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マスター:STANZA
シナリオ形態:イベント
難易度:易しい
形態:
参加人数:31人
サポート:1人
リプレイ完成日時:2016/04/16


みんなの思い出



オープニング




 久遠ヶ原の島外。
 とある場所にある撃退署の収容施設に、黒ずくめの大天使が囚われていた。
 彼の名はメイラス。

 多くの命を奪い、その悪意に満ちた策略で人々を苦しめた男は今、外部との接触を遮断された独房にひとり座していた。
 彼に与えられているのは、ただ膨大な時間のみ。
 その時間を潰す為の手段は何もない。
 ただ時折、許可を得た者が面会に訪れる――それだけが唯一の変化であり、僅かな刺激だった。

 しかし何故かその日、メイラスは外に出ることを許された。
 ただし監視付きであることは当然だし、その手首には何かの装置を付けた腕輪が巻かれていたが。
「たまには外に出て、空を見上げてみるのも悪くないだろう?」
 建物の外で待っていた人物が親しげに語りかけてくる。
 こいつは馬鹿かと、メイラスは心の中で唾を吐いた。
 甘い顔を見せて情に訴えれば改心するとでも思っているのだろうか。
 それとも自分の優しさや博愛精神に酔っているのか。
 どちらにしても反吐が出る。

 だが、その一見脳天気な馬鹿――門木章治(jz0029)の目論見は全く別のところにあった。
「新しいゲームを始めよう、メイラス」
 赦すつもりも、情けをかけるつもりもない。
 寧ろその逆だ。
 メイラスには生に対する執着がないらしい。
 どんなに酷い痛みや苦しみを与えられても、それはただ感覚の麻痺した心の表面を掠めて行くだけで、他人事のようにしか感じないのだろう。
 かつて、自分がそうだったように。

 そんな奴には、どんな罰を与えても効果はないだろう。
 それを痛みとして受け止める心があるからこそ、罰は罰としての意味を持つのだ。
 痛くも痒くもなければ、自分が犯した罪の重さも理解は出来ない。
 理解出来ない者に与える罰は、ただの暴力だ。
「だから、染めてやるよ……俺達の色に」
 生きることが楽しいと思わせてやる。
 奪われることの痛みを思い出せるように。
 これは、そのための第一歩だ。
「そろそろ桜の季節だ、お前も花見くらいは知ってるだろう」
 ただ暗闇に閉じ籠もっていても、何も変わらない。
 外に出たからといって簡単に変わるわけではないことも知っているが――
 幸い、時間だけは腐るほどある。

「死にたくないと思ったら、お前の負けだ」

 そんなわけで、まずは花見に連れ出してみることにした次第。
「逃げてもいいが、逃げられるとは思うなよ」
 手足を縛ったりはしないが監視は付くし、能力も既に分析済みだ。
 メイラスの戦闘力は武器がなければ大天使として標準的な程度、例のコピー作成能力も素体を作れない今の状況では役に立たない。
「それに、その腕輪には天魔の力を封じる効果がある。今のお前は堕天使並に弱体化していることを忘れるな」
 ただひとつ注意が必要なのは、天使のくせに悪魔の囁きを得意とするその口か。

「だが、お前の悪意には負けない」
 門木は余裕の笑みを見せる。
 笑う門木に福来たる、なんてな?

 なお、腕輪はただのフェイクだ。
 しかし嘘も方便、思い込んだらそれは本物。
 行動を抑止する効果はそれなりにあるだろう。




 では始めようか。
 と言っても、特に何かをする必要はない。
 ただ普通に花見を楽しむだけでいい。

 メイラスがそれを見て何かを感じるか、それとも何も感じないか。
 その成果も気にしなくていい。
 ただ、声をかけたり仲間の輪に誘うことは自由だ。

 中には危害を加えようとする者もいるかもしれないが、それも止めはしない。
 行為の是非と、その結果。
 与える影響と、生じる責任。
 それらを自分の頭で考えることも必要だろう。

 場所は、施設の敷地内。
 かなりの広さがある空き地の周囲を囲むように満開の桜が咲き誇っている。
 一般人の立ち入りは禁止されているから、多少なら羽目を外しても問題ない。
 もしメイラスが暴れたとしても、施設に待機している撃退士達はあっという間に駆けつける。
 いや、その前に花見の参加者が取り押さえるか。

 とは言え、わざわざ戦闘に備える必要はない。
 桜の下で弁当を広げるも良し、走り回って遊ぶも良し。
 のんびり昼寝を楽しんでも構わない。
 夜になれば、空には満月が昇るだろう。
 月明かりに照らされる花を見ながら飲む酒も美味そうだ――



リプレイ本文

●夜明け前

 今日は絶好の花見日和になる筈だ。
 絶対そうなる。
 なってもらわなくては困る。
 せっかくこうして会場に一番乗りして、一番良い場所を確保したのだから。
「うん、大丈夫。予報でも天気が崩れるようなことは言ってなかったし」
 砂原・ジェンティアン・竜胆(jb7192)はシートを広げた上にきっちりと足を揃えて座り、空を見上げた。
 闇の中に仄かに浮かぶ桜花の向こうには、星々が瞬いている。
 僅かに白み始めた東の空で出番を待っているであろう太陽にも、今日は何かしらの気概のようなものが感じられる気がした。

「花見、ですか」
 昨夜、はとこの誘いを受けた樒 和紗(jb6970)は暫し考えてから頷いた。
「そうですね、ちょうど見頃を迎えているようですし」
 返答までに間が開いたのは、応じるか否かを迷ったせいではない……と、思う。
 バイトの都合や諸々の事情を勘案し、頭の中でスケジュールを練り直していたのだ、きっと。
 はとコンの拗らせ具合がいよいよ本気で鬱陶しくなってきたわけでもない、はず。
「俺は開店準備を終えてから合流しますので、場所取りお願いします」
「任せて! 一番良い場所選んどくから」

 そして現在に至る。
 快諾に気を良くしたジェンティアンは、張り切って場所取りに乗り込んで来た。
 が、流石に夜明け前からの場所取りは早すぎた気がしないでもない。
 あまりに早く家を出たため、テーブルには食事の用意もなかった。
 もちろん自分で作るなどという選択肢は存在しないし、セレブたるものコンビニ弁当などという安易な妥協も許されない。
「この空気に合うのはやっぱり会席膳だよね、和紗も喜びそうだし」
 そう考えて昨夜のうちに仕出しの手配は済ませてきた。
 あとは座して待つだけだ。
「あれ、でも和紗……開店準備が終わってからって言ってたよね」
 バイト先の店は夜の営業、その準備は午後から夕方にかけて。
 それが終わってからということは、あと何時間ここで待っていればいいのだろう。
 せめて足だけ、崩していいかな。



●楽しい花見は準備から

 やがて夜も明け、朝と呼ばれる時間帯も過ぎようとする頃。
「きゃはァ、普通の花見じゃ面白くないわよねェ…こんなのなんてどうかしらァ♪」
 黒百合(ja0422)が屋台を引いてやって来た。
 風にはためくのぼり旗には「だんご」の文字と、串に刺した白い団子の絵が描かれている。
「花見と言ったら団子は欠かせないでしょォ?」
 花より団子、色気より食い気。
 例によってこれも実践的な教育の一環ということで、学校と撃退署の許可も得ています。
 調理に関する講習も受けたので安心安全、お値段も実費程度の超低価格でご提供させていただきますよ。
 え、教育の一環なのに金を取るのかって?
 だからこそ、いただくものはきっちりいただくのです。
 ただのボランティアでは経済の仕組みに関する理解が進みませんからね。
「機材一式のレンタル料と材料費は自腹だしィ、出資額程度は回収しないとねェ♪」
 専用の餅つき器も導入しましたので、団子の他に搗きたての餅もご用意できますよ。

 ところが、そこに強力な商売敵(ライバル)が出現した。
「お茶屋さんかしらァ?」
 元々そこにあった古びた東屋によしずを立てかけ、峠の茶屋風に仕上げた店先には「お休み処」の看板が掲げられている。
 店先に置かれた檜の縁台には緋毛氈が掛けられ、野点傘が差しかけられていた。
 縁台に置かれたメニューには、桜餅やおはぎ、大福などの文字が並んでいる。
 しかもこちらは無料で振る舞うらしい。
 店主は月乃宮 恋音(jb1221)、黒百合の友人だ。
「あらァ、月乃宮ちゃんと被っちゃったわねェ」
 その声に、和服に前掛けという茶屋の娘スタイルをした恋音が暖簾を分けて顔を出す。
「……すみません……皆さんと同じにならないように気をつけたつもりなのですがぁ……」
「あはァ、いいのよォ♪ 考えることはみんな同じよねェ♪」
 気にしないでと、黒百合は笑いながら手をひらひら。
「せっかくだからコラボしちゃいましょうかァ♪」
 共同経営で、どう?
 店舗と移動販売の併用で宣伝効果も抜群、収益倍増は間違いなし!
「……あ……それは良いですねぇ……でも、ご迷惑ではないでしょうかぁ……」
 迷惑なんて、とんでもない。
 楽しいことは、皆でやればより楽しいのだ。
「ついでにもうひとり呼んじゃおうかしらァ♪」
 と、視線を投げた先には――

 木嶋香里(jb7748)もまた、着々と準備を進めていた。
 和風サロン「椿」の女将としては、花見と聞いて黙っているわけにはいかない。
 これは絶好のビジネスチャンス――いやいや、商売は抜きだ。
「皆さんに喜んで貰いたいですね♪」
 ただその一心で、香里は料理の腕をふるう。
 皆に振舞う料理や和菓子、ノンアルコールカクテルなどの材料は、昨夜のうちに仕込みを済ませてあった。
 後は収容施設の厨房を借りて仕上げ、保温装置や冷蔵庫を備えた特製屋台に積み込むだけだ。
「その場で簡単な調理も出来ますから、リクエストにもお答えしますよ♪」
 もちろんカクテルも目の前で作ります♪

「え、コラボ……ですか?」
 黒百合に声をかけられ、香里はすぐに返事を返した。
「はい、喜んで参加させていただきます♪」
 これで菓子類に加えて食事にドリンクと、レパートリーも増えた。
 黒百合が扱う商品だけは有償での提供となるが、利益を考慮しない格安設定だから問題はあるまい。
 寧ろタダより高いものはないと言うし、提供する商品の質に見合った対価を請求するのは当然である気もするが、どう考えるかは人それぞれだ。

 かくして三人娘の協力により、食事面での環境は完璧に整えられた。
 後は皆が集まるのを待つだけだが、その間にも何かしら仕事を見つけて働いてしまうのが久遠ヶ原の敏腕マネージャー。
 恋音は会場全体に目を配り、他の参加者達の状況を見る。
 何か困っている事はないだろうか、手が足りないところは――

「……黄昏先輩、何かお手伝い出来ることはありますでしょうかぁ……」
 声をかけられ、バーベキュー用のグリルをセットしていた黄昏ひりょ(jb3452)は顔を上げる。
「ありがとう、助かるよ。でもこっちは力仕事だから俺に任せて」
 その代わりと言って、水道の近くにセットした調理台の方を見た。
 そこでは黄昏空(jc1821)が大量の野菜と格闘している。
「空って言うんだけど、あの子を手伝ってあげてくれないかな」
 食材の下ごしらえは事前に家で済ませて来たほうが効率が良いのはわかっているけれど。
「あの子は世間知らずって言うか、知らない事が多いから……少し面倒でも色々やらせてみた方が良いかと思って」
「……なるほどぉ……そういう事でしたら、お任せ下さいですぅ……」
 恋音は水道でジャガイモを洗っていた空に、そっと近付いた。
「ばーべきゅー、ばーべきゅー、ばーべきゅーはーたのしいなー♪」
 蛇口から盛大に流れ出る水の音に混じって、変な鼻歌が聞こえてくる。
「ひりょ兄ちゃんと天城おじちゃん、一緒に食べるよばーべきゅー♪ ……ばーべきゅーって美味しいの?」
 手を止めて、かくりと首を傾げる。
「って言うかばーべきゅーって何?」
 周りの皆が楽しそうにしているから、つい自分も楽しくなってしまったけれど。
 よく考えてみたらバーベキューって初めてだった。
「……バーベキューというのはぁ……」
 と、頭上から柔らかな声が降ってくる。
 顔を上げると、そこには――
「おっぱいがしゃべったぁっ!?」
 仕方ない。蛇口の前でしゃがんだ空の目線では、腰を屈めて覗き込んだ恋音の胸しか見えないのは仕方ない。
 立ち上がったらそれはそれで、身長差的にやっぱり胸だけが視界にどーん。
「……主に屋外で、薪や炭などの弱火によって肉や野菜、魚介類などをじっくり焼く事を指すのですがぁ……」
「なーんだ、バーベキューって料理があるわけじゃないんだ? ボク、カレーとかハンバーグとか、そういう料理のひとつなんだと思ってたよ」
 ありがとう、おっぱいの人。
 でも、そう言われても今ひとつイメージが湧かないんだけど。
「……そうですねぇ……」
 習うより慣れろ、実際に体験してみれば説明は不要だろう。
「……お手伝いしますので、準備を済ませてしまいましょうかぁ……」
「ありがと。ねえ、ひりょお兄ちゃんに野菜洗ってきてって言われたんだけど、これで良いのかな?」
 蛇口の下に置かれた大きなタライの中は泡だらけ。
 傍らには台所用洗剤のボトル。
「……これはぁ……」
 一瞬びっくりしたけれど、ボトルの表示を見て一安心。
 大丈夫、ちゃんと「洗えるもの」として「野菜・果物」と書いてある。
 洗剤で野菜を洗う人は滅多にいないどころか非常識として糾弾されかねないが、実は洗っても問題はないのだ――ただし抵抗を感じる人は多いだろうが。
「……洗剤は、きれいに洗い流してくださいねぇ……」
「はーい!」
 空が洗った野菜を恋音が適当な大きさに切り分けて皿に盛り、或いは肉と交互に串に刺して、あっという間に下ごしらえが終わる。
「次は火熾しだけど、空にはまだ危ないから」
 下がって見ているように指示を出し、ひりょはコンロに並べた炭に火を付ける。
 大丈夫、上手な火の付け方はネットで調べてきた。
「細くひねった新聞紙を井桁に組んで、その周りに炭を並べて筒状に組み上げて……」
 上手くいけば10分程度で炭に火が回る筈だ。



●オジサマはアイドルに入りますか

「わー、みんな早いー」
 昼の少し前、丸めたブルーシートを担いだクリス・クリス(ja2083)が意気揚々と乗り込んで来た。
 予定はパパ達と一緒の夜桜見物だが、昼間の桜も捨てがたい。
 というわけで場所取りを兼ねて、暫くはこの景色を独り占めだ。
「折角のお花見は、花の舞い散る樹の下がいいな♪」
 クリスは弾む足取りで、ちょうど良い具合の木を探す。
「満開を少し過ぎたくらいの見ごろ散りごろが、風情があって良いんだよね」
 周囲をぐるりと一周し、あっちとこっちを見比べて。
「うん、やっぱりさっきのところにしよう♪」
 くるりと踵を返して目を付けた場所に駆け戻ると、先ほどは誰もいなかった筈の場所に見覚えのある人影が立っていた。
「あ、門木せんせーこんにちはー」
 その声に振り向いた門木は、丸く束ねた黒いケーブルを肩に掛け、手には投光器を提げている。
「そっか、ライトアップの準備するって言ってたっけ」
 ということは、その前段階に当たる「お弁当作りミッション」は無事に成功したのか……それとも継続困難として途中放棄されたのだろうか。
 気になるところだが、とりあえずそれは置いといて。
 シートを広げ始めたクリスを見て、門木が尋ねた。
「ここはどうする、照らすなら色も選べるが」
「あ、お願いしまーす。色はシンプルに白がいいなー」
 カラフルなのも捨てがたいけれど、散りゆく姿には雪のような白が似合うと思うから。
「今日はひとりか?」
 三箇所から光が当たるように投光器をセットしながら、しかしただ黙々と作業するのも何となく気まずい気がして、クリスに声をかけてみる。
 本当は何かもう少し気の利いたことを言えれば良いのだが、そこは門木だから仕方がない。
「うん、夕方にパパ達が来るけど、それまではボクひとり♪」
 商店街の馴染みの店でお菓子と飲み物を買って来たし、桜を眺めていれば時間なんてあっという間に過ぎるだろう。
「たまにはひとりで静かに過ごすのも良いものですよー」
「そうか、でも退屈したら誰かに声をかけてみるといい、向こうの賑やかな集団とか、な」
 BBQ会場には、既に大勢の人だかりが出来ていた。
「あいつらなら飛び入りも歓迎してくれるだろう……それでも入りにくければ、俺のところでも良いし」
 それはもっと入りにくいと思う、と言うか普通は空気読む。
「遠慮しなくていいのになぁ」
 ぽつりと零し、門木は小さく溜息をついた。
 このごろ皆が遠くなった気がして寂しい、なんて言ったら贅沢だろうか。

 と、そこに――
「それではお言葉に甘えて、遠慮なくお誘いさせていただきますわ!」
 背後で炸裂する黄色い声と共に、誰かが門木の腕を掴んだ。
 声の主は斉凛(ja6571)、門木のファンクラブ名誉会員、いや、その勢いからすれば名誉会長と呼ぶのが相応しいだろうか。
「さあ、どうぞこちらへ!」
 ハンカチを振るクリスに見送られ、門木はズルズル引きずられていく。
 しかし、その強引さがなんか嬉しい。
 そして放り込まれたBBQ会場にはダルドフの姿があった。
(「二大スターが揃うなんて夢みたい」)
 凛は恐らく学園で唯一のダルドフFC名誉会員、一人しかいないということは、やはりこちらも会長兼任と考えるのが妥当であろう。
 自らが会長を務める超局地的豪華アイドルの共演とか誰得ですか。
(「もちろんわたくし得に決まっていますわ!」)
 恐らく他に需要はないものと思われる究極のニッチ市場、ということはつまり、全てがただ自分ひとりの為に存在するというこの贅沢。
 もう内心では鼻血でBBQの炭火さえ消えそうな勢いだが、表には出さずに(ただしだだ漏れである)冷静を装い(成功しているとは言い難い)、ダルドフの前に進み出た。
「は……初めまして……ずっと……ファンでした」
「むぅ?」
 ファンとは特定の何かを信仰にも等しい熱意をもって愛好し、応援し、時には自らの命や財産までも捧げる覚悟を持った人々のことである。
 まさか自分がそのようなものの対象となることなど考えられないとダルドフは首を振るが――そのまさかだった。
 ハート型になった瞳をピンクに染めて、凛はダルドフのブロマイドを写っている本人に差し出す。
「あの、サインをいただけないでしょうか」
 さりげなく油性の筆ペンを添えるあたり、リサーチも完璧のようだ。
「さいん、とは……某の名を書けばいいのかのぅ?」
 筆ペンを取り、堂々たる筆致で「陀瑠弩麩」と書き上げる。
「ありがとうございます、家宝にさせていただきますわ!」
 堂々と書きすぎて一面ほぼ真っ黒、肝心の写真が殆ど見えない状態だが問題はない、多分。
 その代わりと言っては何だが――
「記念に写真撮ってもいいですか?」
 はい、門木先生もそこに立って、こっち向いてー。
「門木先生と2大アイドルの共演……素敵」
 ぱしゃー。
 ダルドフと並ぶことに抵抗があるのか、門木が今までに見たことがないほどイヤそうな顔をしていたけれど気にしない。
 確かに見た目には樹齢千年の大木と、日当たりの悪い場所でヒョロリと育った若木くらいの差があるが、それもまた個性。
(「アイドル生写真ゲット!」)
 ぐっ。
 逃げられないうちにもう一枚、そしてついでにリュールにも声をかけて巻き込んでいく。
「お噂はかねがね聞いていましたが…間近で見ると本当にお綺麗ですね」
「いや、それほどでもあるが」
 もっと褒めろと自重も謙遜もしない御年933歳。
「そのお綺麗な姿をぜひ記念に……写真とってもいいですか?」
「仕方がない、一枚だけだぞ」
「一枚だけなんて勿体ないですわ、そう仰らずに何枚でも……どうか、これでひとつ」
 そっと差し出す袖の下は山吹色の菓子ならぬ本物の手作りスイーツ。
 今こそキャスリングのメイドの意地を見せつける時!
「そこまで言うなら仕方あるまい」
 スイーツに免じて、ここは撮影を許可してやろう。
 どうせなら写真集が出せるくらいに撮りまくってくれても良いのよ?
「それでは遠慮なく」
 凛はアイドルミーハー気分で写真を撮る振りをしつつ、門木とダルドフも一緒に写るように角度と構図を変えてシャッターを押しまくる。
(「家族写真もゲット!」)
 後でこっそり門木に贈呈するのが、出来るメイド忍者の嗜みというものです。

「凛さん、こっちもお願い出来るかな」
 頃合いを見計らって、ひりょが声をかけた。
「人数も揃ったし、そろそろ焼き始めようと思うんだけど、その様子を撮ってもらえると嬉しいな」
「あ、ボクも撮ってー!」
 空が大皿に盛った串焼き用の材料を手にポーズを決める。
「これボクが作ったんだよ!」
 恋音が切り分けたものを串に刺しただけとも言うが、それだって立派な料理だ。
「はい、承知いたしました」
 そう答えて、凛は空にカメラを向ける。
 アイドル生写真はもう充分に確保したし、そろそろ門木は解放してあげようか――どうやら待っている人がいる様子だし。
「せっかくの良いお花見日和ですわ、どうぞ存分に楽しんできてくださいませね」
 大丈夫、出来るファンはアイドルの私生活にまで踏み込んだりはしないのです。
 メイドとして紅茶を淹れに行くことはあるかもしれませんが。
「……あの……よろしかったら、お菓子を少しお持ちになりませんかぁ……?」
 お言葉に甘えてその場を辞そうとした門木に、恋音が和菓子の包みを差し出す。
「……桜餅と三色団子ですぅ……桜餅はお好みがわからなかったので、道明寺と長命寺の両方をご用意してみましたぁ……」
「私はドリンクをご用意させていただきました。まだお昼ですし、ノンアルコールで構いませんよね♪」
「きゃはァ、こちらもどうぞォ♪」
 香里は桜の香りがするカクテルをグラスに注ぎ、黒百合は塩漬けの桜を沿えた花見団子セットをパックに詰めて。
 粒あん、こしあん、ずんだに黒ごま、みたらし、きなこ、大根おろしと一通り入って500久遠という超お買い得!
「え、金とるのか」
「当然でしょォ、世の中そんなに甘くないのよォ?」
 これは気楽な花見とは言え、一応は捕虜に対する更生や教育の一環として行われているものだ。
 申請すれば必要経費として処理される筈だが……ただし酒類を除いて。
「手続き、しておくか?」
「そうねェ、お願いしようかしらァ」
 一部だけ有料というのも、ちょっとやりにくいし。



●初めての共同作業

「「いってらっしゃーい!」」
 何故か盛大に見送られ、お土産を抱えた門木は片方しかない翼を広げる。
 もう片方の翼は、施設の屋上で待っている筈だ。

 数日前。
「それが報復、ですか」
 門木の目論見を聞いたカノン(jb2648)は、そう言うと小さく笑みを漏らした。
「変か?」
「いいえ、あなたらしいと思って」
 相変わらず、この人は自分には思いもつかなかったことをする。
 もっとも、それはお互い様のようだけれど。
「えぇ、お手伝いしますよ……全力で」
 たまには素直に応えようと、戦闘モードすいっちおん。
 あくまで真面目に真剣に、眉間に皺を寄せるカノンに、今度は門木が目を細める。
「ありがとう、頼もしいな」
 その口調には幾分かのからかい成分が含まれていたが、スイッチの入ったカノンは気付かなかった。
「……いえ、あまり頼りにされても……」
 何しろ今度の相手はお弁当作りという強敵だ。
 しかも行楽弁当となれば大勢で食べることが前提になる。
 門木なら多少どころかかなりの失敗作でも喜んで食べてくれるが、他の人となるとそうはいかない。
(「皆さんの分もと考えればしっかりしないと」)
 そう考えると眉間の皺がますます深くなる――が。
「大丈夫、二人分でいいから」
「え?」
 その皺を指先で伸ばしながら、門木が笑う。
「皆それぞれ自分で用意するだろうし、バーベキューもやるみたいだし……だから、そんなに頑張らなくていい」
 風雲荘の食事当番は持ち回り制だから、カノンも普段からキッチンに立っている。
 最近ではだいぶ慣れて来たようで、そこそこ上手く出来ている、筈だ――作業中に考えごとさえしなければ。
「普段から作り慣れたものでいいって、ここにも書いてあるし」
 と、門木は「はじめてのおべんとう」と書かれた初心者向けの本を広げて見せる。
「俺はサラダとサンドイッチ作るから、カノンは火を使うものを頼むな。唐揚げとか、卵焼きとか……ハンバーグは、出来る?」
「……多分」
「無理なら冷食でもいいけど」
「いいえ、やります」
 確かに形を崩さず焦がさず焼くのは難しいし、冷めても美味しいものをとなるとハードルは更に高くなるけれど。
「うん、じゃあ任せるな」
 と言いつつ、門木はさりげなく「作り方のコツ」なるページを開く。
 そこには例として、カラフルなピックに刺したミニハンバーグや、持ち手を紙で包んだスティック状の唐揚げ、丸くて小さなコロッケなどの写真が載っていた。
(「なるほど、箸がなくても食べられるようコンパクトに……ですか」)
 小さく作れば火の通りも早いし、焦げて崩れる前に焼き上がりそうだ。
(「冷めても美味しく作るには、牛肉を使わないこと……卵焼きは混ぜすぎない、唐揚げは二度揚げ……」)
 頭に入れておこう、上手く出来るかどうかは別にして。
「あとは……良い機会ですから、リュールさんに家庭の味でも教えていただき……ぁ」
 天界に料理なんて存在しなかった。
 しかし、そんな考えが自然に出て来るあたり、ずいぶんと人界での「常識」に染まってきたものだ。
「あったとしても、やらないだろうけどな」
 門木が笑う。
「それに家庭の味なら、ヒッチハイクで教わったのがあるだろ?」
 あとはカノンが作るものが、新しい我が家の味になる筈だ――順調に行けば。
「他になにか、食べたいものはありますか?」
「おにぎり」
 問われて、門木は反射的にそう答えた。
 夢の中で食べたそれが、他の何よりも美味しかったから。

 そして屋上。
 雲のように広がる桜を見下ろしながら、門木は弁当を広げる。
「たまにはこの角度で眺めるのも良いかと思ってさ」
 それに、下ではどうしても人目についてしまう。
 自分達の姿を見たくない者もいるだろうから、とは誰にも言わないけれど。
「俺達の翼じゃ雲の上までは飛べないけど、こうして見下ろしてると……なんとなく、そんな気分にならないかな」
 足下には桜の雲海、視界の殆どは真っ青に晴れ渡った空。
 その下で食べるおにぎりは、夢の中と同じ味がした。



●ねこ、ちょこ、たこ

「お花見……マシュマロ連れて行ったらだめかなあ……」
 その日の朝、シグリッド=リンドベリ(jb5318)は頭の上に乗せた猫のマシュマロと鏡の中でにらめっこ。
「迷子になったりしないのです?」
「にゃぁ」
「知らないひとについていったり……」
「にゃぁ」
「そのにゃぁは、何なのです……?」
「にゃぁ」
 わからない。
 わからないけれど、ひとりで留守番させるのも心配だし。
「置いていったら、きっとすぐに帰りたくなるのですね」
 ただでさえ寂しいのに、マシュマロがいなかったら余計に寂しくて、桜の下に埋まりたくなりそうだ。
「やっぱり一緒にいくのですよ……」
 そこに「逝く」の字を充てたくなるほど声に生気が感じられないのは、きっと見てはいけないものを見てしまったせいだ。
(「キッチンを覗いたぼくが馬鹿でした。章兄が何かするなら、彼女さんがお手伝いしないはずがないのです……」)
 その間に割って入る度胸はない。
 二人とも嫌な顔はしないだろうし、それどころかきっと歓迎されるだろうとは思うけれど。
(「ぼくの心が息しなくなるのですよ……」)
 危なっかしい様子に思わず手を出したくなるところをぐっと抑え、気付かれないうちにそっと踵を返して今ここ。
 と、部屋の外で何か物音がした……気がする。
 いや、あれはノックの音だ。
 何だろうと思ってドアを開けてみたが、そこには誰もいない。
 代わりに小さな紙袋がひとつ置かれていた。
「中身は……お弁当、なのです……?」
 誰が置いていったのだろう。
 いや、まあ大体は想像が付くけれど。

「桜がとても綺麗なの……ですね」
 華桜りりか(jb6883)は、はらはらと舞う桜の花びらを一枚その手のひらに受ける。
 そっと鼻を近づけると、ほんのりと春の……いや、これはソースの匂い……?
「……え?」
 匂いの原因は、そこにあった。
 いつのまにか出現した神のたこ焼き屋台、店主はもちろんゼロ=シュバイツァー(jb7501)だ。
「花見と言ったら酒とたこ焼きやろ!」
 情緒? 知らない子ですね?
「花見に酒がないとかそんな事認めんで! 大丈夫や、きっつぁんの財布は傷まん!」
 なので皆さん、安心して真っ昼間からかっ喰らってください。
 弁当? 酒とたこ焼きがあればそれで充分。
「栄養のバランス的に、それもどうかと思うのですよ……」
 桜柄のシートに座って、しグリッドは紙袋から二段重ねのランチボックスを取り出す。
「章兄が作ってくれたのです……ぼくと華桜さんでどうぞって」
 本人は置き逃げしたけど、手紙が入ってました。
「章治兄さまが……?」
 りりかが蓋を開けると、上の段にはカラフルなサラダやバラの形に巻いた生ハム、ヒナギクのように飾り切りしたゆで卵、ウサギの形に切ったかまぼこなどが並び、まるで花畑のようだ。
 下の段には一口サイズのサンドイッチがぎっしり、しかも普通にパンで挟むのではなく、ロールケーキのように巻いてラップでくるんであった。
 どれも火を通さずに作れるものばかりだから、ゆで卵以外は全部自分で作ったのだろう。
「章兄、女子力高いのです……」
 どうやら二人の胃袋を掴むことで再び距離を縮めようという作戦らしいが、それにしても助かった。
「ぼく、ご飯はみんながたくさん用意してそうだと思って甘いものしか持ってきてないのです」
 そっと差し出される、桜色をした自作の羊羹と緑茶。
「あたしも、チョコならたくさん……」
 桜の形を模した生チョコに、カカオ分を10%刻みで調整した一口チョコ各種、中にフルーツシロップを入れたチョコや、大人にはウィスキーやブランデーが入ったチョコ。
「危うくたこ焼きが主食になるところだったのです」
 いや、たこ焼きも悪くはないけれど。
 りりかならチョコが主食でも一向に構わない気もするけれど。
「お酒……そういえば今年は飲めるの、ですね」
 ちょっとお洒落にワインを飲みながら、りりかはサンドイッチをつまむ。
「んむ……章治兄さま、いいお嫁さんになれるの……です」
 なんか違うけど間違ってない気がするのは何故だろう。



●くまさんといっしょ

「さくらがとってもきれいなの!」
 キョウカ(jb8351)は天駆 翔(jb8432)の手をとって、満開の桜の下を歩く。
 時々は手を離して大きな幹の後ろに隠れてみたり、舞い散る花びらと一緒にくるくる踊ってみたり。
「あっ、だるどふたま!」
 遠くに目当ての人影を見つけ、駆け寄る。
「だるどふたま、こんにちは、なの!」
 今日はまず、友達の紹介からだ。
「キョーカたちのお友だちのしょーたなの! 1年生の時から、ずーっと一しょのクラスなの!」
「はじめまして、あまかけしょうといいます」
 ぺこりと下げた頭の上に、大きな手が降ってくる。
「おぉ、これはこれは丁寧な挨拶を痛み入る。ぬしは礼儀正しいのぅ」
 わしゃわしゃと撫でられ、翔の黒髪が四方八方に飛び跳ねた。
「娘がいつも仲良くしてもらっておると話には聞いておったが、なんぞ悪戯はされておらぬか?」
「だいじょうぶです、ぼくの友だちはみんないいこですから」
 顔を上げた翔は、ダルドフの分厚い胸板にキラキラと輝く熱い眼差しを向ける。
「あの、だるどふさんとびこんでもいいですか?」
「むぅ?」
 そこに、どーんと。
 身振りで示した翔に、ダルドフもまた身振りで答える。
 両腕を広げて、カモン!
「ではえんりょなく、いきます!」
 助走を付けて思いっきり、どーん!
 もちろん、いつもは上空30mからの急降下爆撃ハグを受けてもビクともしないこの巨漢が、その程度で身揺るぎひとつする筈もない。
「うおーすごい……これがおとな」
 腹筋ペタペタ、ついでに大胸筋もペタペタ、もひとつついでに丸太のような腕にぶら下がってみる。
「だるどふたま、キョーカもいい?」
「うむ、遠慮は無用ぞ!」
 二人を軽々とぶら下げて、ダルドフは豪快に回り始めた。
「すごい、ゆーえんちみたいだー!」
 遠心力で殆ど水平になった翔が叫ぶ。
「とばされそう、なの!」
 もちろん、この遊具が安心安全であることはわかっているけれど。

 子供達と楽しそうに遊ぶその姿を見て、リュールはその瞳にいつになく柔らかな光を浮かべていた。
 いや、そう見えたのはユウ(jb5639)の目に特殊なフィルタがかかっているせいだろうか。
 その視線に気付いたのか、リュールは「今度は何を企んでいるのか」とでも言いたげにユウを見る。
 度重なるラブラブ大作戦のお陰で、すっかり警戒モードになっているようだ。
 しかしユウは穏やかな微笑みでその視線を受け流す。
「今回は何もないので安心してください……この美しい光景と料理を楽しみましょう」
 本当か?
 本当に何もしないのか?
「なんだ、つまらん」
「え?」
 もしかして、弄ってほしかったのだろうか。
 しかし前回の作戦は大成功、ここは更に押すよりも一度手を緩めるのが大物を仕留めるためのセオリーというものだ。
(「それに、特に意識させなくても良い雰囲気になると信じていますから!」)
 今も良い感じだったし、手応えは充分だ。
「さあ、せっかくですからお花見を楽しみましょう」

「キョーカ、おべんとつくってきた、だよ!」
 キョウカはウサギのイラストが入った可愛い弁当箱を広げて見せる。
「わぁ、おいしそー。これキョウカちゃんがつくったの?」
 翔の問いに、キョウカはえへんと胸を張る。
 箱いっぱいにぎっしり詰まった小さなおにぎりは、キョウカが握ったものだ。
 おかずはだし巻き卵と甘い卵焼き、から揚げなどなど……こちらは恩人に手伝ってもらったものだが、細かいことは言わずにおくスタイル。
「お茶ももってきた、なの。だるどふたまには、はいこれ、おみやげなの!」
 取り出した天儀酒をダルドフに差し出す。
「おぉ、これは珍しい……某が飲んでしまっても良いのかのぅ?」
「くじびきで当たったの! おさけがすきな人にのんでもらうのが、おさけもしあわせだと思う、だよ?」
「ふむ、なるほど。では遠慮なくいただくとしようぞ」
 そこにやって来る、香里の屋台。
「美味しい料理やお飲み物はいかがですか? お酒のおつまみもありますよ♪」
 飾り串で刺したローストビーフに、エビの生春巻き、トルティーヤ、キッシュ、カナッペ……どれでもお好みでどうぞ。
 桜のシロップを使ったねりきりは、花や動物などいろいろな形に仕上げてある。
「他に何か、リクエストがあればお作りしますよ」
 ただし材料が手元にあるものに限るけれど。
「……甘いものがお好みなら、こちらはいかがでしょうかぁ……」
 恋音が桜の花弁型をしたクッキーや桜餅、それに黒百合の搗きたて餅や団子を配る。
 甘味が苦手なダルドフには、醤油や唐辛子を塗った煎餅をその場で焼いて。
「これおいしいよ。キョウカちゃんもたべる?」
 翔は一口サイズにカットされた桜エビのキッシュを差し出してみる。
「はいどうぞ、あーん?」
「ありがとうなの!」
 じゃあ、お返しに甘い卵焼きはいかが?
「うん、キョウカちゃんのおべんともおいしいね」
 二人の間を行き交う、キッシュにタルトに卵焼き、唐揚げ、フリッター、ミートボールにチーズ入りちくわ――
 が、その手の動きを翔のヒリュウがじーっと目で追っていた。
「ヒリューもたべたいの?」
 訊いてみると、ヒリュウは頷きながらモゴモゴと口を動かす。
「じゃあ、ヒリューもはい……あれ?」
 先ほどのキッシュをと見ると、それは既に完売御礼。
「あ、食べられちゃった」
 しょんぼりと肩を落とす翔、大人数での食事は早い者勝ちの厳しい生存競争なのだ。
 でも大丈夫、ここには不足分をすぐに補充してくれる強い味方がいるのだから。
「おかわりですね、はいどうぞ?」
 にっこり笑って差し出された新しい皿には、翔のお気に入りキッシュが山になっている。
「足りなくなったらまた作りますから、お腹いっぱい食べてくださいね♪」
 香里のお言葉に甘えて、翔はどんどんお腹に詰め込んでいった。
 桜も綺麗だし、ちゃんと見ているけれど、この年頃の男の子はやっぱり花より団子。
「ふむ、良い食いっぷりだのぅ、翔はきっと大きくなるぞ?」
「ほんと? だるどふさんみたいになれる?」
 ダルドフに言われ、翔は嬉しそうに目を輝かせる。
「なりたいか?」
「なりたい!」
「では某が鍛えて……んごっ!?」
 言いかけたところで脇腹に肘鉄が入る。
「お前は鍛えすぎだ、程度というものを考えろ馬鹿者」
 ここまで巨大化したら邪魔なだけだと、リュールは少年を諭す。
 まったく、口と態度の悪い鬼のような元嫁だが、それでもユウはうっとりと二人の様子を見つめていた。
(「あれがツンデレの新しい形なのですね」)
 その言葉にデレ成分は欠片もないが、代わりに行動が本心を表している。
 肘鉄のどこがデレなのだと突っ込まれそうだが、それは肘が当たる距離、つまりすぐ隣に座っているということで。
 それに、その程度の攻撃では物理的なダメージを与えられないことは、リュールも承知しているはずだ。
 これをデレと言わずして何と言う。
「だるどふたま、とってもうれしそうなの」
 キョウカの目にもそう見えたようだ。
 これは、描かねば。
 スケッチブックを取り出して、キョウカは二人の姿を紙に写し取っていく。
 出来上がったものは、もちろん記念にプレゼントだ。
「だるどふたま、りゅーるたま、はいどうぞ、なの!」
 それは写真よりも雄弁に何かを語っていた――リュールが恥ずかしそうに目を逸らしたほどの、何かを。
「おぉ、相変わらず上手いのぅ」
 素直になれない元嫁の分まで礼を言い、ダルドフはキョウカの頭を撫でる。
「キョーカ、きょうもいっぱいおえかきする、なの!」
 本当は東北にいる他の皆とも一緒に遊びたかったけれど。
 去年は、今年もまた同じように皆で遊べることを疑いもしなかったけれど。
「だるどふたま。ねぃねーたたちは元気?」
「うむ、まあ……元気と言えば元気だのぅ」
 ネージュは今も自由に出歩くことを許されていなかった。
 元々室内で過ごすことの追い冬の間は、それでもさほど苦にならないかもしれないが。
「そろそろ、どうにかせねばのぅ」
 向こうで桜が咲く頃には――

「ダルドフさん、お久しぶりです」
 東北の話題が出たところで、葛城 巴(jc1251)が声をかけてきた。
「さくらまつり以来ですが、お元気そうで何よりです」
「おぉ、ぬしも息災のようで何よりだのぅ」
 さくらまつり、そう言えば今年もそろそろ行われる頃だ。
 去年は撃退士達の手も借りて賑やかに行われたが、今年の準備はどうなっているのだろう。
 帰ったら黒田に訊いてみるか。
「私も学園に来て1年が経ちました」
 巴が続ける。
 その声に何か真剣なものを感じて、ダルドフは人の輪からそっと離れた。
 何か悩み事でもあるのだろうかと思いつつ、先を促すでもなくじっと待つ。
「今日は貴方にお願いがあって参りました」
 他に聞く耳のないことを確認して、巴は切り出した。
「私の父の事について何か_ご存知ではないかと思いまして……」
「ふむ、ぬしの父御とな? 名は何と?」
「それが……」
 巴は黙って首を振った。
 母は父のことを何も話してくれない。
 その昔、大怪我をした彼を看病したことが縁であったと聞いたことはあるが、それ以上のことは何も――ただ「空の上にいる」としか。
「父は、母にも本名を名乗らなかったのだと思います」
 それは追跡を恐れたせいか、それとも名乗る価値もないと思われたから、なのか。
 偽名なら娘に教える必要もないと、母は考えたのだろう。
「ふむ……では何か他に特徴はあるかのぅ?」
「いいえ、それも……母は私には何も話してくれません。話さない理由さえも……」
 そう言われて、ダルドフは眉を寄せる。
「困ったのぅ、某も出来ることなら力を貸したいが、名も知らぬ特徴もわからぬではのぅ」
「そうですよね、すみません」
「いや、謝ることはない。子が親を知りたいと願うのは、当然であろう」
 しかし天界は広く、手がかりもなしに探すのは殆ど不可能と言わざるを得ない。
 それにダルドフは既に天界から離れて久しい身、入る情報も自ずと限られていた。
「しかし、ぬしが探しておること、気には留めておこう」
 逆に巴の情報を天界に流すほうが、周囲の者や本人が気付いて名乗り出る可能性が高くなりそうな気もするが――それは流石にリスクが高いか。
 その為に使えるような伝手も、今はないに等しい。
「ありがとうございます」
 話を聞いてもらったことで少しは気が楽になったのだろうか、巴は先ほどよりも僅かに明るい表情で頭を下げた。
「母は元気にしてますけれど、先日手術しました」
 出来る事なら父を探し出して、母にもう一度会ってほしい。
 もうこの世に居ないのなら、父を知る誰かでも見つけて話を聞きたい。
 何も知らないままでは、自分が何者なのかもわからないから。
 憎めばいいのか、それとも感謝すればいいのか、気持ちの整理も付けられないから。
(「ダルドフさんのような、懐の大きい人だったらいいな……」)
 いつか、会えるだろうか。



●たのしいばーべきゅー

「ここ暫く勉強漬けだったから、気分転換も兼ねて花見に行こう♪」
 というわけで、シェリー・アルマス(jc1667)はお馴染みの面子を誘ってBBQ会場へ。
「自分で食べる分は、ちゃんと自分で持ってきたよ!」
 お肉どーん!
 しかし、上には上がいた。
「……私、特殊なケースじゃないわよね?」
 蓮城 真緋呂(jb6120)の背中には、まるで昔の行商人のような大きな背負子が乗っていた。
 それを下に降ろすと、ずしんと足下が沈み込んだ……気がする。
 中身は牛肉と豚肉と鶏肉と、あとはラム肉に猪肉、鹿肉、カンガルー肉にダチョウ肉。
 あ、ダチョウは卵もあるから巨大な目玉焼きも出来るよ!
 それにソーセージと焼きそばと、焼く用のおにぎりと、野菜諸々と……
「これで足りるかな?」
 足りるよ、寧ろ余るよ普通。
 しかしそこは安心してほしい、真緋呂は特殊なケースだ――食べる量的に。
「食べきれなくなったら全部任せて!」
 頼もしいと言うか何と言うか、それでいいのか女の子。
「あ、デザート用に焼きリンゴや焼きマシュマロも良いわね♪」
 もちろん甘味は別腹ですよね、だって女の子だもん。
「負けた……」
 次から次へと出てくる食材の山を見て、シェリーはあっさり白旗を揚げる。
 いや、対抗する気はないけれど、何となく。
 気を取り直してビデオカメラをセット、ここには呼べない能天使へのお裾分けだ。
(「食事が余ったら、ついでにお土産に持って行ってあげようかな」)
 テリオスに頼めばビデオと一緒に届けてくれる筈だ、きっと。
「ね、テリオスさん? 届けてくれるよね?」
 すっかりパシリと化したテリオスは渋々頷く。
「受け取る保証はないぞ」
「うん、わかってる」
 それでもメゲずにアプローチを続けることが大事なのです。
「じゃあみんな、撮影始めるよー!」
 映りたくない人はフレームの外に逃げてねー!

「ねー、お肉まだー? お肉ー」
 紙皿と箸を持って待機する空、しかし網の上には野菜の山。
「もう少し待ってね、バーベキューは野菜から焼き始めるのがセオリーなんだ」
「セロリ? ボク、セロリ好きじゃない」
 ひりょに言われて渋い顔をするが、そうじゃない。
「セロリじゃなくて、セオリー。決まった手順とか、そういう意味だよ」
「ふーん?」
 それはわかったから、早くお肉!
「「お・に・く! お・に・く!」」
 周囲からも湧き起こる、肉へのラブコール。
 君達そんなに肉が好きか。
「わかった、今焼くからちょっと待ってて」
 熱意に押され、野菜は脇に追いやられる。
 やがて網の上から食欲をそそる匂いが漂い始めた。
「やはりバーベキューはこうでなければいけませんね」
 箸を構えた雫(ja1894)が頷く。
 青い空に立ち上る煙、陽の光に煌めく肉汁……これぞBBQ。
「雨が降らなくてよかったです」
 屋根の下でするのも悪くはないけれど、やはりBBQには青空が似合う。
 桜? それは肉でお腹を満たしてからね!
「御花見と言うとお酒のイメージが先行しますが、未成年の私にはお肉があれば満足です」
 ちょうど良い焼き加減を見計らい、箸を構えて――
「あっ」
 先を越された。
 その肉、目を付けていたのに。
「んー、美味しいー」
 さらって行ったのは、やはりこの人……はらぺ娘まっひー。
 負けじと四方八方から手が伸びて、あっという間に網の上は空っぽに――ただし野菜を除いて。
「お前達、野菜もきちんと食べないと大きくなれないぞ?」
 天城時雨(jc1832)が大人の嗜みとしてそう注意するが、その手の更に乗っているのが肉ばかりでは説得に乏しいことこの上もない。
「俺はいいんだよ、大人だからな」
「大人こそちゃんと栄養のバランスよく食べなきゃいけないと思うんだけどな、身体の色んな機能が衰えてるんだから」
「何か言ったか、小僧?」
 ぽつりと零したひりょに、時雨はにっこりと笑う。
 が、目は微妙に笑っていない、ような。
「いいから早く焼け、皆が待っているぞ」
「はいはい」
「はいは一回」
「はーい」
 ベタなやりとりを繰り広げながら、ひりょは次々と肉を焼く。
(「天城さん、やっぱりちょっと苦手だな……すぐに子供扱いするんだから」)
 まあ、確かに彼から見れば子供だろうけれど。
「お肉が美味しいっ。いくらでも入りそうだよ〜!」
 空は周りの真似をしながらどんどん食べる。
 ただし肉を野菜で巻いて一緒に食べるという、大人としては是非とも真似してほしいテクニックはスルーするのが子供という生き物だ。
 恋音が用意した、醤油・塩・甘辛のタレを順番に試しながら、ひたすら肉だけを食い尽くす勢いでかぶりつく。
「……チキンのハーブ焼きもいかがでしょうかぁ……」
「食べるよ! 美味しい!」
 空はもう「食べる」と「肉」、「美味しい」以外の言葉を忘れてしまったようだ。
「すごい気迫だな……その他を威圧するようなオーラ、まるでスキルを使っているような……!」
 いや、スキルの「気迫」は天魔には効果がない。
 時雨でさえも思わず怯むその威力はスキル以上ということか。
 恐るべし、子供の食欲。
「俺も負けてられないな。基本的に食べれないものはほぼないし、じゃんじゃん食べるよ!」
 ひりょは自分で焼きながら、口を動かすことも忘れない。
(「戦いに明け暮れてばかりでは滅入ってきちゃうしね。こういう時間も大事だよな」)
 でも気のせいかな、さっきからいくら食べても皿の野菜が減らないんだけど。
「最近戦闘とかをこなしているようだな。強くなる事はいい事だが、それだけになるなよ?」
「……天城さん、何してるんですか」
 なんかシリアスに良いこと言ってるっぽいけど、野菜ばっかりぽいぽい盛るのやめてくれませんか。
「しかもそれ、さっき俺が天城さんに取り分けた分じゃないですか」
 もしかして野菜が苦手なの?
「そんな事はないさ。ただ、小僧が強くなるには色々食べなきゃいけないからな」
 なんか目が泳いでますけど、それは。
「気のせいだ」
 ほんとかなぁ。
「……俺からの餞別だ、遠慮するな? むしろ食えっ!」
 どざーっ!
「え、ちょ、餞別ってなんか意味が違う、って言うかこんなに食べられないから!」
 嫌いじゃないけど肉も食べたい、強くなるには野菜より肉でしょ普通。
 しかし、酒を片手に素知らぬ顔で肉を頬張る時雨。
 大人ってずるい。
「よし、それなら……」
 ちょっと仕返ししてやろうと、ひりょは空に耳打ちした。
「あのおじさん、野菜が大好きなんだ。たくさん取ってあげてくれる?」
「はーい!」
 どうだ、子供のサービスは断れまい!
「くぅっ」

 賑やかなBBQ会場は誰でも飛び入り参加が可能だ。
 食材は各自で持ち込んでも良いし、皆が持ってきたものをただご馳走になっても構わない。
 というわけで。
「せっかくだし、ダルドフもこちらに混ざらないか」
 酒もあるぞと鳳 静矢(ja3856)に声をかけられ、ダルドフはいそいそと河岸を変えた。
 今までも散々飲んでいた筈だが、女子のスイーツが別腹であるように、場所を変えて飲み直せばそれもまた別腹なのだ。
「何だか最近は会えば飲んでばかりだな」
「それも良かろう、飲む余裕があるのは平和な証拠ぞ」
 苦笑いを浮かべた静矢にダルドフが返す。
 世の中は言うほど平和ではないが、どんな状況でも隙間を見つけて楽しむ時間は必要だ。
 それは、ある種の抵抗とも言えるだろう。
「だが今日は、いつもと少し趣向を変えてみようと思ってな」
「むぅ?」
「男二人で飲むのも悪くはないが、少し華が欲しいとは思わんか」
 なに、綺麗どころでも呼んであるの?
 芸者さんとか?
「ざんねんでしたー、リコだよぉー☆」
 じゃーん!
 なんだかよくわかんないけど「せっかくだからリコさんも一緒においで」って言われたから素直に来ちゃったよ!
「いや、私もあまり面識があるとは言い難いのだが」
 前に種子島で芋掘りをした程度だし。
 しかしカマダチの義兄という意味では深い繋がりがある、と思う。
「聞いてみたら、夜から来ることになっていたらしくてな。どうせならと、早めに来てもらったのだ」
「えへへー、これから夜桜デートなんだよ、いいでしょー♪」
 リコは屈託がないと言うか、やっぱりアホの子と言うか……若いっていいなあ。
「改めて紹介しよう、リコ、こちらが大天使ダルドフだ」
「だるどふ……じゃ、だるどんだね! リコはリコだよ、よろしくね!」
「う、うむ」
 だるどん、て。
「どうだ、なかなか面白い子だろう」
 可愛い(?)渾名を付けられて目を白黒させるダルドフに、静矢がそっと耳打ちする。
「彼女はヴァニタスだが、今はこうして皆と打ち解けている。もっとも、そんなことは今更改めて言うまでもないだろうが」
 ダルドフ自身もこうして人類側に付き、その配下である使徒達も久遠ヶ原の空気に溶け込んでいる。
 天界勢である彼等にそれが可能なら、冥魔勢に同じことが出来ない筈がない。
 静矢の目論見は、こうして二人を引き合わせ、互いに面識を持たせることにあった。
 今後の状況によっては互いの陣営に知り合いがいることに重要な意味が生じる可能性がある。
 これはそのための布石というわけだ。
 それに、もうひとつ。
 静矢は賑やかな様子を遠巻きに見つめる、黒ずくめの男に視線を向ける。
(「奴もこれを見ている筈だ」)
 人でも天使でも悪魔でも、分け隔て無く接し合える姿を。
 そこに希望を見るか、それとも「ただの仲良しごっこ」と切り捨てるのだろうか。



●もの想う春

「こんな桜の日だったね」
 桜の下、不知火あけび(jc1857)は甘酒を手に呟く。
 その一言だけで、不知火藤忠(jc2194)は彼女の想いを察することが出来た。
「ああ、もう六年になるか……血相変えたお前に木刀で追い立てられてから」
 くすりと笑った藤忠に、あけびは頬を膨らませる。
「だって仕方ないじゃない、泥棒か何かだと思ったんだから」
「あの時……あぁ、いや……」
 言いよどんだ藤忠に、今度はあけびがくすりと笑う。
「あの人に止められたんだよね。それで気付いたんだ、薙刀で有名な人だって」
 それを聞いて、藤忠は思わず口元に寄せた杯を止めた。
「あけび……思い出したのか、あいつのこと」
「うん、ついこのあいだ」
「そうか。良かった……と言って良いんだよな?」
「うん、私も良かったと思うから……大事なこと、ちゃんと思い出せて」
 本家の庭に迷い込んできた藤忠を、あけびは木刀で追い回した。
 それを止めたのが「あの人」だ。
「迷い込んだわけじゃない、俺はただ姉上に会いに来ただけだ」
「そうだよね、あんな厳重に警備されてる所に、普通なら入り込める筈ないし……って、今ならわかるけど。姫叔父には忍の才がないって、あの人も言ってたし」
「忍の才がないことは認めるが……その呼び方は何とかならんのか」
「だって藤忠さん、姫君の生まれ変わりだし。私が守らなきゃって」
「あのな、どうしてお前が俺を守ることになってるんだ、逆だろう……と言うか信じるな、誰が姫の生まれ変わりだ」
「藤忠さん」
 いかん、これはきっとどこまで行っても平行線だ。
 諦めるしかないのだろうか。
「だって、藤忠さんが撃退士になるって言うから」
 空になった杯に酒を注ぎ足し、あけびはぽつりと言った。
 屋敷に度々出入りするようになった藤忠は、忍の掟に縛られた独特の環境で育ったあけびから見れば、殆どごく普通の一般人。
 その言動やものの考え方は新鮮で、あの人と三人で稽古をしたり、花見をしたり、共に過ごす時間がとても楽しかった。
「姫叔父と会えなくなっても、あの人と二人でよく話題にしてたんだよ。『奴は忍の才はないが英雄の資質がある』なんて」
 口調は冗談めいていたが、彼は案外本気で言っていたのかもしれない。
「それに対して、私にとっては貴方が一番ヒーローだ……なんて」
 懐かしくて……少し、寂しい。
 その彼も、その後すぐに姿を消してしまって――暫く、あけびは独りだった。
「だから藤忠さんとまた会えたとき、守らなきゃって思った。お姫様を守るように……あの人みたいに、いなくなって欲しくないから」
「……そうか」
 あけびが注いでくれた酒は、彼が好んで飲んでいたものだ。
 かつては彼が飲んでいる姿を羨ましく思い、ただ眺めることしか出来なかった。
「やっと、一緒に酒が飲める歳になってったのに、な」
 手にとる者のない三つ目の杯に、ふわりと花弁が舞い降りる。
「あいつは、俺達を騙していたのか……?」
 ふと呟いてみる。
 彼の正体には感付いていた。
 関係ない、お前は俺の友人だと告げたら寂しそうに笑っていた。
 あけびを頼むと言われた時も――
(「あんな顔をする位ならずっと一緒にいれば良かったんだ」)
 杯を一息にあおる。
 裏切られたと思えば楽になるのかもしれない。
 けれど、胸の内に残るのは温かな記憶ばかりだった。
(「裏切ったなら、あんなことを言う筈もない、か」)
 託された自分は彼女の傍にいられる身分ではなく、遠くから見守ることしか出来なかったけれど。
 それを伝えたら、あけびはどんな顔をするだろう。
「また会えるよね。姫叔父にだって、こうして会えたんだから」
 遠くの空を見上げて、あけびが言った。
 藤忠が返事を返す間も置かずに立ち上がり、手のひらを天に突き上げる。
「姫叔父を守って、勿論依頼も完遂する!」
 それ位強くなって、あの人に笑って手を差し伸べたい。
「また三人でお花見しよう。きっと大丈夫だよ!」
「それには俺も同意だが……」
 だから何故、俺が守られる前提なんだ――と、その声はあけびの耳に届くことなく、青空に吸い込まれていった。

 ひとまず腹が膨れたBBQ組は、ようやく花を愛でる心境に至ったようだ。
「これが桜なんだ?」
 腹ごなしの空中散歩を楽しむ空は、今初めて目にしたような声を上げる。
「凄く綺麗なんだね〜ご飯に夢中だったから気が付かなかったよ」
 枝先に近付き、華の匂いを嗅いでみる。
「あ、桜餅の匂いだ」
 やはり食べ物と結び付けるあたり、花より団子の優勢順位は相変わらずのようだけれど。

 山のように盛られた野菜を何とか腹の中に片付けた時雨は、親切な誰かにお代わりを差し出されないうちに、そっと遠くに避難していた。
 と言っても、皆の声が聞こえる範囲の距離だが。
(「まぁ、小僧に言った「ただ強くなるだけになるな」というのは本音だがな」)
 手酌でちびちびやりながら、花を見上げる。
(「目的なき強さは危うい。昔の俺のようにはなって欲しくないからな」)
 もっとも、そんな年長者の「親心」は若い者には鬱陶しい小言にしか聞こえないものだが――かつでの自分にも覚えがあるように。

「テリオスさん、これが本当の花見ですよ?」
 食べ盛りの黒咎達に「飲兵衛達には近付かないように」と言い置いて桜の下に立ったシェリーは、ちらりとメイラスの方を気にしつつ、テリオスを振り向いた。
 散りゆく花を眺めながら、親しい人たちと一緒に食事をしたり、楽しく騒いだり。
 それだけのことかと思われるかもしれないけれど、それだけのことが大切なのだ、人間にとっては。
「天使も悪魔も、それは同じだと思う」
「食べて騒ぐ……なるほど、クリスマスやハロウィンと同じだな」
「そう一緒くたにされるのも、なんか釈然としないけど」
 まあ否定は出来ない、かな。
 桜は日本人の心、花見には何か他とは違う特別な意味があると思いたいけれど。
「しかし桜の花だけを特別に有り難がるというのは何なのだろうな、花なら他にいくらでもあるだろうに」
「それは……きっと散り際が美しいからじゃないかな」
 腑に落ちない顔をしたテリオスに、シェリーは続ける。
「桜の花はあっという間に散ってしまうけど、でも、来年の今頃、またこうやって綺麗な花を咲かせてくれる」
 散って終わりではない。
 それは始まりなのだ、新しい花を咲かせる為の。
「私達撃退士……ううん、人間もそう。挫けても、辛くても、いつかは立ち上がるんだ」
 横浜も、京都も、つくばも。
「いつか……取り戻すよ。必ずね」
 負けて終わりではない。
 その度に踏みにじられ、散らされても、何度でも花を咲かせることは出来るから。

 持ってきたスケッチブックを使い切ったキョウカは、大きなキャンバスを取り出してイーゼルに掛けた。
 この大きな白い面に思い切り、めいっぱい大きな春を描くのだ。
 来年もまた春は来るけれど、去年と同じ春は二度と来ないことを知ってしまったから。
 無事に来年が来る保証だって、どこにもないのだと気付いてしまったから。
「だから今は、今をめいっぱいたのしむの」
 その中の一瞬を残すために。

 胃袋が満たされた雫は、腹ごなしにゆっくり花を楽しもうと飲み物を片手に歩き出す。
 その途中で相変わらず飲んだくれているダルドフに行き会った。
「お久しぶりですね。今日は楽しんでいますか?」
 と、それは聞かなくてもわかるか。
「楽しむのはけっこうですが、余り飲み過ぎない様に気を付けて下さいね」
「うむ、気遣い痛み入るぞ」
 すっかり出来上がっているように見えるが、これは桜に酔っているのだろうか――天魔も撃退士も、酒にようことはない筈だから。
 そのまま暫くそこに止まり、雫は軽く当たり障りのない会話を転がしてみた。
「天界にも桜の様な花はあるんですか?」
「いや、某は見たことがないのぅ」
 花そのものは存在するが、それを愛でながら酒を飲むなどという風習もない。
 ここと比べれば天界は殺風景なものだが、珍しいものが見たいと思えば異世界に飛べば事足りるのだ。
 世界旅行がいつでも出来るなら、わざわざ外国の珍しいものを集めて部屋に飾る必要はない――といった感覚だろうか。
「なるほど、そういうものですか……」
 そうして暫く会話を続けていたが、肝心のことがなかなか切り出せない。
 前に見た夢は正夢だったのだろうか。
 自分は本当に、どこかでダルドフに会ったことがあるのだろうか。
(「聞きたいですが、場の空気を壊すのも何ですし……どうしましょうか」)
 だが、そうした空気は伝わるもの。
「ふむ、何か悩み事でもあるのかのぅ?」
 そう訊かれて、雫は思い切って尋ねてみる。
 しかしダルドフが戦場で出会った人間は数知れず、よほどの強い印象でもなければ記憶にとどめることは難しかった。
「すまんのぅ……しかし、ぬしの方に覚えがあるなら、どこかで会っておるのやもしれん」
 何しろこの姿だ、大抵の者は一度見れば忘れないだろう。
 だとすれば、ダルドフがこれまでに制した土地の記録を洗えば、何かしらの手がかりが得られるかもしれない――多分に希望的な観測ではあるが。
「そうですね、ありがとうございます」
 雲を掴むような話が、藁の山から針を探す程度にはなっただろうか。

「……一緒にご飯食べられたら良かったのにな」
 口を休みなく動かしながら、真緋呂は思い出していた。
 恒久の聖女、もう遠い人達……遺された想い。
 またひとつ、背負うものが増えた。
 でも大丈夫。
「友達と、皆で手を取り歩む世界を目指そうと決めたから……」
 真緋呂は網の上に残った肉や野菜をかき集め、大きな皿に盛る。
 それをメイラスの目の前に、どさー!
 次いでその場にしゃがみ込み、じっと顔を覗き込む。
 あれだ、慣れない野良犬に餌をあげて、食べるかどうかその様子を見守る感じの。
 相手がお腹をすかせた犬だと思えば、この超無愛想な黒天使も少しは可愛く思えて……思え、うーん。
 とりあえず頭を撫でておこうか。
 なでなでなで。
 そして風のように走り去る。
 これを学術的な専門用語で撫で逃げと言う(言いません



●メイラスで遊ぼう

「さぁーて、そろそろ頃合いやな!」
 悪い顔をしたゼロさんが、メイラスに迫る。
「いーらーきーちーくーん! あーそーぼー!」
 その視界にはテリオスの姿も捉えられていた。
 が、こちらはりりかとシグリッドにがっちりガードされる。
「ゼロおにーさん、テリオスおにーさんをいじめちゃだめなのです」
 フェンリル召喚、あんど二人でさんどいっち。
 まあ、この程度で止まるゼロさんじゃないとは思いますけど。
 止まらなくていいから、その矛先をメイラスだけに向けてくれませんか。
 というわけで、さっそくメイラスに腹パンかますゼロ。
 無視するなんて許しません。
「基本お前とはどつき漫才やるから」
 なお、これは決定事項であり、いかなる抵抗も拒絶も無駄無駄無駄。
「まずはこれやな、どっちのイラ吉ショー!」
 創造のスキルでメイド服を着た超笑顔のメイラスを作る、ただし超ミニサイズ。
 あとはチャイナとバニーとウェディングドレスでどや!
 それを本人の周りに並べて記念撮影。
 はい、ただの嫌がらせです。
「次はあれや、今まで何度も負けとるやろ俺らに」
 だから、その分の罰ゲームを。
「ゲームに負けたら罰ゲーム。バラエティの基本や」
 時効? そんなんあるわけないやん。
 鴉印のロシアンたこ焼き、激辛、劇甘、劇苦、鬼熱、どれが当たるかお楽しみ。
 食べない? ハハハそんなの認める訳ないやん。
「さーて、ねじ込みねじ込み……近頃シグ坊がよう付き合ってくれへんからな、久々や」
 つまり、あれですね。
 新しいオモチャを見つけたと、そういうわけですね。
(「これでもう、ぼくが弄られることもないのです……」)
 と、思いたい。
 だがしかし。
「食べればいのだろう」
 メイラスが喋った。
 しかも、自分で食べた。
「イラ吉なにしてくれるんや、せっかくのねじ込みタイムが台無しやないか!」
「あたしも、メイラスさんがことわったら、あーんしてあげるつもりだったの……」
 素直に食べるなんて話が違う、ここは断固として拒否るところだろう空気読め(ひどい
「食えと言ったのは貴様だろう、その通りにして何が悪い」
 無表情のまま、メイラスが言う。
 はい、ごもっともです。
 でもそれじゃ面白くないんだよ、罰ゲームにもならないじゃないか(ますますひどい
「では、ごほうびのチョコをどうぞなの……です」
 はい、あーん?
 きっと口の中が酷いことになっているだろうと、りりかが口直しのチョコを差し出す。
 あくまで好意から出た行動であるそれも、メイラスに対しては単なる嫌がらせになる、筈なのに。
 食べた。
 好意が好意として、そのまま素直に受け取られてしまった。
 なんだこれ、きもちわるい。
「人の不幸を楽しもうとする下賤な輩には、笑顔が最大の報復になる」
 メイラスが嗤った。
「面白くないと思うなら、貴様らも私と同類ということだ」
「自分ほんまイラ吉やな」
 あー腹立つわー。
「まあええわ、俺らもそう簡単に落とせるとは思ってへんしな」
 よし、ターゲット変更。
「え? テリーも興味ある? 仕方ないなぁ」
 ゼロはめっちゃ良い笑顔でテリオスに迫る――が。
「ねえ、ゼロおにーさん……テリオスおにーさんをいじめちゃだめって、ぼく言いましたよね……?」
 ヤンデレッド発動、パサラン召喚。
「詰め込んじゃいましょうね、パサランのお腹の中に……」
 普段おとなしい子は、起こると怖いのですよ……?
 逆転劇を生温かく見守りつつ、りりかが呟く。
「最初はお芝居でも、笑っているうちに本当に楽しくなることも、あるかもしれないの……です」
 そうなったら、こちらの勝ちだ。

「そこの……メイラスと言ったか」
 再び一人になったところを見計らい、静矢が声をかけてみる。
 最初は取り付く島もない奴だと思ったが、暫く観察するうちにそうでもないように思えてきた――というのは、そう思うように仕向けられているだけかもしれないが。
 それならそれで、乗せられてやるのも悪くない。
「せっかくだ、一緒に飲まないか?」
 その誘いに、メイラスは素直に乗って来た。
 酒の席にはダルドフもいるから、これで大天使が二人。
 その間に挟まれて飲む酒は、どんな味がするのだろう。



●夕暮れ時

「竜胆兄、お待たせしました」
 そろそろ景色がオレンジ色に染まりかける頃、ようやく和紗が姿を現した。
「うん、待ってたよ……」
 夜明け前からね、お腹が空いて死にそうです。
「そう言うだろうと思って、俺も少し作ってきました」
 はい、五段重ねの重箱どーん!
 これのどこが少しなのかと問い詰めたくなるが、本人にも自覚はあるらしいから何も言わないでおく。
「……多過ぎましたね」
「……あ、うん。原因は分かるけど少し多いかな?」
 いつもは真緋呂を作っているが、その基準だとこれで「少し」なのだ。
「でも美味しそうだし、これくらい余裕で食べられるよ……多分」
 一段目がちらし寿司、二段目には手まり寿司、三段目からは菜花のお浸しや筍の煮付けなど春の香りがする総菜がぎっしり。
 更には仕出しの会席膳もあるけれど、大丈夫、だいじょう……ぶ……
「蓮城ちゃん、昼はいたけどまだいるかな……」
 電波を発信しておけば、そのうち現れ――
「呼ばれた気がした! 美味しいご飯はここかな?」
 って早いよ!?
 しかも既に食べ始めてるし。
 まあいい、彼女は背景扱いにして話を進めよう。
「あ、取分けはセルフでお願いします」
 そこまで甘やかしません。
 あーん、とかもしません。
「うん、わかってる」
「飲み物くらいなら作りますが」
「じゃあ何かお勧めで……辛口の何かお願い出来るかな」
 言われて、和紗は道具を取り出した。
 この季節にはやはり、桜リキュールを使ったものが良いだろうか。
 辛口にするとなると、どんな組み合わせが良いだろう。
(「そう言えば去年の今頃、先輩に作ってもらいましたね」)
 あれから一年、自分の腕はどこまで彼に彼に追いついただろうかと思いつつ、フレア技でシェイカーをくるくる回す。
「様になって来たねぇ……」
「そうでしょうか、俺などまだまだだと思いますが」
 いやいや、まだまだの人がフレア技とかないでしょ普通。
 そうしてカクテルを楽しみつつ料理をつまみ、のんびりと。
 昼から夜へと時間が映りゆく中、夕陽に染まる桜に和紗の絵心が疼き出した。
「ちょっと失礼」
 ふらりと立ち上がり、アウルのインクで広い地面に花を咲かせる。
 空と大地を桜でいっぱいに――
「では、バイトの時間なのでこれで」
「お疲れ様、頑張っ――Σって帰るの!?」
 和紗が描いた一面の桜を肴に良い気分で飲んでいたジェンティアンは寝耳に水。
 ほろ酔い気分がいっぺんに吹き飛んだ。
「まだ2時間も経ってない気がするんだけどっ!?」
 って言うかバイト休みだと思ってたのに。
 涙目で地面にのの字を書くジェンティアンの頭上に、容赦のない一言が降って来る。
「完全に休む訳ないでしょう」
 ですよねー。
 ひとりぽつんと残されたジェンティアンの頭を真緋呂が撫でる。
 なでなでなで……どんまい。

 暖かな色に染まる空の下で、シグリッドは一人ぼんやりと桜を眺めていた。
 皆と一緒にいる時はいつも通りに振舞っているけれど、一人になれば仮面はいらない。
「この気持ち、全部埋めてしまえたらいいのに……」
 埋めて、忘れて……でも、そうしたら何が残るのだろう。
 からっぽになった心は何で埋めればいいのだろう。

 一方りりかは門木を探して屋上へ。
 こっそり近付き、その手にそっとチョコを握らせる。
「どうぞ……です」
 面と向かって話をするのは、ずいぶん久しぶりだった。
 そのまま逃げだしたくなる気持ちを抑えて、踏みとどまる。
 言いたいことが、言わなくてはいけないことが、あるから。
「あの……みんなのところに来ませんか……です」
「いいのか?」
 こくり、頷く。
「二人、一緒でも?」
 こくり。
「えと、んぅ……おめでとうの気持ち、たくさんだけど……ちょっと、さみしかったの……です」
 嫌いになったわけではないから。
「しぐりっどさんも、きっと……なの」
「……そうか……」
 門木は頑張ったりりかの頭をそっと撫でる。
「ごめんな。ありがとう」
 行こうか――皆のところへ。



●夜桜の下で

 辺りがほんのりと薄暗くなり始めた頃、桜の周囲に設置されたライトに明かりが灯る。
「冴雪っちと夜桜見物ー♪ ひゃっはー☆」
「もう、クゥったら……そんなにはしゃいだらせっかくの風情が台無しですわ」
 舞い上がったクアトロシリカ・グラム(jb8124)に、氷咲 冴雪(jb9078)が苦言を呈した。
 が、その声音に咎める色はない。
 寧ろおもしろがっている風にさえ聞こえた。
「こんな風にお出かけするのは久しぶりですわね」
「うん、ほんっと久しぶりー! 冴雪っちってば、あたしのこと忘れちゃったのかと思ったよー☆」
 なんて、冗談だけど。
「昼間の桜も綺麗だけど、夜桜って艶があっていいよね、冴雪っちみたいでv」
 昼間の桜は清楚で可憐なお嬢様、夜の桜は情念の炎を燃やすお姉様、かな?
「それは褒め言葉と受け取ってよろしいのかしら?」
「もっちろん! 冴雪っちホント綺麗だもん、これが大人の魅力ってやつ?」
「あらあら、褒めても何も出ませんわよ?」
 まんざらでもないけれど。
「ほら、クゥ。満月ですわ」
 せっかくだから人工の明かりがないところに行こうか。
「月明かりだけで手元が……あら。クゥったらお腹空いたんですの?」
「えへへ、聞こえちゃった?」
 もう、腹の虫が元気良すぎちゃってー☆
「花より団子とは良く言いますわね」
 くすくすと笑いながら、冴雪は作ってきた弁当を広げて見せる。
「今日は和風のお弁当にしましてよ」
 桜でんぶを散らしたお寿司に、桜のお豆腐、煮物も桜のお花型に切って。
「草団子に桜餅もありますわ、緑茶と一緒に戴きましょう?」
「冴雪っちのおべんとすっごい綺麗! 和菓子もあるーvv」
「クゥはどんなものを作ってきましたの?」
「あたしのお花見弁当はーじゃっじゃーん! 春キャベツとツナのサンドイッチと鶏つくねの照り焼き! それから苺のクリームサンド!」
 頑張った! 褒めて!
「どお? あたしイイお嫁さんになれるかな?」
「ええ、きっと」
「やったー、冴雪っちにお墨付きもらったー!」
 これでいつでもお嫁に行ける!
 上機嫌のクゥは、寿司を両手に持って豪快にかぶりつく。
「おいしー! って、あれ、冴雪っちは食べないの?」
 自分の顔をじっと見つめる冴雪の様子に、クゥは小首をかくり。
「クゥ」
「はぃ?」
 冴雪は顔をずいっと近づけて、クゥの頬をぺろり。
「ご飯粒がついてましてよ?」
「いやんv 冴雪っちったらダイタンv」
 くねくねもじもじ、でももっとしてくれてもいいのよ?
「あーん、こんなとこにもご飯粒ついちゃったあー」
 ほらここ、唇の端っこ!
「……もっと? だーめ。これ以上はお預けですわよ?」
「はぅっ」
 仕方ないから自分でとって食べる。
 ちょっと虚しい。
「でもここで焦らしてくるなんて、そのドSぶりが好きよ!」
 食べ終わったら、次は……ちらり、クゥは冴雪の白い膝に着たいの眼差しを向ける。
「あら、膝枕? 良いけれど、わたくしの膝は高くってよ?」
「大丈夫、言い値で買うよ!」
 ころーん。
「んーっ、冴雪っちの膝枕で見上げる夜桜最高ー♪」
 ちょっと寒いけどね!

「花見なんて洒落とるなあ。花と月なんて、ええ眺めや」
 浅茅 いばら(jb8764)は、リコと並んで夜桜の下を歩く。
 繋いだ手にはお揃いのピンキーリングが光っていた。
「それ、ちゃんとしてくれてるんやね。嬉しいよ」
「せっかくのプレゼントだもん、当たり前でしょ? それに、すっごい嬉しかったし♪」
 やがて静かな場所を見つけてシートを広げる。
「さすがに夜は少し冷えるなあ。リコ、これ羽織っとき」
 いばらは持ってきたふわふわのストールをリコに手渡す。
「わぁ、あったかい♪」
「せやろ」
 荷物になるかと思ったけれど、持ってきて正解だった。
「お弁当はリコが作ってくれるって言うとったから、うちはお菓子とか用意してみたんや」
 取り出したのは、鈴カステラにリンゴ飴、チョコバナナにクレープなど、屋台で売っていそうなものばかり。
「お祭りみたいだね」
「うん、女の子は甘いもの好きやから……」
 と、そこまで言ってリコが頬を膨らませていることに気が付いた。
 そうだ、この間もそれで機嫌を損ねたんだっけ。
「リコは、甘いもの好きやろ?」
 慌てて言い直してみる。
「ん、それでよし」
 腕を組んで胸を張り、リコは芝居がかった仕草で鷹揚に頷いた。
「今度まちがえたらデコピンだからね?」
 にこっと笑って、ほっぺにちゅー。
「リコもがんばったよ、ほら!」
 可愛い弁当箱の蓋を開けると、これまた可愛いキャラ弁が顔を出す。
 おにぎりがクマの顔だったり、ゆで卵がヒヨコになっていたり、タコさんウィンナーにもきちんと顔が付いていた。
「リコらしいお弁当やね、可愛いく出来とるわ」
 味のほうはどうかな?
「うん、美味しい」
「ほんと? よかったぁー」
 正直に言えば「不味くはない」といったラインだけれど、ここは贔屓目に。
(「これから上手くなればええんやしな」)
 いや、上手くならなくてもいい。
 こうして一緒に楽しめるなら、それだけで。
「こういうのんびりした時間が続くとええなあ」
 お弁当を食べて、温かいお茶を飲んで、お菓子を食べて。
「リコに出会えてよかったなぁ」
 しみじみ思う。
「きな臭い状況続くけど、護ったるからな」
「うん、頼りにしてるね。リコもがんばるけど!」
 いや、リコはあんまり頑張らないほうが……なんて、思わなくもないけれど。
「せやね、一緒に頑張ろう」
 二人と、みんなで。

「夜の桜……」
 額に、頬に、桜の花弁が降りかかる。
 満開の夜桜の下に座った木嶋 藍(jb8679)は、それを手にとって祈るように目を閉じた。
「何をお祈りしてるんですか?」
 夕貴 周(jb8699)が尋ねると、藍は小さく笑って「ひみつ」と答える。
「ホントはお弁当作りたかったなー」
「それは、僕も残念です」
 でも急に思い立ったことだから仕方ない。
 服装も、藍はバイト帰りだからいつも学校に行く時と同じ。
 周もスプリングコートにスキニーパンツ、足下はスニーカーというラフな格好だ。
 前から予定を立てていれば、もう少し気の利いた服を選んで来たのだけれど。
 手にしているのもコンビニで買っておいた缶コーヒーだし――せめてコーヒーショップのテイクアウトくらいにしておくべきだったか。
「ん、これでいいよ……甘くて美味しい」
 でも、藍はそう言って笑ってくれた。
 正直なところ、周に桜を綺麗と思う感性はあまりない。
 でも、それを見て笑う彼女が見れるなら――
「なに?」
 じっと横顔を見ていたら、気付かれた。
「あ、いいえ、なんでもありません」
 くすりと笑い、藍は空になったコーヒーの缶を振る。
「飲み終わっちゃったし、帰ろっか」
「え、もういいのですか?」
「うん、ちょっと寒いし……もう充分」
 あとは歩きながら、のんびり見ればいい。
「ね、たまには一緒に実家に帰ろうか」
「どうしたんですか、急に?」
「んー、なんとなく?」
 藍には10歳以前の記憶がない。
 たまにふとしたきっかけで表面に浮かぶ記憶の切れ端を手にすることがあるようだが、帰省を促すような何かが無意識のうちに浮かんだのだろうか。
「あ、暗いから気を付けて」
 周が手を差し伸べる。
「うん、ありがと」
 嬉しくなって、藍は素直にその手をとった。
 その暖かさが二人の口を滑らかにする。
「子供みたいですね」
 少し恥ずかしくなって揶揄い気味にそう言うと、思いがけない答えが返ってきた。
「ふふ、昔はあーちゃんの方がよく転んでたのにね」
 覚えているはずのない言葉。
 驚いて、周は思わず立ち止まる。
 思い出したのだろうか。
 なくした記憶を。
 彼女にとっては辛すぎる、あの出来事を。
 繋いだ手を強く引き寄せると、藍の瞳に恐怖の色が浮かぶ。
「私、今どうして……」
 無意識に零れ落ちた言葉に、何故かどうしようもなく怖くなった。
 藍は掌から伝わる温もりを振り払い、そこから逃げるように背中を向けて、足早に立ち去る。
 明確な拒絶。
 そう受け取った周は、まるで金縛りに遭ったようにそこから動けなくなった。
 藍の後ろ姿が暗闇に呑まれていく。
 追いかけたいのに、もう一度その手を取って、一緒に歩きたいのに。
 ただ、見送ることしか出来なかった。

「やっと来たー」
 こっちこっちと手を振るクリスの元に、ミハイル・エッカート(jb0544)は慌てた様子で駆け寄って行く。
「すまん、待たせたな」
「もう待ちくたびれたよー、おなかすいたー」
 その後ろに続いた真里谷 沙羅(jc1995)が、大急ぎで弁当を広げる。
「すみませんクリスさん、すぐに食事の用意をしますね」
「ううん、冗談。ほんとはそんなに待ってないし、おなかは……うん、ほどよく空いてるかな」
 だからそんなに急がなくてもいいけれど、でも少しだけ急いでくれると嬉しいな!
「はい、わかりました」
 手早く広げた弁当は、一口ヒレカツにハムチーズサンド、その他おにぎりや煮物に可愛いおかず等々を重箱でどーん。
「タコさんウィンナにうさぎさんのリンゴだ(わぁい☆」
 ちゃんとリクエスト通りに作ってくれた、沙羅さんやさしいー。
「久しぶりだったので張りきって作ってしまったわ……」
「おぉ、美味そうだな」
 ライトアップされた夜桜も綺麗だけれど、まずは腹ごしらえだ。
 ウェットティッシュで手を拭いて、いただきまーす!
「お口に合うでしょうか……」
 作った本人は少し心配そうだけれど。
「沙羅さんのお弁当おいしー」
「うん、美味いな!」
 食べる専門の二人には大好評。
「よかった……せっかくのお花見ですもの、楽しみましょう」
 食べながら、何か話でもしようか。
 星座のことは前にやったから、今日は桜について少し。
「クリスさん、桜はいつ咲くものか知っていますか?」
「え、春じゃないの?」
「そうですね、殆どが春に咲きますけど……実は秋や冬に咲くものもあるんですよ」
「へぇー」
「それにピンクや白だけではなく、薄黄緑色や緑色の混ざった花弁もあるんです」
 緑色の花を咲かせるのは御衣黄(ギョイコウ)という桜。
 鬱金(ウコン)という黄色い花を咲かせる桜もある。
「桜と言えばソメイヨシノというイメージですが、これは人の手で作り出した品種だということは知っていますか?」
「あ、聞いたことあるー」
「この木は自然に生えてくることはないんですよ、全部が人の手で飢えられたものなんです」
 たとえ誰も上れないような断崖絶壁の上にあったとしても、誰かがそこに植えたのだ。
「そっかぁ、どの木にもみんな、それを植えた人の思いがあるんだねー」
 ここの桜もソメイヨシノだ。
 これを植えたのはどんな人で、どうしてここに桜を植えようと考えたのだろう。
「なるほど、そんな風に思いを巡らせてみるのも良いな」
 ホットウィスキーを飲みながらミハイルが頷く。
「あれ、パパ、大吟醸じゃないの?」
 酒屋さんにパパの大吟醸購入許可したって、ちゃんと伝えたのに。
「いや、それもあるぞ」
 どんと置かれる一升瓶。
「だが今はっこっちの気分なんだ、サンドウィッチにはこの方が合うだろうしな」
 大吟醸は勝負の時までとっておく。
 言わば勝負酒だ。
「ところで、メイラスさんというのはあの方ですか?」
 沙羅は暗い中でも何故か目立つ黒ずくめの大天使を見る。
 もうひとりの大天使と酒を酌み交わしている様子は、聞いた話とだいぶ印象が違うのだけれど。
「ああ、奴だ……しかし何だ、キャラが違ってないか」
 これまでのような鉄面皮では面白くないし、ミハイルとしては歓迎したい変化ではあるが。
 と、重箱の一段を手に沙羅が立ち上がる。
「こんばんは、初めまして」
 メイラスと、ついでにダルドフやその場にいる他の者達にも挨拶をして。
「よろしかったら、どうぞ召し上がってください」
 そう言われて素直に受け取るあたり、やっぱり変だ。
 だが、これなら楽しめそうだとミハイルは思う。
「よう、久しぶりだな」
 沙羅の背後から声をかけてみた。
 以前ボッコボコにされた痛みと恨みを忘れたわけではないが、そんなものいつまでの引きずっていても何の得にもなりはしない。
「ゲームしないか、好きだろ?」
「意趣返しか」
「いや、ただ遊びたいだけだ。チェスのルールは知ってるか?」
 その問いに、メイラスは頷く。
 人間界の事情に詳しく、スマホなどのツールも自在に使いこなしているくらいだ。
 各種の遊戯に通じていても不思議はない。
「なら話は早い、勝負しようぜ」
 相手の顔色を読み、出方を予想し、思考を巡らす――これも一種の交流だ。
「ただし普通にやったんじゃ面白くない、特殊なルールを適用させてもらう……お前の好きなペナルティだ」
 と言っても、負けたら顔に落書きされるだけという、他愛もないものだが。
「三回勝負で、書かれたものは花見が終わるまで落とさない。いいな?」
「よかろう」
 では二人とも黒のタキシードに着替えて――いざ、勝負!

「夜桜と月をバックにチェスの勝負なんて風流じゃないか」
 はらはらと散る花びらが、白い光を反射してキラリと輝く。
 それはチェス盤の上にも降りかかり、白と黒だけの世界をほんのりと淡く彩った。
「桜が舞う盤上を駒が進むのは格好いいねー、ルールわかんないけど」
「私が解説しましょうか?」
 首を傾げるクリスに、沙羅が申し出る。
「沙羅さんチェス出来るの?」
「ええ、多少は」
「わー、すごい! じゃあ教えて、今どっちが勝ってるの?」
「メイラスさんですね」
 しかもかなり圧倒的だ。
「えー、パパがんばれー!」
 娘が応援してるのに負けるなんてことないよね?
 負けたらこれだよ?(油性マジックきゅぽっ!
「いや、そんなこと言われてもな……」
 やばい、こいつ強い。
 だが楽しい。
(「俺は今までド畜生な敵とも遊んできた。そして楽しんできた」)
 それと同じように、楽しい。
(「あとはこれで、ヤツが美味いものを美味いと思い、勝敗に一喜一憂できるなら、気分は俺の勝ちだ――」)
 気分だけは。
 たとえ勝負に負けたとしても、って言うか負けちゃったよ!
「パパ、覚悟してね?」
 きゅぽんっ!
 丸いメガネと〜、ちょびヒゲと〜、ほっぺグルグルに、ぶっといマユゲ!
「こらクリス、少しは遠慮しろ!」
「大丈夫、パパが勝ったらメイラスさんにはもっとひどい顔になってもらうから♪」
 でも、負けたら……あとはわかるね?
「くっ」
 負けられない。
 敗因は何だ、そうか、酒だ。
 勝負酒を飲むのを忘れてたじゃないか。
「沙羅、酌を頼む」
「わかりました、頑張ってくださいね」
 大丈夫、美人のお酌で大吟醸を引っかけながらの勝負とか、負ける気がしない。
「む……ぱぱに沙羅さんがお酌してるのが絵になってて悔しい……」
 これが大人か。
 子供には手の届かない世界か。
「クリスさんも、すぐに大きくなりますよ」
 その視線に気付いた沙羅が慈愛の笑みを浮かべる。
「ミハイルさんもびっくりするような、素敵なレディに……ね?」

「酷い顔ですね。使ってください」
 勝負が終わり、落書きだらけのメイラスにユウが濡れタオルを手渡す。
 それを礼こそ言わないものの、黙って受け取るというのはユウにしても意外と思える反応だった。
 本当に、多少は態度を軟化させたのだろうか。
 それとも全て演技で、心の底では何かを企んでいるのだろうか。
(「何も企んでいないとは考えにくいですが」)
 それでも一応は交流する気になってくれたことを、今は素直に喜んでおこう。
「覚悟しておいた方がいいですよ、メイラス。この先もこのようなイベントやゲームには必ず巻き込まれると思いますので」
 それにしても酷い顔だ――と言うか、全然落ちてない。
「そりゃそうだよ、だって油性ペンだもん♪」
 きゅぽんっ!
「おい、こっちも落ちないぞ!?」
 背後でミハイルの声が聞こえる。
 パパには特別に水性ペンで、とか、そんな配慮はなかったらしい。
「何事も平等にしなきゃね♪」
 なお勝負は二対一で、どちらが勝ったかは――
 メイラスも酷い顔だが、ミハイルはもっと酷い顔になっているということで、お察し下さい。
 心なしか、睫毛バツバツのガングロギャル(死語)になったメイラスがドヤ顔に見える気もしますが――
「ふっ、そうして優越感に浸っているが良いさ」
 次は勝つぞ、と言うか勝負には負けたが総合的には俺の勝ちだ、気分的に!



●また、いつか

 そして弥生の夜は更ける。
 大人達はまだまだ遊ぶつもりのようだが、子供は帰って寝る時間だ。
「きょうはたのしかったねー」
「うん、とってもたのしかったなの!」
 荷物をまとめたキョウカと翔は、にこっと笑って皆に手を振る。
「またみんなでいっしょにおはなみしようね」
 場所はどこか、ここではないところかもしれないけれど。
 同じ顔ぶれは二度と揃わないかもしれないけれど。

 でも、花はまた開くから。
 どこにいても、何をしていても、生きてさえいれば春は必ずやって来るから――


依頼結果

依頼成功度:大成功
MVP: −
重体: −
面白かった!:15人

赫華Noir・
黒百合(ja0422)

高等部3年21組 女 鬼道忍軍
歴戦の戦姫・
不破 雫(ja1894)

中等部2年1組 女 阿修羅
アルカナの乙女・
クリス・クリス(ja2083)

中等部1年1組 女 ダアト
撃退士・
鳳 静矢(ja3856)

卒業 男 ルインズブレイド
紅茶神・
斉凛(ja6571)

卒業 女 インフィルトレイター
Eternal Wing・
ミハイル・エッカート(jb0544)

卒業 男 インフィルトレイター
大祭神乳神様・
月乃宮 恋音(jb1221)

大学部2年2組 女 ダアト
天蛇の片翼・
カノン・エルナシア(jb2648)

大学部6年5組 女 ディバインナイト
来し方抱き、行く末見つめ・
黄昏ひりょ(jb3452)

卒業 男 陰陽師
撃退士・
シグリッド=リンドベリ (jb5318)

高等部3年1組 男 バハムートテイマー
優しき強さを抱く・
ユウ(jb5639)

大学部5年7組 女 阿修羅
あなたへの絆・
蓮城 真緋呂(jb6120)

卒業 女 アカシックレコーダー:タイプA
Cherry Blossom・
華桜りりか(jb6883)

卒業 女 陰陽師
光至ル瑞獣・
和紗・S・ルフトハイト(jb6970)

大学部3年4組 女 インフィルトレイター
ついに本気出した・
砂原・ジェンティアン・竜胆(jb7192)

卒業 男 アストラルヴァンガード
縛られない風へ・
ゼロ=シュバイツァー(jb7501)

卒業 男 阿修羅
和風サロン『椿』女将・
木嶋香里(jb7748)

大学部2年5組 女 ルインズブレイド
撃退士・
クアトロシリカ・グラム(jb8124)

大学部1年256組 女 ルインズブレイド
娘の親友・
キョウカ(jb8351)

小等部5年1組 女 アカシックレコーダー:タイプA
もふもふヒーロー★・
天駆 翔(jb8432)

小等部5年3組 男 バハムートテイマー
青イ鳥は桜ノ隠と倖を視る・
御子神 藍(jb8679)

大学部3年6組 女 インフィルトレイター
白花への祈り・
夕貴 周(jb8699)

大学部1年3組 男 ルインズブレイド
Half of Rose・
浅茅 いばら(jb8764)

高等部3年1組 男 阿修羅
撃退士・
氷咲 冴雪(jb9078)

大学部3年124組 女 アカシックレコーダー:タイプB
永遠の一瞬・
向坂 巴(jc1251)

卒業 女 アストラルヴァンガード
もふもふコレクター・
シェリー・アルマス(jc1667)

大学部1年197組 女 アストラルヴァンガード
友達はディアボロ・
黄昏空(jc1821)

小等部2年1組 男 ルインズブレイド
撃退士・
天城時雨(jc1832)

卒業 男 阿修羅
明ける陽の花・
不知火あけび(jc1857)

大学部1年1組 女 鬼道忍軍
Eternal Wing・
サラ・マリヤ・エッカート(jc1995)

大学部3年7組 女 アストラルヴァンガード
藤ノ朧は桃ノ月と明を誓ふ・
不知火藤忠(jc2194)

大学部3年3組 男 陰陽師