■深夜23時
その日の夜空は、周囲に明かりも無いのに星が見えない程に黒く、そして深かった。
嘲笑う口の様に鋭く歪曲した下弦の三日月は、そこだけ雲が避けるように開けており、妖艶に美しく金色を主張している。
月明りに輪郭を現す雲の形は、死神のシルエットを様しており、月と相まって人の首を狩る金の鎌を持っている風にすら映る。
元校舎であった廃墟。
まるで骸骨の……いや、人知れぬ墓標であるかのように虚で空っぽであることを隠しもしない程に荒れ果て、朽ちている。
そんな所に人の手が入る筈も無く、昔、まだ学校であった頃に植えつけられていた樹の、枯れ果てた枝は風に揺れ、おいでおいでと、手招きをする。
きっと歓迎しているのだろう、新たな犠牲者が訪れた事を……
「……ここまでが、7年前にここを訪れた廃墟専門のブロガーが書いた、この建物の紹介冒頭です」
レティシア・シャンテヒルト(
jb6767)はスマホの画面を見ながら、過去にこの廃墟を訪れた人物のブログを流し読みして皆に話した。
生憎と、そのブログには訪れた季節までは記載が無かったが、しかし。
どうやら今夜も三日月で、星の見えない夜空であるにも関わらず、美しく月が出ている。
所謂、おあつらえ向き…と言ったところだろうか。
「まるで、ホラーゲームのようですね、こういう夜の不気味な廃校舎の恐ろしさは良く知っています。早くアキちゃんを助けてあげましょう」
袋井 雅人(
jb1469)、彼は少女の危機的状況がある中で、アキを助けたいと心から思う反面、悪気なく明るく状況を楽しんでいるようにも見えた。
「ここに潜んでいるであろう何者かを明確に出来るような情報はあるかい? 例えば、七不思議とか」
じっとりとした、真夏の夜風を受け流すように。
逢見仙也(
jc1616)が訊ねる。
その問いにレティシアは含みを込めて返す。
「残念ながら、元々学校であったとはいえ、廃墟となってからあまりに時間の経過が激しいので、七不思議は明確なものは残っていないようですよ、ですが……」
ですが、と間を開けて続ける。
「廃校になってからの話ならいくつか……人を喰う麻袋、天地のひっくり返った教室、宙に浮く人体模型など、他の学校にありそうな七不思議に毛が生えた程度の物がチラホラというところですね」
ふーん、と。
仙也にとっては今回に関連性のありそうな情報ではないが、心に留める程度には把握した。
●
朽ちた下駄箱の並ぶ正面玄関の中。
当然の如く、吹きっ晒しの廃墟の中は思いの他暗かったが、それぞれランタンや暗視スキル等で補う。
土や埃の混じった床は今にも腐り落ちてしまうほど痛んでいたが、なんとか人が歩ける程度には強度を保っていた。
その床を小さく屈んで、最初に手掛かりを見つけたのはレティシア。
「奥に向かって小さな足跡が残ってますね。これって……」
「真新しいな。恐らく、捜索対象のアキの足跡で間違いないだろう。他には足跡はなさそうだし、奥に向かうモノ一つだとすれば、やはりまだ建物の中ということになるか」
冷静に正確に、ミハイル・エッカート(
jb0544)は確信めいた推測を述べた。
「良い趣の廃墟だな。普段なら観察に勤しみたい所だが…今は子供の安全が優先だ。二手に分かれて探そうか」
観察狂でオカルト好きなアイリス・レイバルド(
jb1510)
普段から無表情である彼女だが、子供には甘い一面もあるようで……
実は建物に入る前、自分達撃退士が来た事や、返事を期待する呼び掛けを彼女はしていた。
だが、返事は無く、
「何すぐに迎えに行くさ。何も心配は要らない」
と、呼び掛けの最後にそう告げた言葉からは無償の優しさが感じられる。
■A班 ミハイル・アイリス
二手に分かれる事を提案したアイリスは始めに音楽室に直行する事も、同じく提案した、が。
「ならば、見落としの無いように3階の音楽室へ向かいながらその道中の部屋を1階から確実に調べつつ向かおう。我々は多少探索範囲が狭くなるが、元より人数は少ないからな」
と、ミハイルに諭され「それもそうか」と、承諾した。
探索開始から数分。
歩く振動だけでも壁や床が軋む。
人の気配を注意深く探知しながらも、何事もなく1階の階段近くまで来てしまった。
「俺達のルートだと、1階は用務員室で最後だな。トラップも無さそうだし、人の気配も無いが、一応見ておくか」
ミハイルは索敵と罠探知をしつつ。
かすれた文字ではあったが【用務員室】と読める札の付いた、ドアの開け放たれた空間を覗く。
中は4畳半程度で何も残ってはおらず、人の隠れられる様なスペースも無い。
だが、子供一人なら潜れそうな麻袋が数枚、無造作に落ちていた。
「まさか、な」
人の気配など微塵も感じないが、もし、万が一死んでしまっていたら。
この大きさの袋なら収まってしまうかもしれない。
ありえないとは思いつつ、その麻袋にミハイルが手を掛けようとしたその時。
「あぶない!」
アイリスの強い掛け声。
咄嗟に腕を引いたミハイルの眼前には、罠探知にも掛からなかったはずの麻袋が宙に浮いて、今まさに彼を呑みこもうとしていた。
「ちぃ!」
すぐさま光纏した二人は袋をアウルでもってズタズタにする。
プツリ。
何か、糸でも切れたかのように沈黙し、崩れゆく麻袋。
「生命反応が無かったという事はポルターガイストの類か?」
息を整え、アイリスが袋の切れ端を持ち上げ、そして放り捨てる。
「……どうだろうな。動き出すまで、妙な気配は一切なかった。決め付けるには早いな、ここには何がいるか解らないのだから。だがひとまず、何かが居る事だけは間違いない、B班にも伝えておこう。最も、ショットガンをぶっ放したから異変には気が付いているとは思うが」
そう言って、ミハイルはスマホを取り出し、B班へと連絡した。
■B班 雅人・レティシア・仙也
こちらは1階の探索を終えて、2階へ昇るところ。
途中、骨組みの剥き出しになった体育館への長い渡り廊下を見つける。
覗きこむとそこは廃墟の暗さから、何処までも伸びる暗黒の道の様にも見えた。
「わ、私はのびる廊下だけはダメなんです!!」
と、雅人が……幼さの中に淡い魅力を兼ね備えたレティシア……ではなく、引き締まった良い身体をした仙也へギュッと抱きついてしまう。
もちろん、
「何をしているんだ?」
と、仙也に言われるだけであった、そんな一幕。
改めて2階へ足を進めると……
【ズドン】
熱を押しつぶした様な高密度な爆音が、反対側から廃墟を響かせてやってくる。
音の方向はA班の方だ。
何事かと、雅人はスマホ片手に連絡を取ろうとするが。
「……なるほど、多分、向こうでもこういう事だったんですね」
連絡を取るまでも無く、2階へ来たB班の目の前には……
2年生の教室前の廊下。
その天井を、蜥蜴の様にズリズリと這い寄って来る机の大群が犇めいていた。
その数、およそ20。
「やるしか、ないですね」
生命反応を探しつつ、特に反応のない区画を避けて探索していたレティシアだったが、向こうからやって来るのであれば仕方ない、と。
虫除けのアロマを漂わせながら、光纏。
同じく、仕方なしと判断し雅人・仙也の二人も光纏で臨戦態勢に入った。
■A班
「おかしいな。B班の誰とも通話が繋がらない」
ミハイルはいぶかしむ様に、B班の居るであろう方向を眺めた。
「あちらでも何かあったのかもしれない」
そう、アイリスが口にする刹那。
【バゴ! ガラン!】
B班が聞こえていたように、逆にA班の方でも、異常を告げる異音が響いて聞こえる。
その音は何か硬い物が砕けたり、高い所から物が落ちる様な音だった。
「やっぱり、こちらと同じような状況があちらでも起っているみたいだ。援護にいこうか?」
というアイリスに対して、
「いや、向こうは3人だ。それに、我々と同じ程度の罠(?)であれば問題ないだろう。そのまま2階は彼らに任せて3階の音楽室へ行こう」
ミハイルは端的に答えた。
■B班
「……これでラストだ」
仙也が刀を振り下ろし。
ズン……と重たい音をたてて、動く机の最後の一つが床に転がり沈黙した。
「大した力はありませんでしたが、やたら数が多くて面倒でしたね」
言いながら、ふぅ、と深くため息を吐く雅人。
その様子に、微笑んでレティシアが。
「そうですね。でも、その割には、なんだか楽しそうですね」
「私は廃校舎というだけで心惹かれてしまうんですよ……記憶を失う前に、何かやり残したことがあるのかもしれませんね」
今の方が大切なので、それほど気にしている事で無いけれど、と付け加えて。
「おっと、A班から連絡が来ていたな。掛け直してみよう」
仙也が着信履歴から折り返す。
『ようやく繋がったか。そちらも何かあったようだな』
通話の相手はミハイル。
「ああ、机が襲ってきた。そちら【も】ということは、A班のルートでも、何か動き出す物があったのだな?」
『こっちは袋が襲ってきた。丁度我々は今音楽室を調査し終えた所なのだが、足跡を見つけた。どうやらこの近くの家庭科室に続いている様なのでそちらにアキを探しに向かう事にする。他の場所をB班にまかるが良いか?』
「わかった。よろしく頼む」
プツ。
通話を終えた。
「どうやらA班は少女のいそうな近くまで来ているらしい。俺達は引き続き残りの場所の調査をすることになった」
仙也は連絡の内容を伝えた。
「わかりました。今回は大した事では無かったとはいえ用心しましょう。油断していなくても死んでしまうのが夜の廃校舎です」
そう気を引き締めて、
「アキちゃーん、どこですかー?」
と、呼び掛けを雅人が再開し、レティシアも探知に戻る。
■A班
音楽室から伸びる小さな足跡を追って家庭科室へ。
「君が……アキだな?」
アイリスはついに……家庭科室の調理台の下から少女を見つけ出す。
だが、少女はガタガタと身体を震えさせるのみで返事は無い。
よほど怖かったのだろう。
相変わらずの無表情ではあったが、アイリスはそのまま少女の身体を、それ以上は何も言わずそっと抱きしめた。
「あ……」
と。
温かさに包まれた少女は、アイリスの顔をみて、優しく抱きしめられた事に気が付いて……
そして、安堵したかのように気絶した。
「エッカート、後は任せる」
「……ああ」
そっと、抱きかかえて少女をミハイルに任せる。
それから何も言わず、彼女はB班へと合流すべくその場を離れた。
小さな子供を怖がらせる何かを排除する為に。
■元・校庭だった所らしき場所の中央
「…………あれ、ここ……」
少女が気絶から目を覚ます。
隣には、ニヒル漂うお兄さんがいた。
ミハイルである。
「気が付いたか。自分の状況、わかるか?」
不意に、逃げ出す時の事を思い出したのか、アキが震えだす。
「わたし、わた……わたしに、お人形が……」
掠れた声で、視線の焦点を崩して頭を抱える。
「喉、渇いただろ。これを飲んで落ち着こう」
夜の闇に似合わずピンクの目立つ、いちごオレを優しく差し出す。
「……? えっと、お兄さん、ありがとう……」
アキは考えが廻らない頭でそのピンクの飲み物を受け取った。
ポコっと、紙パックを飲み終えた時特有の音がする。
どうやら、落ち着いた様子の少女にミハイルは訊ねる。
「なんで、こんな所に一人で入ったんだ?」
目の前に不気味にそびえる廃墟に目線を誘導して聞く。
しばらく、黙り込んだアキが口を開く。
「イノちゃんがね、私が弱虫だって言うの。だから、怖い所で言われた事を守れたら強くなれるんだって言ってたの」
「……そうか。でも、本当は違うんだろ? 本当は、そのイノって子に嫌われたくないから、仕方なくやったんじゃないのか?」
「…………」
アキからの答えは無い。
図星のようだ。
「このご時勢、いつ天魔に襲われてもおかしくない。本当に嫌な事は断る勇気を持て。馬鹿な事して死ぬよりはずっとマシだぞ」
「うん……」
「そのイノって娘は、お前をこんな目に遭わせたんだ。今頃お灸すえられているだろう。もうこんな馬鹿なことはしないはずだ」
ふっ……と笑ってアキの頭に手を置いた。
●
その頃、B班は理科室の動きだした人体模型を破壊した所だった。
張り巡らされた罠を、片っ端から壊されて、とうとう本体が動き出す。
「AAAAaaaaaaa!!!!!!!!!!」
甲高くも、唸るような、くぐもった絶叫が廃墟を包み……
地面は振動し、建物のあちこちが崩落している。
その崩落は、アキの隠れていた家庭科室にも及んでいた。
もし、アキの発見よりも罠を壊されて触発された何者かが動き出していたら、と思うとぞっとする。
そして、その何者かは、骨組みだけの体育館に顕れる。
「ついにおでましか。アキ、良く見ておくんだ。これから、お前を怖がらせた奴を俺のチームメイトが倒す」
■体育館
廃墟の主は、たった1体のディアボロ。
だがそれは不可視の糸で瓦礫を集めて身に纏い、まるで動く要塞。
本体も瓦礫の中を動くため直接狙えない。
それでも撃退士達は戦う。
「暗黒破砕拳! 暗黒破砕拳! 暗黒破砕拳んんんんんん!」
怒涛の勢いで寄せ集められた瓦礫を吹き飛ばす雅人。
「瓦礫で動きが鈍い」
纏った瓦礫ごと押し潰す程の魔法。
そして追撃。
「おかわりだ。甘くは無いが味は保証するぞ?」
子供を害する者には容赦の無いアイリス。
「ぐはぁ!」
それでも楽勝とはいかず、操られた瓦礫を叩きつけられる仙也。
「大丈夫ですか?」
すかさず、傷を癒すレティシア。
いつしか瓦礫は崩れ去り、ディアボロは本体を晒す。
新たな隠れ蓑を探して逃げ出そうとするディアボロだが、しかし。
「逃がしません!」
慎重に距離を詰めたレティシアの鎖が顕現して捉える。
守りを失い、逃げ場も失ったディアボロ。
そのトドメにアイリスの一撃が入ると、
「Uaa……aaa……」
嘆く様な小さな呟きだけ残し……あっけなく消え去った。
●
「すごい……」
救い出されたアキの瞳に映る撃退士達の勇姿。
それは少女の心にも大きな影響を与え、ある一つの決意を産む。
「わたし、もう弱虫やめる。嫌な事は嫌って言う。それから、命令されなくてもイノちゃんとお友達になる!」
その決意に無言で頷くミハイルに微笑み返してアキは体育館へ走り出した。
自分一人の為に戦ってくれた撃退士達にお礼を言う為に。
●斡旋所
「おかえりなさい。少女の無事な救出、及び敵性存在の排除お見事です。問題無く【大成功】と致しましょう。皆様、本当にお疲れ様でした」