会議は踊る。されど進まず。
――もう面倒くさいからさ、天魔殴りに行かない……?
その光景を前に、リリル・フラガラッハ(
ja9127)は人知れずため息を吐いた。
これからの館山戦線の戦略を決めるため、館山市守備隊指揮官の提案により撃退士を交えた会議が開かれた。
開かれた、のであるが――。
「彼らの命は彼らの物だ……一部の抗戦派の巻き添えにするものでもあるまい」
「土地は取り返せるが、人はそうはいかない。その案は論外です」
「そうです、いくら撃退士の意見でもそれは承服できません」
最初に、僕は別に人類側ではないと前置きした上で、市民の亡命を認めるとする意見を述べるアスハ・A・R(
ja8432)に、天宮 佳槻(
jb1989)や市の職員が難色を示した。
アスハの提案は、内部崩壊の危険や補給上の負担の軽減等を考えればこそのものであったが、いささかマキャベリズムに過ぎたらしく、大反対に遭う。
アスハ自身は提案を撤回したものの、のっけからこの調子であり、集う一同に会議の困難さを認識させることとなった。
「戦力が限られている以上、選択と集中の観点が必要です」
アスハ案に対する議論が一旦沈静化したのを見計らって、ジェラルド&ブラックパレード(
ja9284)が口を開く。
その提案は『陽動を実施しつつ、その隙に残りの市民で館山を脱出する』というもの。
「土地は時期を見て取り戻せば良いでしょう。しかし、人は希望がなくては進めない」
「そうです。土地は取り返せるが、人はそうはいかない」
佳槻もジェラルドの言葉に賛意を示す。その上で、
「どうでしょうか。土地の明け渡しと引き換えに一般人の避難を交渉するというのは」
降伏はもっての他である以上、それしか道は無いと言葉を重ねる。
ところが、今度はアスハのほうから反対が出た。
「敵がその条件を呑むとはとても思えん、が」
天界軍の狙いはあくまで感情の収奪……一般人の確保であり、土地を得たところで何の旨みも無い。
土地と避難の引き換えというのは、事実上、人類側のみを利する条件であり、相手はその条件では交渉すらしてくれないだろう。
「それに、海路と空路の安全は保証されません。逃げるにしても、相当な被害が出る怖れが……」
「市民を死なせながら逃げるのと、巻き込みながら戦うのはどう違うの、か」
市職員の言葉に対するアスハは辛辣だ。
そこまでの議論を眺めていたリリルは、さも面倒そうに再度のため息を一つ。
「戦うしかないんじゃないかなぁ?」
「しかし……」
「降伏はダメ、逃げるのはダメ。なら戦うしかないんじゃない?」
増援を頼んだ上での本土側からの南房総攻撃。連携しての館山市奪還。
それら陸路と海路の攻撃を陽動とした、敵前線司令部――館山城址への空挺作戦。
戦術的に言えば、リリルの提案はなるほど良案と言えるのだが――。
ふむ、と一つ唸ったジェラルドは、リリルの意見を聞き終えた上で言葉を紡いだ。
「増援を得ての反撃準備が整うまでの間、ほぼ補給が途絶えたここを維持することは出来るのかい?」
戦略的に言えば、備蓄物資が不足しつつある今の館山市で、反撃準備を行うだけの時間を稼げるとは思えない。
敵に脅威を与えるだけの作戦となれば、それに伴う準備の時間もまた必要になるからだ。
「基本の骨子は悪くないと思います」
ここで口を開いたのは、今まで意見を聞きつつ、要すれば意見の仲裁をと考えていた只野黒子(
ja0049)。
「陽動も避難も行いつつ、並行して物資搬入も行えましょう」
これまでの意見を聞きつつ、かつ現在の手持ちの戦力で実施可能な案を探っていた彼女が考えたのは、館山港強襲と強行偵察。そしてそれらを隠れ蓑とした物資搬入と疎開を行うことだった。
この陽動ならば大規模でないためあまり時間をかけずに実施可能であるし、疎開も強制ではなく希望とすることで住民感情に配慮する。
「なるほど、当面の時間を稼ぐのですか」
「我々に足りないのは時間ですからね」
関心を示す市長に、ただの幼女は頷く。
「その上で、本土側と共同した大規模反撃か……来るであろう敵の総攻撃にどう対処するかですか」
上手く行くといいのですれけど、と佳槻は顎に手を当てたのであった。
一同が部屋に入るなり、席に座って待っていた少女は、ウェーブのかかった銀髪を揺らしてくつくつと笑いを零し始める。
「今日はまた、一段と団体さんですこと。歓迎パーティでも催して下さるんですの?」
撃退士たちからの敵意やら何やらといった感情が入り混じった視線をさらりと受け流し、シュトラッサー・水立 セシルは微笑んだ。
「論外ですわね」
「そっ……」
降伏勧告に来た使徒と話すことは、情報を得るチャンスでもある。交渉も出来るかも知れない。
ゆえに撃退士たちは会議室とは別室に通されていた敵の使者と会見したのであるが……
「土地を寄越すから人を避難させろ? お歳暮の箱はくれてやるが中身はやらん、だなんて、贈られたほうは承服するとでも?」
改めて土地と人の交換を提案した佳槻の言葉に、セシルは厳しい視線を注いだ。
実際のところ佳槻としても、受け入れられずとも時間稼ぎになればと思って提案したものだが、どうもそうはいかないらしい。
「わたくし、ここと館山城を往復するのにも飽きましたの。今日は色よい返事を戴きたいですわね?」
「久しぶりだ、な。直接は、この間のパーティ以来、かな?」
気だるげに言い放つ少女使徒に、気軽な声掛けをするのはアスハ。彼女とは、以前に大天使アールマティが開催したティーパーティで会っている。
それは相手もすぐに気付いたようで、
「あら、あなた。零式のコスプレを撮影していた……直接話をするのは、これが初めてかしら?」
そのときの光景を思い出したか、くすくすと笑うセシル。
「そうだ、な。それで問いたいのだが。降伏はしないが……亡命者を受け入れることは、可能、か」
アスハの言葉に、ぎょっとしたのは佳槻だった。
「亡命を認めるというのですか。そう謳っているだけで、寛容な支配なるものがあるのかすら、我々には分からないというのに」
「アールマティ様の言葉を信じられないと? ここまで待ってあげている寛容なあの御方の言葉を?」
噛み付いた言葉に、セシルのほうも顔を顰める。
しかし、佳槻の言葉にも一理はあった。確かにティーパーティは向こうの指定した、つまり敵の領土を使用した。とはいえ、それらに従事した市民はそのために志願した者たちであり、本当に『寛容な支配』が行われているかどうかは、人類には分からない。
「そこは私も気になるところかな」
口を挟んだのはリリルだ。
上からの命令で処理されることは? それに抗うことは出来るのか? 実態はどうであるのか?
それらの質問を浴びせていくが、相手の顔色は不愉快に歪んだままだ。
「自発的にお茶会の手伝いをしてくれるぐらいには寛容ですわ。そのあたりは、そこの蒼い彼や最初に噛み付いてきた彼に確認を取って下さっても構いません」
今回の面子の中で、あのお茶会に参加していたのはアスハと佳槻の二人。しかも佳槻は、直接住民と会話をしている。
「しかし、どこか不自然なものを感じたのは事実です」
佳槻は顎に手をやり、思い出しつつ素直な感想。
しかしその言葉に怒りを覚えたセシルは、温厚そうな外見とは裏腹の鋭い視線を向ける。
「あなた、まだそんなことを――」
「そこで提案なんだけど」
リリルの言葉が、非難しようとする日仏ハーフ少女を遮る。
誰もが、その不愉快な表情が次は銀髪のアイルランド少女へ向くと思ったその時、
「抜き打ちでの視察を要求したい」
――不愉快に染まっていたな表情は霧散し、代わりに驚きに彩られた。
「いきなり何を」
「そちらの言う『寛容』が真実であると証明できるのなら、猫を噛む窮鼠の数は減るかも知れない。そういう話だ」
「……あなた、本気で言ってますの?」
厳しい瞳がアイルランドの少女に注がれる。
リリルの言葉は、つまるところ状況次第では亡命や投降を認めるというのも同義である。
アスハがクックと楽しそうに笑む一方、ジェラルドは底知れぬ笑みを漏らし、佳槻が話に介入ししようとして黒子に止められる。
キュリアン・ジョイス(
jb9214)はただ、真剣な顔で成り行きを見守っていた。
「……たかだか貧した鼠など、猫の敵ではありません」
「では、その猫がなぜ、鼠を宥めすかしている?」
「…………」
セシルの受け答えが止まる。
実際のところ、この抜き打ち視察の件は、リリルとしても時間稼ぎのつもりで言い始めたことだった。もちろん、時間を稼げると踏んでの発言である。
――この状況で降伏勧告をしてくる辺り、相手も切羽詰まってる可能性がある。
知れず、リリルの脇を冷や汗が流れた。
「……猫は、暴れてカロリーを消費した鼠より、丸々と太ったそのままの鼠を欲しているのですわ」
ややあって口を開いたセシルの目に、今まで発露していたような怒りは無い。これでも、アールマティ軍の参謀を務める少女である。
(――それだけではないですね)
二人のやり取りを見守っていた黒子は、セシルに発言内容以外の意図があることを察する。あるいは、戦力をなるべく温存しておきたいのかも知れない。
「それで、私の提案は」
金色の瞳が、じっと銀髪の少女を見つめる。銀髪の少女はややあって、ふぅとため息を吐いた。
本当は問答無用に鼠を食らいたいところなのですけれどと前置きをした上で、
「視察の件、了承致しましょう。詳細はいずれ」
無血で亡命者が増えるのであれば、アールマティ様も喜ぶだろう。思えば『寛容』に関する宣伝が足りていなかったやも知れない。……でも、それも今回限りである。
相手の提案の目的が時間稼ぎであると認識しつつも、セシルはそう告げざるを得ないのであった。
「……んー、どうも少し外が騒がしいねぇ?」
異変に最初に気付いたのは、ジェラルドだった。言われて、他の撃退士たちも気付く。何やら騒がしい。
そこに、館山市守備隊の撃退士、御手洗が足早に入室してくる。
「皆さん、少し」
一同を廊下へ誘導した御手洗は、そこで体育館で市民による立て篭もり事件が起きたこと、その鎮圧が撃退士たちに対して要請された旨を告げたのであった。
撃退士たちが体育館の前に到着したとき、辺りはすでに騒然となっていた。
「状況は?」
キュリアンが問うと、指揮官らしき自衛官が眉根を寄せた顔を向ける。
「芳しくない。五〇人程度の市民が、体育館内の市民を人質に即時開城と降伏を求めている」
一同が唸る中、最初に発言したのはアスハ。
「亡命を認めてやってはどうだ。説得するにしろ、彼らはもうここには居られないだろう」
会議の席でも『自分は人類側ではない』と発言していた蒼い青年らしい、合理性を重視した発言ではあったが……
「それはいけないねぇ。敵にみすみすエサをやるつもりかい?」
亡命は好ましくないと考えるジェラルドの言葉に、佳槻が頷いた。
「まずは説得してはどうだい。まぁ、ボクは君たちの方針に従うけれどさ」
「任せて下さい」
進み出たのは佳槻。一部の撃退士から亡命容認の声が出ている以上、ここは自分が説得しなければいけない。
小さく気合いを吐いたのち、体育館の正面に正対する。そして大声で、
「この中に南房総市の中を見て戻った人はいますか?」
そう問うた。
……問いかけに対する体育館側からの返事は無い。佳槻は続ける。
「我々を攻める敵のエネルギー源が、どこから来ているとお思いですか! 『寛容な支配』なるものが真実かどうかわからないのに、敵の支配下に入ることが出来るとお思いですか!」
セシルが聞いたらまたぞろ怒り出しそうなセリフに続き、避難や物資搬入の手はずが整いつつあることを強調する。
少年がそれらを言い終えたのち……ややあって、体育館側より返答があった。リーダー格と思しき男が、わずかに扉を開けて怒鳴る。
佳槻の目に映ったその男は、酷く痩せていた。
「避難なんか出来るのか! 搬入出来る物資はどの程度だ!?」
どうせ全員を満たせるわけがないんだろう。あとどれだけ苦しめば良いんだ。
こだまする悲痛な叫びに、佳槻は思わず言葉を失うが……その肩をキュリアンが叩いた。
「俺が行ってくる」
「……わかった。僕も行く」
そして二人は、体育館へ向け歩き出した。
体育館の扉の前に立ったキュリアンと佳槻は、両手を挙げて自分が丸腰であるとアピールした上で。
「話を聞かせてほしい」
まずキュリアンがそう告げた。
「……話?」
「そうだ。不平、不満、どんな思いで今回の行動を起こしたか。全て聞かせて欲しい」
扉の隙間からキュリアンを窺う男は、しばらく彼を訝しく思っていたが、相手はそう言ったきり微動だにしない。
ややあって、相手が聞く態勢に入っていることを感じたのだろう。男はぽつぽつと話し始めた。
長年住んでいた家を追われたこと。十分でない衣食住。いつかサーバントが迫り来る恐怖。
最初は少しずつだった言葉は、次第に量を増して。
その様子に、キュリアンは悟った。
――彼らは不安だったんだ。
「今の状況が、耐えがたいものであるというのは解った」
増水した言葉が一旦落ち着いたタイミングを見計らって、アイルランドの青年は言葉を紡ぐ。
視線はただ真摯に。言葉は勤めて紳士に。想いは津々と。
「だが、後一度だけ信じて欲しい。必ず貴方達を守りぬき、敵の攻撃を押し返してみせる」
「……そんなことが、出来るというのか?」
「撃退士はどんな苦境でも諦めないし、どんな苦境にも打ち克ってきた。あなたがたが諦めない限り、勝機はある」
男の耳朶を刺激するそれは、根拠を示さぬ理想論に過ぎない。
それがわかっていながら、しかし男はキュリアンの言葉を一笑に付すことは出来なかった。
そのタイミングを見計らって、佳槻は男に話す。会議で決まったばかりのこと……希望者の疎開や、物資補給の手はずが本当であることを。
「あなたがたが自分の家でまた暮らせるよう、最大限の努力をする」
「……それでダメなら開城する。この苦しみを終わらせる。そう約束してくれ」
搾り出された男の言葉に、佳槻は解囲の自信に満ちた頷きを返したのだった。
かくて、一人の怪我人も出すことなく立て篭もり犯は開城した。
彼らは、しばらくは基地内の隔離された部屋で過ごすことになるだろう。
秘密にしたとはいえ、騒ぎを使徒が察知せぬはずもない。
窓の外を眺めていたセシルは、しかし騒ぎが収まったのを感じ取り。
「あら、残念ですわ。あなたの言うとおり、何人かお持ち返りできると思ったのですけれど」
「……そうかい」
お嬢様然とした優雅な笑みを向けられ、リリルは嘆息したのだった。
終