■午後20時を回った頃
『……やはり、未だ現れる気配はないですね』
雁鉄 静寂(
jb3365)は、ハンズフリー状態にしたスマホに向かいそう言いながら、天窓の下に張ったネットを眺める。
この会場には、四方に出入り口と、部屋の四隅にはガラスの張られた天窓がある。
壁には仕掛けは無く、怪盗が侵入してくるとすれば、そのどれかであろう。
もちろん、ネットを引き裂いてでも入って来るような人物や物体があれば即座に格納できるように、窓の真下には大きな桶も用意されている。
その桶には警官が必ずつき、落下物があればすぐに蓋をする用意も出来ている。
『僕らの予想した20時40分まではもう少しあります。けれど、警戒は怠らずいきましょう』
静寂の通話に応答する戒 龍雲(
jb6175)の予想。
それは、しかしとて合っているのだろうか?
藤沖拓美(
jc1431)いわく。
「俺にはよくわかんねぇ。けど、獲物はここにあるんだ。ずっと待っていりゃ現れんだろ。そこを叩きゃいい」
狩野 峰雪(
ja0345)いわく。
「私は君達の作戦に従うよ? 予測大いに結構。それに合わせましょう」
と、片や漠然と。
もう片や飄々と。
良く言えば、仲間を信じているという事だろうか。
さて、作戦を預けられた静寂と龍雲。
「僕の予測では、2カメへ3回目の視点が移り、そのカメラが3カメへと切り替わる瞬間だと思います」
最初の発言は龍雲だった。
カメラの位置を時計盤に例えて、1カメの位置(真北)を1時の方向と捉えての解釈。
それでいけば確かに、2カメが監視を移す瞬間は20時40分である。
「私も、3カメに切り替わる時だと考えます。 ……どうやら警察はあの予告から21時00分だと予想しシフトを組んでいるようですけれど」
元より、警察も警察で撃退士を縛らない代わりに、ホエール逮捕に情熱を燃やす頑固な警部さんが独断で部下へそう指示を出す所を聞いたのだ、と静寂は言う。
警察の見立てでは1カメの位置(真北)を12時の方角と捉え、3カメが4カメに切り替わる瞬間が犯行時刻だと見るとの事だ。
けれど既に、2カメ3カメそれぞれを8時の方角の対角と見た場合、どちらも既にカメラは8時の方角を見失っていた。
それは、今回問題に上がっていない部屋の中央を陣取る大きな柱の存在。
中央に障害物があっては元より対角は映らない。
この見落としが今後どのように影響してしまうのだろうか。
■20時35分
監視カメラには異常はない。
移り変わった時に警官が暗号化されたブロックサインで映像に仕込みが無い事も確認され続けている。
また、ホエールお得意の煙幕やガスに対応して回せる空調は全て起動中。
『そろそろ時間ですね。効果があるかは解りませんが、唯一開け放った南口から素直にくるとは思いませんので、東口にはマキビシ(画鋲)をばら撒いておきました。絵画を偽物とすり替えておけなかったのは残念ですが、あとは予定通り、私は絵画の真上の壁に張り付いて待機します』
そう言い残し、最小の気配で光纏。
そのままスキルで壁に張り付くと、静寂は自身の存在を完全に潜行させた。
「僕は堂々と怪盗がやってきた時の為に、南口で待機しますよ。あと……狩野さんは北側、藤沖君は雁鉄さんと対になるような位置に待機していて下さい」
うまくバラけて備えるように龍雲が指示。
■20時39分55秒
撃退士たちの予測時間5秒前
4
・
3
・
2
・
1
2カメから3カメへ監視が移り変わる。
40分を回り、警官のブロックサインでカメラに異常は起こっていない事が解る。
果たして、怪盗はこの時間に現れるのか。
もしかすると、時刻を読み違えたのだろうか。
撃退士達はピリリと張りつめた静かな部屋で。
経過10秒。
未だ変化はなく。
経過20秒。
そして。
ガシャン!
「来たか!」
龍雲が音の方向を見上げる。
割れた天窓からは、キラキラと降り注ぐガラスの破片が床に置いた桶へと吸い込まれてゆく。
だが、ガラスを壊した何かは落ちてこない。
「あれは……円盤か?」
そう、天窓にはネットが張ってある。
そこに引っかかっている、フリスビーを4枚重ねにした様な分厚い円盤。
どこから放り込まれたモノなのか、四隅全てのネットに掛かっている。
ボン!
ボン!
ボボン!
飛来した4つが全て爆発音と共に内容物を一気に膨らませる。
どうやら、風船の様なソレは、ネットに阻まれてひしゃげながらも、原型を表す。
「ホエールそっくりだな」
一度、間近で怪盗を見た事のある拓美が、そう呟く程に、割とそっくりなダミー人形が出てきたのだった。
これが予告状の【影】にあたるモノだったのだろう。
とすれば。
>影達は静かなる溜め息を零す
とはいかなるものか。
それはすぐに答えが出た。
ダミー人形には、一定の圧力以上は空気が漏れる仕様になっているのか、パンパンに張りつめた風船から濁ったガスが噴き出され始める。
「これも、予想通りですね」
空気よりも比重の重いガスが、空調で換気しきれない分だけ天井から流れてくる。
あらかじめ、ガスマスクを用意していた龍雲たちは、すばやく装着しガスが尽きるのを待った。
「ぐわぁーーー! 目がぁ! 目がぁ!」
一部、不用心な警官が目の痛みを訴えて転げまわる。
……どうやら催涙ガスのようだ。
幾人かが大粒の涙を流し、阿鼻叫喚で転げまわる様を、楽しそうに眺め、そしてついに。
バゴン!
突如、9カメ真下の壁が粉砕されて、人ひとり納まる程度の小さな隠しスペースから。
「やあ、撃退士の諸君。初めましての者には初めまして、そして見知った者には改めて久しぶり、と告げさせて貰おう」
ウェットスーツに白マント、そして鯨の被り物をした、どこからどうみても変態の自称・怪盗Mrホエールが愉快そうに姿を現した。
「Mrホエール、予告状には【南から北へ回遊するクジラのように同胞を迎えに行く者】とありながら、まるで方向違い。まさか、予告状を裏切ったのですか?」
龍雲からの質問がホエールに向けられる。
「ふ……ふはははは! 私が予告を裏切るだと? 可笑しな事を言うものだな。時計盤の方角というのは方向指示者の向きによって決定されるのものだ。もし、私が西から東へと言えば真東が12時の方角となろう。そこから8時なら8時の方角を逆算すれば良いだけの事。今回は真北が12時の方角だという指示、ただそれだけの事に過ぎない。ともすれば【私は真っ直ぐに我が写し身を頂きに参る】と予告したのだから、私の欲する絵画の展示位置は3カメ。そこへ真っ直ぐに頂きに行くには8時の方角、つまり9カメの側から現れるのは当然の事であろう」
チッチッチと、なんとも人を苛つかせる仕草で人差し指を横に振るホエール。
「本当は、私の予告時間すら解らず、安穏と私が現れるのを待つだけの奴らなら、最初に一番間抜けそうな奴に一発活でも入れてやろうかと思っていたのだよ、こんな風に……な!」
すばやく突き出されたのはホエールの左手。
それが、一人の警官の腕を捉えたかと思うと……
「あばばばばしびびびびび?!」
左手に仕込まれたスタンガンを喰らい身体を痙攣させ、その場に崩れ落ちる警察官。
「んのやろう!」
丁度、最もMrホエールに近い位置で警戒していた拓美が物怖じせずにホエールに銃を向けると。
さも暴発気味に、狙いも充分に定まらぬうちに、ただ、勘と相手への意表を目的として……
バン!
ぶっ放した。
「ちぃ!」
バチッ!
弾丸は真っ直ぐにホエールの左手を捉えて弾き、左手のスタンガンを故障させる。
次の弾丸を……と再び構え直す拓美。
その隙を見逃さず、一気に距離を詰めて殴り掛かるホエール。
「藤沖君離れるんだ!」
龍雲の呼び声。
だが、間に合わない。
「ふん!」
「ぐほぉっ……!」
ホエールの飛び込みながらのボディブローが、的確に拓美の鳩尾を捉えて。
抉りこまれながら中央の柱まで勢いよく吹っ飛んだ。
柱に背中を強打し、鳩尾を抉られて拓美は、一時その場で気を失う。
「強い……!」
そう、龍雲が呟くほどに。
たったの一撃。
人としての限界を超えた撃退士でも一撃で殴り倒す程の強さ。
これが、本来の撃退士としてのMrホエールの実力だった。
警察官も足が前に出せずに竦み上がるほどに。
だがそれでは逮捕どころか絵画を守る事すら出来ない。
頑固警部の喝が飛ぶ。
「何をやっとるか! 怪盗を取り押さえろ!」
「「う、うぉおおおお!!!」」
警察官達が一斉に押さえにかかる。
が、まるで子供をあやす様に、平手、蹴り飛ばし、掴み投げ。
「そんなものでは私は止められん」
ツカツカと。
歩みを止める事もなく、絵画へ向かって突き進むホエール。
「おお……! これが【うねり泳ぐクジラと日差し】か。想像以上に美しい!」
ついに絵画の元へと歩み寄るホエール。
「そこまでだ」
龍雲はホエールとの間を遮るように立つ。
「なんだ、仲間がやられる所を見ていなかったのか?」
「僕を簡単に退けられるとは思わない事だ」
「……そうか、では覚悟の程を確かめてやろう!」
混じり合う視線。
「うぉおおおおおおおお!」
龍雲の、身が竦むような咆哮が響くと同じくして展開される光纏。
叫び声をそのまま体現したかのように獰猛で巨大な虎の顔のオーラが浮び上り、その眼とその牙が怪しく輝く。
そして繰り出される掌底。
が、それはかわされて、代わりに敵のローキックが飛んでくる。
「死活……!」
龍雲の太ももを爆発の様な蹴りの衝撃が襲うが、体内に循環させたアウルが痛みを消し去り、かろうじてその場に耐えさせる。
これは、チャンスだった。
怪盗の目の前には倒れない龍雲。
そして、撃退士は彼一人で無い。
「ぬ……! こ、これは!」
ホエールは、上手く身動きが取れないようだ。
それは、絵画の上に潜行している静寂の、恐ろしく細い糸が怪盗を捉えて絡めているからだった。
「僕もいるんですがね」
北側付近から、飄々とした声と共に。
ズダダダダ。
ライフルから撃ちだされる弾丸の嵐。
「あ……痛! い、いだだだだ?!」
峰雪が、隙を逃さず、かつ瞬時に間合いを詰められない程度の位置からの射撃。
「ぬ、ぬおおお……! おのれぇ、そこと……そこか!?」
強靭な肉体をもつホエールだが、彼は接近戦のみという訳ではない。
「なに!」
「くぅ!」
敵は高圧の水を撃ちだす銃を構えて、北側で安地を取っている峰雪と、そして。
絵画の上で潜行していた静寂を撃ち抜く。
「やはり気配を消すことが出来る者がいたか! 昨日の晩から食事も我慢して身を潜めていたが、逆にコチラからも対面の絵画側が把握出来ない事で失念していたぞ!」
対して高圧の水を受けたとはいえ、必殺の一撃と言う訳でもない攻撃に身を痛めながらも、
「昨晩からずっと食事も摂らずにずっと潜んでいたのですか……不健康ですね」
と、健康オタクこと静寂がほんの少し不機嫌そうに告げる。
「なぁに、食事や睡眠など、この祭りに比べたら些細な……」
ぐぅ〜〜……
「…………(ホエール)」
「…………(撃退士)」
ホエールの、銅鑼のように大きな腹の虫が響く。
「やはり、お腹が空いている様ですね。 ……携帯食でも食べますか?」
持っているかどうかは別として、静寂がさらに空腹を敵に意識させるために発言する。
「ぐぬぬ! 貴様ら撃退士の施しは受けん! 空腹だろうと構わん、今すぐ絵を奪い、そして帰ったらその絵を眺めて美味しい御飯を食べれば良いだけの事だ!」
慌てて絵画に手を掛けようとするホエール。
そして、それは当然阻止された。
「【そこまでだ】と、先程言ったはずだ」
未だ、凄まじいオーラを纏った龍雲が怪盗を止める。
「おのれぇ!」
ぐぅ〜。
気にし始めると、なかなか忘れる事ができない空腹がホエールを襲う。
そして、敵の身体が緩んでいる瞬間を狙いすました、再びの掌底。
「ほげえええええ?!」
まともに喰らって転げ飛ぶ怪盗。
そして、銃に構えなおした静寂と、距離を取ったままの峰雪の一斉射撃。
「あだだだ?! こ、こら! あ、痛たたたた?! くっくそおお!」
さすがのホエールでも、これだけ一方的な攻撃と空腹ではまともに太刀打ち出来ない。
「もう一度ワイヤーで捉えます!」
静寂が再度ワイヤーで怪盗を絡め取りにゆく、が。
攻撃の手が僅かに緩くなった瞬間を逃さず、ホエールが気力を振り絞って最後の絵画奪取を試みる。
もちろん。
「無駄だ」
怪盗の動きを完全に読み切った、龍雲の薙ぎ払いがホエールの最後のチャンスを潰す。
「お、おのれえええ! 空腹でさえなければ貴様らなど……!」
ぐぐぅ〜〜……!
空腹の限界を知らせる今日一番大きな腹の虫。
「あ、もう駄目だ……御飯食べたい……きょ、今日のところは退かせてもらうぞ撃退士ども!」
ヘロヘロになりながら、懐からホエールは小さな弾を取り出して地面に放り込んだ。
辺りに立ち込める濃密な煙。
「くっ怪盗はどこだ!」
警部が煙の中を探るように掻き分ける……が。
「どうやら、逃げられたよう……です……ね……」
龍雲が、気力を使い果たしその場に崩れ落ちる。
「絵は……無事ですね、よかった」
素早く絵画を確認する静寂。
絵は盗まれてもいなければ、すり替えられてもいない。
そしてホエールは跡形もなく消え去った。
『またどこかで会おう! さらばだ!』
とだけ、声を残して。
「絵画は盗まれず、怪盗は消え去った……と、いうことは。我々の勝利だあああああ!」
「「わああああああ!」」
警部の喜びで警官隊の大きな歓声が響き渡る。
傷付きながらも絵画を守りきった撃退士を包むように。
●
翌日、怪盗に狙われたという絵画を一目見ようと。
またそういう人たちを集めて入館料を集めようと。
絵画展は一日延長されての大混雑となった。
人とは浅ましくも逞しい。
金儲けに利用されてしまっている事実にホエール自身は気が付いているのだろうか。
★斡旋所にて
「たった4人での絵画護衛任務お疲れ様でした。まさか、Mrホエールが前日から潜伏していて、そのせいで空腹だったとは予想外でしたが、絵を奪われる事にならず良かったですね……あ、そうそう、Mrホエールから恨みのお手紙がまた届いていますので読みますね」
〜手紙〜
君たちとの祭りが楽しみ過ぎたせいで待ち合わせに早く着き過ぎてしまったようだ
次はそんな事の無いように、しっかりと食事をして挑ませて貰うとしよう
満腹の私の強さと恐ろしさを、お腹一杯ご馳走してやるからそのつもりで待つが良い
ハングリーな紳士・Mrホエール
「だ、そうです。確かに彼は強く、少々の犠牲はでましたが成功と言えるでしょう。改めて、お疲れ様でした、ありがとうございます」