日も暮れかけた風雲荘、リビングに降りてきた青空・アルベール(
ja0732)が声をかける。
「リュールー! 遊びいこーなのだ!」
「だが断る」
速攻で拒否されても、メゲずにリトライ。
「今日は七夕なのだよ、蛍も見れるのだ、多分」
「蛍なら見た」
さっきテレビで特集してた。
「本物は違うのだ。それにたまには自分の足で歩いてかねーと、見れないいろんなものがあるのだよ」
浴衣も用意したし、着付けしてあげるから。
「みんなもう先に行ってるのだ」
と言うか今日は皆でお出かけだから、夕食の用意もしていない。
「終わったらパーティあるよ」
七夕のご馳走もいっぱい、勿論スイーツも。
これはもう、面倒でも一緒に出かけるしかなかった。
一足先に家を出た門木は、友人達と共に購買の前。
自分も着たいと言うディートハルト・バイラー(
jb0601)のリクエストに応えての浴衣選びである。
「ショウジ、お前もどうせ着せてもらうんだろう? 俺もついでに頼むよ」
「はいー、私にお任せくださいー」
着付けも出来る専属美容師アレン・マルドゥーク(
jb3190)は既に浴衣姿。
白地に華やかな大輪の牡丹が咲いたそれは勿論女性用だが、彼の琴線に触れるものは悉くそうなのだから仕方ない。
それに伝統に沿った気品のある着付のせいもあって、文句なしの美女に仕上がっているのだから、何も問題はなかった。
「この髪飾りもお気に入りなのですー」
浴衣の柄とお揃いの大きな牡丹が結い上げた金色の髪に花を咲かせている。
動く度に房飾りが小さく音を立てた。
「ショウジの浴衣は?」
「…俺は去年と同じ、紺絣だ」
「なら揃いのが良いな、仲が良さそうに見える」
お揃いじゃなくても仲良しだけどね!
「じゃあ帯だけ変えましょうかねー。章ちゃんのは髪に合わせた濃緑ですから、ディーくんは金色が良いでしょうかー」
履き物は下駄より雪駄の方が歩きやすいだろうか。
「では、それで頼めるかな」
「承知しましたー、あ、章ちゃんのおめかしはどうしますー?」
アレンは輪郭補正用のテープをびしっと構えてにっこり笑う。
「誰もが振り返る渋いおじさまでいきますか? それとも青年風でいきますか?」
「…あー…、いいや、そのままで」
おっさんが若作りしても痛いだけ、という誰かの話を小耳に挟んだらしく、門木は吹っ切れた様子で首を振った。
受け入れるしかないのだ、どんなに不本意でも。
ただ、やっぱり一発くらいは殴ってやりたいけれど。
「章ちゃんにも殴りたくなるような相手がいたのですねぇ」
「…それは、まあ」
もっとも本気で怨んでいるわけではないけれど。
「章ちゃんに色々教えたその人、私も会ってみたいですねぇ。なんだか面白そうなのです」
「…退屈はしなかったな、確かに」
今はどこにいるのだろう。
便りがないのは元気な証拠と言うけれど――
「あ、章治兄さま…やっと見付けたの、です」
購買を出たところで、華桜りりか(
jb6883)と鉢合わせ。
その後ろにはシグリッド=リンドベリ(
jb5318)と、テリオスの姿もあった。
この兄妹が互いに目を逸らすのはいつもの事だが、今日は何故かシグリッドまでが門木と目を合わせないようにしている――と、そう見えるのは気のせいだろうか。
「…どうした、腹でも痛いのか」
門木に訊かれて、シグリッドはふるふると首を振る。
痛いところはあるけれど、それはお腹ではないし、薬で治るものでもない。
追求を避ける様に、シグリッドは話題を変えた。
「テリオスのおにーさん浴衣似合っててかっこいいのです」
黒地に灰色の細縞が入ったそれは、自分が選んだのだと満足げに頷く。自分用にはシンプルなグレーの単色、勿論どちらも男性用だ。
りりかは裾に向かって白から赤にグラデーションがかかった地に、濃淡の桜を散らした浴衣を着ている。かづきの下に揺れる髪飾りも勿論桜のモチーフだ。
「章治兄さまにも浴衣を着てほしいの…」
「…ん、これから着替えるところだから、少し待っててな」
頭を撫でられて、りりかはこくりと頷いた。
「では、先に準備をしておくの…」
笹に飾り付けをして、願い事を書いて――
食堂は既に、思い思いに着飾った参加者達で賑わっていた。
会場に一番乗りした龍崎海(
ja0565)は、まだ誰も来ないうちからボランティアとしてせっせと働いていた。
大きな笹を個人用のミニ笹に切り分けたり、飾りや短冊を作る為の色紙を用意したり。
「企画とか考えている人もいるらしいし、これぐらいは手伝おう」
去年も参加したことだし、大体の流れはわかっている。
それに花火も用意して。
「線香花火を多めにしておこうかな。蛍狩りにはうるさいやつよりこっちの方が合いそうだし」
後は自分の願い事だが――
「門木先生の主催なら、この願いしかないでしょ」
去年も同じ事を書いた気がするけれど、今年もまたこれで。
『アイテム強化の大失敗が減りますように』
短冊の色は勿論、信頼に関する願い事に対応する筈の黄色。
願い事によって短冊の色を変えるのも去年と同じだった。
墨痕豊かにしたためた短冊を目の前にかざし、紅華院麗菜(
ja1132)は満足そうに目を細める。
そこには一言、大胆に『ひれ伏しなさい』と書かれていた。
「特に意味はないですわ」
小さな一人用のミニ笹に飾り付け、準備は完了。
「蛍狩り、楽しみですわ。夜空を飛び交う蛍は本当に美しいものですの」
それはこの時期ならではのお楽しみ。
探して歩くのもまた楽しそうだ。
「さすがにカップルさんとかも多そうだ」
って言うか多いよね実際。
「ま、俺は一人でのんびりになりそうかなぁ…」
黄昏ひりょ(
jb3452)は、その熱気に当てられた様に溜息を吐きながら、短冊を手に取った。
机に向かい、紺色の浴衣の袖で隠しながら願い事を書く。
「他の飾りに紛れさせておけば、きっと誰にも見えないよな」
隠れていても、神様には見える筈だ。
「ゆか、た?」
「そう、浴衣」
「ゆかた、おぼえた」
虚神 イスラ(
jb4729)から手渡された浴衣をまじまじと見つめ、ジズ(
jb4789)はこくりと頷いた。
「着てみる?」
「着る。でも、ぼたんがない。どう、する?」
「じゃあ一緒に着替えようか。僕の真似をすれば良いから」
「わかった。イスラが、おてほん」
更衣室に入った二人は浴衣に着替え――あれ?
「ゆかた、むつかしい」
イスラの真似をしたのに、同じにならない。
どういうこと?
「うん、わかった。僕が着せてあげる」
こうして、こうして。
「おお、すごい。ゆかた、着た。着…着?せて、もらった」
イスラは藍色の地に観世水に泳ぐ魚を模した柄、ジズは同じ柄で色違いの臙脂色だ。
「ところでジズ、お願い事は、今年も決めたかい?」
「きめた、きまった」
懐中電灯と笹は去年覚えた。短冊には願い事を書くものだという事も。
「願い事を形にするのは、決意表明みたいなものだ。そうあるよう行動するのは自分自身だから」
「? 今年…イスラの言うことは、むつかしい、な」
「簡単に言えば、誓いの言葉かな。ほら、選手宣誓とか」
選手達は自分で誓った事を守るものだ。
「わかった」
願いは、決意。決意は、誓い。
『いすら が 幸せ な かお する、ように』
少したどたどしい文字で書かれたそれを見せる。
「イスラ、は?」
「僕のは内緒」
それを叶えるのは自分だから、自分がわかっていれば良い。
(僕は、君に沢山のココロを知って貰いたい。嬉しい涙も、悲しい涙も。その為なら何でもする。それが僕の望むコト)
不思議そうに首を傾げたジズに、イスラは柔らかな微笑を返した。
「七夕というよりも蛍狩りで、参加してみないか?」
従弟の音羽 聖歌(
jb5486)がそう言って誘ってきたのは昨日のこと。
「…うん、行く」
神谷 託人(
jb5589)が素直にそう言えたのは、妹が泊まりがけの依頼に出ているからで――そうでなければ二人でお出かけなんて夢のまた夢、実現不可能だったことだろう。
とは言え完全に安心は出来ない。
妹が家の箪笥に男物の浴衣を見付けようものなら、それはそれは厳しい追及が待ち構えているに違いないのだ。
よって、今日は二人とも普段着。
「ま、仕方ないな」
託人の浴衣姿は見たかったけれど、そう言って聖歌は苦笑い。
「昔は仲良かったのに、どうしてあんなに聖歌を目の敵にするんでしょうね」
託人は妹の過剰とも言える反応を思い出して溜息を吐いた。
聖歌と一緒に行動する度に強固に反対したり邪魔したり。
お陰で二人きりで過ごすのは凄く久しぶりのような気がする。
「…私が言っても聞かないんですよね。むしろ酷くなっている気が…」
どうしてここまで強固に反対するのだろう。
「そういうお年頃なのかもな」
一過性のものであって欲しいという願いを込めて、聖歌は返事を返す。
(あの娘が懇意にしている相手で、同性の恋人同士とかいれば、諌めを聞き入れている可能性はあるけどな。女の感は鋭いって本当だよな)
同性カプは多そうだが、知り合いとなると心当たりはなかった。
「ところで、願い事は書いたか?」
「ええ、『家内安全』と『無病息災』…」
「なんだ、俺と同じか」
「もうひとつ、『聖歌と妹の関係修復』をお願いしておきますね」
「ああ、ありがとうな」
聖歌にも、他にもうひとつ願い事があった。
しかし個人的な最大の願いであるそれを衆目に晒すのは、少々憚れる。
よって、誰にも――託人にも見られないように、その短冊はこっそりと隠して飾られたのだった。
「たなばた…えっと、なんだっけ? 前に教えて貰った気もするけど…」
鏑木愛梨沙(
jb3903)は「まぁ楽しければそれで良いよね♪」というわけで、友人に頼んで着せてもらった白地にピンクの朝顔が咲いた浴衣で登場。
それは良いのだが、この友人というのが本格志向につき「外に響くし着崩れるから」という理由で下着は外されました。つまり、ノーブラノーパンなう。
髪は束ねて簡単に簪で留め、白いうなじが見えている。
「ね、センセ。どう?」
門木に感想を訊いてみるが――
「…ああ、うん、普通に可愛いんじゃないか?」
そこ、何故に疑問系なのか。
おまけに「普通に」とはどういう事か。
まあ、その辺りはあまり深く追求しない方が良さそうな気がします、はい。
「今年は仮装じゃなくていいんですね…」
カノン(
jb2648)の浴衣は夜の竹林をイメージしたものであるらしい。
深緑の地に筆で払った様に簡略化された竹の図案が白で控えめに配されたそれは、シンプルで派手さかなり控えめだった。
らしいと言えばらしい選択ではあるのだろうが、もう少し華やかにしても良い気はする。
「…ちょっと、待ってろ」
机に向かった門木は折り紙を取り出し、何かを作り始めた。
暫しの後、出来上がったのは小さな空色の桔梗をいくつか束ねた髪飾り。
「…こんなの、どうかな」
それほど派手でもないし、和の花ならイメージを壊さないかと考えたのだが。
「ほお、折り紙の花か。器用やなぁきっつぁん!」
酒を片手にたこ焼きを食べながら、ゼロ=シュバイツァー(
jb7501)が背中を叩く。
黒の作務衣に真っ赤な羽織をひっかけたゼロは、もうすっかり出来上がって…いや、平常運転でしたね、すみません。
「んじゃ俺は人界の掟を知らないりんりんに七夕の何たるかを教えたるわ」
「七夕は知っているの…」
適当な嘘知識を教え込もうとしたゼロに、りりかが首を振る。
「お願いをするの、です」
「そうそう、短冊という物に願い事を書く…クリスマスみたいだね」
愛梨沙が頷くが、それも飛んでも知識ですからね?
「…普通、クリスマスツリーに短冊は飾らない、な」
「えっ、そうなの?」
でも良いや、楽しければ以下略と見せられた短冊には『どんな形でも良いから、ナーシュと本当の家族と呼べる存在になりたい』と書かれていた。
「…それはもう、叶ってるんじゃないのか」
風雲荘の皆は家族、ではないのか。
「うん、そうだけど…ちょっと違う、かな」
乙女心は複雑な様だ。
「あたしのお願いは、これ、です」
りりかが『みなさんが楽しく過ごせますように』と書かれたピンクの短冊を見せる。
「章治兄さまの幸せを願っているの…」
「…ん、ありがとう」
今でも充分に幸せだし、寧ろこれ以上は高望みのしすぎではないかと思う程だけれど。
「章治兄さまのお願い事は何…です?」
「…皆が怪我や病気をしないように、かな」
戦いを終わらせたいとか、強くなりたいとか、そういう願いは自分で叶えるしかない。
でも、これくらいなら神様の守備範囲に入るだろう。
「ゼロさん、は?」
「俺か? 俺は別になんもあらへんな!」
欲しいものは自力で奪うし、出来ない事は何もないし、女には不自由してないし、これ以上強くなったらヤバイし、もう既に神みたいなもんって言うかたこ焼き神だしな!
「寧ろ俺に願え! どやシグ坊、何でも叶えたるで、出来んこと以外はな!」
「遠慮しておくのです…」
出来ないこと以外なら、神頼みしなくても叶えられそうな気がするし。
「しぐりっどさんのお願いは何なの、です?」
「ぼくは、特に思いつかなかったので」
シグリッドは笹に飾った白紙の短冊を見せる。
「それより、テリオスのおにーさんは何をお願いするのです?」
「テリオスさんも、お願い事を書くの…」
二人に言われ、テリオスは困った様に首を傾げた。
「これに書けば願いが叶うのか? 何でも?」
「何でもってわけじゃねーけど、叶う事もある、かな」
青空が答え、自分の短冊を見せる。
「ほら、こんな風に書くと良いのだ」
そこには『来年もみんな笑ってますように!』 と書かれていた。
「絵を描いても良いのだよ!」
もう一枚の短冊には、風雲荘の住人達の似顔絵(推定)が掻かれている。
「この奇妙な物体は?」
「だからタロちゃんだってば!」
さすがは画伯。
暫し考えたテリオスは、見た事もない文字で何かを書き込んだ。
それは天界の一部でしか使われていない特殊な文字で、天使の中でも読める者はごく一部に限られ――
「ふむ、『母上に会いたい』か…マザコンは血筋だな」
ここに容赦なく読み上げる鬼がいた。
しかし堕天したとは言え大天使である鬼に対して、真面目な下級天使は文句も言えず、ただ顔を真っ赤にして口をぱくぱくさせるのみ。
かく言う鬼の願い事は、いつもの『孫の顔が見たい』だった。
「母上、あまりしつこいと嫌われるのですよ…」
「誰に? お前か?」
それは絶対に有り得ないとリュールは鼻で笑うが、嫁(予定)に嫌われる可能性は充分にある。
世の中には「あの人をお義母さんとは呼びたくない」と、姑が原因で破局に至る例も少なくないのだ。
「むう」
思わず口ごもった鬼姑(仮定)に、アレンが声をかける。
「リュールさん浴衣お似合いなのですー」
白地に大きなアイスブルーの薔薇が配された生地はアレンが選んだもの。仕立ては青空だ。
「章ちゃんと並ぶと絵になるのですねー」
「親子で絵になってどうする、それよりも――いや、何でもない」
これ以上つつくと本気で息子に嫌われそうだと、リュールは咳払いをひとつ。
「ともあれ、うむ、これはなかなか良いものだな」
オカン、浴衣を気に入った様です。
「よかったのだー」
ふわっと微笑む青空の頭を、着替えを済ませて食堂に顔を出した蛇蝎神 黒龍(
jb3200)が撫でる。
「服似合ってるな」
青空の浴衣はその名前の様に鮮やかな青に、少しくすんだ水色で雲龍模様が描かれていた。
一方、黒龍と共に現れた七ツ狩 ヨル(
jb2630)は、酸欠金魚の様なテリオスに短冊とミニ笹を押し付ける。
「何があったか知らないけど。これ、メイラスの分」
正直、彼の事はまだ嫌いだし、これからも好きになれるかどうかわからない。でも。
「願いをあいつも持っている筈だから」
別に親切で言っているわけではない。
「…去年の俺自身の願いに、少しでも近付きたいから」
皆、幸せにと――そう願った。
その中にはメイラスも、その上にいる者も、一番上も、一番下も、全部入っているから。
「お前は、おかしな奴だ」
笹を受け取ったテリオスが言う。
「しかし私にはメイラス様の願いなどわからぬ。私が持っていても意味はないのではないか?」
「持ち帰ってくれれば良い」
七夕は旧暦にもあるから、その時に奉納すれば大丈夫。多分。
「旧暦と新暦の両方で願い事したら、どっちかは叶わんことになるんやろか」
それともペナルティで両方アウトだろうかと、ふと思い付いた黒龍が首を傾げる。
「でも一度に二つのお願いは問題ないやろね」
というわけで、一つ目の願い事には『レガとの再戦』を。
「あの闘いを楽しむ感じが昔のボクに似ててん」
叶うなら、闘争狂の充足感を。
「あ、でも今のボクはヨルくん一筋やけどね?」
勿論二つ目と言うか多分こっちが本命だけど、もうひとつの願いは『いつも、いつまでもヨルの傍にいれるように』だ。
「ん、知ってる」
そんな彼等は本日、お揃いの浴衣。
黒地に細い白ラインがランダムに走る中を、何かが翼を広げて飛んでいる。
遠目からはトンボ柄に見えるそれは、よく見ればコウモリ柄だった。
「二人で反物選んで、ボクが仕立てたんや」
「うん、やはり揃いは仲が良さそうに見えるね」
ビールを片手にディートハルトが微笑む。
目の前に置かれた短冊には、まだ何も書かれていなかった。
「ふむ」
一息吐いて、グラスを見る。
「古い酒は勿論好きだが、この前に飲んだ新しいビールも美味かったな」
そう思い返してペンを取った。
『素敵な出会いを』
良い酒との巡り合いは、俺の人生を良い物にしてくれるから。
「どうか素敵な一杯を」
そしてまた呑む。
いつもと同じ彼らしい行動の影で、裏面にさらりと一言書き加えた事には誰も気付かなかった。
「そういえば、こんな日常を、過ごすのは、今まで無かったかも、知れません」
短冊を書き上げたアルティミシア(
jc1611)は、自分で書いたその文字をじっと見つめる。
「ちょっと、恥ずかしい、です」
表情は殆ど変わらないが、代わりに周囲の空気がほんのり赤く染まった様な気がする。
黒い地に赤い蜘蛛の巣、そこにステンドグラスの様な蝶が舞う浴衣に身を包み、アルティミシアは笹を手に食堂を出る。
見上げると、空には小さなガラスの欠片をぶちまけた様に、無数の星が瞬いていた。
「七夕に蛍狩りですか。随分ロマンチックな情景が見られそうですね」
白地に朝顔の浴衣を着た黒羽 風香(
jc1325)は、後ろから笹を持ってゆっくりと歩いて来る兄、黒羽 拓海(
jb7256)を振り返った。
水色の簪が星明かりに映えて、きらりと光る。
「七夕に蛍狩りはいいが、星と蛍のどっちが主役なんだ?」
「どっちも主役ですよ」
拓海の声に、風香が笑う。
「今日は折角だから人気の無い所に行きましょう。夜の廃墟探検とか楽しそうですよね?」
結局、星も蛍も関係ない事になりそうだと、拓海は苦笑い。
「まあ、深く考える事でもないか」
義妹兼恋人が楽しく過ごせれば、それで良い。
それよりも、今日は妙に頑なに見える彼女の態度が気にかかる。
自分でも気付かないうちに、何かしでかしたのだろうか。
そんな兄の視線に気付いて、風香はくすりと笑った。
「そういえば、こちらに来るまでは織姫よろしくなかなか会えない日々にやきもきさせられていましたね」
「言われてみれば、最近は少し忙しかった気もするな」
「だから、今日はとことん付き合ってもらいますからね!」
風香は問答無用で拓海の手を握る。
「あ、ランタンは私が持ちますから、兄さんは笹を」
互いに空いた手を繋ぎ、二人は闇に沈む廃墟へと踏み込んで行った。
「蛍見るのなんて初めて! どきどきわくわくなんだよ♪」
スピネル・クリムゾン(
jb7168)は、ぴょこぴょこと跳ねながら蛍は何処かと辺りをきょろきょろ。
そんなはしゃいだ様子の恋人に、ウィル・アッシュフィールド(
jb3048)は眩しそうに目を細めた。
白をベースにしたモノトーンの浴衣は、肩から裾にかけてのサイドと掛衿の部分だけが黒く、白黒の境目には白と桃色のレインリリーが咲いている。
その大人びた柄に合わせて帯は躑躅色、編み込んでアップにした髪に刺した簪には、柄とお揃いのレインリリーがあしらわれていた。
跳ねる度に、黒い下駄がカタカタと音を立てる。
「ここではまだ見られないな。もっと奥の…人のいない方まで行かないと」
「蛍って、恥ずかしがり屋?」
「そうかもしれないな」
かくりと首を傾げたスピネルに頷き返し、手を差し伸べる。
「蛍が逃げるから灯りは無しだ。…手を、此方に」
迷子にならないように手を繋ぎ、二人はゆっくりと歩き出した。
「天の蛍と地上の星と♪」
北條 茉祐子(
jb9584)は去年も歩いた同じ道をひとりで歩く。
今日の装いは闇に溶け込む様な紺色の地にナデシコが咲く浴衣に、臙脂色の帯。
ランタンが揺れる度に鮮やかな色が闇の中から浮き上がって見えた。
今年は仮装ではないから、狐の面は家で留守番だ。
見上げた空には天の川がかかっている。その何処に織姫と彦星がいるのか、それさえよくわからないけれど、茉祐子は星が大好きだった。
勿論、地上を飛ぶ星――蛍も。
足元を照らし、転ばないように気を付けながら、茉祐子は鼻歌交じりに歩く。
「確か、こっちの方だったわよね」
朧気な記憶を頼りに、茉祐子はどんどん廃墟の奥へと進んで行った。
「さすがに廃校舎の中に蛍はいないよね」
蓬莱 紗那(
jc1580)はランタンを片手に、ぶらぶらと夜の散歩を楽しんでいた。
開いた扇子に「苦笑」の文字が書かれていたが、それを見る者はいない。
悲しい話、知り合いも余りいないし、かといって誰か知らない人に声をかけるのも気が進まなかった。
男子を誘ったら逆ナンかと思われそうだし、女子の間に入ったら女の子扱いされそうだし。
「こう見えても男だからね、私」
この姿では、なかなか信じてもらえない事も多いけれど。
壊れた窓ガラスから夜風が吹き付けてくる。
「あれ、蛍…?」
ふと外を見れば、小さな黄色い光がふわふわと揺れながら移動していた。
違う、あの色はきっと、誰かのランタンだ。
そう思いつつも紗那はその光を追いかけてみる事にした。
「他にする事もないしね」
天宮 佳槻(
jb1989)が手にした笹には、色とりどりの短冊が飾り付けられていた。
その重みで枝がしなり、歩く度にわさわさと揺れる。
だが、どれだけ沢山の願いを書いたのかと思えば、その中で願いが書かれているものは、たったの二枚。
他は全て、ただの飾りだった。
相反する二つの願いが書かれた短冊は、裏と表を交互に見せつつ笹の中ほどで揺れている。
と、佳槻の手から笹を奪って行くかの様な突風が吹き上げた。
「っと、すごい風だな」
急にどうしたのかと思いつつ、佳槻は笹を持った手に力を込める。
お陰で笹は無事だったが、何枚かの短冊がちぎれて飛んだ。
追いかけようかとも思ったが、短冊はあっという間に闇に吸い込まれて行く。
諦めて目を戻し、佳槻はそこにある筈の二枚を探した。
が――ない。
「まさか、よりによってあの二枚が…?」
何の悪戯だと舌を打ち、佳槻は風が吹き去った方角へ走る。
「誰かに見られないうちに、急いで拾わないと」
どこかに引っかかっていないかと目を懲らし、草をかき分け――
「っと、行き止まりか」
すぐ目の前に、星明かりに光る水面が広がっていた。
人の気配はない。
「まぁ良いか。どうせ水に落ちて泥にまみれて土に還るだけだ」
遠すぎて手も伸ばせない願いと、近すぎて踏み切れない願い。
その幕切れに相応しい。
「星に届かず人にも見えず…か」
暫くその場に佇んでいると、周囲の草陰でひとつ、またひとつと黄緑色の小さな光が瞬き始めた。
それは次第に数を増やし、周囲の空間全体が淡い光に満ちていく。
佳槻は飛び交う光の洪水に身を浸し、暫しの間、時が経つのも忘れていた。
「さあ、行こうかジズ」
イスラはジズの手を取って歩く。
「蛍は綺麗な水辺にいるそうだよ。小川の方行ってみようか」
「ほたる…テレビで、見た。光るやつ。むし」
光っていない時は黒くて小さくて――
「! イスラ、むし! むし! これ?」
ぷぅーんと飛んで来て、手の甲に止まった虫。
でも、なんか違う。
「光らないむし。かゆい。こまる」
ぽりぽり。
「それは蚊だね。あまり掻いちゃダメだよ、お薬あげる」
「すーって、する。すーって。つめたい」
「この虫は、近くに来たら追い払うんだよ。噛まれたら痒いからね」
「光らないむしは、かゆい。おぼえた」
イスラとしては叩き潰したいところだが、ジズの前でそれは、やってはいけない気がした。
「ほたる、きれい? イスラの目、みたい?」
「僕の目はどうかわからないけど、蛍は綺麗だよ…あ、水に落ちないように気をつけて」
「川、音。きれい。落ちる。落ち、ない。大丈夫」
暫くそこでじっとしていると、小さな光が目の前を横切り、葉の上に止まった。
「ほらジズ、これが蛍だよ」
そっと両手で包み、ゆっくりと開く。
「光るむし。みどりだ。きれい」
「羽化したら2週間程度の命だそうだが…」
「二週間、は、一ヶ月の半分」
そう呟いて、ジズは慌てて首を振った。
「しぬのか。イスラ、かえす。かえ、そう?」
「大丈夫、こうしていれば自分で飛んでいくよ」
その言葉の通り、羽を広げた蛍は光の尾を引いて何処かへ飛び去る。
周りではいくつかの控えめな、けれど懸命な瞬きが繰り返されていた。
「限りあるから美しく、愛しいものもあるね」
蛍に桜、人の命も――
「短い、時間、が…長い、時間。大事、だ」
その大切な時間を邪魔しないように、そっとそっと、静かに眺めよう。
「虫除けって、蛍にも効くのか?」
「さあ、聞いたことありませんけど」
聖歌と託人は水場を探して行ったり来たり。
けれどいくら歩き回っても一向に蛍に出会えないのは、託人が念入りにスプレーした虫除けのせいではないだろうか。
「仕方ないでしょう、刺されたらなかなか治らないんですから」
「ああ、知ってる」
けれどそうして軽口を叩きながら彷徨う時間もまた楽しかった。
誰にも妨害されずに話が出来る事、それこそ二人が求めていたものだから。
蛍は見られなくても仕方ない――そう思い始めた頃。
それは突然、目の前に現れた。
まるでコンサート会場を埋め尽くしたペンライトの様な光の洪水。
食い入るように眺める二人の脳裏に、ふと甦る雑学知識。
昔は「愛してる」という言葉はなかったと、誰に聞いたのだったか。
そんな時に言われていたのが――
「月が、綺麗だな」
隣で静かに頷く気配がする。
(雰囲気に流されたのは認める、けど後悔はしていない)
見上げた空に、月の姿はなかったけれど。
風香は拓海の腕を引っ張る様にして、廃墟の中を進んで行く。
瓦礫の山を越え、廃校舎を抜けて、何もない草原を横切って――
「あ、水の音がしますよ!」
風香はますます歩調を早め、やがて小川のほとりに出た。
ランタンを消し、待つこと暫し。
草の影から湧き上がる様に、淡い光が溢れ出して来た。
遠くからでもちらほらと光る姿が見えていたが、やはり水辺は数が違う。
「…蛍の光を見ると何処と無く寂しい気持ちになるな」
飛び回りながら灯っては消える姿に、手から零したものでも重ねているのだろうか。
らしくないと首を振り、風香を見る。
「もう手を離しても良いんじゃないか?」
「だめですよ、兄さん黒い浴衣なんですから」
しっかり捕まえていないと闇に紛れて見えなくなってしまうと風香は笑った。
しかし、何か別の理由があるのではないかと拓海は思う。
最近続けて激戦に赴いたから不安になったのだろうか。
「大丈夫だ。お前達を置いていったりしない」
繋いだままの手を引いて抱き寄せる。
「当たり前です」
風香が少し強めの口調で答えたのは、不安を見透かされた様な気がしたから。
兄は時折、消えてしまいそうな雰囲気を纏う事がある。
それはこちらに来てから気付いた事だが、それが気になって――しっかり捕まえておかないと、本当にいなくなってしまいそうで。
「大丈夫だ」
拓海はもう一度繰り返す。
「そうですよね、兄さんはいつか私が独り占めするのですから」
それが自分の願い事だと真顔で言い放った風香を見て、拓海は嬉しい様な困った様な、複雑な表情を浮かべた。
「冗談ですよ。本当の願い事は、これです」
蛍の光に浮かび上がる、『大切な人達が幸せで居られますように』の文字。
その隣に吊された拓海の短冊には『大切なものを護り抜ける強さを』と書かれていた。
ヨルと黒龍は騒がしい集団から離れて、二人だけで蛍を探していた。
「二年くらい前に蛍狩りしたな…あの時は敵も狩ったけど」
あの時はどうやって探したんだっけ。
「確か水のある場所にいるんだよね」
綺麗な流れのある場所でないと生きられないとも聞いたから、小川を探せば良いだろうか。
廃墟に地図はないから勘を頼りに、頭にケセランを乗せていざ出発。
「あ、手は繋いどこうな」
差し出された黒龍の手をとって、カラコロと下駄を鳴らして。
「下駄は履き慣れんと鼻緒が擦れて痛くなる事もあるし、もし痛なってきたらすぐに言うてや?」
絆創膏、持って来たからねー。
と、わりと過保護な黒さんである。
水の匂いと音を頼りに歩くこと暫し、ぽつりぽつりと小さな明かりが見え始める。
「…蛍に強い光を当てると、駄目なんだって」
ヨルはランタンの明かりを消して、夜の番人で視界を確保しつつ先へ進む。
「ここらでいいかな。黒、少しじっとしてて」
「あい」
侵入者に驚いた蛍達が落ち着くまで、直立不動で待つ。
やがて夜空に星が瞬き始める様に、小さな光がぽつりぽつりと灯り始めた。
始めは足元の草に止まって動かなかったその光は、ふわりと浮き上がり、舞う。
「二年の間には色々あって、修学旅行で本物の宇宙にまで行っちゃったけど」
ぽつり、ヨルが呟く。
「やっぱり、思う事は同じだね」
「どんな?」
「まるで夜空の星々の中にいるみたいだって」
空の星は殆ど動かないけれど、この星は自在に動き回る。
こちらの身体で羽根を休めさえする。
「黒には、どう見える?」
「ん、綺麗やなーって」
黒龍が見ているのは多分、蛍そのものではなくて…蛍の光を身に纏ったヨルの姿だ。
「ほなカフェオレタイムにしよか」
冷たいのと温かいの、両方持って来たけど…ヨルくんはやっぱり夏でもホットだろうか。
二人で並んで飲みながら、とりとめもない話をする。
こんな何でもない時間が、実は一番幸せなのかもしれない。
「ボクは語り部として人に寄り添い、紡ぎ繋げる…その傍にヨルが居ってくれたら嬉しいな」
それが願い。
短冊には記さぬ想い。
やがて話は尽きないが、カフェオレが底を突く。
二人きりで過ごすのも良いけれど、皆の様子も気になり始めた。
「カドキや他の皆にはどう見えてるのかな」
上手く蛍を見付けられただろうか。
もし見付けられていないなら――
「ここ、教えても良い?」
「ん、ええよ」
二人だけの秘密にしておきたい気もするけれど。
片手に笹を持ったウィルは、スピネルの手を引いて水辺にやって来た。
「蛍! ねえ、これ蛍でしょ?」
淡い光が舞い飛ぶ中に飛び込んだスピネルは、それを捕まえようと腕を振り回す。
が、捕虫網も持たずに、しかも元気に飛び跳ねていたのでは、自分から追い散らしている様なものだ。
それをじっと見守るウィルの、細かい網目模様の入った暗い藍色の浴衣には、何匹かの蛍が留まっていた。
「むー、どうしてあたしには止まってくれないのかな…」
しょんぼりと肩を落とし、俯くスピネル。
と、じっと動かないその髪に、一匹の蛍が舞い降りた。
「ふぇ?」
一匹、また一匹。
「そうか、じっとしてれば良いんだ!」
でも蛍は捕まえたい。
けれど動いたら逃げてしまう。
困った…いや、べつに自分で取らなくても良いのか。
「ウィルちゃん取って取って〜」
言われて、ウィルは髪に留まった蛍をそっと両手で掬い上げる様に包み込む。
そのままスピネルに向き合って、僅かに指の隙間を空けた。
その手に自分の手を重ね、スピネルは柔らかな優しい光に魅入られた様に、じっと視線を注いでいる。
「綺麗だねぇ、ね、ウィルちゃん」
思わず笑みを零し、その喜びを伝えようと顔を上げる。
その途端、ウィルの視線と真っ正面からぶつかった。
「えっ」
もしかして、ずっと見られてた?
優しい微笑みが「YES」を告げる。
「あぁ。…そうしているのも綺麗、だが」
どきんっ。
心臓が跳ね上がり、顔が熱くなる。
多分、頬は真っ赤に染まっているだろう。
どうしよう、ドキドキが止まらない。
「聞こえてるよ」
なんて言うものだから、ますます上がる心拍数。
けれど目を逸らす事も出来なくて。
「…スピネル」
じっと覗き込むウィルの瞳に、言葉にならない想いが溢れている。
それを汲み取り、スピネルもまた無言のうちに返した。
近付く顔と顔、そっと瞳を閉じて待つ。
柔らかな何かが唇に触れた。
それは今までに感じた事のない、初めての感触。
息をする事も忘れて、高鳴る胸の鼓動を共有するように、長く。
さらさらと揺れる笹の葉に結ばれた短冊には『どうか、自分達の邪魔をしないでくれ』と書かれていた。
そして、もうひとつの願いはスピネルの胸の内に。
少しでも長く側に――と。
「またあの蛍たちに会えたらいいな」
茉祐子は去年作った即興の歌を口ずさみながら、足取りも軽く蛍を探す。
その後ろからこっそりと付いて来るのは、ランタンの光に誘われた紗那の姿。
別に尾行しているわけでもストーカーでもないが、何となく声をかけるタイミングを逸したまま、ここまで来てしまった。
しかし茉祐子の方はとうに気付いていた様で、蛍ポイントの手前でくるりと振り返る。
「このすぐ先ですよ」
「え、あ…ごめんね、黙って後をつけたりして」
口元を隠した扇子に「反省」の文字。
「いいえ、気にしていませんから…良かったら一緒にどうですか?」
そのお言葉に甘えて、紗那は並んで歩き始める。
しかし、やがて辿り着いたその場所には先客の姿があった。
「こんばんは」
その声に振り返ったのはアルティミシア。
「ここ、すごいですよね。蛍がたくさんで」
茉祐子はべつに、この場所を秘密にするつもりはなかった。
寧ろ仲間が増えるのは大歓迎だ。
「私、去年もここで蛍を見たんですよ」
そして、今年もまた会えた。
「今年の蛍たちは、去年の蛍たちの子供たちなんでしょうけど…」
でも、命は繋がっている。確実に。
「蛍の光は、亡くなった人達の、魂の光って、聞いたことが、あります
ぽつり、アルティミシアが言った。
(ボクが殺めた、人達や、過去の仲間も、居るかも、知れません)
その人達に、伝えたい。
「皆、ボクは今、幸せに、過ごしています」
この声は届くだろうか。
「ふふ…。天の川の中にいるみたい」
茉祐子は光の中をゆっくりと歩きながら、去年の事を思い返していた。
地上の星と天の蛍を、また来年も見ることが出来たら。
『来年もこうして蛍を見たい』
それが彼女の願い事だった。
「アルティミシアさんのお願いは何ですか?」
もし訊いても構わないならと前置きして、茉祐子が訊ねる。
少し恥ずかしそうに見せられた短冊には『容姿は気にしません。強くて、ボクの事を見てくれる人の、お嫁さんになりたいです』と書かれていた。
もうひとり、紗那の願い事は秘密であるらしい。
「蛍見るのも小さい頃以来だし、楽しみだな」
ひりょは群生地を探して廃墟を彷徨い歩く。
「蛍って、どんな所にいるんだっけ」
確か前に見に行ったのは田んぼの用水路みたいな小川だったっけ。
この辺に川なんてあるのだろうか。
時折行き交う者達と情報を交換しながら、ひりょは蛍を探して歩く。
「見付かった?」
「いいえ、こちらの方にはいないようですわ」
答えたのは団扇を手に、優雅にしずしずと歩いて来た麗菜だった。
緋色に白線で描かれた華柄の浴衣が、シンプルながらもゴージャスな雰囲気を醸し出している。
「この辺りは綺麗すぎましたわね」
蛍の生態を考えるに、綺麗に整った場所よりも適度に雑草が生えているような川辺の方がいる可能性高そうだ。
「きっと、こちらですわね」
いかにも自信ありげにずんずん進む麗菜に、ひりょは何となく流れで付いて行ってみる。
やがて行く手の方角に、ぼんやりと淡い光が見え始めた。
「ほぉら、ご覧なさい。私の言った通りでしょう?」
勝ち誇った様に胸を反らす麗菜の肩や髪に、淡い光が舞い降りる。
周囲では無数の光が細い尾を引きながら飛び交っていた。
「さあ、感謝なさい? これだけ見事な群生地はそうそう見付かりませんわよ?」
「そうだね、俺もこんなにすごいのは初めて見たよ、ありがとう!」
ひりょは麗菜の手を取ってぶんぶん振り、目をキラキラさせながら、素直に感謝の意を表す。
「え、ええ、まあ、それほどでも…」
自分で感謝しろと良いながら、いざ素直にそうされると照れくさくなるツンデレお嬢様。
「他の皆にも教えてあげて良いかな?」
「ええ、よろしくてよ?」
「ありがとう、皆で楽しい事は共有したいものな!」
ひりょは早速、誰かの形態に連絡を入れようとするが――今回のメンバーで連絡先を知っている人は…いなかった。
「そうだ、先生達の緊急連絡先なら」
その中には門木の番号もあった。
「天の川綺麗なのです」
空を見上げたアレンは、ほうっとひとつ溜息を吐く。
手にした笹には、とあるアニメの二期制作祈願を書いた短冊が揺れている。
「一期は原作の途中までで終わってしまったのですよー」
原作はまだ続いているし、上手くすれば三期まで行けるかもしれない。
それはそうと、蛍はどこだろう。
「蛍はな、水場にいるはずだから、川の近く歩いてたらみつかるんじゃねーかな」
青空が言った。
でも川ってどこだろう。
「蛍は綺麗な環境にしか住めないのです」
つまり綺麗な川があるところだと、アレンが言う。
で、その綺麗な川はどこですか。
「一生懸命探せばきっと見付かるのだ」
結局は根性論らしい。
『頑張るのだ、みんなと一緒に見たいからな!」
そんな中、きっちり下調べを済ませたカノンは独自に動いていた。
文献によれば、蛍というのは水が綺麗なところにいるものらしい。
「ならば流水の近くを探すべきでしょう」
探さなければ見付からないようなものである以上、人目に付きにくい場所なのだろう。
耳を澄ませ、水音から目立ちにくい沢でも探してみようか。
となると、人の多い場所では難しい。
カノンは賑やかな集団からそっと距離をとった。
他のグループが探していない方角に目星を付け、そちらに向かって耳に手を当てる。
まだ何も聞こえない。
もう少し近付いた方が良いだろうか――
暫しの後、門木の元へひりょから連絡が入った。
「…そうか、ありがとうな」
それは蛍の群生地を見付けたという報せ。
GPSの位置情報付きだから、迷う事もないだろう。
「…どうする、自力で探したいならそれでも構わないが」
「楽に見付かるなら、その方が良いのだ」
ふるふる、青空が首を振る。
お楽しみのメインは探す事よりも見て触れて楽しむ事だ。
誰が見付けようと関係ない。
「…ん、そうだな」
位置情報を全員に転送して、その場所へ向かう。
「…あ、俺はちょっと、忘れ物…」
先に行っててくれと声をかけ、門木は列を離れた。
途中、何か絶対に誤解していそうなゼロに「頑張れ、きっつぁん」などと肩を叩かれたが、違うから。そういうアレじゃないから。
「大丈夫や、皆には上手く誤魔化しといたる」
いや、だから違うって――聞いてます?
一方、その「忘れ物」は無事に蛍の棲む沢を発見、皆に連絡を入れようと携帯を探す、が。
ない。帯に挟んでおいた筈なのに。
蛍探しに夢中になって、落とした事にも気付かなかったのだろうか。
仕方なく元来た道を戻ろうとした、その時。
自分を呼ぶ声が聞こえた。
「先生?」
ここに至って初めて、カノンは気付いた――端から見れば自分は立派な迷子である事に。
「あ、の…ひょっとして探させてしまいましたか?」
そんなつもりはなかったのだが、結果的に迷惑をかけた事は事実。
「すみませんでした」
項垂れつつも、探しに来てくれた事が嬉しくもあり――
「…もう、慣れた」
「え?」
「…お前が皆から離れた所にいるのは、大体いつもの事だから」
門木がそれを探して引っ張って来るのも、いつもの事。
「…今回は少し難しかったが…目印があって助かった」
そう言って、門木は落とし物の携帯電話を手渡した。
「…行くぞ」
この場所も悪くはないし、本音を追えば、このままのんびり蛍を眺めていたい。
だが、戻るのが遅れるとあらぬ疑いをかけられそうだし。
「今年のタナバタは平和に終わりそうだ。なんてな…冗談だよ、いつでも平和だ」
無事に合流した二人を見て、ディートハルトはそう言うけれど。
安心するのはまだ早い。
「蛍狩りってのはな? 敬う人に大量の蛍を貼りつける行事なんやで?」
悪い顔でシグリッドに蛍を貼り付けて行くゼロ――いや、まあ、貼り付けたそばから逃げて行くわけですが。
「蛍がりと聞いたのでどんなものかと思っていたの…こんな感じなの、ですね」
どこらへんが「狩り」なのかと首を傾げつつ、りりかはその説明に納得――
「納得しちゃだめなのですよ、華桜さん」
身体に貼り付いた蛍を逃がしつつ、シグリッドが首を振る。
「蛍さんはぼくと違って、弄り過ぎると弱りますからやめてあげてください…あとテリオスのおにーさんに変な知識を吹き込まないで下さい…!」
本日、いつになく強気である。
「それに、蛍さんのいるところで花火もだめなのです」
それは祠に着いてからだと、シグリッドはゼロの手から大量の花火を没収した。
うん、今日は逆らわない方が良い。ちょっとヤンデレッド入ってるっぽいし。
「な、な、リュール、本物の蛍、きれい!」
それに星も綺麗だ。
「天界はそういや星は観れるんだっけ?」
「いや、こんな空はないな…」
昼間は明るく、夜には暗くなる。ただそれだけだ。
人間界は、本当に変化に富んでいる。
「そうかー。でも、そっちの空も見てみたいな!」
青空は天を仰ぎながら楽しそうに笑った。
「リュールも門木せんせもいて、テリオスとメイラスがいるとこなんだよな。なんかどんなとこか気になってしまうよな」
知らない人や、知らない場所は少し怖いし、好きになれない気もするけれど。
知ってしまえば好きになれそうな気がする。
皆が知り合いになれば戦いもなくなるのだろうか。
「蛍、とても綺麗なの…」
初めて見る蛍に、りりかはとても嬉しそうだ。
蛍にはかつぎが人気のようで、いくつもの光がそこに集まっている。
「貼り付けなくても、自分から飛んで来てくれるのです、ね」
やはりゼロさんのあれはトンデモ知識であったか。
「すごい、綺麗…」
暫くうっとりと見とれていた愛梨沙は、突然小さな子供の様にはしゃぎ出した。
「なーしゅっ すごいよっ きれいだよっっ」
先程の短冊の文字と言い、その呼び方は…などと目くじら立てるのも大人げないだろうか。
「やっぱり笑顔って人を癒すんだな」
皆の楽しそうな様子を見て、ひりょは思わずほんわかとした気持ちになった。
「皆の笑顔が俺にとっては大事な宝物だな」
蛍の飛び交う幻想的な雰囲気にしばし酔いしれ、幸せを噛み締め――
「来年もまた会えたらいいなー」
群れ飛ぶ蛍を堪能した一行は、後ろ髪を引かれる思いでその場を後にした。
いつもの祠に向かい、それぞれの笹を奉納する。
最後に納めたカノンの笹には『風雲荘の『家族』を守れる力を』と書かれた短冊が結ばれていた。
「よっしゃ、今度こそシグ坊をスーパースターにしたるでぇ!」
シグリッドにクリスマスの電飾を巻いてピカピカにし、ペットボトルに花火を挿して周りを囲み、一気に点火!
大丈夫、消火用のバケツは海が用意してくれた!
「これがシグ坊様や! 目に焼き付けろ!」
花火って、こんな遊びでしたっけ?
そんな喧噪から離れ、ディートハルトはひとりゆっくりと酒を楽しむ。
目と耳を楽しませる肴には困らなかった。
そして、もうひとり。
いつの間にか姿を消したゼロもまた、ひとり酒を呑みながら物思いに耽っていた。
らしくないとか、言わないであげてください。
「さて、あいつも学園に入学したって事は実家には俺の居場所はばれてるんやろな…」
何やら波乱の予感、ですか?