群馬県を東西に打通する高速道路は、県庁所在地である前橋市へ至る交通の要である。
そのうち太田市を通る部分の、最も西側にあるインターチェンジ。今は撃退士が占領している交通の要衝を奪い返すべく、高速道路を西進してきた悪魔一行が目にしたものは、すでに迎撃態勢を整えて待ち構えている七名の撃退士だった。
「……来たようですね。想定とは少し違いますが」
もちろん、悪魔の来寇は撃退士たちもほぼ同時に把握している。只野黒子(
ja0049)が呟いたのは、敵が高速道路上を西進してくるとは思わなかったゆえか。
物憂げな女性の姿をした悪魔アクァ・マルナーフの姿を認め、身を硬くしたのは高瀬 里桜(
ja0394)。無意識にト音記号の形をした紋章をぎゅっと握り締める。
(うわぁ、緊張する……でも、何としても成功させるよ!)
彼女ら七人の目的は、時間稼ぎ。別働隊が敵の司令部となっている太田市役所を襲う間、悪魔とヴァニタスを引き付けておくのだ。
「この街のみんなのために、いざっ、ガイチュー退治っ!」
その横にいる新崎 ふゆみ(
ja8965)は、奇妙な柄のマントを羽織っている。このインターチェンジという戦場に合わせて拵えてきた、カモフラージュ用マントだった。
ふゆみの表現は、悪魔が太田市に巣食っているところからなのだろうが、敵は蜻蛉のような羽をしているので、それなりに的を射たもの、なのかも知れない。
一方、ふゆみの言うところの「害虫」は、配下を伴って、徐々に撃退士たちのほうへ歩みを進めつつあった。
「たったこれだけで私を倒せるとでも……その自信、私にも分けてくれないかしら」
不意に響く本心からの言葉は、人類が初めて耳にした悪魔アクァ・マルナーフの声。
それに反応するのは、御堂 龍太(
jb0849)だ。
「教えてあげるわ、悪魔。ここはもう、あんたたちの居場所じゃないってね」
かつて恋人を悪魔の手により失った悲劇の過去を持つ青年(自称)が、挑戦的とも言える笑みを浮かべると、対するアクァも暗く微笑んで。
「それはご親切に。では、存分に教えていただこうかしら?」
紅く輝く宝石を手に、コンクリートに足音を響かせるのだった。
黒子と里桜の投げた発煙手榴弾が自身から二〇メートルほどの距離で煙をもうもうと噴き出しているのを視界に捉えつつ、撃退士の中で最も前方に出ているクインV・リヒテンシュタイン(
ja8087)は眼鏡を……いや、眼鏡の奥の瞳を光らせた。
――どういう手を打ってくる?
敵の出方を観察し見極める。それが未知の敵と対する術だと、少年は知っているのだ。
悪魔は魔法の使い手だと目されていたが、幸いにしてクインには魔法に対する耐性に自信があったし、いざという時のためにクインの背後にはディバインナイトの鴉守 凛(
ja5462)も控えている。
一方、徐々に近付きつつあった悪魔は、煙の手前……彼我距離三〇メートルほどでその歩みを止めると、傍らのヴァニタスもそれに倣い、悪魔と自らを包み込むようにワイヤーで結界を張り巡らせたようだ。煙の揺らぎから、そう推測する。
だが、その直後……煙の向こうの悪魔は、手に持っていた紅い宝石を光らせ、人型の物体を……いや、それはすぐに何らかの形状に変化し、一瞬の後には煙幕を切り裂いてクインを襲っていた。
――拡散する攻撃か!
クインはそう知覚するより早く、咄嗟に魔法の障壁を展開して防ぐが、それでも減衰しつつも盾を抜けた魔力が前から側面から少年の身を貫いて傷を穿つ。
煙幕に穿たれた穴から見えるのは、大砲――野砲。それは役目を終えると粒子のようになって崩れ落ちていった。
その様子を見ていた凛が、敵の攻撃の正体に行き着く。
「ディアボロの即席生成……」
ディアボロをその場で作り出し、攻撃させる。それがアクァ・マルナーフの攻撃手段なのだ。攻撃したディアボロが自壊するのは、粗製乱造の煽りといったところか。
ということは、直前に紅い宝石から取り出したのは――
「ヒトの、遺体……」
――らしくはありますが……。
答えを導き出した瞬間、凛の胸に去来するのはふつふつとした何か。
だが、その攻撃の間にも、敵の従えていた二体の異形の蜘蛛ディアボロは、煙も気にせず前進してくる。対応しなければ。
凛が弓を構えてスパイドへと狙いを定めるのと同時、一方のスパイドの足元にアウルの散弾が着弾し、その歩みを止めさせる。ケイ・リヒャルト(
ja0004)の放ったショットガンの射撃だ。
一方が止まる。ならば、狙うのは――。
白い手にある弓から放たれたアウルの矢は、狙いを違わず前進を続けるスパイドに突き刺さり、浅くない傷を負わせる。さらに、黒子の蛇の狙撃銃が止まったほうのスパイドを捉え、クインのスリープミストや龍太の炸裂陣が凛と同一の目標を打ち据えていく。
その間にクインに駆け寄るのは、治癒の力を持つ里桜。
「大丈夫、クインくん! 傷は浅いよ!」
「僕は天才魔法使いなんだ、あれぐらい耐えられるさ」
悪魔のたった二射で気絶するかどうかの瀬戸際まで行ったクインだったが、それでもそう言いつつ眼鏡をきらりと光らせてみせる。
んもう、と少し呆れたようにする里桜の手から送り込まれたアウルの光は、強がる少年の負った傷をみるみるうちに塞いでいった。
その治療の様子を煙の切れ目から見ていたアクァは、これを脅威と思ったか。
「さぁ……行きなさい、慟哭する乙女よ……」
紅い宝石からヒトの遺体を呼び出すや、それは瞬く間に黒い乙女の姿へと変わる。
弓を放ち終えて次の射撃に入ろうとしていた凛はそれをよく見ており、アウルを纏わせた盾を構えつつ射線上に立ちはだかった。
果たして、放たれた攻撃は……恐怖を伴う叫び声。広がりながら進むそれは里桜を狙ったもの……ではなく、クインへと向かう。
「くっ!」
咄嗟に庇う対象をクインに変更した凛、不気味な声に打たれ、ダメージと共に徐々に守りが解けていく……それは、ヒトの無意識に恐怖心を植え付ける叫び声だった。
それを連続で浴び続け、守りが多いに乱れる。
「やはり、いたのね。他者を守る者が。でも……守る気を殺がれてもなお、他者を守れるのかしら?」
陰鬱な声でふふと笑ってみせる悪魔は、さらに野砲ディアボロを形成した。
――拙い!
守る心を崩されたまま、それでも凛はカバーの態勢を見せた。そのまま、クイン狙いの野砲の拡散弾を受け、大いに出血させられる。
「これが、本命……」
アクァの囁き。次に攻撃を受ければ、自分は重傷だろう。それがわかるからこそ、凛のカバーは遅れ――。
拡散する砲弾に全身を貫かれた里桜が血を噴いて倒れるのを、彼女は見ていることしか出来なかった。
インターチェンジで撃退士たちが接敵して数分の後、敵の司令部を直撃すべく太田市の市役所へ空挺作戦を敢行した八人の撃退士は、その直前で降下していた。
市役所の周囲には対空砲ディアボロを空挺隊に引き付けてもらい、その隙に地上より侵入する作戦なのだ。
「大丈夫なのはわかってたけど、やっぱり地に足が着いていないのは不安だったね」
地面を踏みしめるようにしつつ、月村 霞(
jb1548)が苦笑いする。
「向こうは黒子さんたちが何とかしてくれるわ。こっちはこっちの仕事を終わらせるわよ」
「そうですねぇ。鬼の居ぬ間に何とやら……返していただきましょうか」
ナナシ(
jb3008)に答えるのはエイルズレトラ マステリオ(
ja2224)。いずれも歴戦の撃退士だ。
「全員、降下した。行こう。陽動もそう長くは持たないはずだ」
北条 秀一(
ja4438)の声に全員が頷き、移動が開始される。
「電撃作戦、だね。気合いを入れていこう」
田村 ケイ(
ja0582)も、そう言いつつ、後に続いたのだった。
結果を言うと、市役所の手前で降りたのは裏目に出たと言える。市内には、撃退士の侵攻を今か今かと待ち侘びるアクァ・マルナーフ配下のディアボロ部隊が配置されており、移動を開始してすぐにそれらに包囲され、その突破に時間を要してしまったのだ。
「やばっ。今ので随分と時間を食っちゃった……急ごー急ごー!」
敵ディアボロを振り切り、対空砲が空挺隊へと攻撃を始める音を聞きながら、日野 菫(
jb8091)は思う。
――ここでのタイムロスが、響かねば良いんだけどにゃー。
市役所にして敵の司令部となっている一三階建ての建造物は、もう目の前に迫っていた。
市役所の一階で対空砲を相手にするエイルズレトラと分かれ、一行は階段を駆け上がる。目的地は、四階にある市長室。
市役所内にディアボロは配置されていないらしい上、内部構造は大した改変もされておらず、移動はスムーズに行われた。
……かくして、七人は市長室の前へと至る。
「時間が無いわ、急ぎましょう」
右手に炎の剣を現出させながら、ナナシは乱暴に市長室の扉を蹴破った。同時に振るわれた炎の剣が、市長室内を暴れまわる。
その炎は、何物をも焼き尽くすようにも思われたが。
「やったか?」
「いえ、やれていないようです」
秀一が呟くと、天宮 佳槻(
jb1989)が部屋の中を睨みながら返し、
「……誰もいない、か」
乾 政文(
jb6327)がそう続ける。
政文の言うとおり、アウルの炎が荒れ狂った後の室内には、誰もいなかった。ディアボロの残骸さえも。
「生命反応は無いわ。ここではないようね」
田村の索敵が、政文の言葉を裏付ける。ではどこに……と、考えている時間は無い。こうしている間にも、悪魔はこちらへ戻りつつあるのかも知れないのだから。
考えは皆、一緒。
七人は頷きあうと、上へ向かう階段へと駆け出した。
この市役所は、全部で一三階建て。これもまた、相当の時間ロスになるだろう。
市役所の一三階にある鉄骨剥き出しの展望デッキは、太田市の市街地が一望出来るようになっている。
……果たして、撃退士の目標たる高位ディアボロは、護衛と共にそこにいた。
「攻撃対象を発見」
政文の言葉が鉄骨に響くのと、熊の顔を持つ高位ディアボロ・フョードルが展望デッキ内へ駆け込んでくる撃退士の足音に気付くのは、ほぼ同時。
中央にフェンスに囲まれた退避場所を持つ、両側に階段が設えられた展望デッキ内、撃退士たちと反対側の階段の近くにフョードルとその護衛のカニ型ディアボロがいた。
「対空射撃が始まったと思ったら、狙いはこちらか」
「……人間の言葉を話せるのですか」
ヒトの言葉を話す高位ディアボロに、佳槻は興味を抱くことを禁じえない。
――ヴァニタスを二体作る手間を惜しんだのか? ヴァニタスと何が違うのか? ……いや、推測は尽きないが、それは後回しだ。ここまでで、かなりのタイムロスを強いられてしまっているのだから。
一方、フョードルの言葉から状況を推測するのは、秀一。
「……対空射撃から、こちらの大規模な攻撃が始まったと思い、眺めの良いここに移動した、か」
「そのとおりです、人間……しかし、まさか少数による奇襲だったとは」
フョードルは実のところ、空挺隊に対する対空砲ディアボロの攻撃が始まったときには展望デッキへと移動していた。防戦の指揮を執るために。
結果的に、撃退士たちの作戦は裏目に出てしまったと言える。
――しかし、その失敗は取り戻せる。
「アンタを倒すことによってね!」
霞が闘気を発しながらトンファーを構えると、フョードルのほうも剣を抜く。
「やってみなさい、人間! アルファ、ブラボー、前進。チャーリーはそのまま!」
高位ディアボロの指示を聞いた二体の低位ディアボロが、展望デッキの通路を前進し始める。お喋りの時間は終わったとばかりに。
その動きに撃退士たちも戦闘態勢へと入る中、最後尾にいた菫がひとり階段を降りたことに、気付いた者はいなかった。
一階で分離したエイルズレトラの仕事は、対空砲ディアボロが市役所内部に入った仲間を追撃しないよう、これを阻止すること。
……とはいえ、その点においては考えすぎだったかも知れない。
対空砲ディアボロたちは、上空で囮を演じる空挺隊への対空射撃にかかりきりであったのだから。
「タコ足に対空砲ですか。……何というか、どこかの戦車で戦うRPGにそのまま出てきそうな外見ですねえ」
そんな感想を漏らしつつもエイルズレトラが前腕に装着したのは、ヒヒイロカネより取り出したる、刃の無い手甲。
――ここで数を減らせれば、囮の空挺隊の負担を減らせますか。
「さて。いつものようにいきますか」
囮のための囮。状況は違えど、エイルズレトラのやることは一つだ。それは、生業とも呼べる強み。
素早くジグザグに走り、奇術師は自走対空砲の懐へと飛び込むや、そのまま刃の無い手甲をその砲身の根元へ向けて振るう。
……いや、刃はある。振るわれたその瞬間だけ出てきた無色透明のそれは、確実にディアボロを切り裂くと、そのまま再び手甲へと収納された。
空に気を取られ足元がお留守になっていた対空砲が、たじろぐ。
続けて奇術師は二撃、三撃と攻撃を重ね、対空砲を翻弄していく間に、近くにいたもう一門の対空砲ディアボロが攻撃される仲間の様子に気付いたようだ。
ディアボロは対空射撃を中止して砲身を水平にし……砲弾を放った。
「はは。当たったら木っ端微塵になりそうですねえ」
飛翔する砲弾を、エイルズレトラは難なく回避する。彼には弾道が……いや、死線が見えているのだ。それは、並外れた先読みの賜物。鈍重な対空砲の射撃ごとき、読み切るのは容易い。
そうして最初の対空砲を撃破したエイルズレトラは、次の目標に向かった。
インターチェンジでは、激戦が展開されていた。
「皆の邪魔はさせないよー!」
その手に携えられたスナイパーライフルMX27は、ラインストーンやラメでデコりまくりの携帯電話もかくやという乙女仕様。ふゆみのそれは、とても戦いに使う武器の装いではない。
だが、浮ついた狙撃銃とは裏腹に、ふゆみはチョー真剣。スコープの十字に収めるは……ワイヤー結界を張り続けるヴァニタス・アルズアックだ。
「おっさんの生命力とかなんかカレイシューしそうだけど……しかたないんだよっ」
実際のところ、アルズアックは二〇代の西洋人男性の外見だが。
狙いを定めて引き金を引こうとしたふゆみは、
「!?」
いきなり視界を黒に覆われ、それを躊躇させられる。
このままでは、攻撃出来ない。あいつをやっつけられない。
暗闇に捕われ打開を図りたい少女は、しかしそこで思い出した。思い出すことが出来た。銃把にあった右手を腰に付けたもふら様バッグへとやり、ペンライトを取り出す。
――そう、ふゆみには明かりがある……。だから、見えないなんてことはない。
意識した瞬間、ふゆみの視界が開け、明るい世界が戻ってくる。左手で保持していた狙撃銃の銃把を、握り直した。
「今度こそ、いっちゃえっ!」
素早く狙い直したライフルから撃ち放たれたアウルの弾丸は、違わずにアルズアックへと飛び……そして、ワイヤーの結界に粉々にされて散った。
その様子を認め、アルズアックは大声を挙げて笑う。
「げひゃひゃひゃ!! 何だそのヘナチョコ弾! 安心しろ、そんなんで俺の気を惹かなくても、おめーには俺の逞しい(検閲削除)をくれてやっから……」
「余計な口は叩かないことね、アルズアック」
やや顔を顰めつつアルズアックを掣肘するアクァだが、しかしその間にも攻撃の手は緩めない。クイン狙いの野砲ディアボロを生成、射撃。それは凛が防ぐが、ディバインナイトもかなりダメージが蓄積してきている。
一方、ふゆみ以外の撃退士はスパイドを優先的に攻撃しており、スパイドもまたダメージが重なってきていた。それも、目に見えるほどに。
「畳み掛けましょう」
艶やかな黒髪を靡かせつつ、ヴィントクロスボウに持ち替えるリヒャルト。スパイドの片方が、彼女を狙って麻痺針の機関銃を連射する。
だが、アウルの風で軽やかになった黒き揚羽蝶は、そのささやかな攻撃を意に介さない。手に持つ弓銃に星の光を纏わせつつも、スパイドの放った麻痺針を舞うようにして避けてみせる。
手に持つ光が尾を引く様は、まるで光の羽。
「さようなら」
スパイドに意思があれば見とれていたであろう舞いから飛び立つは、星の輝きを宿した一射。それは傷付いていたスパイドを貫き、消滅させた。
クインがもう一方のスパイドを魔法攻撃で撃破する中、黒子は周囲の状況把握と分析を行っていた。
すでに回復役の里桜が倒れ、クインと凛は重傷を負っている。黒子自身を含めふゆみ、リヒャルトらで射撃戦を展開するが、近付いて前衛になると思われていたヴァニタスは悪魔の護衛に徹している。
そのため、こちらがほぼ一方的に撃たれている状態だ。こちらから近付くにもリスクが伴うだろう。
……幼いながら洞察力に秀でた少女は、以上の状況から最善手と思われるそれを導き出す。
「後退しつつ、時間を稼ぎましょう」
ヴァニタスが動かない以上、近付けば逆に悪魔とヴァニタスの集中攻撃を受けることになるが、敵が遠距離攻撃に徹する限りは、悪魔一人の攻撃を受けるだけで済む。
歴戦の猛者揃いの撃退士たちが、その意図を汲んで頷きあい後退する中、ただ一人で拳布……近接用の魔具を装着しているのは――
「前に出て、敵の突出を抑えるわ」
その腰の動きが一周して頼もしさすら感じさせるオカマ、龍太だ。言うなり駆け出すが、習得したばかりの忍法に支えられたその健脚は思わぬ素早さを見せる。
一方のアクァは、指示を出した黒子を指揮官と認めたらしい、彼女へ向けた攻撃のために野砲ディアボロを生成し、砲撃。
撃ち手の意識が黒子へと向いた結果として、アルズアックの張り巡らせたワイヤー結界に絡め取られて全身を切り裂かれつつも、龍太は悪魔へと肉薄することに成功した。
「こんにちは、悪魔のお姉さん。早速で悪いけれど、ダンスのお相手してくださるかしら!?」
「――っ!?」
ヴァニタスは結界を解くも、妨害は間に合わない。黒子に気を取られていた悪魔もまた、回避する余裕は無く。
左側面へと回り込んだ龍太のストレートが、悪思の準男爵の左頬に強烈な一撃を見舞った。赤い飛沫が飛び散る。
続けて悪魔の後背に回りつつ腰を落としてもう一撃……を企図するが、右腕を切り裂かれる痛みに龍太の動きが鈍った。アルズアックの魔法ワイヤーによる攻撃。
加えて、悪魔自身も腕に纏わせた蛇型ディアボロを嗾け、龍太に噛み付かせる。青年の痛覚はもはやフル稼働状態だ。……だが、龍太は最後の力を振り絞った。振り絞れた。
「もう一撃ぃぃぃ!!」
渾身の右ストレートが、悪魔の腹部にめり込むのと、蛇が龍太の首元を食い破るのは同時。
女性悪魔の柔らかい感触と首元に伝わる牙を感じたのを最後に、青年の意識は途切れた。
……貴重な時間と引き換えにして。
「人間にしては、やるわね。それとも、近付かれた私の落ち度かしら」
地に伏した龍太を見やってから、時間をかけすぎたとアクァは小さくため息をつき、アルズアックに手振りで指示を出す。
「へっ、そうこなくっちゃぁな」
もっと肉を裂かせろ、味わわせろ……そう言いつつ前進を開始したヴァニタスを、悪魔は砲撃で援護する。クイン目掛けた一発、間に入りこれを防いだ凛が倒れるが、眼鏡の少年はその間にヴァニタスとの距離を取ることに成功した。
「くっ、本来僕の位置はここだからね。存分に僕の魔法を味わうといい」
若干の焦燥と共に掌を天へと向けたクインの右手に、赤々とした炎の塊が生まれ出でていく。魔法は縫い物と並んで得意と自負している、例えヴァニタスであろうとも!
アルズアック目掛けて放たれた炎の塊は、尾を引きながら違わずにヴァニタスへ向け飛翔する。赤い色の彗星を思わせる炎は、余裕を見せていたヴァニタスの目を剥かせるには十分だった。
「なに――!?」
想定外の抵抗だったのだろう、避けることすら出来ずに炎を受ける。
アウルの炎はひとしきり燃えた後に消滅し、残ったのは……怒りに燃えるヴァニタス・アルズアック。
「野郎……殺す。殺し尽くしてまだなお足りないぐらい殺してやる!!」
「ふふふ、天才たる僕を殺せるわけがないだろう。何せ、天才なのだから!」
攻守逆転ならぬ、余裕逆転。
いきり立ったアルズアックは急接近して指先からのワイヤーでクインをズタズタに切り裂こうとするものの、攻撃された自称天才は魔法の盾を展開してこれを防ぐ。
……とはいえ、ヴァニタスの連続攻撃はクインに少なからぬダメージを負わせていたのだが、彼はそれでも余裕の笑みを浮かべ続けた。なぜそんなことが出来るのか。天才だからだ。
だが、彼が耐えている間に、さらに状況は悪化していた。
「ここまで、ですか……」
アクァの野砲を受けて黒子が倒れる。損害状況を把握して全体を支援しつつ、一瞬でも手が空けば攻撃に回っていた少女の働きは、陰ながら特筆に値するものだったろう。
残されたふゆみとリヒャルトは、アルズアックへと攻撃を集中する。
いや、むしろチューチューする。
「やっぱおっさんは不味そう……でも仕方ないよね……」
マントのカモフラージュで攻撃の度に隠れていたふゆみは、近付いてきたアルズアックにライフルのアウル弾を撃ち込んで同時に生命力を吸い取る。
その阿修羅の技にヴァニタスは顔を顰めるが、反応はただそれだけ――いや。
「下手クソな隠れ方しやがって、俺らにわからないとでも思ってたンか!?」
攻撃の瞬間に身体を露出させたふゆみに、ワイヤーが絡みつく。そしてそれは、少女の身体を切り裂き尽くした。
リヒャルトは敵の注意がふゆみに向いた瞬間に、ヴァニタスの側面へ飛び出すが、彼女は明かりを持っていない。
だから、近くに倒れていた凛のペンライトを素早く拾い上げる。そして、ほぼ同時に右手に構えた弓銃に星の輝きを宿させて。
「次はあたしと付き合ってもらいましょうか」
「そりゃ良い、俺のでヒイヒイ言わ――」
天界の力を纏った一発が、最後までは言わせない。不愉快な横っ面目掛けてリヒャルトはアウル矢を叩き込む。
逆に反撃しようとするアルズアックは、しかしまるで蝶か蝿かとばかりに飛び……機動し続けるリヒャルトを捉え切れなかった。
その彼女を、捉えられたのは。
「――っ!?」
「何を遊んでいるのかしら、アルズアック」
クインを戦闘不能に追い込み、返す刀とばかりリヒャルトを攻撃した乙女の慟哭だった。
「なぁ……こんなカワイコちゃんたちが転がってんだぜ、一発くらい……」
戦いの喧騒が止んだ後。
アルズアックは倒れている里桜の胸元を掴んで引っ張りあげた。そのまま、ズボンを脱ごうとカチャカチャし始める。
しかし、悪思の準男爵はそれを許さない。
「そんな暇は無いわ。捨て置きなさい」
主人に制され、その眷属は仕方なく少女の身体を放り捨てたのだった。
市役所、展望デッキの戦い。
進んでくる二体のカニ型ディアボロに対し、田村が射撃位置に就き、佳槻と政文がデッキ内を大きく迂回して討伐目標の高位ディアボロに向かう。
そして、秀一は……チタンワイヤーを展開した。本来は目に見えぬほど細いはずのチタンワイヤーが肉眼で見えるのは、アウルの光を付与されて輝いているから。
「道を作る。この町の未来への道を!」
ワイヤーを薙ぐ。しなる魔具から光の波が放たれると、それはまごうことなく打ち据え、金網の裏へと吹き飛ばした。……カニ型ディアボロのうちの片方を。
道が、出来た。高位ディアボロへと至る道が。
すかさず突破口をひた走る、霞とナナシ。
――さすがは部長、そして私の仲間。心得ている!
同じ部で共に戦ってきた三人の息の合った連携は、ディアボロ如きには阻むことは出来ず。先に動いていた霞が、まずフョードルへと接近した。
「生きている市民の想い、この町での思い出を守る。だから――」
お前を壊してやる、フョードル。
光華旋棍を握っていた霞は、ふと力を緩めてそれをくるりと回転させる。長いほうを前へ。
そのままトンファーを再び握り込むと、少女はそのまま袈裟懸けに振り下ろした。
風圧が生まれる薙ぎ払い。……しかし。
彼女と敵との間には、カニ型ディアボロが滑り込んでいた。
「左上三〇度より、盾を前にし防御なさい!」
加えて、フョードルの指示が飛ぶとカニ型ディアボロの動きは目に見えて良くなり、霞の一撃を防ぐ。指示に加えて魔力的なもので行動を補助しているのか。
悔しさを滲ませる霞の背後から敵の左側面へと移動するのは、ナナシ。
手に形成した炎の剣を高位ディアボロへ。霞の攻撃を防いだばかりのカニ型のカバーが遅れたため、その強力な攻撃は何者にも邪魔されずにフョードルへと入った。
思わぬ深手を食いしばって耐える。
「……アルファ、ブラボー後退! こいつらの背を討ちなさい!!」
直撃を受けた指揮官が身を引きつつ、前進していたカニ型二体を呼び戻した。そのうち一体が、ナナシを背後より剣で斬り付ける。……斬り付けた、はずだった。
カニ型の剣が貫いていたのは、一着のスクールジャケット。ナナシではない。
「当たるわけにはいかないわ」
はぐれたりとはいえ、彼女は悪魔。残像くらいお手の物だった。
一方、一時的に撃退士の攻撃から解放された高位ディアボロは、現在の戦況をざっと分析する。
――数は劣勢、敵は強力な二体のニンゲンが切り込んできて、それを後方のニンゲンが射撃支援している。……迂回してくる連中は、まだ来ないな?
戦況は早くも不利に傾きつつあった。認めざるを得ない。認めざるを得ないなら、自分はどうすべきか。
思考すること二秒。フョードルは自らの近くにあるもう一つの階段に向かおうと身体を翻した。逃げるのである。戦略的撤退である。
……だが。
その行動が、半ばで停止する。
「逃げられると思った? 残念!」
すみれちゃんでした! ……そう煽りつつ階段に立ちはだかったのは、階下へ降りていったはずの菫。
彼女はただ一人、戦闘開始後に一二階から敵の背後へと回り、敵の退路を封鎖したのである。
「おのれ……」
「にゃー」
菫による退路遮断と、それに伴うフョードルの一瞬の隙。それを突くのは、迂回した二人だ。
「俺が牽制する。その隙に」
「了解、任せて下さい」
両手に構えた銀色の銃の引き金を引くのは、政文。銃口から放たれたアウルの弾丸がフョードルに突き刺さり、その生命力を削ぐ。立ち直りかけていた気と共に。
その再び散らされた気、すなわち隙を見逃さない佳槻は、虹と翼の紋章を活性化。
「逃がしません、毒を!」
紋章から放たれた虹色の刃は、フョードルへ向けて飛翔する……その姿を刃から虹色の蛇へと変えて。
アウルの毒蛇は、高位ディアボロの胸部へと食い付き、毒を流し込んだのだった。
とはいえ、撃退士たちが押しまくれたのは、ここまでだった。
三体のカニ型がフョードルの護衛に戻ると、撃退士の攻勢は鈍化する。せざるを得ない。
ナナシや霞はコンスタントに攻撃を続けるが、カニ型ディアボロのカバーリングが攻撃対象への命中を許さない。
迂回した佳槻などがカニ型を石化させてその行動を阻もうとするも、護衛ディアボロは三体いるのだ。一人で石化させたところで、追いつくものでもなかった。
刻一刻と、タイムリミットは迫っていた……。
「階段にいるのは小娘一人、さっさと突破してしまいなさい!」
フョードルのそう叫んだ声は、田村の耳にも届いていた。
彼女は戦闘開始以来、リボルバーでの遠距離射撃を行い、フョードルを着実に消耗させている。カニ型が前進してきていたときに一度だけ攻撃を受けたが、それ以後は反撃も受けずに来ていた。
ディアボロからしたら、彼女の二〇メートル強からの射撃は十分にアウトレンジなのである。
――日野さんが倒れれば、敵に逃げられてしまう。それだけは避けなければ。
田村はすぐさま狙いを付けて、フョードルの頭を撃ち抜かんと銃弾を放つ。如何なディアボロとて、頭を貫ければ!
しかし、その射撃はカニ型に防がれた。
「く……っ」
思わず焦り、歯噛みする……が、それを座して見ている仲間でもない。
秀一と政文が動いた。その手にはチタンワイヤーとクラルテ。金属製の糸が二人分。
「絡めとれば、もう庇うことは出来まい!」
「敵を拘束する、その間に攻撃されたい」
宙を舞う二人のワイヤー。位置的に十字砲火の如く交差するように舞ったそれらは、護衛ディアボロの赤い身体を雁字搦めにし、その動きを封じる。
「ありがとう、二人とも」
――仲間の作ってくれた好機、逃すわけにはいかないわ。
田村は一旦深呼吸して、それからリボルバーM88の引き金を絞る。銃声と共にアウルが飛び出した。飛翔する弾丸を阻める敵は……いない。
アウルの弾が突き刺さり、フョードルの身体がぐらつく……だが、耐えた。傍目には満身創痍だが、耐えてしまったのだ。
そのとき……質量のあるものが倒れる音。
田村が音を見やれば、二体のカニ型に囲まれて展望デッキの無骨な床に伏している菫の姿があった。
もしも時間ロスが無ければ。もしも退路を塞ぐ者が独りでなければ。もしも、もしも。
多くのもしもを連ねても、意味は無い。
結果として満身創痍のフョードルは階段を下り、逃げ果せてしまった。撃退士の追撃を生き残ったカニ型ディアボロが阻む。
――そして。
「何を遊んでいるのかしら?」
陰鬱な、撃退士にとって終わりを告げる声が、展望デッキに響いたのだった。
市役所に悪思の準男爵が戻ると、撃退士の主力による太田市攻略は無期限延期となった。
IC封鎖班は救助部隊に、司令部直撃班は空挺隊に助けられ、学園に帰還することになる。
終