これは語られる事なく消えた物語。
けれど、確かに存在した物語。
残されたのは六人の撃退士。
そのうちの一人、鈴木悠司(
ja0226)は何も告げずにふらりと姿を消したまま戻らない。
恐らくは誰にも看取られることなく暴れ、消える事を望んだのだろう。
「結局、五人か」
僅かに残った人工島の残骸に立ち、礼野 智美(
ja3600)が呟く。
周囲の海は油のように燃えて空気を焼き、足下で剥き出しになった鉄骨は赤く熱を帯びていたが、熱さも痛みも感じる事はなかった。
守りたかった故郷も、大事な人も次々失って、最後に残った親友が亡くなった時にブチ切れた…と同時に、能力に目覚めた。
何も感じないのは、きっとその能力のせいだろう。
この局面で、それをどう使うべきかもわかっていた。
「皆さんはどうしますか」
智美は周囲に佇む仲間達に語りかける。
「俺が守ろうとした者たちは既にいない」
ミハイル・エッカート(
jb0544)は割れたサングラスを投げ捨て、赤い雫の滴り落ちる前髪をかき上げた。
その目に映るのは灼熱の地獄。
恐らく既に、地球上の何処へ行っても似たような有様だろう。
「こんな状況で何が出来る」
万が一天魔を一掃出来たとしても、もう、どうしようもない。
すでに人類という種の命運は尽きている。
いや、地球に存在したすべての生命は終わりだ。
ここはもう、生命が存在できる惑星ではない。
「なら、このまま最期の時を待つと?」
その問いに、ミハイルは不敵な笑みを返した。
「誰がそんな事を言った?」
その目はまだ、死んではいない。
「何もせずに死を待つなんて、冗談じゃないぜ」
最後に、天魔どもには最大の嫌がらせをしてやろう。
黄昏ひりょ(
jb3452)は身じろぎもせずに、自身を取り巻く世界を呆然と見つめていた。
いや、その瞳は何も映してはいない。
きゅっと縮んだ瞳孔は焦点を失って小刻みに震えていた。
「ふふ…くふふ…」
喉から怪しげな声が漏れる。
「はぁーっはっはっはぁ…ッ!!」
やがてそれは哄笑となって溢れ出した。
何事かと見守る仲間達の目の前で、その背を破って白と黒に分かれた一対の翼が現れる。
笑い声が収まった時、その瞳は血のように赤く染まっていた。
眼鏡は既にない。
まさか、それがリミッターだったのだろうか。
それが外れたせいで、彼の中に封じられていた何かが呼び起こされてしまったのだろうか。
記録にある限り、彼は天魔やそのハーフではない、ごく普通の人間である筈なのだが。
(愚かな男よ。自分の力を制御出来ず、予を呼び覚ますとは)
ひりょの中に「それ」の声が響く。
だが、それを聞く筈だった彼の意識は既に消滅していた。
今の彼は、ひりょであってひりょではない、何か。
(予が表に出た以上、この体も長くは持つまい。ならば、最後にひと暴れするか)
それは手の中に身の丈を遥かに超える大鎌を作り出すと、赤く燃える雲に覆われた空へと舞い上がった。
「どうやら誰も、このまま黙ってやられるつもりはない様だな」
詠代 涼介(
jb5343)がその姿を見上げて呟く。
ならば自分も、最期に一暴れしてやろうか――今更どんなに暴れたところで、もう遅いけれど。
(結局、証明することはできなかったか…)
あの人に、もしも「あの世」とやらで会う事が出来たら、言いたかった。
あなたの命を賭けた行動は無駄ではなかったと。
(いや、あの時生き残っていたのが俺だろうとあの人だろうと…おそらくこの結果は変わらなかったのだろうな)
いくら多くの命を救ったところで、結局は全て無に還るのだ。
天魔に滅ぼされなくても人は死ぬ。
その天魔だって、永遠に生きる事はない。
(だったら、せめて道連れにしてやるさ)
この地球ごと、全てをぶっ壊す。
それが彼等の選んだ道。
腹は括った。
やる事も決まった。
後は各自で暴れるだけだ。
「…皆が引導渡すなら、ちょっとやりたい事があるから」
智美はそう言って、足下の瓦礫を掘り返した。
そこには学園の地下格納庫がある。
他は殆ど破壊されてしまったが、その一角だけは奇跡的に形を留めていた。
天井を崩すと、薄闇の中に黄色く丸いシルエットが浮かび上がる。
以前、科学室の主に頼んで作って貰った潜水艦だ。
「巻き込まれないように、俺は日本海溝にでも潜って作業する事にします」
本来は皆で海底散歩を楽しむ為に作ったものだった。
それが水深一万メートルの水圧にも耐えると聞いた時には「無駄に高性能すぎる」と思ったものだが。
(それをこんな風に使う時が来るなんてな)
ともあれ、使えるものは遠慮なく使わせてもらおう。
「何処まで出来るかわからないけど…皆も、武運を」
潜水艦に乗り込み、智美はハッチを閉じる。
地下格納庫に溢れ出した海水が、その黄色い船体を飲み込んでいった。
出発を見届け、残る四人はそれぞれに全力を出し切る為、世界各地に散る。
「さあさお立合い」
見る者のない舞台で、逢見仙也(
jc1616)は仰々しく頭を下げた。
「これより行うは一生一度の最終禁技。使えば己も周りも死に絶える、狂言じみた悪魔の技に御座います」
それは禁じ手として封じられていた最強最凶の秘術。
発動したが最後、全てを破壊し尽くし、最後には自らの命さえ奪う、「邪毒の王」と呼ばれる諸刃の剣だ。
しかし、どうせ全てが死に絶えるなら命など惜しんでも意味はない。
ユーラシア大陸に飛んだ仙也は、三つ首の大蛇にその姿を変えた。
遙か高空から見れば、それはまるでシベリア鉄道がそのまま隆起して巨大な山脈になった様に見えた事だろう。
巨大という表現さえ陳腐になるほどの巨体を誇る蛇は、三つの頭をゆらりと持ち上げた。
その首のひとつでさえ、叩き付ければ都市のひとつくらい軽く全滅させる事が出来るだろう。
もっとも、既に「都市」と呼べるほどのものは何ひとつ残ってはいないのだが。
巨体の周囲には霧の様に濃い煙が充満し、横たわる大地は毒に侵され猛烈な腐臭を放つ沼地と化していく。
六つの目が、敵を探してぬらりと輝いた。
「もう、限界だな…」
涼介はこれまで、どんな状況にも耐えて生き延びてきた。
「その結果がこれか」
皮肉なものだと笑いながら、あてもなく彷徨い続ける。
やがて気が付けば、名も知らぬ崩れかけた遺跡に辿り着いていた。
「呼ばれている…?」
何かを感じ、その奥まで足を踏み入れてみる。
最深部に、石版があった。
「何か書かれてるが、読めないな…」
だが、その表面に触れた時、何かが涼介の中に流れ込んできた。
それは禁じられた召喚術。
解き放てば、術者とその相棒である召喚獣達を犠牲にする事で、究極の召喚獣を喚ぶ事が出来る。
どうする。
これを使うか。
いや、もう迷う必要もないか。
「…本来であれば、この先もお前たちはどこかの並行世界で生き続けるのかもしれないが…」
涼介は全ての召喚獣を喚び出して、尋ねた。
「すまないな…俺の最後の足掻きに付き合ってくれるか?」
答えが心の中に染み込んでくる。
「これで、お別れだ」
一体一体に礼を言い、別れを告げる。
最後に残った一体の魂が捧げられた時、それは現れた。
巨大なドラゴンの様な姿をしたそれは――何と呼べば良いのだろう。
名前は無いのか。
「そうだな、ならば…ラグナロクとでも呼ぶか」
我ながらオリジナリティも何もあったもんじゃないと思うが、誰に知られるわけでもなし。
「さあ、始めるか…俺たちの『終末の日』を」
その頃、智美は海の底で息を潜めていた。
「大事なもの全部ないし、人類だけじゃなくて動植物ももういない醜い星の姿を宇宙に晒し続けるのは忍びないと思ったけど」
どうやら仲間が太陽系全てを巻き込んで巨大な花火を打ち上げるらしい。
ならば後腐れはないだろうが、どうせ壊すなら関わった世界ごと。
智美の中に目覚めたのは、世界をリンク化する能力だった。
それを使えば、この世界で起こった事の影響を異世界にも及ぼす事が出来る。
つまり、この世界が滅びればリンクで繋がった他の世界も共に滅びるというわけだ。
(妹が生前夢想して話していた力と同じだよな)
但し影響を及ぼす事が出来るのは、何らかの形で繋がっているか、繋がった事がある世界のみになるが――問題はない。
「天界も魔界も、この地球にゲートを開いてる。それが仇になったな」
この能力は本来この世界にない、アウルとも関係ない力だ。
ならば彼等に感知される事もないだろう。
しかし、甘かった。
何らかの方法で危険を察知した天魔は、地球の各所に存在するゲートを使って大軍団を送り込んで来た。
地球の崩壊に巻き込まれる前に、その元凶たる智美の存在を抹消する為に。
「だが残念だったな、最後の希望は俺達が守るぜ!」
ミハイルが腕を掲げると、その周囲に古今東西の歴史上に存在したありとあらゆる銃火器が出現した。
それは彼自身が上空に舞い上がると共に宙に浮き、まるで雲霞の如く空を埋め尽くす。
眼下のゲートから溢れ出る天魔達に向けられたその銃口が、一斉に火を噴いた。
一切の情け容赦も手加減もない攻撃の前に、天魔達はなすすべもなく次々と崩れ落ちていく。
「ほう? 見ろー! 天魔がゴミのようだーー! はははは!!」
すっかり悪人面になったミハイルは呵々と笑う。
「言ってみたかったんだ、この台詞」
阿鼻叫喚が心地よい。
しかし自らの力に酔い痴れるのもそこまでだった。
「流石に殺しきれないな」
後から後から際限なく湧き出しやがってシロアリか何かか、てめぇらは。
浮力を失い地上に降りたミハイルは、あっという間に四面楚歌。
反撃を喰らって立っているのも難しくなる。
だが、彼は笑っていた。
「くくく、俺はまだ死なないぞ」
最後に一発、こいつをぶっ放すまではな!
地上にドンと据えられた高射砲、見た目は超大型ライフル「アハト・アハト」だが、その性能は大きく異なる。
「説明されてもお前らにはわからないだろうが、こいつはアウルをタキオン素粒子に変換し、光の速さを越えて太陽に撃ち込むと急激な膨張を起こすんだ」
それが太陽に撃ち込まれた瞬間、数十億年かかる天体現象が一瞬で起きる。
「簡単に言えば、お前ら全員さよならって事だ」
逃げても遅いし、逃げ場はない。
ラグナロクは吠えた。
その音波は指向性を持たず、あらゆる方向に広がっていく。
同時に世界の崩壊もまた、その身体を中心に広がっていった。
大地は震え、風は唸り、雷は空を裂き、巨大な雨粒が天から叩き付けられる。
形あるものが次々に浸食され、無へと還っていく中、それに抗う様に押し寄せて来る天魔の軍勢。
ラグナロクはそれを尾の一振りで軽々と薙ぎ払い、叩き潰し、口から吐き出す炎で焼き払う。
上級の天使や悪魔さえ、その力の前には雑魚と化した。
(この力がもっと早く手に入っていれば、或いは…)
だがラグナロクは召喚者の命の時間を削り、喰らうもの。
それが尽きた時、最強の竜もまたその命を終える。
涼介に残された時間は、もう長くなかった。
三つ首の大蛇に天魔達が取り付く。
大蛇が巨大なら、それに対する天魔達も劣らぬ巨体を誇っていた。
恐竜の様なディアボロが大蛇の尾に噛み付く。
しかし大蛇はその尾を振って、敵を軽々と投げ飛ばした。
毒と睡眠、石化の状態異常を受けたそれが地響きを立てて落ちると、間髪を入れずに三つの首がその胴体に牙を突き刺す。
右の首は麻痺とスタンに加えて物理系の威力を下げ、左の首は混乱と魅了に加えて魔法系の威力を下げる。
中央の首は全ての状態異常を与え、その上あらゆる攻撃に猛毒の追加効果が付いていた。
三本の首が二回ずつ、更に尾の攻撃も加えれば一度に七回の攻撃が可能、しかも受けたダメージは次の行動に移る間に完全回復というチートぶり。
そればかりか受けた痛みは倍返しとばかりに、攻撃を仕掛けた相手の周囲に大量の毒虫を出現させてチクチクと痛め付けていく。
巨体の下に広がる毒の沼はじわじわとその範囲を広げ、踏み込むものを毒に侵していった。
彼の前には、もはや敵も味方もない。
仙也としての意識も残ってはいないのだろう。
ただひたすらに毒を撒き散らし、刃向かう者には攻撃を加え、破壊の限りを尽くすモノ。
彼の毒は今や地中深くへと浸食し、この惑星そのものさえも毒の塊に変えようとしていた。
「天魔ども。予の最初で最後の晴れ舞台だ、堪能していくが良い!」
ひりょは――いや、ひりょMk2は巨大な鎌を軽々と振るい、近ければその刃で、遠ければその衝撃波で、天魔の群れを大地ごと切り裂いていく。まるでケーキにナイフを入れる様に、さっくりと。
その真っ赤に染まった瞳は、視界に入る全ての天魔の透過能力を封じる邪眼だった。
この期に及んでその程度の能力が何の役に立つのかと侮るなかれ。
「人の子の生き残りの一人として、最後に取っておきを食らわせてやろう。人の子が好んで食べる食べ物だ。遠慮はいらんぞ!」
大鎌を天高く掲げ、地上に巨大なワームホールを生成すると、そこから何か黄色い液体が湧き上がって来た。
食欲をそそる香りが鼻を刺激する。
ボコボコと際限なく湧き出てくるそれは、大量のカレーだった。しかも激辛百万倍。
為すすべもなくカレーの海に呑まれる天魔達、飛んで逃げようとするものは容赦なく大鎌の柄でぶっ叩き、カレーの海へ突き落とす。
「どうだ、透過で逃げる事も出来まい?」
そう、邪眼の透過阻止能力はこの為に、寧ろこの為だけにあると言っても過言ではない。
ひりょMk2はカレーに埋もれる下界を見下ろしご満悦。
逃げたければ全てを飲み干すことだ、ただし湧き出るカレーは無尽蔵だが。
「さすがの予も、この刺激臭には目が痛くなるな」
それに、身体の方がそろそろ限界に近付いていた。
この強大な力に耐えきれず、ひりょの肉体は徐々に崩壊を始める。
だが、まだだ。
最期の時を見届けるまでは――
その時、ミハイルが高射砲の引き金を引いた。
直後、爆発的な膨張を始めた太陽は瞬時に地球を呑み込む。
ジュッと音がしそうな程、あっという間に。
「これで…ようやく…会いに行ける、かな…」
涼介の最期の言葉は、押し寄せる熱と炎の前に溶けて消えた。
仙也が撒き散らした毒も、ひりょのカレーも、等しく無に還っていく。
やがて太陽はベテルギウス並の大きさと質量に膨れ上がり、超新星爆発を起こした。
それは海王星さえも呑み込み、吹き飛ばす。
おい、章治。見てるか?
俺が壊したのは日本どころじゃないぞ。
太陽系だ。
やったぜ。
俺の、勝ちだな。
ほぼ同時に、智美が発動した能力によって天魔それぞれの世界も同じ運命を辿る。
後には何も残らなかった。
記録を留めるモノも、記憶を留めるヒトも。
彼等が生きた証はもう、どこにも存在しない。