「調サンに使徒であるナターシャちゃん、ねェ」
報告を受けた葛葉アキラ(
jb7705)は半信半疑な様子で首を傾げた。
ところでナターシャって誰?
「この女だ」
咲村 氷雅(
jb0731)が、聞き込み用に借り受けた一枚の写真を見せる。
ギメルの使徒にして、かつて京都で第二の枝門を守護した者。
そして今、千葉県に己のゲートを有する使徒。
本来ならその任務を放棄してまで動く事は考えられないが――
「ふむ、引き篭もっていた奴がコソコソ動いている、と」
それは確かに怪しいと、黒羽 拓海(
jb7256)が頷く。
「仮にナターシャ本人だったとして、自身のゲートを放置して隣の県までコソコソと…っつーのは明らかにおかしィぜ」
マクシミオ・アレクサンダー(
ja2145)は、放り投げる様にして机の上に紙束を置いた。
過去に起きたナターシャ絡みの事件、その報告書をコピーしたものだ。
「何かしらの命が下ってるか、もしくは自身の個人的な理由か…」
これを見る限り、前者の可能性が高いか。
「神樹なんかの例もあるし、立地的な何かが関わってるってェのも考えられねェわけじゃねえ、か」
「霊脈だとかの話か?」
拓海の問いに、アキラが答える。
「調サン自体がパワースポットや。開こと思えばゲートも開けるやろ」
或いは何か新たな神器でも見付けたのかもしれない。
何にしろ、このまま放置するわけにはいかない。
「目的を早いトコ突き止めやんと、大事になりそうな気がするワ」
とにかく、まずは現地で情報を集めなければ。
「さってと」
神喰 朔桜(
ja2099)は、駅前の観光案内所で貰ったパンフレットを片手に境内に足を踏み入れる。
「調査と言っても何あるかなぁ…」
個人的に気になるのは御手洗池だ。
「七不思議に曰く、この池に放された魚は片目になるってさ」
いかにも何か秘密が隠されていそうな気がするが――
「え、この池じゃないの?」
残念ながら、御手洗池は既に埋められてしまったらしい。
残っているのはごく普通の池だった。
「池じゃないとすると、大事な物なら摂末社の稲荷神社とか?」
そこが旧本殿らしいが、特に変わったところは見当たらない。
「まぁ、そう簡単に見つかるなら苦労しないだろうけど」
少し視点を変えてみようか。
「その人は、此処にはないモノを探している、と」
七不思議によれば、この神社には蝿と蚊がいないそうだ。
鳥居もない、狛犬もいない。
「兎はやたらと目に付くけど、それ以外の何かかな?」
さて、何だろう?
「ふふっ、楽しくなってきた!」
数ある神社の中でも、ここを選んだ何かがある筈だ。
そう考えたアキラは公園で子供を遊ばせている主婦達に突撃インタビューを試みる。
「ママさん連中の横の繋がりとか凄いしな。噂になっとるかもしれへん」
ということで。
「最近、夜間に調サンの周囲を嗅ぎ回ってるヤツを知らへんか?」
え、物騒だから夜は外に出ない?
「ほな、調サンにここ数カ月以内に何かあらへんかったか、噂みたいなん聞かへん?」
聞いてない?
「周辺で背の高い金髪の外人サンの女の人を…」
いや、これは会社帰りのおとーさんらに訊いた方が良いかもしれない。
美人らしいから、男性なら一度見たら忘れない筈――というのは偏見か。
ついでにベンチでうとうとしているおじーちゃんおばーちゃんにも話を聞いてみよう。
余裕があれば訊いてみてほしいと、拓海にも頼まれていることだし。
「ほうほう、調サンにはそない言い伝えが…」
歴史の古さに七不思議、知れば知るほど、この場所には何かがありそうな気がして来る。
「さて、兎が大事なんか…それとも月が大事なんか…」
フェイントで、どちらも全く無関係だったり?
「狛兎か…あいつが喜びそうな」
黒夜(
jb0668)は近く、遠く、あらゆるアングルから写真を撮りまくる。
池の中にも兎がいるし、手水舎にはどーんと巨大な兎の石像が鎮座していた。
しかも、その口からはちょろちょろと水が流れ落ちている。
売られているお守りの袋にも可愛い兎が刺繍されていた。
「何なんだ、この神社」
ついつい撮影に夢中になって、本題を忘れそうになる。
今度チビ助を連れて来てやろうと思いつつ、頭を切り換えた。
件の人物が動くとしたら、やはり暗くなってからだろう。
「うちらとの接触も夜になりそうだし」
手がかりを探す事も重要だが、明るいうちに地形や施設の位置を確かめておかなくては。
昼と夜で何か異なる点はないか、それを確認する為にも。
「やれやれ…相手もこっちが調べに来てる事は把握済みで動いた方が良さそうね」
本日の鷹代 由稀(
jb1456)は、民俗学のフィールドワークに訪れた考古学者という設定だった。
「というわけで、現地で私に会っても他人の振りしてね」
仲間達にそう宣言し、現地に入る。
因みに境内は禁煙につき、咥え煙草はご遠慮ください。
「確か月待信仰だったっけ…となると、兎か」
やたらと目に付くこの兎達に何かあるのだろうか。
「最近この神社で狛兎に悪戯する不届き者がいるって聞いたんだけど、知らない?」
天魔が関わっていることは伏せ、近所の者に訊いてみる。
すると意外な答えが返って来た。
「悪戯って言うより魔法って感じかな」
昨日の夜中、生身になった狛兎が境内を好き勝手に跳び回っているのを見たという。
それは恐らく狛兎に擬態したサーバントだろうと推測し、由稀はその姿を射程に収めて索敵を使ってみた。
しかし昼間は完全に石像と同化しているのか、そのスキルで見破る事は出来なかった。
「確か異界認識だっけ、それがないと無理か」
しかし怪しい事は確かだ。
由稀は狙撃に使えそうな場所を確認すると共に、兎の位置と数を記憶に留めていった。
境内には常夜灯も設置されているし、これなら夜目を併用すれば夜間でも問題なく作戦行動が可能だろう。
「この国の宗教には寛容性がある…実に、興味深いものだな」
左右に並んだ狛兎の間を抜けて、ラドゥ・V・アチェスタ(
ja4504)は奥へと進んだ。
参道の石畳に手を加えられた形跡はない。
他に何かの痕跡が残されていないかと、社殿の下に首を突っ込んでみる。
掘り返された跡や、何かの印。膝を折り、地面を舐めそうになる程に顔を近付け――
参拝客や境内を遊び場にしている子供達が遠巻きに見守る中、とうとう不審人物と認定されたのか、神職に声をかけられてしまった。
しかしラドゥは慌てず騒がず、逆に質問を投げる。
「この辺りで不審な人物を見なかったか」
それなら今、目の前にいるという返事は受け流した。
「何かしら変わった事は」
「近頃は聖地巡礼とかで若い方が増えましたね。外国の方もいらっしゃいますよ」
中には夜中に一人で散歩に来る者もいるらしい――しかも、この三日ほど毎晩の様に。
顔まではよくわからないが、金色の長い髪が印象的な女性だという。
現れる時間帯はともかく、それ以外は特に怪しい風には見えないという事だが――
「さて、鬼が出るか蛇が出るか…」
拓海は何か怪しい物はないかと、境内を隅々まで見て歩く。
そうは言っても、当てはないし見当も付かないから、とにかく端から順番に。
「既に調べた場所でも、見る者が違えば新たな発見があるかもしれないしな」
不自然な傷や何かの儀式を行った形跡はないか、ゲート展開の下調べや準備の跡はないか。
「これが噂の狛兎か」
由稀から「兎が動いた」という情報を聞き、兎の胴体と、それが載っている台座を軽く小突いてみる。
「特に音の違いはなさそうだが」
ひとまず注意点として、書きかけの地図に付箋を貼っておいた。
そう言えばこの神社には宝物殿などはあるのだろうか。
もしあるなら、そこに何か特殊な品が眠っているのかもしれないが…案内図にはそれらしき表示はない。
神職と話し込んでいたラドゥの姿を見付け、話の輪に加わってみる。
「いいえ、ここには特に何も…」
拓海から話を聞いた神職は首を振った。
物ではないとすると、やはりこの土地そのものに何かがあるのだろうか。
一通り話を聞き終えると、拓海は地図を完成させる為に引き続き境内を見て回る。
仲間達から集めた情報を地図に書き込んでいけば、何か繋がりや、文字だけでは見えなかったものが見付かるかもしれない。
「この感じ、何かに似ている」
神社の周辺で聞き込みをしつつ、氷雅は思う。
そう、四国冥慟――何故かあの事件の始まりを連想して嫌な予感がした。
可能性としてはゲート設置の下見か、天魔関連の重要物の捜索か。
だが、下見ならなら噂になっている時点で失敗だ。
かといって、何か重要なものがこんな処にあったら間抜けすぎる。
「あの使徒の性格からして個人的な落し物という事は考えにくいし、陽動にしては目立たなすぎるか」
本人に訊いてみるのが最も確実か。
しかし、今のところ彼女を昼間に見たという情報はない。
「この近くには女子校があったな」
少し離れた商業高校の通学路とも重なっている様だ。
「夜遊びしていそうな学生でも捕まえてみるか」
と、そこにラドゥから連絡が入る。
「三日前から、か」
それ以前に何か怪しい動きがなかったか、更に聞き込みを続ける必要がありそうだ。
仲間達が現場で調査する間、マクシミオは現地の警察と撃退署に足を運んでいた。
学生証を提示し、目的を告げる。
「この近くで天界勢力の活動が見られるってェ報告が来てンだ、協力して貰うぜ?」
ついては現場周辺にある監視カメラの映像を確認したい。
「神社を映してなくても構わねェ。…透過は使ったかもしれねェが、機械を騙せるような迷彩が使えるたァ思わねえからな」
そこに何も映っていなければ、神社の敷地内に何かしらの仕掛けがあると考えて良いだろう。
そうして調べている間にも、仲間達からメールで報告が寄せられて来る。
暫く後。
「ビンゴか」
社殿の前に仕掛けられたカメラの映像に、その姿が捉えられていた。
まるで虫の音に耳を澄ます様に、ただ立ち尽くしている。
何をしているのかは見当も付かない。
だが、これで現場の証言や噂の裏が取れたというわけだ。
「他に何か天魔の痕跡みてェなのは?」
特にない、か。
「あァ、そうだ。学園が天界の動向を調査してるって事は秘密な?」
去り際に、マクシミオは念を押す。
「…わざわざ夜の時間を選んで何かしてンだ、嗅ぎ回ってるって気が付かれたら逃げられるに決まってる」
神社周辺で聞き込みを行っている時点で、既に手遅れかもしれないが。
「…尻尾を掴めっつー依頼なモンでな、出来るだけこっちが動いてることは悟られたくねえ」
万一の場合の周辺住民の安全確保と関係者の保護を頼んで、マクシミオはその場を辞した。
そして真夜中――彼女は現れた。
撃退士達に見張られている事を知りながら、堂々と。
「おたくが最近ここら辺をうろついてるって話は本当だったのな」
黒夜の声に、ナターシャは僅かに口角を上げた。
「いずれは気付かれるだろうと思ってたわ」
その口調に後悔や焦りの色はない。
「んー、ナターシャちゃん? …呼び難いな、良しナッちゃんって呼ぼう」
勝手に決めて、朔桜は問いかけた。
「ね、ナッちゃん。一体何を探してるのかな。聞かせてよ、知りたいな」
だが返事はない。
「おたくの上司の指示か?」
「ナターシャちゃん、何を貢ごとしてるん? この調物の神社で」
黒夜とアキラが重ねて問う。
「神域に開くゲートは普通とは違うのか、それともここに眠る神器の影響か」
氷雅がカマをかけてみる。
だがその全ては悉く黙殺された。
そこで拓海は探りを入れる方向を変えてみる。
「俺達は戦いに来たわけじゃない」
その証拠に刀を鞘に収めたままだ。
「ただ知りたいだけだ。お前の目的と、ここで何をしていたのかを」
それでも答えないナターシャに、黒夜が一歩近付いてみる。
「京都の時と同じかそれ以上のことをしてるんじゃねーの?」
目撃証言が頻繁に出るくらい念入りな調査をしているという事は、計画の規模も相応に大きなものに違いない。
「具体的に何ってのは見当もつかねーけど」
ややあって、ナターシャは冷ややかに答えた。
「それで、もし私が何らかの情報を漏らすとして…あなた達はその対価に何を差し出すの?」
顔にかかるブロンドの髪をかき上げ、溜息を吐く。
「それとも、訊けば何でも教えて貰えるとでも思ってるのかしら」
「うん、それはそうよね」
そう簡単に教えてはくれないだろうと、由稀が頷いた。
「それなら…教えてくれたら見逃すって提案は通るかしら?」
「どういう意味?」
確かに今の状況はナターシャに有利とは言い難い。
数の上ばかりではなく、撃退士達も腕を上げていると聞いた。
だが、それで勝てると思っているなら。
「暫く見ないうちに、撃退士も質が落ちたものね」
ナターシャの両手から紫色の光が迸る。
次の瞬間、八つの鋭い飛跡を描いて紫雷の刃が放たれた。
「腕を上げたのはそちらも同じというわけか」
以前は同時に六本が限界だった筈だと、その刃を受け止めた氷雅が小太刀を抜き放つ。
「力なき者に話す事は何もないわ」
攻撃と同時に、境内のあちこちに置かれていた兎の石像が命を得て動き始めた。
それが飛び跳ねる前に倒してしまおうと、由稀が狙撃銃を構える。
戦闘は避けられないと、誰もが覚悟を決めた時。
ラドゥが動いた。
「我輩は、強き者と戦えさえ出来ればそれで良い」
そう言いつつナターシャに歩み寄るが、剣は抜かない。
「今貴様を見逃せば其れが叶うと言うのならば、其れを躊躇う必要があるかね」
「私では役者が不足していると?」
ただの煽りか、それとも更に上の者を引き出す為の方便か。
とは言え、確かに今ここで事を荒立てるのは得策ではないだろう。
やるべき事は、まだ残されていた。
「…そうね、ここはお互い何も見なかったことにしましょう」
ナターシャは纏っていた殺気を収めた。
「私はもう、ここには来ないわ」
少なくとも暫くの間は。
もしかしたら、もう二度と。
「それで良いかしら?」
探し物はここにはなかった、という事か。
「では学園にて待つとしよう、貴様らの、とびきりの宣戦布告を」
ラドゥの言葉を受けて、ナターシャは後ずさる様に闇の中へと身を沈める。
が、その姿が完全に消える前に――
「所で天使様は元気してる?」
朔桜が問いかけた。
「息災ならそれで良いんだけど」
「知らないわ」
吐き捨てる様な冷たい返事。
それが事実なら、主よりも更に上の存在から指示を受けているという事か。
「待って、もうひとつ――」
大切な友の消息が知りたい。
しかし、使徒の気配はもう何処にも感じられなかった。
後刻、ちょっとした挨拶も兼ねて、ダルドフへの報告は黒夜が行う事となった。
得られた情報は多くないが、全てが手探りであった事を思えば上出来だろう。
全てはここから始まる。
だが、道の先はまだ濃い霧に閉ざされていた。