(門木先生と……天使?)
久遠ヶ原に大天使が舞い降りたその時、偶然その場に居合わせた田村 ケイ(
ja0582)は、二人の間にただならぬ空気を感じて咄嗟に身を隠した。
漏れ聞こえた会話から、相手が門木の命を狙う粛清者であるらしい事を悟る。
助けなければと周囲に味方を探そうとして、その目は門木の姿に引き付けられた。
背中に現れた、一枚だけの白い翼。
「先生、ちゃんと天使だったのね。驚いたわ」
思わず呟いたケイの目の前で、二人は空へ舞い上がる。
彼等が飛び去った方角を見定めると、ケイは急いで学園に電話を入れた。
大まかな状況を伝え、応援を要請する。
すぐさま、生徒達に緊急招集がかけられた。
(門木教諭が大天使に襲われている……ですか)
知らせを聞いて、カノン(
jb2648)は立ち上がった。
天界から堕天使に差し向けられる追手となれば、自らも堕天した身である彼女にとっても無関心でいられる話ではない。
(どこまで食い下がれるか、分かりませんが。やれるだけやりましょう)
「門木先生には弟が世話になっているようだからな…全力でお助けしようではないか!」
駆けつけたラグナ・グラウシード(
ja3538)の弟は、同好会「不良中年部」のメンバーだった。
話を聞いても何の活動をしているのかさっぱりわからない謎のクラブだが、それはそれ。
頼れる兄として、そして騎士たる者としては、縁ある者の危機を黙って見ている事など出来なかった。
「これって、お金はいらないんですねぇ」
大天使が相手と聞いては気休め程度だろうが、それでも無いよりはマシだろう。
その時たまたま購買に立ち寄っていた三善 千種(
jb0872)は、救急箱を手に入れると指定された転移装置へと走った。
先に着いていた仲間達と共に、千種はサークルをくぐる――
その姿は遠目にも神々しく、煌びやかに輝いていた。
時折、その輝く姿が更に輝きを増す。直後、地上に眩い光が炸裂し、派手な爆発音が耳に届いた。
二度、三度……まだ続く。続いているという事は、その標的とされている門木がまだ無事でいるという証拠なのだが……
(元々味方同士だった方が禍根は深いのかね)
その苛烈な攻撃を目の当たりにして、青空・アルベール(
ja0732)は思う。
聞いた話によれば、二人は知り合いの様だ。それも浅からぬ縁の。
それが何故、命を狙う様な真似をするのか。
掟だから?
だとしても――
(門木先生は守る。なんとしてでも……!)
やがてはっきりと顔が見える距離まで近付くと、ケイのクロスファイアが火を噴いた。
「そこまで」
黒い弾丸を錫杖の一振りで払い除けると、大天使は攻撃の手を止めて撃退士達を見る。
(あれが、大天使……)
アステリア・ヴェルトール(
jb3216)は、思わず足を止めてその姿に見入ってしまった。
(……綺麗な人だな……)
いやいや、見惚れている場合じゃない!
「お願いします、天使様っ! 此処は如何か、退いて下さい…!」
精一杯の気持ちを込めて叫んだアステリアの声に、大天使は一言。
「悪魔か」
そう言われて、アステリアはぷぅっと頬を膨らませた。
「むぅ…悪魔と呼称されるのは、心外の極みですが」
いやいや。まだ自己紹介もしていないのだから、そう呼ばれても仕方がない。
「は、初めましてっ! 私はアステリア・ヴェルトールと申します。よろしくお願いしますねっ!」
気を取り直して、にこり。敵意の欠片もない、あどけない笑顔を向ける。
「退け、悪魔よ」
だが、感情の乏しい声でそう言われ、その頬がピクリと引き攣った。
ちゃんと真摯にきっちり礼儀正しく自己紹介したのに。それに、この場合はきちんと挨拶を返すのが礼儀というものだろう。
「大天使と刃を交える愚、わからぬ訳でもあるまい?」
言われて、アステリアは頷いた。確かにカオスレートの差は大きく、一撃でも受ければ命はないだろう。
だが、それでも……
「退いて頂くのは、天使様の方です」
毅然と言い放った。
大天使の目が、すっと細められる。笑っているのだろうか。
「裏切って堕ちたのが堕天使なら、仲良くッつーのが無理な話なんだろうけど。こんなとこまで深追いして殺しに来なくてもいいだろ。大天使!」
青空が息も絶え絶えの門木を背後に庇いながら叫んだ。
「私は、人と天魔は共存できるって、思ってるし信じてるのだ。それに門木先生は仲間で、だから絶対に退けねーのだよ!」
そこに、ひとりの天使が光の翼を広げて舞い上がる。
「天界と決別した者なら、ここにもいます」
カノンはその攻撃の矛先が自分に向けられる事を承知で、大天使の前に進み出た。
「堕天使か」
大天使が呟く。
「我が標的は汝にあらず。だが、邪魔立てするとあらば――」
手にした錫杖から光が迸る。
カノンは咄嗟に防壁陣を発動させ、衝撃に備えた。
しかし――
小天使の翼で飛翔したラグナが割って入り、展開した銀の盾でその攻撃を受け止める。
「……ぐっ」
その障壁を吹き飛ばし、背後に守られたカノンをも弾き飛ばして、光球は大地に穴を穿った。
だが、その場所に門木の姿はない。
仲間が気を引いているうちに、青空や千種と共に近くの防風林に逃げ込んだのだ。
青空が阻霊符を発動させ、とりあえずの安全を確保する。
「先生、大丈夫?」
後を追って来たケイが、クロスファイアの銃口を門木に向けてぶっ放す。
大丈夫、これはケイさん流の応急手当だから……大丈夫だって言ってるのに、何故逃げる?
仕方ないから、ここは青空に譲ろうか。
「……すまん、な」
癒やしの雨に打たれながら、門木が言った。
「先生、腰も痛めてるっぽいですねぇ。湿布でも貼っておきましょうかぁ?」
にこやかに言って、千種は救急箱を開ける。
だが……門木はぷるぷると首を振っていた。そりゃまぁ、若い女の子に尻を捲られるのは……ちょっと、その。
「……気持ちだけで、良い」
ちょっと残念そうに蓋を閉じた千種は、笑顔で言った。
「さて、先生には色々お話聞かないとですねぇ」
取り敢えず「俺が死ねばー」みたいなかっこいい事は聞かない。聞く耳持たない。第一、門木にはそんな台詞は似合わない。
「先生、あの人とは知り合いなんですか?」
青空が訊ねた。いつもは元気一杯で敬語など使わないが、教師に対しては流石に少し勝手が違うらしい。
その問いに、門木はぽつりと答えた。
「……お袋、だ」
生まれてすぐに捨てられた彼を、我が子同然に育ててくれた恩人。
「だったら、どうして……そんな人が、どうして先生の命を狙うんですか? しかも、今になって」
青空に両親はいないが、父親の様に尊敬する人はいる。
血の繋がりはなくても、親子の絆は深く強い――そう信じさせてくれる人が。
なのに、親子で争うなんて。
「天界で何があったんですかぁ?」
いきなり核心に迫る、ど直球の質問。千種は一点の曇りもない笑顔を門木に向ける。
「どうせ死ぬ気ならなんでも話せばいいんですよっ☆」
「……いや、死ぬ気はないぞ……」
死ぬ気はないが、特に隠し立てする理由もない。
「長くなるが、良いか?」
「ダメですっ☆」
にっこり。
手短に、要点を絞って簡潔にお願いします。
その頃、上空では仲間達が大天使の気を引いていた。
「こっちだ! 私を見ろッ!」
ラグナの身体から金色の非モテオーラが迸る。
相手の気分を害すると評判のそれは、大天使の眉間にもしっかりと溝を刻んだ。
その唇から声が漏れる。
「……哀れな……」
ご褒美、頂きました。
いやしかし、今は快感に浸っている場合ではない。
「門木先生を今さら殺しに来たのは何故だ、彼にそれほどまでさせる何があるというのだ!」
「理由などない。堕ちた者は粛清する、それが掟だ」
堪らず、アステリアが叫んだ。
「掟、掟、掟――そんなに掟が大事ですか、天使様。それが遵守すべき物だとは解りますが、己に無理を強いる、そんな物が…!」
「……無理、だと?」
「そうです。だって…本当は天使様だって嫌な筈なんです。本当に殺したいなんて、そんな事…望んでいる様には見えません…」
「馬鹿な」
大天使は吐き捨てる様に言った。しかし、アステリアは退かない。
「違うと言うのなら――如何して、そんなに心苦しそうな顔をしているのですか?」
そう、冷静を装ってはいるが、抑え込んだ本音が時折顔を覗かせる。それを見抜けない彼等ではなかった。
そもそもこの人数で、それ以前に門木が1人の時点で、これだけ持ち堪えている方がおかしいのではないか――カノンもそう感じていた。
先程の攻撃も確かに威力はあったが、覚悟していた程のものではなかった。
申し出を受けて場所を変える理由も、本来はない筈だ。
本気で粛清する気がない……というよりは粛清すべきであると理解しているが、踏ん切りがつかずにいる、そんな印象を受ける。
やらずに済む理由があるなら、という思いがあるのだろうか。
もしそうならば……その理由を作ってやる事は出来ないだろうか。
「貴方は捕縛でも殲滅でもなく、門木教諭が戻る為の全ての手を尽くしたのですか?」
カノンは思い切ってそう訊ねてみた。
だが、返って来たのは型通りの返事のみ。
「如何なる理由があろうとも、一度堕ちた者が赦される事はない」
それが、掟だ。
「堕ちるつもりは……なかったんだ」
門木が言った。
「だが、生きる為には……逃げるしかなかった」
ある日突然、誰かに襲われた。
相手の正体は知らない。理由もわからない。だが、心当たりはあった。
下級の天使に生まれながら、使用人でも観賞用でもなく、息子として大天使に養われた事。
他にも色々とあるのだろうが、恐らくそれが最大の要因だろう。
「それだけの事で!?」
青空が声を上げる。
育ての親に背を向けるに値する理由など想像もつかなかったが、まさか追われた末の堕天とは。
しかも追われた理由が本人達には何の責任もない事で、それなのに、その育ての親が粛清に来る……?
そんなの、理解できない。したくもない。
「例えそれが掟であろうと、私たちは今戦おうとは思っていない…」
ラグナが言い募る。
「大天使直々に来たということは、門木先生は貴女にとって無視できない存在なのだ…違うか?」
返事はない。だが、否定もされない。
「なら…死ぬにしたって、どうせならこんな不意打ちではなく、正々堂々と戦うチャンスを彼に与えてもいいのではないか?!」
「与えた所で、結果は変わらぬ」
そう言った大天使の声は、何故か少し悲しそうな響きを含んでいた。
これは、何かある。
もう一押し――
「先ずは自己紹介からね。私は田村ケイ。よろしく」
ケイが進み出て訊ねる。
「他にも堕天使はいるのに、先生だけを狙うのは何故? それに、何故単身乗り込んできたの?」
サーバントを使うなりなんなり、もっと早く決着がつく方法はいくらでもあるだろう。
「今になって、というのも気になるわね。別に今でなくても良いなら、今回は見逃してくれないかしら?」
だが、大天使は静かに首を振った。
「何でだよ!」
防風林から飛び出した青空が叫ぶ。
「もうやめなよ。理由が掟だからってだけなら、そんなに悲しいことないよ!」
その足元に光弾が炸裂した。
突然の事に、青空は避ける事も出来ない。だが、避けなくても……それは僅差で狙いを外していた。
「天使さん、もしかして門木先生…向こうでは名前違うかもだけど、彼と話とかしたいんじゃないんですかぁ?」
千種が笑顔で訊ねる。その背後には門木の姿があった。
「ここまで待ってるってことは、そんな感じもするんですよねぇ」
今の攻撃も、わざと外したとしか思えないし。
「決まりって大切ですが、そういうのに縛られないで話をするのも大事ですよぉ」
「天使様は少し模範的過ぎると思うのです」
アステリアが言った。
「もう少し、自分を優先する事を知った方が良いと、そう思うのです。この場で話せないなら、私達で場所を用意しますから……っ」
その必死な面持ちに、大天使は思わず笑みを漏らした――様に見えた。
「……なるほど、これがお前の生徒達か……ナーシュ」
少し照れた様、だが誇らしげに頷く門木。
気のせいかと見えた微笑は、今や誰の目にも明らかな笑いとなって大天使の面にさざめく。
その機を捉え、千種が言った。
「天使さんも、こっちに来ませんかぁ?」
親子で堕天、そんな選択肢もある筈だ。
だが、大天使は迷うそぶりも見せずに首を振った。
「そうなれば、二人とも終わりだ」
次に来る粛清者は自分よりも遙かに強く、粛清を躊躇う理由もない。
そうでなくとも、他の者に任せていれば彼の命はとうに消えていただろう。
だからこそ自らこの任に就いたのだ――それも陰謀の一環であると知りながら。
大天使は再び氷の様に冷たい目を撃退士達に向けた。
「我を退かせたくば、力ずくで押し退けるが良い!」
当たる事のない光弾が炸裂する。
その意図を察した撃退士達は、武器を手に取った。
自ら退く事は許されないのだろう。
ならば、戦うしかない。例え形ばかりでも、それでこの場が収まるならば。
「援護するから、存分に」
ケイが回復の力を込めた銃を構える中、ラグナは再び小天使の翼で舞い上がった。
金色のオーラを身に纏い、嫌がらせの様に大天使の周囲に纏わり付く。
カノンとアステリアもそれに続いた。
翼ある者達が舞う中、地上からは青空が禍つ焔で翼を狙う。
だが、繰り出される攻撃の全てを難なくかわすと、大天使は地上に向けて光弾を撃ち込んだ。
二発、三発……しかし、それは大地に穴を穿つのみ。
やがて、その手が止まる。
「……よかろう、その熱意に免じて今日の所は見逃してやる。だが、次があるとは思うな」
ふいに高度を上げると、大天使はお決まりの捨て台詞を残し、何処ともなく去って行った。
「これで、上手く行ったのでしょうか?」
ラグナの問いに、門木は大天使の去った空を見上げながら頷いた。
天界も一度で片が付くとは考えていないだろう。この一件で彼女が処罰される事はない筈だ。
「……ありがとう、な。お袋の本音……よく、引き出してくれた」
力ずくで追い返す道を選んでいれば、それを聞く事は出来なかっただろう。
まだ時間はある。二人ともに助かる方策を立てる時間が。
「あと、な。悪いが……もう一働き、頼む」
そう言って、門木は自分の顔を指差した。
「あぁ!」
ぽむ、千種が手を打つ。
「先生の顔、何かいつもと違う気がしたんですよねぇ」
その顔には眼鏡がなかった。逃げ回る間に落としたらしい。
物を見るのに支障は無いが、あれがないと学園側に敵だと思われてしまう。
いや、それはないだろう……そう思いつつも、生徒達は慌てて周囲を探し回る。
「ついでに……コレも頼むわ」
そう言ってピコピコと片足を上げる彼は、いつもの冴えない中年男にしか見えなかった。