暗い灰色に覆われた道を歩むのは、自らの存在を誇示するかのような白き虎の群れ。
その先頭を進む虎は色こそ地味な灰色であったが、額に逆さ福の印を輝かせる姿は特異であり、同時に彼が他の白虎とは違う存在であることを、視る者すべてに知らしめる。
灰色の虎――倒福虎は、確かに他の白虎たちとは異なる能力を持っていた。
ただ率いられて闊歩するだけではなく、その両の眼で自らの行き先を見据える力を持つサーバント。
……その視線の先にいたのは、合計一二人もの撃退士たち。
明らかに危険な雰囲気を漂わせる六人の集団と、明らかに弱そうな雰囲気を醸し出す六人の集団とが、その進路上に立ちはだかっていた。
数々の戦いを潜り抜けてきた練達の撃退士の一人、それが強羅 龍仁(
ja8161)である。
その男の目から見ても、いま彼の……いや、彼らの横で戦闘態勢に入っている六人の撃退士は、不足で、不測な存在だった。
口々に『緊張するなぁ』とか『上手くやれるか?』と言い合う様は、まさしく新米のそれ。危なっかしいったら無い。
だから、
「ここは任せろ。お前達は市街地の避難誘導を頼む」
そのような要請を出すのは、自然なことだろう。龍仁の隣にいる美少年、橘 優希(
jb0497)も同意を示すようにこくこくと頷く。
しかし、それに対する答えは、彼らの期待に反していた。
「お、俺たちだって、戦うんだ」
「そ、そうだ! 練習、したんだ……っ」
「それに、先生の指示だし……」
今回の戦闘演習を引率する、バハムートテイマーの教師。撃退士としてはそれなりに達者だが、指揮官としてはあまり熟練でないらしく、生徒たちに指示を出した後、単独で敵の側面を突くべく移動していた。
嘆息する龍仁だが、新米たちが退く気が無いとなれば、ここは彼ら経験豊富な撃退士たちが何とかするしかない。新米の集団よりも前方に歩み出る。
「私たちが何とか敵を抑えます。ですから、皆さんは危険が無いように慎重に行動してください」
狙撃銃を手にしながら、ユウ(
jb5639)が新米たちへ微笑む。彼女ははぐれ悪魔であったが、その表情はまるで神話に出てくる天使のように柔和で、人を安心させる。
新米の何人かが顔を赤く染めて、少女の言葉にこくこくと頷いたのだった。
駅前ロータリーと、そこに入る唯一の自動車道。敵は自動車道側よりロータリー、そして駅へ向けて錐行の陣を取りつつ侵攻中。
そのロータリーに左右に展開する撃退士は、図らずも、熟練グループと新米グループといった風に分かれている。
そして、その様子はサーバントの目にも、読み取れたのであった。
……戦いは、教師のスレイプニルが敵の側面を突き、二体の白虎を引き離すことに成功したことにより開始された。
桜庭 ひなみ(
jb2471)が戦列の後方に下がって狙撃準備に入り、Spica=Virgia=Azlight(
ja8786)もまた飛翔して援護射撃の態勢を取る。
地上で戦うのは龍仁、優希、アスハ・A・R(
ja8432)。そして先制パンチの後に飛翔するつもりだったユウの四人。
年若きはぐれ悪魔の少女は、先ほど新米に向けていた微笑みと正反対の厳しい眼差しで、銃のスコープを覗き込む。狙いは一体だけ違う色をした、明らかに特別とわかる灰色の敵――倒福虎。
十字のサイトをぴったりと合わせ、
「んっ!」
一瞬の息止めの後、アウルを乗せて引き金を引いた。
黒い霧に覆われた弾丸が、十字の中心へ向けて真っ直ぐに飛翔する。
当たった。射手がそう思った刹那。
灰色に合わせていたはずの黒い十字のスコープが、白い姿を映し出した。
敵の方向を向きつつ銀色のブーツで地表を滑走していたひなみは、敵の白い虎がユウの射撃から灰色の虎を庇い、消滅する様子を見た。
そして理解する。あの白虎は、灰色を庇う性質があるのだと。
「それで、あるのなら……っ」
適宜の距離を下がってから、ブーツの底でブレーキをかけて停止する。急制動にきゅっと小さい音が立ち、紅いオーラが揺らめく。
その手には、SR-45という名を制定された狙撃銃。小柄なひなみにはおよそ似つかわしくないライフルを、しかし彼女は躊躇無く構えた。
「皆さんは私が、守ります……っ」
新米たちに手は出させない。心優しいことが窺える少女の小さな決意は、鋭いアウルというカタチとなって銃口より飛び出す。
それは撃退士たちの間を通るように飛んで。
白い虎の肩口に突き刺さっては貫通し、浅くない傷を負わせたのだった。
淡い光を放つ銀翼を広げて高度制限ぎりぎりまで飛翔したスピカが見たものは、灰色と白虎、合わせて四体のサーバントが、一斉に向きを転じる光景。
かなり速い。自分の倍以上の速度に見える速度を出しつつ、しかし陣形は乱れていない。
「統率……取れてる……」
だが、それは今はどうでもいい。問題は、虎たちが転じた先。
「後輩たちの、ほう……」
敵はロータリーを軽く回るようにしながら、新米グループに向けて走っているではないか。
琥珀色の瞳に、かつての光景がフラッシュバックする。それは、戦う力を持ちながら、より圧倒的な天魔に踏み躙られた彼女の故郷の光景。
規模は明らかにあの時に劣る。しかし、眼下で進みつつあるそれは、あの時と変わらぬ惨劇の予兆。
「……」
アスハらが必死に立ちはだかろうとするのを目の端に捉えながら、スピカもまた、敵を妨害するべく砲撃の態勢に入った。
敵が迂回するように速度を上げ、その狙いを新米たちへと定めたとき、アスハは舌打ちすることを止められなかった。
サーバントが新米たちを狙うこと、それ自体は予測の範囲内であり、それに対する対応も熟練組の個々人で取っている。
――だが、想定外のはやさ、だ。
虎の駆ける動きも、新米に狙いを定めるのも。
撃退士の数を減らすために、まずは弱いほうを確実にやりに来た、か。
「敵がっ!」
「わかっている!」
優希の切羽詰まった叫びがビル間のロータリーに響く。それに応じる龍仁の声色にも焦りが隠せない。
それでも二人は、敵の移動先を見越しての行動を開始する。サーバントが迂回するように動いたために若干の猶予があったのだろう、このままなら新米グループへ突入せんとする敵の側面を――いや、駄目だ。届かない。敵はそれほど速く、このままでは眼前を抜けられてしまう。
龍仁は巌のような顔に脂汗を滲ませながら、敵へ向けて手をかざす。その身は敵に届かずとも、身でなければ届くはずだと。
かざした手の周囲に、彗星が出現する。突如として生まれたそれは、白い尾を引きながら、間一髪、疾駆する敵の側面を突いた。
先頭を走る倒福虎と、白虎のうちの一体に命中。それは白を消滅させ灰の身体に傷を穿ち、さらにその動きを鈍らせる。
……だが、まだだ。動きの鈍った二体の脇を抜けるようにして、まだ二体が速度を落とさずに突破を図っていた。
「ちっ」
アスハは敵の移動先を見定めるや、アウルで強めた身体を以って、一気に跳躍する。……幾度と無く戦った使徒の技を模倣した、跳躍の技。しかし、その移動距離は、本家本元を軽く超えていた。
すなわち、それは模倣にして模倣にあらず。他の撃退士たちの目には消えたように映った刹那、この状況で唯一、アスハはサーバントの側面へと肉薄することに成功していた。
そのまま、それ以上の進行を阻むべく、動きの鈍らぬ白虎の一体に向けて銀色の刃を煌かせる。
「……っ!」
しかし、それは模倣にあらずして、模倣である。
敵の進路を妨害するべく肉薄したアスハだったが、肝心の腕が動きの疾さに付いてこれない。かつて相対した使徒のそれとは、やはり違うもの。跳躍と攻撃を両立させること能わなかった。
二体の白虎は、蒼き青年のを避けるようにしながら、眼前を通り過ぎる。
白い獣はそして、狼狽し対応しきれぬ新米の集団に突入し。
――獰猛なる牙を二人の若き少年へ突き立て、彼らを血の海へと沈めたのであった。
厳しい表情を浮かべたユウが、叫びつつ空中より拳銃で射撃するのを聞きながら、スピカはただ静かに白虎へと狙いを定めた。
二人の後輩がやられたことについて、何も感じなかったと言えば嘘になる。それでも、スピカは冷静で。
――感情の一部を失ったことが、プラスに働く日なんて来ないほうが良かった。
だが、今は取り乱さずに冷静に照準できることに感謝すべきかも知れない。そんなスピカの思いを知る由もないだろうが、手にした砲は装備されたスラスターを用いて姿勢を制御し、より正確な狙いを付ける。
目標、後輩たちを攻撃した白虎の片割れ。
「……赦さない」
ただ一言だけ静かに呟いた少女は、引き金を引き絞った。
圧縮されたアウルが銃口より飛び出すのを、手の平に感じながら。
スピカの放った一発が白虎の頭部を押し潰し消滅させたのを横目で見ながら、アスハは白虎と新米との間に割って入った。そのまま攻撃するが、それは当たらない。アスハの眼前を舐めるようにして走りつつ、軽く距離を取ってくる。
新米たちは、仲間が紅く染まったことに怖気づき、もはや逃げ出すことも叶わないようだ。そのことを察したアスハは、あえて冷徹な言葉を使う。
「足手まとい、だ。巻き添えを食らいたくなければ、下がれ」
言葉と共に新米たちへ向けた射抜くような視線は、百発殴るより効果があったかも知れない。無事な新米たちが、腰砕けになりながらも後方へと下がる。
他の熟練組も敵に追い付きつつある。これ以上の被害は出さなくて済むはずだ。
「先に撃ちます!」
「援護します!」
地表を滑りながら射撃位置――最後の白虎の左に回り込んだひなみは、優希の返答を聞きながら、自らの正面に立つアスハへの攻撃を企図しているらしい敵へと銃口を向ける。
彼女の反対側、ロータリー中央方面からは優希が、優しげな名前と顔立ちにおよそ似つかわしくない大剣を携えつつ接近してきていた。
トドメは彼に任せればいい。少女のくりっとした可愛らしい瞳が、ライフルのスコープに合わせられる。
「やっつけなきゃ……仇を、討つんだから!」
「そうだ、絶対に!」
ひなみの反対側から走りこむ優希。その手にした大剣を包み込む黒いアウルは、天界の眷属に深い傷を刻み込むことを約束する、闇の力。天の天敵。
その容姿から、普段は少女と間違われることも多い優希だが、今このロータリーにいるのは、少女と間違われる人間ではない。それは、血の海に沈んだ後輩たちの復仇を誓う、一人の戦士の表情。やる時はやる男の顔。
アスハを襲わんとする白虎が、彼を直線上に捉えた。そのままスピードを上げていく。対する蒼き少年も、腕にアウルを纏わせ、受ける態勢を取るが……その防御の魔法陣が、展開されることは無かった。
ひなみと優希から見て、白虎は横移動。距離も近い。――外す距離ではない。
狙撃銃の少女が呼吸を止めて引き金を引くのと、大剣の少年がその得物を振りかぶったのは、ほぼ同時。
結果としてサーバントは、アウルの銃弾を左側面に突き刺された直後、黒き刃によって右側面から切り裂かれることになって。
その攻撃に耐えられるはずは、なかった。
かつて白い虎サーバントであったものの残滓を引き裂くようにしながら、蒼き少年が突撃する。
狙いは、最後に残った指揮官――倒福虎。あの額のマークには何らかの意味があったのだろうが、基本的にこちらが優勢だった手前、その能力を把握することにもはや意味は無いだろう。
あとはただ、奴を倒すのみ。
その最後の灰虎も、先だって受けた龍仁のコメットによって消耗している。
――新米たちの復仇をする義理は無い、が。
――彼らへの罪滅ぼしはしておくべき、だ。
敵を阻み切れず。悔やみ切れず。
ビジネスと割り切りつつも。享楽だとしつつも。
アスハは敵へ向かって走りつつ、左手を前へとかざすや、その先、触れるか触れないかの位置に魔法陣を出現させる。
そして、右手に持った曲刀にアウルを込め、
「借りは、返す」
その切っ先で、魔法陣の中心を思い切り突いた。
切っ先に巻き込まれるように形を変えた魔法陣は、瞬間、前方へと飛びながら、紅き大蛇へとその姿を再構成する。
その姿を現し空間を翔けた大蛇は、倒福虎に巻き付くや、締め上げ、砕き、そのサーバントの生命活動を終わらしめたのであった。
後に、二体を撃破した教師が合流したことで、今回の遭遇戦は幕を閉じたのであった。
生存者、教師一名、生徒一〇名。
倒福虎の消滅を確認した龍仁は、すぐさま紅い海に横たわる二人へと駆け寄った。
彼はアストラルヴァンガード……つまり、アウルを治癒の光へと変える癒し手。
そして、男は知る。
「二人とも、かすかだが息がある」
弱々しいながら、まだ保たれている呼吸があることを。
龍仁が静かにだが力強く呟いた言葉は、撃退士たちにとっての一筋の希望の光。
「先輩、それって……」
「まだ助かるかもってことですか……?」
ヒールによる治療を開始した龍仁の姿に、後輩撃退士たちが俄かに活気付く。
だが……その中の一人、少女の言葉が、ぽつりと響く。
「でもさ、私たち……何も出来なかったよね」
何も出来なかった。戦うことも、仲間の仇討ちも。
仲間をやられても反撃すら出来なかった私たちは、回復した二人にどういう顔をしてば会えば良いの? 撃退士、続けられるの?
そう呟く少女撃退士の言葉に、活気付きそうだった新米たちが、再び塞ぎ込む。
そんな彼らに、差し入れの缶ジュースを手に近付いたのは、優希だった。
「お疲れ様。とりあえず、ジュースでも飲んで落ち着いて?」
女の子と見紛う可愛らしい顔立ちは、後輩たちをねぎらう笑顔を乗せている。
「僕も……いや、僕たちだって、全然戦闘に慣れていないことがあった。昔から今みたいに戦えたわけじゃないよ」
「ですけど……」
何か言いたげな後輩に向けて、優希はそっと人差し指を唇に当てる。
「今回みたいな想定外のアクシデントに皆は慣れていないのに、対応しようとしていた。もっと自信を持って大丈夫だよ」
――これを機に、成長してくれれば。
「僕たちだってあの二人がああなる前に助けられなかった。そのことは素直に謝って、次は失敗しないように、一緒に進んでいけば良いんだよ」
――それが、仲間というものだから。
慰めと叱咤の言葉に一人が泣き出す中、別の一人が優希へと歩み寄る。
「……ジュース、いただけますか?」
「……うんっ」
ずっと優希が持ち、ついに手渡されたオレンジジュースの缶。
オレンジ色の装飾が施されたアルミ缶は、仄かに温かかった。
報告書の訂正。
生存者、教師一名、生徒一二名。
終