東北地方、某所。
大天使ダルドフのゲート前は、金属の光沢を放つ銀色の蜘蛛の群れに覆い尽くされていた。
その上空に浮かぶ、痩せた人影。
「イカれた天使に蜘蛛か」
目の前に現れたその姿を見て、ケイ・リヒャルト(
ja0004)はくすりと笑みを漏らした。
確かにその容貌には、頭にKの字が付く余り印象のよろしくない言葉を連装させる雰囲気がある。
「黒蝶は蜘蛛に反撃の刃を突き付けられるかしら?」
「…変な…ロボ……」
セレス・ダリエ(
ja0189)がぽつりと漏らした感想は、Kとメカ蜘蛛のどちらに向けたものだろうか。
Kはロボットと呼ぶには生っぽく、生身と呼ぶにはメカっぽい。
まあ、どちらでも構わない。
要は倒せば良いのだ。
「ぼっこぼこにするっ、なのーっ」
「ぼっこぼっこにしーてやんよー!」
キョウカ(
jb8351)と紫苑(
jb8416)のちみっこ二人組は、カッコイイポーズ(主観)をビシッと決める。
「久々の強敵でキンチョーしますねー」
そう言いつつも、夏木 夕乃(
ja9092)はちょー自然体だ。
「ダルドフ、彼は今何処で何を考えて身を潜めているんでしょうね…」
ユウ(
jb5639)は行方をくらませたゲートの主に思いを馳せる。
けれど、今問題なのは新たに出現したこの天使。
機械仕掛けのような外見で知性を感じさせない行動、おそらく天界にとっては都合の良い道具なのだろう。
「ここであの天使を止めなければ、ダルドフが行ってきたものが全て無駄になってしまいます。何としても阻止しなくては」
ダルドフが行方をくらませてからもう二週間。
「都合のいい解釈だが、アイツが俺達を認めて任せてくれた以上、やり遂げてみせないとな」
黒羽 拓海(
jb7256)は、新たな敵の様子をじっと観察する。
「それにしても六刀流とは恐れ入る。人間相手にはあり得ない未知の領域だし、慎重にいくとしよう」
まだ、敵に動きはなかった。
こちらが動かなければ、ずっとそのまま同じ場所に居座るつもりなのかもしれない。
だが、だからといってこのまま睨めっこを続けている訳にはいかなかった。
「…さて、今度はゲートをどうにかしないとな」
ファウスト(
jb8866)が言う様に、人々の感情を吸い続けるゲートをこのまま残しておく訳にはいかない。
新たな管理者が現れた以上、今までの様な寛容な施策が続くとは思えなかった。
今回の件にしても、周辺の住人に対して避難又は外出自粛の要請が必要だ。
姉崎なら話も通じやすいだろうと、ファウストは黒田隊の鬼道忍軍に彼女への伝言を託していた。
その伝言は今頃、生徒手帳に書かれたメモとして、彼女の手に渡っている筈だ。
内容は三つ。
ダルドフは撤退し、生存はしているが現在行方不明であること。
支配者が変わり、いつ住民に牙を剥くわからない状況であること。
信用できる住民にもこの状況を伝えて欲しいこと。
(彼女のことだ、それを聞いても狼狽える様な事はないと思うが)
寧ろ今頃、受け取った生徒手帳を見て大笑いしているのではあるまいか――あの顔で生徒、とか。
まあ確かに、大学生に対して「生徒」はないだろうと思わなくもないが、学園側でそう決めたものは仕方がない。
それはともかく。
黒田隊の隊員達にも、何か誤解されたかもしれない。
彼としては精一杯の誠意をもって頼み込んだつもりなのだが――何しろこの尊大な言葉遣いと三白眼、何か間違ったメッセージが伝わってしまったとしても不思議はなかった。
「ふぁうじーたは、こわくない、だよ?」
「そうでさ、ちょいとばかし目つきがわるくて、やたらえらそーで、しゃべりかたもこんなですけどねぃ」
紫苑ちゃんそれフォローになってない。
いや、自分がどう思われようと構わないのだ。
ただ伝言が正しく伝わり、彼等を危険から遠ざける事が出来るなら。
(姉崎達もまた奴から託された者達だ。しっかり護らねばな )
ちみっこ達も内心では心配でならないが、彼女達には戦うすべがある。
それに、自分でこの戦場に立つ事を決めた者達だ。
「…無茶はするなよ」
それだけ言って、ファウストは隊列を離れた。
「ふぁうじーたも、むりしちゃだめ、なのっ」
「そうでさ、なんせとしよりなんですからねぃ」
ファウストは素直に心配してくれたキョウカの頭を撫で、ニヤニヤと笑う紫苑の頭は小突いて……やろうかとも思ったが、やっぱり撫でて。
彼は知楽 琉命(
jb5410)と共に、黒田隊の大半を率いてメカ蜘蛛の拡散防止と殲滅に当たる事になっていた。
「私が敵の攻撃を受けるから回復でサポートしてちょうだい」
影野 明日香(
jb3801)は黒田隊のアストラルヴァンガードを引き抜いて、共に前列に立つ。
防御力に自信はあるが、最大で六回の攻撃を受けるとなれば、喰らうダメージも半端なものではないだろう。
アウルの鎧と神の兵士はまず欠かせない。
「なーなー、おっちゃん!」
紫苑は黒田に近付き、服の裾を引っ張るとニカッと笑った。
「くろ田のおっちゃんとこは、一人も人しにがねーって本とですかぃ?」
「ああ……まあ、な」
「すげぇでさ!」
キラキラ輝く目で見つめられると、運が良かっただけだとは言えなくなる。
「ならこんかいもそうなるようにしねぇと」
にやっと笑って、紫苑は言った。
「おれ、おっちゃんがほしいでさ!」
いや、変な意味じゃなくて。
連携要員として、一体の敵を前後と上から囲む為にはキョウカともう一人、盾職が必要なのだ。
聞くところによれば、黒田はディバインナイト。
全員生還のジンクスにあやかる為にも、是非とも欲しい人材だった。
「おれ、よえぇけど、一しょによろしくおねげぇしやす!」
ぺこり、頭を下げる。
自分の娘と同じ年頃の子供にそんな事を言われては、もう守ってやるしかないではないか。
「わかった……だが期待はするなよ?」
撃退士としての実力なら、部下達の方が遥かに上だという自覚はある。
部下達にも近くにいて貰った方が良いだろう。
「ありがと、なのっ」
「おんにきやすぜ、おっちゃん!」
後は隊の中でも精鋭の数人を交えて、Kとメカ鬼蜘蛛に当たる。
「今回はよろしくお願いしますね」
見知った顔を見付け、ユウが丁寧に頭を下げた。
「準備は良いかしら?」
ケイが声をかける。
それを受けて辺りの空気に緊張が走った。
戦闘開始。
直後、メカ鬼蜘蛛達の姿が消えた。
同時にKの姿も見えなくなる。
「まさかKまで迷彩持ってるとかですかねー?」
夕乃が首を傾げるが、考えるよりもまずは行動だ。
周囲に目を懲らし、先程まで敵が見えていた辺りに風景の歪みを探す。
「あれだけの巨体だ、動く時には周囲にも何らかの影響が出るだろう」
拓海が小声で言った。
風の動きや足音、地面に生じる凹みや亀裂……
「近付いて来ますね」
夕乃が頷き、魔女の箒を構える。
黒猫の幻影が、その先から飛び出して行った。
当たる事は期待していない、ただ蜘蛛の注意を逸らすだけで良いのだ。
「今、上手く避けたと思って油断しましたね?」
夕乃はペイントボール……はコンビニでは手に入らなかったので、代わりにキョウカのアイデアに乗っかって一緒に作ったインク入り水風船を投げ付ける。
それは何もない空間で弾けた様に見えたが、垂れたインクが「そこに何かがある」事を示していた。
アイデアの元を提供したキョウカは、更に工夫してインクに油を混ぜたものを投げる。
試作の過程で油の種類によっては風船のゴムを溶かしてしまう事を発見したが、食用油なら大丈夫。
油でも食用には違いないから、ダルドフには叱られそうな気もするけれど――
「たまごよりは、きっとだいじょうぶ、なのっ」
べしゃっと投げ付け、炎焼のスキルで火を点ける。
「あぶらでいっぱいもえるといい、なのっ」
どんな原理で透明になるのか、そんな事は知らない。
けれど、それらの対策はそれなりの効果があった様だ。
鏡面の様に磨き上げられた身体の表面に付いた汚れは、その存在をはっきりと浮き上がらせた。
炎の熱で周囲の空気が揺らぎ、それが歪みとなって蜘蛛の巨大な輪郭を露わにする。
狙いを外したものも無駄にはならなかった。
零れたインクが蜘蛛の周囲に張り巡らされた透明な糸を染め上げ、罠の存在を浮き彫りにする。
しかし、鬼蜘蛛が水滴を払う犬の様に身体を震わせると、その殆どが吹き飛ばされ、火も消えてしまった。
残ったのは地面に張られた蜘蛛の糸のみ。
それを巧みに避けながら、蜘蛛達はゆっくりと近付いて来る様だ。
「それなら、取れにくくしてあげようかしら?」
ケイが足元の土を掴み、セレスに合図を送る。
それだけで、セレスはその意図を理解した。
持って来た水風船――やはりこれも、ボールの代用品だ――をライトクロスボウに取り付け、矢文の様に放つ。
が、V兵器の矢に実体はなく、通常の矢と同じ様には扱えなかった。
「大丈夫、投げても当たる距離よ」
ケイに言われ、頷いたセレスはそれを思いきり投げた。
鬼蜘蛛の身体で弾け、インクが飛ぶ。
その同じ場所に、ケイは泥を投げつけた。
それはインクと混ざって吸着力を増し、更に僅かながらも地面に影を落とす。
常に一部でも見えていれば、それを頼りに大体の位置は把握出来そうだ。
ケイは射程のぎりぎりまで下がってアシッドショットを撃ち込む。
次いで金色九尾の鞭で腐敗の効果を受けた脚を払う――が、本体はピクリとも動かなかった。
八本もある上に極度に硬いとあっては、普通に攻撃したくらいではバランスを崩させるのも難しそうだ。
「押してダメなら引いてみる、それでもダメなら浮かせてみましょう」
しつこい汚れは浮かせて取るのが正しいのだと、夕乃はアーススピアをセット。
「いきますよー、おりゃー!」
蜘蛛の脇にに回り込み、魔女の箒を高く掲げて振り回す。
それは「危険に付き至急周辺領域から離脱せよ」の合図だった。
どこが危険箇所かって?
それは夕乃さんの視線でお察し下さい!
巨大蜘蛛の脚の下を狙い、夕乃はアーススピアを撃ち放った。
地面が槍の様に突き上げられ、その勢いで蜘蛛の脚も僅かに浮き上がる。
そこを狙って、拓海が烈風突で弾き飛ばした。
飛ばされた勢いでひっくり返るかと思ったが、流石は鬼蜘蛛の上位バージョン。
メカ鬼蜘蛛は残る片側の脚を踏ん張り、浮いた脚で宙を掻いて元に戻ろうとしていた。
拓海が烈風突で追撃を加えても、地面に深い爪痕を残して後ずさるのみ。
だが蜘蛛が体勢を当て直す前に、ケイがその軸足にモノケロースを打ち込みつつ接近、潜り込んで鞭を振り上げる。
「関節が固いと言っても、反対には曲がらないでしょう?」
腹の下に潜り込んでしまえば攻撃を受ける怖れはない。
ケイはそのまま、比較的柔らかい腹部に向けて鞭を振るい続ける。
メカ蜘蛛といっても中身まで機械仕掛けという訳ではないらしく、傷付いた腹部からは生温かい体液が滴り落ちて来た。
苦し紛れに吐き出した糸を避けて接近した拓海は、妖刀黒百合を振るって周囲に巡らされた糸を断ち切っていく。
もう一体の蜘蛛にはユウが対処していた。
初期位置から動かずにスナイパーライフルを構え、ダークショットを乗せて撃つ。
脚の装甲が割れ、中の体液が噴き出した。
続けてもう一発、今度は通常攻撃で。
手応えは今ひとつだった。
「見た目は機械の様ですが、CRは通常のサーバントと変わりない様です」
無機質な相手ならCRの影響も受けず中庸になるかと思ったが。
それに、レートを無効にする様な能力もない様だ。
仲間にそう伝えると、エクレールに持ち替えたユウは闇の翼で宙に舞う。
CR差は攻撃するには有利だが、立場が逆転すれば今度は自分が不利になる。
仲間が他の蜘蛛に対処している間は、相手の攻撃が届かない場所から脚を潰していくのが得策だろう。
残る一体は、ちみっこ二人とおっさんが挟み込んでいた。
「まったく、実戦は苦手だと言うのに」
ぶつぶつ文句を言いながらも、黒田はちみっこ達の指示に従い盾を構える。
「キョーカがばーんってして、しーたがどーんってする、なのっ」
よくわからないけど、わかった。
では行きます、エアロバーストばーん!
上方に向けて放たれたエネルギーは、相手を後ろに弾き飛ばす代わりにその身体を浮き上がらせた。
そこに飛んで来た紫苑が巨大な戦鎚を振りかざし、斜め下からどーんと一撃!
その勢いに押されてバランスを崩し、大きな身体が傾いたまま地面に落ちる。
「もういっかいでさぁ!」
浮いた側の隙間から腹に潜り込んだ紫苑が、再び戦鎚を振り上げる。
だが、そこに――
『ひゃひゃっ!』
Kがいた。
鬼蜘蛛の腹に貼り付き、隠れていたのだ。
「いかん、離れろ!」
黒田が飛び出して来る。
しかし、Kの方が早かった。
蜘蛛の腹に貼り付いたまま、Kは翼を伸ばす。
金属片を繋ぎ合わせた鳥籠の様なそれは、あっという間に紫苑の身体を奪い去った。
「しーた!」
キョウカが駆け寄り、取り戻そうとするが、黒田がそれを止める。
「下手に動くんじゃない」
「でも!」
「動きを封じられただけだ。無事に取り返したければ、相手の動きをよく見るんだ」
こくり、キョウカは頷く。
今、Kは蜘蛛の腹を離れてふわりと浮き、自分達を空から見下ろしている。
背中の翼は細く伸び、その先に鳥籠がぶら下がっていた。
中では気配を殺し、身体を小さく丸めた紫苑が、じっと脱出の機会を伺っている。
「クマおじさんに代わって出てきた新しい天使ねぇ…」
Kの登場を待ちわびていた明日香が前に出た。
「あなた強いの? なんなら私が試してあげるわ。かかってきなさい」
その挑発に、Kは乗って来た。
両手に六本の刀を、ぞろりと抜き放つ。
「敵の天使の攻撃はなるべく私が受けるわ。威力も分からないし私が一番受けるのには適してるでしょうからね」
その威力が不明な段階で下手に大勢が前に出ては、一瞬で全滅する危険もあった。
生贄は自分ひとりでいい。
だが、Kがその刃を向けたのは、鳥籠の中の紫苑だった。
鳥籠を目の前に回し、六本の刀を突き付ける。
『ひゃひゃひゃっ!』
それが一閃すれば、紫苑は無事では済まないだろう。
「ちょっと、動けない相手を狙うつもり?」
明日香が一歩前に踏み出す。
「だったら私が受けてあげるわ。その切れ味がどれほどのものか、私の身体で試しなさい」
それとも――
「なーに? 私が怖いの?」
だが、挑発は通じなかった。
Kは相手が小さな子供であろうと、手心を加える気はない様だ。
一片の迷いもない様子で両腕を振り上げる。
が、その時。
両手の刀が弾け飛んだ。
『ひゅっ!?』
Kの喉から声が漏れる。
右は肩、左は上腕。
金属パイプの様な腕から、赤い血が流れていた。
右はほんのかすった程度だが、左の方は出血が酷い。
その目を遠くへ向ける。
右には魔法書を携えたセレスが、左にはスナイパーライフルを構えたユウの姿があった。
Kは腹立ち紛れに鳥籠を地面に叩き付け、地面に降りて落ちた刀を拾い上げると、自分をより深く傷付けた者の元へ走る。
ユウのダークショットを乗せた一撃はかなり効いた筈だが、Kは痛みを感じていないのか、血を流したまま平然としていた。
得物をエクレールに持ち替えたユウは、狙撃場所を離れてKを誘う様に動く。
と、それを追うKの行く手を回り込んだ明日香が塞いだ。
「言ったでしょ、私が受けてあげるって」
それを無視して進もうとする所に強引に割り込むと、Kは地面を蹴って宙に舞った。
どうあっても、相手をするつもりはないらしい。
だが宙に浮かぶKは格好の的だ。
ケイは射程ギリギリからスターショットを撃ち放つ。
だがその攻撃はCRをプラスに変えるもの、天使が相手では余り効果を発揮しない様だ。
「あら、間違えたみたい」
まあ、たまにはそれもご愛敬。
仲間が攻撃する隙に、本命のダークショットに切り替える。
「出来ればゼロ距離で叩き込んであげたいんだけど、降りて来ないかしら?」
降りて来ないなら、引きずり下ろそう。
集中攻撃を浴びれば、いつまでも飛んではいられない筈だ。
こちらの射程は相手よりも短いが、動き続ければそうそう的を絞る事も出来ないだろう。
ケイは魔眼を避けながら隙を見ては反撃を加えていった。
セレスはひたすら、先程の攻撃で傷付けた右肩を狙って雷を放ち続けた。
Kの六回攻撃はやはり脅威、今後の事も考えればここで腕の一本も落としておきたい所だ。
一撃の威力はそれほどでもないが、何度も同じ場所に当ててダメージを蓄積させれば良い。
だが先程は不意打ちだったが、今は敵から自分の姿が見えている状態だ。
同じ場所を正確に狙う事は、なかなか難しかった。
或いは、あの右目。
もし照準器であるならば、潰しておけば有利に戦える筈だが。
狙うタイミングは魔眼でケイを攻撃する時か。
彼女を囮にする訳ではないけれど――
二人に加え、黒田隊のメンバーも遠距離からの攻撃を加えていく。
執拗な狙撃を嫌ったKは再び地上に降りると、腹立たしげに六本の刀を振り回してきた。
集中攻撃を受けた腹いせの様に暴れ回る。
顔の前で両腕を交差させて開くと同時に斬り付け、或いは両腕を交互に振って、時にはくるりと回りながら踊る様に。
その全てを、明日香はシールドで受け止めた。
「今のうちに何とかして貰えるとありがたいんだけど?」
そう言われても、迂闊には近寄れない。
明日香だからこそ、この嵐の様な攻撃を受けても耐えていられるのだ。
しかし、その彼女とていつまでも耐えられるものではない。
シールドが切れれば後は黒田隊の庇護スキルが頼り、それも尽きれば武具で受けるしかなかった。
Kに叩き付けられた籠から転がり出た紫苑は、後方で治療を受けていた。
そこで待機していた黒田隊のメンバーに、ヒールとクリアランスをかけて貰えば、もう大丈夫。
しかし、キョウカは怒り心頭。
「ぜったい、たおす、なのっ」
紫苑に痛い思いをさせた事は、絶対に許さない。
幸い大きな怪我はなかったけれど、それでも。
Kの動きを、キョウカは黒田に言われた通りじっと見ていた。
そのパターンを掴むと、陽光の翼で斜め後ろの上空に位置取り、ヨルムンガルドを撃ちまくる。
当たってはいた。
だが、ダメージを与えた手応えはない。
Kもキョウカを気にする様子はなく、まるっきり無視していた。
ならばと、堂々と前に回って右目のモノクルを狙う。
ここに至って漸く、Kはキョウカを敵と認識した様だ。
狙われたモノクルが、逆に獲物を捉える。
白く濁った瞳から眩い光が迸り、一直線に伸びてキョウカを襲った。
それを、キョウカは敢えてシールドで受ける。
「こんなの、ぜんぜんいたくない、なのっ!」
半分以上、強がりだ。
でも、痛いなんて言ってやらない。
「だっさ!」
その攻撃を見て、復活した紫苑が鼻で笑った。
ギロリと睨むKのモノクルが、その仁王立ちした姿に向けられる。
「あっ、ゆーふぉーでさ! ほら、あそこ!」
紫苑は上空を指差してみるが、勿論Kはそんなものには釣られない。
「つまんねーやつですねぃ」
ダルドフだったら、きっと乗ってくれるだろうに。
わかっていても騙されてくれるだろうに。
「ここにゃアンタはにあわねぇでさ。なにせアナログやしきですからねぇ」
テレビも電話もない、コンセントさえないのだから。
ケラケラと笑う。
笑いながら、鼻の奥がツンと熱くなった。
(だんな……けがしてやせんか。くるしくねぇですか)
今、どこにいるのだろう。
(おれ、めいわくですかねぃ)
あいたい。
おとーさん。
「しーた、あぶないなのっ!」
キョウカの声に、はっと我に返る。
そのすぐ脇を白熱した光線が突き抜けた。
感傷に浸っている場合ではない。
紫苑はキョウカと入れ替わりに空へ舞い上がると、Kの後方左側に位置し、そこからミカエルの翼を投げる。
Kの左目は白く濁っている。見えていないなら反応は鈍い筈だ――が。
どうやら視力はある様だ。
或いは別の能力で補っているのかもしれないが……
「そんなの、ずりぃですぜ」
だが流石に真後ろは見えないだろう。
ひたすら背後に回り込みつつ、紫苑はミカエルの翼を投げ続けた。
しかし敵はKばかりではない。
メカ鬼蜘蛛もまだ二体、それに小型のメカ蜘蛛達も無数に動き回っていた。
小型の方は琉命とファウストに任せるとしても、鬼蜘蛛は自分達で何とかする必要がある。
「アーススピア第二弾、いきますよー!」
夕乃は頭上で箒をぶんぶん、先程ユウが脚の何本かを潰した蜘蛛の脇に回り込んだ。
鬼蜘蛛は無傷な脚を振り上げて来るが、夕乃は自然に隙を作って攻撃を誘い、予測回避でかわして反撃のアーススピア。
「弱いなりにやりようはあるんですよ」
どーん!
浮かせたのは、無傷な側の脚だ。
そこに飛び込んだユウが更に突き上げる様に烈風突を叩き込む。
傷付いた側の脚だけでは体重を支え切れず、鬼蜘蛛は崩れる様に脚を折りながらひっくり返った。
後はもう弱点を狙い放題、ユウは上空からエクレールを撃ち込み、夕乃は影猫を飛ばしてダメージを重ねていく。
残るは一体、Kが隠れ蓑にしていた蜘蛛だが、これは既にひっくり返されて身動きが取れない状態だ。
後でゆっくり料理してやれば良いだろう。
Kとの対戦では、疲れの見え始めた明日香に代わって拓海が前に出ていた。
闘気を解放し、黒田隊の前衛と協力して互いの隙を埋める様に斬り込んでいく。
「ダルドフに認められたとは言え、大天使の六連撃を一人で捌けるなどと思い上がってはいないからな」
ここで下手を打とうものなら、前言撤回と言われかねない。
反撃の的を絞らせない様に数人で波状攻撃を仕掛けつつ、付け入る隙を探す。
隙が見えたなら厄介な右目を貰い受けたいところだが、流石に接近戦で切り結ぶ中では難しいか。
遠距離からの狙撃なら可能性もありそうだが、ピンポイントに狙うのは相手の動きを止めなければ難しいだろう。
この六刀を叩き落とす事でも出来れば、或いは……だが。
「誰か、出来そうか?」
その声に明日香と紫苑が応えた。
蜘蛛退治の方から夕乃も参戦し、Kの足元で最後に残ったアーススピアを放つ。
バランスを崩した所に明日香が飛び込み、金剛布槍で腕を払った。
反対側からは紫苑がミカエルの翼を投げて刀の叩き落としを狙う。
六刀が五刀になり、四刀になり、三刀になればもう、刀の数だけならそれほどの脅威ではない――その代わりに一撃の命中率は上がる様だが。
しかし、それも届かなければ問題はない。
セレスはこのチャンスに右目を狙って魔法を撃った。
それは避けられてしまったが、その隙にケイが接近し、その腹に銃口を突き付ける。
「絶対に避けられない一撃、食らうと良いわ」
同時に拓海が踏み込み、鬼剣・瞬獄でCRを下げ、淀みなき神速の斬撃を繰り出した。
「ダルドフはこれを正面から受けてみせた。お前はどうする?」
だが、Kはダルドフとはまるでタイプの違う手合いであるらしい――というのは、最初の一手を交えた時からわかってはいたが、改めて実感する事となった。
Kは逃げた。
背中を見せて逃げるなら、その背に向けて斬りかかる事も厭わなかったが、逃げたのは上空。
しかも瞬間移動の様に、一瞬で。
『ひゃひゃひゃっ!』
奇声を発し、自ら残った刀を捨てて両腕を突き出し、指を広げる。
それは腕と同じく、金属のパイプを繋げた様に見えた。
或いは五連の銃口か。
そう思う間もなく、光の銃弾がマシンガンの如くに撃ち出された。
両手の指先から発射された無数の弾丸は撃退士達を容赦なく薙ぎ払っていく。
明日香は後ろに下がらせた怪我人の前に飛び出し、身体を張ってその攻撃を受け止めた。
咄嗟にシールドを展開したキョウカは紫苑の前に立ち、襲い来る銃弾の雨からその身を守る。
「しーたはキョーカがまもる、なのっ」
親友のお陰で難を逃れた紫苑は封天人昇でCRを下げ、その影から飛び出してクレセントサイスの三日月刃を放つ。
それはKの服を切り裂き、機械じみた風貌の手足を剥き出しにした。
「へへっ、だいぶボロっちくなりやしたねぃ」
だが、止めを刺すにはまだまだ足りない様だ。
「こんな事もあろうかと、とっておきを残しておきました!」
最後に夕乃がフレイムシュートを放つ。
それは温度障害こそ与えられなかったが、Kをその場から追い払うには充分な威力だった。
「さて、まずはあの光学迷彩対策だが」
黒田隊には、何かマーキング出来る物を持って欲しいと頼んでおいた。
この際、醤油でも卵でもなんでもいい。
ダルドフには後で自分が叱られておこう――もし、また逢う事があれば。
「メカ蜘蛛相対時にはまず、それをぶつける事を優先してくれ」
ファウストは黒田の部下達に「丁寧にお願い」する。
「こいつらを撃ち漏らせば住民が襲われかねんからな」
「生卵なら、私も持って来ました」
琉命が言い、生命探知で検知した対象に向けてそれを投げ始める。
それに続いて隊員達も卵投げに加わった。
遊んでいる訳ではない。
楽しそうに見えるかもしれないが、これは遊びではないのだ。
ドロドロの卵を滴らせた蜘蛛達が散り始める前に、それを取り囲んで一網打尽にする計画だ。
囲い込みは隊員達に任せ、ファウストは闇の翼で上空へ舞い上がる。
糸の射程にさえ入らなければ、一方的に攻撃のし放題だ。
包囲を抜けそうなもの、集団からはぐれたもの、或いは味方が苦戦している所から先に、ライトニングやフェアリーテイルで攻撃を加えていく。
幸いKの方は仲間達が釘付けにしてくれている。
単独で飛行しても、彼の攻撃対象になる事はないだろう。
「ならば遠慮なく飛ばせて貰うとしよう」
上からは戦場全体が良く見える。
「南側の防御が薄いぞ」
「ゲート側は手薄でも構わん、逃げ帰るなら放置しろ」
「そこ、手が空いているなら――」
自らも攻撃に参加しつつ、口頭で、或いは意思疎通で、次々に伝えた。
いや、偉そうに聞こえるが別に威張っている訳では以下略。
生卵を投げ終えた琉命も攻撃に参加していた。
「普通の鬼蜘蛛には物理型と魔法型がありましたが……」
このメカ蜘蛛も、何かそうした特性があるのではないだろうか。
見たところ、色や形に違いがある様には見えないが――念の為に物理攻撃と魔法攻撃のそれぞれで手応えを確かめてみる。
まずはPDWでの物理攻撃。
次にほぼ同じ威力の魔法攻撃力を持つFeierlichの弦を鳴らしてみる。
どちらにしても一撃では倒せず、効果に殆ど差はない様だ。
ならば、自分の得意な得物で勝負すれば良い。
それを伝えると、琉命は攻撃寄りのサポートに重点を置いて動き始めた。
体当たりしてくる敵はエスクードを構えて防ぎ、その間に隊員の誰かに始末して貰う。
吐き出される糸は火炎放射器で焼き払って無力化すれば、攻撃要員も動き易くなるだろう。
「とにかく、輪の外へ逃がさない事ですね」
逃がしさえしなければ、殲滅には多少の時間がかかっても構わない。
ゲートに逃げ帰るものも、今は敢えて追う必要はないだろう。
他に気になるのは、烏の目だ。
過去の例から見て、今回のゲート周辺にも情報収集と監視も兼ねて多くのヤタガラスを潜ませているだろう。
それも生命探知で注意深く探り、見付け次第PDWの機銃掃射で掃討する。
「こちらの情報は持ち帰らせません」
Kが撤退すると、潮が引く様に蜘蛛達もゲートに吸い込まれていった。
はぐれて逃げ出した蜘蛛がいないか全員で虱潰しに探し、安全を確認した頃にはもう日暮れも間近。
「すぐにでも追いかけたいけど、このまま突入するのは無理ね」
ケイが肩を竦める。
ゲート内では充分な力を発揮出来ない事でもあるし、ここは一度体勢を立て直した方が良いだろう。
その分、Kの方も回復してしまうだろうが、それも仕方がない。
「帰る前に、応急処置を」
琉命は怪我の酷い者から順にヒールなどで治療していく。
「戦闘中はそんな余裕もありませんでしたね」
怪我の酷い者は多かったが、回復が困難な程の大怪我ではない。
状態異常を引きずっている者もいなかった。
「姉崎に、ひとまずは安心して良いと伝えねばな」
ファウストが言った。
戦いも一段落したことだし、生徒手帳を回収するついでに、今度は自分で伝えに行こうか。
「だが安心は出来んぞ」
結局やっぱり実戦では殆ど役に立たなかった黒田が、最後にちょっと指揮官っぽい事を言ってみた。
「念の為、うちの隊から見張りを残しておく」
ゲートが完全に沈黙するまでは、監視を続ける必要があるだろう。
「何か異常があれば、すぐにでもお前らを呼び出すからな」
のんびり休んでいる暇はないが、ゆっくり休んでおけ……と、何か矛盾した事を言う。
まあ、言いたい事は何となくわかる気がするが。
今はKが管理者となった、このゲート。
「中はいま、どうなってるんでしょうねぃ」
ぽつり、紫苑が呟く。
あの猫達は無事でいるだろうか。
もふもふの大きなわんこ達は。
江戸時代にタイムスリップした様な町並は、今もそのままだろうか。
立派な武家屋敷の様な、ダルドフの家は。
コアと――大事なものが隠されているという、あの蔵は。
早く確かめに行きたい。
でも、見たくないような、見るのが怖いような――