その灰色の物体が上下に揺れて見えるのは、自身が揺れているせい。
楔形に陣形を整えたアヒル型戦車――AM 40の、先頭の車両の背で、自身が攻撃すべき護衛艦を捉えたシュトラッサー・零式は、迷うことなく砲撃の命令を下した。
……しかしそれは、波による動揺の影響か大きく的を外して。
「……。だめか」
少女は、敵艦へ向けての突撃を下令した。
その戦車の群れの、側面へ回り込むように向かう影は二隻。
二隻目をグイグイと引き離すように水上を猛然と進む複合作業艇――RHIBより、鷺谷 明(
ja0776)が飛び降りて水上歩行を始め、またリリコ(
jb6765)が光の翼を展開するのを見ながら、それを追う二隻目の内火艇に搭乗していた天風 静流(
ja0373)は、風に乱れる長い黒髪に構うことなく、敵を見据えていた。
「水上戦とは、いつもと勝手が違うがやるしかあるまい」
「左様。物資搬入の阻害は、館山市に大きな痛手。制海権はきっちりと守らせていただきましょう」
独り言のつもりであったが、闇の翼を広げて今にも飛び立たんとしていたミズカ・カゲツ(
jb5543)には聞こえていたらしい。言葉の代わりに、こくりと頷いて答える。
その返答にこちらも頷いて返したミズカが飛行を開始するのを横目に見つつ、弓を構えた静流は、タイミングを計った。
――リブは敵の側面に回り込めるはず。こっちの内火艇は……この速度なら、シュトラッサーの乗る戦車の正面を通過するか。
揺れる搭載艇の上でしっかと立った少女は、特注の複合弓を構え、ぐんぐんと近付く戦車を見据えた。狙いは、車体正面のスリット。唯一、戦車の内部に攻撃を届けられそうな覗視孔。
そして、内火艇は右側面に零式の乗る戦車を迎え。
「――っ!!」
同時に撃ち放たれたアウルの矢は、その弓に付けられた『箒星』という銘の由来である青白い尾を引きながら……スリットの内部に飛び込むと、AM 40が大きな衝撃を受けたかのように航跡を乱した。
その一撃とほぼ同時に、首から提げたロザリオを右手で掴んで敵に翳したのは、ナタリア・シルフィード(
ja8997)。
――物理防御が強いということは、魔法に対する防御は甘い可能性があるはず。
ぐっと握り込むと同時に生み出されたのは、いくつもの光の刃。それは違わずに、今しがた大きなダメージを受けたばかりの戦車を捉えるが――しかして、刃は傾斜した装甲に弾かれてしまう。
魔法防御もかなりのもののようだ。
「腐っても戦車か……強引な攻めは通じないようね」
しかし、ナタリアとしてはその結果は想定済み。もっと近付いて下さい、と内火艇を操縦する自衛官に声をかけつつ、彼女は彼我の速度と軌道を見極める。
最も、これなら敵の向かって最左翼の戦車を狙えるはず――そう結論を出して狙いを定めていたのは、ナタリアだけではなかった。
目測――今!
ナタリアの刃より一瞬だけ早く放たれたのは、静流の箒星。
結果、矢と刃がほぼ同時に敵へと向かったわけだが、しかしナタリアの刃は、青白い尾を引く矢よりも正確に、スリットのど真ん中に突き刺さる。彼我の動きを読んでの正確な攻撃を試みた成果だろう。
攻撃が連続して突き刺さった瞬間、大きく動揺して、それが許容量を大きく超えた損害であったことを如実に表すAM 40。
……そして、それは許容量を超えるダメージだったのだろう。行き足は保たれつつも戦車という鎧が徐々に灰と崩れていくと、一頭のドラゴンの姿が、陽光の下へと引きずり出されたのであった。
撥ねる海水に足元を濡らされつつ、しかしその動きは水陸両用の敵より確実に速い。
リブを飛び降りて水上を走る明は、敵の進路上へと機動していた。
「まさか海上に出てくるのに、備えをしていないということはあるまいよ」
敵――使徒の乗る戦車の正面へと占位した忍軍の少年は、最左翼が外装を剥ぎ取られてもなお進撃する敵集団を見据え。……彼の斜め上方では、赤色をした光線状の、蝶のような翼を広げた幼き天使も、その小さな手に似つかわしくない大きなクロスボウを手に攻撃態勢へと入っている。
「天使の戦車……おもしろそう……。分解、してみたい……けど……」
先ほど、一両が灰と成り果てたのを思い出し、乏しい表情の中に明確に落胆を滲ませるリリコ。あのアヒルを倒したら、そもそも調べられなくなってしまうではないか。
「……とにかく、やっつける」
制海権とか、難しいことはわからない。でも、アヒルを調べるという目的は失われても、敵と戦うというお仕事は忘れない。
射程が敵に届くギリギリの高度を適宜に保ちつつ、クロスボウを連続して撃ち放つ。敵の行動を掣肘するための牽制射撃のつもりであったが、結果は芳しくない――アウルの矢を傾斜した装甲で滑らせた敵は、なお変わらぬ速度で前進を続けている。
相当、装甲に自信があるようだ。
今の攻撃は無意味だったのか? ……いや、無意味ではない。
輝くアウルの矢の束は、期せずして明の行動を隠蔽する結果となる。一瞬とはいえ、零式の視線が矢に注がれたためだ。
気付いたときには、享楽を旨とする少年は零式の乗る戦車……そのスリットへと顔を寄せていた。
「刺激的な贈り物をしてあげよう……零式君。きみのペットにね」
そのままスリットの縁に口を付け――その内部へ、雷にも似た光の筋を送り込む。『雷息』と名付けられた刺激的な吐息は、内部から戦車を破壊した。
波間に灰が染み込み、サーバントが姿を現す。
戦車が崩れる瞬間に跳躍し、中より出現したドラゴンの背へと着地した零式は、そのまま刀を振るう。明は何なく回避するが、そのために一時的に零式から離れる格好になった。
生まれた刹那の余裕、使徒は状況を確認する。
黒い高速ボート――リブ――はこちらの後方へ旋回中。もう一艇の搭載艇――内火艇――も右翼を航過しつつあった。先ほどの水上を歩くの撃退士と飛行している撃退士は、やや離れている。
自身と自身の率いる部隊の前に撃退士はいない。その一瞬の隙。
零式はサーバント戦車たちに護衛艦へ向けての全力航行を命じ、一瞬のうちに迎撃の撃退士たちを引き離したのであった。
「敵、加速しました! こっちに来ます!」
「確認した。……俺たちの出番だな」
洋上にたゆたう護衛艦、零式たちの破壊目標であるその甲板の上から、自衛隊印の高性能な双眼鏡で戦況を見守っていたのは、天宮 葉月(
jb7258)と月詠 神削(
ja5265)の二人であった。
二人の役割は、敵が護衛艦に近付いてきた際の、最終防衛線。本当なら必要になって欲しくなかった仕事。
しかし現実に、敵は仲間たちの迎撃の間隙を縫って、こちらに接近しつつあった。双眼鏡を可搬式消火ポンプのカバーの上に置いた二人は、それぞれ和弓と洋弓……天波とレラージュボウをヒヒイロカネより活性化し、備える。
――この前に会ったとき、冬服フェスタのときみたいな甘さや緩さは無かった……。零式ちゃんに話を聞くなら、彼女に認めてもらうしかないのかな?
プライベートのときの零式と、使徒としての零式。その違いを知る葉月は、だからこそ気になった。あの使徒が、使徒として戦う理由を。
今日ここで聞けるとは思わないけれど、今日こそは勝って認めさせる下地を作りたい……と、そこまで考えてから、不意にくすっと噴き出す。戦場では冷静だけど私生活ではどこか抜けてるって、何だか自分の彼氏みたい。
そんな葉月の心の内とは別に、神削もまた、零式については思うところがあった。
……最初に会ったときと、キャラ違うよな。
最初は、武勇一辺倒の堅物だと思っていた。しかし周囲の話を聞くに、冬服フェスタに私服を買いに来たこともあるという。これが人間の二面性、というやつか――。
ここで、暗器術使いの少年は思惟を中断する。敵がまもなく射程内だ。
「月詠さん。私、零式の動きで警戒していることがあります」
「奇遇だな。俺もだ。あの使徒は跳躍に長けた敵だからな。まずは任せてくれ」
左手に弓を持った少年は、自身……正確には自身のいる護衛艦へと向かってグイグイと迫るドラゴンと、その背にあって刀を構える黒き使徒を見据えた。
視界の中の零式が、わずかに膝を屈める。その瞬間を狙って。
神削は、霧状のアウルを口から勢いよく噴射。そして帯状になったアウルへ、
「――っ!」
素早くレラージュボウを構えると、それを撃ち放った。
海面へ緩降下しつつ飛翔するアウルの矢は、噴霧されていた帯を縦に切り裂くようにしながら、その切っ先が通り抜ける度に爆発を起こしていく。
それが水面へと突き刺さったとき、爆発は海原をも騒がせて……跳躍の態勢に入っていた零式の行動を、中断させたのであった。
護衛艦の艦上に控えていた撃退士の撃った矢が、爆発を伴いながら自身の乗るドラゴンの傍らに着水し、海面に大きな波を立たせた。
跳躍し艦上へと飛び移ろうとしていた零式は、足場に起きた大きな動揺にバランスを崩しかけ、咄嗟にサーバントの首を手すり代わりにして耐える。
実は零式は、水上で行動する術を持っておらず、移動は水上用サーバント頼りとならざるを得ない。
使徒がその全力を発揮するためには、足場のしっかりした場所へと乗り移ることが必要であったわけだが、突如として起こされた動揺が彼女の意図を妨害したのであった。
「この千葉切(せんようぎり)の刃、とくと味わうがいい!」
零式がドラゴンの背で叫び、手にしていた日本刀を身の丈ほどもある大型のブレードへと変形させ、三日月のような青い光を放つのを、咲村 氷雅(
jb0731)は敵を追撃するリブの上で聞いた。
そしてその攻撃を身を挺して防いだ神削が意識の自由を奪われて海中に没するのを見、また敵の戦車による護衛艦の船体への攻撃であろう砲撃音を聞いて、氷雅も焦りを覚えずにはいられない。
「急いでくれ!」
「これで一杯だ!」
運転を担当する自衛官に向けて怒鳴る。まだ敵との距離は数百メートルはあった。
氷雅へ『先に行くぞ』と言い残して水上を走って行った明が、交戦に入るのが見えたとき、焦りからかどうでも良い感想が少年の頭を掠める。何であいつ、高速艇より速いんだ……?
一方、その明は零式の乗るドラゴンに背後から近付くや、上段に構えた刀にアウルを纏わせつつ、勢い良く振り下ろした。自らの足で立つが故の、波の影響を受けない一撃は、正確に零式と彼女の乗るドラゴンを捉える。
「くっ、追いついてきたか!」
しかし、命中はしなかった。零式は当たる直前で気付き、跳躍して回避。そのまま別の戦車の背に降りる。しかしながら、使徒ほどの反応速度を持ち合わせないサーバントのほうは、背中から切り裂かれて消滅した。
黒き使徒は追撃しようとする明を大型ブレードの一閃で――命中はしなかったが――後退させると、数回目になる護衛艦への飛び移りを試みる。
しかし、跳躍しようとしたところにアウルの矢が突き刺さって、態勢を崩されてしまう。また失敗だ。
「させないよ、零式さん!」
見れば、黒髪をポニーテールに結わえた少女、葉月が大きな弓を構えていた。攻撃自体は強くはない。しかし、攻撃するタイミングが適切だ。
――あの少女や、爆発でこちらの足場を揺るがした男。幾度か刃を交え、確実に手強くなってきている。装備ではない。思考や判断がだ。……こんなものに頼っている自分とは大違いだ。
強化用の外骨格を纏う自らを自嘲し、再び跳躍の機会を伺わんとした使徒は、しかし、その思考を途切れさせられた。
「千葉のあの町での一件以来だな、零式」
「っ!?」
ようやく追いついた氷雅は、かつて助けに行った敵と戦うという奇妙な縁に皮肉なものを感じつつ、しかし使徒の目の前に紅き蝶をばらまく。――次の瞬間、爆発。
爆発の刹那、氷雅は水中へと飛び込んでいた。爆発に紛れての動きであるため、着水音は察知されていないであろう。
水中において、半分は悪魔の血を持つ少年は戦車の底めがけ、手の内に生み出した黒い剣を振るう。剣に付随して発生した黒い波動は、しかして黒い竜の形となり、それは戦車の中でも装甲が薄い底面を食い破っていった。
自らが黒竜の顎に食い付かれたと知覚した零式は、跳躍して避退する。しかし、下半身に食い込んだ牙はかなりの深手を使徒へと負わせていた。
まだ健在な戦車に着地した彼女が見たものは、灰と消滅する戦車。あとに中身が残らないのは、恐らくサーバントが先に絶命したためだろう。
歯噛みする零式へ追撃をかけるのは、ミズカだ。
「一手、お相手願いましょうか!」
「……っ、望むところ!」
狐のようなふさふさ尻尾と銀色の耳を風に靡かせてつつ空中より急降下してくる悪魔の少女に、何とか応戦の態勢を整えた使徒の少女が応じる。
二人の距離は瞬く間に近付いて……先にブレードを振るったのは、零式。
「はあぁっ!!」
だが足場が狭い上、波での動揺が重なり、使徒自身が企図したほどの精度ではない。
ブレードの大きさと動きを見切り、攻撃に繋げるためあえてギリギリで避ける銀狐。回避による態勢の崩れを最少としたそのままに、彼女は神話上の剣の名を持つ刀を横に薙いだ。
「せぇぇい!」
しかし、敵が半身をずらしたがため、切っ先はわずかに届かない。放たれた反撃もまた、ミズカの立体的な機動に追随できず、これを捉えられない。
つくづく、艦上への移乗を妨害されたのが響いている格好の零式である。不安定で小さい足場では、彼女は全力を発揮できないのだ。
もう数合ほど打ち合うもお互いにダメージを与えることは叶わず、ミズカは鎮火しつつある闘争心を再燃させるためにいったん飛び上がって零式の間合いから外れた。
その間にも、戦況は動いていた。
戻ってきた内火艇に搭乗していた天風とナタリアは、その技量を活かして着実に健在な戦車のスリットを狙い、敵を追い込んで。
リリコもまた、隙を突いて高度を落としてスリットを弓で射るや、集中攻撃に耐えかねた戦車が一両、その中のサーバントを露出させる。
水中に沈んでいた神削も、護衛艦のタラップを登って艦上に復帰しており、葉月と共に交戦を援護していた。
「潮時か……っ」
ミズカの上昇のために生まれた数瞬の余裕で状況を確認した零式は、これ以上戦っても護衛艦を沈められないと悟った。何より、自身の負傷が酷い。このままでは、纏った外骨格――エンジェルズシェアに生命を食い尽くされかねない。
また負けたのか、私は。
交戦中のサーバント戦車たちに撤退の指示を出しつつ、使徒は悔しい思いを噛み締める。
海風の遠くに、『いつか戦う理由を聞かせて下さい』という少女の叫びを聞きながら。
かくて撃退士たちの働きにより、館山沖の制海権は守られた。
ここからの仕事は、陸で戦う仲間たちに託すとしよう――。
終