それは、潰れて崩れ血塗れになった容貌の故か。
それとも、その口元から零れ出す呪詛の声が余りに楽しげで美しく聞こえた故だろうか。
撃退士達が現場に到着した時、恐怖に駆られた人々は既に遠くへと逃げ去っていた。
ただひとり、ギターを手にした青年を除いて。
「まずは邪魔モノ退治、かしら」
ケイ・リヒャルト(
ja0004)が「彼女」の足元に銃を向ける。
「――!!」
彼等の思惑を知らない青年は、慌てて銃口の前に飛び出そうとした。
しかし。
「危ねェですから、兄さんは下がっといて下さい」
百目鬼 揺籠(
jb8361)が、その前に立つ。
「大丈夫でさ、あのブヨブヨを片付けちまうだけですから」
揺籠は不安げに見返す青年に頷いて見せ、手を差し出した狩野 峰雪(
ja0345)に、その身柄を預けた。
彼女は殺さない――今は、まだ。
「あなた、幼稚園の子供達と約束があるんだよね?」
ついでに頼みたい事があるからと、峰雪がその背を押す。
「幼稚園から外に出ないように、園児たちを守っていてもらえるかな」
なに、難しい事はない。
「園児たちと一緒に、楽しく歌っててくれれば良いんだよ。いつもと同じ様にね」
楽しい歌に夢中になれば、黙っていても子供達はその場から動こうとはしないだろう。
下手でもいいから、純粋に歌うことを楽しんでいるような合唱を。
「歌うことにルールは無いからね、好きなようにすると良い」
ここまで聞こえるくらい、大きな声で歌ったり、踊ったり、笑ったり。
そんな賑やかで楽しそうな子供達の声を届けてほしい。
彼女の耳に――いや、心に。
青年はこくりと頷き、駆け出して行く。
「大丈夫だとは思うけど、念の為にあたしが付いて行くね」
アサニエル(
jb5431)は青年の後に付いて幼稚編へ向かった。
彼女について調べるなら、まずは彼の話を聞くのが一番の近道だ。
「顔見知り程度って言っても面識はあるわけだし、何かしら手がかりはあるでしょ」
わからなければ警察に問い合わせても良い。
撃退士からの要請なら、個人情報もある程度まで開示される筈だ。
所属していた事務所がわかれば、経歴や持ち歌もわかるだろう。
直接出向いている時間はないから、問い合わせは電話やメールになるだろうが――
「失礼かもしれないけど、緊急事態って事で勘弁してもらおうか」
とにかく、出来るだけの事はしてやりたい。
「今回ばかりは特に大きな被害が出てないし、無念ぐらいは晴らさせてあげるのも偶にはね」
彼女の目の前に飛び込んだ亀山 淳紅(
ja2261)は、自身の周囲をナイトアンセムの深い霧で覆い、ブヨブヨ達に認識障害を与える。
だが、彼女には絶対に当てない。
「認められないの、悔しいです」
正面に立って、真っ直ぐに見上げた。
「皆に置いてかれるの、凄い苦しいです。楽しい、好き、だけやいられないの、わかります」
好きだからこそ、好きなだけではいられない。
もっと、もっと…どこまでも高く、遠くへ行きたいと思う。
「だって、自分の『一番得意なこと』で『一番好きなこと』やもん」
だから苦しくて、でも、やめられなくて。
「貴方は捨てられへんかった。好きやから。歌が、死ぬ程好きやったから」
その両手をとって、淳紅はそっと後退を始めた。
ブヨブヨから引き離す様に、仲間の攻撃から遠ざける様に。
「さて、どの程度まで意思が通じるか知れませんが…」
偽翼で宙に舞った揺籠は、淳紅に手を引かれた彼女が射線から外れた事を見極めると、鬼術『炎叫』を放った。
吐き出された紫煙が紅蓮の炎となって、黒い塊を呑み込んでいく。
「かつて歌は戦いに向かう者のものでした」
名残の紫煙を引きながら、揺籠はゆっくりと地上に降り立った。
「自身を奮い立たせ、決して振り返らず、歌いながら飛び込み、死んでいくような――」
でも、今は違う。
「その点、今世の歌は自由で楽しくて…俺は好きですよ。姉さんはどんな歌がお好きなんで?」
答えは今、アサニエルが調べてくれている筈だ。
それがわかれば、皆で一緒に歌ってみようか。
「ふむ、この高さまでは飛び上がれん様だな」
闇の翼で舞い上がったチョコーレ・イトゥ(
jb2736)は、ブヨブヨを上空から魔法で狙い撃ち。
「邪魔だ。さっさと消えるがいい」
だが、その中心に静かに佇むものには当てなかった。
(俺には人間の心情など理解はできない、が――)
このままこのディアボロを倒してしまうのもなにかひっかかる。
第一、反撃もして来ない。
ただひたすら、同じ言葉を哀しげに繰り返すだけだ。
「歌への未練がディアボロ化したあとにも残っている…のか?」
普通なら記憶も感情も、何も残らない筈だが。
わざと残したのだろうか。
(いったいどんな奴だ。つまらない人形を作りやがって)
今も何処かで観察しているのではないだろうか。
この人形が嘆き悲しみ、壊れて行く様を、笑いながら。
だったら――悔しがらせてやる。
コイツを作った悪魔を。
「好きだったはずの歌なのに、認められることが目的に変わってしまった悲劇なんだろうね」
峰雪は彼女の行く手を阻みつつ、飛び掛かって来るブヨブヨを撃ち落としていく。
まるで音符の様に見えるこれも彼女が作り出したものなら、音楽に相当な未練が残っているのだろう。
「純粋に歌が好きだったことを思い出させてあげられたらいいのだけれど」
人が歌を口ずさむのは、嬉しい時や楽しい時、幸せな気分でいる時――他の人の歌に釣られて、つい…というのもあるだろう。
「歌う幸せを思い出させてから逝かせてあげたいね」
ケイはブヨブヨを挑発する様に銃撃を浴びせつつ、彼女から離れていった。
(歌を諦めた人…心から好きだからこそ、嫌いと言ってしまう今)
気持ちはとても分かる。
(だけど。やっぱり本当は歌が好きなことに間違いはない。心から嫌いなら、歌のことすら口に出さないハズよ)
歌を愛する者の一人として、何とかしてあげたい…彼女を救いたい。
どうすれば救う事が出来るのか、確かな答えは見付からなかった。
けれど、彼女が心から歌を愛しているのなら、きっと――
「さっさと終わらせて――始めましょう、彼女の…最後のコンサートを」
仲間達に声をかけて注意を促し、ケイと峰雪がナパームショットを放つ。
その範囲から逃れたものは揺籠が蹴り飛ばし、チョコーレが魔法で止めを刺していった。
そして、残ったのは彼女ひとり。
「倒すのは可能…ですが、このままでは彼女が不憫で御座いますね」
AL(
jb4583)が頷く。
積極的に攻撃してくる様子はないし、仲間達に何か考えがあるというなら――
「僕も微力ながらご協力させて頂きます」
「なら、ここで足止めお願い出来るやろか!」
準備が出来たら連絡すると言い置いて、淳紅は何処かに飛び出して行った。
「それじゃ、俺はどこか最後の舞台に相応しい場所でも探して来ましょうかね」
揺籠がふらりとその場を離れる。
待っている間に、ALは彼女に話しかけてみた。
「誰かに認められるために歌を歌うのか、歌を歌いたいから認められたかったのか…心中お察し致します」
『キライ、キライ』
「僕は…芸術にナンバーワンは無いと思います」
『キライ…』
「でも心のこもった歌は、確かにこの胸の奥を熱く躍らせてくれる…其れだけは確かなことです」
『ダイキライ』
それでも構わず、ALは続けた。
「本当は、この気持ちが好きなのですよね?」
返事はない、けれど。
「今はただ、心行くまで歌ってみては如何でしょうか」
自分達も、それに合わせて歌うから。
皆で歌えば、きっと楽しいから。
「さっきからお前は『ウタナンカ、キライ』だと言っているが…」
今度はチョコーレが話しかけてみる。
「その話し方、まるで歌のようだぞ?」
彼女に意思や心があるなら、この一言に対して何かしらの反応がある筈だ。
しかし、彼女の中で何かが動いた様な気配は感じられない。
それでも。
「お前の境遇はきいた。どうだ、ひとつ俺達にお前の歌を聴かせてみてはくれないか?」
言葉は通じなくても、歌やメロディなら。
「俺が知ってるのは…そうだな、これは知ってるか?」
人間界で覚えた曲を鼻歌で歌ってみる――サビしか知らない様なものまで、片っ端から。
「どうだ? お前も歌ってみせてくれよ」
鼻歌でフンフンしながら手拍子を交え、ついでに振り付けも入れて踊りながら――
彼女はそれを、じっと見ていた。
目を離さないところを見ると興味はあるらしい。
が、何か決め手に欠ける様だ。
「あなたの歌が、上手すぎるんじゃないかな」
「なに…?」
峰雪の言葉に、チョコーレが目を丸くする。
「お行儀が良すぎる、と言った方が良いのかな」
例えば――
「ほら、聞こえてきた」
風に乗って流れて来たのは、歌と呼ぶのも憚られる様な、元気すぎる声。
音程もリズムも無視して、何にも縛られず、上手く歌おうとも褒められようとも考えず、ただ歌いたいから、楽しいからというだけの理由で、好き勝手に歌い、笑う。
「あなたにも、そんな時代があったんじゃないかな」
純粋に歌を愛し、楽しむ事に幸福を感じていた時代が。
彼女の足が、ゆっくりと動き出した。
まるで、歌の聞こえる方へと吸い寄せられるかの様に。
「それでは、参りましょうか」
ALが先導し、彼女を「ある場所」へ導く。
そこは、稲刈りが終わった田んぼだった。
すぐ近く――と言っても安全な距離は保たれているが――に幼稚園の建物が見える。
その畦道に、何かが出来上がっていた。
「ステージって大事やろ」
頑張った淳紅が、ドヤ顔で胸を張る。
「あそこ立つと、観客全員見える。ぞくぞくする」
にふ、と笑って指差した「ステージ」は、三枚重ねたスノコの台。
その背後にホワイトボードを立て、両脇にはスピーカー、真ん中にはマイクスタンド。
学芸会で使ったものらしい桜のハリボテが、ほんの少しだけ華やかさを添えていた。
幼稚園とはネットの生放送でセッションも可能だ。
「そうだ、こんなのもあったんだ」
チョコーレが取り出したのはハンディカラオケ。
「コレを使ってもいいぞ?」
近くに停めてある軽トラから電源を引いて、セッティング。
「夢は大人が子供に見させるものだけど、たまには大人が夢見たって罰は当たらないよ――ね、フーコ」
本名、斉藤風子。芸名、フーコ。
それが、アサニエルが調べた彼女の正体。
よくオーディションで歌っていた得意曲をセットし、カラオケで流してみる。
スピーカーからギターの音色と、デタラメに歌う子供達の歌が鳴り響き、それに興味を惹かれた人々がぽつぽつと集まり始めた。
アサニエルは彼等と共に一段低くなった田んぼに敷いたブルーシートに座り、拍手をして、観客であることをアピール。
「どうかこの場所で、貴女の『歌』を思い出し下さいませ」
ALが声をかけた。
ケイは自らも小声で歌いながら、フーコの手をとってステージへ導いてみる。
どうか、彼女の歌が好きな心が戻って来ますように――そう願いながら。
「見せたくないなら誤魔化せばええ」
淳紅が持っていた浴衣を頭から被せ、観客の目から傷跡を隠す。
「化粧と一緒やん?」
ディアボロは気にしなくても、きっと「フーコ」は気にするだろうから。
淳紅はショルダーキーボードを鳴らし、声を張り上げ、彼女の代わりに楽しげに歌う。
叫ぶように、歌うように。
(無いかもしれない心にだって、届け!)
ここには無くても、きっと何処かにある。
見えないものなら、何処にあったって良いじゃないか。
空の上でも、土の下でも、風の中でも――
「歌に力はあります」
観客席で手拍子をしながら、揺籠が言った。
「自身への鼓舞であったり、誰かへの励ましであったりは様々ですがね」
歌を聴いて励まされた、それは意外と長く心に残るものだ。
例え死んでも、それは生きていた確かな証になる。
「さて、貴女がその声を届けたかったのは、誰ですかぃ?」
この場にその「誰か」がいなくても、きっと届くから。
声に乗せた想いはきっと、どこまでも――
「最期にもう一度歌ってみませんか」
「百万回駄目でも、百万と一回目はって! これが、きっと最後の百万一回目…後一回だけ、今度は皆で、夢を歌いませんか」
自分の声が嗄れるのも構わずに、淳紅は叫んだ。
「一緒に、歌いましょう!」
その時、アサニエルの携帯が震えた。
「これなら歌ってくれるかもしれないよ」
ダウンロードされた音源をスピーカーに繋ぐ。
流れて来たのは誰も聞いた事のない、けれど、とても優しく、静かで…美しい音楽だった。
「フーコが自分で作った曲だよ、事務所の人に探してもらったんだ」
それは、オーディションに勝つ為の歌ではない。
ただ、好きだから。歌いたいから。
誰の為でもなく、自分の為だけに歌われた歌。
「でもこれが一番良い、最高の出来だって、事務所の人も言ってたよ」
アサニエルが手拍子を送る。
シンプルなピアノの伴奏にギターが重なり、淳紅のショルキーがアレンジを加え、ケイのコーラスが彩りを添える。
フーコはただ舞台に立ち尽くしているだけだったが、その姿はとても穏やかで、満足げに見えた。
そうであって欲しいと願う心が、そう見せているのかもしれないが――
「うん、よかったぞ」
チョコーレの拍手がフーコを称えた。
観客席のあちこちからも、スピーカーからも、拍手が湧き起こる。
ステージに立ったフーコが、ぺこり――頭を下げた。
「夢を見たのがいけなかったのか、夢が叶えられなかったのがいけなかったのか…」
全てを終わらせた後で、アサニエルが呟く。
「貴方様は、彼女に申したいことはなかったのでしょうか?」
ALの問いに、青年は自嘲気味に首を振った。
「何か言えるほどの間柄だったら…」
もしそうなら、こうなる前に救えたかもしれない。
今はただ、その最期が満たされたものであった事を願うしかなかった。
いや、きっと大丈夫だ。
「美しいです…何かに一生懸命になれる姿というものは。だから僕は、人間の方々が好きです」
それに、夢を見ない人生というのも味気ないし。
「ふふ、僕の夢は…魔法少女で御座います」
「それは…うん、すごいね」
応援してるよ。
強く願えば叶わない夢はないからね、きっと、多分。
そして一行は改めて、青年と一緒に幼稚園の慰問へと向かった。
協力に礼を言い、借りた備品を元に戻し――
「音楽は音を楽しむモノ。楽しく…彼女の分まで…」
ケイは青年のギターに合わせてオルガンを弾きながら、覚えたばかりの歌を子供達に披露した。
作者はもう、この世にはいない。
けれど。
あの歌声は、忘れない。
この歌も、きっと皆に歌い継がれるだろう。
「凄い素敵な歌声やん」
後日、昼休みの学園内にフーコの歌声が響き渡った。
「メジャーデビュー! とはいかんけど…空の向こうにだって、きっと聴こえるで。な?」