ここはBARサイレントナイト。
今宵もまた、静けさを求めてやって来る者達がいる。
暫し彼等の話に耳を傾けてみようか――
ドアに取りつけられた小さなベルが控えめな音を鳴らす。
思考の妨げになるほどの主張はせず、かといって店内に流れる音楽にかき消される程か弱くもない。
その音と共に顔を覗かせたのは――大きな花束、いや、アレンジメントフラワーと言うのだろうか、これは。
お昼の定番番組の様な盛り籠のアレンジに「祝三周年」と書かれた札が差してある。
「いつか知り合いが呼ばれたとき、送ろうと思ってたんだが、俺も呼ばれることもないままに番組自体がなくなってな」
アレンジの背後から、天険 突破(
jb0947)が姿を現す。
「せっかくだからマスター、もらってくれ」
「ほう、良いのかい?」
では、遠慮なく頂いておこう。
「俺の店も、まあ三年くらいだからな…丁度良い」
三周年の札もそのままに、それをカウンターの隅に飾る。
「で、何にする?」
「牛乳を手放さないと言ったが飲めないとは言ってない――というわけでホットを、ミルクじゃなくて、せっかくだから流行りもののウイスキーにしよう」
流行りと言えばスコッチか。
見たところ、酒を飲める歳になったばかりの様だ。初心者向けのチョイスで良いだろう。
「そうだ、これも後ろに貼っといてくれ」
突破が取り出したのは、イベント「SNOW CRYSTAL」開催中のポスター。
「俺はまあ、しばらく疎遠だった久遠ヶ原にもなんとなく戻ってきたが、今年はまた戻ってこなくなった者も多いな」
「そいつは寂しいな」
「ああ…トモダチノワに、乾杯」
グラスを合わせる相手はいないけれど。
「誰かのためじゃないが、故郷は結局無事で育った家もそのままあるんだよな」
撃退士になって今はここにいるが、そこには、自分の部屋もある筈だ。
「全てが終わって平和になれば、またそこで暮らせるようになるといいなと思ってる」
「そうか。帰る場所があるってのは、良いもんだな」
「マスターには、帰るところはあるのかい?」
「俺か? 俺にとっちゃ、この店がそうさ。同時に他の誰かにとっても、疲れた時に帰る場所になれたら良い…なんて思っちゃいるがね」
「そうか。そいつはいいな」
突破はグラスの酒をゆっくりと味わいながら、音楽に紛れて聞こえて来る言葉の断片に耳を傾ける。
「ひとつリクエストしても良いか?」
それに応えて、ピアノとアルトサックスの音色が静かに流れ始めた。
「素敵なお店…ですわね」
静かに飲むにも、色々と想いを巡らせるのにも良さそうだと、ロジー・ビィ(
jb6232)はカウンター席に着いた。
「マスター、天使の涙を頂けますでしょうか…」
グラスの縁にミントチェリーを飾った、少し茶色っぽい液体を口に含み、ロジーは静かに語り始める。
「天使である我が身。堕天したとは言え、天使であることに変わりはありませんわ」
天使。冥魔。人間。それぞれがそれぞれの思惑で動いている。
「でも人間は抵抗する一方だと思うのです。天使と冥魔は搾取する一方だと思うのです」
そう考えていた。
つい最近までは、殆ど何も疑うことなく。
「あたしが天界を降りた一番の理由…それは天使が弱者だと決め付けている人間の魂を吸収して、為すこと。為されること。そして『その遣り方』――」
それが、どうしても納得が行かなかった。
人間は平和に暮らしていると言うのに。
その平和を乱すなんて、赦されない行為だと思っていた。
けれど。
「或る友人から人間だって弱肉強食だ、人間同士の戦争だってある。そう聞かされて…」
ロジーは空になったグラスを見つめ、溜息を吐く。
「あたしは…何も、何一つ、分かってなかったのですわね」
それはとても哀しいこと。
それはとても切ないこと。
「でも…人間同士の争いは『何かを護る為』の争いだと思うのです」
それは「闘い」。
護るべきモノを護る為の行為。
「天使や冥魔とは全く違ったモノだと思うのです」
頼んだ覚えのない二杯目のカクテルが、静かに置かれる。
「もう少し、こいつの力が必要かと思ってね」
「ありがとう、ございます」
ロジーはもう一口、甘くほろ苦い液体を喉に流し込む。
「その話を聞いてからのあたしには迷いが生じました」
人間とは? 天使とは? 冥魔とは?
「平和な道は無いのでしょうか」
それを教えた友人は今、この世の全てを呪い、憎み、破滅を望んでいる様子だった。
きっと、そう考える者は彼だけではないのだろう。
そんな中で、平和を求める事は…果たして、正しいのだろうか。
彼等はそれで救われるのだろうか。
「道は、あるさ」
マスターが静かに言った。
「探す事を諦めなきゃ、何処かにはな。俺はそう思ってるぜ」
「諦めない…そうですわね」
頷いて、ロジーは小さく微笑んだ。
「私は、そうですね…何かカクテルを頂けますか?」
フィルグリント ウルスマギナ(
jc0986)は、最近この学園に来たばかり。
来たばかりという事は、毎日の様に新しい出来事に遭い、新しい友人に出会い、新しい自分を発見し――
という事で、マスターが話を聞いてくれると言うなら話題には事欠かない。
もう寒いというのに水着でアイスを食べたり、来年のニュースを語ったり、クリスマスパーティを楽しんだり。
「その中で、大勢の方とお友達になれました」
もしかして、もしかしなくても、遊んでばかりだった気がするけれど…そこは気にしてはいけない。
学生たるもの、遊ぶ事も仕事のうちなのだ。多分。
「ういっす! ちょっと避難さしてな〜♪ いや〜人気もんは辛いなぁ〜」
これでも自分では声を潜めたつもりだっったが、カウンター席に座ったゼロ=シュバイツァー(
jb7501)に向かって、マスターは人差し指を口の前に立てて見せた。
あ、電話もマナーモードでね?
「っと、悪い、堪忍な」
片手で手刀を切る様に詫びて、ゼロは更に声を潜める。
「ブランデー頼むわ。セプ・ドールあたりがええな」
クリスマス、それはゼロにとっての書き入れ時――何の、とは敢えて訊かないのが身の為だろう。
「いや、今日はめちゃめちゃ忙しくてな。せやけど、こうしてゆっくりと飲む酒もええもんやなぁ」
ブランデーの芳醇な香りを楽しみながら、ゼロはゆるりと問わず語り。
「あ、せや。マスターには言ってなかったっけかな。俺天魔ハーフやねん」
今までずっと、学園でこっそりと研究していたのだが――漸くそれが公に認められる所になった、という具合だ。
「ま、これで実家の方の問題もどうにかなりそうやしな…あ、これは秘密な♪」
「安心しろ、客の秘密は守る」
それに、特に驚く様な事でもない。
何しろここは、久遠ヶ原なのだから。
それもそうだと頷き、ゼロはゆったりと店内を見渡した。
「あそこの席いっつも予約やな? 常連さんか?」
随分前から、あのままになっている気がするが。
「なるほどねぇ。んじゃその人が来たら、俺からも一杯おごらせてくれな♪」
「ああ、彼も喜ぶよ」
そこで、懐のスマホが震えた。
席を立ったゼロは、トイレの前で声を潜める。
「ん? あぁちょっと一休みしてた。…わかったわかった。すぐ行くがな」
さらば安息の時よ。
「悪いなマスター呼び出しやわ。んじゃちょっと行って来るかいな〜。ま、電話の相手のとこに行くかは分からんけどな〜。可愛い子がおったら寄り道してるかもな♪ ほな、また来るわ〜♪」
っと、忘れ物。
「マスターにも、クリスマスプレゼントや」
「俺に?」
差し出された箱の中身は蝶ネクタイ。
「ま、使うか使わんかはお任せしますわ。メリークリスマス♪」
ありがとう、使わせて貰うよ。
入れ替わる様に店に入ってきたのは、和装にコートを引っかけた若い男。
「へぇ、へぇ、感じの良い店ですねぇ」
仕事帰りにふらりと立ち寄った百目鬼 揺籠(
jb8361)は、予約席の方にちらりと視線を向けながら、マスターの前に座る。
「どうせ今日びも宴会後でしょうから、少し飲んで帰ってもバチは当たんねぇでしょう。強いの一つくださいよ、マスター」
「日本酒は余り置いてないんだが――」
「あァ、こんなナリですがね、日本酒じゃなくても良いんで」
それならオールドパーの12年物はどうだろう。
「あ、煙草はこっちじゃ駄目ですかぃ」
取り出しかけた煙草を懐に仕舞い、揺籠は予約席に視線を投げる。
「長く生きてると如何しても、空けたままになっちまう席が増えちまってかなわねぇや」
色々な人がいつの間にかいなくなって、席だけがぽっかりと残されて。
「だからもう、あんまり空けておくのはやめようって、思ってるとこではありまさぁ」
自分一人が残って空席が沢山というのは、結構笑えない話だ。
「特に最近は寒ぃですからねぇ、こんな時は無性に人恋しくなっていけませんや……そのうち嫁さん貰って落ち着きてぇ気持ちも、無いわけじゃぁねぇですけども」
苦笑いと共に、こみ上げて来る思いを黄金色の液体で押し流す。
いなくなった誰かと聞いて、最初に浮かぶのは初恋の人。
強くて綺麗な人で、好きだったけれど、10年ほどの間で変わってしまって――心が通わなくなってしまった。
自分だけが、何も変わらなかったから。
そんな風に忘れられるのも、置いていかれるのも悲しいから、出来るだけ距離を置こう。
「なぁんて思ってんのに、わかってんのに、如何してこう…」
音を立ててグラスを置き、揺籠は溜息を吐く。
「離れ難いものが出来るのは、俺が甘ぇからでしょうか」
兄貴分と慕ってくれる子鬼だったり、旅館の皆だったり――
「久遠ヶ原がすっかり居場所になりつつあるのは、怖いことでさ」
空席が出来るのが怖いなら、いっそ席など作らなければ良い。
誰も座らせなければ良い。
なのに、気が付けば今も、新しい席は増え続ける一方で。
「なんて、飲みすぎましたね。忘れてくだせぇ」
残った酒を一気にあおり、揺籠はその場に倒れ込む様に突っ伏した。
忽ち、軽い寝息が聞こえて来る。
「そんな甘さは、嫌いじゃないがね」
呟いたマスターの一言は、恐らく聞こえてはいないだろう。
カウンター席の最も端、誰の声も届かない程に離れた場所で、鳳 静矢(
ja3856)は一人静かにグラスを傾けていた。
「…予約席、か…」
話を振られ、語り始める。
「あの時は…自分が直接関わって死ぬ者が出る等思わなかった」
自分が加わった戦いの中で、ある人の命が消えた。
いや、その人ばかりではない。学園の精鋭が28人も。
「完全な力量不足、目論見の甘さ…若さ、と言うには過ぎた過信もあった」
力及ばず救えなかった命もある。
「故郷を悪魔に奪われ、昔は天魔…特に悪魔に対しては敵意に似た物があってね」
しかし、とある悪魔との出会いによって、その意識に変化が現れた。
「…驚いた、あんな変わった悪魔も居るのだなと。人間より人間らしい悪魔、そんな知人がいてな」
だが、その悪魔が命の危機に瀕した時、救い出す事が出来なかった。
「それらの事が立て続き悩んでいた時、ある人に『故人の志を抱くのは良いが、死者に囚われるべきじゃない』と、そんな風な事を言われてね」
そう言ったのは、故人の友。
最も悔やみ、嘆き悲しんでいるであろう筈の人物だった。
「故人の遺志を汲みながら私自身がしたい事…愛妻をはじめ周りにいる人を失わない様に戦い生きる…そんな生き方に導いてくれたのだなと、今はそう思う」
それきり口を閉ざした静矢は、ひとり静かに杯を重ねる。
やがて、ふいに思い出した様に呟いた。
「多分私は席を空けてもらっている側なんだと思う」
マスターがグラスを磨く手を止める。
「二人…それ以外にも、縁し、先に逝った者達に」
天国か、地獄か。
そこが何と呼ばれる場所なのか、それは知らないが。
「その予約席に向かった時『頑張ったな』と言われる生き方が出来れば…な」
例えば今、この瞬間に呼ばれたとしたら、どうだろう。
彼等は静矢に対し、何と声をかけて来るのだろうか――
「マスター、スコッチウイスキーのロックとお勧めのおつまみ、お願い」
クラガンモアの12年ものだと嬉しいんだけどな、そう言ってカウンター席に座ったのは、砂原・ジェンティアン・竜胆(
jb7192)だ。
塩味のナッツと共に供されたグラスからは、ほんのりと紅茶の様な香りが漂ってくる。
「クリスマスは…まぁ毎年一人だよね」
家族を大切にするはとこは、大阪の実家に帰ってしまった。
今頃は可愛い弟君と仲良くしているのだろう。
「僕も帰れば良いのにって言われるけど…神戸の実家は居心地悪くて」
別に不仲という訳ではない。
ただ、自由さが無いというか――
「うん、真面目な家なものでさ、肩こっちゃうんだよね。見ての通り、僕、堅苦しいの嫌いなもんで」
苦笑いを漏らしながら、ジェンティアンはグラスを揺する。
「だから久遠ヶ原は楽しいわ」
卒業したくないと思うのも無理はない、うん。
「んー…誰かの為の席? 可愛い女の子なら、いつでもウェルカムなんだけど」
そう茶化してから、少し真面目な表情になる。
「まあ、強いて…強いなくても、受け止めたい、待ってるよと思うのは、さっき言ったはとこかなぁ」
自分の祖母と彼女の祖父が兄妹で、それなりに小さい頃から交流あった。
「小さい頃は体が弱くて、遊びに行っても寝こんでる事が多かったっけ。冬に外なんて出られるはずもなかったから、雪が降ったら僕が雪うさぎを部屋に持って行ったり…目輝かせて可愛かったよ」
懐かしむ様に、くすりと笑う。
「甘えるのが下手で…それは今でも変わらないな」
だから心配になる。
背筋を伸ばし過ぎて、ぽっきり折れてしまわないかと。
「だから僕が傍にいて見守って、いつでも休める場所になりたいなって…そんな自己満足というか自意識過剰なこと思ってる」
大切な大切な、妹分。
今では随分と強くなったけれど、その思いは変わらない。
「思う分には自由だよね?」
返事の代わりに、マスターは新しい酒を注いだ。
「そうだ。良ければ1曲、歌わせてくれる?」
この空気を壊す事のない様に――それは勿論、充分に心得ている。
「こう見えて、天使の歌声って言われてるんだよ?」
「ほう、そいつは是非とも聞かせて貰いたいもんだな」
許可を得て、ジェンティアンはとある楽曲のオフヴォーカルバージョンをリクエスト。
流れて来たメロディに乗せて、静かに歌い始める。
その曲は、フィルグリントにも聞き覚えがあった。
某有名動画投稿サイトの歌い手としては、ここは黙ってなどいられない。
と言うか、もう勝手に歌声が零れ出てしまう。
遠慮がちにハミングを始め、やがてその声はコーラスとなって唱和する。
ジェンティアンは思わず声の主を見た。
思いがけないデュエット、しかも相手は若くて美人。
これはもしかして、素敵な夜が始まる予感――?