浪風 威鈴(
ja8371)はホテル・マロンの建物を見上げていた。
ネオン輝く、彼女にはとても縁の無かった場所。美しいエメラルドのような瞳が、不思議そうに揺れる。
「ホテル……なのにラブ……? 変わった……ホテルがあるんだなぁ」
すでに結婚した彼女だが、夫とは健全なお付き合い中だ。
「くす。あなたはラブならぬウブねぇ」
その威鈴の様子にクスクスと静かに笑いを漏らすのは、藍 星露(
ja5127)。ほぼ同年代のはずだが、こういったラブホテルに訪れた経験もあるのだろう、幾分か慣れた様子である……というか、実はこの子、既婚者であったりするのだが。
一方、威鈴の隣にいた健全な夫――浪風 悠人(
ja3452)は、星露に非難めいた視線を送ってから、妻へと優しく話しかけた。
「今度教えてあげるよ」
「何をするつもりなのかしらね?」
悠人の言葉に、『口で説明するなら今でも良いんじゃないかしら?』と、雁久良 霧依(
jb0827)が艶やかな視線を向ける。
「……何でも良いじゃないですか」
「そうよねぇ、うふふ」
悠人のジト目を軽く受け流してから、霧依は傍らの少女――とても難しい顔をしている緋桜 咲希(
jb8685)に声をかけた。
咲希は言おうかどうかと逡巡するが、向けられる妖艶な笑みに負け。
「あうぅ……こんなトコ入るのなんか嫌ですよぅ、不潔ですよぅ」
ぼそりと、そう漏らした。
少女の呟きを受けて、後頭部を苦笑いと共にぽりぽりと掻いたのは、嶺 光太郎(
jb8405)。
「……随分と禍々しい所だものな、ラブホって」
同意を示す少年の言葉に咲希がこくりと頷くと、霧依は密かにため息を漏らしたのだった。
六名の撃退士は、人を呑み込むばかりで吐き出すことの無くなったブラックホールへと足を踏み入れる。
エントランスの様子を眺めた星露が、意外と綺麗ねと漏らす。実際、破壊の跡などは無い。
「あぁ、やっぱりあったわね」
それから星露は、フロントのほうへ足を向け、そこに設置されていた一枚のパネルを見つめた。このテのラブホテルは、フロントで部屋を選ぶことが出来、使用状況も確認できるのだ。
見たところ、全部で四〇部屋あるうち、三三が使用中。
「盛況なようだが、それだけに被害者を増やしてしまったのか」
光太郎が苦々しく呟くと、咲希が信じられないといった表情をしたのであった。
薄暗い部屋には、しかし電気らしきものは通っているらしい。ちかちかと輝く液晶テレビの画面が霧依の瞳を苛む。
「んー、それらしいのはいるけれど、断定は出来ないわねぇ」
黒髪のセクシーお姉さんが唸ると、そうですかと悠人が残念そうな声を出した。
六人の撃退士は、ホテルの管理室に来ていた。ホテル内に、倒さねばならぬ敵が三組いるのはわかっているのだが、闇雲に探してもどこにいるかはわからない。
そこで管理室に置いてあった、監視カメラの映像を見ていたのだ。
『今日の飲み会で、君と逢えたのは運命に違いない』
『んもぉ、上手いんだからぁ♪』
ホテルがダンジョン化した日に画面内を歩くカップルがいる。映像内の日付が最も若い彼らは、恐らくは問題のカップルのうちの一つなのだろう。
そして、彼らが入った部屋も概ねはわかったのだが……。
「これは……つまり……どこなんでしょう……」
霧依の肩越しに映像を眺める威鈴がぼそりと呟く。
彼女の言葉どおり、しかし撃退士たちは部屋を特定するまでには至らない。カメラの映像に合致する部屋は数箇所あったのだ。……考えれば、絞り込めそうな気もしなくはないが――。
「台帳らしきものは、ありませんね……」
「仕方ありません。目星を付けただけでも上出来でしょう。何分、入ったら出られないようですし」
本棚を漁る咲希に答えた悠人の言うとおり、このホテルの部屋は不思議な力が働いているらしく、一度入室したら出られないようだというのは、管理室までの道すがらに霧依が、利用中でない部屋にヒリュウを突入させて得た情報であった。
なお、そのヒリュウはがっちり出られなくなったらしく、無人の部屋に置いてけぼりだ。
「そうねぇ。対策はさっき話し合ったとおりだし、あとはやってみるしかないわね」
撃退士たちが導き出した対策とは、室内にいるであろう敵を廊下まで誘い出すというもの。
成功すれば、閉じ込められることなく、柔軟な行動が可能になるだろう。
――ただ、確実性は無いのよね。あたし自身、まだるっこしいのはキライだし。
やってみるしかない。そう言葉に出しつつも、星露は心の中でそう付け足したのであった。
管理室を出た撃退士たちは三つにわかれて行動を開始したが、しかしそれはスムーズには進まなかった。
目的の部屋を完全に特定することが出来なかったため、時間をかけて攻めて行くしかなかったからだ。
「生命反応……無いか」
廊下を歩きつつスキルで生命反応を走査した悠人は、芳しくない結果に思わずため息をついた。
彼と威鈴とは、一階の部屋を担当している。監視カメラの映像によると、一階の部屋で目標が存在しそうな部屋は二箇所。そのいずれかを引き当てねばならない。
そこで悠人は生命探知を行って、敵が存在する部屋を割り出そうとしたのだが……結果は徒労に終わったようだ。
「部屋……当たってみる……しか……」
傍らを歩く威鈴が、少年を見上げながら言う。彼女の言うとおり、あとはもう当たってみるしかない。候補は……一〇三号室か、一〇八号室だ。
「それにしても、こんな構造になっていたなんて」
『W』の字の頂点に部屋の入口があり、それが互い違いに配置されているというのが事前の情報であったが、しかしそれだけではなかった。
彼らは歩いてみて理解したのだが、建物の東西に『W』字に部屋を配置するのでは『互い違い』にはならない。……そう、実は『WM』というカタチで部屋が配置されていた。
ゆえに、監視カメラで対象の入っていった『廊下の右手中央の部屋』は、二箇所存在することになるのである。
「……ここが、一〇三号室……」
そこで二人は、番号の若い部屋から当たってみることにし、こうして建物東側の『一〇三号室』と書かれた扉の前で停止したのだ。
「本当に……こっちで、合ってる……?」
心配そうに見上げる瞳に、悠人は笑いかける。
「大丈夫だよ。……万が一違っても、上手くいけば次の部屋に行けるはずだから」
その言葉にこくりと頷いた少女の頭を軽く撫でて。少女は青年に微笑みかけて。
――そして二人は、臨戦態勢に入った。
「じゃあ……開ける……よ……?」
「いつでも」
威鈴が扉を開いて保持する。悠人は白き数珠を手に突入した。
中は寝室を廊下に晒さないためであろう、やや折れ曲がった通路を超えて寝室へと出た悠人が見たものは――部屋の隅のダブルベッドの上でまぐわいあう、二体の腐った死体……ディアボロの姿。
だが、予想外の光景にも、悠人は怯まない。彼も歴戦の撃退士の一人だ。手にした数珠を掲げ、アウルを込める。
「こっちを向け、ディアボロ!」
白銀の刃が飛翔し、ベッドの上のゾンビを切り裂いた。……だが、それで倒すには至らず、致すのをやめたゾンビが一斉に悠人のほうを向く。
直後、二体のゾンビが少年へ向け歩き出し――
「きゃぁっ!」
ばたん!
悠人の背後から不意に、少女の悲鳴と、扉が勢い良く締まる音が響く。
何が起きたかは、見ずともわかろうもの。……これは、すぐにでも決着を付けてしまわねば。
悠人は、再び銀刃を煌かせるのであった。
二体でコンビネーション攻撃をしてくるとは言っても、所詮は低級のディアボロ。閉じた扉によって部屋の中に引きこまれた威鈴の加勢を待つまでも無く、撃破に成功する。
「大丈夫かい?」
「……うん……」
敵のいなくなった寝室で、悠人は妻の髪を梳いては撫でる。これで、自分たちは外には出られない。この部屋が正解であることを祈るのみだ。
そう思っていた矢先――悠人の頭に奔る……痛み。
「……っ」
「これ……は……っ」
青年の傍らで、彼の妻は頭を抱えて呻いたのであった。
星露と光太郎は、四〇三号室の扉を開いて、室内への射撃を開始していた。アウルの散弾とアウルの矢とが、寝室へ向けて殺到する――が、折れ曲がった通路のため射線が遮られ、そしてその限られた射線上にも敵はいない。
そして、攻撃に対する反応もまた、無い。
「……おう、出て来いよ。困るだろ」
光太郎の心からの言葉は、しかし寝室の暗がりに消えて。
「……出てこないな」
「そうねぇ」
ハーフ天使の青年の言葉に頷きつつも、星露はその豊満な胸を揺らしながら、活性化を脚甲へと切り替える。
「こりゃダメね。突入するから援護よろしく」
「おっ、おい!」
言うが早いか、星露は四〇三号室へと入室するや――光太郎もそれに続いて室内へと踏み入った。元々、彼は敵が出てこない場合、自分だけでも入室するつもりだったのだ。
……そして二人して寝室で出くわす、ゾンビの情事。
ディアボロ化した彼らに生殖機能などなく、それは全く意味のない行為。だが化け物達は一心不乱に腰を振る。
「……えっと」
「……うわぁ」
さすがにこの図は想定外か。だが、固まってはいられない。
光太郎がじゃごんとポンプアクションをさせると、さすがに気付いたか二体のゾンビが起き上がる。
身を起こそうとした男ゾンビに向けて、星露は身体を回しつつ、遠心力を乗せた一撃を見舞う。龍の唸るが如き爆音が室内に響いた。
その一撃に男ゾンビの輪郭が崩れ、崩壊する。
艶やかな茶髪を舞わせつつ美脚を回せた少女は、その勢いのままに左へずれ……青年のために射線を通すと、
「邪魔して悪いが、仕事なんでな」
気だるい瞳に、一瞬、光が宿る。向けられた散弾銃の銃口は、ディアボロと化してもなお本能のままに行動していたソレを、吹き飛ばしたのであった。
V兵器を収納する青年の目には、鋭さはもはや無かった。
「あとは、他の班が上手くやるのを待つだけだねぇ」
「そうねぇ」
面倒な仕事だなぁとボヤきつつ、ベッドに腰掛けようとした光太郎を眺めていた星露は――不意に、強い頭痛に襲われる。
……見れば、光太郎のほうも頭を抱えていた。
――あなたが、総務課の田淵さんといるところ、見てしまったから。
「!?」
「これ、は……っ」
二人の耳に届く、声……いや、それは本当に耳に届いたものか? そう、星露は思惟を巡らせる。二人しかいない室内、田淵なんて人間はここにはいないというに。
直後、二人に殺到したのは――エコーがかかったかのような、様々な言葉。
――違う、誤解だ、田淵君とは何でもない。
――いいえ、何でもないはずは無い。そうでしょう?
――違うんだ、信じてくれ。
「言葉を聴くたびに、心が重くなるわね……!」
「何だってんだ……っ」
頭を抱えた星露が呟き、ギリと歯を食いしばった光太郎が唸る。
部屋に染み付いた愛憎が、魔力で具現化し精神攻撃として作用している……二人がそれに気付くのは、もう少し後のことであった。
三〇七号室へと向かった霧依と咲希の二人は、思わぬ苦戦を強いられていた。
二人も他の部屋と同様、外からの射撃で敵を釣り出す作戦を採ったのであるが、これまた他と同様に敵を一本釣り出来ず、結果、入口から攻撃をかけるだけという状況に陥ってしまったのだ。
ゾンビは出てくる気配も無い。扉の左右に控えた二人は、顔を見合わせた。
「……中、入る?」
「いえ、その……入りたく、ないです……」
「そうよねぇ……」
おずおずと入室を拒否する咲希は、ラブホテルのような環境に来たことも無い普通の女の子だ。彼女には、ラブホテルという存在自体、刺激が強くて不潔だと感じられるのだろう。
――これは困ったわね。中に誰もいないのかしら?
しかし、監視カメラで目星を付けたこの部屋にいる可能性はある……キーとなる部屋を確定させるべきだったかと霧依は思わなくも無かったが、今から戻ることも出来まい。
同じことは咲希も考えていたようで、
「今から管理室に確認に行っても……他の班の方に遅れてしまいますし……」
室内での障害がゾンビだけとも限らないのだ。
「……わかったわ。私が中に入るから、援護をお願いね」
決して入ることは無いと思っていたが、ここに至っては仕方が無いわ。
霧依は意を決し、魔法書を手に動いて豊満な胸をぶるんと揺らす。咲希が赤面。
そして霧依は、一歩を踏み出した。
「!?」
「雁久良さ――」
ぎい、ばたぁん!
身体を室内に運んだ途端に閉まった扉に、咲希の言葉は途中で遮られ。
「……仕方ないわね」
孤立した。これは注意しなければ。そう思いつつ寝室へと踏み込んだ霧依の眼前には、ダブルベッドの上でギシギシやっているゾンビ……。
「……こんなになっても、お盛んねぇ」
無事に終わったら咲希ちゃんと一緒にここで休んでいくのも良いかも知れないわねぇ。そんな冗談を思考の端に浮かべつつ、霧依は魔法書から雷鳴を迸らせた。
雷鳴が男ゾンビに纏わりついて、まぐわいとは別の刺激――それは二度目の死へと至らしむるものだが――を送り込む。
……だが、それでは足りないか、ゾンビがベッドを降りて霧依へ向けて近付いてきた。
「早くイッてしまいなさ――っ!?」
再び雷鳴を放とうとした霧依であったが、それは急に襲い来た頭痛により妨害された。
――ほら、早く横にならないかね。
――ああん、専務ぅ……優しくして下さぁい……。
――良きにはからうぞぉ、良きにはからうぞぉ。
「……っ!」
『楽しい事、気持ちいい事は皆で分かち合おう!』がモットーの彼女ではあるが、これは一方的に押し付けてきている上、魔力的な精神攻撃を伴っている。
さしもの霧依も、たまったものではない。
「長期戦はダメね……」
苦しみに耐えながら、セクシーお姉さんは魔法書の二発目を放つ。
男のゾンビが崩れ落ちて四散した。
しかし女ゾンビが、その醜く腐った手を振りかぶって、霧依を責め立てる。
一撃を防いだ左腕から響く、ごきりというイヤな音。
それでもなお反撃して女ゾンビを損壊させるも、ここで二度目の精神攻撃があり、そのダメージに霧依は意識を手放しそうになった。
だが――頭の中に閃くのは、咲希の姿。幼い少女を好む霧依にとって、彼女のような小動物然としたかわいい子は、格好の標的で……いやぁねえ、何の話かしら?
だが、霧依は不思議と意識を失わずに済んだ。
「雁久良さんっ!! 大丈夫ですか!? お願い……お願いだから、開いてよぅ!」
ドンドン、ガチャガチャ。不意に耳に飛び込んでくるのは憔悴した咲希の声と、ドアを殴打する音。
扉が開かないまま室内の物音が途絶えた事で、悪い事態を察したのだろう。
――あの子と一緒に休憩するまで、寝てやるものですか。
歯を食いしばった霧依は、三発目の魔法書を撃ち放った。
部屋から出てきたぼろぼろの女を、咲希は思わず抱きしめた。
「大丈夫で、良かった……です……っ! 私…っ、何も出来なくて……ごめんなさい……っ」
ぼろぼろと涙を流す。一人で入っていった彼女が、心配で仕方なかったのだ。
「ふふ、あなたのこと……考えたら、何とかなったのよ……ありがとう。ちゃぁんと、私の……支えに、なってたわ……」
息も絶え絶えに、しかしそんなことを言うセクシーお姉さんを、咲希はただただ泣きながらかき抱いたのであった。
終