一直線に、真っ直ぐに、炎が閃いた。
その炎に巻き込まれた蜻蛉の如き羽を持った儚げな女へ、さらに間髪入れることなく、背後と側面より物理と魔法のアウルが浴びせかけられていく。
彼女には、もはや最初のような余裕は無い。血の気の失せた顔がわずかに顰められ、それを物語る。
「人間風情が、ここまで私を追い込むものなのね」
苦しげに漏らした言葉に答える者は無い中、全身が切り裂かれるのも構わず、さらに突っ込んでいく新手。厚みを持った黒に白い光を纏わせた、両手剣を携えた黒衣の獅子顔戦士。
「これでトドメだぁ! 喉元を喰いちぎってやる!!」
少年が握り込んだ大剣は、その言葉とは裏腹に胴体を横薙ぎにしようと、渾身の力を以って振るわれ――。
群馬県太田市は、アバドンを筆頭としていた一党の、最後の拠点である。
大兵力を以って長らく篭城していた悪魔軍であったが、しかしその撤退開始はいささか唐突。
唐突ではあるのだが、同時に、ゲートを開き弱体化した悪魔を討つ好機には違いない。
……ゆえに、敵の撤退完了を待つことなく。撃退士による攻勢が開始されたのだった。
熊の顔を持った高位ディアボロは、フョードルといった。
太田市の主人である悪魔・準男爵アクァ・マルナーフによって創造されたこの高位ディアボロは、命令を受け、数十体のディアボロを率いて市街南部の交差点に防衛線を構築している。
その彼の視線の先……交戦が行われている交差点へ、新たに突っ込んでこようかという人影が四人。
――その人数で、突破する気なのか?
戦況を見る目に長けたディアボロは、そのわずかな兵力による突破の試みをまずは訝るのだった。
国道407号線を北上する四人の撃退士、さらにその先鋒を務めるのはミリオール=アステローザ(
jb2746)。
「悪魔の一柱、ここで叩き潰しますワ!」
地球に惚れ込んで堕天した少女は、意気込みとパイルバンカーを手に、その優れた速度を活かして進む。何やら『わたしの地球に〜』云々と続けて呟いているが、それはあくまで予定である。予定であるべきである。
先頭を往くミリオールに遅れて進むのは、ラグナ・グラウシード(
ja3538)、鴉守 凛(
ja5462)、志堂 龍実(
ja9408)の三人。いずれも歴戦の撃退士であり、つまり国道を進む彼らは、四人の少数精鋭部隊であった。
「まずは前哨戦……此処をクリアしなければ王手には届かない……!」
「迂回する人たちを、何としても悪魔の元に送り届けませんとねぇ」
龍実の言葉に頷く凛は、前進しながらも傍らのラグナに、交差点での陣形を提案すると、彼はそれに頷いた。
陣形を取るのは、交差点の左右で待ち伏せているであろう戦車ディアボロの射線が通ってから――。
思考していた凛の頭脳が、止まる。
交差点の左右から、敵の戦車が一両ずつ姿を表したのだ。彼我距離は六〇メートルといったところか。
「――前方、敵戦車!」
こちらの弓はまだ届かない。防御態勢を整えるしか――そう思考し盾を構えた凛だったが、敵戦車の砲口は彼女を、いや彼女ら三人を向いてはいなかった。
その有機的で黒光りする筒は、三人の一五メートル以上前を走るミリオールへ。
「こっちですn――へぶしっ!?」
発砲、着弾。本来は空中に浮遊しての三次元機動による回避を予定していたが、敵の攻撃が彼女の想定より早く、地球大好き堕天使は二発の砲撃を受けてしまい、足を止めざるを得なかった。
敵の初手で、かなり深い傷を負わされたミリオールを、他の三人が追い抜く。
「今こそ、先ほどの陣形だな!」
走るラグナが道の左側にシフトしつつ、凛へ言葉を向ける。彼女は黙って頷いて、同じように道の右側へ。
――左右からの砲撃を、ディバインナイトの二人で受け止める防御陣形が、完成した。
敵戦車、再度発砲。狙いは、今度は左右に控えた二人の騎士。
槍を備える菱形の盾が、刃を備える楕円形の盾が、フョードルの魔力によって鋭さと速さを強化された砲弾を受け止める。
守りを固めた騎士たちが与えられた傷は、わずかに留まったのだった。
撃退士たちの作戦は、中央の国道を進む四人が囮となることで、その脇を隠れながら進む両翼のB班が敵戦車を撃破し、さらに突破してアクァの元へ向かうというもの。
作戦に従って国道の西側、タイヤショップの敷地を進むB班左翼。咲村 氷雅(
jb0731)は、眼前の県道に展開する二両の戦車を確認した。うち一両は砲塔を国道のほうへ向けている。
「敵に側面を見せるとは、迂闊だな」
かつて、敵に背を見せるという初歩的なミスを犯して、深い傷を受けてしまった氷雅。
――借りは必ず返す。あのアルズアックとやらに。
そのためには、まずはここを迅速に突破しなければならない。バルバトスの名を冠した弓を引き絞った少年は、一瞬だけ静止すると、素早く狙いを付けたアウルの矢を放った。
狙いは……戦車の転輪。移動を司る車輪を射貫いた矢が、車体に突き刺さって四散する。片足を奪った。
その停止射撃の青年を追い抜くように、左眼に紅の光を引いた橋場 アトリアーナ(
ja1403)が突き進む。
腕にした回転弾倉を持つパイルバンカーを、正確に、精確に、敵戦車の弱点……砲塔側面に突き刺した。がこん、と弾倉が回転すると同時、鋭いバンカーが撃ち放たれ、その脳髄まで届こうかという一撃を見舞う。
戦車が、吹き飛ぶように横にスライドした。
「今のと、今度のを受けて、マトモに立っていられるかしらァ?」
黒百合(
ja0422)はハーフ悪魔である。であるから、彼女は浮遊の翼を以って戦車の後部に降り立つと、掌を砲塔……戦車の後頭部に押し当てる。
「ばァん」
高密度に圧縮されたアウルを放つ「破軍砲」は、傾斜装甲をものともせず、敵戦車の砲塔を破砕せんと貫通していった。
二人の少女の怒涛の連続攻撃は、傍らにいたもう一両にも及んでいったのだった。
8.8cm砲は、ロジーナの天敵であると相場が決まっている。
宗方 露姫(
jb3641)が浮遊しつつ構えたそれ――全長2200mmを誇るアハトアハトもその例に漏れない。発砲と同時に飛び出した砲弾状のアウル……それも戦車砲に匹敵するそれが、B班右翼の前に側面を晒している敵戦車の脚を破壊するのもまた、必然と言えた。
「黒百合、この銃は有難く使わせて貰ったぜ!」
露姫の武器は借り物とは思えないぐらい手に馴染んでいそうだと、若菜 白兎(
ja2109)は前進しつつ思う。そのぐらい、不慣れさを感じさせなかった。
――私も、頑張らなきゃ。
小等部三年に身を置く白兎は、外見と言動こそ儚い小動物のようで。……しかし、彼女は実のところ天使のとのハーフで、しかも学園でも優れた評価のアストラルヴァンガードだった。
目を走らせ、脚を破壊された一両と、その奥に控えるもう一両の弱点が直線上になる位置を探す。……あそこだ。
仔ウサギのように身を滑り込ませた少女は、白色のシンボルを手に構え。
「誰一人……欠けさせないで、終えられる……ように……っ」
紋章が輝き、光のスティックがせり出してくる。やがて少女の手に不釣合いな長さとなって顕現したそれは、戦乙女の名を持つ槍のようなアウル。
「……っ!!」
重いものではない。それでも白兎は、息を呑むようにしてから、その手にした槍を投擲した。
小柄な少女が投げたものとは思えぬほどの加速を得た槍アウルが、一直線に一両目の砲塔側面を目指していく。――そして貫いた。
「まだ……なの……っ」
そう、まだである。一両目を抜けたアウルは、変わらぬ速度を維持したまま飛翔し、その切っ先を奥にいた二両目へと突き立て、貫通していく。
白兎自身の天界の力を増幅させて放った一撃は、悪魔の手先である戦車に、深い傷を穿ったのであった。
高位ディアボロ・フョードルは、自軍両翼の戦車が攻撃を受けるにつけ、正面の撃退士が手薄な理由を理解した。
そしてすぐさま、指示を下す。
「側面へ回り込みなさい!」
命令を受けた戦車ディアボロ……B班右翼の担当だったそれのうちの一両が、猛然と国道407号の南側へ歩みを進める。もう一両は初期位置で待機しており……B班右翼に対して、十字砲火を浴びせる陣形となった。
そして、二両が同時に狙いを付けたのが――先ほど槍で戦車を刺し貫いた、白き少女。
フョードルの放出した魔力によって、瞬時に砲の狙いを微調整するや、戦車ディアボロはその八五ミリを誇る砲を撃ち放つ。
天界の力を強めたということは、すなわち同時に魔界の力に弱くなるということ。
増してや、高位ディアボロが強化した攻撃である。……さしもの歴戦の少女、白兎といえど、それを受けてはひとたまりも無かった。
思わぬ反撃で一人が戦闘不能に追い込まれたものの、交差点での戦いは、全体として撃退士に有利に推移していった。
左側の敵戦車を片付けたアスハ・ロットハール(
ja8432)らが右側へ加勢したことで、元々、露姫らに傷を負わされていた戦車は、さらにそれを深められていく。
フョードルは片翼が撃破されるという状況に、交戦中の戦車を見捨てて防衛ラインを後退させることを選択。三体の護衛のカニ型ディアボロと共に北上し始めたのだが、しかし速度を利して背後へと回りこんだミリオールが、翼の力場で彼らを絡め取る。
結果として、四両の戦車が撃破された上、九名の撃退士が敵の防衛線を突破し、敵ゲート……悪魔アクァの元へと向かったのだった。
太田市役所、東駐車場。
市庁舎の北側、国道407号線沿いにある駐車場には、来客ではなく招かれざる客が殺到していた。
悪魔アクァ・マルナーフ配下の、ディアボロ軍団。総勢一五〇。
異形の軍団が、悪魔の指揮の下、魔界へと撤退すべく民族大移動の真っ最中だった――。
だからこそ、遅れた。
「……使えない奴ね。それとも、それを生み出した私が悪いのかしら」
撃退士の接近。殺意の接近。戦いの接近。それらの発見が。
「悪いのは、あのディアボロを生み出したことじゃない。今、お前がここにいることだ」
機械的な翼を腰部に持つ黒い軽装鎧を着用し、双魚の描かれた盾を構える少年、北条 秀一(
ja4438)を先頭とした、七名の撃退士。
「そうです。ですから、ここで討ち取らせていただきますね」
秀一の言葉に続いたのは天羽 伊都(
jb2199)。すでに個人防衛火器……PDW FS80を手に、臨戦態勢に入っている。
「問答があるのなら、早めにねぇ〜」
一方、妖艶な笑みを浮かべつつそんなことを言う紅の魔女――Erie Schwagerin(
ja9642)の背を、悔恨と共に見つめるのはエルネスタ・ミルドレッド(
jb6035)。
エルネスタにとって、Erie……エレノアは、妹。かつて自分が裏切ってしまった、唯一の肉親。
ずっと罪悪感に苛まれてきた。悪夢を見続けてきた。取り戻せないものだと思っていた。――それが今、こうして同じ依頼で見えようとは。
かくも残酷なことがあろうものかと、エルネスタはそう思わずにはいられなかった。
「あの男どもをぶっ殺したら、オンナ撃退士どもは好きにして良いんだよな?」
「えぇ、好きになさい」
やる気が出たわ、と下卑た笑みを浮かべたヴァニタスが、両の猿腕をコンサートの指揮者のように振るう。目には見えないが、アクァと自らを守る魔法ワイヤーの結界を張ったはずだ。
それに対し、秀一は盾を構えて前進を開始。氷雅と伊都がそれに続いた。Erieは後方から攻撃の準備、エルネスタは何か考えがあって秀一らに同道せず留まっている。
「私たちに挑もうというのに、たった三人? 侮られたものね……」
自らの視界にある撃退士、自分へ向かってくる敵がたった『三人』なのを見て、アクァは嘆息と落胆とを隠せない。
しかし、手にした紅い宝石を輝かせ、取り出した人間の死体の形状を変化させる。その形は――砲架と車輪を持つ、七六ミリ級の野砲。
その即席ディアボロの姿を見た秀一が叫んだのは、発砲直前の一瞬で。
「全周防御を!!」
「わかった」
「了解っ」
応じた氷雅と伊都が、秀一と三人でそれぞれ背中合わせとなった。
野砲、発砲。飛翔した砲弾はその中途で炸裂すると、細かい弾子を三人を包み込むように散らばせる。
そして、彼ら三人を――『正面から』打ち据えた。
防御に劣る氷雅が苦しい顔を見せるものの、全方位から迫った弾子の嵐に、三人は倒れることなく地面を踏みしめている。
「……考えたわね」
攻撃の効果の薄さに、アクァがほぅと感嘆の吐息を漏らした。彼女の傍らでは、射撃を終えた野砲ディアボロが崩れ往く。
アクァの野砲ディアボロの砲撃は、拡散し全周囲……正面だけでなく側面・背面からも同時に襲い掛かることで、その威力を水増ししている。だが、背中合わせに周囲を向いた三人に対しては、その攻撃は『正面から』のみとなり、効果を減じたのだった。
武芸を修めぬ一般人の、それゆえの思考した結果。そういうものは、悪思の準男爵……思考を是とするアクァにとって、好ましいこと。楽しいこと。
……悪魔の意識が、秀一に向いた。
――ヤツの意識が、秀一に向いた!
気配を消して敵の側面に回りこむよう動いていた露姫は、その一瞬を見逃さなかった。群青の刺繍を浮かび上がらせ、その瞳を緋色に染めたハーフ悪魔の少女は、両手から血を噴出……それを槍の形へと変化させる。
「俺の静動緋天はすげぇ痛いぜ。コソコソ隠れてねぇで避けてみろよ!?」
そして、ぺたんこハーフ悪魔は、鋭い切っ先を形成した紅き槍を、敵の悪魔目掛けて撃ち放った。対象が身動き一つしないことに、自分が気付かれていないことを確信し、露姫はニヤリと笑みを浮かべたのだった。
――ヤツの意識が、秀一くんに向いたわねェ。
露姫と同じように気配を殺して側面に回りこんだ黒百合もまた、露姫と同じように好機を逃さない。
両の腕で保持した、あらゆる距離に対応する改造が施された『全領域攻勢仕様』スナイパーライフルSR-45の重さを感じる。着剣された銃剣に陽光がきらりと反射するも、それは所持者自身と一体化したように、その存在を、その気配を、殺していた。
「さぁ、踊って頂戴ねェ、胸の大きい悪魔さァん」
立射、距離およそ五〇メートル。撃ちィ方……始め。
そして、引き金にかけられた華奢な指に、力が込められたのだった。
左側面の二方向からアウルの銃弾と血槍が飛翔してきたのは、ほぼ同時。悪思の準男爵が気付いたときには、それらは国道側……左側面の二方向から悪魔へと迫り、そして強烈に打ち据えていた。
「がぐ……っ!?」
上腕と脇腹に襲い来た痛みが、刹那とはいえアクァの意識を持っていき、余裕の表情が崩れる。
「これはオマケだから、持っていくといいわ」
それをチャンスと見たErieが手にした魔法書にて生み出すは、炎の剣。
誕生してすぐに紅の親元を離れた炎の剣は、彗星のように炎の尾を引きつつ真っ直ぐに飛翔し――直線上に並ぶ、ヴァニタスと悪魔の両方に襲い掛かって二人をアウルの炎で焼いた。
「やったか!?」
叫ぶ秀一。……だが、しかし。
炎が晴れたとき、そこには呆然としたように突っ立つアクァと、下卑た笑みを浮かべたアルズアック。
……アルズアックの展開した魔法ワイヤーによる結界は、Erieと露姫の攻撃で五割、黒百合の攻撃で四割の威力を減殺し、普通の敵ならば重傷となってもおかしくない一連の攻撃を凌がせたのである。
「くくっ……ちったぁ効いたぜ、紅い姉ちゃんよぉ。オマケを付けてくれたお礼に、この戦いが終わったら上も下も蹂躙して、足腰立たなくなるぐらい壊してやるから、覚悟しやがれよォ!?」
下卑て、それでいて凄絶な笑みを浮かべた猿腕のヴァニタスは、結界を保ったままそう叫んだのであった。
熊顔のディアボロの頭上を小天使の翼で飛び越えるや、ラグナは振り向きざまにツヴァイハンダーFEでフルスイングした。
――やったか!?
両手剣の刃が敵の指揮官に届く……と思った、その瞬間に。
盾を構えたカニ型ディアボロがスライドしてきて、刃を受け止める。
「くっ、またか!」
これで何度目か。思わず歯噛みしたラグナは、反撃を被らないようすぐさま後退、浮遊する。
B班が敵の防衛線を突破してのち、A班の四人は高位ディアボロ・フョードルと護衛のディアボロを相手に戦いを続けていた。
本来ならば突破した敵を追撃したいフョードルではあったが、撃退士たちの攻撃が激しく、それは叶わない。そして、それは四人の撃退士の意図するところでもあった。……そこまでは。
――千日手、と言うのでしたか。
戦場を観察しつつ、凛は思う。撃退士側の攻撃は、全てカニ型に阻まれてフョードルに届かない。しかも、あの高位ディアボロはカバーリングの際に魔力で瞬間的な強化をかけているらしく、カニ型にさえ思うようなダメージを与えられない。
一方、相手もこちらに対して有効打を与えられずにおり、結果として戦線が膠着してしまっていた。
凛としては、カニ型の一体を弾き飛ばしていくことで、自身がそのような役割であると理解させたかった。
妨害の及んでおらぬ二体を、こちらの火力が高い他の人間に差し向けてくれれば、凛自身がフョードルに対して奇襲に出られたのであるが――。
実際のところ、四人のA班のうち二人は飛んでおり、カニ型の剣では攻撃が届かない。そして、凛は先ほどから弾き飛ばしを試行している。それらのために、警戒が外れにくくなっていた。
「隙あり――くっ!?」
声に見やれば、そのすらっとした脚を繰り出した龍実が、先のラグナの攻撃を防いだものとは別のカニ型により攻撃を防がれているところだった。
「今こそ隙を突きなさい!!」
フョードルの指示を受けた二体のカニ型が、拳を引いて後ずさろうとした龍実に追いすがる。振るわれようとした二振りの剣は、その中途で加速・または軌道を変えて女性のような青年を切り裂いた。
――今は耐えましょう。必ず好機は来ます。
一旦後退する龍実を視線の端に捉えつつ、凛は弾き飛ばされた後に戻ってこようとしたカニ型を、再び弾き飛ばしたのであった。
ミリオール・アステローザはピンピンしていた。
自慢の翼をばたばたとさせて――もちろん羽ばたいて揚力を得ているわけではないが――敵の頭上を飛び回る。
敵戦車の初撃でかなりの深手を負ったミリオールが、このように何事も無かったかのように行動し、あまつさえフョードルらを力場に包み込んで拘束して味方の突破に大きく貢献できたのには……。
「今ですワ!」
不意に、飛行していた地球征服系美少女天使が急降下を始める。……浮遊しつつ後退したラグナと入れ替わるように、防御されていない死角方向よりカニ型のうちの一体へと迫る堕天使のその手には、黒い球体。
「んふー、わたしにそのチカラ、吸わせて下さいですワっ」
言うなり振るわれたミリオールの手を、黒い球体が離れる。黒球はそのまま空間を飛んで、カニ型へ――いや、すんでのところで別のカニ型が防御に入ったか。
盾を構えたカニ型に触れた黒球は、そのディアボロのチカラ、すなわち生命を吸い取って、それをミリオール自身へと送り出していく。……一瞬の後に黒い球体が霧散したとき、空中にはさらに元気になった美少女天使の姿があった。
それは感情ではなく生命を吸い取る技。撃退士の技術と天使の感情吸収を彼女が独自に掛け合わせてアレンジした、深手さえも快癒させることが可能なもの。
――とはいえ、ガードは固いですカ。せめて、あのカニ型のカバーリングが無ければ。
残念と呟きつつ、ミリオールもまたラグナに倣って後退・浮遊したのであった。
――ここで、いつまでもこの敵に構っていることは出来ないのですが。
フョードルの護衛を重視しているのであろうカニ型の追撃を受けず、深手を受けるも何とかなった龍実は、この敵集団をまだ倒せぬことに苛立ちと焦りを覚えていた。
悪魔との戦いに、一刻も早く馳せ参じなければならないのに。
厄介なのはカニ型のカバーリング。そして、フョードルの指揮。
――厄介ですが、同時に気に入りませんね。
そう、龍実は思う。大切なものを守るために自身の意思で動く彼にとって、その意思の介在せぬままに誰かを守らされるカニ型は不愉快という感情の対象となりえた。
要はカニ型の防御さえ阻んでしまえば――。
視界の中で再びミリオールが仕掛けるのを捉えた龍実は、彼女とは別方向より走り込んだ。
堕天使少女の狙いは、カニ型の中で最も傷が深いヤツ。恐らく、別のどちらかがカバーに入るはずだが。
「右のそいつが動きますっ」
鋭く飛んだ声は凛のもの。好機を伺っていた彼女は同時に、カニ型の被害の平均化を図るフョードルの指揮に気付いた。その方策に当てはまるならば、次に守りに入ってくるのは……。
案の定、凛に指摘された個体が盾を構えつつ動き始める。
「あなたの相手は私です!」
少女ディバインナイトの言葉に、敵より一瞬早く動き出せた龍実は、素早くカニ型に肉薄。そのまま、敵の盾を引っ掴むことに成功した。
当然、盾が捕われたら、庇うことなど出来るわけもなく。
カバーされるはずという意識がマイナスに働いたか、最も傷の深かったカニ型はミリオールの攻撃を受け、防御すら出来ずに消滅したのだった。
一体の撃破が、均衡を崩す。
「今ですねぇ」
いつの間にやら、黒曜石を思わせる漆黒の刃を持つ槍斧……友人からの宝物であるそれを構えた凛が、フョードルへと近付いた。
撃破したやつの次に傷を負っていたカニ型が、高位ディアボロを庇う。被害の平均化という意味で本来は庇うべきの個体は、直前の凛自身の弾き飛ばしによって、庇える範囲に無い。
少女の手に最も馴染んだ斧槍の刃は護衛ディアボロを捉えると――
二体目のカニ型を、あの世送りにしたのであった。
撃退士によって流れるままに二体、三体と護衛ディアボロを葬られ孤立したフョードルは、覚悟を決めた。
腰に佩いていた剣を抜く。
「……くっ」
この高位ディアボロの頭の中では、次に取るべき手が必死に模索されていたが……そんなものは、存在しない。
三体目を撃破した勢いのままに、撃退士たちがフョードルへの攻撃を開始した。
白い姿のオンナの蹴りを左の体側に食らい、五月蝿く飛び回っていた堕天使のパイルバンカーを右に受けたかと思えば、その背より陰気なオンナが斧槍の刃を突き立てる。
元々、知恵の代わりに戦闘力を削がれて創り出されたディアボロである。歴戦の撃退士を直接相手にして、そうそう持つものでもなかった。
「あの世でヴァニタスに伝えてもらおう! 以前貴様は『んなへっぴり腰でオンナとヤってんのか』と私に言ったな、と!」
「それがどうしたというのです!」
大剣を構えた、オンナにモテなさそうな顔の男が突っ込んでくる。正面。
フョードルは、何とか剣を上げて応じる姿勢を見せはしたものの。
「見くびらないでもらおう! ……私は、まだ完全に清らかだとなッ!!」
あまりにもあまりな魂の叫びを託されつつ、フョードルの意識はそこで途切れたのであった。
切り裂かれた身体が熱い。目をやらずとも、全身から血が吹き出ているのがわかる。
しかし、それでも。
――折れた剣でも、刃はまだ残っているッ!
足裏に形成された磁場とニンジュツによって素早く動き、他の面子を追い抜いて、結界に切り裂かれながらも敢然と突き進んだのはエルネスタだった。
その甲斐あって、今回まみえた撃退士たちの中で、最初にアクァに肉薄することに成功する。
「その勇気は褒めてあげるわ、剣士さん?」
教会騎士が眼前に迫り、さらにいずこからかの黒百合と露姫からの援護射撃が入るも、それでもアクァは取り戻した余裕を崩さず、左手に這わせた蛇をけしかける。
少女騎士が手にするのは、魂を食らうと言われる魔の双剣。その左の一振りで飛翔してきた蛇を叩き落すと、
「エレノアに手は出させない!」
エルネスタは違うことなく右手の一振りで、悪魔の左肩に魔獣の牙を突き立てた。
さらに蛇を叩き落した左の剣で、連続攻撃。右の脇腹を切り裂く。
そしてさらに――
「私に一太刀浴びせた名誉を胸に死になさいな」
いや、出来ない。
右の剣を引き抜いたところで、エルネスタの首筋に食らい付くのはアクァの得物である蛇ディアボロ……その、二体目。
「ドンブリってのもウマそうだよなぁ!?」
そして、一時的に結界を解いたアルズアックの魔法ワイヤーに再び全身を傷つけられて、エルネスタは駐車場のコンクリートに倒れ伏したのだった。
――心配するかのような、一瞬の視線を感じながら。
秀一と氷雅が敵に接近するより早く、ヴァニタスは結界を張り直してしまった。
結果として、二人もエルネスタと同様に、結界に切り裂かれながらの肉薄となる。
傷を負いながらも突破した秀一の手にはチタンワイヤー。目に見えないほどの細さを持つそれを、絡ませるのは……アクァの蜻蛉のような翼だった。逃亡を阻止するためである。
「こういうのが趣味なのかしら?」
そんな関係の無い言葉とは裏腹に、アクァの対応は早かった。赤い宝石を輝かせて生成したのは、野砲ディアボロ。彼我距離、二メートル。
――この距離で接射する気か!!
察した秀一は、体内の天魔の力を一時的に中和しつつの防御を行おうと盾を緊急活性化した。
――――。
――。
意識が途切れ、全身に衝撃を受け。少年は地に倒れた。
――何が、起こった……?
信じられない、といった風に秀一は視線を泳がせる。
彼の視線の先には、投擲されたと思しき盾があった。盾をぶつけること自体は、相手のスキルを妨害する秀一の技の一つではあるのだが、この状況でそれを使う必要は無いし、そもそも使うつもりでもなかった。
……しかしそれでは、やや離れた場所に放り出された盾は……。
考えるより先に、少年の意識は閉ざされていった。
「あァん?」
その気配に気付いたのは、アルズアックだった。
刹那、敵の背後に迫る紅い姿。一瞬の加速で迫った人物は、アスハだった。その後ろにはアトリアーナの姿もある。
市役所内部を突っ切るためやや迂回するカタチとなり、到着が遅れたのだ。
「どっかで感じたと思ったら、いつぞやの使徒みてぇなワザ使うじゃねぇか!」
「零式の恨み、晴らさせてもらおう……っ」
「しゃらくせぇ!! 敵の恨みを晴らそうとか意味わかんねェよ!!」
言いつつも、結界を張っているアルズアックは防御も回避も出来ない。そしてアスハの腕に装備された杭打ち機は、ヴァニタスの予想を上回る速さで迫り、猿腕のヴァニタスの胴を穿った。
ただ速く貫くための零距離攻撃魔術……瞬迅刻。
「やりゃぁがったなぁ!?」
「キーキーとうるさい猿だ」
アスハへと注意が逸れたアルズアックへと、二本の曲剣が閃き、その猿のような腕を並行して切り裂いた。
「借りは返す。……利息も入れてな」
双刃が舞い、血が踊る。眷属の意識は散り、しかして結界は今だ保たれている。
そこに飛び込む、三人目の影。パイルバンカーを構えたアトリアーナだ。
「……その魂ごと、喰らい尽くされるといいのですの!」
――今まで好き勝手にされた女性に代わって、ボクが噛み付き返すのですの!
紅い鱗粉を思わせる光を残し、陽光にバンカーの切っ先を閃かせ。アトリアーナは敵の目前で急停止すると、不意にその杭をコンクリートへと押し当て――。
杭を打つ回転弾倉の音と共に現れたのは、巨大なアウルの塊。鋭い牙と獰猛な面を持つ、獣。
そのまま攻撃してくると思っていたアルズアックは、完全に不意を突かれた。風切り音が獣の唸り声のような音をさせ、敵の足元を食い破った。
「ごがあぁぁぁ!?」
それでもなお、ヴァニタスは結界を解かない。敵もさるものか。
だから、伊都にしても接近には負傷するを要した。……しかし、好機を逃すわけにはいかない。
ヴァニタスの意識が乱れ、悪魔も深手を負っている今を。
一直線に、真っ直ぐに、Erieの炎が閃いた。
その炎に巻き込まれたアクァへ、さらに間髪入れることなく、黒百合と露姫からの援護射撃が浴びせかけられていく。
悪魔には、もはや最初のような余裕は無かった。続けられた攻撃に血の気の失せた顔がわずかに顰められ、それを物語る。
「人間風情が、ここまで私を追い込むものなのね」
苦しげに漏らした言葉に答える者は無い中、全身が切り裂かれるのも構わず、さらに突っ込んでいく新手。厚みを持った黒に白い光を纏わせた、両手剣を携えた伊都だ。
「これでトドメだぁ! 喉元を喰いちぎってやる!!」
少年が握り込んだ大剣は、その言葉とは裏腹に胴体を横薙ぎにしようと、渾身の力を以って振るわれ――。
アクァ・マルナーフの腹部に、深い傷を刻み付けたのであった。
たたらを踏んで後ずさったアクァに、追撃をかけんとする伊都。
……しかし。それを阻むものがあった。
「私を守りなさい、ディアボロども」
アクァの言葉に、民族大移動中だったディアボロの残りがその歩みを転じた。そのまま、数十体の大群が、駐車場に奔流のように殺到する。
「逃げる、のか」
アスハの言葉はしかし、大移動の足音に掻き消される。
討ち取る事に全戦力を注ぎ込んだ作戦では、アクァの撤退を阻む手はなく。
撤退しようとしている事は最初から判っていたのに、後詰めを怠った事に、内心舌を打つ。
「……私をここまで追い込んだこと、憶えておくわ。いつか殺してあげる」
足を食い千切られたアルズアックを引っ掴みつつ飛翔した悪魔は、そのままゲートの中へと消えていったのであった。
撃退士たちが雑魚ディアボロを撃破したとき、すでにゲートは太田市から消えていた。
……無念の思いを残して。
終