●結成、開拓団
「菜園作りを調べてみたんやけど、大丈夫かいな」
神無月茜(
jc2230)は、ただの空き地にしか見えないその空間を見渡してみる。
これが彼女の撃退士としての第一歩。修行の一環として入学したこの学園での初仕事が、まさか庭いじりになるとは予想もしていなかった。
戦うだけが撃退士の仕事ではないと聞いてはいたが、こんな事までが依頼として成立するとは驚きだ。
「それで、あたいは何をすればいい?」
必要になりそうな知識は一通り仕入れてきたし、力仕事には自信がある。
邪魔な岩を打ち砕けと言われれば出来そうな気もするけれど。
「まぁ、もともと庭なんだろうが…」
向坂 玲治(
ja6214)は、その荒野をじっくりと眺め回す。
これだけの広さがあれば、何を作っても結構な収穫が望めそうだ――上手く行けばの話だが。
「徹底的に耕して菜園どころか農地にしてやるぜ」
とは言っても、手元にあるのは小さなジョウロと草刈り用の鎌くらいのもの。
まずは道具を揃える所から始めなければ。
「なんだ、素手で掘り起こすわけじゃないのか」
「まぁ、撃退士は人間重機みたいなもんだ、それでも行けるんだろうけどな」
握力を誇示する様に拳を握った茜に、玲治が苦笑いを漏らす。
「一応は人並な方法でやってみようや」
「とりあえず必要なのは、スコップに鍬、手鍬、バケツにホースに軍手、長靴といった所か」
礼野 智美(
ja3600)がリストアップし、それを五十鈴 響(
ja6602)がノートに書き出していく。
「こうして情報を整理しておけば、お買い物する時にも手間を取られずに済みますよね」
軍手などは各自で用意しても良いし、今すぐに買う必要のない物もあるかもしれないし。
「あ、園芸用品のカタログも貰って来ましたよ」
先ほど測ってみた庭の広さから見て、ホースは30mで足りるだろうか。
「リールとセットになった、この辺りが良さそうだな」
カタログを覗き込んだ智美が指を指す。
「屋外に水道の蛇口あると道具の泥落しや水撒きに便利なんだけど…」
アパートの玄関脇にそれを見つけ、錆の浮いた取っ手を捻ってみた。
「水は出るけど、あちこちから漏れてるな」
しかし新しいものに交換すれば問題はないだろう。
後はこの踏み固められた庭の現状を考えると、耕耘機が欲しいところだが――それは既に玲治がレンタルの手配を済ませてくれた様だ。
「肥料に薬剤散布用の噴霧器、三角ホーなんかも必要じゃないかしらァ?」
黒百合(
ja0422)が言うそれは、雑草の根を切る時に使うもの。
「PH測定器も必要ですね」
そう言ったのは雫(
ja1894)だ。
「大抵の作物は酸性の土壌を嫌う様ですから、もしそちらに傾いているなら中和する為に石灰を撒かないと」
「日本の土は大体が酸性に傾いてるもんだ、ここも恐らくそうなってるだろうな」
「智美さんは、お詳しいのですね」
メモを取りながら、響が感心した様に言う。
「実家が田舎だし、自分の家で食べる位のものは作ってたからな」
今も屋上庭園で色々作ってるいるし、大抵の事は知っているつもりだ。
なお長靴を推したのは自分だが、その足下は普通のスニーカー。
「動き易さでいうとこっちの方が」
そこは好きに選べば良いだろう。重要なのは庭仕事専用にすること。
「他から雑草の種や病原菌運んで来る可能性あるし」
ただ、実際に病気が出た土地でもない限り、土壌の消毒までは必要ないだろう。
「基本の土さえ出来れば結構色々育つもんだぞ?」
過度な消毒は有益な微生物まで殺してしまい、結果的に病気に対する抵抗力を弱める事にもなりかねない。
「良い土を作る為に必要なのは、堆肥や腐葉土、それに牛糞や鶏糞といった有機肥料…」
「それと、可愛いミミズちゃんねェ♪」
黒百合がそこに付け加える。
可愛いかどうかは好みが分かれる所だろうが、ミミズが土を豊かにしてくれる存在である事は間違いない。
「ここの土にはあんまりいそうもないわねェ、どこか余所から連れて来ようかしらァ♪」
それで、皆はどんなものを育てたいのだろう。
「私はそうですね、きれいに咲かせておいしく食べられるものを育てたいです♪」
響が言うのは食べられる花や、お茶に使うハーブなどの事だろうか。
「農薬を使うと花は食べられなくなりますから、無農薬絶対目指しますね」
「そうなると他の場所にも農薬は使えないな」
「え、そうなんですか?」
智美に言われて響は目を丸くする。
「ああ、風で飛んだり雨で流れたものが地中に染み込んで広がったりするからな」
「ではやめておいた方が良いでしょうか…」
他の場所も完全無農薬なんて、ハードルが高すぎる気がするし。
「でも、試してみるのも良いんじゃないかしらァ♪」
「アブラムシは黄色い紙に集まるそうですよ」
「アルミホイルのキラキラを嫌う、とも聞きましたね…」
気楽に言い放った黒百合の言葉に、葛城 巴(
jc1251)と雫が具体的な対策を示す。
それに、木酢液を吹き付けても予防効果があるらしい。
「天然成分由来の代物ですから、科学的な薬品よりも効力が低そうですが…」
「なに、付いちまったら牛乳で退治すりゃいい」
タンパク質の皮膜で窒息させるのだと玲治が言った。
後は互いに悪い影響を与えない様に隣り合う作物の組み合わせを考えたり、逆に良い影響を与え合うコンパニオンプランツを植える手もある。
とにかく方法は色々あるのだ。
失敗したら即飢え死にという状況ではないのだから、何でも気楽に試してみれば良いだろう。
そんな会話を聞きながら、ミハイル・エッカート(
jb0544)は門木に話しかけた。
「章治、植物を育てたことがあるのか?」
「ない」
野菜どころか朝顔の観察もした事がない、全くの未経験だ。
「そう言う自分はどうなんだ、ミハイル?」
とても土いじりを趣味にする様には見えないが。
「俺か? 俺は…あれだ、石灰とか撒いて土壌のPHを計るだろ? で、畑は水はけ良くするために畝を作るのだろ? どうだ、これくらいは知ってるんだぜ!」
え? それだけかって?
「良いんだよ、こういうのは習うより慣れろって言うだろ」
「ん、そうだな」
とりあえず二人とも似た様なレベルである事はわかった。
「それで、何を作るんだ」
「フルーツトマトだ。はたしてアレは野菜なのか、疑問に思うほどの甘さなんだぜ?」
オヤツにしても良いが、店売りは少々値が張るからそうそう気軽に食べられるものでもない。
収穫から時間が経っているから、糖度もそれなりに下がっているだろう。
それでもまるで果物の様な甘さなのだから、収穫したばかりのものはもっと甘いに違いない。
「問題は、そいつが自分の手で作れるかどうかだが」
本で見た限り、それほど難しくはなさそうに思えたのだが、どうだろう。
「少しくらい難しくても、自分が食べたいものを選んだ方が良いと思いますよ」
智美がそう声をかけてきた。
「よく初心者は簡単なものからと言って、あまり好きでもないラディッシュやクレソンなんかを育てようとしますが…」
興味がなければ結局放置して、あっという間に虫に食われたり雑草に浸食されたりする。
「食べる楽しみがあれば、それだけ興味も長続きしますから」
「なるほど、それなら大丈夫そうだな」
何事もご褒美があれば身が入るのは道理だ。
「フルーツトマトはゆっくり育てるのがいいらしい、時期もちょうど今頃からだな」
雨が苦手らしいから、降ってきたらすぐ室内に取り込めるように鉢植えで育てるのが良いだろうか。
「それならビニールで雨よけでも作っておくか」
玲治が独り言を装って呟くが、その声はしっかり皆に届いていた。
「作物のバリエーションを増やせるように、ビニールハウスでも作ろうと思ってたところだ。そのついでなら、そう手間でもないしな」
雨の度に取り込むのも面倒だし、いつも見張っているわけにもいかないだろう。
「そいつは助かる。手が足りなければ言ってくれ、いつでも協力するぞ…章治がな!」
「え、俺?」
得意だろうと背中をどつかれ、門木は前につんのめった。
「確かに支柱の組み立てなんかは一人じゃ難しいな」
いくら撃退士と言っても女の子に手伝わせる事でもないだろうと、玲治はちらりと巴を見る。
「先生をコキ使うのもどうかと思うが、手伝ってくれるか…ますか?」
途中で相手が教師である事を思い出し、頑張って丁寧に言い直してみた、が。
「ああ。それと、普通に話していいぞ?」
今はオフだし、ミハイルなどはTPOに関係なく常にこの調子だし、と門木は笑う。
「拙かったか?」
「いや」
寧ろ嬉しいが、言ったら頭を撫でられそうだから黙っておこう。
「家庭菜園ですか…野菜の栽培は経験がないので面白そうですね」
リビングで予習に励んでいたユウ(
jb5639)は、それまで読んでいた『初めての家庭菜園』の本を閉じた。
「面白そう、ですね」
同意を求める様にそこを強調しつつ、にこやかな笑みを浮かべる。
目の前では暇を持て余すこと自体を楽しんでいる風情のリュールが、山と積まれた園芸書のページをパラパラと捲っていた。
興味がないこともないが、積極的に関わる気はないといった様子。
でも知ってる。こんな時は強引に巻き込んでしまうのが良いんだって、ツンデレ取扱説明書の135ページに書いてあった。 ※そんなものはありません
「リュールさんは何を育ててみたいですか?」
「育てるのはお前達の役目だろう、私はただ少し手伝いをするだけだ」
「お手伝いして頂けるのですね、嬉しいです!」
一緒に頑張りましょうね、そう言ってユウは、両手で包み込む様にリュールの手を握った。
その顔に浮かんだ屈託のない笑みを見て、リュールは内心で「嵌められたか」と舌打ちをするが、もう遅い。
手伝いをすると明言してしまったのだから、もう後には引けなかった。
「では、私がリュールさんの代わりに育てますね。ですから遠慮なく、何でも好きなものを言って下さい」
あ、何があるのかわからなければ、ほらここに。
「この本には色々な野菜の利用法も書かれているんですよ」
さりげなくページをめくり、野菜スイーツの美味しそうな写真を見せる。
これで掴みは充分、もう逃げられないサボれない。
「収穫が楽しみですね」
駄目押しのニッコリ笑顔がトドメを刺した。
ただし、それは芝居ではない。
初めて経験する野菜作りが、本当に楽しみで仕方がないのだ。
このうきうきと楽しい気持ちをリュールにも味わってほしくて、一緒にきゃっきゃしたくて。
その表情は心なしか、普段よりも幼く感じられた。
●ひたすら肉体労働の日々
ホームセンターで道具を買い揃え、いよいよ実際の作業にかかる。
「風雲、レフニー城!」
ばーん!
野良着に軍手、麦わら帽子に首にはタオルと、すっかり農家の娘になったRehni Nam(
ja5283)が元気に声を上げる。
が、誰も唱和してくれなかった。ちょっと寂しい、って言うかノリが悪いよ皆。
「いえ、いいんです…何となく言ってみたくなっただけですから」
特に意味はありませんし、ええ。
目の前には、これを今から耕して農地にするのかと思うと軽く目眩がする程度には広い土地。
しかし黒百合はそんな事などお構いなし、楽しそうに物騒な台詞を吐いた。
「きゃはァ、どんな家庭菜園にしましょうかねェ…やっぱりトリカブトとかスイセンとか似合いそうよねェ♪」
トリカブトは毒物として有名だが、スイセンやスズラン、ヒガンバナ等にも毒がある事は意外に知られていない。
こっそり植えて暗殺の道具にでも――
「やあねェ冗談よォ♪」
でも植えるけど。
あ、皆とは別の区画に専用の畑を作って混ざらないようにするから、ご心配なく。
それに今はまだ、苗の用意はしていない。
買って来るのは植える直前、土作りを終えてからだ。
ただ、それぞれに作りたいもののプランは出来ているし、それに従った区分けもなされていた。
「植えるものによって好む土質や日光の量も違うし、ものによっては連作障害が出るからな」
智美のアドバイスで、響のノートには作付け予定が記入された簡単な図が書かれている。
一人ずつに区画を分けて、その中で好きなものを好きなように育てる事も考えたが、同じ作物を纏めて植えた方が効率が良いし管理もしやすい。
「その代わり、畝ごとに名札を立てておけば良いのではないでしょうか」
巴が言った。
尤も収穫した作物は皆で楽しむのだから、どれが誰のものと厳密に区別する必要もなさそうだが。
勿論、他に個人菜園を作るだけのスペースは充分にあるから、拘りがある場合はそこで自由に作れば良い。
「それではまず、目立つ石から拾っていきましょうか」
皆に大きなバケツを配り、巴が率先して作業を始める。
石がゴロゴロしている状態では耕耘機や鍬の刃を傷めてしまう恐れがあった。
「土に埋まっているものは仕方ありませんが、出来るだけ先に取り除いてしまいたいですね」
しかし、そう言った直後。
地面の中からポンポンと、石が勝手に飛び出して来る。
それは透過で地中に潜り、邪魔な石だけを異物として取り除いている、ユウの働きによるものだった。
透過にそんな使い道があったとは、ちょっぴり目から鱗。
なお飛び出した石はリュールが網で回収していた。
本人曰く「落ちたものを拾うのは面倒だが、落ちる前に受け止めるのは意外に楽しい」だそうで。
「拾った石は片隅にでも纏めておきましょうかァ♪」
自分も手を動かしながら黒百合が提案するが、石の量は予想外に多い。
「ちょっとした山になりそうです…」
バケツの中身をひっくり返し、雫が額の汗を拭う。
「それに、結構暑いですね」
念のため熱中症対策として、水に塩と蜂蜜を混ぜたドリンクを用意しておいて正解だったかもしれない。
「夏場よりはなり難いだろうと思ったのですが…定期的に水分を補給した方が良さそうです」
皆さんもどうぞとボトルを日陰に置いて、雫は再び作業に戻る。
「こんなに石が沢山あるなら、何かに使えないでしょうか」
ふと思いついた様に、響が手を止めた。
拾い集めた石をよく見れば、なかなか綺麗な色をしたものが多い。
「元々は庭の敷石に使われていたのかもしれませんね」
だとしたら、門から玄関先まで敷き詰めて、道を作ってみたらどうだろう。
「玄関脇には良い香りがするセンテッドゼラニウムを植えて…あ、花台があったら鉢植えを階段状に並べても良いかもしれません♪」
ローズやレモンの香りがする花はサラダにも使えるし、葉はクッキーに焼き込んだりも出来るし。
「わかった、まあ適当に作っておくかね」
思いがけずに返事を貰い、響は思わず声がした方を見る。
「ありがとうございます、向坂さん」
手を貸して貰えるなら、庭全体のコーディネートも頑張ってみようかな。
石をあらかた拾い終わったら、本格的な開墾作業だ。
「トウモロコシは荒地でも大丈夫と言いますが、流石にこの状態じゃあ、ねえ…」
レフニーは野良着の袖を捲り、首のタオルを頭に巻いて、手にした鍬を振りかざす。
「気合い入れて、いきますよ!」
がつん!
「あ、固い」
予想はしていたけれど、予想以上に固い。
玲治が借りて来た耕耘機も、この堅さでは跳ねて踊るばかりで仕事をしてくれなかった。
「まずは手作業か、そうそう楽は出来ないもんだな」
ふと脇を見れば、茜は鍬ではなく先の尖ったスコップを手にしている。
その先端を土に突き刺し、更に足で押し込んで、掘る。
「最初はこうして表面を20〜30cm掘り起こすって本に書いてあったんやけど、これで良いのかいな」
そうして荒く解すと同時に下の土を空気に触れさせ、その上で更に鍬で耕し土粒を細かくする。
その際に苦土石灰を鋤き込むが、それだけだと土地が硬くなるから混合推肥も同時に投入するのが良い、らしい。
「なるほど、最初はとにかく土の表面を砕けば良いのですね」
そう解釈した雫は、ヒヒイロカネからごっつい大剣を取り出した。
切っ先を下に向けた大剣にアウルを込めて振り抜くと、三日月が大地を切り裂いていく。
「これで、どうでしょうか」
地すり残月、農耕スキルだったのか。
ガチガチの地面を適当に砕いたら、作業は第二段階へ――と、その前に少し休憩しようか。
泥で汚れた道具は庭の隅にある物置に置き、玄関脇の水道で汚れを落としてリビングへ。
「キッチンを借りて準備をしておきましたから、皆さんで軽く食事にしましょう」
ユウは一通りの作業が終わるまで風雲荘に泊まり込み、家事を手伝うつもりだった。
どうせなら部屋を借りてしまえば良いのに、その気はないのだろうか。
ミハイルの様に別荘や物置にしても良いし、家賃も不要、種族不問、審査なし。
誰でも気が向いたら気軽に申し出てくれれば良い。
「農作業というのは意外に良い運動になるものですね」
今日は殆ど石拾いしかしていないのにと、巴が隣に座った玲治に笑いかける。
スコップで土を掘り返していた彼はもっと疲れたことだろう。
「半分こしましょう?」
持って来た鯛焼きを取り出して、玲治に差し出す。
「疲れた時には甘いものが良いのですよ?」
「ああ、ありがとう」
「ポットにお茶も入れてきましたから、良かったら皆さんもどうぞ」
中身はハーブティー、市販のブレンドだが美味しいと評判のものだ。
「菜園が成功したら、庭から摘んできたものをそのままお茶に、なんて事も出来そうですね」
お茶の香りを胸に吸い込みながら響が微笑む。
ジャーマンカモミールや茉莉花、ラズベリーにリンゴも育てる予定だが、他にもお茶やジャムに使えそうなものを増やしてみようか。
チャイブは料理にも使えるし、バラやリンゴの病気等を防ぐ効果があるらしいからコンパニオンプランツとして。
「ナスタチウムやカモミールもナメクジやアブラムシの引き寄せ効果あるみたいですよ♪」
ミニバラはポットに種をまいて、少し大きくなったら庭に植え替えるか、鉢植えのままで育ててもいい。
茉莉花は支柱を曲げて行灯作りにしてみるのも良いかも?
少し休んだら再び作業、今度は石灰と堆肥、それに腐葉土や肥料を均等に撒いて、耕耘機や鍬で耕しながら混ぜていく。
「そんじゃま、ほっくり返すとするかね」
鼻歌交じりに耕耘機を転がす玲治、その後ろから拾いきれずに残った石を取り除こうと巴が付いて行く。
ユウはうっかり鍬を壊さないように力を加減しながら――何しろハリセンで岩をも砕くパワーの持ち主ですからね。
「リュールさんも、流石にこれは手伝ってくれませんか」
「他は何ならやる気になるんだろうな、ジョウロで水をまくとか?」
くすりと笑うユウに、ミハイルが声をかける。
玄関周りの植木鉢程度なら面倒がらずにやってくれる…と思いたい。
「虫を取り除くのは大丈夫だろうか?」
「いえ、それはやめた方が…」
虫に驚いて最大火力で魔法をぶっ放し、風雲荘が消滅する未来しか見えない、わりと本気で。
「えーんやこーらーどっこーいせー♪」
妙な鼻歌を歌いながら、レフニーは鍬を振るう。
「それにしても広いですよね」
家庭菜園というか、普通に畑。
広い分には良いだろうけれど、ちゃんと世話が行き届くのだろうか。
いや、行き届かせるのだ、スイカとトウモロコシと、ナスの為に。
そして他の皆が作るであろう美味しい野菜達の為に。
「いやあ、それにしても、今から夏が楽しみですねぇ。いろいろ収穫して、それで作るご飯!」
何が良いかな、何が出来るかな。
「ああ、そうですね、夏野菜カレーなんかもいい感じです」
夏野菜と言えば、実はスイカって果物じゃなくて野菜じゃないですか。
それも、夏に収穫できる。
「だからって、夏野菜カレーにスイカを入れた知人がいまして…」
ええ、学園に転入する前の話ですけどね。
何を思ったのか、何かのゲームを真似たんじゃないかっていう噂もありましたけど。
「…美味しいんでしょうかね、スイカカレー?」
どんな味がするのか想像も付きませんよね。
だからって食べてみたいとは――え、お喋りしているうちに、もう作業終わりですか?
大丈夫、口と一緒にちゃんと手も動かしてましたよ、その証拠にほら身体じゅうがバリバリです。
「明日あたり確実に筋肉痛ですね、これ」
今日は熱いお風呂に浸かってゆっくり休みたい気分。
「残りの仕事はお願いねェ♪」
耕した土地に、黒百合があちこちから掘り出して来たミミズを投入する。
土を寝かせている間にも、彼等は土地を耕して微生物を増やし、その糞で更に土壌を豊かにしてくれるだろう。
後はただ養分が土に馴染むのを待つだけだが、その間にも仕事は色々あった。
「植える作物ごとに区分けして、土質の細かい調整もしとかないとな」
響のノートを見ながら、玲治が区画ごとにテープで線を引いていく。
作物に会わせて畝の幅や高さを決めて、必要なら支柱を立てたりネットを張ったり。
後は空いたスペースにビニールハウスを作って、と。
「ちっと小振りかもしれんが…まぁ趣味でやるやつだから問題ないな」
温度や湿度の調節用に開閉可能、開けたときでも虫が入らないように網戸が取り付けてある。
「後はトマトの雨よけと、植木鉢を置く台か」
頼まれたものも忘れずに。
一方、黒百合は菜園の至る所に鋼鉄製の太いポールを突き立てていた。
台風が来てもビクともしない様に、しっかりと地中深くまで。
何を作っているのかって?
「鳥よけよォ、ほら、よく畑なんかにキラキラしたテープが張ってあるでしょォ?」
ここに張るのは切れ味の良いワイヤーだけど。
邪魔にならない高さ、かつ充分な隙間を持たせて張るけれど、うっかり引っかからない様に気を付けて――特に飛べる人達は。
「ワイヤー張りは輝夜に頼んでみようかしらァ♪」
とは言っても、人形が勝手に動いてくれる訳ではないけれど。
「肥料はどうする?」
ミハイルが尋ねる。
「自前で作るのはどうだろう。ほら、生ゴミを肥料に変えてくれる装置があるだろう」
何と言ったか、バクテリアかミミズを使うアレ。
「コンポスト容器、でしょうか」
「そう、それだ」
巴の助け船に、ミハイルはポンと手を叩く。
「ミミズは…苦手じゃないが美しくないな、バクテリアで分解させるタイプにしようぜ」
「それなら発酵促進剤を入れれば秋には出来ますね」
巴も堆肥作りの為に用意しているらしいが、そんなに時間がかかるとは思っていなかったミハイルは驚きの声を上げた。
「畑に溝掘って生ごみ埋めるだけでも結構肥料になるんですけど」
それでも肥料として効力を発揮するまでには時間がかかると智美が言う。
「動物に掘り返されたりもしますし」
やはり容器があった方が良いだろう。
「章治、作れるか?」
「ただのバケツじゃないのか、あれ」
「知らん」
構造を知る為にも、ひとつ買ってみようか。
●菜園、始動
「いよいよ植え付けですね。ドキドキしてきました」
自分で選んだ苗のポットを目の前に並べ、ユウは楽しそうにリュールの顔を覗き込む。
「トマトにトウモロコシ、茄子、キュウリ…どれから植えましょうか」
あ、それから。
「ミハイルさん、きっと自身で育てたピーマンなら美味しく食べられる…はずです?」
何故に疑問系?
「だから頑張って育てましょう! ほら、可愛いですよ!」
ポットに入った苗をずいっと差し出してみる――混じりっ気なしの善意100%で。
そればかりかレフニーまでもが可愛い苗を手に微笑んでいる。
「電波がピーマンを植えて、収穫したらミハイルさんに食べさせろって言ってますが、どーしましょう」
「どうもこうもあるか!」
決まっている、断固拒否だ――勝手に育てる分には構わないが。
「俺はパプリカを植えるぞ!」
大丈夫、これなら食べられる。
「そもそもピーマンはこれの未成熟のものだろう」
え、品種が違う?
細かい事は良いんだよ!
「俺は世界で初めてピーマンを食べようとした者に問いたい、なぜ熟していないものを食すかと!」
それはともかく、こいつはピーマンから色づくまで日にちがかかるらしい。
「ゆっくりと育てよ、そして俺に食われろ。虫に食われるのは許さん」
などと言いながら、ミハイルはパプリカの苗を植えていく。
「フルーツトマトは雨よけの下だな」
水やり、肥料のタイミング? 難しい事はわからん。
「章治、頼んだぞ!」
丸投げポイ!
「大丈夫だ、虫くらいは自分で取り除く」
え、トマトもパプリカも虫より病気が付きやすい?
「章治、頼んだぞ!」
上手く出来たら半分やるからな!
「さあ、リュールさんも植えましょう?」
ユウに促され、リュールは恐る恐る土に触れてみる。
それは太陽の熱に暖められ、天日に干した布団の様にふかふかだった。
「気持ちいいでしょう?」
「まあ、そうだな」
まんまと乗せられたが、これはこれで悪くない、気がする。
「では私も植えていきましょー」
レフニーはまずナスとピーマンの苗を植えてみた。
スイカとトウモロコシは種から、どちらも育てる場所に直接蒔く事が出来る筈だが――
「ああ、ちょっと待って」
智美がストップをかけた。
「豆やコーンは鳥が好んで食べるから」
まずは咆吼で追い払い、後は黒百合の鳥よけに期待しよう。
少し離れた所からも轟く雷の様な声が聞こえるが、それは茜のものだ。
「結局、茄子にしてみたんやけど」
智美に訊いてみたところ、サツマイモはまだ時期が早いらしい。
その分のスペースは空けておき、後は一面の茄子。
畝を作り、水を撒いて土を湿らせ、それが乾く前にポットの苗を植え付けていく。
丸茄子、長茄子、千両茄子に水茄子、小茄子に米茄子、白茄子などなど、売り場にあった全種類を揃えてみた。
上手く出来たら皆で食べ比べてみるのも良いかもしれない。
「プランター栽培位ならやった事はあるのですが」
露地栽培は初めてだが基本はそれほど変わらないだろうと、雫は枝豆とメロンを植え付ける。
枝豆の畝は高く、メロンは低く、根元にマルチング用の藁を敷いて。
「腐れば腐葉土になるでしょうし、微生物が活性化するのに役立つと思うので」
泥跳ねも防げるし、急に寒くなった時の保温にもなるし。
巴は玲治と共に、風通しを良くしたビニールハウスの中で作業していた。
用意した苗はキュウリ4株、ナス4株、トマト2株。
それに青梗菜とゴマの種だ。
「スーパーで売っているゴマは蒔きませんよ?」
あれは蒔いても芽は出ませんからね?
あれ、でも焙煎してない洗いゴマだったらワンチャンあるのだろうか。
それはともかく、今回はちゃんと栽培用の種を買って来ました。
巾1m、長さ3mの畝を二つ作り、片方にキュウリとナスを50cm間隔で植え付ける。
キュウリの傍にはネットを、ナスは短い支柱に紐で留めて。
「トマトは水を切らし気味にした方がいいので、他の野菜と別にしましょう」
そのままポットとして使える専用の培養土を二つ、袋のまま立てて固定し、袋の口を切って苗を一株ずつ植える。
もうひとつの畝には1mずつ区切って青梗菜とゴマの種をバラ蒔き、余った1m分には食べ損ねて芽が出たジャガイモを、どかんと丸ごと突っ込んでみた。
「切って植えるなら防腐処置が必要ですし、面倒なのでこのまま埋めます」
植え付けの時期は過ぎているし、余り物だからそれほど期待はしていないけれど。
「上手く増えたらラッキー、という程度ですね」
巴の作業に合わせて、玲治はコンパニオンプランツを植えていく。
キュウリにはパセリ、ナスとトマトと青梗菜にはバジル。
これで生長の補助と害虫予防になる筈だ。
「ハウス内ですし、バジルもありますから、他の虫除けは必要なさそうですね」
後は気長に根気よく世話を続けるだけ、と言ってもこれがまた、なかなか面倒だったりするのだが。
苗は少し育ってきたら仮支柱を立てて芯を摘み、脇芽を出させる。
「最終的に3本仕立て…枝を3つにします」
じゃがいもは大きい芽を三つだけ残して、種は本葉が三枚ほど出た時点で鋏を使って間引く。
「青梗菜はこれも食べられます」
それ以降はナメクジとの戦いのために夜間出動も辞さない構え。
「暫くはここに泊まらせて貰った方が良いでしょうか…」
智美は他の皆が育てていないものを選んでみた。
「オクラ、まくわ瓜、素麺瓜、ししとうがらし、唐辛子、南瓜、冬瓜、ゴーヤ、糸瓜、ズッキーニ…こんなものかな」
誰かが失敗した時のリカバリーが必要かとも思ったが、元気な苗の見分け方や植え付けのコツなども伝授した。
大丈夫、きっと上手く行く。
黒百合は菜園の外周部に花壇を作り、ゼラニウムを植えていく。
響が鉢植えにしたものと同じセンテッドゼラニウムだが、こちらは虫除けが主な目的だ。
その響は石を敷き詰めた通路の脇を黒ビニールで覆い、そこに開けた穴にミニヒマワリの種を蒔いていく。
夏には門の両脇に植えたリンゴの木から玄関先までの、可愛い縁取りが出来上がるだろう。
「花を見て寛げる空間になると良いな」
そしてゼラニウムの囲みを作り終えた黒百合は、仕上げに自分専用の趣味の畑を作り始める。
植えるのは勿論、例の毒草達だ。
「きゃはァ、毒って言っても使い方さえちゃんとわかってれば、そんな危険はないのよォ♪」
漢方薬にもなるし、非常食としても使えるんだから。
「これで大体終わりましたね」
家庭菜園を空から眺め、ユウは満足の笑みを浮かべる。
完成にはまだ遠いが、最終的には庭としても菜園としても立派なものになりそうだ。
作業の合間にも皆の様子を写真に収めていたが、最後に全員並んで記念撮影をしようか。
その後はシャワーでも浴びて、汗と泥を流してさっぱりしたら、打ち上げでもどうですか?
え、まだ早い?