「あ、黒田のおじさーん!」
少し遅れて店に入って来た黒田の姿を見付けて、並木坂・マオ(
ja0317)は「こっちこっちー」と手招きする。
「こないだの騒動で嫌われてるかもーって思ってたけど。よかったー、嫌われてなかっ…あれ?」
見れば黒田は渋い顔。
「もしかして嫌われてた?」
「別に、そんな事はないが」
仏頂面を崩しもせずに、黒田は丁度空いていたマオの隣に腰を下ろした。
「とりあえずビール」
定番かつ無難な注文にも人柄が表れている、様な。
「はい、ビールですね。お注ぎします」
早速、或瀬院 由真(
ja1687)がビール瓶と栓抜きを手にいそいそと近寄って来る。
「はぁい、お久し振りねー」
ひらひらと手を振りながら目の前に座ったユグ=ルーインズ(
jb4265)は、泡立つグラスにカシス・オレンジの洒落たグラスを軽く合わせた。
「まずは乾杯♪」
黒田がますます渋い顔になるが、今までの経緯を考えれば無理もない事だろう。
(こちらの話に、耳を傾けてくれればいいが)
黒羽 拓海(
jb7256)は烏龍茶のグラスを手に、内心でそっと溜息を吐く。
それでもこうして顔を出したという事は、多少の脈はある…と、思いたいのだが。
(ともあれ、まずは謝罪だな)
拓海は黒田の前に姿勢を正した。
前回の戦いでは言葉に反して、ダルドフの『刃』を折るどころか刃毀れを付けられたかも怪しいものだった。
それも含めて戦場での印象は恐らく既に最悪だろうが――
「その、前回の事は…力及ばず、申し訳ありませんでした」
「まったく、その通りだな」
黒田はビールを一気に飲み干すと、大きな溜息と共に言葉を吐き出した。
「だが、それは俺達も同じ事だ。お前達は寧ろ良くやった」
「あれ、今日は『貴様ら』じゃないんだ?」
黒田の顔を覗き込む、マオが悪戯っぽく笑う。
「多少は見直して頂けたのでしょうか」
グラスが空になったのを見て、亀山 絳輝(
ja2258)がすかさずお酌にやって来る。
「改めまして、大学部3年の亀山絳輝です! 先日は無礼な発言、申し訳ありませんでした」
二杯目のビールが泡立つ様子をじーっと見ていたマオが、羨ましそうにぽつり。
「いいなー、アタシも呑んでみたいなー」
「お前はどう見ても未成年だろうが――こら、そこのお前もだ!」
黒田は梅酒をロックで一杯やっている由真のグラスを取り上げようとするが。
「私は成人ですよ! ほら、学生証に運転免許証!」
「なん、だと…!?」
そこに書かれた生年月日を二度見してから由真の顔をじーっと見て、もう一度生年月日を確認し…
「偽造だな」
「違いますー!」
由真、涙目。
その様子を、普通ならこんな場所には縁が薄いであろう若菜 白兎(
ja2109)が隅の方でじーっと見守っていた。
(ん、お酒の匂い…苦手)
うきゅーっ。
それに、周りが大人ばかりというのもハードルが高くて尻込みしそうだけれど。
(でも今日は大事なお話しに来たですから、我慢して頑張らないと、なの)
もう一方の隅では、蛇蝎神 黒龍(
jb3200)が皆の話を聞くともなしに聞いている。
酒を呑みつつ、いつかダルドフに言われた通り、つまみのサラダをちびちびもくもく。
「酒はいい、自分を測るには、自分を知るにはいい(ままならぬ自分を悟るには、そして自分を助けてくれる存在を知るには、いい薬やな)」
呑まれず、のめり込みすぎなければ、だが。
(と言っても、底を持たないボクにはわからないけれども)
底なしのザルだからこそ、いざという時にはストッパーにもなれるだろう。
まあ、この分だとそうそう雰囲気が悪くなる事もなさそうだが。
それから暫くは、当たり障りのない雑談が続く。
「私は、黒田さんのお話が聴きたいです」
「ドラマの話なら振っても無駄だぞ、TVは殆ど見ないからな」
「あ、いや、そうやなくて」
あれは忘れて下さいと、絳輝はぷるぷる首を振った。
「なら何だ」
「別に大天使関連やなくても…ご家族のこととか、趣味とか、撃退士になってからの印象深い出来事とか、何でも良いんです」
「そんなもの聞いてどうする」
「私は貴方を知りません。貴方も私達の事を知りません。だから『お話』しませんか?」
にぱー。
「無理しなくて良い」
黒田はウィスキーに変えたグラスの中身を一口、喉に送り込む。
「お前達に――部下達にも、好かれていない事くらい知っている。無能と呼ばれてる事も、な」
「そんな事…」
だが、黒田はそれを遮って続けた。
「だが、それでも俺は…撃退士を辞める気はない。辞めるわけには、いかんのだ。あいつらの敵を取るまではな」
天魔と戦い、死んでいった仲間達。
「もう、一人もおらんのか?」
「同期も先輩も、殆どな」
黒龍の問いに、黒田は自嘲気味に笑った。
「皆、俺より優秀だった。俺が生き残ったのは、危険の少ない軽い任務しかこなせない…その程度の能力しかなかったからだ」
ところが――
「いや、アレは凄かった。悔しいのを通り越して笑っちゃうくらい」
うんうんと、マオが頷く。
「規格外の強さだったよねー、あのダドルフってオジサン」
名前間違ってるけど気にしない。
絶対いつか追いついてみせると、拳をぎゅっと握った。
「まず生半な攻撃では傷付かない頑健さ。加えて遠距離攻撃を弾き、近接攻撃もほぼ防ぎきる全周防壁…更には本人の武技による防御」
戦いの様子を思い出しながら、拓海がその特徴を並べていく。
「ここから、ダルドフに有効打を与えるには一定以上の攻撃力と技量、もしくは防げない数が必要と思われます」
いや、必要なのはその両方かもしれない。
「次に偃月刀を叩き付けての衝撃波と、深紅の輝きを放っての一撃。特に後者の威力は驚異的です。これを防ぐには相当の防御力が必要になります。前者も逃げ場の無い全周攻撃で、侮れない威力を持っていいます」
ただ、地面に叩き付けての攻撃である事から、飛行している対象には当たらない可能性がある事だけは救いか。
「少なくとも、戦うなら衝撃波の一撃で昏倒しない必要があります。それと冷静に弱点を突いてくる部分をどう防ぐかも考えないと」
おまけに敵地に攻め込むとなれば大量のサーバントも加わる。数だけ揃えて勝てる相手ではない。
こうして聞いていくと、黒田の特攻が如何に無謀無策であったかが良くわかる。
だが、彼も同じ様に感じてくれるだろうか。
「今でも自分らに勝ち目があったと、そう思うとるんか?」
「いや」
黒龍に問われ、流石の黒田も首を振った。
「だが、勝ち目があろうとなかろうと、再び襲撃があれば戦うしかなかろう」
撃退士が尻尾を巻いて逃げたら、一体誰が人々を護ると言うのか。
「それは、そうやねんけどな」
その時、隅の方から小さな声が聞こえた。
「あの…わたしは黒田さんのことも、ダルドフさんのこともよく知らないの」
皆の視線が集まると、白兎は遠慮がちにぺこりと頭を下げる。
「だからわたしみたいな子供が意見する、とかする資格はないのかも、だけど…」
しかし黒田班では仕事の度に怪我人が多く出ていると聞いて、どうしても何か言わずにはいられなかった。
「わたしは、やっぱり怪我して欲しくないなって思うの」
「怪我を怖れては撃退士など務まらんだろう」
黒田の言葉に、白兎は慌てて首を振る。
「あ、それはそう、だし…戦うことを避けたり、臆病になってって言ってるわけじゃなくて…」
ただ、子供の立場から言わせて貰うなら。
「…わたしのお父さんは一般人ですけど、もし撃退士で…いつも怪我して帰ってきてたら、すごく心配で心配で、心がきゅーってなっちゃうと思うの」
皆に安心を届ける事も、撃退士の仕事のうち。
それは一般市民に限らない。
「黒田さん自身にも、そして他の班員さんたちにも、心配する家族とかがいる事を忘れないのも大切なんじゃないかな…って」
「黒田さんのお嬢さんも、ちょうど同じくらいの年頃でしたよね」
囁いた絳輝の声に、黒田は黙って頷く。
「それに、そんな怪我ばかりの班じゃ、班に参加する人たちも安心できない…部隊の士気も高まるはずもないの」
白兎が続けた。
「リーダーさんと班員さんがしっかり信頼しあってなくちゃ、簡単なはずなことも上手くいかなくなっちゃうの…」
「私もそう思います」
由真が言った。
「天使打倒を目指す気持ちは理解できます。ですが、部下の気持ちを蔑ろにした状態でそれが成せるとお思いですか?」
黒田は答えない。
「あなたは確りと部下の事を理解していますか? …数を揃えた所で、そんな調子ではまた負けますよ」
言いにくい事をはっきり言うのは、そろそろ酔いが回って来たせいだろうか。
「単純に戦力を増やそうとするよりも、信頼できる仲間を作ることの方が、まず大事じゃないかなって…わたしも思うの」
だから、班員の人たちと、もっと話し合って意見を聞いて欲しい。
「班員さんは単なる戦力じゃなくて、一緒に戦う仲間なの」
だが、黒田は首を振った。
「あいつらは駒だ」
そう思わなければ、戦えない。
「無能な指揮官に、仲間は要らん」
不満を募らせ、怪我をして、さっさと配置換えになれば良いのだ――有能な人間の下に。
「それは詭弁やろ」
黒龍が言った。
確かにただの駒なら、いくら傷付いても自分の心が痛む事はないだろう。
だが、駒と言われた者達はどうなる。
彼等の心が痛む事はないとでも言うつもりか。
「どうやら、キミには冷静なパートナーをつけた方が良さそうやね」
一緒に酒を呑み、笑ってくれ、後押しをしてくれる、誰か。
「同期以外にも、そういう相手はおるやろ? おらなんだら、自分の行動を省みるんやな」
最悪、自分達がその役目を担うしかないのだろうか。
「とにかく、冷静になる事やな。仲間や大切な人を護り想う事を忘れたら何にも勝てない…自分自身にも、な」
「黒田ちゃんさ、はぐれ天魔についてはどう思ってる?」
ふいに、ユグが訊ねた。
天魔はこういうものだと、決めつけてはいないだろうか。
「アタシ達だって最初は一般的な天魔だったのよ。初めから例外だったわけじゃないわ」
ユグも昔は、人は感情の供給源となるだけの弱い生き物としか考えていなかった。
しかしある日、人が自分よりもさらに弱い人を懸命に助けようとする姿を見てしまった。
「そこから悩んで悩んで…で、結果はご覧の通り」
だが、同じ物を見てもそう感じない天使も当然いる。
同じ思いを抱いても、何らかの事情で堕天が叶わない者もいる。
例えば――
「ダルドフは人を唯の感情供給源とは見ていない。彼なりに人々を護ろうとしてるわ」
けれど彼の立場では、全面的な協力は出来ない。
「丁度貴方と同じ、色々と抱えた立場だから思う様に動けない。そんな感じじゃないかしら…多分ね」
「うん、確かにそうかも」
マオが頷く。
「ダドルフさんって、敵対してる天使の人だけど、なんかおチャメで悪い人には見えなかったよね」
ちゃんとお手紙の返事もくれたし。
「あのね、『強かったね! でも今度は負けないぞ!!』って書いたら、『ぬしもなかなか面白かったぞ!』って。面白いっていうのが、ちょっと引っかかるけど」
それに、今の状況を良く思っていないようにも見えた。
「あの時『力だけでは勝てない』って言ってたよね、それを素直に受け取って考えてみると、『社会的に勝つ』ってところを目指せってことなのかなって。ほら、勝負に負けて試合で勝つ、みたいな?」
「それを言うなら、試合に負けて勝負に勝つ、だ」
黒田が頭を抱える。
「そうだっけ? まあいいや、意味は通じたでしょ? とにかく、最終的に天使の人達から街と人々を助け出せば、アタシ達の勝ちなんだから」
「ダルドフは先を託せる相手を待っているのかもしれないな」
拓海が呟く。
これまで彼はこちらの意志と力を試すような真似をして来た。前回だって全滅させても良かったのに、それをしなかった。
「俺は奴に意志と、それを貫く力を示す為に倒したいと思う。しかし殺したくはない」
黒田はどうなのだろう。
ここまでの話を聞いても尚、考えは変わらないのだろうか。
「結局、天魔も人間と同じ様にいろんな子がいるわけよ。そこは知っといて欲しいかしら」
黒田がやっている事は、青い林檎の話を聞いても、林檎は赤い物だと決めつけて認めないのと同じ。
折角情報を集めても、そこでフィルターをかけたら意味がないし、ベストな行動など選び様がない。
「一回ダルドフを天魔だってフィルター外して見てみなさいな」
ユグは今では悪友となった黒龍と腕を組んで見せた。
「アタシ達だって、堕天前は血で血を洗う関係だったのよ?」
人生、何があるかわからないものだ。
「黒田さん」
絳輝が言った。
「剣で解決することを、私は否定できません。剣でしか解決できないことが沢山あることも知ってます。けれど――」
一息溜めて、続ける。
「…けれど私は、言葉で少しでも剣を交わすことが少なくなれば、それが一番だと思います」
立場、種族、力量が違っても。
「天使も私達も同じ言葉で感情を通わすことができることを忘れないでください」
そして、人の子の親ならば。
「…お子さんに、力よりも大切なことがあるんだって、そう言える、かっこいい父親になってほしいです」
子供は未来を拓くもの。
ならば大人は、彼等がいつか拓く未来を愛せるように、現在を変えていくもの。
「このままで良いとは、思っていないのですよね?」
「それは、そうだが…」
そこに言葉を継いだ由真は、完全に出来上がっていた。
「黒田しゃん…しょんなに殴りたいのならー、殴らせてあげるのでしゅ! 表でろーっ」
言ってない、言ってないよ!?
しかしヨッパライは聞く耳持たない。
「…準備してくるのれーす」
よろよろふらふら、外に出た由真はクマーに変身!
「盾殴られ代行、或瀬院クマー! いっくまーしゅ!」
いや、誰も殴るなんて言ってないから!
「かもん」
くいっと手招きするクマー。
だから誰も――
「かかって来ないのれしゅかー、ひきょーものー!」
いや、そう言われましても。
「撃退士はー、剣だけでなく、盾も持つべきなのれしゅ! 黒田しゃんはー、剣だけのー、のーきんなのれしゅ!」
やっぱり呑ませるんじゃなかった。
「だるどふさんは、盾も持ってましゅよ? 武具的な意味での盾じゃなくれですね?」
ヨッパライクマーは、持っていた盾を黒田にずいっと押し付ける。
「盾をもつということー。“守る”ということー。その大切さと意味をよっっく考えるのれしゅ! その為にも、もっと、部下しゃんのいう事…を…すぴー」
言いたい事だけ言って、立ったまま寝ちゃったんですけど。
「一応、考えてはおく」
爆睡クマーを座敷に寝かせた黒田は、溜息混じりにそう言った。
考えてはおくが。
「今はもう少し、お前達の話を聞かせろ」
若い者と飲み明かすのも悪くない。
今度は、難しい話は抜きにして――