●探検隊、出発
「ゲートの調査…ですか」
レグルス・グラウシード(
ja8064)は、スマートフォンをネックストラップで首から下げて録画モードに切り替えた。
「これなら、両手をふさがずに、ずーっと撮影できます」
なるほど、確かに普通に歩く分には問題なさそうだ――走ったり戦ったりすれば、画面のブレが酷い事になりそうだが。
「知り合いのネット中毒の人に教わりました(*´∀`)」
問題は電池だが、そう長い間ゲート内に滞在することはないだろう。多分。
「いつか壊す時のために…がんばります!」
ナイトビジョンに、ペンライトも持った。
胸ポケットに挿しておけば、これもハンズフリーだ。
でも、ダルドフのゲートってどんな所なのだろう。
「暗くてじめじめしてて、何かニョロニョロしたものが生えてそうですよね」
「そうかしら?」
矢野 胡桃(
ja2617)が装備を確認しながら言った。
フラッシュライトに使い捨てカメラ、デジカメ、それに光信機。
「とてもまっすぐで気持ちのいいタイプの敵、らしいから…きっと素直な作りのゲート、じゃないかしら」
「んー、はっ!」
紫苑(
jb8416)が何か閃いた様だ。
「おさけのたきとかありやすかね!?」
ダルドフは酒好きだし、全体的に酒宴が似合いそうな粋な雰囲気、かもしれない!
あちこちに、花なんか咲いていたりして。
「和風な花が似合いそうなのです」
こくり、カーディス=キャットフィールド(
ja7927)が頷いた。
今日は中の人が外に出ている。
それを見上げて紫苑は首を傾げた。
「きょうはもふもふじゃないんですかぃ?」
何と言うか、ちょっと違和感がある、ような?
「だんなは、ねこがすきなんでさ」
だから、もふもふ黒猫バージョンなら戦わずに済むかも、なんて?
「それなら黒猫忍者で行きましょうか〜」
着ぐるみオン、にゃーでぃす完成!
じゃ、行こうか。
危険なゲート探索だと言うのに、微妙に緊張感がない気もするけれど。
「この感覚、慣れぬものだな…どうにも力が吸われるようで好かん」
フィオナ・ボールドウィン(
ja2611)は不機嫌そうに眉を寄せる。
入口から一歩足を踏み出すと、そこはもう異世界だった。
「…何事もなければ、いいのだけど」
胡桃が少し不安げに呟いた。
専攻を変えなければ索敵のスキルが使えたのだが、使えないものは仕方がない。
「索敵が使えない今、出来る事をきっちりと、ね」
普段は抑えている能力を薙弾で呼び覚まし、胡桃は慎重に辺りを伺う。
スキルに頼らなくても、工夫次第で敵の動向を探る事は出来る筈だ。
「ふむふむ、ここがあのダルドフさんのゲートかぁ…」
天宮 葉月(
jb7258)は興味津々の様子で目を輝かせていた。
辺りは暗くはないが明るくもない、夕暮れ時の様な淡い光で満たされている。
「明かりは必要なさそうですね」
話に聞く所では随分と豪快な人の様だが、ゲート内部にもその人柄が表れていたりするのだろうか。
「ダルドフの人格を考慮すると、単純に防衛のし易さを重視していそうね。所々に防御壁とかあると厄介かしら」
月臣 朔羅(
ja0820)が靄がかかった様に霞んだ奥の方に目を懲らした。
「もしかして、篝火なんか置いてあったりして」
言ってから、朔羅は自分で否定する様に首を振る。
「…まさかね」
しかし。
「…え?」
あった。
その、まさかだ。
行く手に見えて来たのは、道の両側に並んだ大きな篝火。
その後ろに見えるのは――
「これはまた、立派な門構えだな」
ファウスト(
jb8866)が言う様に、それはどこかの武家屋敷の様な屋根付きの大きな門。
その左右には、漆喰を塗った様な高い壁が連なっていた。
周囲に敵の気配がない事を確認して、胡桃がその壁を拳で軽く叩いてみる。
「…なるほど。固いのね」
ただの白壁に見えるが、強度はかなり高い様だ。
両開きの重そうな木の扉は中に向かって開け放たれている。
その奥には、更に壁。
「ちょいと見てきまさぁー!」
紫苑が上空に舞い上がる。
「天井近くに鬼蜘蛛が潜んでるかもしれへん、気ぃつけや?」
蛇蝎神 黒龍(
jb3200)が声をかけた。
「糸に絡め取られたら厄介やからな」
どう見ても隠れる場所はなさそうだが、今までの経験から光の屈折や錯視を利用したカモフラージュも考えられた。
しかし――
「大丈夫です、その辺りに生命反応はありません」
レグルスの声に、ひと安心。
10mほどの高さに浮いた紫苑の目に映ったのは、まるで碁盤の目の様に整然と整えられた町並だった。
ただし、どう見ても現代風ではない。
「まるで、えどじだいのじょう下町みたいでさぁ」
三重に巡らせた白壁のすぐ内側には大通りがあり、そこには暖簾の掛かった何かの店らしき家々が軒を連ねている。
その奥、板塀を張り巡らせた長屋の軒先には季節感を無視した花々の咲く植木鉢や盆栽が並べられ、井戸には赤い花を咲かせたアサガオの蔓が巻き付いていた。
「人のすがたは見えやせんけど…さすがはだんな、やっぱりイキなかんじですぜー!」
遠くに目をやると、北の端から町の中心辺りまで細長く伸びる大きな森が見えた。
「森ん中はどうなってるのか、ここからじゃよく見えねーですねぃ」
町全体の様子をカメラに収めてから降りて来た紫苑は、カーディスが差し出したメモ帳に大雑把な地図を書き出してみた。
「…きたって、どっちでやす?」
「方位磁石は――ああ、役に立たへんね」
黒龍が取り出した磁石は、針がグルグルと回りっぱなしだ。
「とりあえず、ボクらの立ってる所を南としといたらどうや?」
こくりと頷き、紫苑はメモ帳に線を引く。
町を囲む白壁の一番外側がこの南門で、次の壁には北側に門がある。
最も内側にある三番目の壁はまた、南側に門があった。
「つまり、真っ正直に門から攻めるとすれば、かなりの遠回りをさせられるって事ね」
朔羅が頷く。
白壁の高さは3mほど、壁走りを使えば簡単に乗り越えられそうだが。
「駄目ね、上にも見えない壁が続いてるわ」
それは下の部分だけが見える様に作られているだけで、実際には透明な壁がずっと上まで続いている様だ。
朔羅は更に、見えない壁を上に歩いて行く。
「ここまで、ね」
地上から30mほどの所で、朔羅は天井を軽く叩いた。
そこにもやはり、見えない境界がある。
つまり、透過でも使わなければ門以外からの侵入は不可能という事だ。
「ここから見る限り、敵の姿は確認出来ませんが…」
ユウ(
jb5639)が出来るだけの高度をとって、目を懲らす。
「壁や障害物の後ろに隠れている可能性もありますし、燈狼や燈犬なら姿を周囲に溶け込ませる事も出来るでしょう」
「なんにしても、これが初めての侵入なんだし」
辺りの様子をカメラに収めつつ、葉月が言った。
「罠とか留守番のサーバントに気を付けて行こう!」
●三枚の壁
「ほなA班は右、ボクらは左から回るな」
黒龍が赤いスプレーを差し出しながら言った。
第二の門は反対側にある。
いずれそこで合流する事になるだろうが、そこまでは班ごとに別行動だ。
「これで目印を付けといて欲しいんやけどな、こう…」
黒龍は自分が持っていた青のスプレーで白壁に「く」の字を書いた。
「こう、出っ張ってる方が、進行方向な。こないして書いとけば、後で目印にもなるやろし」
「わかった、私が書こう」
フィオナが手を出し、赤いスプレーを受け取る。
「ありがとね」
合流したら赤と青、交互に書いていく事になるだろう。
それでは――
「目指せコア! なるべく多くの情報を味方へもたらす為に行動いたします!」
もふもふ黒猫忍者がカメラとメモを持って先を行く。
その後ろに護衛役としてユウが付いた。
葉月は時折周囲の壁を撫で回したり、軽く叩いたりしながら皆の後に続いた。
「この辺りは一本道で見晴らしも良いけど、どこにどんな仕掛けが隠されているかわからないからね」
殿はファウスト、その頭上には黒龍が空からの警戒に当たる。
もう一方の班は反対回りに北へと向かって歩いていた。
壁の周囲は障害物もない一本道、壁には身を隠せる様な窪みや秘密の出入口の様なものは見当たらない。
もしここで敵に遭遇すれば、遣り過ごす事は出来そうもなかった。
だが、どこにも敵影はない。
彼等はそのまま何事もなく第二の門前で合流し、開きっぱなしだった門を潜って、再び左右に分かれた。
次の空間もやはり同じ様な構造で、見晴らしの良い道には敵の気配すらない。
「しかし、ここもいざ本格的な戦いになれば敵で溢れかえるのだろうな」
フィオナがその道幅を目測で測り、10m程度だろうと見当を付けた。
鬼蜘蛛が二体並べば、ほぼ完全に塞がれてしまうだろう。
やがて一行は、第三の門で再び合流する。
先の二つとは違い、そこの扉は硬く閉ざされていた。
扉に向き合った彼等の背後には第二の壁が聳え立っている。
「ここに何か秘密の通路でもあれば、撤退する時に楽なんだけどな」
葉月は何もない背後の壁を丹念に調べてみるが、いくら調べてもやっぱり何もない。
「それってつまり、この辺の通路で挟み撃ちにされたら逃げ場はないって事だよね」
余り考えたくはない状況だが、もしこの扉の向こうに大量の敵が潜み、更には背後からも奇襲をかけられたら。
だが、今の所その心配はなさそうだった。
「扉の向こう、確認できる範囲に生命反応はありません」
レグルスの言葉に、黒龍とファウストが左右の扉に手を掛ける。
動いた。
閂などは、かかっていない様だ。
そのまま力任せに扉を押し開けると、そこには――
●旦那の城下町
目に飛び込んで来たのは、整然と整えられた町並。
それは精巧に作られてはいるが、人の姿も生活感もない空間は、ただの箱庭か映画のセットの様だ。
「奴はこういったものが好きなのか」
「ま、自分の名前を陀瑠弩麩って書く様なお人やからね」
ファウストの呟きに、忍び笑いを漏らしながら黒龍が言った。
話し方も古風だし、案外似合っているかもしれない。
「この様子だと道場や鍛錬部屋、酒場は勿論、奴の家までありそうだな」
そう言ったファウストの足元で、紫苑が目を輝かせた。
「だんなのいえ、みてみたいでさ!」
どんな感じだろう、町並と同じで純和風なのだろうか。
(だいじな人の、しゃしんとかも…だんななら、ちゃんととっといてくれてそうですねぃ)
例えば奥さんとか。
この間、自分が渡した手紙なんかも…もしかしたら?
「時間があれば、少し探りを入れてみよう。何かの役には立つだろうからな」
「そうですよねぃ、それもそーさのいっかんってやつでさぁ!」
ファウストに言われ、紫苑は嬉しそうに頷いた。
そうと決まれば早速調査開始だ、寄り道の時間を作る為にも!
ここで彼等は再び二班に分かれた。
合流地点は中心部に見えた怪しげな森の入口。
恐らく、そこには何か重要なものが隠されているに違いない。
「本当に、江戸時代にタイムスリップした気分ね」
火の見櫓に登って周囲を撮影しながら、朔羅が呟く。
勿論、本物の江戸時代に行った事はないけれど。
「えー、大どおりには、いろんなみせがありやすねぃ」
撮影を続けながら実況中継を録音する紫苑の目の前には、飴屋があった。
飾られた飴が本物かどうか確かめてみたい衝動を抑えつつ、後ろ髪を引かれる思いで先を急ぐ。
その隣では色とりどりの風車が回り、唐傘や提灯を売る店もあった。
一行は適当な壁を見付けては「く」の字を書き、写真を撮影し、コメントを付ける。
敵の姿も見当たらないし、何だか観光案内の資料でも作っている気分だ。
しかし、いくら長閑な雰囲気でもここは敵地、気を緩める訳にはいかなかった。
「ちょっと待って」
細い路地に接するT字路の角に貼り付き、手鏡でその先の様子を伺っていた朔羅が小声で注意を促す。
「次の路地に見張りがいるわ」
燈狼が一頭、じっと動かずに座っている。
「今回は偵察です…闘う必要なんて、ありません。手前を迂回しましょう」
少し戻って脇道に逸れたレグルスに皆が続く。
一行は入り組んだ通りを抜け、見張りがいた地点を通り過ぎ、元の大通りに戻った。
だが、それで安心とは言えない。
急に見張りが増えてきたのは、中心部が近付いて来たせいだろうか。
「でも、コアの場所を特定するまでは出来る限り体力を温存しないとね」
胡桃が言い、上空で気配を殺している紫苑に訊ねた。
「どこか抜け道はない?」
訊かれて、紫苑は敵のいない場所を探す。
「あ、こっちでさ!」
地上を走る仲間はそれを追い、朔羅は屋根の上を走る。
町の中には、移動を妨げる透明な壁は存在しない様だった。
「この辺りには猫が多いのですね〜」
カーディス達が選んだ道の周囲には、長屋よりも少し高級な雰囲気の住宅が建ち並んでいる。
そのあちこちに、猫がいた。
ゲートの中で平気な顔をしているという事は、これもサーバントなのだろう。
「でも、襲って来る気配はないのですね〜」
見張りという訳でもなさそうで、ただひたすら気持ち良さそうに寝そべっている。
試しに撫でてみると、ゴロゴロと盛大に喉を鳴らして喜んだ。
「猫好きにとっては、恐ろしい罠なのです」
こくり。
それが本当に罠であるかどうかは微妙だが、猫好きがここを通ったら動けなく事は間違いない。
しかし、一行はその誘惑を断ち切って黙々と進む。
屋根の上で身を潜めるカーディスや翼で上空を飛ぶ黒龍の指示に従い、見張りがいればそれを避けて遠回りし、或いはその動きを読んで遣り過ごしながら。
地上を歩けば見付かる状況でも、上空を越えてしまえば気付かれない。
幸いこちらの班には空を飛べる者も多く、葉月はユウが、カーディスは状況に応じて黒龍かファウストが抱えて飛べば、文字通りひとっ飛びだ。
「見張りの動きに規則性は…特にないか」
飛び上がったついでに、ファウストは燈狼の動きを観察してみる。
好き勝手に動いている様に見えるのは、やはり指揮官不在の故だろうか。
「ここから見ても、コアらしきものは見当たりませんね」
屋根の上に降りたユウが呟く。
「やはり、あの森の辺りが怪しいと思うのです」
こくり、カーディスが頷いた。
森はもう目の前に迫っているのに、中の様子は全くわからない。
「それだけでも怪しさ満点だよね」
葉月も、コアの場所はそこだと読んでいた。
「よし、向こうもそろそろ入口に着く頃や」
光信機で連絡をとった黒龍が皆を促す。
やがて町の一番北側に、森の入口が見えて来た。
●夜桜の森
そこには大きな鳥居があった。
という事は。
「ここは神社なのかしら」
まさかと思いながら朔羅が呟く。
しかし先程まさかと思った篝火は、ここでも燃えている。
鳥居の奥にも、赤々と燃える列が続いていた。
その明かりが届かない場所は暗闇に覆われて、まるでそこだけ夜の様だ。
だが、暗くても大丈夫。
「備えは万全なのですよー」
カーディスはコグニショングラスで視界を確保、ここまでの歩数をメモに書き込んだ。
それれぞれの入口が南北相互に置かれている為、合計で一往復半ほど歩かされた事になる。
「ここが最終地点だと良いのだがな」
ゲートに入ってから、もうかれこれ10分は経つだろうかとフィオナ。
そろそろゲートの主が戻って来てもおかしくない。
「その前に、せめてコアの位置くらいは特定しておきたいわね」
胡桃が言い、歩き出した――その時。
「上! 何かいる!」
生命探知で周囲を探っていた葉月が叫ぶ。
次の瞬間、頭上から何か巨大な物体が降って来た。
地響きを立てて地面に降りたのは、鬼蜘蛛――しかも二匹。
その風圧で周囲に灯っていた篝火が吹き消され、辺りは真っ暗になった。
「まぁ、黙って調べさせてはくれない、わよね」
胡桃がフラッシュライトのスイッチを入れて足元に置く。
その光は広範囲に広がった。
「悪いけれど、時間がないのよ。即効で叩くわ」
他の敵が寄って来ないうちに。
「ゲート内では面倒なんだがな…やむをえん」
フィオナは雪村を抜き放つ。
葉月は阻霊符を使いつつ退路を探すが、ここで退いてはコアの探索が出来ない。
両脇の森に目を向けたが、そこにも敵の気配がした。
「ここで遣り過ごしても、すぐ別の敵に囲まれそう」
「でも敵が多いという事は、この先に何か重要なものがあるという証拠なのです」
猫の額にヘッドライトを光らせたカーディスが言った。
「迅速に戦闘を終わらせて、調査を続行するのですよ」
言うが早いか、その手から無数の棒手裏剣が生み出され、巨大な蜘蛛に向かって飛んで行く。
範囲攻撃である筈のそれは、相手が余りに大きい為に片方にしか当たらない。
だが、それで構わななかった。
「まずは一体ずつ確実に潰しましょう」
ユウが空中からエクレールで牽制、その眼を狙って紫苑が偃月刀を振り降ろした。
性能は今ひとつだし使い勝手も良いとは言えないが、ダルドフとお揃いのお気に入りだ。
「ここは已むを得んか」
ファウストはトワイライトで光球を作り出し、蜘蛛達を照らす様にその懐に投げ込んだ。
明るく照らされた標的に向けて、ライトニングの雷を放つ。
朔羅はバスタードポップをスナイパーライフルに持ち替え、手近な木の上から狙い撃ち。
ある程度弱らせたところで、フィオナがその懐に飛び込んだ。
「いくら硬かろうが、関節はそうもいくまい」
ところが、鬼蜘蛛の間接は胴体よりも硬く出来ているのだ。
ねじ込もうとした切っ先は弾かれ、蜘蛛がぐるりと身体を回した勢いで自分も吹っ飛ばされる。
「なるほどな」
しかしフィオナは何事もなかった様に立ち上がり、楽しそうな笑みを浮かべた。
「ならば素直にその無駄に大きな図体を叩き斬ってやろう」
足の一本を踏み台に駆け上がり、その背に刃を突き立てる。
鬼蜘蛛はそれを振り払おうと暴れるが、そこに朔羅の銃撃が命中、更には仲間達の集中攻撃を受けて引っ繰り返った。
自ら弱点を晒した蜘蛛に、もはや勝機はない。
だが撃退士達は止めを刺さずに、もう一体の始末にかかった。
追って来られないなら、完全に倒さなくても構わない。
周囲からは燈狼達も姿を現し始めた今、確実に息の根を止める為の時間も惜しかった。
更なる集中攻撃でもう一体の蜘蛛を足止めし、森の中から現れた燈狼に対してはユウが薙ぎ払いで動きを止め、フィオナがその首を狙って斬り付ける。
或いは朔羅の狙撃から、胡桃のPDWSQ【八咫鏡】で眉間を狙い、残りは――
きりがないから逃げる!
ただし、出口ではなくコアがある(と思われる)方へ。
カーディスが影手裏剣で足止めしている間に、仲間達はまだ足を蠢かせている鬼蜘蛛達の脇を抜けて走る。
殿として残ったレグルスと葉月も、全員の離脱を見届けるとその後を追った。
その撤退を、ユウが空中から援護する。
燈狼達は逃げる彼等を追っては来なかった。
その代わり――
暗い森を抜けて辿り着いた先には、大きな燈犬達がいた。
そこは小さな広場の様に開けた空間。
ただし、空は見えない。
代わりに、まるで天井を形作る様に咲き乱れる桜の花で覆われていた。
周囲に焚かれた篝火に照らされ、桜は揺らめきながら闇の中に浮かび上がる。
その広場の中心に、大きな蔵があった。
「確か入口には鳥居があった筈だけど…どうしてこうなるのかしら」
朔羅が呟くが、別に答えが欲しかった訳ではない。
予想外の展開にはもう慣れた。
ただちょっと、事実を確認してみたかっただけだ。
「この犬がいる場所には、何かありそうだな」
「せやな。重要な部分か、ダルドに付き添う忠犬やから」
ファウストの言葉に黒龍が頷く。
今、犬達は蔵の前に一列に並び、通せんぼをする様に身を寄せ合っている。
何があってもここは通さないとでも言いたげだ。
「しかしこの蔵、どこにも出入口がないんやね」
いくら地上で通せんぼしても、空を飛ぶ者には無力。
犬達の頭上を飛び越えた黒龍は、蔵の周囲を飛び回りながらその様子を仲間達に伝えた。
窓もなければ空気穴もない様に見える。
「絶対に押すなって書かれた明らかに怪しいボタンとか、ないかな(・∀・)」
レグルスは遠目から背伸びする様に覗き込んでみたが、残念ながら見当たらない様だ。
「おかしな建物…」
葉月が首を傾げる。
「やたら大きくて、変わってて、しかもこの辺りは多分、ゲートの中心だよね」
という事は、この中にコアが?
「でも、どうやって出入りするんだろ?」
天使なら透過で抜ける事は出来るだろうが、阻霊符を使われたらそれも出来ない――今の様に。
「まさか、ダイナミックに壊すとか」
「いや、いくらダルドフでもいちいち壊しはせんだろう」
ファウストが首を振った。
まあ、ほんの少し…やりかねない気はしないでもないが。
「透過も、封じる道具がある以上万全ではない。何か開く為の仕掛けがあると思うが…」
またしても一人、番犬たちの頭上を越えて蔵に近付く。
その姿を悲しげに見送る彼等の目は「ご主人様に叱られる」と訴えている様にも見えたが、これも任務なのだから仕方がない。
ファウストは壁面にぴたりと貼り付いて、何か変わった所がないかと探して回った。
触ったり、叩いたり、写真に収めたり。
しかし、どうにもわからない。
「コアに鍵がついてるなら鍵穴に接着剤でもねじ込んでみようかと思ったけど」
そんなものは見当たらないと、黒龍も肩を竦める。
「ごめん、ちょっとそこどいてくれる?」
一通りの調査が済んだ頃合いを見計らって、朔羅が声をかけた。
「試してみたいの」
言いながら、スナイパーライフルの照準を定める。
「見つかったなら、堂々と確認するまでよ」
壁の真ん中に向けて、どかんと一発。
「――どう?」
言われて黒龍が着弾点を確認するが、疵ひとつ付いてはいなかった。
「なるほど、自慢の鉄壁という訳ね」
朔羅が軽く溜息を吐いた、その時。
「これで気は済んだかのぅ?」
蔵の背後から、一部の者には聞き覚えのあるがした。
そこには何となく笑いを堪えている様な響きが含まれている。
声の主は、勿論――
●森の熊さん
「まったく、ぬしらは無茶をしおるわ」
蔵の背後からぬうっと現れたダルドフは、尻尾を丸め込んで申し訳なさそうに頭を垂れる犬達の耳をもふもふしながら笑った。
それに対して、ファウストはまるで留守中の家に勝手に上がり込んだ友人の様なノリで軽く手を上げる。
「ああ、邪魔してるぞ」
ゲートに侵入者があれば、持ち主にはすぐにわかる。
にもかかわらず、戻るまでにこれだけの時間がかかったという事は即ち、攻撃の意思は薄いと見て良いだろう。
「それよりも、その仕掛けはどうなっている? 貴様、今どうやってそこから出て来た?」
鍵は固有の能力か、それとも何らかの記憶か。
「それを、某が素直に話すと思うか、ん?」
「いや、思わんな」
首を振り、ファウストは徐に日本酒の一升瓶を取り出した。
「日本では訪問の際、手土産を持っていく物なのだろう?」
何か違う気もするが、大丈夫だ相手もわかってない。
「…む?」
ふと視線を感じて顔を上げたダルドフの目に、慌てて木陰に身を隠すちみっこの姿が映った。
「紫苑!」
名前を呼ばれて、紫苑は恐る恐る顔を出す。
こっそり来ちゃったけど、怒ってない? 大丈夫?
「何をしておる、参れ!」
だが両腕を広げてカモンされれば、そりゃもう飛び込まない手はない。
天井ぎりぎりまで飛び上がってからの、超急降下大回転頭突きアターック!
「だんあぁーーっ!」
どっかん、はぐぎゅーっ!
相変わらずの全力&激しすぎる愛情表現に、ダルドフはビクともしない。
もじゃもじゃ顎髭ですりすりしてみたり、何だかもう、どう見ても親子です。
それが一段落すると、紫苑は懐から一輪の赤い薔薇を取り出した。
「ちちの、日」
急降下アタックのせいで少し萎れ加減だけれど。
「ほんとはらいげつなんですが…あえるときにやっとかねぇと」
その目が寂しそうなのは、祝えない母の日を思い出した為か。
しかし次の瞬間にはニコッと笑う。
「子どもになるか?っていってくれたの、すげぇうれしかったんでさ」
少し照れた様に、ダルドフのぶっとい首に抱き付いた。
「ありがとごぜーやす。大すきですぜ!」
そんなこと言われたら、おとーさん嬉しくて涙でちゃうよ!
その様子を見て、最大限の警戒態勢を取っていたユウも緊張を解いた。
「あ、あの」
葉月が思いきって声をかけてみる。
「はじめまして、天宮葉月といいます。貴方の事は彼から聞いています。その…すぐに帰るので見逃して貰えませんか?」
いや、多分これは見逃して貰える流れなんだと思うけれど、念の為。
それに一応、きちんと挨拶しておきたい所でもあるし。
「む? ぬしは何処かで…」
あれは夢の中だったか。
確かコイバナで盛り上がっていた時に、酔った勢いで強引に話を聞き出し、ついでに写真も見た気がする。
「名は聞かなんだが…そうか、ぬしがあの!」
あの、と言うのは何か変な噂でもしていたのだろうか。
などと思っているうちに、今度は胡桃が話しかけた。
「ごめんなさい。勝手にお邪魔してしまったわ」
屈託のない笑みを浮かべながら、ぺこりと頭を下げる。
「今日はこのまま静かに帰らせて頂ければ助かるのだけれど。拝見しに来ただけだもの」
「我からも頼みたい」
頼むと言いつつ相変わらず胸を張った態度で、フィオナが言った。
「久しいな。まあ、この状況だ。守将としては我等を逃がすわけにもいかぬだろうが…」
建前としては、恐らく。
しかし。
「貴様に縁のある者もいるようだ。それだけで貴様の剣が鈍るとは思わぬが、寝覚めは悪かろう」
ちらりと紫苑に視線を落とし、続ける。
「そこでだ。我等はこのまま退く。退く際もこれ以上の調査はせぬことを、王たる我の名において約束しよう」
次いで黒龍が意思疎通で語りかけた。
『ダルド、やっぱりここも見張られとるんか?』
それならひとつ、提案がある。
『鬼ごっこ、せえへんか?』
ダルドフに壊れた時計を渡して来ることのない約束の時間まで待たせ、その間に自分達は撤退する。
これなら謀られた事になり、ダルドフに咎はないだろうと思うのだが。
「心配せんでも、ここは某の城ぞ」
ダルドフが笑いながら声に出して言った。
このゲート内に八咫烏はいないし、内部の状況を外から見る事も出来ない。
「じゃあ、じゃあおれ、だんなのうちにあそびにいきてぇでさ!」
早速、紫苑が目を輝かせるが。
「構わんが…それはまた次の機会に、な? ぬしらは仕事でここに来ておるのであろう?」
仕事なら、最後まできちんと終わらせなければ。
言われて紫苑は渋々ながらも頷いた。
「いずれまた日を改めて遊びに来れば良い」
次の作戦が始まるまでの間なら、いつでも。
『先の事件は調べた。今の均衡は近い内に崩れる。違うか?』
ふいにファウストの声が届く。
意思疎通を使ったのは、紫苑に不安を与えない為か。
ダルドフは答えないが、それが答えと思って良いのだろう。
『…その時に、我輩達が手伝える事は何かあるだろうか』
本音では堕天を促したいが、それでは支配地の人間が危うい。
(奴に協力する事で良い方向に向けたい物だが)
肩車で紫苑のご機嫌を取りながら、ダルドフは答えた。
『…この子を、頼む』
それはどういう意味なのか、それ以上は何も返っては来なかった。
「何故、私達を見逃すのですか?」
ユウの問いに、ダルドフは悪戯っぽく笑った。
「客人を無事に帰すのは主として当然であろう?」
恐らく本音は、この場では正々堂々の全力勝負が出来ないという事なのだろうが。
「…敵である私が言うことではありませんが、私は貴方のそのような気質は嫌いではありません。けれど、それを好まない相手も多くいるはずです。くれぐれも気をつけて下さい」
「うむ、肝に銘じておこう」
「本当に正々堂々とした戦いを好むのね。それを貫くのも、大変でしょうに」
小さく呟き、朔羅は外で囮となっている黒田の部隊に光信機で連絡をとった。
自分達が出て行かなければ、彼等の戦いは終わらない。
「急ぎましょう」
レグルスが促す。
彼にとって、ここは完全な敵地。
いくら丁重に扱われようとも、馴れ合うつもりはなかった。
「あ、ちょっと待って」
帰途に就こうとした仲間を葉月が呼び止める。
ダルドフに何か用があるらしい。
「あの、彼からの伝言と言うか、質問と言うか…預かって来たのですが」
その内容を聞いて、ダルドフは面白そうに口元を歪めた。
「某に訊いても、答えなど出ぬわぃ」
「どういう…意味ですか?」
「それがわからぬうちは、まだまだヒヨッコという事ぞ!」
肩を震わせ、ダルドフは辺りに響き渡る大声で笑った。
何事かと仲間達が振り返る。
その中に黒猫忍者の姿を見たダルドフは、何やら挙動不審の変な人状態に――
あの、このおっさん、どうやらもふもふしたいらしい、よ?
●調査報告
数日後、レグルスは皆を代表して黒田の元を訪ねていた。
皆で持ち帰った資料を整理し、纏めたものを渡す。
「がんばって撮ってきました、役に立つといいですね(・∀・)」
動画は使える部分を編集し、映像に合わせて紫苑の実況を重ねてみた。
大量の写真は全てをファイルに整理した他、模造紙4枚分の大きな地図に貼り付け、それぞれにコメントや注意点、罠の種類や内容、敵の規模や種類とその配置、それに勿論コアの位置などを書き添えてある。
勿論、元の生データもそのままコピーしてあった。
そこにレグルス自身の感想などを合わせて。
この地図が実際に活かされ、それが人々の解放に繋がった時――彼等の苦労は報われるのだろう。
例えそこに、何かの犠牲が伴ったとしても――