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「グウアアアアアァァァァ!!!」
狂気を孕んだ咆哮が、夜の街に木霊する。
「来たぞ‥‥場所も理想的だ」
御影 蓮也(
ja0709)がつぶやく。
周囲にガレキが少なく、両班が隠密状態のまま素早く奇襲をかけられる絶好の位置まで約10秒。
誘導してきた撃退士達が駆け抜けていく。
「御影先輩、合図をお願いします」
蓮也が周防 水樹(
ja0073)にうなずき、合図を発信する。
5秒の間に全員が完全な戦闘態勢に入る。
外に漏れ出さないように凝縮して押し込められていた闘気や怒りが、
爆発の瞬間に向けて首をもたげ、わずかに空気に染み出す。
炎鬼が別の気配を察して本能的に足を止めた瞬間――
(──跡形も無く消し去ってあげる)
春名 璃世(
ja8279)が心で宣戦布告し、想いを刃に込める。
共鳴するように怒りを宿した闘気が放たれ、6つの軌跡が炎鬼へと疾駆する。
「オラ行くぜぇ‥‥ヒャッハァー!!」
「まずそのやっかいな腕もらっちゃうよー!」
右側班のヴィクトール・グリム(
ja8730)と高瀬 里桜(
ja0394)は、
それぞれ銀焔と星の輝きを纏った大剣を携えている。
ヴィクトールは地を這うように滑らせた刃を渾身の力で振り上げ、
里桜は淡い金色の翼を雄々しく広げて跳躍し、天からの一撃を肩へと振り下ろす。
無防備な肩に天と地からの斬撃が叩きつけられた。
共に重量のある剣を遠心力を利用して最大威力まで高めて放っている。
生じた傷口に向けて、大谷 知夏(
ja0041)の棍が伸びる。
「これ以上の被害を出すわけにはいかないっす!」
同じく星の光を宿した棍は、駆ける知夏に合わせて輝く尾を虚空に描きながら、
駆け抜けた速度を運動エネルギーとして内包し、流星の如く襲い掛かる。
「‥‥行くぞ! まずはあの腕からだ」
左側班も蓮也が残像すら残さない神速の蹴撃で、肩の関節に強烈な一撃を叩き込む。
「狙いは腕‥‥一気に仕留める!」
続いて駆けたのは、銀色の閃光だった。水樹が斧槍を構え、
全力でのチャージを正確に蓮也と同じ箇所へ叩き込む。
「――命と心を弄ぶなんて絶対に許さない」
璃世はガレキを全力で駆け上がり、跳躍して左右からの攻撃で怯む炎鬼の真上を取る。
剣を両手で真下に構え、白い羽根の幻影を降らせながらの
体重と落下速度を乗せた一撃は関節を的確に捉えた。
深々と突き刺さる刃に、炎鬼が苦悶の咆哮をあげる。
全員が奇襲を終えて散開した時、炎鬼は『両腕』を振り上げて怒りを露わにした。
しかし、両腕共に天を衝く事はできずにかなり下がっている。
右側は衝撃を伴った重い斬撃や打撃で肩に大きな負傷は与え、
左側は刺突を中心とした連携で関節に深刻な負傷を与えていた。
特に璃世の刺突に向いた小剣と跳躍からの落下攻撃は大きな成果を挙げている。
●
「壊す事はできなかったっすね。続いて狙うっすよ!」
狙い続ければ、腕を無力化できる。
そう判断した知夏は、自分の役目を囮と挑発だと考えていた。
敵の注意を惹き、逃がさないように釘付けにしながら隙を作る。
危険な役割だが、臆する気持ちは欠片も無かった。
知夏は接近戦を行う味方をフォローするために炎鬼に接近し、
挑発するように駆け回る。炎鬼の腕が火炎を撒き散らしながら迫ってくるが、
弓に持ち替えた水樹と里桜の援護で紙一重で避ける事ができた。
「逃がしたら、また犠牲者が出る‥ここで必ず終わらせる!」
堅い表情の下、心の中に重く鈍く‥‥しかし、強い意思を携え、水樹は炎鬼を射抜くように睨む。
狙い、放たれる矢は前に進む仲間を守る。
そして、敵をここに押し止める。もう誰も傷つけさせない。
意思は強い力であり、何よりも鋭い刃になる。
「あんな簡単に人の命を、幸せを奪うなんて許せない‥‥! 」
淡い金色の翼を広げ、星の輝きを宿した弓を引く里桜の姿は、
守護を司る天使と呼ぶにふさわしい出で立ちだった。
それを体現しているのは、怒りを御して湧き上がる
誰かを守ろうとする気高い想い。大切なものが何かを知るからこそ、
生まれる光は美しく、迷いなく輝く。
矢は囮になっている知夏を助け、炎鬼の気を散らし、行動を阻害して確実に隙を作っていく。
傷は大きくなくとも、炎鬼の意識に死角ができる。
その隙を活かしつつ正面からヴィクトールが、死角から璃世が接近戦を仕掛けた。
ヴィクトールは仲間が作った好機を活かし、正面からでも力を溜めた
渾身の一撃を見舞う事ができた。右肩への振り下ろし命中する。
「グガアァッ!!!」
苦痛に咆哮をあげる炎鬼は、すぐさまヴィクトールに反撃する。
両腕が火を噴き上げ、瞬間的に加速した炎鬼の高速突撃。
「そう簡単に好き勝手ができると思うなよ」
しかし、動くタイミングを狙っていた蓮也の飛燕翔扇を使ったカウンター攻撃が足に突き刺さる。
長い刻をかけて磨き抜かれた技術。御神影月流真闘術の洗練された動きによって
放たれる技が、炎鬼の動きの核となる部位を的確に突く。
心技体が揃い、全てが合一しなければ、どんな闘う術も威力を発揮しない。
炎鬼の動きを制するだけの力が、蓮也の技には確かにあった。
蓮也の稼いだ時間で、ヴィクトールは態勢を整えて突撃を待ち受ける事ができた。
巨躯を甲冑で包んだヴィクトールが、大剣を盾のように構えて突撃を受ける。
「嘗めんじゃねえぞクソがぁぁああああ!!」
大きさに勝る炎鬼だが、鋼鉄の巨躯を押し切る事はできずに失速する。
そこに周囲からの援護射撃が入り、炎鬼の態勢が崩れた。
ヴィクトールは渾身の力で炎鬼を弾き飛ばす。
「ちょうどいいトコにあんじゃねえか。脳みそブチまけろやあぁ!」
炎鬼が仰け反った身体を戻そうとして、うまく行かずに片膝を着いていた。
ヴィクトールは地面を踏み割るように大きく一歩を踏み出し、
上段に構えた大剣を炎鬼の顔面に向けて振り下ろす。
飛び散る鮮血と肉片。顔面の右側の肉を分厚い鉄塊でこそぎ取られ、
苦悶に喘ぐ炎鬼にヴィクトールは追い討ちをかける。
肉を抉りながら眼窩に腕を突っ込むと、辛うじてくっついていた眼球を引きずり出す。
声にならない苦痛の咆哮が空気を振るわせる。
「大切な場所を‥‥大切な人を奪われた人達の痛みは、
こんなものじゃないんだから!」
背後の死角から接近していた璃世が、水樹のチャージでできた関節の傷口に
銀焔を纏った小剣を突き刺した。全身の力を込めて奥へ奥へと押し込んでいく。
連続での激痛に炎鬼は半狂乱になって暴れて腕を振り回す。
璃世は直撃はしなかったものの、大きく吹き飛ばされる。
「春名先輩、危ない!」
間一髪の所で水樹が璃世を受け止める。
「ちょっと無理しちゃったかな。ありがとう、周防君」
「いいんです。それより‥‥」
水樹が見つめる先には、荒れ狂う炎鬼がいた。
明らかに先ほどよりも左腕が上がらなくなり、ほぼ使い物にならなくなっていた。
「とはいえ、こう無茶苦茶に暴れられると手がつけられないっすよ」
撃退士達が優秀過ぎたと言っていいだろう。
反撃を封じ、一方的に炎鬼を追い込む事に成功したが故に、
炎鬼の本能を刺激して恐ろしい手負いの獣へと変えていた。
「まずいよ。こんな状態で外に逃げられたら‥‥」
ディアブロとして与えられた人を絶望させるという本能。
それを越えて、目に映るありとあらゆるものを破壊せんと狂ったように暴れる炎鬼。
これまでと違い、何かの感情を剥き出しにしたような姿だった。
「死に怯えているとでもいうのか? あれだけの命を奪っておいて‥‥」
「いや、そんな風には見えないぜ。怯えてるっていうより」
それは憎しみに満ちた何かだった。
炎鬼は鋭い牙を剥き出しにし、憎悪と怨嗟に満ちた雄叫びを上げる。
ディアブロが破壊を撒き散らすのは何故か。
悪魔が植え付けた本能というような生温いものでは無かった。
手負いの獣となって剥き出しになった感情は、ありとあらゆるものを憎むような負の塊。
もしディアボロの素材となった人間が、悪魔を憎み、自分の悲劇に絶望し、
自分を救ってくれない世界を恨み、他の人間達の生を妬んだとしたら。
そう思えるような、全てを呪うおぞましい怨嗟の声に撃退士達は立ち向かう。
悪魔が生み出した絶望の連鎖を断ち切らなければならない。
最初に乗り越えたのは蓮也だった。
「お前が奪ったものの報いを受けろ」
角に放たれた一撃は、角をへし折り衝撃で炎鬼の頭を地面に叩きつけた。
だが、そのまま動く腕だけが加速して蓮也に襲いかかる。
磨き抜かれた体術で避けるが、炎鬼はさらに咆哮と共に全身が発火させる。
炎の渦が立ち昇り、夜空を焦がそうとする。
そして、残った腕と足を使っての高速突撃。速度は鈍っているが、全身の発火により威力は高い。
標的は里桜だった。
「里桜ちゃん先輩をやらせないっす!」
盾を緊急活性した知夏の渾身防御。刹那の間に突撃軌道に割り込んで、
炎鬼のショルダータックルを真正面から受け止める。
「私だってやらせない。皆を、この街の人達を守るんだから!」
知夏の横に並んで、翼を広げながら大剣を盾のようにかざす里桜。
2人の防御と炎鬼が拮抗する。炎と光纏がせめぎ合い、激しく明滅する。
「よそ見が過ぎるんじゃねえか、この火だるま野郎がぁっ!」
「隙を作ります。今の内に!」
璃世とヴィクトールが拮抗した好機を狙って背後からアキレス腱を狙う。
足のふんばる力が弱まり突撃の威力が削がれる。
「知夏ちゃん!」
「OKっす、里桜ちゃん先輩!」
三節棍に持ち替えた知夏と里桜が武器に星の輝きを宿す。
星の光は二人の光纏をさらに強く光り輝かせ、天界の力を強化する。
美しい閃光が炎を掻き消すように飲み込んでいく。
『てやあああぁぁぁ――!!』
鬼が負の圧倒的な力だとするなら、2人の輝きは誰かを守りたいと願う
まばゆい光の力。鬼の力を正面から退ける。
鬼には抗いがたい光の力。たった独りで憎悪を振りまくモノと、
互いの力を合わせて大きな力を紡ぐ者達。
優れた連携が炎鬼の行動を、ほぼ完全に封じている。
残っているのは、炎鬼の最後の抵抗とも言える足掻きだった。
ゴゥンッ!!!
加速と発火によるガレキの投擲。投げる肩の関節に向かって、
蓮也の飛燕翔扇が鋭く優雅に舞い、突き刺さる。
おかげで投げられる前に動きが硬直する。炎鬼が狙っていたのは璃世だった。
一瞬で距離を詰め、駆け抜けたのは水樹。チャージでガレキに斧槍を突き刺し、
追った知夏が刺さった斧槍の石突きに、真っ直ぐに三節棍での突きを重ねる。
水樹と知夏の連撃で掘り進んだ斧槍が、ガレキを粉々に粉砕する。
飛び散った破片が地に着くよりも早く、里桜が振り上げていた肩へ大剣を見舞う。
すでにダメージが蓄積していた右肩は、里桜の斬撃に耐え切れずに刃が食い込み、
骨の砕ける音と肉の裂ける音を響かせながら千切れる。
同時にヴィクトールの大剣が腕を振り上げ、上体を逸らしていた炎鬼の首へ。
激しく噴き上がる血を物ともせず、ヴィクトールは刃を押し進める。
激しい断末魔の叫び。もう救われる事の無い苦痛の咆哮。
全てを終わらせる事だけがディアブロを解き放つ唯一の方法。
もう誰も傷つけさせず、憎悪と怨嗟を断つには誰かが振るわねばならない。
すでに首は半分ほどが切られていた。喉の大きな骨が最後に抵抗している。
最後に駆けた璃世の小剣が刺突で喉を砕く。ヴィクトールの剣が振り抜かれる。
断たれる命。そうして、やっと怨嗟の声は途絶えたのだった。
●
「こっちの人は重傷です。大谷、高瀬先輩、お願いします」
治療を行う2人の下に、水樹が負傷者を運び込んでくる。
彼は救助隊と共に負傷者の捜索や救出に当たっていた。
「がんばるっすよ! 今、血を止めてあげるっす」
「もう大丈夫‥‥だから、安心していいんですよ」
アウルの光に包まれた重傷者の出血が止まり、土気色だった皮膚に赤みが戻っていく。
見守っていた家族が、彼女達に大粒の涙を零して感謝の言葉を述べた。
スキルや応急技術に長けた3人が救った命の数は数十人にもなり、
見守る家族が流した涙や感謝の言葉はその数倍にもなる。
撃退士達にとっての、何よりの褒美と勲章だった。
そんな避難所の光景の中に、独りで座り込んでいる少女が居た。
誰もが忙しく、治療された後は放置されてしまっていた。
「‥‥いいんだよ」
璃世が少女に声をかける。しかし、反応は無かった。
さらに言葉をかけようとした時、蓮也が子供達のために吹く
ハーモニカの旋律が聞こえてきた。優しく静かな曲だった。
心を刺激するものではなく、聴く者が安らぐ子守唄のような音色。
言葉ではうまく届かないものも、音であれば届く事がある。
少女はその音色に反応して顔を上げた。
穏やかな音色が心に染み込んで、凍っていた心をわずかに溶かしていた。
璃世は腰をかがめて少女に寄り添い、片手を少女の頬に手を添える。
「‥‥泣いていいんだよ」
少女が小さく震えて、璃世を見上げた。
言葉を噛み締め、確かめるように璃世の瞳を覗き込む。
痛みは絶え間なく、気が遠くなるほど長く、人の心に宿る。
それを璃世は誰よりも知っている。
この少女を今すぐに救ってはあげられない。
癒してあげられない。欠落を埋めてはあげられない。
でも――涙を受け止めてあげる事はできる。
「もう、思い切り泣いていいんだよ‥‥」
少女に幼い日の自分を重ね、その命と温もりを確かめるように抱きしめる。
人が哀しみの中から歩き出すには、長い時間が必要で。
それには哀しみを心のままに吐き出す事が大事で。
でも、裂けた心の痛みは独りで背負うには重すぎて。
せめて誰かに傍に居て欲しい。
裂けた心の痛みを受け止めるには、たくさんの勇気が必要で。
受け止めるには、せめて誰かの温もりが傍らに在って欲しくて。
「‥‥‥‥っ」
泣き出した少女を、璃世は想いを込めて抱きしめ続ける。
少女の未来を想い、少しでも糧になればと強く‥‥強く。
その姿は慈愛と憐れみを描いた、ある絵画のようだった。
そして、絆を失った誰かをほんの少しでも救えたら、
誰かの居場所になれたのなら、それは璃世にとっても‥‥。
少女の泣き声が響く。そこに込められた感情は、ここでたくさんのものを失った多くの人達も同じだった。
蓮也の曲が哀しみを包み込むような鎮魂曲に変わる。
同じように泣く声や、すすり泣く声が他にも聞こえてくる。
それは進むための大切な涙。天魔によって苦しんだ多くの人達が、
いつかは哀しみの中から歩き出さなくてはならない。
街の夜空を赤く染めた炎は消え、空は全てを包み込む闇で覆われているが、
朝日は昇り‥‥人々が空を見上げる時が来る。
それまでの間、蓮也の奏でる旋律が鳴り止む事は無いだろう。
全てを救えなくても、撃退士達はこの街で多くものを救い、
多くの人々の運命を変えた。その事実と結果が、撃退士達の中に刻まれる。
間も無く、夜が明けようとしていた‥‥。