東側が琵琶湖に面す幹線道路は、前代未聞の渋滞でごった返していた。
先頭を走っていた一両がスリップ・横になって停止したことで、二列の縦隊となっていた戦車型ディアボロは停止を余儀なくされると、さらに撃退士が右列の足回り――履帯を破壊し、集団は進むことも儘ならなくなっていた。
戦車を率いる悪魔、悪思の準男爵ことアクァ・マルナーフは仕方なく、先頭で停止している一両の排除と、その間の反撃を指示。
――命令に従った右列の五両のディアボロは砲塔を森へと指向するや、撃退士のうち四名を榴弾で吹き飛ばしたのであった。
「おお、怖いわねぇ。よほど逃げたいのかしらぁ?」
名も知らぬ撃退士を一気に吹き飛ばした砲撃を横目に、敵車列後尾へと接近していたのは、Erie Schwagerin(
ja9642)。もう少しだけ遊んでくれるのかしらぁ、と呟きつつ彼女が接近していく理由はただ一つ。……彼女の『串刺し公』の穂先は短いのである。
戦車隊右列の気は森を向いており、左列は右列の車体と重なるため履帯破壊が難しい今の状況。
なれば、自分の最初の獲物は自明だった。
「あんまり構ってくれないと、悪戯しちゃうわよぉ♪」
難なく敵車列の最後尾に近付いた紅き魔女が狙うのは、右列の車体の陰となって狙撃手たちでは破壊できない、左列末尾の戦車。その履帯。
紅きドレスを風に靡かせた彼女がスキルを発動すると、幹線道路のアスファルトを食い破るようにして地より隆起した槍が、道路を踏みしめていた戦車の履帯を刺し貫き、破壊せしめる。
湖よりの風が奏でる風切り音はまるで、突き立った槍が新たな獲物に悦びの声を上げているかのようだった。
「見た目が戦車なら、仕様も戦車のようですね」
幹線道路の西側に面す森の、特に木が生い茂ったポイント。絶好の狙撃ポイントに潜む結城 馨(
ja0037)は、履帯を破壊された敵が逃げずに反撃してきたことを見て、疑念を解消する。
実のところ、履帯を壊されても移動可能な戦車型の敵がいたことを知る馨は半信半疑であったのだが、今回眼前にいるのは、動けなくなるタイプの敵らしい。
納得した彼女は、手にしていた八八ミリ魔導ライフル――アハトアハトを格納すると、一巻の巻物を取り出した。使い慣れぬライフルと違い、こちらは手に馴染むと思いつつ、スキルの射程内に敵を収めるべく前進する。
一方、目の前で味方が吹き飛ばされた新崎 ふゆみ(
ja8965)は、
「ふゆみよりおっぱいちっちゃい悪魔さん、すんごい怒ってるぅ! 怖ぁい!」
緊張感があるような無いような、イマドキの女子高生らしい感想を漏らす。
とはいえ、ふゆみがイマドキと違うのは、彼女が歴戦の撃退士の一人であるということ。デコられたスナイパーライフルCT-3の狙いは逸らさない。
……彼女はこの狙撃銃を『デコイパーライフル』と呼んでいるが、なかなかどうして語呂が良い。
停止した右側の車列の中央、戦車型ディアボロの弱点とされる砲塔側面を狙う。敵の砲身……つまり弱点でない砲塔正面はこちらを向いているが、ふゆみの位置からは狙う相手の砲塔側面を撃てる。
そのぐらい、今回は敵が多かった。
「カワイソウだけど、ふゆみがばーんばーん、だよっ! てい!」
一拍の気合いとともに、引き金を引く。
飛び出したアウルの弾丸は空気抵抗とか諸々の面倒くさい条件を全て無視し、一直線に敵の弱点へと突き刺さった。
――思ったより、ダメージ低い?
射撃した敵をスコープで見たふゆみは、自身の思い描いていたより穿たれた傷が小さいことに疑問を抱く。ふゆみのデコイパーは、威力は高いはずなんだけど……?
そんなふゆみの思惟は、視界内での出来事で中断した。敵戦車から一〇メートルの位置に忍術書を携えて姿を現した馨が、巨大な火球を敵に叩きつけたのである。
本来なら、戦車の一両を丸ごと呑み込むであろう火球は、しかし……砲塔側面に当たって、滑ったように見えた。
……直後、炸裂。命中した箇所とはややずれた位置で。視界に写る馨が、戸惑っているのがわかる。
「ど、ドユコト?」
ふゆみは、混乱の度合いを深めたが……そんなことより攻撃だと思い直し、再びデコイパーを構え直したのであった。
一冊の魔法書を携えたメレク(
jb2528)が、光の翼を顕現する。
直後、ふわりと黒髪を靡かせて少女は重力への反逆を開始した。
「これ以上の被害は出させません。天使の名にかけて」
――かつて自らがしてもらったように、此度は自分が彼らを守る。
直下に、狙撃銃を手に散開する撃退士たちをちらと眺めてから、堕天使は正面に存在しているディアボロを見据えた。
彼女の狙いは、砲身が味方を向いている敵を攻撃し、その注意を引くこと。以って、味方への攻撃を逸らし、守ること。
彼女の手にある魔法書は淡く輝くと、何も無い空間に雷の矢を生み出し、そのまま飛翔させる。
矢は違わずに戦車の装甲へと飛んで……わずかに滑る。
「……っ」
当たったは当たったし傷も穿ったが、その傷は小さい。
傷が浅いせいか、それともアクァの指揮があるせいか。戦車ディアボロはメレクの攻撃を受けてもなお、森……散開した撃退士たちへの攻撃を継続していた。
その様子を、光学迷彩により風景と同化し、敵の先頭方向へと接近しつつ見ていたラファル A ユーティライネン(
jb4620)は、敵の被害が思ったより少ない理由に思い至っていた。
「傾斜装甲……っ」
装甲を斜めに傾けることで実質の装甲厚を増やすと共に、砲弾を滑らせて貫通させにくくする、昔の人間の戦車で多用されていた設計。
今回の戦車の装甲は鉄板ではなく、また攻撃する側もアウルであり鉛弾ではなかったが、この戦車ディアボロはどういう原理かそれが有効らしい。
ラファルは舌打ちしつつも、しかしするべき仕事を果たさんと行動を続ける。
先頭の横になっている戦車と、その戦車を攻撃中の一両との間に潜り込むや。
「――っ!」
声を発さずただ気合いを込めると、彼女の肩口に三本の筒を束ねたもの……煙幕弾発射装置がポップアップする。
筒からは即座に、対天魔用の特殊な煙幕が展開されていく。――その効果があるのは、天魔だけだ。
元々目が悪い戦車ディアボロは、さらに目が霞んだことだろう。砲身が動揺して、それを物語る。
「戦車っツーとなんかいい思い出が無いんだけれど……今回はどうなるんだろな」
ラファルは呟くや、後尾へ向けて再び駆け出す。次の戦車を煙に巻いてやらねば。
ラファルが光学迷彩を用いて敵に迫るならば、その反対側、車列後尾から幻影を纏いて敵に迫るのは咲村 氷雅(
jb0731)。
彼が忍び寄るは、左列後方の車両の背にあってディアボロを指揮する悪魔……つまり、アクァ・マルナーフだ。
氷雅が敵戦車の尻から回り込むように動いても、彼の纏った幻影はその行動の全てを隠した。
怖れるべきは悪魔に感知される可能性だったが、幸いにして悪思の準男爵は指揮を執っており、忍び寄る相手に注意を払っていない。
ゆえに、氷雅はむしろ拍子抜けするほどに、容易にアクァと彼女の座乗する戦車に接近することが出来た。
――しぶとく生き残ったなアクァ。お前の玩具、ここで壊させてもらうぞ。
「……っ!?」
自らの名を何者かが呼んだ気配がし、車上の悪魔は――普段から厭世的で冷ややかな彼女には本当に珍しいことに――動揺を示した。
刹那、蜻蛉の羽を持つ女の周囲を、突如として多数の紅い蝶が取り囲んだ。
紅い蝶たちは数瞬の間だけ女の周りを浮遊し、そして彼女へと群がっていくや……赤い火の玉となっていく。
爆発は連続し、赤い炎が驚嘆した悪魔を包み込むが、それだけでは収まらずになおも爆炎が煌いていくと同時に、それまで森へ向け射撃を実施していた戦車ディアボロたちが、一旦射撃を中止したではないか。
そして、その好機を逃す撃退士たちでも無かった。
「統率を失った好機を、逃すと思って!」
馨の放った風の刃とふゆみからのアウル弾が突き刺さったかと思えば、メレクからの雷の矢がそれに続き、最後に生き残った名も知らぬ撃退士も狙撃銃を用いて、いずれも同一個体を攻撃する。
位置的に集中攻撃に加われないエリーは手近な戦車を攻撃し傷を負わせ、或瀬院 由真(
ja1687)の使役するスレイプニルがそれに追撃をかけていく。
ラファルは反撃の機銃をひらりと避けつつスモーク散布を継続し、水無瀬 雫(
jb9544)は攻勢に乗じて前列の戦車の履帯を破壊した。
そして撃退士たちの攻撃の前に、ついに一両目の戦車ディアボロが限界を迎え、崩れ去ったのである。
気配を消した氷雅は、さらに一撃を加えんと、次なる蝶の顕現へと入るが……。
「……あまり悪魔を舐めないことね」
陰鬱な表情に戻った悪魔は、ぼそりと呟くとわずかに振り向いて、手をかざした。
――その手の先に、幻影で潜行しているはずの自分がいることに、全ての思考が危険を告げる。
「くっ……!?」
攻撃を中断して回避に移ったのと、アクァの乗る戦車の後方にいた戦車が砲塔を旋回して同軸機銃を連射したのは、ほぼ同時――いや、違う。
少年がそう思った刹那、他ならぬ彼の身体から血飛沫が舞った。
敵のほうが早かったようで、真紅の鎧に保護されていない部分を弾丸に貫かれたか、
――何とか全部は当たらなかったが……くっ。
「さようなら、勇敢な撃退士さん」
機銃を避け切った先で氷雅の目に最後に映ったのは、自分の喉元へ向けて飛翔してくる一匹の蛇ディアボロであった。
『咲村さんがやられました……っ!』
「そんな……っ!?」
親友である氷雅が全員にと用意したハンズフリーの携帯電話が伝えてくる情報は、雫を愕然とさせた。
――依頼では今回が初か。よろしく頼むぞ、雫。
――はい。足を引っ張らないよう頑張りたいと思います。
戦闘の前に交わした会話が脳裏を駆け巡る。
「……私が、彼の分まで!」
しかし……大切な仲間が斃されても、戦意は挫けるどころか高調して。
雫は、湖からの風に白いマフラーをたなびかせつつ、戦車のうちの一両によじ登った。
「――魔を祓う刃となり敵を滅してください」
言葉を紡ぐ。陽光に神秘的な輝きを返す水が両手の巻布に纏われるのを確認した少女が、目の前の砲塔……その側面を見据えると、直後、拳を包む巻布から青みがかった刃が出現した。
「魔を祓う刃となり敵を滅してください! ……『斬魔・水刃』ッ!!」
天魔と戦う力を授ける、水無瀬流攻撃術式……術者の中の天界を高めるこの技は、その中でも特に魔への攻撃に特化したもので……また、今は亡き彼女の一族に伝わる魔を祓うすべ。
至近距離から放たれた水刃は、直接叩き込まれたがゆえ、傾斜装甲をものともせずにその威力をダイレクトにディアボロへと伝達した。
オオオォォォ。
……低く咆哮するのは、ディアボロか風か。
付近の戦車からの機銃射撃を氷の障壁で防ぎつつ、雫は次の攻撃の準備に入った。
とはいえ、戦況は徐々に撃退士不利へと傾いていった。
一両、また一両と着実に敵を漸減する撃退士たちに対し、戦車ディアボロたちも数の利を活かして反撃。
まずエリーが砲弾の餌食になり、戦車一両を撃破する貢献を果たした雫もまた、周囲からの集中攻撃を受けて倒れた。
次いで攪乱に専念していたラファルが五両の敵から集中攻撃されるも、全てを避けることに成功し、アクァが感嘆の吐息を漏らすという一幕もあったが……次に敵は森に布陣する撃退士たちを狙ってきて、ふゆみが重傷を負ってしまったのである。
戦況を見つつもスレイプニルを指揮し、敵にダメージを与え続けてきた由真であったが、すぐ近くで敵の砲弾が炸裂してふゆみが倒れたとき、思わず彼女へと駆け寄っていた。
「無事ですか、新崎さん!」
「え、えへへ……まだ大丈夫、だよ」
にへらと笑むツインテールの少女であるが、顔どころか身体も傷付いて、一目で傷は深いと見てとれる。
だがそれでもふゆみは、爆発で投げ出されていたデコイパーライフルの元へと這い、それを構え直した。
「……っ」
由真に、それを止めることは出来ない。現状にあって、ふゆみの高い火力は貴重な武器であったからだ。また、敵もそれがわかっていて、ふゆみへの攻撃を始めたのであろう。
――それならば、私に出来ることは。
状況を見て、由真は思考する。
彼我の位置関係、戦車はまだ正面で車列を組んでいる。
防衛対象、新崎さんは次の攻撃のために狙いをつけており、回避行動は困難。
敵の戦力、戦車型ディアボロ。こちらに砲を向けられるのは六両か――ッ!?
思惟が中断させられる。視界の内の敵戦車が、砲をこちらへ指向したからだ。
――撃ってくる!!
「スレイプニル!!」
由真が発砲を知覚したのは、彼女が召喚獣を呼び寄せた直後。
その刹那にあって、使役者の意図を汲んだスレイプニルは素早い動きで身を翻らせると……
「ッウゥゥ!!」
馬竜が弾き飛ばされ、由真が顔を歪めて呻く。敵の砲弾を、スレイプニルがその身に受けたためだ。
召喚獣の痛みは、召喚者の痛み。
ダイレクトに反映されるダメージに呼吸を持っていかれそうになりそうなぐらい苦しみ、胃の中身を逆流させそうになりつつも、しかし退魔の少女は最善の行動を取った。
ふゆみが狙われるのなら、彼女を守れば良い。戦況を見て判断した帰結だ。
「ありがとぉ、由真さん! ふゆみ、仲間を傷付けるのは許さないんだよぉ!」
感謝と怒りを抱いて、ジョシコーセーは銃把を握り込む――。
さらに続くふゆみへの攻撃に対し、由真に続いてメレクが庇うのを横目に見つつ、馨は再びアハトアハトを構えていた。
茂みが深く、容易には狙われないであろう場所に伏せて。
「火力が新崎さんだけだと思ったら、間違いですよ」
意識して隠れているのに加え、敵はふゆみを最大の脅威と見なしているのか、こちらに気付いている気配は無い。
「……」
射撃音、命中音。
ふゆみの一発が敵に突き刺さったが、しかし戦車ディアボロはなおも生存し、その牙をふゆみへ突き立てようとしている。それを庇う二人も、もう限界だろう。
――だけど、あいつの牙はもう彼女らには届かない。
冷静に、確実に。ここに来てガク引きなど起こしてなるものか。
落ち着いて狙いをつけた馨は、流れるような自然な動作でアハトアハトの引き金を引く――。
飛び出した八八ミリのあぎとは、ロジーナの頭を食い破り、かの怪物を崩壊せしめたのであった。
とはいえ、撃退士たちの戦いはそこまでだった。
敵の火力は残った撃退士たちをも飲み込み、地へと伏させる。
ここに、大津の対戦車戦は終わりを告げた。
撃破した戦車ディアボロ、六両。
アクァと残存部隊は、救援のヴァニタスと合流。戦車ディアボロに治療を施した後、いずこかへと撤退していったのであった。
終