「逃げたってしょうがない、なんて事はない! 人間生きてれば何とかなるもんだよ!」
話を聞いた高瀬 里桜(
ja0394)は、持っていた飴玉を母子の手に握らせた。
「だから、待ってて。絶対無事に連れて来るから」
家に残った父親の携帯番号を聞き、走り出す。
「ヒロちゃんとヒロちゃんのおとん、絶対無事に連れて来たるわ。せやから大船に乗った気でどーんと構えとってや!」
葛葉アキラ(
jb7705)もそれに続いた。
とにかく今は一刻を争う、のんびり作戦を練っている時間はなかった。
「やれやれ、ひきこもるにせよ何にせよ、生きてなきゃ話にならないのにね」
まずは敵の足止めが必要と、アサニエル(
jb5431)は光の翼を広げて一直線に飛んで行く。
「何かあったら携帯で連絡を、僕の方からも状況を伝えますので」
エイルズレトラ マステリオ(
ja2224)、玉置 雪子(
jb8344)がそれに続いて空へと舞い上がった。
「俺達は万能じゃない、人が生きたいと思ってくれないと…」
礼野 智美(
ja3600)はその場で阻霊符を使う。
ここからだとぎりぎり範囲内、透過を阻止すれば家を壊される危険はあるが、家は最悪でも建て直せば済むことだ。
「でも失われた命はそうはいかない」
この事態に、まさか逃げる事を拒否する者がいるとは予想していなかった。
少しでも早く現場に着く為に、智美は縮地で移動力を上げる。
「俺は先に行って状況を確認しておきます」
誰かひとりくらいなら担いで行けるかもしれないが、皆もう既に走り出していた。
「信じられないのは仕方ないかもしれないけど、それで未来を潰しちゃうのは勿体なさ過ぎる」
走りながら、蓮城 真緋呂(
jb6120)は呟く。
「生きたくても生きられなかった人達が…たくさん居るんだもの」
胸の内に遺る、その人達の為にも。
生きられる人には生きて貰う。
その為に、絶対ディアボロに襲わせたりはしない。
『足止め班が敵の注意を引いて、可能な限り敵を家から引き離す。その間に救出担当が子供を説得して戦闘区域から離脱させるよ』
携帯からアサニエルの声が響いた。
「でも、悠長に説得してる余裕はないかもしれないわね」
『その場合は強引に担いででも連れ出すしかないだろうな』
「そうね、最優先は『生きて助ける』ことだもの」
文句なら後でいくらでも聞こう。
恨み言を言えるのもまた、生きていればこそだ。
「いきなり行ってもパニックしちゃうかもしれないから、先に連絡入れておくね!」
里桜が先程聞いた蛮行に電話をかけてみる――
「うわぁっ!!」
突然鳴り響いた着信音に、ヒロは毛布にくるまったままベッドから飛び起きた。
そんな息子を宥めつつ、父親は通話ボタンを押す。
「はい、ええ――わかりました、よろしくお願いします……え、息子ですか?」
父親はヒロに携帯を差し出す。
「お前に話があるそうだ」
「僕に?」
渋々受け取ったヒロの耳に、男性の落ち着いた声が響いた。
『奇跡はもう信じられない?』
連絡のついでにと、狩野 峰雪(
ja0345)が通話を代わって貰ったのだ。
『夢や希望は叶わない? だから生きてたってしょうがない? この先も生きていくのが怖い?』
だが、ヒロは無言でその通話を切った。
「どうした、ヒロ?」
「べつに、何でもない」
父親に携帯を返し、ヒロはまた毛布を被る。
しかし、再び着信音。
『じゃあさ、もうこれで終わりだと思うなら、最後に1回だけ、おじさんと賭けをしてみないかな』
――ぷつっ。
だが峰雪は諦めない。
『僕らが無事にきみを逃がすことができたら、おじさんの勝ち。家族がみんな、再会できて、この先もきっと、うまくいく』
――ぶちっ。
『僕らが失敗すれば、きみも僕も、そこでおしまい。ね、単純でしょう?』
「うるさい!」
――ガシャン!
今度は携帯を床に叩き付けた。
敵はかなり手強いと、峰雪は苦笑いを漏らす。
だが、あの年頃の子供は大抵そんなものだ。
うるさいの一言でも返事をくれたということは、こちらが投げたボールがどこかに当たったというサイン。
全てが終わってから、もう一度話しかけてみよう。
今すぐでなくても良い、いつかその心に響いてくれれば。
その時、ヒロの自宅周辺では敵が動き始めていた。
しんと静まりかえった住宅街に、微かに響いた携帯の着信音。
普段なら家の外まで漏れ聞こえる筈もないその音に、斥候のイカ達が反応した。
カーテンの閉まった窓に貼り付き、中に入り込もうとする。
が、既に阻霊符の効果が現れていた。
――ドンッ!
その衝撃で、ビリビリとガラスが震える。
親子は窓から離れた部屋の隅で身を寄せ合い、じっと息を殺していた。
二度、三度、ガラスが震えた、その時。
「キィッ!」
窓の外でヒリュウが鳴いた。
「囮は得意中の得意ですよ」
エイルズレトラが、空中で恭しく頭を下げる。
「さあ、ショウ・タイムです。忍ばない忍びの生き様、とくとご覧あれ」
背中合わせに浮かんだエイルズレトラとヒリュウのハートをスポットライトが照らし出し、イカ達の目は否応なくそちらに引き付けられた。
そこは家の南西側、ちょうどイカ達が攻め上がって来た方角だ。
後から来たイカ達もすぐにその姿を見付け、一人と一匹を囲む包囲網は一気に膨れ上がる。
「細工は流々、後は仕上げをご覧じろです」
合図と共にハートが射程外へ退避、途端に無数のカードがエイルズレトラの両手から滑り落ち、周囲の全てに纏わり付く。
その間にハートはイカ達の背後に回り込み、牧羊犬の如く主の元へと追い込んでいった。
「よっしゃ釣れたで、大漁や!」
そこに韋駄天で突っ込んだアキラは漆黒の大鎌を構え、残ったイカ達の真ん中で剣の演舞を魅せる。
その一列後ろの群れには上空からアサニエルが、地上では智美が、東西から挟み込む様に彗星の雨を降らせた。
智美は更に炸裂陣、そしてダークブロウでイカの群れを切り開く。
ざっくり数を減らしたら、後は各個撃破――敵の興味を自分達に移すべく、なるべく派手に、目立つ様に。
峰雪は東側の道路から南に回り込みながら、群れから離れたイカ達をエクレールで撃ち落としていく。
「すまないね、ここから後ろに通すわけにはいかないんだよ」
その後ろから上がった真緋呂が南側の道路に溜まったイカ達と――背後に控えたイカ頭に向けてコメットを見舞った。
命中率が高くない事はわかっている。
撃ち漏らしがある事を見越して、阿弥陀蓮華を抜き放った真緋呂は集団の中に突っ込んで行った。
「…私達の相手、してくれる?」
返事の代わりにイカ頭の触手が伸びる。
だがそれを刀で斬り払い、飛ばして来る溶解液を腕で振り払い、真緋呂は敵を追い詰めていった。
「この程度では倒れない」
親子の逃げ道が敵の死角になるまで押し続ける。
その行動は嫌でも敵の注目を集めた。
イカ頭が二体、三体と、真緋呂の周囲を取り囲む。
「ごめんなさい、イカメンにモテても嬉しくないの」
真緋呂は正面の一体に斬りかかった。
その左右から残る二体が触手を伸ばして来る。
しかし。
「あたしとも遊んでおくれよ、良いモノあげるからさ」
上空のアサニエルが腕を大きく振りかぶり、ヴァルキリージャベリンの光の槍を一直線に投げ下ろした。
「なに、遠慮しないで受け取ってくれよ」
それはイカ頭を背中から刺し貫く。
残るもう一体は、峰雪の銃撃で蜂の巣に。
「そろそろ充分に引き離したかしら」
潮時と見て、真緋呂は救出班に連絡を入れた。
「乙です、雪子たち誘拐犯の出番ですね、フヒヒ」
誘拐でも犯人でもないけれど、素直に救出班を名乗ったら負けな気がして。
氷のアウルで擬似光学迷彩を施して空に溶け込んだ雪子は、北側の窓辺に舞い降りた。
北東の勝手口には里桜が忍び寄る。
どちらも事前の連絡で頼んでおいた通り、鍵は開いていた。
「さっさと逃げるんですわ? お?」
しかし、そう言われてもヒロはやはり動かない。
そんな彼と疲れた様子の父親に、里桜はマインドケアをかけた。
その上で訊ねてみる。
「ヒロくんは家族が大事? 大事な家族が死んじゃったらどう思う?」
返事はない。
だが、ちらりと父親を見たヒロの不安げな表情を雪子は見逃さなかった。
「どうせ死ぬ? そりゃ結構毛だらけ猫灰だらけ。ご心配なく、どのみち人間みんな死亡率100%なんですわ? お?」
のんびり説得している時間はない。
雪子は憎まれ役を買って出てる事も辞さなかった。
「どうせ死ぬんなら、これからみんなで死にますか? よーしパパ今すぐ二人とも殺しちゃうぞー^^」
先程の問いに対する答えが、ヒロの顔にはっきりと浮かび上がる。
「うん、そうだよね」
里桜はその手に飴玉を握らせた。
「お父さんも、ヒロくんがいなくなったら同じ気持ちになると思うんだ。だから、そんな思いさせないためにも、今はお姉さんたちと避難してくれないかな?」
嫌だと言っても、これ以上の時間はかけられない。
雪子は抵抗するヒロを毛布ごと簀巻きにして担ぎ上げた。
『今から出るよ!』
里桜からの連絡で、足止め班は作戦の第二段階へ移行する。
「楽しいショーの後は、ぐっすり眠ってもらいましょうか」
「避難が終わったら、また相手をしてあげるからね」
エイルズレトラはトランプ兵団を呼び出して、峰雪は氷の夜想曲で、それぞれに手近な敵を眠りに誘う。
これならヒロが抵抗して大声で叫んでも、まず敵に気付かれる事はないだろう。
念の為にエイルズレトラは再びショウ・タイムを演じ、眠らなかった敵の目を引き付ける。
親子を連れた二人は周囲の安全を確認すると、勝手口からそっと抜け出した。
里桜は片手にブロンズシールドを構え、もう片方で父親の手を引いて。
雪子は簀巻きにしたヒロが背後の敵に狙われない様に胸の前に抱えて。
二人とも敵に追い付かれた時の為に臨戦態勢のまま走る。
しかし後に残った仲間達が敵の追随を許す筈もなかった。
「おっと、そっちに行かれちゃ困るさね」
彼等の動きに気付いたイカを、アサニエルが審判の鎖で締め上げる。
韋駄天で追いかけたアキラは鳳凰の力で親子を守りつつ、剣の舞いでイカを切り刻んだ。
「不味そうなイカソーメンやね」
その間に雪子は目眩ましの吹雪を巻き起こして戦域を離脱、避難所へと急ぐ。
「ここまで来ればもう大丈夫だね!」
無事に避難所に辿り着いた里桜は、家族の再会を見届ける間もなく再び飛び出して行った。
「すぐに戻るからね、そしたら四人で家に帰れるよ!」
だから、もう少し待ってて!
親子が無事に逃れた事を確認し、仲間達は敵の掃討にかかる。
「作成者の悪魔の姿は見えないみたいだけど、前回スローターが出た時変な声聞いた仲間がいたし、指示出されたら厄介だな」
智美は注意して周囲を見回してみるが、それらしき姿は見当たらなかった。
ならば後は全力で掃除をするだけだ。
血界で能力を底上げし、外殻強化で防御力を上げる。
炎熱の鉄槌を手に前線に立ち、ありったけの攻撃スキルを片っ端から使って敵を叩く。
範囲攻撃に注目やスタンの追加効果、とにかくこれ以上は北に進ませないように。
「少しばかり数が多いやね」
アサニエルはわざと細い路地に逃げ込んで、敵にその後を追わせる。
一直線に並んだところでヴァルキリージャベリンを撃ち放った。
エイルズレトラは眠らせた敵に止めを刺しながら、残った敵をハートと二人で開けた場所に誘導していく。
「これが最後のショウ・タイムです」
カードの乱舞、再び。
「どうです、エイルズレトラの殺人奇術、お楽しみイカがけましたか?」
峰雪はアンタレスの劫火で残りを一気に焼き払う。
焼きイカの香ばしい香が辺りに充満するが、勿論それは煮ても焼いても食べられない。
続いて真緋呂がコメットで全てを叩き潰し、太陽光線で焼き尽くした。
「…もう眠りなさい」
それらも元はヒトだったもの。
「貴方達も悪魔の手にかかった被害者なのだから」
集団から外れたものはアキラが八卦石縛風で無力化させる。
最後に避難所から駆け戻った里桜と雪子が合流し、受けた傷を癒しながら敵の姿を虱潰しに探して殲滅。
これで今回の仕事は完了――
いや、まだ残っていた。
とても大切な事が。
避難所に戻った撃退士達は、ヒロとその家族の元へ。
礼を言われるのはまだ早い。
皆それぞれに、伝えたい言葉があった。
「賭けはおじさんの勝ちだね」
まずは峰雪が話しかける。
「誰しも先のことは分からないし、努力や祈りがすべて叶うわけでもないし、何もかも思い通りにはいかないけれど」
でも、逆にすべてが思い通りにいったら楽しくないし、うまくいったら、とても嬉しくなる。
「きみのお父さんは、まだ諦めていないよ。自分自身のために頑張るのに疲れてしまった時は、家族のために、って思ってみるのもいいかもしれないよ」
自分のためよりも、誰かのためのほうが、頑張れるかもしれない。
「人はね、生きている意味があるんだよ。それを探すのが人生なの」
次は里桜だ。
「ヒロくんがいる事で、これから先助かる人がいるかもしれない。幸せになる人がいるかもしれない。それを全部あきらめちゃうのは、もったいなくない?」
現に今、ヒロの家族はとても幸せそうだ。
「それは今、ヒロくんがここにいるからだよ? だから、もっと生きてみようよ」
「今の時代ありふれた話だけど、私の故郷はもう無いの。皆、生きたかったけど生きられなかった」
真緋呂の言葉に、ヒロはぴくりと身を震わせる。
「私は死ぬのって怖い。ヒロ君は怖くない?」
「べつに」
「そっか。死ぬのが怖くないなら、辛い事も乗り越えられるんじゃないかな」
「なんで」
「だって、一番怖い事が大丈夫なんだから。歩ける未来を諦めちゃうのは勿体ないわ」
死んだ気になれば何でも出来るとも言うし。
「可能性を自分で潰さないで…信じてみよう? 自分自身を」
だがヒロは答えない。
「じゃあ君死にたいの? 家族巻き添えにして?」
業を煮やした様に智美が言った。
「天魔に襲われて恐怖と苦痛の中で死んだ人一杯いるんだ、君は元気になる可能性あるんだから」
それでも頑なに心を閉ざすヒロを、雪子は冷ややかに見つめていた。
(縋れる道がありながらそれを拒む……理解に苦しみます)
彼が捨てようとしている未来は、雪子が死ぬほど欲しがっている未来だというのに。
「不死の人間は存在しません。誰もが延命して生き続けています」
最後に、雪子が言った。
「それでも貴方は延命を否定しますか?」
やはり答えはない。
しかし、彼に投げかけられた言葉はどれも、決して無駄にはならないだろう。
たとえ今はわからなくても。
素直に受け入れる事が出来なくても。
生きてさえいれば。
種は蒔かれた。
後は待つだけだ。
彼という土壌が力を蓄え、その根を支える事が出来るようになる、その日まで。