「先生とリュールさんに、お客様なのですよー」
帰宅早々、何か手伝おうと申し出た門木の背中を、シグリッド=リンドベリ (
jb5318)がぐいぐいと押した。
押し出された先では、アレン・マルドゥーク(
jb3190)が微笑んでいる。
その手には、お馴染みのメイクとスキンケアのセットがしっかりと握られていた。
リュールが隣に並んだところで、改めてご挨拶。
「はじめまして、堕天使のアレンです。先日の旅行でアルバムを届けて貰った者です」
正確にはその中身の写真を。
「確か腕の良い魔術師…いや、何と言ったか」
「美容師、ですねー」
リュールの問いに、アレンはにこにこと答えた。
「人間の世界には若返りの魔法はありませんが、化粧という技術が発達しているのです」
そもそもの始まりは、人界で行き倒れているところを人間に保護された事にある。
その恩人の仕事を支援しようとヘアメイクを勉強し、以後そこから様々に発展した結果、現在に至る…という訳だ。
「門木先生とは話せば長い事ながら(この間五分)という感じの仲です。度々お付き合いいただいています」
主に新しく覚えたメイクやファッションの実験台として。
「そこで今回も是非モデルになっていただきたく…」
とは言っても、これはお願いではない。
命令である。 ※表現には誇張が含まれています
時は遡って、数日前。
「そういえばそろそろセンセの誕生日なんだよね、お祝いしなくちゃ」
カレンダーを見た鏑木愛梨沙(
jb3903)が、その日付に花丸の印を付けようと赤ペンに手を伸ばした、その時。
「あ、ちょっと待って」
脇から伸びた手がそれを制した。
「こういうのはサプライズでやると楽しいのだ」
顔を上げて見れば、青空・アルベール(
ja0732)が悪戯っぽい笑みを浮かべている。
「先生は忘れてるみたいだし、内緒で準備して脅かすのも良いかなって」
だから印を付けるのもナシね。
「あたしも、章治せんせいのお誕生日のお祝いをしたいの…」
噂を聞きつけた華桜りりか(
jb6883)にユウ(
jb5639)、そしてアレンも加わって――
「うん、みんなでお祝いしよ♪」
愛梨沙が頷く。
でも、どうする? 何する?
「誕生日には、やっぱりケーキよね」
こちらの世界に来て一年と数ヶ月、愛梨沙も一通りの年中行事は経験している。
もう間違える事はない筈だ…多分、以前よりは、きっと。
「でもケーキって難しそう」
「それなら…難しくなく、作り手ごとに幅を持たせられるならクッキーなんてどうでしょう」
カノン(
jb2648)が言った。
「苦手な方はオーソドックスでいいですし、得意な方は味を工夫も出来ますし」
材料を混ぜて焼くだけなら失敗はないだろう。
それでも失敗作を作り上げる人物に心当たりがないではないが、あれはきっと例外と言うか、ある意味天才だ。
「私も一緒にクッキー作るよ!」
青空が自信たっぷりに手を挙げる。
「お菓子作りは上手くないけど、たまに見て貰って練習してるのだよ」
そうそう、型抜き得意だよ!
生地作りは…まあ、うん、それなり?
「あ、あの、ケーキはあたしが作るの、です」
りりかが遠慮がちに言った。
当然それはチョコケーキになるわけだが、腕が確かなのは証明済みだ。
「飾り付けはみなさんでしても良いと思うの、です」
それに、時間があれば生チョコやチョコチップクッキーも。
「それならちょっと教えてもらおうかな。まだあんまり自信なくて」
「はい、です」
チョコと名の付くものなら、何なりと。
「みなさんと協力して章治せんせいに喜んでもらいたいの…」
「お菓子は人手十分みたいなのでぼくは食事作りますね」
シグリッドはナッツと揚げレンコンの南瓜サラダやオープンサンド、それに揚げ春巻きの用意を。
「タロちゃん用に味付け無しでねぎ抜きのも作るのです」
でも、その前に飾り付けの準備を。
「お誕生日といえばこれなのです…!」
折り紙でわっかつづりを作ろう!
「リュールさんも一緒に…えっと、鋏の持ち方は…」
うん、知らないよね。
大丈夫、子供の頃に使ってた安全鋏も持って来たから。
その頃、雨野 挫斬(
ja0919)は、いつもの様に高松を拉致っていた。
「ちょっと付き合って」
「ちょ、おい! どこ行く…つかなに腕とか組んでんだよ!?」
文句を言われても右から左、しっかりと捕まえて身体を預け、ぴったり密着。
「歩きにくいだろ!」
とか言いながらも、高松の足は自然と行きつけの喫茶店へ――え、違う?
「酒屋かよ!」
「そーよ? どこだと思ったの? あ、まさかホテルとか!」
「ちげーよバカ!」
「きゃー、こーきくんのえっちぃー」
「言ってねーって! 帰るぞ!」
どう見てもイチャらぶカップルですね、ごちそうさまです。
「でも残念! 今日はデートじゃなくて荷物もちでした! きゃはは!」
挫斬は酒と肴を大量に買い込んで、高松に押し付ける。
「どうすんだよこんなに…まさか一人で飲む気じゃ」
「あ、心配してくれるんだ?」
「してねーし! するわけねーし!」
「はーいはい、良い子だからそうキャンキャン鳴かないの」
高松の両手が塞がっているのを良いことに、挫斬はその頭をくしゃくしゃと撫でる。
実はここからが本番と言うか、何と言うか。
「もうすぐ先生の誕生日なの。男の人の好みとか解らないから一緒に選んでよ」
「は? 何で俺が? つかこれから!? この荷物持って!?」
そういう事は先に済ませて欲しいんですけど!
しかし、何だかんだで結局は最後まで付き合うあたり、やっぱり紳士…と言うか、わりと扱いやすい?
「それと私の誕生日は11月14日よ。期待してるからよろしく!」
「聞いてねーし」
「紘輝君の誕生日は?」
「忘れた」
嘘だけど。
そして当日。
「リュールさんが此方に来てくださり、本当に嬉しいです」
買い物に誘おうとアパートを訪れたユウは、リュールに対して改めて挨拶と自己紹介を。
そう言えば、仕事の資料や写真で顔は知っていたが、本人と面と向かって会うのはこれが初めてかもしれない。
とは言え初対面という気がしないのは、例の旅行から帰った後で、皆から土産話を聞かされていたせいだろうか。
挨拶を済ませ、皆が作るメニュー予定を元にキッチンをチェックして、調理器具や食器類、材料の不足をメモに書き出し…買い物リスト、準備完了。
その手元を覗き込み、リュールは「几帳面だな」とぽつり。
ただし、そこに書かれた言葉は全て暗号の様で、何を指すのか見当も付かないのだが。
「大丈夫です、少しずつ覚えていける様に名前を書いておきますから」
買い物リストにラベルを追加。
これでとりあえず、大さじと小さじを間違えるトラブルは防げる筈だ。
後は実際に使いながら慣れていけば良い――という事で。
「リュールさん、リュールさんもお菓子作りを一緒にしませんか?」
「私が、か?」
「楽しいよ? 皆でやれば、失敗しても笑い話になるのだ」
寧ろ盛大に失敗した方が楽しいと、青空が笑う。
しかしリュールは今ひとつ気乗りしない表情を浮かべていた。
「私も歳だ、今から新たな魔法を習得するのは難しかろう」
「新しく何かを始めるのに歳とか関係ねーのだ」
それに料理は魔法じゃないし。
「何…!?」
しょうげきのじじつ。
「あの、天界ではどのような食事をしていたのですか?」
レイラ(
ja0365)が訊ねるが、天界に帰属する限り、天使には食事の必要がないのだ。
「確かに、様々な食材が料理に変身するさまは、魔法の様だと感じる事もありますね」
ユウが頷いた。
ましてやそれが初めて見たものなら、勘違いするのも無理はないだろう。
「でも、その過程では手間も時間もかかっていますし、きちんと手順を踏めば誰でも作れるものですよ」
上手下手はあるだろうが、普通の家庭料理程度なら特別な才能は必要ない、筈だ、多分。
「ならば、私にも出来るだろうか」
鋏も上手く使えない不器用さんなんですけど。
「大丈夫ですよ。門木先生もリュールさんの手作りの料理…楽しみにしていると思いますし」
レイラがその背を押した。
「では、お買い物に行きましょうか。リュールさんは何がお好きですか?」
何か気に入った食べ物があれば、一緒に作ろう。
「いや、お前達の好みで選べば良い」
リュールはまだ、好き嫌いが言えるほど多くを食べたわけでもない。
今は食事に限らず目にする全てが珍しく、日々新たな発見の連続なのだ。
「食事には飲み物が要るよね」
皆がスーパーの食品コーナーで足を止める中、七ツ狩 ヨル(
jb2630)は蛇蝎神 黒龍(
jb3200)の手を引いてドリンクのコーナーへ。
大きなカートに積み込んで行くのは、勿論カフェオレ…だけじゃないよ。
「普通のコーヒーに、牛乳に、ジュースに…あ、お茶もいるかな。タロには何がいいんだろ」
「カフェオレは飲ませたらあかんよ」
カフェインとアルコールは禁止。
「牛乳も体質によってはあかんらしいね。ペット用のミルクなら大丈夫やろか」
「へえ、ペット用なんてあるんだ」
じゃあ、それで。
後は特製ドリンク用に果物と野菜を買って。
「食紅って、どこに売ってるんだろ?」
「お菓子の材料と一緒のとこやね」
ヨルくんも何かお菓子を作るのだろうか。
ピンクのハート型クッキーとか、作ってくれても良いんだけど、な(ちらっ
野菜売り場では、何故かピーマンと茄子が人気だった。
いや、ほら、ピーマンは特売だったし、茄子は今が一番美味しいし?
「そうですねー秋茄子も美味しい季節ですね」
アレンは商店街を回ってお総菜を見繕う。
茄子の天麩羅、麻婆茄子、焼き茄子に漬け物――
「ピーマンと茄子の甘味噌炒めも良いですねー」
青椒肉絲に、ピーマンの肉詰めは普通に焼いたものと、更にフライにしたものを。
「カッパ巻きも外せませんねー」
あ、胡瓜の浅漬けも。
「今日は門木先生のお誕生日パーティなのですー」
店の主人にそう言えば、魔法の呪文でおまけが付いたり、増量、割引の大サービス。
商店街って素晴らしい。
事前の準備を整え、買い物を終え――現在。
「さて、今日はどんな感じのイケメンにしましょうかね〜」
二階の空き部屋に門木を連行したアレンはまず、門木のぼさぼさ髪を整えて…今回はそう若返らせる必要もないだろうか。
(お母様もきっと、そろそろ見慣れた頃でしょうし〜)
そうそう、お料理教室が終わったらリュールも呼ばないと。
元が良いだけに、それ以上に良く見せるのは難しいだろうが、そこが腕の見せ所だ。
その間に、キッチンでは料理担当がそれぞれに腕をふるう。
食べる専門の面子は、代わりに会場のセッティングを。
「広い共有スペースは、こういう時に便利ですね」
作業の様子を横目で見ながら、カノンは泡立て機を握り締める。
(今回は失敗菓子を出すわけにもいきません。頑張りましょう)
気合い充分、と言うか入りすぎではないだろうか。
「もっと気楽に、肩の力を抜くと良いのだ」
隣に立った青空が、色々な形の抜き型を調理台の上に並べる。
ハートに犬や猫の顔、星型にジンジャークッキーの様な人型、花の形や車、飛行機――野菜や果物の形もある。
「普通に丸くして、チョコペンで顔とか書いても可愛いかも」
プレーンにココア、抹茶味――
「カノンはどんなの作るの?」
「え? 私ですか? 勿論オーソドックスに、形も普通に丸で…余計な手を加えるとすぐに分からなくなr」
げふん。
「ではなくて、初めてだろうリュールさんに教えるにも、まずはシンプルなものが良いと思いますし!」
あまり上達が無い事を知られたくない乙女心。
でもね、シンプルという事は形やデコレーションで誤魔化しが効かないという事でもあるんですよ、お嬢さん。
つまり、おにぎりと同じくらいハードルが高いという事になりますが…うん、頑張れ。
「皆さん、注意点の一つですが、お菓子作りは分量が命です。面倒だとは思いますが、その点だけは気をつけましょう」
ユウのアドバイスに、愛梨沙は神妙な顔で頷く。
「チョコレートケーキを作るのでしたら、バターを使うよりも生クリームを使うと卵と分離しづらいので失敗が少なくなりますよ」
レイラに言われて少し考えてみるが――うん、ケーキは本職がいるし。
「あたしはココア生地のチョコチップクッキーにしようかな」
分量を正確に計って、ボウルに入れて。
「混ぜる順番って、これで良いのかな?」
「そうですね、だまにならないように気を付けて…」
勿論、勢いよく混ぜすぎてボウルの中身を飛び散らせてもいけません。
リュールさん、あなたの事です。
「むう、料理とは難しいものだな…」
それまだ料理って呼べる段階じゃない気がするんですkいいえなんでもありません。
「料理はまず、楽しむ事が大事ですよ」
ユウに言われて、リュールは再挑戦。
今度は上手く出来ると良いな。
慣れてきたらバターを使ったパウンドケーキ作りも簡単で良さそうだが、まずはクッキーでしっかり基本を身に付けないと、ね。
隅の方では、ヨルが特製のパプリカジュースを作っていた。
パプリカ(仮)とイチゴにバナナ、キウイ、パイナップル、リンゴその他をざっくり刻んでミキサーにぶち込み、牛乳と一緒にがーっと。
あれ、カフェオレは入れないんだ?
「うん、この前はそれで失敗したのかなって」
なので今回は、代わりに果物で甘味を加えてみました。
今度はきっと美味しい筈、味見はしないけどね!
クッキーが焼ける間に、青空は窓ガラスに可愛いシートを貼ったり、テーブルに花を飾ったり。
「うん、だんだんパーティらしくなってきたね」
後は焼き上がった大きめの猫クッキーに皆の名前を書いて。
「ネームプレートなのだ」
タロの名前は骨型クッキーにクリームで書いて、専用の台に。
テーブルの中央には様々な種類の大皿料理が並べられ、ジュースやお菓子が配られ――
そろそろ、良いかな?
「では、いきますよ…!」
シグリッドが配ったクラッカーを手に、皆が階段の下で待ち構える。
やがて年季の入った板がギシギシと軋む音が聞こえ――
「お誕生日おめでとうございます…!」
「センセ、お誕生日おめでとう♪」
後の声はクラッカーの音にかき消されて、よく聞こえなかった。
「…え…? 誕生、日…あ、今日…?」
肝心の主役は、思いがけない祝福に目をぱちくり。
「サプライズ、成功」
誕生日の正装(と本人は頑なに信じている)メイドコスに身を包んだヨルが席までエスコート。
そこに大きなチョコケーキを捧げ持ったりりかが静々と現れた。
「章治せんせい、お誕生日おめでとうございます…です」
ケーキに使われているチョコは、カカオ豆から作った本格派だ。
生クリームや苺で飾り付けられ、クッキーのプレートには「おめでとう」の文字、そして実年齢と同じ48の数字キャンドル――だけだと少し寂しいので、周りにも細いキャンドルを立てて。
「チョコは幸せの味なの…だから幸せをお裾分け出来たら嬉しいの、です」
部屋を暗くして、キャンドルに火を点けて、皆で歌を歌って――
「一気に吹き消すのですよー」
せーの、ふー!
「せんせーの1年が幸せに満ちたものになりますように…!」
「生まれてきてくれた事に、出逢えた事に感謝を、なの…」
拍手と祝いの言葉が門木の周囲を温かく包む。
「…うん…ありがとう」
あれ、目が赤い。
どうしたんだろう、ゴミでも入ったのかな?
そこはさりげなく見ないふりをして、まずは料理が冷めないうちに――乾杯!
「って、ちょっと待て」
ミハイル・エッカート(
jb0544)が、自分の席に配られたグラスの中身をまじまじと見つめる。
匂いは牛乳で割ったフルーツジュースの様だが…何だ、この毒々しい程に赤い色は。
「あ、特製ドリンク・バージョン2」
メイドさんが、さらりと答えた。
「前、パプリカなら平気って言ってたから。今回はこれと果物と牛乳しか入ってない」
これ、と言って見せたのは、食紅で真っ赤に染められた…どう見てもピーマンです。
「パプリカ、だよ?」
ピーマンに色が付くと、パプリカと名前が変わるのだ。
魚も成長すると名前が変わるものがあるけれど、あれと同じでピーマンもきっと縁起の良い野菜なのだろう…赤もおめでたい色だし。
「だから大丈夫」
「どこがだ、俺をマジで葬るつもりか!?」
ミハイル、サーチトラップON!
すると、料理に隠されたピーマンの姿が次々と明るみに…いや、見ればわかるね。
「この揚げ春巻きにも入ってるだろう!」
それに、この緑色のクッキー。
これ見よがしにピーマン型をしてはいるが、これは引っかけだ。
「本物はこれだな!」
微塵切りにされた何かが香ばしく香り立つ、この何の変哲もないクッキー。
サーチトラップがなければうっかり食べるところだったぜ。
「誰だ、こんな凶悪な罠を仕掛けたのは!」
いや、罠じゃないし野菜のクッキーは普通に美味しいし。
「折角ですから、誰が何を用意したかを先生に当ててもらうゲームをしてみてはどうでしょう」
カノンが言った。
「思いつきなので景品までは、ですけど…当てたら、当てた相手に一つお願い出来るとか?」
それは結構魅力的な提案だが、ちょっと難しくないだろうか。
いや、まあ、ほぼ確実に正解がわかるものは、あるけれど。
(…あれ、お袋…だよな)
泥の塊にしか見えない何か。
多分クッキー。
でも言えない、当てちゃいけない気がする。
「…ごめん、降参だ」
その割には嬉しそうに、門木は首を振った。
「…お願いはもう叶えてもらったし、な」
これで充分。
それより、皆のお願いが聞きたい――強いて言えば、それが願いだろうか。
夢でも希望でも良い、話しても構わない事であれば、聞いてみたいのだが。
「夢とか野望ですか? …ぼくの望みは今までも、これからも変わらないのですよー」
シグリッドはブレない。
「せんせーを護る事なのです。そしてお嫁さんに」
こくり。
なるのでもするのでも、リバースでも!
「…う、うん…ありがとう」
門木は相変わらず色々わかってない感じだが、でも諦めない。
ライバル盛りだくさんな気もするけれど、だからといって何もしないでいたら、死ぬほど後悔するだろうから。
(夢? センセ…ナーシュのお嫁さんになれたら嬉しいけど)
愛梨沙は門木にちらりと視線を投げる。
「あたしはセンセの家族になりたいな」
でも、それは既に叶っている。
「今って家族みたいなモノでしょ? だから今が幸せ。この幸せがずっと続くと良いなぁ」
記憶は戻らなくていい。
怖いから。
記憶が戻って今の幸せが壊れるくらいなら戻らなくて良い。
みんなが居るから寂しくないし。
「あたしは…忘れている事を思い出したいとも思うの、です」
りりかも記憶喪失者。
「でも、記憶をなくすなんて…きっとあまり良くない事があったんじゃないかとも思って少しこわいの」
昔より今を楽しむのが大事、とも言われるから。
「だから、強くなりたいの…です」
昔を思い出しても受け入れられるように、今は前を向く。
「あとは…唯一無二がほしいの、です。あたしだけの…」
「…うん、見付かると良いな」
門木はその頭をそっと撫でた。
りりかの頬が桜色に染まる。
「章治せんせいは兄さまみたいなの…兄さまがいたら章治せんせいみたいだと良いな、です」
それから、希望をもうひとつ。
「あ、あたしもここに住みたいの…です」
入居希望者がもうひとり。
「私ここに住まわせて頂いても良いですか?」
アレンは恩人の家で住込みの家政夫をしてるが、家出していた息子が帰って来た為に、通いにしようかと考えていた所だったらしい。
勿論、二人とも大歓迎だ。
「ありがとうございます〜」
あ、そうそう、夢の話だっけ。
「私の希望は全部の世界が仲良く平和に暮らせる事ですねー」
そもそも天使と悪魔は、どうして争っているのだったか。
食糧争いなら精神と魂で食べるものが違うのだから、仲良く分け合えばいいのに。
「あ、勿論ダルドフさん程度にですよ?」
その名を聞いて、リュールの眉がぴくりと動く。
(いや、まさかな)
あれが生きている筈もない。
生きていたとして、今更どんな顔をして会えば良いのか。
その様子を見てユウが口を開きかけた。
が、まだその時ではないのだろうと思い留まり、代わりに――
「私の夢は…天も魔も人も狭間の者も関係なく笑顔で居られる、このような時間を広げていくことですね」
多くの者を壊し、此れからも壊していく自分に、その様に願う資格は無いのかもしれない。
でも、願ってくれた人が居た、そしてそうでありたい自分が居る。
「だから、笑顔の輪を広げていきたいです」
この世界は勿論、天界や魔界、まだ見ぬ世界があるのなら、そこにも。
「俺も同じかな。人、天使、悪魔、皆仲良くなれればいいなって」
ヨルが言った。
「…俺のいた冥界ってね、いつも雲に覆われてるんだけど、その雲の先に何があるかは多分誰も知らない」
でも人間は飛べないのに、雲よりももっと高い所を知っていて――
「もし人と天魔が仲良くなれたら、俺達もあの冥界の雲の先を知る事も出来るんじゃないかって」
そんな風に自分達の世界の知らない部分を見つけられたら、きっと楽しいだろうと…そう思うようになった。
「自分からはぐれたのにね」
でも、見捨てたわけではないのだろう。
見限ったわけでも。
「あ、天界も見てみたいな。まだ行った事ないから」
黒龍の場合は――
「ボクの願いはいわずともがな」
ええと、ヨルくんをお嫁さんにすること、かな?
「後は人が人を大事に思い、人の歴史を大事に思い、その歴史を隠すことなく認めそして歴史として認めること。色んな産物の記録を大事にしていくこと、やね」
青空は「家族は一緒にいるべき」と、その想いでここまで来た。
でも、この先は?
そう考えると、よくわからない。
「人が色々考えて生きてるみたく、天使だって色々考えて生きてるんでしょ?」
きっと、悪魔も。
「…じゃあ、それを変えろって言うのは、お互いに難しいよね」
難しい、けれど。
「でももし友達になれるなら、それはすごく素敵なことだと思うのだ」
実際、ここではそれが実現出来ているのだし。
「だから門木先生が言うなら頑張りたいなーって思う」
「…ありがとう」
でも頑張りすぎない様に、ね。
「願い…願いですか」
暫く考えて、カノンは答えた。
「少なくとも私は天界の姿勢をおかしいと思い堕天した身ですが…」
正直に言えば最初はただの『反発』だった。
「でも、先生とリュールさんのこと、アロン達との戦い。それを経て、『秩序』という名の縛鎖が天使さえも苦しめていると確信しました」
ならば、願いは。
「天界に新しい、縛るのではなく良く律する為の秩序を作ること、でしょうか。それが、天界の頂上に立つということなら、そうしてでも」
「…何も壊さずに出来るなら、それが良いのかもしれないな」
犠牲も代償もなく何かを変えるなんて、無理な願いかもしれないけれど。
でも、その前に。
「…縛られてるのは、お前も同じかな」
その服、とか。
もう少し楽になっても、誰も文句は言わないだろう。
「…ゆったりした服とか…似合うと思う、し」
「私は特にないかな」
挫斬はちょっとふざけた様子で、軽く言ってみた。
「あ、でも皆の事は好きだから皆の夢は手伝いたいかも。うん、私の夢はそれね!」
だって言えないし。
天使も悪魔も人間も全員解体して気持ちよくなりたい、永遠に戦いたい永遠に解体したい永遠に気持ちよくなりたい、それが私の願い――なんて、そんなこと。
でも嘘は言っていない、皆の事が好きなのは本当だ。
だからこそ。
(願いが叶う前に死ぬ、それが私の夢)
壊れた自分の狂った願い。
それが叶ってしまったら、皆が不幸になるから。
(全力で止めに来そうなのが問題だけどね)
お人好しにも困ったものだ。
悪くない、けれど。
(夢や希望?)
ミハイルは鼻で笑う。
(そんなもの、既に諦めた。強くなって会社に戻り、裏の仕事をするのが俺の役目)
なのに揺らいでいる。
(会社を辞める?)
結果は逃げるか殺されるかだ。
(待て、俺は辞めたいのか? いや、そんなことは…)
いっそここでピーマンの罠にかかって暗殺された事にすれば――
いや、ないから。
「俺の希望か、もう叶っている。この心地よい場所で十分だ」
強いて言うなら。
「先生、ここにあるピーマンをすべてパプリカに突然変異させてくれ! それが俺の希望だ!!」
「…よし、わかった」
え? 出来るの? うそ、ほんとに出て来たよパプリカ――
「ってこりゃ食紅で染めたピーマンじゃねえか!!」
撃つぞ!
「なら、これでどうやろ?」
黒さん特製のパプリカ満載オードブルで手を打ちませんか?
「何でも食べなきゃ強くなれないって私の主言ってたけど、ミハイルは強いのにどうしてピーマン食べねーのだ…?」
出されたもの全てを美味しそうに食べながら、青空が首を傾げる。
「強い奴にも弱点はある、それが人間味ってもんだろう」
そう言われれば、そうかも?
「でもわかる気がする」
愛梨沙は最近食べた漬物のせいで茄子が苦手になったらしい。
「茄子なんてヤダ食べたくない」
でも、さっき美味しそうに食べてたのはユウ特製アップルパイに見せかけた茄子パイだけどね!
「えっ、うそっ!?」
食べちゃったどうしよう、でも気持ち悪くは…ならないみたい?
「リュール、ちょっと聞いて良いかな」
ヨルが真剣な表情で訊ねてくる。
「『恋』とか『愛』って何?」
その途端、辺りは水を打った様に静まりかえった。
「俺自身はまだよくわからない…けど、知りたい。黒の為にも」
「わからないなら、焦る必要はあるまい」
想いの形は人それぞれ、他人に訊いてわかるものではない。
「だからこそ、すれ違いや失敗もある…が、それも醍醐味だな」
ところで、リュールさんの恋愛事情は――
あ、ガン無視された。
「じゃあ質問を変えるね!」
酒をドボドボ注ぎながら挫斬が訊いた。
「お母さん的に息子の嫁の必須条件は?」
「…裏切らないこと、だな」
お、真面目に答えてくれた。
「前に聞きそびれたけど、この中で嫁にするなら誰?」
だが、今度は笑ってスルーされた。
だったらアルコール度数を上げて、酔わせて聞き出す――え、天使は酔わない?
撃退士も酔わない筈だけど…まあ、効果には個人差がありますという事で。
(新しい生活の始まりですか)
皆の楽しそうな様子を見ながら、レイラはひとり思う。
(喜ばしいことですが、同時に油断せずに備えねばなりません――この小さな世界の幸せを守り抜くために)
という事で、アパートのセキュリティ強化に監視カメラを導入してはどうだろう。
「電気店には確認を取ってありますから、先生さえ良ければ」
だが、門木は気乗りしない様子。
「…安全対策が必要なのはわかるが、な」
プライバシーの問題もあるし、最初から人を疑ってかかる様な事も、ちょっと、うん。
「…折角だけど、ごめんな」
何よりもまず、これだけの撃退士が揃っている所に突っ込んで来る者はまずいない。
そう、こうして皆で集まって騒ぐのはセキュリティ対策でもあるのだ――って言うのは、苦しい?
「美味しいお茶、煎れてきますね」
気にしないでと首を振り、レイラが席を立つ。
お菓子もまだまだあるし…自分で作ったお菓子も食べさせてあげたいし。
最初は一緒に居られるだけで幸せだった。
でも、今は。
ぽつり、シグリッドが漏らす。
隣に座ったリュールにも、聞こえているかどうか。
「ぼくの一番大事な先生の、一番大事な人になりたいのです」
そのイメージとして最適に思えたお嫁さんという表現は、もしかしたら余計にわかりにくかっただろうか。
「なんにせよまずは先生の幸せありき、なのです」
あ、そうだ。プレゼント渡さなきゃ。
「ボーダーブランケット、ねこさんの刺繍入りです」
それを見た挫斬が、門木にこっそり吹き込んだ。
「知ってる? 親しい人へのお礼はギュって抱きしめて耳元で優しくありがとうって囁くのよ?」
ということで。
「はい、誕生日プレゼント。紘輝君からよ」
え?
中身は髭の海賊に剣を突き刺して遊ぶ有名なゲーム、精神年齢的に丁度良いだろうというのは高松の談だが、多分間違ってない。
「って、私にはいいから!」
皆にはしてあげてね、まずはシグ君に。
はい、ぎゅっとして、耳元で――
「…ありがとう」
あ、勿論全員に漏れなくいきますから、覚悟完了した人からそこに並んでね?
その光景は、挫斬が思わず「いいなぁ〜」と呟いてしまう程の破壊力だった様で。
「ちぇ。今度会ったら押し倒してやろうかしら」
覚悟しろ高松。
青空からは、白黒ペアのにゃんこのマグカップ。
「片方はリュールに。誕生日は子供と親の両方祝福されるものって、どっかで読んだのだ」
生みの親ではないけれど、そんなの大した問題じゃないし。
(そういえば、先生の血を分けた家族ってどこにいるのでしょうね〜?)
アレンはふと思う。
願わくば、その出現によってこの家族が壊れる事のないように。
黒龍からはタロとのペアルック(何故)と、リュールには内緒のID付き髪飾り。
「章治せんせい、大好きなの…ですよ?」
りりかからは、桜の花弁を模った生チョコと若草色に桜模様が入った眼鏡ケース、どちらも手作りだ。
愛梨沙からは新しいアルバム。
「これからもいっぱい写真を撮ろう。で、これに貼るの」
家族の思い出の記録だ。
「ページが足りなくなったら新しいのを買って、いっぱい増やそう♪」
ヨルからはやぎの額縁という事で、まずはそこに入れる写真を撮ろう。
三脚とタイマーをセットして、はいパチリ。
どさくさ紛れで愛梨沙に抱き付かれた門木、ちょっと逃げ腰です、が――