「……タルトは要るの、要らないの? これからもずっとお菓子食べるなら、ちゃんと結論だしてよね」
榮太郎はぷいっと横を向きつつ、横目でちらちらかなえの反応を見る。
かなえは、愛用のフォークで目の前のケーキをつつきつつ、
「美味しいからどっちもあり、じゃ駄目なの?」と、口を尖らせる。
「だぁああめっ、ちゃんと理由を言ってどっちかに決めるの」
「ああん、榮太郎のいじわるが始まった。そりゃあ、あんたの地雷をうっかり踏んだ私も悪いよ? でも、だからってそんな言い方ないよぉ」
「……ほほう、メインヒロインは食いしん坊タイプなのかい? 主人公が料理スキル持ちだから食い合わせはいいけど、もうちょっとしっかり向き合わないと、意外とフラグって折れちゃうんだよ」
かなえは「だれ?」と小首をかしげて目の前で榮太郎の肩を親しげに抱く男を見た。
(え、ええっと……、榮太郎って私以外の友だちっていたっけ?)
もちろん、かなえが把握していない交友関係など榮太郎に存在するわけもない。
「あ……あの、だれ……です、か?」
榮太郎はか細い声で自分の肩を抱く男を見上げた。
「僕? 僕は誰でもない、ただのモブで良いんですよ。……そうですね、今回は栄太郎君の友人Aとして、君たちのラブコメに参加させてもらえるとうれしいな。そんなことより……ほら」
袋井雅人(
jb1469)は、ちょいちょいとかなえが突いていた皿を指さす。
いつの間にか、うさぎが一羽と久遠ヶ原の女子生徒が四人、チーズケーキが乗った小皿を真ん中においてじっと見つめていた。
「ふふ、面白そうな話題なので、私も参加させて貰うわ。……そういえば、タルトの必要性なんて考えたこともなかったわね」
と、静かに、だが妖艶に髪をかき上げる月臣朔羅(
ja0820)。
「必要かどうかならそりゃあもちろん……」
ごくりと喉を鳴らす、髪から靴の先まで青でコーディネイトした鳳優希(
ja3762)。
「皆の衆、ここは正直に言おう。……チーズケーキは食べたいか? 大谷は食べたいと言っているぞっ!」
外した眼鏡をにぎりしめ、隣人を巻き込む一色万里(
ja0052)。
「ケーキ、チーズケーキちゃんだ! ぱねえっ、ぱねえっす!」
うさぎの着ぐるみを着込んだ大谷知夏(
ja0041)はただうっとりと。
言うことはそれぞれだが、言いたいことはただひとつ、「ケーキを食べたい」。
「なるほど、みなの意見は判りました。ここに居合わせたのも諸伏家当主の宿命。『ベイクドチーズケーキにタルトは必要か?』この難問に答えを出しましょう。そしてみなでその成果を分かち合いましょう」
諸伏翡翠(
ja5463)は、ケーキの小皿を囲む集団に、静かだが良く通るよう計算された声で語る。
おおう、とあがる歓声。
「タルト! タルト!」とシュプレヒコールが繰り返される。
欲望をあおられた集団は、単純な目標を提示されると簡単に意思統一されてしまう。
これは、洗脳の初歩とも言える技術だ。
翡翠は、満足げに薄く微笑んだ。
「……ちょ、ちょっと待ってよ。……それって、どっちにしろ僕がケーキ焼くってこと?」
本来ならば正当な榮太郎の抗議だが、これを軽くスルー。
かなえの方を向いて、
「それでいいかしら?」と、だめ押しの確認。
かなえはしばらく考え、
「じゃあ、お願いします。――ただ、私は料理は詳しくないので、榮太郎に一任します」
と言ってぺこりと頭を下げた。
「よぉーし、判ったよ。じゃあボクは絶対にタルト無しでねばればいいんだね」
完全にむくれた榮太郎は、当初と真逆の立場を宣言。
(あれれぇ、なんでこうなったんだっけ?)
首をひねる榮太郎。
「榮太郎、頑張って」
かなえの目には、どこかすがるような光があった。
榮太郎は不安そうに口火を切る。
「えっ、えーっとですね、僕というか、か、かなえの言い分ですけど、しっかりと焼けたベイクドチーズケーキなら、タルトは要らないと思います。……不本意だけど、一理ある、かな」
「でもさあ、それって食感を考えてませんよね」と、優希が挙手。
「あの、重量のあるクリームチーズの質感にタルトのサクサク感としっとり感はマッチしていると思うんですよ。言わば、タルトはベイクドチーズケーキのただの土台なのではなく、二つが一つになったからこそ味わえる究極のデザートだと思うのですよ!」
と言って、だんと手のひらを机について立ち上がる。
うんうん、と周囲がうなずく。
「呑まれちゃダメだよ、栄太郎君」と自称友人Aの雅人が応援する。
榮太郎はごくりとつばを飲み込み、
「だったらっ、もっと軽い質感でさっくりと焼き上げればいいんです」
「そんな事出来ますか? タルトがしっかりと型を作っていなければ、切った時に型崩れを起こしちゃうんですよ! タルトがなければ、ねちょんねちょんのクリームチーズの塊になっちゃうんですよ!」
「ねちょんねちょんにしなければ良いと思う。――ほら、こんな風に」
榮太郎がごそごそと取り出したのは、やや時代がかった一冊の本。
チーズケーキとして紹介されているのは、たしかにパウンドケーキの様なものだった。
「……ほら、こうしてクリームの替わりにホイップしたバターをつかって食感を軽くして、ふくらみを維持するのにメレンゲをさっくりまぜれば、ね」
「でも、それってチーズケーキって言えるのかなあ?」
優希はとても不満そう。
「はい、鳳先輩の死亡確認。……ふふ、鳳先輩は四天王のなかでも一番の小物だよ。つぎはボクの出番だから首を洗ってまっているんだぞ」
と言って万里は古いレシピ本を熱心に覗き込む。
その集中力は「誰が小物ですー?」と肩を揺さぶって騒ぐ声も耳に入らないほど。
やがて万里は顔を上げ、
「ああ、これは昔のチーズケーキじゃないの。日本独自のケーキだっけ? 今はチーズケーキスフレって呼ばれているやつだ。……確かにこれも、チーズケーキだ」
「そう、そう、なんです。これって、古本屋で見つけた三十年くらい前の本なんだけど、この当時は多分、クリスマスケーキのスポンジみたいなのだけがケーキだって思われていたんじゃないかな」
万里は、ふうんと感心し、
「君、よく調べてるね。……確かに、このレシピ。ケーキをスポンジみたいに膨らませてやろうっていう執念すら感じるわ。でもそれって判る、判るんだよねぇ。オーブンの中で思いっきり膨らんだチーズケーキが冷めてしぼんでいくのを見るのって、ちょっと悲しくなるんだ。ボクの愛しいケーキ、どこに消えたの? ――ねえ、鳳先輩。あの時のボクのケーキ、どこへ消えたんだろうね? ああ、熱いオーブンのなかでふっくらと膨れあがった、あのチーズケーキだよ」
「おーい? 戻ってこーいですよー」
優希がぺちぺちとほほを叩くが、万里の心は遠く哀しみの海を漂ったまま。当分現実への復帰は無さそうだ。
「ええっと、僕は料理とか詳しくないんだけどね」
と前置きして、友人Aこと雅人が語り出す。
「チーズケーキとタルトって、この二人に似ていますよね。ハードで男らしてくサクサクと気さくなタルトが榮太郎君で、しっとりと女らしくふんわりと優しいチーズケーキがかなえさん。その意味なら、ふたつは一緒にあるのが必然。ああ、僕もそんな相手が欲しいなあ。――どうです、そこの素敵なお嬢様。僕と合体してベイクドチーズケーキになりませんか?」
と、言葉の最後は優希へと語りかける。――が、
「あ、ユキは亭主持ちですから、パス」と冷静にいわれ、あえなく撃沈。
そして今度は、かすかな笑みと共に翡翠が立ち上がる。
翡翠は、「もし栄太郎さんがハードで男らしくて気さくに見えるなら、眼鏡を変えましょう」
と、雅人にとどめを刺し、あらためて榮太郎へ向き直る。
「四天王のうち三人までも倒すなんて、流石です。どうやら私はあなたを見くびっていたようですね。かくなる上は、この諸伏家当主自らお相手しましょう」
「……あの、僕は別に倒してませんけど。特にさっきのは」
当惑する榮太郎。
「ふっ、あなたはこの国で独自に発達したチーズケーキスフレこそが王道だと言いたいのですね?」
「そこまでは言っていません」
「確かにあなたは正しい。でもこのチーズケーキタルトもね、長い時間を経てここにたどり着いたものなの。中世に起源を持つセルニックという菓子がポーランド移民によって夢や希望と共に新大陸に持ち込まれ、研ぎ澄まされた末にようやくチーズケーキとしてこの国に入ってきた。……あなたはここまでに到る人々の歴史を、苦難を、涙を否定するのかしら?」
「このスフレチーズケーキ作った人も努力してますよ、多分」
翡翠は、ふっと微笑むと、
「そう、それは思いも寄らなかったわ。……判りました。潔く敗北を認めます。でもね、私たちの背後には、もっと強力なお方が控えているのよ」
「……はい?」
「食べたいっす」
目の前のケーキの味を想像し、脳内でなんども反芻してつつ宙を見上げていた知夏がぼそりとつぶやいた。
「――ああ、しっとりしたチーズケーキとタルトのさっくり感、ぱねぇっす! 口の中で合わさった時のあの感覚、たまらないっす! ……でも、スフレも食べてみたいっすね! あああ、辛抱たまらねぇっす! ……はっ、知夏はちゃんと話聞いてたっすよ! ええっと、えっと、ケーキは食べてみないと判らないっす! け、決しておやつ代を浮かせようだなんて、ちっとも考えてないっすよ? ――それで、ケーキまだっすか?」
期待のこもった目で、じっと榮太郎を見つめる。
「いや、まだって言われても」
「まだっすか?」
今度はとても哀しそうだ。
「いや、だから……」
榮太郎は、つぶらな瞳に追い詰められ、あちこちへ目を泳がせる。
「ふふ、そんな事だと思いましたよ。――やはり、私が居ないと駄目ね」
涼しく妖艶な声がする。
「ああっ、くのいちポジ取られた!」と、現実に戻った万里が悔しそうにうめく。
「だれ?」
榮太郎は謎の声の主を捜してあちこち見回す。
「ふふ、どこを探しているのかしら」
榮太郎のそばには、小脇にバスケットを抱えて髪をかき上げる朔羅の姿があった。
「――お待たせ。今まで、これを作っていて会議に参加できなかったわ」
バスケットから取り出したのは、人数分に切り分けられたセルニックとチーズケーキスフレ。
「ほんと、急いで焼いたけど、この調理室はなんでもあって助かったわ。オーブンは余熱済みだし、タルト生地やカスタードクリームのストックはいいとして、まさかケーキストッカーの中にチーズケーキスフレまでが置いてあるなんて」
「待って、それ僕が作り置きして寝かせておいた生地! そのスフレケーキは食欲魔神用だよ!」
榮太郎はがたりと椅子を動かして立ち上がる。
そのひじを、かなえがくいっと引っ張る。
「……え、なにさ?」
「もう、みんなで食べようよ、ね? 今日の榮太郎はたくさん頑張ったから」
紅茶が湯気を立てている。
普段は二人分しかカップが並ばない実習室の机の上には、今回だけ八人分並ぶ。
「どうだい、栄太郎君。この風景はすばらしいだろう?」
男同士と言うこともあり、榮太郎の隣に陣取った雅人は満足そうに言う。
「すばらしいってなにがですか? 騒がしいだけだ」
なわばりが浸食されたような気がして、まだどこか不満そうな榮太郎。
「すばらしいさ。……それとも君は、これだけの人が君達のために集まって居ることを何ともおもわないのかな?」
「別に……」
不満ではある。でも、話の輪の中でかなえが楽しそうにしていることは認めざるを得ない。
雅人はぽんとその肩に手を置き、
「すばらしい。そうだろう? だって、だってこんな女の子ばっかりのお茶会に参加しているんだよ? こんなシーン、ラブコメのなかにしか存在しないって」
「……おい」
「ところで、サブヒロインの皆さんは僕が引き受けてもいいんだよ?」
雅人はこそりと耳打ちをする。
(……少しでも、感動しそうになった僕がバカだった)
榮太郎は、気むずかしい顔で冷めかけた紅茶をひとすすりした。
みなで試食した結果「チーズケーキタルトは美味しい。でも、スフレだって美味しいよね」という当たり前の結論で終わった。
最後は、食器や調理器具の後始末をしている榮太郎をよそに、かなえがみなを見送りにでた。
「みなさん、今日はありがとう。……あのね、気が付いているかも知れないけれど、あいつ私以外の人間とは、まともに口を利いた試しがないの。だから、あいつにとって今日はためになったと思うんだ。本当にありがとうね」
かなえは、深々と一礼して見送った。