交換だけで済むものを。
「そうだ、名前も決めないとな……」
 目の前に置かれた婚姻届に書くのは、この国で生きる者としての名前だ。
 その法則に従うなら、彼女は「門木カノン」となる。
 しかしそれとは別に、本名もどこかに記しておきたかった。
「指輪に彫ってもらうのは、時間ないかな」
「……いいえ、大丈夫だと思いますぅ……今回は、商店街の皆様にも全面協力をいただいていますのでぇ……」
 ドレスを選んだり、着付けやメイクをしている間に、きっと職人さんが気合いで間に合わせてくれる。

「……それでは、次に式次第の説明をさせていただきますねぇ……」
 形式は教会式と人前式の良いとこ取りミックス。
 元々は自由な挙式スタイルが売りの式場だし、二人とも何かの信仰があるわけではないから、かなり大胆にアレンジしてあった。
 教会式では新婦は父親と共に入場するものだが、ここは新郎がエスコート。
 賛美歌やら聖書の朗読やらはすっ飛ばして、誓いの言葉と指輪の交換に移る。
「……この場合、結婚の証人はゲストの皆さんということになりますので……皆さんには事前に結婚証明書にサインをしていただくことになりますねぇ……」
 なお誓いの言葉も形式に拘らず、自由に決めることが出来る。
「……お二人で考えることも、ゲストにお任せすることも出来ますが……」
 どうしますか?
「そうですね、せっかく皆さんに後押しをしていただいたのですから……」
「うん、皆に考えてもらったほうがいいかな」
 わかりました、ではそのように。


●両手に花、されど

 二人が準備を進めている間、まだ誰もいないチャペルではドレスの撮影会やハーフウェディングが行われていた。

 祭壇の前で、ミハイルはひとり待ちぼうけ。
 今ごろはクリスと沙羅がドレスを選んでいる頃だが――いつまで経っても現れる気配がない。
「まあ、支度が長いのは女性の宿命みたいなもんだな」
 焦らず気長に待つことにしようと、ミハイルは祭壇の前に並ぶ座席のひとつに腰を下ろした。
 会社命令で撃退士として学園に放り込まれてから三年と半年あまり、思えば色々なことがあったものだ。
 最初は命令違反にならない程度に適当に付き合っておけばいいと考えていた、学生達や教師陣。
 依頼を終えれば何の関わりもなくなるだろうと思っていた者達。
 その予想は見事に裏切られ、今こうして自分は多くの縁に恵まれている。
 そして今日は、その縁のひとつが新たな始まりを迎えようとしていた。
「この俺が祝いの席に顔を出すなんてな」
 しかも自分から進んで。
 それどころか率先して背中を押してまで。
 本人にも言ったが、彼には幸せになる資格がある。
 彼のような男が幸せになれないようなら、そんな世の中は間違っているとさえ思う。
 翻って、自分はどうだろう。
 幸せになる資格はあるのか――いや、誰かを幸せにする資格があるのだろうか。
 沙羅を想えば想うほど、自分が酷く穢れた存在だと思えてくる。
 自分が手を染めた様々な悪事、それ自体を恥じてはいないし、必要悪と考えて割り切っている。
 だがそんな自分から見れば、沙羅はあまりにも穢れのない存在で――

「ミハイルさん?」
「ぱぱ、どうしたの?」
 突然声をかけられて、ミハイルはバネ仕掛けのように椅子の上で跳ね上がった。
「ごめんなさい、脅かしてしまったようですね……大丈夫ですか?」
 顔を上げると、沙羅が心配そうに覗き込んでいる。
 いや、彼女は本当に沙羅なのか。
 似てはいるが、その姿はまさしく聖母、いや女神のように美しく輝いていた。
「ぱぱってば、いくら呼んでも返事してくれないんだもん。悪い魔法使いに石化の魔法でもかけられたかと思っちゃったよー」
「いや、大丈夫……大丈夫だ」
 ミハイルは過去を振り払うように満面の笑みで応える。
 頑張れ俺の涙腺、超頑張れ、いくらめっちゃ感動したからといって泣くんじゃない、堪えろ。
「このドレス、沙羅さんに選んでもらったんだー。それで、沙羅さんのはボクが選んだんだよ♪」
 クリスはVネックにパフスリーブ、高い位置からふわりと広がる膝丈ドレスで軽やかに。
 沙羅はハイネックのアメリカンスリーブ、大人の女性らしくマーメイドラインでエレガントに。
「どうでしょう、少し恥ずかしい気もしますが……」
「うん、二人とも綺麗だ。とても綺麗だ」
 特にほんのり頬を染めた沙羅の嬉しそうな表情は脳内メモリに永久保存決定。
「よし、三人で記念撮影するぞ」
 勢いよく立ち上がったミハイルは、両手に花で祭壇の前に立った。
「2人の美女に挟まれるパパは果報者だよ〜☆」
「うん、そうだな、ありがとう二人とも」
 ああ、やめて、そんな涙腺をガンガン刺激するような台詞やめて。
「ところでカメラマンの人はどこかな?」
 クリスが周囲を見回すが、それらしき人影は見当たらない。
 それどころか三人の他には誰もいない。
 だがしかし、チャペルの高い天井に響くシャッター音。

 撮影担当はニンジャだった。
 被写体に気付かれないようにそっと忍び寄り、飾り気のない自然な笑顔をカメラに収めるのがその使命。
 長年のストーカーの勘を駆使し、遠距離からの望遠撮影もお手の物だ。
『どうぞ、わたくしにはお構いなく……』
 今日は裏方に徹することに決めたのだと、凛は念を送る。

「うん、何か受け取った気がする」
 クリスは見えないカメラスタッフにさりげなくポーズをとってみる。
 良いタイミングで再びシャッター音が響いた。
 なるほど、わかった気がする。
 三人はポーズや立ち位置を変えて、更には組み合わせを変えたツーショットも。
「沙羅さんとボクでしょ、次にミハぱぱとボクのツーショットね♪」
 ミハぱぱ&沙羅さんのツーショットも許してあげる。
 だってボクは出来た娘だからね☆


●結婚するって本当ですか

「結婚式、ネ」
 少し羨ましいような。でもそうでもないような。
 勇太にとっては今まで殆ど縁のない話だったが――なにしろ周りを囲んでいたのは怖ろしいBBAと、同じくらい怖ろしいBBAの友人達(いずれも退役軍人)だ。
 叩き込まれたのは全てが軍隊式、甘い話など欠片も見当たらない。
 この学園に来るまでは、それが世の中の全てだと思っていた気がする。
 今でもその後遺症が完全に抜けたとは言い難いが、それでもかなりマシになってきた……はずだ。
「まぁ、楽しいことはイイ事だネ」
 その楽しいことを、おかしな連中に邪魔させるわけにはいかない。

「周囲の警戒を頼むネ」
 フェンリルのエーリカを召喚し、何か怪しい気配を感じたら知らせるように言い聞かせる。
 すると早速――
『グゥルルル……ッ』
 エーリカが低いうなり声を上げた。
 その方向に目をやると、そこに……奴等がいた。

「あれが噂ノ、オカマ三兄弟……ネ」
 話には聞いていたが、なるほど凄まじい破壊力だ。
「ナルホド、視覚ノ暴力とはよく言ったものネ」
 そのうちのひとり、比較的マトモそうに見えるのが三男のミキだろう。
 しかし、残る二人はどちらがリカでどちらがマリなのか……いや、どうでもい、排除だ排除。

「ちょおぉっとアナタァァァ!!」
 正面から堂々と入ろうとした三人は、勇太の姿を見付けるやいなや「ドドドドド」と音を立てて走り寄って来た。
 案内人とでも思ったのだろうか――フェンリルを従え、いや守られてショットガンを構える、やたらと姿勢の良いこの男を。
「ホントなの!? ねえ、ミーちゃんが結婚するってホントなの!?」
 ゆっさゆっさ、襟首をむんずと掴んだ太い腕が勇太の細身の身体を激しく揺さぶる。
 なるほど、こいつがミハイルにぞっこんだという長男のリカか。
「アタシはべつにどうでもいいんだけど、リカちゃんがこの調子だから……って、あら坊や、なかなか良いじゃない? んー、でももう少し早く会えてたらよかったのに残念だわぁ」
 次男のマリは可愛い少年が好みだと聞いたが、なるほどコイツか。
「ごめんなさいね、アタシは普通にお祝いに来たんだけど、兄さん達が……」
 大丈夫、ミキは見られる。わりと普通だ……この強烈な二人と比べれば。
「アンタは比較的マトモそうだナ、出来ればこのまま二人を連れ帰っテ欲しいんダガ」
 無理?
 じゃあちょっと裏まで来てもらおうカ。
 なに、スペシャルな友人を出迎えるためのスペシャルなゲートがあるんだヨ。

 教会の裏に裏口はあるが、彼等をそこから通す気はない。当然だ。
「ドーモ 不審者=サン 勇太デス」
「ユータきゅんね、覚えておくわ(はぁと」
「いや結構」
 マリがウィンクと共にキスを投げて来るが、問答無用。
「退場して貰おうカナ。慈悲はナイ」
 ワイヤーで三人まとめて縛り上げ、薙ぎ払いで弾き飛ばす。
 だが彼等は腐っても撃退士、その呪縛を物理で引きちぎり、ドアに向かって一直線!
「今いくわ、マイダーリィィン!!」

 ――ぞくっ。
 ミハイルの背中に悪寒が走る。
 直後、チャペルの入口に三つの影が!
「あれは……!」
「スマナイ、前線を突破されたネ」
 その背後から勇太の声がするが、マッチョな三人の影に隠れて全く見えなかった。
 しかし、まだここには最終ラインがある。
「場の空気を乱す不届き者は即刻排除いたします、よろしいですわね?」
 いつの間にか姿を現した凛が、カメラをスナイパーライフルに持ち替えて至近距離から狙っていた。
「あらヤダ怖いわねェ、アタシ達お邪魔しに来たんじゃないのよォ」
「助けてミーちゃぁん」
 茶色い声が助けを求める。
「なんですか、なんなんですか、何の騒ぎなんですかね!!!??」
 騒ぎを聞きつけて、輪をかけて騒がしい(げふん)賑やかな仲間達が集まって来た。
「あ、ミハイルさんが言ってたオカマ三兄弟って、この人達ですね!」
「なるほど、これが例の……」
 ダリア、あけび、藤忠の三人はオカマッチョを見ても動じない。
 それどころか歓迎ムードだ。
「どうでもいいが場所をわきまえろ、騒ぐんなら大人しくさせてもらうぜ?」
 ラファルの肩口にミサイルランチャーがポップアップするのを見て、三人はぶるぶると震え上がる。
 もちろん本当に撃つはずはないが、彼等にそんなことがわかるはずもなかった。


●そうだ、弄りに行こう

「なぁんだ、ミーちゃんが結婚するわけじゃなかったのねぇ」
「やだわ、アタシ達ったら何を勘違いしたのかしら」
「ご迷惑をおかけして、本当に申し訳ありませんでした」
 真実を聞いて、三人はそれぞれ、それなりに反省したようだ。
「あのオジサマもけっこう好みだったんだけど……仕方ないわネ」
「ええ、素直に祝福してあげるワ」
「そういうことですので、アタシ達をゲストの末席に加えていただけないでしょうか」
 まあ、騒ぎを起こさないと言うなら、断る理由はない……と、思う。

「これで一件落着ネ」
 勇太はほっと胸をなで下ろす。
 さて、そうなると少し時間が余るわけだが……
「イイ機会だしミハイルを弄るとしようゼ?」
「いいですね!!! 弄りましょう、弄り倒しましょう!!!」
「私も一口乗っからせてもらうね! 皆で弄りに行こう!」
「本人に丸聞こえだが、いいのか?」
 藤忠が一応言ってみるが、もちろん彼にも止める気はない。
「弄り倒すってどうすればいいんですかね、やっぱり物理ですか物理ですね!!!??」
 どーーーん!
「いや、物理よりも心を込めた言葉だろう、この場合は」
 藤忠が前に進み出る。
「沙羅、綺麗だぞ」
「待って姫叔父、それじゃ告白だよ!」
 まずいでしょ横恋慕は!
「あ、でもほんと沙羅さん美人……! 元から綺麗だけど、今日は何かオーラが違う気がする!」
 好きな人の為にお洒落をすると、ここまで綺麗になれるものなのだろうか。
 ちょっと、いやかなり羨ましい。
 そしてそんな彼女を待たせておく人には一言ガツンと言ってやらねば。
「何度も依頼をご一緒した私が言います。貴方は良い人です。幸せになるべきです」
「沙羅は今のお前が好きなんだ。それだけで良いじゃないか」
 そうだそうだと藤忠が援護射撃。
 外堀が全力で埋められていく中、さあどうするミハイル、もう後がないぞ!

「沙羅さんはどうなんですか?」
 その声はダリアだが、珍しく「!!!」がない。
 ということは真面目なシリアスモード……なのだろうか。
「何かすごく遠慮と言うか、尻込みしているように見えますけど」
「ええ、そうですね……」
 図星を指されたことを誤魔化すように、沙羅は曖昧な笑みを浮かべた。
「今のままで充分に幸せですから、これ以上となると……まだ、少し」
 護るべきものを護れなかった自分が、これ以上の幸せを得てもいいものか、と。


●サロン・ド・アレン

「ブライダルメイクはお任せください♪」
 アレンはまず、専属美容師として門木の改造に取りかかった。
「章ちゃんはどんな姿でお嫁さんの隣に立ちたいですかー?」
「え、あの、どんなって……」
「そうですねー、たとえば10段階で指定してみましょうかー」
 普段の気を抜いた状態を1、今までで最高に気合いを入れた時を10とすると、どのあたりが希望だろう。
「……、…………、………………8……くらい?」
 あまり普段とかけ離れているのもどうかと思うし、かといって花嫁に見劣りするようでは申し訳ないし、難しいところだ。
「とにかく、カノンに恥をかかせないように……お願い、します」
「章ちゃんは何かにつけて自己評価が低いのが困りものなのですねー」
 大丈夫、お似合いなのは保証するから。

 それが済んだら、次は――
「リュールさんとダルドフさんも、新郎のご両親枠でおめかししていただきますよー!」
「いや、コイツは赤の他人だ」
 声をかけられたリュールは言下に否定するが、それはもちろんアレンにもわかっていた。
 しかし、だからこそ。
 。O(あわよくば再婚式ですよー)
 よりを戻せば堂々と両親として参列できる。
 その思いはユウも同じだった。
「実はまだリュールさんには言っていませんでしたが、ウェディングドレス試着会の予約を取ってあるんです」
 ただドレスやタキシードを着て写真を撮るだけでもいいし、気が乗るならそのまま模擬の結婚式でも……いっそ本気の再婚式でも何の問題もないのだけれど。
「どうでしょうか」
 顔色を伺うユウに、リュールは笑顔で頷いて見せた。
「ドレスの試着なら興味がないこともない」
 ただし。
「隣に立つのはお前だ、ユウ」
「私……ですか?」
「どうせ遊びだ、構わんだろう?」
 それに一緒に買い物に行ってお揃いのドレスを誂えた仲ではないか。
 さしずめ母と娘の仲良し撮影会といったところ、そこに父親の入る隙間はない。
「わかりました、では披露宴が終わった後にでも」
 本日のラブラブ大作戦は不発に終わったようだが、今回そちらはオマケのようなものだ。
 息子の結婚は良い契機になると思ったけれど、きっとまだ機が熟していないのだろう。
 急ぐ必要もないのだから、ゆっくり考えて結論を出せばいい。
 これが終わったら、また新たな作戦を考えるとしよう。

 はい、それでは次にお待ちの方どうぞー。
「いや、別に私は待っていたわけでも、ここに用があるわけでも……おい待て何をする!?」
「テリオスさんもおめかししましょうねー♪ さあひんむきますよーえいー」
 だがテリオスは素直に剥かせてくれなかった。
「間に合ってる」
「どうぞご遠慮なさらずー」
「遠慮ではないが遠慮しておく、私はこれで充分だ」
「そういえばテリオスさん、人前でお肌を見せないのですねー?」
 何か秘密でもあるのかな?


●ハーフ&ハーフ

「紫苑サン、もう着替えは済みましたかい?」
 更衣室のドアの前で揺籠が呼びかける。
 しかし返事はない。
 それどころか、中に人がいる気配もなかった。
「紫苑サン?」
 どうしたのだろうと心配になり、そっと中を覗いてみる。
 誰もいない。
 影も形もない。
 まさか神隠しに遭ったわけでもあるまいにと、揺籠は部屋の中に足を踏み入れた。
「ん? なんだ、奥にもうひとつ部屋があるんですかい」
 近寄ってみると、ドアノブに「使用中」と書かれた小さなプレートがかかっている。
「紫苑サン、ここにいるんですかい?」
 控えめにノックをしてみると、威勢の良い声がドアの向こうから響いてきた。
『兄さんはーのぞいちゃダメなんでさ! あっち行っててくだせ!』
「なんでぇ、髪でも結ってやろうと思ったのに」
『間に合ってまさ! それに洋風のヤツはヘアメイクって言うんですぜ!』
 どうやら今、このドアの向こうでセットの最中らしい。
「なにが『へあめいく』ですかい。カタカナで言ったって、やってる事は同じでしょぉよ」
 ドレス選びはダルドフが付いていった。
 着替えは流石に手伝えないから仕方がないとして、せめて髪くらいはと思ったのに。
「また俺だけ除け者ですかい」
『いいから、兄さんはお父さんといっしょに待っててくだせ!』
 それは……困る。
 なるべくなら、いや出来れば全力で避けたい。
 だが、避けられなかった。
「いや、あのですね、ほら、以前は写真だけだったでしょう?」
 ダルドフは無言だ。
 視線を奥のドアに向けたまま、腕を組み、どっしりと岩のように構えている。
 声をかけられて、その視線だけがちらりと動いた。
 返事はないし、特に会話を求められている気もしない。
 寧ろ黙っていろと思われていそうだが、黙っているとそのオーラに圧倒されて吹き飛ばされそうになるから、敢えて訊かれもしないことを喋る。
「だから今回は一緒にやろうかなってぇ……」
 墓穴掘った感、深さ100メートル。
 ダルドフ、やはり無言。
「あー、そのぉ……こういった場所で紋付袴ってぇのも、なかなか……乙なモンでさ、ねぇ?」
 かく言う自分はしっかり黒とグレーのタキシードを着込んでいる。
 ダルドフの浮き具合ときたらその重量感を相殺して余りあるほどだが、彼にそんな格好をしろと言ってもサイズ的に無理がありそうだ。
 それにイメージとしてもすっかり和装が定着している感があるから、これはこれで良いのかもしれない。
(「顔立ちは充分に洋風なのに、不思議なもんでさ」)
 そうして300メートルほど墓穴を掘った頃、奥の扉が開いた。

「へへ……っ」
 照れ隠しのためか、普段よりも更に偉そうに胸を張り、足を踏ん張った紫苑は、白いグローブを嵌めた手で鼻の頭を擦る。
「あ……」
 顔に付いた二つの目はもちろん、体中の目を見開く勢いで、ついでに口も開けっ放しで、揺籠はその姿を見つめていた。
 緩くまとめてアップにした後ろ髪を支えるように、襟足には大きな花飾りを据え、頭には花冠。
 更にフラワーシャワーをを浴びたように、髪全体に小花を散らしてある。
 ドレスは胸元がハート型に開いたホルターネックに、首元まで覆うようにデザインされた長袖のレース、下は胸元からゆったり広がるエンパイアライン、裾はもちろん引きずるような長さだ。
「どうです、似合わねぇたぁ言わせやせんぜ!」
「ん…なかなか似合ってますぜ」
 一瞬、未来の姿を見ているのはないかと錯覚を起こしたくらい、よく似合っているしとても綺麗だ……なんてことは心の中にぎゅっと押し込めておく。
 が、どうやら紫苑はお見通しのようだ。
「まったく素直じゃねぇんですから。それともお父さんの見立てじゃ素直にほめるのもシャクだってことですかい?」
 にしし、と笑うと子供の顔が現れる。
「大人をからかうもんじゃありませんよ紫苑サン」
 その眩しさから目を逸らすように、揺籠はそっと腕を差し出してみる。
「ほれ、後がつかえてんですから、さっさと行きますよ」
 もう少しで、チャペルは本番の為のゲストでいっぱいになる。
 その前に真似事だけでも式を挙げてみたいと、言い出したのはどちらだったか。
「今度は写真撮るだけじゃないんですねぇ」
 もちろん写真も撮るけれど、出来れば本格的に真似してみたいお年頃。
「おれ、お父さんと歩いてみたいでさ、ほら……ウェディングロード? その真ん中の赤いとこ!」
「バージンロードですよ、紫苑サン」
「そう、そのそれでさ!」
 昼メロでよく見るから知っている、あれは花嫁が父と共に歩く道。
 祭壇の前でその手が父から新郎へと引き渡され、新婦は新たな家族の一員となるのだ。
 ダルドフがそんな深い意味まで知っているとは思えないが、まだ小さな娘の手を引き渡そうとしたその瞬間。
「うおぉぉぉん!」
 感極まって、決壊した。
「あーおとーさん!! まだ泣かねぇでくださいよ!」
「やかましい、ぬしにお父さんと呼ばれる筋合いはないし、あったとしても十億年早いわ!」
 長いよ、そこはせめて十年にしようよ。
「前にも言うたであろう、娘が欲しくば某を倒して見せよと!」
「あー、はいはい」
 ぽんぽん、紫苑がその背を宥めるように叩く。
「まったく、なんだかんだで仲が良いんですからねぃ。果たし合いは十年後のお楽しみにとっておきやしょうぜ?」
 それより今は、何をする?
「指輪の交換ですかい? ブーケトス? それともキッスですかぃ?」
「きっ、キッスなんてそれこそ十年早ぇ」
「嫌ですねぇ兄さん冗談ですよ!」
 その初心な横顔を見て、紫苑は容赦なくケラケラ笑う。
「でも指輪の一つくれてもいいんですよ、大事にしやすぜ」
「そうですね……まあ、いい子にしてたら考えてやっても良いです、ぜ」
 多分、十年後くらいに。
 それより少し早くなるかもしれないけれど。

 祭壇からの帰り道は、新しい家族との未来へ続く道。
 けれどぽつんと残された花嫁の父があまりに寂しそうだったので、揺籠は思わず手を差しのべた。
「ダルドフさん、三人で歩きましょう」
 これはただの真似事。
 道はまだ半ば――まだ半分なのか、もう半分なのかは、わからないけれど。
「そこに辿り着いた時……実際どんな形になるかはわかりませんが、この子を俺なりに大事にする気概はありまさ」
 その誓いに、ダルドフからの返事はない。
 そんなことは百も承知だからこそ、今はまだ意地を張っていたいのだと――そんな思いが、溜息の隙間からこぼれ落ちた気がした。
「ところで、お父さんとリュールの姉さんはしねぇんですかぃ?」
 紫苑に言われて、ダルドフはぴたりと足を止める。
「おれらみてぇな半分のでも、本番でも……あれ、お父さん?」
 でっかい熊が、真っ赤な絨毯に「のの字」を書き始めた。
 どうやら触れてはいけない話題だったらしい――

 その後に続くのは、いばらとリコの式だ。
「リコ、どれでも好きなドレス選び?」
 ドレスがずらりと並ぶ前で、いばらはリコの背を押した。
「それに、どんな式にしたいかもリコが自由に決めてええから」
 リコは本来ならドレスを着る筈もなかった子だ。
 ほんの真似事とは言え、出来るだけ望みを叶えてあげたかった。
「ありがと☆ でもね、花婿さんは花嫁さんの支度が終わるまで見ちゃダメなんだよ?」
「え、せやの?」
「うん、せやの♪」
 欧米では結婚式の前に新郎がウェディングドレスを見るのは縁起がよくないと言われているらしい。
「だから、支度が出来るまで待っててね。リコ、うんと可愛くなって、いばらんをビックリさせるんだから♪」
「リコは今のままで充分に可愛いし、綺麗やと思うけどな」
 お世辞でも何でもない、それが本音だ。
 それでもやはり、ドレスを着ると違って見えるものなのだろうか。
 そう思いつつ部屋を出たいばらは、男性用の貸衣装が並ぶ部屋へと入って行った。

「リコさんはどんな花嫁さんになりたいですかー?」
「かわいいお嫁さんがいいなっ☆」
「わかりましたー、ではとびきり可愛らしく変身しちゃいましょうねー♪」
 まだ幼さの残る顔に合わせてメイクは控えめに、口紅も柔らかな色を選んで。
 髪は少し大人っぽくアップスタイルに、纏めた毛先を奔放に散らしてティアラを飾り、両サイドに後れ毛を流してみた。
「どうでしょうねー?」
 出来上がりを鏡で見て、リコは満足そうに頷く。
「ありがと! じゃ、いばらんをのーさつしてくるねっ♪」

 いばらは言葉を失っていた。
 辛うじて出て来たのは「……綺麗やな、リコ」という一言だけ。
 何かもっと他に言うことがあるだろうと、我ながらボキャブラリーの貧困さに頭を抱えたくなる。
 いや、普段ならもっと何か気の利いたことを言えるはずだ。
(「せやかて、これを目の前にして他に何が言えるんや」)
 化粧のせいか、普段よりもずっと大人びて見える。
 なのに、可愛い。
 白いドレスは裾が大きく広がったプリンセスライン、何段にも重ねられた透明なフリルが、歩く度にふわりふわりと揺れた。
「いばらんもカッコイイよっ☆」
 ああ、口を開くといつものリコだ。
 それで少し、ほっとする。
「うちは白いタキシードにしてみたんや」
 今日は帽子も外して、長い髪を後ろでひとつに纏めている。
「みっともないかもしれんけどな、角」
「そんなことないよ」
 そう言えばリコに見せたのは初めてだっただろうか。
「ね、さわってもいい?」
「ええけど……」
 言われて、リコは両手をかぶせるようにそっと触れてみる。
「あっ、なんかビビッて来た!」
「えっ」
「すごぉい、アンテナみたいだねっ」
「せ、せやろか……」
「うん、元気もらった!」
 何だかよくわからないけれど、リコが喜んでいるなら……いいか。
 本物の祝言ではないと思いながらも、緊張でガチガチになっていた心がほぐれたような気がするし。
 もしかしたら、わざとそうしてくれたのかもしれない。

「ほな、行こか」
 差し出された腕をとり、リコはゆっくりと歩き出す。
 一歩一歩を大切に踏みしめるように、ゆっくりと祭壇に近付いていく。
 その前で立ち止まると、リコはいばらに向き直った。
「誓いの言葉、言うんだよね」
 目を閉じて、ひとつ深呼吸。
「リコはね、なんにも約束できないんだ。先のこと、何もわからないから。でもね、リコがリコであるうちは……がんばって、生きるよ」
 もう二度と、自分から命を捨てたりしない。
「これで、いいかな?」
 こくりと頷き、いばらは言葉を返した。
「うちがリコを守る。リコがずっと、リコのままでいられるように」
「うん」
 誓いの口付けは、そっと頬に。
 いばらは暫くそのまま、じっとリコの姿を見つめていた。
 この瞬間を、瞳の中に永遠に焼き付けておこうとするかのように。


●something four

「一生に一度の晴れ姿、大切な思い出を美しく飾りましょう♪」
 リュールとユウがそっと見守る中、アレンはいよいよカノンの仕上げに取りかかった。
「カノンさんの魅力を最大限に引き出すヘアメイクで章ちゃんをびっくりさせちゃいましょう♪」
 既にドレスの着付けは終わっている。
 新郎はそれを選ぶ段階で締め出しを喰らっているので、さぞかし首を長くして待っていることだろう。
「カノンさんは元の素材が良いですから、お顔のメイクはナチュラルで充分ですねー」
 寧ろ下手に弄らないほうがいい、口紅もほんの少し色づく程度に。
「キスでも落ちないものを使いますからねー、誓いの口付けも安心ですよー」
 頬にさっと朱が差したのを見て付け加える。
「恥ずかしいかもしれませんが、あれは誓いの言葉を永遠に封じ込めるという意味があるのだそうですよー?」
 大丈夫、ただ待っていれば新郎が上手くやってくれる……多分。

 支度があらかた終わったところで、隅に控えていた二人が進み出る。
「この世界の結婚式では、四つのものを身に着けると幸せになれると言われているらしい……そんなものがなくとも息子には責任をもって幸せにさせるが、一応な」
 ひとつは何か古いもの、ひとつは何か新しいもの、ひとつは何か借りたもの、ひとつは何か青いもの。
「これは私がかつて身に着けていたものだ」
 リュールはカノンの首に真珠のネックレスを着けてやった。
 ダルドフが大事にしまい込んである古い絵を確かめれば、同じものが描かれていることが見てとれるだろう。
 天界由来だから素材は異なるのかもしれないが、見た目は真珠そのものだ。
「新しいものは、このドレスですね」
 ユウが言った。
「レンタルではなく、買い取りのバージンドレスなんですよ」
 サイズ調整その他は例によって商店街の皆さんが頑張ってくれました。
 もっとも、彼等にとってはレンタルよりも買い取りのほうが実入りが良いという、現実的な打算もあるのだろうけれど。
「先生が年末あたりから金欠アピールしていたのは、そのせいだったのかもしれませんね」
 どうやらその頃から貯金を始めていたようだ。
「それがある程度の額になったらプロポーズするつもりだったらしいが……いや、何が起こるかわからんな」
 リュールがくすりと笑う。
「そしてこちらは、私の友人ご夫婦からお借りしましたー♪」
 アレンが真っ白なハンカチを差し出す。
 そして最後のサムシングブルーは、左手の薬指に光る婚約指輪のブルートパーズ。
 トパーズは花嫁の誕生月である11月の誕生石だ。
「花嫁さんの指を飾るに相応しいのです。章ちゃんも何も考えていないように見えて、実は色々考えているのですねー?」
 ただの偶然かもしれないけれど。
 もうひとつ、幸せの6ペンスコインは花婿の胸ポケットに忍ばせてあった。

「いよいよですね、カノンさん」
 緊張で声も出ない様子のカノンに、ユウがそっと微笑みかける。
 アレンが控え室の扉に手をかけた。


●カウントダウン

 控え室の前にはゲスト達が人垣を作っていた。
 その真ん中に、精一杯のおめかしをした新郎が落ち着かない様子で立っている。
 上品な光沢のある白のタキシードに、青みがかった明るいシルバーグレーのベスト、同色のタイとチーフ。
 いつも奔放に跳ねている髪は、その癖を生かしてフォーマルなスタイルにまとめてある。
 プライベートでは殆どかけることのなくなった眼鏡は今日もお休みだ。
「先生、格好良く決まってますよ!」
 格好だけは何とか決めたものの、あけびの言葉にカクカクと頷く様子はまるで機械仕掛けの人形だった。
「そんな時は深呼吸ですよ深呼吸!!! はい、ひっひっふー!!!」
 ダリアに言われて大きく息を吸い込んでみるが――
「げほっ」
 むせた。
 大丈夫なのかな、この人。
「いや、寧ろ安心したぞ……ある意味、いつも通りだ」
「それもそうであるの」
 こくり、付き合いの古いミハイルと樹が真顔で頷き合う。
「なら少し弄ってやるとするか」
 藤忠が進み出て、その肩を軽く叩いた。
「お前と会えて良かったと思っている。ここにいる皆そうだろう。幸せになれよ」
 それを引き金にあちこちから手が伸びて、肩や背中を叩いていく。
 中には遠慮なく髪を掻き混ぜる者もいて――
「あっ、こら、せっかくセットしてもらったのに……!」
 美容師さんの手間を増やすんじゃありません!

(「さて、こんな祝いの席に俺がいても良いものか、まあ誰も気にしないだろう」)
 その様子を人垣の後ろから遠目に眺め、ディートハルトはポケットの酒に手を伸ばしかけて……やめた。
 教会内で飲酒は禁止だったか。
 披露宴までは我慢だと自分に言い聞かせ、ディートハルトは一足先にチャペルの中へ吸い込まれていった。

(「わたくし門木先生のファンを卒業しますわ」)
 ファンと書いてストーカーと読む。
 メイドニンジャ凛は、人垣の後ろからそっと祈りつつカメラを構える。
 間もなく花嫁が控え室から姿を現す、その瞬間を捉えるために。

 そして、扉が開く。
 まるで暗いトンネルを抜けて雪の原野へ踏み出すように、真っ白な光が溢れて広がる。
 その眩しさに、門木は思わず目を閉じた。
 周囲からはゲスト達が息を呑む様子が伝わってくる。
 溜息や歓声が耳の中でぐるぐる回っている。

 きっとさぞかし美しいのだろうと高まる期待。
 それだけに、見てしまうのがもったいなくて、ますます目が開けられなくなる。
 が、誰かに肘をつつかれて、反射的に前を見た。

 全てが白く輝く中、漆黒の瞳に魂が吸い寄せられる。
 純白のドレスは大胆に肩を出したハートカットだが、その上にレースのノースリーブをあしらってあるので露出はそれほど高くない。
 ドレス本体はシンプルなスレンダーラインの上に、オーガンジーのギャザースカートを重ねることで華やかさを加えてある。軽く透明なそれがふわりと広がってAラインにも見えた。
 肘上丈のグローブはオーガンジーのフィンガーレスタイプ。
 二人でカタログを見ていた時に、指輪の交換時に外す必要がないのでドジを踏む危険が減ると、冗談で言っていたのを思い出す。
 そう言えばドレスも、門木が「いいな」と言っていたタイプだった。
 手にしたブーケは流れるようなカスケードタイプ、主体となっている白い花はユーチャリス――11月2日の誕生花だ。
 殆どベールの下に隠れた髪はハーフアップにまとめ、編み上げた後ろ髪にもユーチャリスの花飾りが添えられている。
 両サイドは耳の前から胸に垂らし、残りは背中に。前髪は軽く額にかかる程度を残してティアラで留めてあった。

 しかし、そんな細かな観察がすぐに可能だったわけではない。
 それどころか――

「章治先生、口からなんか出てます!」
 あれはまさか魂かと、あけびが慌てて声をかける。
 が、その程度で戻るような半端な抜け具合ではなかったようだ。
「おい章治、倒れるんじゃないぞ!」
 藤忠が背を支え、あけびが目の前でパタパタ手を振ってみる――が、まるっきり見えていない様子。
「門木先生、し、しっかり!」
 藍があわあわと狼狽えながら、傍らの健司をバシバシ叩く。
「ど、どうしよう健司!」
「どうしようって、俺に言われても」
 仙也がそれを引き戻そうと魔戒の黒鎖の狙いを付けるが……引き戻すどころか消滅しませんか、それ。
「まったく、しょうがないな」
 人垣の後ろから、ひりょがふらりと前に出た。
 純粋に祝福したいと怪我をおして駆けつけたものの、祝いの席で包帯だらけの姿をさらすのもどうかと遠慮していたのだが――
(「これが、今の俺に出来る精一杯の激励です……!」)
 体の痛みに耐えながらハリセンを振り上げ、門木の後頭部へ――ぽふっ!
 同時に、頭の中に愛梨沙の声が響く。
『花嫁の一生に一度の想い出を台無しにするつもり?!』
 中と外からのダブル攻撃はさすがに効いた。
「門木先生。見とれるのはわかるけど、花嫁さん、待たせちゃだめだよ?」
 苦笑いを漏らしながら、ひりょが背中を押す。
「ほら、何か言ってあげること、あるんじゃない?」

 軽く押されただけで、門木は何かにつまづいたように前へつんのめる。
 膝が大笑いしているが、それでも何とか踏ん張った。
 顔を上げ、改めて花嫁を見て……再び抜けそうになった魂を引き戻す。

「……、……きれい、です。とても、きれい……」
 やはり、それしか言えない。
 ボキャブラリーは魂よりも先に、どこかへ飛び去ってしまったようだ。

(「なんも言われんようになるんは、誰でも同じなんやね」)
 ハーフ式を終えたいばらが、バトンタッチをするようにその背をぽんと叩いた。


●永遠の誓い

 ゲスト達が先に着席したところで、入場前にベールダウンの儀式を行う。
 本来なら花嫁の実母が担う役割だが、ここではリュールがその代わりをつとめる。
「私はお前の母ではないし、これからも母と呼ばれることを強要はしないつもりだが……」
 今だけは、母として言わせてもらおう。
「私の息子と出会ってくれて、ありがとう。幸せになれ」
 そう言って、顔の前にそっとベールを下ろす。
 それを再び上げることが出来るのは、両親に代わって花嫁を一生守り続けると誓った花婿のみだ。

 一生に一度の日、優しく添える様な音を贈りたい。
 その想いを込めて、藍はオルガンの前に座った。
 スーツの乱れを直し、呼吸を整えて――まずは最初の一音を。
 奏でられる荘厳なメロディに導かれるように、新郎新婦がバージンロードを進んで来る。
 足下を慎重に確かめるように、一歩ずつ、ゆっくりと。
 頑張れ、頑張れと祈りながら、藍は鍵盤の上に指を踊らせる。
 二人の歩調に合わせて、急がず、焦らず、そっと寄り添うように。

 やがて二人は祭壇の前で立ち止まる。
 そこで待っていたのは神父でも牧師でもなく、司会者のラファルだった。
「ようこそ祭壇へ……ってのも変か」
 ラファルはいつものペンギン帽子に、学園の儀礼服。
 フリースタイルの挙式だから、このあたりも形式には拘らないのだ。
「えー、それでは、ここにいるゲストの全員が、この結婚の証人となります」
 既に証明書へのサインは終えている。
 後はそこに本人達のサインを入れるだけだ。
「まずはゲスト達が頭をひねって考えた誓いの言葉を読み上げますので、新郎新婦はそれに応えてください」

「二人はいついかなる時も決してその手を離さず、尊敬と信頼をもって互いに助け合い、支え合って、その命が尽きるまで、共に幸せに生きることを誓いますね?」

 もはや問いかけではなく、ただの確認だった。
 二人は測ったようにタイミングを合わせ、同時に答える。
「「全てを賭けて、誓います」」

 続いては指輪の交換。
 シンプルなプラチナの指輪の内側には、互いに相手の名前が彫られている。
 ひとつは「Kanon Elnasia」
 もうひとつは「Elnajasho Kanan Caduceus」
 細身のところに字数が多いため、普通はイニシャルだけになりそうなところを、職人さんが根性で頑張ってくれたものだ。
 緊張して上手く動いてくれない指先を心の中で宥めたりすかしたりしながらの悪戦苦闘の末、それは何とか互いの薬指に収まってくれた。

「えー、指輪の交換が無事に済んだところで、ここに門木章治、本名エルナハシュ・カナン・カドゥケウスと、門木カノン、本名カノン・エルナシア両名の婚姻が成立したことを宣言……するけどお前らちょっと待て、焦るな」
 ラファルは逸るゲスト達を宥めるように、両手で「落ち着け」のポーズをとる。
 クラッカーを鳴らし、花や紙吹雪を撒き散らそうとしていた手がぴたりと止まった。
「まだ最大の目玉が残ってるだろう? ってことで、さあ、両者向き合って近いのキスを!」

 宣誓と指輪の交換、婚姻の宣言までは沈黙を守っていたオルガンが再び鳴らされる。
 背筋を伸ばしたまま軽く膝を曲げた花嫁のベールを、花婿がそっと持ち上げて後ろに垂らした。
 軽く手を取り、一歩近付いて――そっと唇を重ねる。

 その瞬間、見守る女性達の多くが胸の中で「きゅんっ」と鳴る音を聞いたに違いない。
 女性だけに限ったことではないかもしれないけれど。

 タイミングを見計らい、ラファルが指揮者のようにさっと腕を振り上げる。
 途端に「パァン!」という景気の良い音がチャペルの中に響き渡った。
 おめでとうの声があちこちから響いて来る。
 BGMも入場とは逆にアップテンポで軽快なものに切り替わった。
「お、この調子なら俺も行けそうじゃん?」
 パイプオルガンにはこちらのほうが合いそうだと、健司はトロンボーンを構えて藍の隣に立った。
 それに気付いた藍は「待ってました」とばかりに笑顔で視線を投げてくる。
「じゃあいくよ、ちゃんと付いてきてね!」
「俺を誰だと思ってんだ?」
 想定外のセッションだったが、まるで何度も練習を重ねたように息はぴったりだった。

 厳かな空気は弾ける音の洪水に吹き飛ばされ、チャペルはもうお祭り騒ぎ。
 その気分に乗せられたのか、門木は花嫁をひょいと抱き上げた。
 非力ではあるがそれは撃退士に比べてのことであって、一般男性として見劣りしない程度の力はある……と思う。
 本来なら二人で歩くところを、お姫様抱っこのままで歩いて行く。
 通路の両脇から、前から後ろから、フラワーシャワーやライスシャワー、紙吹雪やフェザーシャワーと、ありったけのものが降り注いできた。
 司会のラファルもその座を放り出して、カラフルな五色米をぶちまける。
「なんでって忍軍だからな!」
 なに、意味がわからない?
 五色米ってのは忍者が暗号に使ったものって言われてんだぜー。

「幸せそうなカップル……羨ましいですわ……教師と生徒の垣根を超えた愛……素敵」
 暫し撮影の手を止めて、凛はその姿に見入っていた。
 ほうっと溜息を吐き、ここにはいない片思いの相手を思い出す。
 乙女たるもの、やはり花嫁姿には憧れるもの。
 自分もいつか、あんなふうになれるだろうかと思いを馳せる。
「あァ〜わかるわァ〜、その健気でいじらしい乙女心!」
 気が付けば、マッチョなお姉さん……いや、お兄さんに両脇を固められていた。
「アナタも苦しい恋をしてるのかしら」
「でもメゲちゃダメよ、いつかきっとアナタの恋も実を結ぶわ!」
「そう、アタシ達の恋もきっとね!」
 オカマッチョの三人に囲まれて、凛は現実へと引き戻された。
 そう、今日は裏方仕事に専念すると決めたのだ。
 なのについ、本当は誰かに気づいて欲しい、なんて思ってしまったのがいけなかった。
 だからこんな人達が吸い寄せられて来るのだ。
 気付いてもらえたのはそれなりに嬉しくないこともない、けれど。
(「お二人ともお幸せに」)
 そんな祈りを置いて、凛は再び影の中へと消えていった。

(「結婚……かぁ……。幸せになってくださいね」)
 心の中でエールを送りつつ、ひりょは目の前を通りかかった二人に花の雨を降らせる。
 その幸せそうな様子を見ていると、傷の痛みも忘れてしまいそう……な気がしたのは、気のせいだったけれど。

(「どうやら無事に済みそうだな」)
 仙也はかつて聞いた話を思い出し、ほっと一息。
(「挙式まで無事に終われば一安心と、式直前に婚約破棄になって相手を十分の九殺しにした鬼b……お姉様が言ってたし」)
 しかも手を真っ赤に染めて。
 このカップルにはそんな心配は無用かもしれないが、人生いつ何が起きるかわからないものだ。
 しかも結婚したからといって相手を十分の九殺しにする理由や機会がなくなるわけではない。
(「長く付き合えば、それだけ色々と溜まってくるものだろうし」)
 まあ、めでたい席ではこれ以上の不吉な妄想は御法度か。
 ともあれ、この幸せが少しでも長く続くことを祈っておくとしよう。


●次の一歩へ

 ミハイルと沙羅が並んだところに差しかかった門木は、そっと花嫁を下ろした。
「おう、おめでとう!」
「おめでとうございます、お二人とも」
 祝福に応えた二人は何事かを目で合図し合う。
 無言のやりとりを終えて、カノンは沙羅の目の前に立った。
「沙羅さん、どうぞ……受け取ってください」
 花嫁のブーケを受け取った女性は近いうちに結婚できるという言い伝えがある。
 本来なら誰が受け取るかわからないように後ろ向きに投げるものだが、今回はどうしても渡したい人がいた。
「私に、ですか……?」
 頷いたカノンは、その視線をミハイルに向ける。
「私達の事ばかりじゃなく、ご自分の事もしっかりしてくださいね」
 背中を押されたお返しだ。
「戦友に幸せになってほしいのはこちらも同じですから」
「崖っぷちだな、ミハイル」
 門木がその肩を叩く。

「ミハイル殿」
 いつのまにか傍に来ていた樹が、いつになく真剣な表情で言った。
「わしに言える事は少ないであるが、お主も知っての通り命はいつかなくなってしまう」
 めでたい席で口にする台詞ではないと思われるかもしれない。
 だが、めでたい席だからこそ、苦い現実に正面から向き合うことも必要だった。
「心から愛する人と共に在りたいと思うなら、そして相手もそう思ってくれるのなら、互いに生きて笑い合える時間を手放さないでほしいんだの」
 それは近くで聞いていた門木にとっても他人事ではない。
 思わずカノンの手をそっと握った。
「大切なのは、背負った痛みの分だけ今傍にいる人を幸せにするかどうかだと思う」
 樹はミハイルの過去に何があったのかは知らない。
 彼に限らず、詳しく知る者はいないのかもしれない。
 しかし、何かを抱えているだろうことは察していた――恐らく、誰もが。
「その覚悟さえあれば大抵の事は乗り越えられる。多分だけどの!」
 そして樹はにこっと笑うと、手にした籠を逆さにぶちまけた。
「それはそうと門木殿カノン殿、改めておめでとうなんだの!」
 二人の頭上から、きのこシャワーが降り注ぐ。
「きのこ型のお菓子なんだの、個包装だから美味しく食べられるであるよ!」
 さすがブレない。


●披露宴

「結婚式、上手くいったね!」
「ああ、でもまだ気ぃ抜くんじゃねぇぞ。俺らにとっちゃ披露宴こそ本番みてぇなもんだからな!」
「大丈夫、わかってる!」
 ブルーのワンピースに着替えた藍は、木陰に置かれたピアノの前に座る。
 その隣に細身のネイビースーツにスリムな黒タイ、ブルーのチーフを胸に挿した健司が立つ。
 そろそろお色直しを終えた新郎新婦が姿を現す頃合いだ。
「噂をすれば、お出ましだぜ?」
 それを合図に、二人は入場用に決めておいた華やかな曲を演奏し始める。

 二人はしっかりと手を繋いで教会の階段を下りて来た。
 門木は先ほどとは色合いを逆転させた明るいシルバーグレーのフロックコート。
 カノンは基本のドレスは同じだがレースのノースリーブを空色の長袖ボレロに替え、オーバースカートも同色のオーガンジーを一枚重ねただけで、先ほどよりもかなり動きやすくなっていた。
 胸元にはガラスのネックレス、髪はそのままにティアラを花冠に替えてある。

 ゆっくりと階段を下りた二人の前に、丸い台に乗せられた巨大なケーキが静々と運ばれて来た。
 運び手は大体同じくらいの身長ということで選ばれた、ミハイルとディートハルト、そして藤忠の三人だ。
「台車で運ぶ手も考えたんだが、ガタガタ揺れて崩れそうだからな」
 丸い台を三人で持ち、バランスを崩さないように一歩ずつ、ゆっくりと。
「やれやれ、目立つつもりはなかったんだがな」
 ディートハルトがぼやくが、元々は何か手伝うつもりではあったのだ。
 まだ酒も入っていないから足下もしっかりしている。
「何を言ってる、祝いに来たなら堂々と祝って行けばいいだろう」
 ミハイルに言われても、遠く霞むような笑みを浮かべて首を振った。
「いや、遠慮しておくよ。気の利いた祝いの文句なんか持ち合わせていないのでね」
 全部アルコールに浸ってしまったと自嘲する。
「後は邪魔をしないように飲んでいるとしよう、美しく眩しいものは、眺めるにかぎる」
「そうは言っても、章治が放っておかないだろうさ」
「さて、ね」
 広場の真ん中にケーキを置くと、ディートハルトは軽く手を振って人混みの中に紛れていった。

「それでは改めて、おめでとうございます!」
 ラファルの司会で披露宴が始まった。
「まずはお二人の前途を祝して乾杯!」
 続いては定番、披露宴のメインイベントとなる初めての共同作業だ。
「お二人心を一つにウェディングケーキご入刀です」
 はい新郎は右手でナイフを持って、左手は新婦の腰に、新婦は新郎の手にそっと両手を添えて!
「シャッターチャンスですのでカメラをお持ちの方は前へ!」
 二人で息を揃え、ゆっくりとナイフを入れる。
「はい、引き続いてファーストバイトです」
 いわゆる超恥ずかしいらぶらぶ食べさせあいっこですね!
「皆さま、私が『せーの』と言いましたら『あーん』と掛け声を――」
「いや、ちょっと待って」
 おや、ここで新郎から待ったがかかりました。
「さすがにそれは、遠慮したい」
「もー、しょーがねーなー」
 地が出た司会者、しかし主役がそう言うなら仕方がない。
 いくらギャラリーが楽しみにしていたとしても、ここは大人しく諦めよう。
「ってことで後はフリータイムだ、各自で勝手に楽しんでくれ!」
 司会者、遂に匙を投げました。
「ちげーよ余興の準備だよ」

 そして始まる古典的だが伝統のおめでた芸「松竹梅」……って知らない?
 落語だよ落語、聞いたことない?
 じゃあ耳の穴かっぽじって、よぉく聞いときな。

 ここで藍と健司は、ピアノとトランペットで落語の出囃子を真似るという芸当をやってのけた。
 それに乗って、松っぽい色の肩衣を着けた裃姿のラファル、竹っぽい以下略の藤忠、梅っぽいあけびの三人がテケテンテンと現れた。
 元は松さん竹さん梅さんというめでたい名前の三人が結婚式に招かれて、余興を披露する噺である。
 オリジナルは三人の失敗談だが、ここは綺麗に収まったことにして。
「なったーなったー者になったぁ、当家の婿殿者になったぁ♪」
「なんの者になられた?」
「長者になぁられた♪」
 それをラファルは南京玉すだれ、藤忠は皿回し、あけびは傘回しを披露しながら語る。
「おめでとうございます。これにてお開きに致しましょう」
 テケテンテンテン……
 いや、披露宴はまだ終わらないけどね!?

 三人が余興を演じている間に、こちらではケーキが取り分けられていた。
「すごいな、これ……皆で作ったのか」
「そうなんだの!」
 門木に言われて樹が誰がどこを作ったか懇切丁寧に説明してくれるが、本人がどこを担当したのかは聞くまでもなくわかる。
 真ん中のプリンもわかりやすいが、この最上段に血文字のようなメッセージを書いたのは誰ですか。
「はいっ!!! 赤い文字はおめでたいって聞きました!!!」
 確かにそうだけど、これ……唐辛子ペーストか何かだよね?
「いいえ、七味ペーストです!!!」
 似たようなものだな。
「わかった、この最上段は丸ごと全部ダリアに進呈しよう……このたい焼きも含めてな」
「ええっ、どうしてそれがたい焼きだとわかったんですか!!! これほど完璧にシャチホコに擬態しているというのに!!!!!」
 そう主張するダリアはとりあえずそっとしておくことにして、二人はケーキのなるべく普通っぽい部分を取ってゲスト達に配っていく。
 一番まともそうなのはイチゴ満載の二段目だろうか。
 いや、他の部分もケーキとしては美味しく出来ていると思うんですよ、七味ペースト以外は。
 シロップ漬けのきのこも案外食べられたし、真ん中のプリンも好きな人には良いと思うんです。
 でもほら、お客様にお出しするものですから、ね。

 というわけで、ケーキを持って各テーブルに挨拶回りに行ってきまーす。

「よし、これで一段落かな! お疲れさまー!」
 一通りの演奏を終えた藍は健司とハイタッチ。
「みんな楽しそうだし、上手くいったよね?」
「ああ、上出来だ」
 互いの健闘を称えたら、後はゲストとして食事を楽しもう。
 ピアノを離れてテーブルに着こうとした時、新郎新婦の姿が見えた。
「あ、門木先生、カノンさん! おめでとうございました!」
「よ、おめっとーさん」
 祝福に礼を言い、二人は改めて演奏への感謝を告げる。
「実を言うと、緊張して殆ど耳に入らなかったんだけどな」
「あー、ほんとガッチガチでしたもんねー」
 見ているほうも心配で心配で、演奏にも余計に気合いが入ったと藍が笑う。
「それで、今はどうです? もう緊張とけました?」
「まあ、さっきよりは……」
「じゃあ今度はちゃんと耳に入るかな?」
「だな、なんかリクエストあったら応えるぜ?」
 二人はそう言ってくれたが、今から食事にするところだったのでは?
「いいって、一曲やるくらいの間じゃメシは逃げやしねーからな」
「うん、それよりお二人に楽しんでもらうほうが良いな!」
 そう言われて、せっかくの厚意だからと甘えることにした。
「じゃあ……あれ、出来るかな。カノンと同じ名前……」
「あ、これですか?」
 弾き始めたのはパッヘルベルのカノン。
 そう、これだ。
 トランペットとの共演は初めて聞いたけれど、確かにこのメロディだ。
 彼女と名前が同じだからと興味を持って聞き始め、今ではお気に入りになった一曲。
 まったく、どんだけ彼女が好きなんでしょう。
「いいなあ、どうかお幸せに!」
 二人の様子に目を細めながら、藍は楽しそうにピアノを弾く。
 その横で、健司もまた流れる音に気ままに身をゆだねていた。

「お二人がいつまでも幸せにあることを祈っています」
 ユウは心から嬉しそうにそう告げた。
 しかし次の瞬間、後ろ手に隠し持ったハリセンをちらりと見せる。
「先生、カノンさんを悲しませたらハリセンですよ?」
 めっちゃ笑顔でそう告げた。
「大丈夫だ」
 ハリセンが怖いからではなく、その笑顔が怖いからでもなく。
「覚悟は出来てるから」
 もう二度と、悲しい思いや辛い思いはさせない。
 そのために自分は今ここにいるのだから。
 きっと、そのために生かされてきたのだから。

「兄様、おめでとう」
 愛梨沙は相変わらず無意識に、天使の微笑みをその顔に貼り付けていた。
「ん、ありがとう」
 応える門木のほうも自然と言葉少なになる。
 だが、きっと無理をして祝いに来てくれたのだろう。
 それに対して何か気の利いた言葉を返さなくてはと思うのだが――
「……あー……、どう、だった?」
「うん、兄様は格好良かったし、カノンは素敵だったし……でも、ブーケトスがなかったのはちょっと残念だったかな」
「そうか、ごめん」
「ううん、初めて知ったから、どんなものか見てみたかっただけ」
 暫く会話が途切れた後、門木は再び口を開いた。
「今日はありがとうな。来てくれるとは、思ってなかったから……」
「あたしがお祝いに来たんだから、兄様もカノンも幸せにならなかったら承知しないんだからね?」
 はい、肝に銘じます。

「先生覚えてるかな」
 包帯だらけのひりょは笑いながら言った。
「去年の夏だっけ。俺、先生に親の仇みたいな勢いで睨まれて」
 はい覚えてます、しっかり覚えてます。
「いや、あの、その節はどうも……たいへん失礼いたしましたっ」
「いや、べつにそんな敬語で謝らなくてもいいんだけど」
 ああ、笑うと傷に響く。
「あの時はわからなかったけど、先生ヤキモチやいてたんだね」
 はい、その通り。
「とにかく……よかったね、大好きな人と一緒になれて」
 お幸せに、と軽く手を振る。
 あ、もし先生の気が済まないなら、ケーキのお代わりとか持って来てくれても良いんだけどな。
 ほら俺この通りであんまり動きたくないし動けないし。
「はい、ただいまお持ちします!」
 ついでに料理もお運びしましょうか?

「やあ、ショウジ」
 二人の気配を感じて、隅のテーブルでひとり祝杯を傾けていたディートハルトはひょいとグラスを掲げる。
「ディート、久しぶりだな。今日は来てくれてありがとう」
「なに、ちょうど暇だったものでね」
 つい珍しくふらふらと足を向けてしまったが、今では少し後悔していると苦笑い。
「今の俺には眩しすぎるな、君は」
 だがそう感じるのは自分が暗がりに慣れすぎたせいで、光を放つ者達に非があるわけではない。
「よければ乾杯を、君のこれからに」
「ありがとう……カノンも一緒に、いいかな」
 返事の代わりに酒瓶を持ち上げたディートハルトは、三つのグラスにその中身を注いだ。
「あ、カノンはあまり強くないから……」
 それを聞いて、ぴたりと手が止まる。
 三つ目のグラスには底から1センチ程度しか入っていない。
「乾杯にはこれで充分だろうさ」
 グラスを取り上げ、目の高さまで差し上げる。
 互いのグラスが触れ合い、軽やかな音が響いた。
「さよならをするんだ、これまでの気儘な人生に」
「……ディートは?」
「俺はもう少し、このぬるま湯に浸っているよ」
 一気に煽り、グラスを置く。
「さて、俺から一つ忠告を」
 酒臭い息を吐き、続けた。
「この先、悪い付き合いは、程々に」
「……ありがとう。でも俺は、悪い付き合いなんてした覚えはないし、これからもしないつもりだ」
 だから。
「また気が向いたら、いつでも顔を出してくれ。待ってるから」
 それと、もうひとつ。
「俺からも忠告をいいかな」
「何かな」
「この先、酒は、程々に」
 ククっと喉を鳴らす音が聞こえた。
「それは出来ない相談だ」
 酒が切れたら死んでしまうとディートハルトは笑う。
 それがまんざら冗談でもないように聞こえた。

 一通り回って戻って来ると、誰の胃袋に消えたものか、大きなケーキは殆ど跡形もなく消えていた。
 代わりに様々な料理の数々がテーブルを埋め尽くしている。
 メインディッシュ担当の仙也は、仕事関係のコネで雌雄一対の鴨を手に入れていた。
 それを使って、まずは厚切り肉を鴨カツに。
 調理の要領はチキンカツと殆ど変わらないが、鴨にはブロイラーでは出せない独特の味の濃さや旨味がある。
 油で揚げるのはそれを閉じ込めるために最適な調理法だろう。
 鴨のローストは花状に並べて、飛び散って汚れないようにジュレ状のソースを添える。
「どれも切らずに食べられるように、一口サイズにしてあります」
 なので、あーんも出来ますよ?
「あとソースは二種類、下味も雄雌で香辛料を替えてみました。同じ味ばかりだと飽きてきそうですから」
 それに、二人でつつくのに丁度良いくらいの小さめの鴨鍋をいくつか。
「後は縁起物っぽく鯛とエビを使ってアクアパッツァを作ってみました」
「あっ、それはもしや私の塩焼きさんでは!!!??」
「いいえ、違います」
 ダリアの叫びに仙也は首を振る。
「あの鯛はこちらです」
 宣言通り、鯛飯とあら炊き、それに潮汁をどーん!
「ソレジャ、改めて乾杯トいこうカ」
 勇太が音頭を取って、皆でグラスを合わせる――もちろん未成年はジュースやお茶だが。
「キャプテン・カドゥーキ、カノン=サン、それにミハイル、コングラッチュレイション、おめでとうネ!」
「待て勇太、何故それを蒸し返す!?」
 それは秘密にしてあるんだから、だめだよバラしちゃ!
「OH、夫婦の間に秘密あるの良くないネ? カノン=サンには後でアドレス教えるカラ、見てみるといいネ」
 旦那様の恥ずかしい勇姿がいっぱいあるヨー?
「それはいいが勇太、何故俺にもおめでとうなんだ?」
「ああ、ソレはお祝いの先取りネ、ブーケを受け取ったラ、もう秒読みダロウ?」
「さあミハイルさん!!! 今のお気持ちをどうぞ!!!」
「おー、突撃インタビューか。いいねぇ、俺らもやるか!」
 ラファルはあけびを引っ張って立ち上がる、が。
「待ってラル、まだ仙也君の料理が! 私まだ一口も食べてない!」
 色気もいいけど、まずは食い気でしょう!
「しょーがねぇな、じゃあ先に食ってからにすっか」
「そうそう、腹が減っては何とやら!」
 というわけで、いただきまーす!
「うん、美味しい! やっぱり料理上手だね!」
 え、お腹が空いてるからだろうって、そんなことないよ、さっきケーキ食べたばっかりだし!
「そうです、ミハイルさんには特別なお料理を用意したのですよ!!!」
「どうせピーマンだろう、わかってるぞ」
「はっ、何故バレたんですかね!!!?? ミハイルさんエスパーですか、スパイですか!!!??」
 最後のそれはまあ、間違っていないこともないけれど、とりあえず違うと言っておこう。
「とにかく食うぞ、腹が減った! そして飲むぞ!」
 だがピーマン、お前はだめだ。

「……足りなければ、どんどんお持ちしますので……遠慮なく言ってくださいねぇ……」
 もうひとりの料理人、恋音が新しい皿を並べていく。
 こちらはあまり手の込んだものではなく、ごく普通の家庭料理がメインだった。
「……かなり人数が多くなりましたから、食材に不安があるかと思いましたが……どうやら大丈夫のようですねぇ……」
 その人数が増えた要因である商店街の皆さんのおかげで、豊富な食材が手に入ったという一面もあるのだが。
 おまけに地元の料亭から魚屋まで、あらゆるレベルと種類の料理人の手も増えて、その技を吸収する機会も増えたとあって、恋音としては思わぬ収穫だった。
 なお新郎の好みに合わせて味付けはお子様向けである。
「良かったですねぇ紫苑サン、食べられるモンがいっぱいありますよ」
「べつにおれは、オトナの味でも問題ありやせんけどね!」
 知ってる、こういうところの食事はものすごく美味しいって。
「まあ、あんまり食い過ぎて腹ァ壊さねぇようにしてくださいよ?」
「兄さん、今度おれを子供あつかいしたら、二度とクチきいてあげやせんぜ!」
「それは困りますが、紫苑サン実際子供でしょォが」
「おれのドレス姿見て鼻の下伸ばしてたのは、どこのどちらさんでしょうねぃ?」
 そこを突かれると、ちょっと痛い。
 早く大きくなってほしいような、もう少しゆっくりでもいい、ような。
 ダルドフもやはり、こんな気持ちなのだろうか。

「……こうして皆と一緒に祝えるなんて幸せだなぁ」
 美味しい料理に舌鼓を打ちながら、あけびはしみじみと呟いた。
 こんな平和な日々がずっと続けば良いけれど、そうはいかないこともわかっている。
(「章治先生も新婚旅行はお預けみたいだし……」)
 早く何の気兼ねもなく皆で笑える日が来るといいのに。
 そんな中でも、楽しめる時はしっかり楽しむけれど。
「私との記念撮影、一回三千久遠です!!!!」
 じっと座っていることに飽きたらしいダリアが暴走を始めている。
 あれは止めるべきなのか、それとも面白いから放っておくべきなのか……いや、やっぱり止めよう。
「ダリアちゃん、自棄になっちゃダメだよ! 自分を売り物にするなんて、三千久遠じゃ安すぎるから!」
「あけび、問題はそこで良いのか?」
 結構な勢いで酒杯を煽りながら、藤忠がツッコミを入れる。
 まあ、楽しそうなら良いか。


●夢見る二人

「ね、多門サン、折角なのデ、ドレスの試着色々してモ良いですカ?」
 結婚式を見学した桜華は、多門の腕を引いて試着コーナーへとやって来た。
 本物の結婚式で幸せそうな二人を見て、気分は最高潮。
「そうだな、俺の正装はともかく、桜華のドレス姿はとても似合うだろう」
「多門サンも着てみるのでスよ!」
「俺もか?」
「バージンロードは二人デ一緒に歩くものでスよ?」
 そう言われては、断れない。
「まあ、俺はいつものダークスーツとそう変わらないだろうが……」
 そして始める着せ替えファッションショー。
 Aライン、マーメイド、エンパイア、プリンセスラインなどなど、タイプを変えて、襟や袖の種類を変えて、或いは素材を変えて、次々に袖を通してみる。
「スリムなタイプはいつものチャイナとあまり変わらない気がしまスね」
 やっぱりどうせなら思い切りヒラヒラしたものが良いだろうか。
「多門サンはどれがお好みでスか? ……多門サン?」
「あ、ああ……どれも似合ってるぞ」
「じゃあ、コレはどうでス?」
「ああ、似合ってるぞ」
「こちラは?」
「ああ、似合ってるぞ」
「コレは……」
「ああ、似合ってるぞ」
 それはもう嬉しそうに色々なドレスを試してみる桜華の姿に、それを嬉々として見せに来るかわいらしさに、そして美しさに、多門はもうただただ似合ってるぞとしか言えないマシーンと化していた。
 ここにもいました、ボキャブラリー喪失患者。
 これは全ての男性に共通の病なのかもしれない。
「もう! どれも良い、じゃ決まりまセンよー」
「いや、すまない」
 しかし本当にそう思うのだから仕方がない。
 せめてもう少し語彙やら表現力やらがあれば良いのだが。
「勿論嬉しいでスけども」
 桜華はにこりと笑い、くるりと回って多門の腕に絡み付いた。
「……ふふ、じゃあ、本番の時マデには一緒に決めまショうね?」
 今はこうして寄り添って、赤い絨毯の上を一緒に歩けるだけでいい。
 遠くない未来に訪れる日を夢見て――
「次に訪れる時は二人の本番の時だといいな」
「……ハイ」


●そして――

「あー、美味しかったぁ」
 お腹いっぱいに美味しい料理を詰め込んで、藍は満足そうに大きく伸びをする。
 そんな彼女の様子に目を細めた健司は、ふと思いついたようにポケットから何かを取り出した。
「ああ、藍にこれやるよ」
 手渡したのは幸せを呼ぶという6ペンスコイン。
「え、なに? わ、コイン貰っていいの?」
「藍の結婚式の為に取っておきな。だれと、とはいわねぇけどな」
「誰って……」
 ふと脳裏に浮かぶ「誰か」の顔。
「もう!」
 バシィ!
 頬を真っ赤に染めた藍は、照れ隠しに健司の背中を思いっきり叩く。
「げふっ!」
「あ、ごめん……! ええと、あの……」
 深呼吸をひとつ。
「……ありがとう、大事にするね」
「おう」
 背を向けたまま、健司はぽつりと答える。
(「大事な女の背中は押すもんだぜ」)
 損な役回りだが……まあ、悪くはない、か。

 ミハイルが「少し歩かないか」と沙羅を誘ったのは、宴も終盤の頃。
 人目のない木陰で告げる。
「今日はずいぶんと背中を押しまくられたが……」
「ええ、ブーケまでいただいてしまって」
 しばしの沈黙。
「俺、沙羅を大切にしたいから。だから……ほんの少し、待っていてくれないか」
「ええ、ありがとうございます。私もまだこれ以上の幸せには足踏みをしてしまいそうなので、私達は私達のペースで行く事が出来ればと思います」
 でも、式場の予約くらいは……してもいい、かも?

 人目はない。
 ないと思っていた。
 しかし、家政婦は……じゃない、クリスは見た。
「やん。あの仕草かわいい〜」
 覗きじゃないよ!
 未来のために、お姉さん達の立ち居振る舞いを目に焼き付けてるだけだよ!


 そして広いテーブルの片隅には、晴れて夫婦になったばかりの二人が残されていた。
「すごい一日だったな……」
「ええ、本当に目まぐるしくて……目が回りそうでした」
 今も少し、くらくらしているかもしれない。
「大丈夫? 疲れてない?」
 問われて、花嫁はこくりと頷く。
 あまりに慌ただしくて、正直まだそれほどの実感はない。
 けれど重ねた手に光る指輪を見れば、夢ではないのだという思いが少しずつ膨らんでくる。
「思わず一歩進みましたが……」
 顔を上げ、真っ直ぐに見つめて、ふわり。
 花が咲くように、ほころぶ。
「よろしくお願いね、ナーシュ」
 一番いい笑顔で、言った。
 ああ、もう死んでもいいけど死ぬわけにはいかない。
 この笑顔を守るために。
「最後の息が止まるまで、離さないから」
 出会えたことと、今この場で目の前にいてくれること、これからもずっと隣にいてくれること。
 その全てに感謝を込めて。

「愛してるよ、カノン」





 その数日後。
 参加者全員のもとに、ありとあらゆる角度から撮りまくった記念写真の数々を収めた分厚いアルバムが届いた。
 二人のシーンから、皆で楽しく騒いでいるシーン、それに最後に皆で撮った集合写真。
 皆の幸せ風景がいっぱいに詰まったそのアルバムの差出人は、神出鬼没のメイドニンジャだった。


依頼結果

依頼成功度:大成功
MVP: Eternal Wing・ミハイル・エッカート(jb0544)
重体: −
面白かった!:14人

函館の思い出ひとつ・
穂原多門(ja0895)

大学部6年234組 男 ディバインナイト
アルカナの乙女・
クリス・クリス(ja2083)

中等部1年1組 女 ダアト
紅茶神・
斉凛(ja6571)

卒業 女 インフィルトレイター
Eternal Wing・
ミハイル・エッカート(jb0544)

卒業 男 インフィルトレイター
夢幻に酔う・
ディートハルト・バイラー(jb0601)

大学部9年164組 男 ディバインナイト
祈りの胡蝶蘭・
巫 桜華(jb1163)

大学部3年264組 女 バハムートテイマー
大祭神乳神様・
月乃宮 恋音(jb1221)

大学部2年2組 女 ダアト
天蛇の片翼・
カノン・エルナシア(jb2648)

大学部6年5組 女 ディバインナイト
Stand by You・
アレン・P・マルドゥーク(jb3190)

大学部6年5組 男 バハムートテイマー
来し方抱き、行く末見つめ・
黄昏ひりょ(jb3452)

卒業 男 陰陽師
きのこ憑き・
橘 樹(jb3833)

卒業 男 陰陽師
208号室の渡り鳥・
鏑木愛梨沙(jb3903)

大学部7年162組 女 アストラルヴァンガード
ペンギン帽子の・
ラファル A ユーティライネン(jb4620)

卒業 女 鬼道忍軍
優しき強さを抱く・
ユウ(jb5639)

大学部5年7組 女 阿修羅
鳥目百瞳の妖・
百目鬼 揺籠(jb8361)

卒業 男 阿修羅
七花夜の鬼妖・
秋野=桜蓮・紫苑(jb8416)

小等部5年1組 女 ナイトウォーカー
青イ鳥は桜ノ隠と倖を視る・
御子神 藍(jb8679)

大学部3年6組 女 インフィルトレイター
Half of Rose・
浅茅 いばら(jb8764)

高等部3年1組 男 阿修羅
BBA恐怖症・
長田・E・勇太(jb9116)

大学部2年247組 男 阿修羅
撃退士・
藤谷 健司(jb9147)

大学部4年4組 男 ナイトウォーカー
童の一種・
逢見仙也(jc1616)

卒業 男 ディバインナイト
勇者(RPG的な)・
ダリア・ヴァルバート(jc1811)

大学部2年249組 女 アストラルヴァンガード
明ける陽の花・
不知火あけび(jc1857)

大学部1年1組 女 鬼道忍軍
Eternal Wing・
サラ・マリヤ・エッカート(jc1995)

大学部3年7組 女 アストラルヴァンガード
藤ノ朧は桃ノ月と明を誓ふ・
不知火藤忠(jc2194)

大学部3年3組 男 陰陽師