殺られる。
そう思った瞬間、男は敵に背を向けて娘に覆い被さった。
犬顔が背後で棍棒を振りかざす。
『ギャアァァッ!』
自分が叫んだのかと思った。
だが違う。
恐る恐る振り向くと、そこには――
「あらあら、大丈夫かしら?」
首の後ろから漆黒の槍で串刺しにされたディアボロが、糸の切れた人形の様に頭を垂れている。
その背後には、空中にふわりと浮かびながら艶めいた視線を投げる女の姿があった。
引き抜かれた槍がはらりと解け、昇り龍となって女の手に戻る。
敵の注意が男から逸れた。
突如現れたその邪魔者に対し、不快感も露わに牙を剥き出す。
だが、彼等が棍棒を振りかざすよりも早く、その胸にはアウルの矢によって風穴が穿たれた。
更に、虚空から姿を現したストレイシオンが手近な一体をブレスの一撃で弾き飛ばす。
「撃退士か」
助かった。これでもう大丈夫だ。自分が戦う必要もない。
男はそう思った。
しかし――
その少し前、久遠ヶ原学園の斡旋所。
「現地の撃退士が一人、娘を守りながら応戦している、か」
「でも実戦は十年ぶりですって」
姫路 眞央(
ja8399)の手からひょいと資料を取り上げた麗奈=Z=オルフェウス(
jc1389)が、その経歴を読み上げる。
それを聞いた礼野 智美(
ja3600)は、もどかしそうに呟いた。
「戦いに嫌気が差す現実も解らなくはないけど、戦わなかったら守れる物も守れないじゃないか」
「そうは言ってもねえ」
思うに任せないのが人生というものだと、狩野 峰雪(
ja0345)が苦笑いを漏らす。
「カッコイイ父親であってほしいと願っている、かぁ。子供から見たら、親は完璧であってほしいものだものね」
けれど大抵、理想と現実は程遠い。
「実際は幾つになっても大人になりきれないのが人間ってもので…でも、まだ小学生だと、そこの辺りは分かってもらえないかもしれないね」
「かといって嘘を教えるのもな」
眞央は息子の顔を思い浮かべて首を振った。
「何であれ嘘をつかれる事自体に子供はショックを受けるもの…」
自分の嘘にひどく傷ついたあの子のように。
「やれやれ、どうしたもんかねえ」
土古井 正一(
jc0586)は困ったものだと頭を掻く。
「同じ世帯持ちとして、いろいろ考えさせられる話だよ」
彼も子育て真っ最中とあって、この件はとても他人事とは思えない様だ。
「何か役に立てる事があれば良いんだけどねえ」
三人の父親経験者は眉を寄せて考え込む。
もう一人、白鷺冬夜(
jb3670)も二児の父ではある。
だが二人ともまだ幼いせいか、親子関係の複雑な問題に関しては余り実感が湧かない様だ。
それよりも、思い出すのは自分よりもずっと早にく撃退士となり、戦いに散った兄の事。
(兄貴も戦いにうんざりしていた事があったのかね…)
と、そこに小さな女の子の声がした。
「あの、うそがいけないなら…うそじゃなく、すれば良いと思うの、です…」
振り向いた三人の、遥か目の下。
そこには少し俯き加減に立っている茅野 未来(
jc0692)の姿があった。
今は嘘でも、いつかそれが本当になるなら…それは多分、嘘とは別の何かになる。
「うん、そうだね」
眞央が笑顔で答える。
本当の事を言うにしても、表現を変えれば印象も変わるだろう。
「終わらぬ戦い、引き裂かれる絆――常に最前線にいた為に多くの絶望に触れ、引きこもりに…か」
「けど、ずっと引きこもりの父親を見捨てないでいるっていうのは忍耐強いねえ…」
反面教師というものだろうかと、峰雪。
しかし、麗奈は首を振った。
「さあ、それはどうかしら」
この父親は心に怪我をしているらしい。
「でも…怪我してるのはお父さんだけなのかなぁ?」
果たしてそれは忍耐なのか。
それとも心を縛る枷なのか。
ともあれ方針は決まった。
「雑魚相手とはいえ数が多い、早急に合流を」
眞央に促され、支度を終えた撃退士達は転移装置に飛び込んで行った。
そして今。
「死んでも子供だけは守らないとねえ」
正一はエクェスシールドを構えて親子の前に立ちはだかる。
先の行動を見る限り、男にもそれだけの覚悟はある様だが、覚悟だけで守りきれるほど天魔との戦いは甘くない。
その隣には血界で能力を底上げした智美が立った。
相手は雑魚だが、手数の多さで親子が怪我をする可能性が高い。
「出し惜しみしてる場合じゃないな」
まずは全力で敵の数を減らす事を第一に、更には念の為に阻霊符も使って。
「家に娘さんの友達がいるって話だし、確かこれ、所持者の能力によっても多少範囲変わるんじゃなかったっけ?」
変わらないとしても、万が一の保険にはなるだろう。
更には冬夜のストレイシオン、アイギスが防御効果を発動すれば、守りの方は充分だ。
「一人でこの数相手とは全く無茶をする」
そこに縮地で飛び込んで来た眞央は、背後の娘にも聞こえるような声で言った。
「昔からそうだったが、変わらないな」
実際にはこれが初の顔合わせだが、さも長い付き合いであるかの様に付け加える。
反論の余地は与えない。
「こうして肩を並べて戦うのも久しぶりだ」
そこまで言われては、男も退くに退けない――と言うよりも、物理的に退却不可能な状況に追い込まれていた。
「枯れたオジ様ってのも素敵やけど…やっぱりそれなりに実力がないとね♪」
娘には見えない位置で男をがっちりホールドした麗奈は、その耳元に熱い吐息を吹きかける。
「カンが戻らんのは大変よねぇ…あたしもはぐれてから調子が悪くって…でもね? 大事なものくらいは守れないとね。お・じ・さ・ま♪」
その勘が戻るまで、自分達がフォローする。
でも基本的には自分で何とかしてね?
「最低でも一匹は倒してもらわないと、お父さんとしてカッコ付かないわよ?」
「良いんだよ俺は格好悪くたって!」
男は反論してみるが、撃退士達はそれを許さなかった。
「それでいいと思うの、です…」
未来がシャツの裾を引っ張り、ひそひそ話。
「ミユおねえさんは、かっこよくないって思うお父さんでも、いっしょにいたいくらい大好きなの、です…」
格好良くなって欲しいとは思っていても、格好悪いから嫌いだとも、駄目だとも思っていない筈…多分、今は。
「でも、だいすきなお父さんがおしごとをせずにお金をもらう…ずるをしてるのを見るのは、きっとつらいの、ですね…」
その言葉に男はふいっと視線を逸らした。
どうやら痛いところを突かれたらしい。
「だから、かっこよくなくてもおとうさんがきちんとおしごとをがんばれば、おねえさんはきっとつらい思いをしなくてすむと思うの、です…」
それだけ言うと、未来はミユの手を取った。
「おねえさん、安全な所へいっしょに行きましょう、です…」
大丈夫、遠くへは行かない。
お父さんの姿は見えるけれど、敵からは見えないような場所へ。
「ここにいると、ボクたちをかばって、げきたいしのみんながけがをしてしまうかもしれないの、です…」
二人は少しずつ後退を始める。
「アイギス、その子に敵を近付けさせるな」
冬夜はそう指示を出し、自分は敵の目を逸らす為にわざと前に出た。
打たれ強いとは言えないが、防御効果が効いている間は多少の無茶も出来るだろう。
「さあて、それじゃひとつ、娘さんにカッコイイところを見せてあげようか」
腹を決めた――と言うよりも観念した男に、峰雪が絆のスキルを使う。
戦って一般人を守った時の、救助した人の笑顔や安堵の顔。
救助した人の家族の表情。
自分にできる範囲で、戦って守ること。
「そんな経験は、あなたにもあるんじゃないかな?」
「そりゃ、あるさ…でも、それだけじゃない」
救えなかった命、守れなかった約束。
終わりの見えない戦い。
「それでも、アウル覚醒者は一握りしかいない」
峰雪は首を振った。
「天魔に家族が襲われても、自分の力で守れる人の方が少ないんだ。あなたには恵まれた力があるんだよ」
「守れてなんか…!」
今だって救援が来なければ二人とも殺されていた。
「そう、だから――」
眞央が低い声で言った。
「家族を守れるだけの力は鍛えておかねば、後悔するぞ?」
そして鍛えた力があるなら、それを活かす事を考えてほしい。
「アウルを持たない人の分まで、人や町を守ってあげてほしいな」
まずはその第一歩として、ここを綺麗に片付けようと、峰雪が男の肩を叩く。
大方の敵は既に片付いているが、それだけでは娘が望む「カッコイイ父親」を演出する事は出来ない。
(僕らが簡単に倒してしまっては、彼が引き立て役になってしまうからね)
危険がない程度に数を減らしたら、後はちょっとしたショータイムだ。
残ったものが逃げ出して他に危害を加えないように、眞央が華麗なる雷打蹴で敵の目を惹き付ける。
それを峰雪が審判の鎖で縛り上げ、動きを止めた。
ここまでお膳立てをすれば、後はどんなに勘が鈍っていても格好良く決められるだろう。
「あまくておいしい…心のえいようなの、です…食べると気持ちもおちつくの、ですね…」
安全な場所まで下がった未来は、まず気持ちを落ち着かせる為にドーナツを半分こ。
だが、未来はそれを手に持ったまま、じっと父親の背中を見つめていた。
「あれ、パパ…だよね?」
格好良い。普段のぐうたら親父と同一人物とは思えない程に。
その格好良さの殆どは撃退士達の演出によって生み出された虚像ではあるが――今はそれで良い。
これから、嘘を本当にしていけば良いのだ。
目に付くものを全て片付け、ヒリュウのツキを呼び出した冬夜は、残った敵がいないかをその目で確認する。
どうやら無事に全てが片付いた様だ。
「パパって、やれば出来る子だったんだね!」
嬉しそうに言った娘に、父親は何とも居心地が悪そうにモゾモゾと。
「でも、どうして今まで何もしなかったの?」
問われて、代わりに眞央が答えた。
「お父さんが戦場に出なくなったのは、大切なものを守りたいと願う優しい撃退士だからじゃないかな」
撃退士でも一人で守れるものはほんの少ししかない。
実際、今回も応援が来る迄は厳しい戦いだっただろう。
「守りたいものを守れなかった戦いになる事も少なくない。目の前で守れなかったものだけじゃない」
戦場に出ていた為に大切な存在が天魔に襲われるのを守れなかった、その後悔で家族の傍を離れられなくなった撃退士もいる。
「君のお父さんは常にみんなの前に立ち戦っていた格好良い人だ。その分誰よりも悲劇に出会い、心が限界になってしまった」
ずっと病気で苦しんでいたと言えば良いだろうか。
「例えば、友達と喧嘩した時だとか、先生に怒られたりした時、心が痛くなったりするよね」
峰雪が言った。
「お父さんは、長い間、心に傷を負っていたんだ。人より心が優しくて、その分、傷つきやすいんだね」
「パパ、治ったの?」
「うん、ちょっと時間がかかりすぎてしまったけれど…治るきっかけになったのは、あなただよ」
「あたし?」
「戦う理由を思い出して、一歩を踏み出せた。ちょっと荒療治だったけどね」
どういう事だろうと首を傾げているミユに、眞央は逆に問い返した。
「お父さんが、それでも撃退士を続けていたのは何故だと思う?」
「お金が欲しいから?」
「それもあるかもしれないね」
でも、もっと大事な理由がある。
「一番大切なもの――君を守りたいから。それだけは譲れないからだね」
ろくに戦えもしないのに一人で多数の敵に立ち向かうなんて、自分の命よりも大切なものの為でもなければ出来る事ではないだろう。
「でも、だからといって――」
冬夜が釘を刺した。
「あんま無茶なことをするな、ミユさん。今回は良かったが、傷が残ったかもしれない」
それだけならまだしも。
「死んじまったら親父さんが後悔するだけじゃ済まなくなる。それは、わかるな?」
冬夜に言われ、ミユは神妙な顔で頷いた。
「敵に向かった時、怖かったか?」
「全然! 絶対助けに来てくれるって、信じてたから!」
その答えに、麗奈は何故か渋い顔を見せた。
「あなたは何のために、お父さんに格好良くあって欲しいと思ったのかな?」
「え…?」
「難しいかもしれないけど…よく考えてみて? あなたは今、二人の人間の命を軽んじたのよ? お父さんとあなた自身のね」
「だって、よそのパパはちゃんと働いてて、ママもいて…」
羨ましかった。
格好良くなくても良いから、普通にちゃんとしてて欲しかった。
「それじゃ、だめなの?」
「ん、だいじょうぶ、ですよ…」
項垂れたミユの頭を未来が撫でる。
「ひとによってまもりたいものはちがうの、です…。きっと、おとうさんはみゆおねえさんのために、これからがんばれると思うの、ですよ…」
すぐには無理でも、少しずつ頑張れば良い。
頑張るよね?
嘘を本当にしてくれるよね?
未来にガン見されて、男は思わず目を逸らす。
だが、そこには更に厳しい視線が待ち受けていた。
「親父さん、貴方は貴方で反省すべきことがあるでしょう」
ミユには聞こえないように、冬夜が苦言を呈する。
「貴方は私よりもずっと早くに撃退士になったと伺っています」
兄と同期くらいだろうか。
「終わらない戦いに疲れるでしょう。だが、自分の家族を危険に晒す結果になったのとは話は別だ」
阻霊符は透過が防げるだけで物理的に破られることもある。
それだけで守れると思ったら大間違いだ。
「勝てなくても守れる命はあるんです。自分が働きに出なくて愛想尽かされて家族が離散したら本末転倒ですよ」
男の身体に出来た打撲の跡に湿布を貼りながら、智美が厳しい一言。
物理的に手が届かなければ何も守れないのだ――例えその力があったとしても。
「後方待機や避難誘導からでも仕事始めたらどうですか? 今のままだと又娘さん自分を出汁に貴方を戦わせようとすると思いますよ。それで彼女が大怪我したらどうするんですか?」
変なプライドってカッコ悪い、ほんと男って馬鹿なんだから。
「俺も戦いが怖くないと言えば嘘になりますけど、姉妹が戦うよりずっとましですから」
はい、治療終わり!
「それで、あなたはどうするのかしら?」
麗奈が訊ねた。
「あいにくあたしは心の傷薬は持ってない。あなたの傷を癒すことはできない。戦うのは任せてくれてもいい。でも、守る力だけは失わないであげてね?」
その為に出来る事は――
「今日から娘さんを守る為、やり直しましょう」
厳しい表情のまま、冬夜が言った。
「まずは日々の運動を習慣付けるつもりで、鈍った体には基礎トレーニングから始めましょう…必要なら私も付き合いますよ」
勿論スペシャルハードなスパルタコースですけどね?
「じゃあ、あたしお弁当作るね! スタミナと愛情たっぷりのやつ!」
ミユが実に嬉しそうに手を挙げる。
こうなったらもう退くに退けない本日二度目。
頑張ってたら、そのうち奥さんも帰ってくるかもね!