風雲荘のリビングには重苦しい空気が淀んでいた。
誰もが言いたい事はある筈なのに、誰も、何も言わない。
思いは言葉として形をとる前に、渦巻く感情に流され、粉々に砕けて消えてしまう。
それでも消え残った澱の様なものを集めて紡がれた言葉は、余計なものを削ぎ落とされたシンプルなものだった。
しかし、だからこそ、それは剥き出しの本心を表しているのだろう。
「やってくれるじゃないか」
ミハイル・エッカート(
jb0544)が口火を切った。
「…ここしばらく大きな動きが無いので油断していましたね」
顔も上げずに呟いたカノン(
jb2648)の声は、心なしかいつもより低く硬い。
「安心できる状況ではないのは分かっていたつもりだったのですが」
門木の傷は深いが、幸い致命傷には至らなかった。
いや、殺すつもりなら――考えたくはないが、その余裕は充分にあった筈だ。時間的にも、技量の面でも。
何しろ門木は天使とは言え、その身体能力は普通の人間並。
そして恐らくは無抵抗だったのだろう。
寧ろ致命傷を与える方が楽だったかもしれない。
「いつでも殺せると見せ付けてるのか」
ソファの背に置いたミハイルの手の甲に青筋が浮かぶ。
座る者のないそこは、門木の指定席だった。
「上等だ、引きずり出して蜂の巣にしてやるぜ」
「どなたの差し金か分かりませんが、絶対に許しません!」
レイラ(
ja0365)が拳を震わせる。
皆も恐らく同じ気持ちだろう。
シグリッド=リンドベリ (
jb5318)など、生皮剥いで擂り身にしてもまだ足りないとでも言いたげに、じっと床の一点を睨み付けている。
普段は怒りの感情に乏しい華桜りりか(
jb6883)も、今度ばかりは本気で怒っていた。
ただ本人にその自覚はなく、手にした櫛玉鉄扇を無意識に弄るのみ。
どうやらそれが精一杯の怒りの表現であるらしい。
皆、もし今この場に犯人が現れたら問答無用で百万回は殺せる程度には、装備も心の準備も万端に整っていた。
「とはいえ、まずは真相を確かめませんと」
レイラが言う様に、憶測だけで動くわけにはいかない。
叩き潰すなら漏れなく完璧に滞りなく、繋がった根っこまで辿って、大元を絶たなければ。
その大元というのは、メイラスだと思って間違いないだろう。
リュールの姿が各所で目撃されているというのも、コピーサーバントに違いない。
「…けど、問題は『何故』そうしたのかっていう事」
七ツ狩 ヨル(
jb2630)が言った。
「メイラス側もコピーの正体がバレるのは時間の問題だと知ってる訳だから、何かその先の『目的』がある筈だよね」
今回の事は、きっとその為の布石だ。
「…もしかしたら、こうやって俺達に『疑わせる』事が目的なのかな」
「なるほど、あの野郎が考えそうな事だ」
ミハイルが吐き捨てる様に言う。
「特に斬られたカドキは、俺達の事、今までのように信じてくれるかな」
「それは大丈夫です」
シグリッドがいつもとは違う硬い口調で言った。
「先生もコピーサーバントの事は知っていますし、今までだって…」
何があっても信じてくれた。
ずっと信じ続けてくれた。
なのに、守れなかった。
でも今は、泣いている場合じゃない。
「だから僕達も先生を信じて、今できる事を頑張りましょう」
「相手がコピーサーバントなら、私達の姿もコピーしてくるかもしれないのだよ!」
フィノシュトラ(
jb2752)が言った。
以前のデータを使うのか、それとも新しくコピーするのか、それはわからない。
だが、いずれにしても何か見分ける為の目印が必要になるだろう。
「なら目印と合言葉を決めておくか」
油性ペンを取り出したミハイルが、袖を捲った所に自分の名前を書いた。
服で隠れた場所に書いておけば、コピーは出来ないだろう。
それを見せながら合言葉を言う。
「合言葉は『風雲荘で飼っているのは?』と聞かれたら『犬のタロ』と答える。コピーは話せない筈だから、これは有効だろう」
万が一バージョンアップでもして話せるようになっていたとしても、印がなければそれはコピーだ。
「後は携帯番号を交換して、連絡とれるようにしておくのだよ!」
全員に徹底し、互いにチェック。
だが、雨野 挫斬(
ja0919)だけは何故か自分の名前ではなく、門木の名を書いていた。
「私は高松に探りを入れる予定だから」
彼には似た様な事件を起こした前科もあるし、かつては敵と通じていた事もある。
近頃は随分と丸くなった気がするとは言え、今回の件では限りなく黒に近いと疑われても仕方がない立場だ。
疑いが完全に晴れるまでは、真っ正直に全ての情報を伝える必要はないだろう。
「これで偽情報が敵に伝わるなら、高松は黒ってこと」
出来る事なら疑いたくはないが、疑われる様な事をして来たのだから仕方がない。
「んと、あの…皆さんが調べに行く場所を、教えてほしいの、です」
りりかが言った。
予め聞いておいたのと違う場所で仲間に会う事があれば、それも怪しい。
「準備は万全にしておきたいの…」
「俺も、その情報は全員で共有した方が良いと思う」
ヨルはまず現場の確認に行く予定だった。
シグリッドは、りりかと一緒にリュールの所へ。
その後に時間があれば、事件当時前後にいる筈のない場所で自分達が目撃されていないか、それを聞いて回るつもりだ。
「その為に必要なので、皆さんがその時間帯に何処で何をしていたか、教えていただけませんか」
まるでアリバイ調査だが、別に仲間を疑っている訳ではない。
「なんだか気持ち悪い事件な…」
青空・アルベール(
ja0732)が呟く。
「でも大丈夫。やっと掴んだ平穏だからな、ちゃんと守りきって見せるのだ」
ついに決着をつける時が来たのだろうか。
メイラスや、更にその上に居るであろう誰かと。
どんな形になるのか、それはまだわからないけれど――
「出来れば、誰も悲しい思いをせずに終われたらいいな」
風雲荘の皆は勿論、今は敵である人達も。
さて、これで準備は完了だ。
「これ以上の出遅れは出来ません、早急に行きましょう」
「門木先生を狙っただけじゃなくて、リュールさんに罪をかぶせようとした真犯人、許せないのだよ! 絶対に見つけて見せるのだよ!」
カノンの言葉を受けて、フィノシュトラが気合いを入れる。
「頑張って真犯人捕まえようね! えい、えい、おー! なのだよ!」
はい皆さんご一緒に。
あれ、元気ないなぁ、声が小さいよ?
無理もない、けれど。
一行はまず撃退署へ行き、島内に自身やリュールのコピーが侵入している可能性を伝えた上で、対策を協議する事になった。
コピーサーバントに関しては以前の依頼で生徒のひとりが注意を促していた事もあり、署でも警戒はしていた様だ。
しかし、だからといって全校生徒の素行調査や監視を行うわけにもいかず、結局は何も起きない事を期待しつつ待つしかない、というのが実情だったのだろう。
利点と言えば、実際に事が起きた時の容疑者や対処法が絞りやすくなるといった程度だろうか。
ただ今回は、想定されたものとは別の容疑者が現れたわけだが。
「コピーされた可能性のある生徒の見分け方は、今言った通りだ。ここにいる俺達が本物かどうかは…これくらいしか証明の手段はないが」
ミハイルは学生証を取り出して見せた。
「流石にここまでコピーは出来ないだろう」
もし外側を真似る事が出来たとしても、そこに刻まれた情報まで写し取る事は出来ない筈だ。
出来るとすれば、生徒の姿を借りて堂々とセキュリティを通り抜ける事も可能だろうが――それに関してはカノンが調べる予定になっている。
「今は信じてもらうしかないのだよ!」
フィノシュトラが自分も学生証を見せながら言った。
それが本物かどうかよりも「大学部三年」という文字の方に、まず疑いの目が向けられた様だが。
「本当なのだよ! 子供じゃないのだよ!」
いや、それはひとまず置いといて。
「また事件が起きるかもしれないし、ばれたと気がつかれたら今度は大事になるかもしれないのだよ! だから気を付けてほしいのだよ!」
その前に、侵入された分はきっちり片付けるつもりでは、いるけれど。
ひとまず本人の確認を済ませ、仲間達はそれぞれの持ち場へと散って行った。
ミハイルは鏑木愛梨沙(
jb3903)と共に、見回りついでに門木が入院している病院へ。
医療関係者や警備の担当者にもコピーの情報を周知すると共に、愛梨沙が異界認識でそれが本来の姿である事を確認する。
「どうやらみんな本物みたいね」
サーバントのレベルが認識可能な範囲を超えていない限りは。
しかし疑い始めたらきりがない。
それに、万一の為に愛梨沙は病室の前に貼り付いてガードするつもりだった。
そこには既に撃退署からも警備に当たる人員が派遣され、周囲を固めている。
病院全体に透過対策が施されているのは勿論、廊下に面したドアには鍵がかけられていた。
これ以上の警戒は必要ない様に思えるが、そこは恐らく気持ちの問題なのだろう。
「流石に面会は出来ないか」
ガラス張りの窓から集中治療室を覗き込み、ミハイルが呟く。
医療スタッフの間に緊迫した様子は見られない。
容体が安定しているというのは、信じても良さそうだ。
(さっさと傷治して戻って来い)
心の中で励ましの言葉を送り、ミハイルは静かにその場を去る。
今しなければならない、そして次に繋げる為に必要な手を打つ為に。
科学室前の廊下にか立入禁止の規制線が張られていた。
ヨルは学生証を提示し、事件の調査担当である事を告げて、その中に入る。
現場はまだ、そのままに残されていた。
科学室を入ってすぐの壁、ヨルの目線とほぼ同じ高さに、真っ赤なペンキをぶちまけた様な跡がある。
そこから下の方に刷毛で掃いた様な線が続き、腰の辺りで左に曲がった先の床には大きな血溜まりが出来ていた。
入口から見て奥の壁まで飛沫が飛んでいるところを見ると、犯人は戸口に立った門木を正面から斬り付けたのだろう。
斬られて、すぐ脇の壁に寄りかかり…そして、倒れた。
これだけ飛沫が飛んでいるなら、犯人も返り血を浴びている可能性が高い。
そして床の血溜まりがこれだけ大きければ、犯人もそれを踏んだ筈――よほど注意して避けない限りは。
しかし、床にそれらしき足跡は残されていなかった。
「サーバントなら、構わず踏んで行きそうな気がするけど」
偶然か、それとも故意に避けたのか。
狙って避けたのだとすれば、サーバントにそんな事が出来るだろうか。
「知能レベルまで、俺達にそっくりなら…」
出来る、かも。
しかし、そこまで完璧に再現されているなら、もはや本物と変わりないのではないか。
本物と同じ意識を持った自分や仲間達に、門木を斬る事は出来るのか。
「考えてても、仕方ないか」
素人目にわかる様な痕跡は残されていないが、現場検証の結果からは犯人が逃走した方角が割り出されていた。
それによると、逃走経路は廊下の窓。
ただし飛んで逃げたわけではない。
校舎の外側、しかも窓の上から、僅かながら血液反応が出ていた。
「壁走りで、屋上に…?」
だとしたら鬼道忍軍か、そのコピーか。
それにしても、その行動は目立ちすぎる。目撃者も多いだろう。
こちらにとっては朗報だが、一体何を考えているのか。
「俺は目撃者を探しながら、屋上に向かってみる」
情報の取り纏め役であるフィノシュトラに連絡を入れ、ヨルは屋上へ飛んだ。
そこで見つけたのは、血の付いた服。
「でも、おかしい…こんな簡単に見付かるなんて」
それとも見つけてほしいのか。
或いは罠か、陽動か。
コピーは囮で、実行犯は他にいるのだろうか。
いずれにしても『同じ時間帯に複数の目撃情報』があったという事は、コピーが複数紛れ込んでいる事を示していた。
実行犯であろうとなかろうと、危険な存在である事に変わりはない。
コピー以外が存在する可能性も、気にはなるが――
「まずは拠点を見つけなきゃ」
全てを排除する為に。
レイラとカノンはセキュリティ関連の担当部署へ。
「撃退士の総本山ともういうべき久遠ヶ原のセキュリティは相当厳しいはず。その久遠ヶ原で事件が起きたことに今回の事件の異質性と重要性があります」
レイラの目的は防犯カメラの確認、カノンは島への出入りを調査する為だ。
「直接学園内に出現させる手段がある可能性もありますが、そうでないなら外から変身した上で入りこんだか、荷物にでも紛れ込んだのでしょうか…」
荷物として運び込まれた場合、チェックは難しいだろう。
変身すれば入り込めるなら、久遠ヶ原のセキュリティが甘すぎるか、相手のコピー技術が相当に高いものであるか、そのどちらかだ。
カノンは事情を説明した上で調査の許可を願い出た。
撃退署からの通達によって、調査すること自体は許可が下りたが――
「悪いが、あまり役に立てるとは思えないな」
担当の職員が申し訳なさそうな苦笑いを浮かべる。
「セキュリティ関連は閲覧制限が厳しくてね」
監視カメラの位置や精度、出入りチェックのタイミングや、そこで使われているシステム――顔認証なのか、気付かないうちに網膜パターンを読まれているのか、或いは学生証やIDを読み取っているのか、それとも謎の新技術なのか――それを明かす事は出来ない。
「ただ、それを明かさない範囲で質問に答える事は出来るよ」
質問が正しければ、望む答えが得られるだろう。
そう言われて、カノンは考え込んだ。
サーバントのコピー能力がどの程度融通が利くかはわからないが、流石に知らない相手にはなれないだろう。
侵入時点では門木、リュール、そしてメイラスに関わったことのある撃退士のいずれかの姿だった可能性がある。
しかし流石に他人の情報を教えるわけにはいかないだろう。
「でしたら、私自身の記録を」
夏以降の記録で覚えのないものがあれば、そのタイミングで侵入したものと判断できるだろう。
だが、そこに示された記録には全て覚えがあった。
同行ついでに確認させて貰ったレイラの記録も同様だ。
という事は、他の者についても同じと考えて良いだろうか。
或いは全く別の姿になっていたのかもしれないが…いずれにしても、サーバントのみでの出入りは不自然さを無くせないだろう。
ならば手引きした存在も同行している筈だが、「不自然な動きをする怪しい集団」などという曖昧なキーワードで情報が得られるとも思えない。
これは、手詰まりだろうか。
そう感じ始めたカノンに、職員が言った。
「まあ正規のルートは水も漏らさぬレベルだがね。それ以外はわりとザルだよ」
海でも空でも、防犯設備のない場所はいくらでもある。
ただ、侵入を許したとしても普通はさほど問題にはならなかった。
何か事件が起きれば撃退士が大挙して駆けつける。
いくら天魔でも、最終決戦を挑むくらいの覚悟がなければ、本気でここを戦場にしようとは思わないだろう。
「後は現場を押さえるしかない、という事でしょうか」
レイラが言い、防犯カメラの映像提出を求める。
だが、やはりこちらも「怪しい場所は全て」というわけにはいかず、目星を付けた時間と場所を指定する必要があった。
「まずは科学室の中と外、時間の前後一時間程度を」
それにリュールが目撃された場所の周辺も。
もしその姿が何処かに映っていれば、どの方向に去ったのかを確認する。
途中まで映っていたものが消えた場合は、他の姿に変わった事を疑うべきだろう。
その付近の映像を確かめて容疑者を絞り込み、後は地道に聞き込みを続けるしかない。
「変身しているとしても久遠ヶ原のコミュニティにいる人間は限られていますから、少しづつ当たれば犯人に近づけるかと」
ただし映像のチェックにはかなりの時間がかかるだろう。
その間に他の班が手がかりを見付けてくれれば、こちらも探す場所を絞り込む事が出来るのだが。
「章治兄さまにひどいことをするなんて…必ず真犯人を見つけるの、です」
りりかは病院のある方角を向いて、そっと祈りを捧げる。
大好きな章治兄さまになんて事を…です
ゆるさないの…
どうか、どうか…早く目を覚まして下さい、です
あたしの命で良いなら兄さまに…
「しぐりっどさん、行きましょう…です。一緒に頑張るの…」
「…」
シグリッドはむっつりと黙ったまま、こくりと頷く。
二人はフィノシュトラと共に、撃退署の施設に収容されているリュールの元へ向かった。
途中、りりかはコピー前のサーバントや予定外行動をしてる仲間がいないかと目を光らせていたが、それらしき姿は見当たらない。
ほとぼりが冷めるまで、何処かに隠れているのだろうか。
何にしても、今はまずリュールに話を聞く事が先決だ。
収容施設は島の外にある。
リュールにあてがわれた部屋は、一般的なホテルのシングルと言っても良さそうな作りだった。
ただし、窓や出入口に鉄格子が嵌められている事を除けば。
職員の立ち会いの下、シグリッドとりりかは鉄格子を挟んでリュールと向かい合う。
フィノシュトラはそこから少し離れた場所で周囲を警戒しつつ、皆からの連絡を待っていた。
「来たか、ご苦労な事だな」
子供達(?)の心配をよそに、オカンは随分と余裕である。
「リュールさんがはんにんだとは思っていないの、です。信じているの…」
「ああ、知っている」
手が届くなら、その頭を撫でてやりたいところだが。
「それで? お前達はただ、私を慰めに来たわけでもあるまい?」
問われて、シグリッドが口を開いた。
「コピーサーバントに関して、何かご存じありませんか」
「何か、と言われてもな」
知りたい情報があるなら、質問は的確に。
漠然と訊かれても、漠然とした答えしか返せない。
「私もそう大した情報を持っているわけではないがな」
苦笑いを浮かべつつ、リュールは言った。
「メイラスが持っている私のコピーは、堕天前の能力をほぼそのまま引き継いでいる。だがそれが複数現れたとなると、能力はかなり落ちているだろう」
「コピーが進むと劣化する、という事ですか?」
アナログコピーの様なものと思えば良いのだろうか。
「ありがとうございます、それだけ教えて貰えれば充分です」
シグリッドはぺこりと頭を下げ、そのまま顔を上げずに言った。
「…必ずリュールさんの疑いを晴らします。守るって約束したのに…ごめんなさい…」
「お前が謝る事はないだろう」
ここの居心地も悪くない。
ただ、賑やかな暮らしに慣れてしまうと、静かすぎて物足りない気はするが。
面会を終え、シグリッドは職員に言った。
「リュールさんの攻撃手段は魔法です。刃物で切りつける、なんて歩いていてさえ転ぶリュールさんには無理です」
いや、流石に歩いて転ぶのは…あるか。あるな、うん。
「そもそも先生とリュールさんは一緒に住んでるんです。撃退士だらけの学校へわざわざ出向いて、なんてどう考えてもおかしいです。…それにとても優しい人なんです。リュールさんが大切な息子である門木先生を、なんて…絶対にありえません…!」
「君の熱意はわかった」
一気にまくし立てたシグリッドに、職員は少し気の毒そうな表情を浮かべながら言った。
「だが熱意だけでは何も解決しない事は、君も理解しているだろう? 証拠を持って来なさい」
確実な証拠を。
「わかってます。頑張って調べて来るので、その間リュールさんを宜しくお願いします…!」
フィノシュトラに後を託し、二人は再び調査に戻った。
事件当時の風雲荘住人の目撃情報を集め、それと本人から申告された行動を照らし合わせ、矛盾がないかをチェックして。
「んぅ、とくに変わったところは、見つけられないの、です?」
入り込んでいるのはリュールの姿をしたものだけ、という事だろうか。
青空はミハイルと手分けをして、手がかりを探していた。
学園の周辺や商店街など、自分達や門木がよく行きそうな場所をくまなく回り、聞き込みを続ける。
特に商店街では二人の顔を知らない者はいないだろう。
訊ねると、すぐに答えが返って来た。
「何だい、あの別嬪さんまた迷子になったのかい?」
「うん、そんなようなもの、なのだ」
門木が襲われた事は、外部には秘密にされている。受け答えは慎重に。
そう言えば、ついこの間もこうして聞き込みをしたっけ。
あの時は多くの目撃者が見付かったけれど。
「今日は見てねぇな。あんだけの美人だ、見かけりゃ忘れる筈もねぇ…つーかよ、ありゃ良い眼の保養だよなぁ」
サービスするから買い物に誘ってくれ、そう言って八百屋の主人は笑う。
だが、肉屋も魚屋も総菜屋も、本屋もお菓子屋も、今日は誰もリュールの姿を見ていなかった。
出不精なリュールのことだ、本人に関する目撃証言がない事に関しては、特に驚くにはあたらないが――学園内で多くの目撃例があった事と比べると、少し不自然な気もする。
「こっちの方には来てないのかな」
まだ学園内に潜伏しているのだろうか。
青空がその可能性を告げると、フィノシュトラからも新たな報告があった。
『今ちょうど、レイラさんから連絡があったのだよ!』
それによると、校内の防犯カメラにリュールの姿が映っていたらしい。
しかも複数。
『その場所と時間と、移動時間を考えると、今は多分――』
「わかった、今からそこに行ってみるのだ」
ミハイルにも連絡を入れ、青空は走り出した。
走りながら考える。
今のところ自分達の姿をしたコピーを見たという報告はない。
という事は、新たなコピーは出来ないのだろうか。
しかし以前は目の前で姿を変えた事もある。
上書きコピーが出来る時と出来ない時があるのだろうか。
だとしたらその条件は何だろう。
「そう言えば、以前はメイラスが近くにいたのだ」
もしかしたら、それが条件かもしれない。
可能性として頭の隅に置いておく必要があるだろう。
「戦術レベルで真似してくるのはやっぱりちょっと厄介だものな」
打開策はしっかり知っておきたいところだ。
とは言え、コピーではなく変装である可能性もあった。
自分達はコピーの存在を知っている。
だから当然、事件の知らせを聞いてすぐに、犯人はコピーだと考えた。
でもそれが敵の策略だったら?
「コピーがある事を知っていれば、コピーを疑うのは当然なのだ」
寧ろコピーに目を向けさせる為に、わざとそう仕向けた可能性はないだろうか。
だとしたら、最も怪しいのは前科のある高松という事になる。
だが、前の事件を処理した時、門木は彼を咎めなかった。
彼が真犯人だという事も、握り潰した…と言うと聞こえが悪いが、上には報告していない筈だ。
それを疑って良いのだろうか。
疑うべき根拠は、ありすぎる程あるのだが。
その高松を、挫斬はいつもの様に問答無用で拉致。
「デートに行くわよ!」
目指すはいつもの喫茶店、だが。
「の前に本人確認と」
初っ端に冥魔認識でコピーではない事を確かめる。
「よし、本物ね」
「って、おい! 何だよ今の!?」
「いいからいいから、細かい事は気にしない!」
食事でもしながら教えてあげるから。
ただし、嘘を交えないとも限らないけどね。
「先生が姿を真似れるサーバントが変装したリュールに襲われたのよ。他にもいるみたいだから本人をね」
「あ? 先生ってどの先生だよ? それが変装して、何だって?」
ここで「門木がどうした」とでも言えば、限りなく黒に近いのだが。
とりあえず第一関門は無事に通過した様だ。
「違うわよ、よく聞きなさい坊や?」
「お前の説明が下手くそなんだろ」
それを黙殺してもう一度同じ台詞を繰り返し、挫斬は続けた。
「一応本人確認の方法は教えるけど、前科持ちなんだし無駄に疑われちゃうから、行っちゃ駄目よ?」
「行かねぇよ、何で俺が」
「良いから聞きなさい。風雲荘で飼ってるのは?って聞かれたら――」
挫斬は胸元のボタンを外し、そこに書かれた門木の名前を見せる。
「こんな感じに自分の体に書いた先生の名前を見せるの。良い?」
高松はいかにも興味なさそうに、ちらりと視線を投げた。
その隙に、挫斬の手が首元に伸びる。
「もしこの件に関わってるなら早めに謝ってね」
高松の首を軽く絞めながら、挫斬は微笑んだ。
笑顔のままで、物騒な言葉を囁く。
「謝るなら許してあげるけど、敵と解るまで謝らなかったら前に言ったけど殺すわ。紘輝君の事好きだから解体したいけど、好きだから殺したくないんでお願いね」
そのまま唇を奪い、そっと手を離す。
そして何事もなかった様に食事を続けた。
「さ、お腹一杯になったし調査に行くわよ! ここは奢ってあげるから付き合いなさい」
「調査って、何を?」
「ゲートよ。もしかしたら外からの侵入経路になってるかもしれないでしょ?」
だが高松は首を振った。
「それなら調べても無駄だ。学園にあるゲートはコアが破壊されてる」
コアがなければ移動には使えない。
「でも、ディアボロやサーバントは出て来るわよ?」
「それは残ったエネルギーで自然発生したもんだ。俺が前に使ったのも、そういう奴さ。たまたま都合の良いのが出て来たんでね」
高松は立ち上がりかけた挫斬を座らせ、言った。
「なあ、お前さ…門木がすげぇ弱いの、知ってんだろ?」
何を言い出すのかと、挫斬は目を細めて高松を見る。
「それを殺さない程度に手加減しながら斬り付けるなんて事、サーバントに出来ると思うか?」
「ここは、出来ないって答えるべき?」
高松は黙って頷いた。
「俺がやらなきゃ、あいつは死んでた」
それに、コピー達も商店街や住宅地で暴れ回っただろう。
「それでも、俺を殺すか?」
挫斬は黙って高松を見つめる。
「ま、俺は前科者だからな。信じて貰えるとは思っちゃいねぇさ」
高松は席を立ち、挫斬に無防備な背を向けた。
「いつでも良いぜ」
逃げも隠れもしない。
そう言い残して、高松は静かに店を出て行った。
実行犯、発見。
その報せはすぐに、全員に伝えられた。
「うん、俺もコウキが犯人で間違いないと思う」
ヨルは目撃者の証言から独自にその結論に達していた。
該当する時間帯に屋上から下りて来た人物は、ただひとり。
その特徴は高松のものと一致していた。
「でも、コウキは逃げないって言ったんだよね?」
それなら今はサーバントを片付けるのが先だ。
調査の結果から導き出されたいくつかのポイントには、それぞれに何体かのコピーの姿があった。
その全てがリュールの姿を模している。
ミハイルはその一体にマーキングを撃ち込み、そっと後をつける。
青空も同様に紅雨を放ち、その赤い光を目印に後を追った。
ヨルもまた指定された一ヶ所に飛び、そこから気配を殺して追跡する。
コピー達が目指す先は、どれも同じ――学園の廃墟だ。
集まったのは全部で十体。
「美女が大勢ってのは壮観だがな」
どれも同じ顔では気味が悪いと、ミハイルが肩を竦める。
見たところ、彼女達は互いに会話を交わす事もなく、ただ何かを待つ様にぼんやりと佇んでいる。
指揮官らしき者の姿は見当たらない。
『皆が揃うのを待って、一気に片付けるのだよ!』
電話の向こうでフィノシュトラが言った。
「え、コピーが見付かったの?」
連絡を受けた愛梨沙はしかし、その場を動かなかった。
「万が一って事もあるし、あたしはここにいる。皆をそこに集めた上で、センセを襲うつもりかもしれないでしょ?」
ガラスに阻まれて治療スキルを使う事も出来ないし、出来たとしても気休め程度にしかならないだろうけれど。
『センセ…ナーシュ…お願い、生きて…目を覚まして…皆ナーシュが起きるのを待ってるんだよ…』
意思疎通で話しかけてみるが、反応はなかった。
やがて愛梨沙を除いた全員が廃墟に集まる。
合言葉と目印で互いを確認すると、仲間達はコピーの集団を取り囲む様に周囲に散った。
その姿を見ても、コピー達が姿を変える事はない。
やはり新たなコピーには命令する者の存在が不可欠なのだろう。
偽物だとわかってはいても、親しい者と同じ姿をした相手に武器を向けるのは抵抗を感じるが――今はそんな事を言っている場合ではない。
「分かってる。これは前哨戦だろう」
ミハイルがバレットストームを撃ち込んだのを皮切りに、全員が一斉攻撃。
上空からフィノシュトラが矢継ぎ早に魔法を叩き込む間を縫って、レイラは縮地で一気に接近、烈風突で吹き飛ばす。
そこに飛び込んだりりかが鉄扇を一振り。
「リュールさんも章治兄さまも護ってみせるの、です」
攻撃は最大の防御を地で行く勢いで一気に攻め込めば、劣化版リュールは忽ちただの人形へと戻っていった。
翌朝。
門木の意識が戻ったという連絡を受けて、一同は病院へ雪崩れ込んだ。
とは言え、まだ病室の中に入る事は出来ない。
入る事は出来ないが――
ガラスにめり込む勢いで思いきり貼り付いた約一名。
「せんせぇーっ」
咄嗟にいつもの慣れた呼び方に戻る。
その声が聞こえたのか、門木は僅かに首を傾けた。
ほんの少し、表情が動く。
多分、笑いかけたのだろう。
『…カドキ』
列の後ろから、ヨルが控えめに意思疎通で呼びかけてみる。
『大丈夫? 話せる?』
それを確認して、ヨルは続けた。
『…刃物、だったから。俺の姿だったんじゃないかって』
『覚えて、ないな』
本当に覚えていないのか、それとも嘘をついているのか…いや、そこまで気を遣う余裕はまだないか。
『カドキもリュールも守るから。絶対に』
だから信じて欲しい、この先も。
残念ながら、リュールはまだ帰れないけれど。
だが、今後新たな事件が起きないという確証が得られるまで、暫くの辛抱だ。
帰って来たら、また皆で一緒に――