春の陽気を降り注ぐ三月下旬の太陽の下、千葉県市川市・国府台の地では人類と天使が激しく戦っている。
その諸々の音を遠くに聞きつつ、六人の撃退士が防衛線を敷いていた。
二人ずつ、計三班を扇状に展開させる警戒網。
その最左翼で、鐘田将太郎(
ja0114)は憤っていた。
「……あんな理由で、礼儀を欠くとはな」
戦いは全力でするのが礼儀と信ずる青年は、依頼に同行した九人目の撃退士の態度に憤りを禁じえない。依頼前にガツンと言ってやれば良かったか。
その言葉に、ペアを組む桐原 雅(
ja1822)がため息を吐く。
「あれは望み薄かもねぇ」
依頼前、あまりにもやる気が見られぬ撃退士・真間手児奈に対して、その理由を問うたが、答えが「自分の仇は冥魔であって天使ではないから、天使との戦いに命は張りたくない」だったのだ。
桐原も「人を守るために、ここにいる」と諭してはみたのだが……返ってきた言葉が、
『それはあなたがたの理由で、わたくしの理由ではない』
だったのだから、呆れる他に無い。もとより期待はしていなかったが。
鐘田はますます憤り、桐原はより深いため息を吐くのであった。
その右方、全体の中央に当たるペアが仁良井 叶伊(
ja0618)と礼野 智美(
ja3600)。
「……何であんな人が、この依頼に参加しているのでしょうね」
「本人は『人手不足だから無理矢理』と言っておりましたね」
ここでも、話題はあのやる気の見られない撃退士だった。
本人の様子を見るに、本当に無理矢理参加させられたのだろう。
「腕はそこそこのようですけど、正直なところ、実力は下でもやる気のあるほうが士気に関わる分、助かったのですが」
呆れと怒りをない交ぜにしながら紡がれる礼野の言葉を、仁良井は相槌を打ちながら聞いている。
(大切に育てられた彼女の心情は、私には理解しかねますね)
気付いたら学園近くの港で漂流していた仁良井には、誰かに育てて貰った記憶が無い。
誰かに育てて貰った記憶が無ければ、真間の心情の理解は出来ないだろう。
「まぁ、学園のはぐれ悪魔に非協力的にならないと明言しただけ、マシなのかも知れませんが」
『冥魔以外との戦いに命を張るのが嫌なだけ』。そう礼野の質問に答えていた真間の様子を思い出し、仁良井は苦笑いを浮かべた。
最も右に配置していたのが、神喰 茜(
ja0200)とサガ=リーヴァレスト(
jb0805)である。
「どちらかといえば、攻勢に参加したかったなー」
その言葉に、双眼鏡を覗いていたサガが、肉眼での周囲確認のためそれを一度下ろして。
「……とにかく、物資を守りきらねばな」
「そうだねぇ。まぁ、見通しが良いから発見には苦労しないだろうけど」
神喰は、手にした古ぼけた刀の握り具合を確かめつつ、サガの言葉に同意する。
そのまま言葉が途絶える。この班は、他の班と違い無気力な少女の話題にはならなかった。
一振りの刃たる神喰は、自分たちの邪魔さえしなければ良かったし、知り合った人間を見捨てておけないサガはサガで、言葉ではなく行動で示すつもりだったからだ。
自然、沈黙が流れるのだが……それは、わりとあっさり破られる。
再び双眼鏡を覗き込んでいたサガの視界に、映る黒い豆粒。
「……右から敵影らしきものが近付いてくる。数、七体」
それは、撃退士の戦いの開始を告げる言の葉だった。
右を警戒していた二人に近付くのは、合計七体のグレイウルフ。
最も体の大きいリーダー格を中央に据えた楔形陣形……武田八陣でいうところの「偃月」を取りつつ、真っ直ぐと突っ込んでくる。
これに対し、対応する撃退士は神喰とサガ、それに加えて増援が間に合った仁良井と礼野だ。
鐘田と桐原も、すぐに到着するだろう。
礼野は、手にしたホイッスルを勢い良く吹き鳴らした。敵の数が多いことを渡し防衛班へと伝える笛の音が響く。
礼野がオートマチックP37で開戦の号砲を打ち鳴らしウルフを一体貫くも、七体の敵は臆することなく前進し続けた。その速度は意外と速く、もう幾らも距離が無い。
そのとき、仁良井が三人の前に進み出た。武器も何も活性化せず、丸腰で両手を広げながら、その実、ヒヒイロカネを袖の内に忍ばせて。
「さぁ、私は丸腰ですよ。かかってきなさい、相手になってやります!」
リーダー格のウルフを挑発する。……その侮りに怒ったか、リーダー格は仁良井目掛けて突っ込んだ。
仁良井はすぐさま白銀に輝く杖や魔装一式を活性化するが……リーダーが飛びかかってくるほうが早かった。飛びかかりざま、鋭い爪が振るわれる。
「ぐっ!」
それは仁良井を想定以上に傷つけた。思わず顔を顰める仁良井だが、攻撃はまだ終わっていない。
挑発が伝播したのか、リーダーと同一の目標を潰すようにしているのか。他のウルフまでが仁良井へと襲い掛かり始めたのである。
激しい波状攻撃を捌ききれず、少年の傷が増えていく。
しかしながら、彼が敵の攻撃を引き付けたために、敵は他の撃退士に対する警戒が疎かになった。
数々の戦いで磨かれてきた学生たちが、その好機を見逃すはずもない。
髪を金色に染め深く紅いオーラを纏った少女が、凄絶な笑みを浮かべた。
敵がウルフと聞いたとき、連携してくるのは予想していた。これほど徹底しているとは思わなかったし、一人を集中攻撃するのは戦術に適っている。
……だが、まだ甘い。
「この程度で私たちを倒せると?」
刀を左へ水平に構えた神喰は、刀を保持する左手に力を入れつつ、そこにアウルを乗せ。
「もっと楽しませてよ! ほらぁ!?」
左手一本で、強烈な突きを繰り出す。二回目の攻撃を行おうと身構えていたグレイウルフが標的となり、その衝撃に吹き飛ばされて、消滅する。
一方、三日月の刃を召喚し投げつけるのはサガだ。
やはり、次の攻撃のべく態勢を取っていたリーダー格とウルフに狙いを定め、さらに仁良井を巻き込まぬよう細心の注意を払う。
「そうやすやすと攻撃させると思ったか、狼」
エーリエルクローの三本の爪に包まれた右手を突き出す。
それが合図となり、アウルの刃がウルフたちへ殺到した。三日月の刃が、それこそウルフたちが仁良井にして見せたような波状攻撃を、今度はウルフたち自身へと浴びせかける。
リーダー格はともかく、無防備な背中を切り刻まれて無事なほどグレイウルフは頑丈ではなかった。
その間にも敵の攻撃を引き付けることになった仁良井だが、彼はサンドバッグではない。ブレイカーだ。
満身創痍になりつつも、敵の攻撃の合間に取り出した白銀の杖を握り、備える。視線の先には、今にも飛びかかろうとするリーダー格。
牙を剥き、リーダー格が爪を閃かせ再び跳躍した。仁良井はそんなウルフリーダーとの距離を瞬時に見てとり。
「はぁ!!」
そして、詰める。攻撃距離を見誤った……いや、ずらされたウルフは攻撃に移れない。
近付くその前脚へ向け、セレネが振るわれる。痛打。
「一矢は報いましたか」
軌道を逸らされつつも着地するリーダーを見据える。今のうちに戦斧に持ち替え――
「左だ、仁良井!!」
礼野の鋭い忠告が飛ぶが……間に合わず。敵の攻撃を良く引き付けていた少年は、下総の田んぼに倒れ伏した。
そこへ、桐原と鐘田の最左翼ペアが到着した。
二人の視線の先には、今まさに倒れ、地へと伏した仲間の姿……。
「……よくもやってくれたね、ボクの仲間を」
「礼は俺たちのきつーいイッパツで払ってやる」
純白の羽根のような燐光を舞わせ、右腕全てをオーラの炎に包ませ。
二人は、戦闘行動に入った。
仁良井を倒した敵は、次の標的を礼野に定めたようだ。彼女へ向けて加速し始める。
だが、例によって他の撃退士は視界に入っていない。
そのウルフに、まずは鐘田が肉薄した。手には最も使い慣れている得物……水鏡旋棍。
「一匹たりとも行かせん!!」
鏡のように磨かれた表面を持つトンファーで、加速始めのウルフを攻撃する。
瞬時に手首を返して旋棍の長い部位を手の前に出し、敵の速度を見極め……それを振り下ろした。
狙うは、ウルフの頭部。風を斬るように振るわれた沖縄古武術の武器が、的確にウルフの頭部を痛打する。頭を潰されたウルフが全身から力を抜けさせ、慣性のまま吹っ飛んでいった。
一方、銀色の脚甲を日差しに煌かせるのは桐原だ。白く美しい羽根と黒く美しい長髪を舞わせつつ、黒髪の少女は脚を美しくしならせて薙ぎ払う。
少女が最も得意とするのは足技であり、目の前のウルフは避けられない。
「ボクの力は、人を守るために!!」
本来は、それを足止めとして本命を叩き込むはずだった。しかし……敵が弱いのか桐原が強いのか。
薙ぎ払った脚がウルフにクリーンヒットし、哀れな狼は吹き飛ばされ、消滅したのであった。
パルチザンに持ち替えた礼野が狙うのは、意外と動きが鈍っているリーダー格だ。仁良井に前脚を痛打された後遺症だろう。
自らの闘争心を昂ぶらせつつ、槍の穂先を自身へ向かわんとする大柄なウルフへと向けた。
「私の仲間を傷付けたこと、後悔する間も無く倒してやる」
スレンダーな身体を忍装束に包んだ少女は、怒りを孕みながら敵と相対し。
そしておもむろにリーダー格へ突進し……敵が動く機先を制した。
烈風の如き激しく鋭い突きを繰り出す。
「はぁぁ!!」
幅広の刃は確実に敵を貫き、捉え、吹き飛ばした。
吹っ飛んだリーダー格は消滅こそしないが……落ちた先は、サガの眼前。
「これで終わりだ」
食いついてくる神の獅子を、狼は避け得なかった。
指揮官を撃破された残敵は、逃亡を図るも追撃を受けて全滅したのであった。
……時間は、警戒班の接敵前にまで遡る。
人類側の物資が集積されている矢切の渡し自体を防衛していたのは、三人の撃退士。
「災難だったな」
剣を携えつつムスッとしている少女、真間手児奈に苦笑しつつ話しかけるのはラファル A ユーティライネン(
jb4620)。
苦笑しているのは、真間が依頼前に他の仲間たちからやる気の無い理由を問われ、散々に言われていたからだ。
『ピクニックの荷物番に来たんじゃない』『やる気ないなら来ないで下さい』『やる気がないなら帰れ』。
真間の理由と態度も、仲間たちの反応も、実に解りやすいとラファルは思う。
しかし、『やる気の無い奴は要らない』は、全体のモラル低下に繋がる危険な考えだ。芽は早めに摘んでおきたい。
「……何と言われようと、わたくしは命は張りませんわ」
真間は頑な態度を崩さない。その彼女に口を挟んだのはアスハ・ロットハール(
ja8432)だ。
「戦え、とは言わん。だが、精々自分の身ぐらい、自分で守れ」
「言われずとも、ですわ」
……邪険に扱えば扱うほど、自分たちの脚を引っ張るようになるってのに。
ため息ひとつ、ラファルは真間と向かい合った。
「撃退士をやっている奴は復讐のためと言う奴も多い。しかしそれは、自分の悲劇を他人に味あわせたくないという想いの裏返しだ」
それが何ですの、と答える真間に、ラファルは続ける。
それは自分が犯し、彼女が犯そうとしている間違い。
今の態度を責める気は無い。だが彼女には自分で気付いてほしい。あとは真間の責任感次第だ。
「今日、自分がここにいる理由を、もう一回考え直してみろよ。自ずと答えはそこにある」
「……ここにいる理由……」
正面から見据え、真摯に語りかけるラファル。真間は気圧されてか、答えを返すことが出来ない。
沈黙が矢切の渡しを包む。
それを破ったのは……礼野による襲撃を知らせるホイッスルだった。
敵が陽動と本隊に分かれるということは、ラファルとアスハの間でも一致していた。
敵の本命はどこから来るのか。
川上から川下へ泳いでくるという線も考えられたため……三人は、北側の森を重点的に警戒する。
……やがて。アスハの案により枝落としが実施された北側の森に、ぱきぱきと音が響く。
それは、ホイッスルが鳴った方面とはちょうど反対側で。
「来たぜ」
「あぁ」
二人は短くやり取りすると、戦闘配置に就いたのであった。
ラファルが森の中に潜み、アスハが正面に備える。真間はさらに物資寄りの直掩に。
無数の黒い羽根の霧を纏った紅の青年が、正面の森を見据える。
……森の木陰で暗くなっている部分はあるが……確かに、居た。こちらへ向かうグレイウルフが、計四体。
阻霊符により木々を透過出来なくなっているため、その間を縫うように近付いてくる。意外と早い。
アスハは、宝石をあしらった指輪が嵌められた左手をかざした。差し込む陽光に、彼の妻を意識した翠玉がきらりと光る。
その手は、真っ直ぐに向かってくる敵へと掲げられて。
「まずは、足並みを乱そう、か」
左腕がアウルの光に包まれた。直後、彼の眼前に魔法陣が出現する。
さらに別の魔法陣が複数、疾駆する狼たちをも取り囲んだ。
「……始めよう。弾の奏でる、葬送を」
きっと瞳を眼前に据えると、アスハは左手からアウルの銃弾を魔法陣へ撃ち込んだ。吸い込まれたアウル弾は……狼を取り囲む魔法陣から出現し、発射した数の何倍もの弾雨を敵へと降り注いでいく。
……アスハが魔弾の発射を止めたとき、四体いたはずの狼は、わずか一体となっていた。
物資に接近することなく、三体が撃破。
しかし最後の一体は、健気にも突撃を止めない。
――その最後の一体の進路上の木陰が、わずかに揺れた。
わずかな変化、本当にわずかな変化。それに気付ければ、最後の一体にはまだ逃げる目があったのかも知れない。
しかしながら……狼は、気付かなかった。
「ただ一人になっても攻撃を止めない。それは勇気ではなく、ただの蛮勇だ」
グレイウルフが木陰の脇を通り過ぎようとする。
「……容赦は、しないからな」
凛とした言葉が森に響き、金属の糸が木漏れ日を反射してわずかに光る。
次の刹那――
最後のウルフの首は、地面に転がっていた。
展開していた俺式光学迷彩を解いた少女……ラファルが姿を現す。
「これで全部か……呆気ないな」
それが、今回の戦闘の終結を示す言葉となった。
今回、敵がやりたかった作戦は次のように予想された。
つまり、指揮官を含む主力に見せかけた陽動により撃退士を釣り出し、その隙に釣り出した方向とは反対方面から本命を突っ込ませるつもりだったのであろうと。
そこそこの戦術だったが……撃退士の作戦と戦力が敵を上回ったため、ほぼパーフェクトゲームの様相を呈したのであろう。
礼野が持ち込んだアンパンやサンドイッチを皆で頬張りつつ話すそこは、里見公園内のベンチであった。
国府台橋頭堡と名付けられた天界軍の拠点は陥落し、矢切の渡しに集積していた物資も運び込まれた。
しかし、敗走した敵は再度集結の構えを見せており……戦いは今しばらく続きそうだ。
「わたくしが戦う理由、か……」
終