館山市を守るべく出撃した撃退士。
彼らの前に広がっていたのは、予想しえなかった光景だった。
「何やあれ、頭だけ出してこっちを狙うてる言うんか!?」
闇の翼を展開し、向かって左に寄ってごく低高度を滑るゼロ=シュバイツァー(
jb7501)が驚きの声を挙げたのは、敵が取っている状態について。
弾着痕に車体を隠し、砲塔だけを出してこちらに向けてきている。比較的柔らかい車体を守り、比較的硬めの砲塔で敵を狙う。軍事用語ではダッグインと呼ばれる戦術。
「あらぁ、こっちに来てくれるわけじゃないのぉ?」
Erie Schwagerin(
ja9642)の艶っぽさを感じさせる声も、敵の動きに驚きを隠せない。見れば、周囲の骸骨兵や民兵ごと弾着痕の中に収まっているようだ。
一方、待ち構える敵方を見やって目を細めるのは、ラファル A ユーティライネン(
jb4620)。舐めるような緑の瞳はやがて、お目当ての獲物を見つける。
「あそこか……見つけた、ヒナちゃん。手はずどおりよろしく」
「わかってるよ、ラル。任せて」
傍らの川内 日菜子(
jb7813)が頷いたのを確認してから、ラファルは光学迷彩を起動したのだった。
敵が待ち構えているのであれば、こちらも待ち構えれば良い。――敵に一方的に撃たれるのでなければ。
「撃ってきた!?」
盾を構えてやや先行していた天宮 葉月(
jb7258)。発砲の光を確認した彼女の胸に去来するのは、以前、同じように戦車型サーバントに撃たれて重傷を負わされた記憶。
――もう、あんなものに撃たれるのは勘弁したい。
「……っ!」
だから、葉月は迷わず手近な弾着痕に飛び込んだ。直後、彼女の頭上を通り過ぎた二発の砲弾は、彼女の入っている弾着痕の後ろの縁で炸裂する。
爆風にポニーテールが煽られた。……だが、無傷。見事な判断だった。
他方、月詠 神削(
ja5265)を狙った弾は、照準自体が甘々だったらしく、彼の横を通り過ぎる。
「撃ってきたか……」
神削から見て、彼我の距離は一〇〇メートル近いが、その距離から敵を撃てる武器をこちらは持っていない。強いて言えばゼロがかなり射程の長い得物を持ってきていたはずだが、それでも敵は倍以上の射程から撃ってきていた。
エリーゼ・エインフェリア(
jb3364)が咄嗟に叫ぶ。
「行きましょう、皆さん!」
葉月を狙った初弾こそ彼女の行動により事なきを得たものの、狙い自体はわりと正確だった。つまり、このままでは一方的にアウトレンジされるだけ。
歴戦の撃退士の判断は早く、それに呼応する撃退士たちもまた速かった。
八人の撃退士が、吶喊する――。
ダッグインした戦車の間から、使徒にして天界軍の指揮官を務める水立 百合(みたて・ゆり)は、出撃してきた撃退士を睨んでいた。
ショートヘアを風に揺らしながら、敵の動きに目を見開く。
「うそ、速い……っ!?」
――敵の素早さを甘く見ていた。これでは、あと一発撃てるかどうか。
「……次弾装填、粘着榴弾!」
だったら、その一発で最大限の効果を挙げてやろう。自らの手のハンドキャノンを構えつつ、百合は戦車サーバントに指示を出す。
――もう、ラルを独りで送り出して後悔なんてしない。
荒れた地を走る日菜子の脳裏に浮かぶのは、相棒にして恋人たるラファルが傷だらけで戻ってきた日の、あの姿。
共にあろうと思えばあれた。しかし、その時に彼女はあらず、結果として……。
――驕る気はない。でも、もう独りで送り出して後悔することもしたくない。
それが彼女、日菜子が今日ここにある理由だった。
敵戦車はその初弾を全て外し、撃退士たちは敵との半ばまで接近している。
ここで、敵の第二射。
「狙いはこっち!? ……ならっ!」
日菜子は一旦停止し、砲弾を受ける構えを取る。右手を上に曲げつつ前へ。そのまま手の内で向かってきた砲弾を打ち、懐で逸らす……空手で言うところの内小手受けの態勢だ。逸らした砲弾は、上着の鎧に弾かれ後方へ抜けるはずだった。
構えている間にも砲弾は至近距離へ。
「はあッ!」
気合い一閃、右の手の内で打ち据えられた砲弾は、狙いどおりに逸らされ、鎧にぶち当たり――
刹那、潰れた弾頭が衝撃波を生み、鎧の内部を剥離させ、その破片は熱血少女の身体を直接に貫いたのだった。
砲弾の飛翔を確認して弾着痕に隠れた葉月は、ふと後方の味方を確認し、日菜子の鎧に砲弾の弾頭が張り付くようにして潰れたのを見た。
「――粘着榴弾!?」
HESH(ヘッシュ)とも呼ばれる、着弾の衝撃により装甲の裏側を剥がして砕くことで、その破片によって硬い装甲に包まれた内側を傷つけることを企図した砲弾の一種である。
つまり、例え強力な鎧に身を包んでいても、その内側にダメージを貰ってしまう代物だった。
日菜子が血を吐いて倒れるのを見、葉月は彼女のほうへと駆け出す。
戦車の間からハンドキャノンを撃ってきた使徒により軽くない一撃を貰いながらも、ゼロは敵の篭もる弾着痕に接近する。
そこには、戦車を囲むようにして、各々の得物を構える骸骨兵と民兵……南房総市民の姿。
それらを確認した漆黒の阿修羅は、肺に息を、声にアウルを乗せ。
「すっこんでろぉぉ雑魚どもがぁぁぁ!!」
咆哮する。それは、超常の力を持たぬ者を恐怖させる怒声。
その声に民兵たちが恐れ、逃げ出そうとするが、
「大丈夫! あたしたちが付いているのだから!!」
先ほど彼を撃った使徒、百合がカウンターの如く叫びが響くや、恐怖し動揺していた民兵たちは恐怖に顔を引き攣らせつつも踏み止まった。
ゼロは舌打ちし、得物の先端の嘴から刃を展開しつつ、向かって左端のFSの側面へ回るべく動き始めた。
敵がダッグイン状態で地面より低い位置に車体があったことが功を奏したのだろう、神削は全力移動の余勢を駆って中央のFSの背に飛び乗ることに成功していた。
FSの二回目の射撃――それはHESHだった――を貰い、身体に刺さった鎧の破片がズキズキ痛むが、それは歴戦の暗器使いを倒すにはまだ遠い。
むしろそのお返しとばかり、手にしていた大鎌で、車体上部切り裂くが、それに対するFSからの反撃は無い。
「やはりか!」
神削は、自らの考察を確信した。すなわち戦車型の敵ゆえに、自身の武装ではここまで近付いた敵に対処できないのだと。
それは、戦車の周囲を守る骸骨兵や――
「はああ!!」
「っ!!」
得物を換えてもう一撃と準備していた少年の思惟を中断させ、戦車の上から落としたのは、鎧の内側へと徹る零式の一撃だった。
車上に現れたその姿に怒りを覚えながら、アスハ・A・R(
ja8432)は黒髪の使徒へ向け跳躍する――。
殺到した光の雨は、しかし車体の角度を攻撃に対して斜めに構えた砲塔に弾かれて。
それを見た雨の主、エリーゼは思わず顔を顰める。
「殺したらダメ、だなんて面倒ですね!」
民兵に、同じ天使であるところの自分の話を聞いてもらおうとして失敗した彼女は、光の雨を戦車へ向けて集中させて撃ち放ったのだが、敵は砲塔自体を傾けて見せ掛けの防御力を増してこれを防いできた。
「それじゃあ、邪魔な子たちには眠ってもらいましょうかぁ」
エリーゼの横を抜けてさらに前へと進むErieは、民兵について、不愉快な感情を禁じ得なかった。
――天使の言うことだけを聞く人形は、さぞラクでしょうねぇ。
天使を妄信していればそれで良いと思う連中に、生きることから逃げた連中に、希望を求める資格があるはずなど無いと。
それは、魔女狩りという凄惨な事件に遭っても、それでも自ら考えて生きることを諦めなかった彼女ゆえの。
Erieの細い腕が、敵の篭もる弾着痕へと向けられるや、その中の骸骨兵と民兵を包むように霧が発生する。それは、ヒトを眠りへと誘うアウルの霧。
霧に巻かれた骸骨兵と民兵が、抗えずに眠りへと落ちる。
くずおれる民兵。その身体は、あろうことかFSに吸い込まれるようにして――
頭を、FSの車体に強打した。
「ッ!?」
思わぬ事態に、紅い魔女が息を呑む。FSの周囲を取り巻くようにしていた民兵をそのまま眠らせたことが失敗だったか。
素早く思考を巡らせるErieの目の端に、スリープミストの範囲外にいた他の骸骨兵が映る。それは、中央のFSを護衛していた連中だった。
「……失敗したわねぇ」
民兵を傷付けてしまったことも、スリープミストのために前に出すぎたことも。
三体の骸骨兵の集中射撃を受けて、Erieの意識はそこで途切れたのだった。
県境での攻防とは別の戦いが、館山市街でも始められていた。
市街地に入ってきたという南房総市側の工作員の確保を担当するのは、陽波 透次(
ja0280)、マキナ(
ja7016)、キュリアン・ジョイス(
jb9214)の三人である。
事前の連絡を終えた三名は、それぞれ行動を開始した。
鋭い眼差しを市民の避難ルートとなっている国道127号に向けるマキナは、憤慨していた。
「気にくわねぇな」
――民間人を使うなんてセコい真似をしやがって。それがお偉い大天使のやり方か。
卑怯は、この赤毛の少年が嫌いなものの一つ。心なしか足音も荒く、彼は歩いて警戒していく。
……不意にマキナの上着のポケットに入っていた携帯電話が鳴った。取り出してみれば、発信の相手はキュリアンだ。
「見つけたか?」
『いや、こちらはまだだ。その口ぶりだとそちらもまだか』
マキナと同じくアイルランドの血が流れる少年・キュリアンは、もう一つの主要避難ルートである国道410号を警戒中である。
「そっちは任せた。こっちは任せてくれ」
『了解。あっちも頑張ってるし、こちらも頑張らないとね』
少し言葉を交わして電話を切った赤毛の少年。
その耳に、かすかだが声が聞こえる。
「……ん?」
すわ、敵の工作員か……とも思ったが、工作員がわざわざバレるようなこともするまい。
そこでマキナが声の元――市街地の路地――へと向かってみれば、そこでは五歳ぐらいの小さな女の子が、ぬいぐるみを抱かかえて泣いていた。
親とはぐれたようだ。すぐさま近寄る赤毛の少年。
「どうしました? ママとはぐれちゃいましたか?」
ぐすんぐすんと泣きじゃくっていた少女は、その涙で腫らした顔を向けると、弱々しく頷いた。
それを見たマキナは、彫りの深い顔に笑顔を浮かべた。それを見た少女が、怖がるようにうっと唸る。
「そっか。もう安心ですよ。俺に付いてきて下さい。すぐにママに会わせてあげますから」
自分の顔の具合は知っている。だからマキナは、少女を怖がらせないよう努めて優しく声をかけた。
その甲斐あったのか、ややあって少女は小さく頷く。
「おねがい……します……」
「オッケ。こっちですよ」
小さな手を引いて歩き出す。もうその辺りには他に人はいなかったが、国道127号と交差して西へ延びる国道128号ならば、まだ避難中の人はいるだろう。
……果たしてマキナは、128号線を歩く市民たちと合流した。
「すみません。この子を館山基地までお願いします」
近くにいた六〇代の男性がマキナの言葉に頷いて、少年から女の子の手を引き継いだ。
「えっと……ありがとう、お兄ちゃん……」
「どういたしまして。気を付けてね」
おずおずといった風にお礼を言う女の子へ笑顔で会釈してから、マキナは自らの任務へと戻ったのであった。
その足が、段々と市役所より遠のく。
齢四〇〇を超える天魔の混血。『抹殺』を司る魔の貴族の生まれ。神に死を与えるもの。
赤黒く染まった刃を携えたゼロは、黒き翼の力を以って、最も端にいるFSの側面へと滑り込んでいた。風圧の影響を受けたかのように、黒いオーラが揺らめく。
今回、彼が死を与えんとするのは、天使が生み出した『戦う従者』の名を持つ玩具。
「しまったっ!?」
日菜子と葉月へ向け照準していたシュトラッサー・百合は反応が遅れた。周囲の骸骨や民兵も言わずもがなである。
「速攻で落とすで! 止まると思うなよ!」
本当は、咲村 氷雅(
jb0731)が仕留められなかった場合の追撃のつもりだったが、彼のほうはやや遠回りになってしまったようで、ゼロが先に攻撃をかける格好となった。
「見さらせェ、神をすら砕く闇をッ!」
赤黒い刃が、黒く染まる。ゼロはその刃を横に薙ぎ、履帯の間を通すようにしてFSの車体を斬り付けた。
強力なはずの天界製の装甲が、まるでシフォンケーキにフォークを突き立てるかのように易々と貫かれる。
のみならず、刃が纏った黒が、車体の中へと注がれていくではないか。
「“力”は、深きより――」
大鎌の身から全ての黒が注入されたのを確認した元貴族は、それを引き抜いて、柄の尻を地面へと突いた。
「至りて、弾ける――ッ」
FSの体内で、黒い力が爆発した。車体の右半分が吹き飛び、履帯を、起動輪を、転輪を、弾けさせる。
後に残ったのは、半壊したFSの姿。『神に死を与えるもの』の名に恥じない、強力無比なる一撃だった。
「おのれ、はぐれ悪魔ぁ……ッ!」
ぎり、と歯噛みした百合は、手に持っていたハンドキャノンを変形させた。それは、いかなる物理法則をも無視して銃剣――バヨネットの形を取る。
――あの強力な悪魔を放置出来ない!
その時点で百合の至近には、治療され戦線に復帰した日菜子が一人いるのみ。
一人だけならば突破は容易だろうと踏んだ百合の、外骨格に装備された履帯が唸りを上げ、彼女の身体を厄介な男の元へ運ぼうとするが……
「――隙だらけなんだぜ!!」
「!?」
完全なる奇襲であった。
光学迷彩を解いて姿を現したラファルが、それを阻む。
迷彩を起動していたことに加え、農地のあぜ道の陰に隠れつつ移動したことで、百合に気取られることなくその至近距離にまで入り込むことが出来たのだ。
「その高慢ちきな鼻をへし折ってやる!」
手に持つトランペット型の魔具を百合へ向けて突き付けるや、ラファルはそれを吹き鳴らした。
ピストンバルブの操作によって奏でられたのは、甲高いファンファーレとアウルの衝撃波。ベルから飛び出したそれが、百合の身体を激しく打ちすえる。
ぎり、と歯を噛んで耐える使徒だが、奇襲に加えて体内のアウルを魔に寄せていたラファルの攻撃である。半壊には至らないまでも、かなりの深手を負ったことは明白だった。
「っしゃぁ、まだまだこんなもんじゃ――」
「っめるんじゃ、ないッ!!」
この場で百合を仕留めるつもりだったラファルは、第一撃に続いて次の行動に移らんとするが、敵の不意打ちからの立ち直りは早かった。
銃剣……近接モードのため砲撃時より威力の上がっているそれで斬り付ける。
ぶん、はずれ。
「へっ、そんなもん俺には届か――」
「ないとでも!?」
百合の反撃は一撃ではなかった。刹那の間に剣を返してのもう一閃に、今度はラファルが不意を突かれる。
天界の力が乗った刃が、奇襲に特化した華奢な生身の部分を切り裂いた。ただの一撃で深く、確実に。
力を失った機械の四肢が、田面の中に沈む。
「――――」
日菜子の、声にならない叫びが戦場に響いた。
しかしながら、ラファルの奇襲攻撃は効果があった。
直接的なダメージもさることながら、
「ここまで潜り込めたか」
幻影を纏って隠密行動していた氷雅、彼が気取られることなくFSへと肉薄できたのは、ラファルの奇襲とも無関係ではないであろう。
「もう半分も吹き飛ばしてやろう……!」
FSと四メートルの距離を取った人魔ハーフの少年の右手に握られているのは、一振りの黒い剣。一方、彼の左手には双曲剣の片方が握られていた。
すわ、二刀流か……いや、違う。氷雅の左手にあった曲剣が、彼のアウルを受けて形態を弓のように変化させていくではないか。
黒き剣と対を成す、黒き弓。そこに張られた金剛石のごとき輝くアウルの弦に番えられたのは、右手にあった黒剣。
「まずは、一両だ」
履帯と車体の両方を貫くように狙いを定めた少年は、番えた剣を解き放った。
剣は易々と履帯を弾け飛ばし車体を切り裂いて。
巨大な戦車型サーバントを絶命せしめ、巨大な塩を塊へと還したのだった。
ボルケーノ(自称)はプライドが高く傲慢な奴だが、彼は任務と私情を別に考えられる男(?)でもある。
国道410号線を警戒するキュリアンは、愛竜と視界をリンクして異状が無いことを確認しつつ、彼が指示どおりに働いてくれていることに安堵していた。
敵の工作員が避難民に混じっていると踏んだ彼は、人々の携える荷物――いずれもリュックサック程度の身軽さである――を見て、不審者がいないか確認していく。
しかし、今のところそのような人間は見当たらなかった。いずれも疲れきった顔をしながら、避難場所に指定された館山基地へ向かっている。
その光景を目にしたキュリアンの脳裏には、育ての親である叔父夫婦の言葉が蘇っていた。
『お前のその力は必ず、人々を笑顔にできる力だ』
遠い異国の地、館山市の人々は消耗し、笑顔すら無くしている。
――こういうときのために、俺の力はあるんだ。
一刻も早く工作員を見つけ、彼らに少しでも安寧を取り戻してあげなければ。
「あっ……!」
視界リンクを切って肉眼へと戻ってきたキュリアン。まさにそのタイミングで、不意の声が挙がった。
――敵の工作員か?
魔法使いの少年が声のほうを見やれば、そこには脚をもつれさせたかアスファルトに伏した老婆と、彼女の手荷物であったのだろう風呂敷包みの中身。
「……特に怪しいものはないな」
ぶちまけられた荷物をさっと確認しつつ、キュリアンは老婆へと歩み寄る。
「大丈夫ですか」
「あぁ……すみません……」
言いつつ、彼女を助け起こす。
「本当にすみません……」
「いえ。お怪我は?」
「えぇはい、大丈夫です、大丈夫です」
キュリアンがさっと見たところ、怪我などは無い。大丈夫だろう。
「どうも親切にありがとうございます」
老婆が頭を下げた。緊張続きの状況では、他人からの親切は身に染みるものである。
「いえ。お気を付けて」
「いつまで続くんでしょうねぇ……」
弱々しく微笑んでから、老婆は避難を再開する。
――なるほど、館山市は消耗しているな。
老婆の様子から防衛すべき土地の現状を察しつつ、キュリアンも自らの仕事を再開した。
国道を辿る足が、段々と市役所から遠のく。
「よくも、よくもぉッ!!」
相棒にして恋人たるラファルをやられ、日菜子は怒りのまま百合へと攻撃を仕掛けていた。
繰り出された赤い拳をバヨネットで防御した使徒は、しかし防いでなお抜けてくるその威力に苦悶の表情を浮かべる。先にラファルから受けたダメージからの蓄積もあるのだろう。
さらに、FSの一体を葬ったゼロは、その後、日菜子の戦いに加勢していた。
熱血少女の拳に耐えかね、百合が後ずさる。
「何という執念……っ!? こう、なっては……っ」
「覚悟ォ!!」
思わず呻いた百合に、しかし一息吐かせる暇を与えぬとばかり日菜子は追撃をかける。
……しかし。
「四〇年五月一六日の悪夢、あなたたちにも見せてあげる……っ!」
百合の纏う外骨格の形状が変化した。オーラを纏った装甲が全身を覆い、さらに半鐘を左右に割ったような盾が肩から両の半身にかけてを防護するべく展開する。
「っ!?」
突き出された拳は、装甲に止められた。それまでは、防御しようとも相手を傷つけていた拳が。
――今まで徹っていたのに!?
日菜子の顔が驚きに満ちる。
……『ストンヌの悪夢』。発動回数が限られるために温存されていた、絶対的な防御形態を取る奥の手を使徒が繰り出した瞬間であった。
「時間が無い、さっさと決着付ける……っ」
「ナメるなァッ!! ラルをやられて、こちとら頭に来てるんだッ」
百合のハンドキャノンが火を噴くが、日菜子は構わずに突進したのだった。
副市長が居残って避難に関する処理を行う市役所。その市役所の屋上で周囲を監視しつつ、透次は敵の総大将から言われた言葉を思い出していた。
『人を天界の手から解放したくば、共に魔の者と戦え』と。彼女は確かにそう言っていた。
しかし、透次は思う。
―― 一般人を駒にする相手と共闘は出来ないよ……天使様。
やはり相容れない、と。そう思う。
透次は視界をヒリュウの灯火とリンクさせた。屋上の反対側では、彼のお願いによりヒリュウが監視についていたのだが……あちらの見張る側、寺の陰にヒトが動くのが見えた。
避難開始からやや経っているので、市役所周辺にヒトがいるのは不自然だ。
そう思って観察するに、件の人物は中年男性。やや血走ったような目をして周囲を見回して。手には茶色い小包を持って。それは、透次の考える不審者そのもの。
それを認識した瞬間、透次は行動を開始していた。全力で壁を走って地面へ。さらに、気配を消してその人物の後背へ回った少年は、一気に不審者を組み敷いた。
「動かないで下さい、抵抗しないで下さい」
敵は工作員とはいえ一般人、撃退士の本気に敵うはずもない。
反応が遅れたどころか全く出来なかった工作員は、一瞬で捕縛され、さらに透次の持参したタオルを噛まされる。その上で、市役所で借りた荷造り紐で後ろ手にされた腕を縛られた。
そのあたりは熟練撃退士の腕前である。最も、本人は不本意かも知れないが。
「んご、んごっ」
「これ以上の危害は加えません、安心して下さい!」
言いつつ、一連の処理を終えた透次は、組み敷いたときに投げ出された茶色の小包を手に取る。
開いてみれば、中身は見た目にもわかりやすいプラスチック爆弾。恐らく南房総市内の発破屋のものを転用したのだろう。
やはり黒だった。
「色々と話を聞かせて下さい。大丈夫、手荒なことはしませんから」
ふごふごと抵抗しようとする工作員を宥めようと、努めて柔和に話しかける透次。
……しかし同時に彼は、違和感も感じていた。
(残りの工作員が一人だけ……? まさか……?)
思惟を巡らせ、可能性に思い至り。
「まさか、まだ居――」
『アァルマティィィ様ぁぁぁ!! バンザァァァイ!!』
警戒に戻ろうと顔を挙げた透次の耳に飛び込んできた、喊声。
少年のいる側とは反対側――市役所の裏手から、爆発音が響き渡る。
それを共に止めるべき彼の仲間は、そこには居なかった。
蒼を継ぐ魔術師と黒舞の使徒が交わっていた。
何度かの交錯の後、黒髪を靡かせ果敢に斬りかかる使徒・零式の刀へ、アスハは手にしていたワイヤーを絡ませることに成功する。
そして、自らの想いの程を彼女へと絡ませた。
「僕が惚れた女は、この程度、か……唯の人間を利用するのが望みか、マイ!」
本気の告白。本気の言葉。
絡んできた言葉に一瞬詰まるも、零式はワイヤーを振り解く。
「貴様に何がわかるッ!」
「自分を騙すな、欺くな。それは何の為の、誰の為の刃だ!」
「黙れェ!!」
なおも言葉を重ねる相手に対し、何とか反撃する零式。……しかしそれは、直前までとは打って変わってブレた攻撃。
そんなものに斬られてやれるほど、アスハは甘くない。
「何の為に名前を隠してまで戦ってるの!?」
そこへ、息を切らせた葉月が合流する。
「自分なりに人を救いたいからじゃないの!?」
――これが麻衣ちゃんの望むこと?
不釣合いな野太刀を携えた少女は、カタナブレードを携える少女へと問いかけた。
同じ場所に立つ言葉に、零式がその矛先を変える。
「私は使徒だ……主の駒であらねばならない!」
黄色いオーラを纏った零式が、葉月へと斬りかかってはターンし、さらに斬りかかってはターンしていく。イカヅチのごとき高速ラッシュ。
……だが、それだけだった。
動揺した刃は、意思ある刃に触れることは叶わない。当てられぬままに攻撃を終了し、零式の外骨格が冷却状態に入った。
そこに飛び込むアスハの右手には、蒼の巨狼が宿っている。
「そのような本末転倒で良いのかと、訊いている!」
狼の一噛みを食らい、思わず弾き飛ばされる零式。その顔は揺れに揺れて。
「それは……っ」
「それで良いのかって訊いてるの、麻衣ちゃん!!」
そこに重ねられる、葉月の叫び。
二人の言葉は、どのような剣よりも鋭い切れ味で、確実に零式の心の内を貫いていた。
ぎり、と歯噛みしてから、使徒はブレードを構え直す。
「私が良いと思っているとでも……」
跳躍、狙いは葉月か。
「思っているのか――っ!!」
今度は狙いを違わなかった使徒の刃を、葉月は正面から受け止める――。
余裕が無くなってきたのか、FSのほうへ身を寄せつつ戦う百合を日菜子は追撃していた。
途中でゼロが百合の砲撃を受けて気絶したものの、ラファルの置き土産に苦しむ使徒に対して、表面上は優勢に進めている。
その使徒が身を寄せる先、中央のFSもまた撃退士たちの集中攻撃を受けていたが、同時に敵も激しく反撃していた。
「……っ。今のはなかなか痛かったですよー」
FSの通常弾を受けて地に落とされ、しかし葉月の支援により気絶を免れたエリーゼは、崩さなかった微笑みを敵へと向ける。
腕輪を嵌めた腕を、FSへと向けてかざす。
かざした腕……その先端にアウルが集まるや、そこには黒き雷が槍の形を取って顕現していた。
エリーゼはそれを掴んで、狙いを付ける。敵はダッグインで車体を隠したまま、砲塔の正面を微笑みの堕天使へと指向している。
一二〇ミリ戦車砲、発砲。これはエリーゼの横に逸れて着弾。
「撃ちましたね、私のことを二回も。……なら、こちらも撃ち返す権利がありますね?」
多くの敵を畏怖させてきたであろう微笑みを今回はFSという敵へ向け、彼女は『貫くもの』と名付けられた槍を解き放った。
……砲塔の正面に装備された「防盾」は、一般的に戦車の装甲の中でで最も防御力が高い。それはFSも例外ではなく、天界謹製の装甲――並みの攻撃ならば通るはずもない程度の防御が、そこには施されているはずだった。
尾を引いた雷撃の槍は、砲塔正面を貫き、浸透し、雷撃をFSへと浴びせかける。
……その攻撃の被害は、実はあまり大きくない。車体側面に仕掛けた氷雅らのほうが、与えたダメージは大きいぐらいだ。
だが、別の事実がそこにはあった。
――エリーゼの『疾さに特化した槍』は、敵の最も強力な装甲を貫いてダメージを与えたのだと。
その報告を受けた天使エティエンヌエルがショックで取り乱すのは、エリーゼがその後の敵骸骨兵の集中射撃に耐えかねて戦闘不能に陥ったずっと後のことになる。
集中攻撃を受け、ついに瀕死のFS。
その背にあって自らも攻撃を加えてきた神削は、再びの攻撃を加えんと、体内でアウルの霧を練り上げる。
刹那、神削は視線を走らせた。射線上に民兵がいてはまずい、と。……幸い、彼の視線の先には民兵はいなかった。
「……」
さらにその先では、使徒・零式がアスハらと戦っている。その姿にはこの中性的な美少年も思うところがあった。何せ、彼女とは古い付き合いと言っても過言ではないからだ。
――こういうやり方が『悪』とは言わないけどな?
ちらと向けられる視線の先では、神削の心の問いを知ってや知らずや、零式は葉月への攻撃を外したところで。
「だが一先ずは、こちらが先だな」
呟いてから、少年はアウルの霧を噴射する。
その爆発は、ついに二両目のFSを葬り去ったのだった。
「零式ちゃん! ストーカーの相手は良いから、他の敵を先に!」
「……少し黙れ、その砲塔ごと、な」
零式と合流した百合を攻撃するアスハ。そこに日菜子も合流した。
――奴らはラルを傷付けた。民間人に望まぬ行動を取らせている。
「だから、ここで貴様を倒す!!」
気合い一閃、紅きオーラを再び拳に纏う。百合の装甲は、その形状を通常状態へと復帰していた。時間切れか?
「しつこいわね、アンタ!」
「覚悟しろォ!!」
突き出された決意の拳。
百合はバヨネットを構えて防御しようとするが……日菜子の想いは、その上を行く。
それほどまでに、彼女の怒りは深かった。
「ー―っ!?」
強力な一撃が、敵へと直撃する。
それは重く構えていたはずの使徒を後ずさらせ、たたらを踏ませたのだった。
しかし日菜子の怒りは収まらない。
「もういちげ――」
「周り、見たら!?」
しかし、押されているように見えた使徒の、勝ち誇ったような叫び。
はっとなって日菜子は見回し――最後に残ったFSが、弾着痕から出て砲身を彼女へ向けているのを知覚する。
「弾種、HESH! 放てェ!!」
怒りに任せて突っ込みすぎ、誘われたか。
本日二発目のHESHが、後悔する熱血少女の意外に華奢な身体を吹き飛ばした――。
使徒に加え健在なFSが残っていたことで、戦いの帰趨は決する。
撃退士たちの陣容は、長期戦を志向しつつも長期戦に向かなかったのである。
残った撃退士たちもその後、敵の火力に押され、地に伏せることとなったのであった。
防衛線は突破され、館山市の中心市街を含む市の東部は、天界軍の手に落ちた。
さらに、今まで抗戦の指揮を執っていた司令所たる市役所が爆破されたという一報が、館山市側の厭戦気分に拍車をかけることになる。
南総の戦線は、新たな局面を迎えた。
――あの二人の言葉が、まだ棘のように刺さっている。
彼らが問うたのは、私の為す道。今のままで、それが為せるのかということ。
……為せる、とは思えない。
熱狂する市民を用いるのは、むしろ感情の頚木から解き放つものとは真逆。
しかし、そこに疑義を挟むこともまた、私の感情に因るもの。だからこそ私は、駒であろうとした。
嘆息する。
私は、どうすれば良い――。
ところで、なぜ私は人の感情を忌むようになったのだったか。
…………。
……。
…。
終