二〇一三年、四月。天界軍が日本の首都・東京と茨城の久遠ヶ原学園を圧迫する目的で、千葉県の市川市・里見公園に『国府台橋頭堡』を構築。
同年、同月。撃退士による攻撃により、国府台橋頭堡が陥落。以後、天界軍は船橋市内の競馬場まで退いて、橋頭堡の奪還に務める。
同年、五月末。天界軍の総攻撃が実施されるも、人類側はかろうじてこれを撃退。
同年、六月末。天界軍の総攻撃により人類側は国府台橋頭堡の司令部を失うものの、これを撃破する。
そして。二〇一三年、九月。
国府台で数ヶ月に渡り繰り広げられてきた戦いは、最終局面を迎えていた。
敵の拠点となっていた船橋市内の競馬場に突入し、大将を名乗るシュトラッサーと対峙した撃退士たちの中で、最初に気勢を吐いたのは、無二の友人より譲り受けた長剣を突きつける君田 夢野(
ja0561)だった。
「我が名は、交響撃団団長・君田 夢野! 俺こそがお前を撃ち退ける者だ! 死に花咲かせたいならば、全力で来てみろよ!」
「貴様の顔が見覚えがある。我が愛馬であった初代の武天を討ち取りし者だな。……しかし、自らが絶対的な優位にあると過信しているようだ。慢心は悲劇を生むぞ、小僧」
少年の名乗りに、下半身を馬と化した老将は、やや嘆息気味に応ずる。
「まーた不恰好なこって。切り落としゃ、ちったぁ見栄えがしますかね?」
槍を構えつつ敵将を挑発するのは点喰 縁(
ja7176)だが、同時に彼は、その場の空気に違和感を感じていた。
この感じ……自身が使うアストラルヴァンガードのスキルにも似た感じがある。もしかしたら、こちらの冥界の力を削いだり、重圧を与えて動きを抑制する効果が、この競馬場内にかかっているのかも知れない。
縁の忠告が場内に響き、めいめいが頷く。
一方、名乗りを挙げる者は、夢野だけではなかった。
「かかってこい! この雪室 チルル(
ja0220)が相手になってやる!」
北国で育った元気印、小柄な身体に確かな闘志と経験を宿す少女チルルは、突きに優れた愛剣のクリスタルの剣身を輝かせつつ、黒い羽根を纏っているアスハ・ロットハール(
ja8432)の横を抜けて、一歩……いや、四歩ほど前に出る。
それに対し、人馬将軍を名乗るシュトラッサー・朱多禅は、どこか楽しげで。
「なれば、良かろう。まずはチルルとやら、そなたから討ち取ってくれん!」
剣を構え闘志を燃やすチルルではあったが、しかしその敵将の動きは見えなかった。気が付くと、老将はチルルに肉薄し、眉尖刀を振り上げていたのだ。
五〇メートルはあった距離を、わずか二秒で……。
しかし、チルルもまた並みの撃退士ではない。最初こそその素早さに面食らったが、数々の戦いを潜り抜けたチルルの身体は、自然と振り上げられた大刀に対応しようとしている。
朱多禅の大刀が振り下ろされるのと、チルルが半身をずらしてこれを回避するのは、同時だった。
「ほう!」
老将が、思わず感嘆の吐息を漏らす。素早さによる不意打ちで一撃を入れられると思ったのだが。
その感心する朱多禅に最初に打ちかかったのは、鐘田将太郎(
ja0114)である。青白い大鎌を手に、人馬の下へと走りこむ。
「主人のために殿を買って出た武人のご登場か。見上げた忠誠心と感心してぇが、俺らとて負けるわけにはいかねぇ!」
「私が大将だと言っているに、随分と信用の無いものだな」
青白い大鎌が、紫の焔に包まれて燃え上がる。同時に将太郎は全身のアウルに働きかけた。
狙いは脚、機動力を削ぐのが狙い。悪魔側の力を乗せた目にも止まらぬ一閃が、敵将へと振るわれる。
「まずはその脚、刈り取らせてもらおう!」
大鎌の刃は、確実に馬の脚を捉えた……かに見えた。しかし。
「間合いが甘いわ!!」
大鎌の刃が脚に届く直前、朱多禅は眉尖刀でその軌道を逸らすと共に、胴体を捻り込んだ。脚を狙ったはずの刃が、馬の胴体を切り裂く。
「くっ、仕損じたか」
「まだ終わりじゃない!」
将太郎の大鎌が振り切られると同時、夢野はチルルと朱多禅が並ぶ直線上へと飛び出していた。
「以前とは違う、切り裂くタイプのティロ・カンタビレだ。持っていけ!」
言いつつ、アウルを集めた長剣を朱多禅に向かって振りぬく。
以前は衝撃波だった。……しかし今回は、音の刃だ。
不可視の刃は大地を疾駆し競馬場の芝を切り裂きつつ、そのままに人馬将軍の胴体をも切り裂く。
「ぬうっ……やりおるわ!」
朱多禅は、しかしまだまだ全然堪えてなどいないという風に、大刀を構え直したのであった。
今回、撃退士側の作戦は片翼包囲にあった。
つまり、囮となる五人が敵を引きつける間、迂回する三人が敵の側面や背後に回って囲い込み、その馬の下半身から想定される機動力を削ごうというのだ。
その任に当たるのが、エルリック・リバーフィルド(
ja0112)と橋場 アトリアーナ(
ja1403)、ラファル A ユーティライネン(
jb4620)の三人。
「決戦、でござるか……」
負けるわけにはいかぬ。勝利の一助となれれば。静かにそう呟く。
生まれはアメリカだが育ちが日本人仕込みというエルリックは、しかし日本人仕込みでも珍しいであろう時代がかった言葉遣いを披露する。時代劇の影響だ。水戸の副将軍とか面白いもんね。
「そうね、エリー。ここまで来て負けるわけにはいきませんの」
共に行動する少女を愛称で呼ぶアトリアーナは、お互いを『アトリ』『エリー』と呼び合う親密な仲だ。
迂回する三人のうちの最後の一人、ラファルは二人の会話に加わらない。すでに彼女は、自身の周囲に魔法的な幕を展開し、風景と同化しているのだ。
ここで声を出せば、その存在が露呈してしまう。
(敵の総大将じゃねーってのが気に入らねぇが、まぁ、さくっと始末して飯にしたいところだな)
どうして誰も、朱多禅の『自分が大将だ』という言葉を信じないのか。
ともあれ、ラファルとしてはそんなことを考えるが、決して敵を軽視しているわけではない。今のは、緊張を解すただの冗談である。
かくして迂回する三人の攻撃班だったが、しかし思うように動けないでいた。敵の結界で足が遅くなっているからか。
包囲は、未だ完成していない。
「逃がすと思ったか、よッ!」
その場からさらに移動せんとする朱多禅の脚を刈るべく、夢野は二発目のティロ・カンタビレを撃ち込む。
……だが、命中するも阻止しきれなかった。
朱多禅が、チルルや夢野らの側面に回り込む。
「何をする気!?」
チルルが叫ぶや、
「君田とやらが二発も見舞ってくれた不可視の刃、私からもお返ししよう!」
使徒はそう答えつつ、その手にある大刀に天界の力を込める。そして……それを、地面に叩き付けた。
刹那――衝撃波が、四人の撃退士を襲う。チルル、夢野、縁、手児奈。
「させま、せんわ!!」
敵将の動きに何らかの攻撃の予兆を見たのだろう、ディバインナイトの真間 手児奈が庇護の翼をチルルへと伸ばし、彼女を庇う。
結果として、夢野と縁、手児奈の三人を襲ったのは、防具すら貫く衝撃波。生身を直接殴られたような感覚に息が詰まる。
「まだ終わりではないぞ!!」
老将の言葉と同時、四人を再び衝撃波が襲った。
再度の接敵のために移動しながらも、将太郎は手児奈の変化を見届けていた。
――あの、仇となる悪魔ども以外と戦いたくないと言っていた少女が、悪魔とは関係の無いシュトラッサーの攻撃から仲間を庇っている。
今なら、言えるだろう。真間は俺らの仲間だと。頼りにしていると。
一方、手児奈らと共に攻撃を受けた夢野は、思う。
――復讐のために生きるってのを、否定する気は無い。だが、それが全てではあまりに悲しい。
「だからさ、ここで堪能していこうぜ……『護る』歓びってやつを」
それは、手児奈に向けたのか。他の仲間たちへ向けたのか。それとも……自分へと向けたのか。
迂回中だったエルリックは、敵が移動したことにより結果的に遠くなったのに歯噛みしつつ、その二発の攻撃を見ていた。
しかし、九尾の狐の目に映ったのは、敵将が自称したような不可視の攻撃などではない。
それは競馬場の芝に扇状の痕をありありと残す、地を奔る範囲攻撃。
理解した瞬間、すぐさま叫ぶ。
「今の敵の攻撃は、扇状の範囲を抉るようで御座る! 範囲に入らぬよう注意されたい!」
言い終えた瞬間、少女は、老将の眼光に射抜かれたような気がした。
警告を受けた中で、最も早く……否、唯一動けたのは、北国の少女だった。
扇状の範囲という警告。しかし、それだけで十分。後は経験と直感に頼るだけだ。
「あたいのほうを見ろ、シュトラッサー!」
体内でアウルを燃やしつつ、敵将の側面に回るチルル。その目には、強大な使徒さえ止まっているように……いや、凍り付いているように見える。
自身の時間認識を極大化した結果だ。
あとは、止まっている敵へ刃を当てるだけ。
『氷静「完全に氷結した世界」』――。
大型エストックの刃は、完全に敵を捉えている。鋭い刺突が胴体に突き刺さり、使徒が思わず苦悶の表情を浮かべる。
だが、老将は怯みはしなかった。
彼の視界の中、扇状の範囲内には、未だ夢野、将太郎、縁、手児奈の四人の姿。
「良い一撃だが、我を止めることあたわず! 今度こそ、この芝の海に沈めてやろう!」
再び、眉尖刀に力を集めて、地を奔る一撃を放つ。
エルリックの警告を受けた者が回避行動を取るよりも早く、またも襲い来る衝撃は、縁を庇った手児奈に芝の味を覚えさせた。
だが、朱多禅のそれは、一発では終わらない。五秒の間に、さらにもう一発。
「こんなんで、倒れられるかぁ!!」
「負けるわけにはいかねぇってんでっ!」
夢野と縁は、気絶寸前で何とか耐えた。縁の食いしばった口の端から、赤い雫が伝う。
学園でも珍しいであろう江戸弁の使い手は、アストラルヴァンガード。今回の仲間の中で唯一、回復や支援を得意としている。
自身も夢野も、彼の定めた回復を実施されるべきという基準に当てはまる。そして恐らく、次に例の衝撃波を食らったら、どちらも倒れるであろうこともまた、わかる。
「てぇ、ことは」
どちらを回復すべきかは、自明だろう。
縁は、反撃の態勢を取った夢野に向けて、アウルの光を飛ばした。
指物の技術で文化財を『なおす』ように。
アストラルヴァンガードの技術で、仲間を『なおす』。
柔らかい光に包まれて活性化した細胞は、夢野の負っていた傷をみるみるうちに塞いでいき……一瞬の後には、完全とはいかないまでも多くの傷を治癒することに成功する。
「サンキュ、縁!」
攻撃態勢を崩さぬまま感謝する夢野に対し、日頃から眠げにしている少年は片手を挙げて答えた。
「ま、良いってこってす」
直後、五たび襲い掛かってきた衝撃波に、縁は耐え切れず倒れ伏した。
彼は知らない。自身の判断が、この戦いを終わらせる最後の一太刀を生むことを。
最後の衝撃波を撃ち終えた朱多禅は、その軽快さを利して、一度撃退士たちから距離を取った。
包囲の蓋を閉じようとしていたラファルら三人の横をすり抜ける格好で、二〇メートル以上も離隔する。
それは、包囲の完成直前と見て光学迷彩を解除、戦闘態勢を整えようとしていたラファルにとって、予想外の動きであった。
「くそ、またすり抜けられちまったか!」
しかしながら、すでに光学迷彩は停止している。ラファルとしては、そのまま戦闘態勢への移行を続けるしかない。
「限定偽装解除。戦闘態勢移行、対地上戦闘用意!」
過去に天魔に襲われ、その後遺症として残った機械的な義肢。それらの機械が展開し、補強し、結合し。
ヒトの四肢と全く同じに見えていたはずのそれらは、数瞬の後には、少女の小さな身体に不釣合いな大型の手足となってアウルの循環効率を底上げする。
限定偽装解除『ナイトウォーカー』は、過不足無く起動した。
「どっからでも、かかってこい!」
二〇メートル先でその変形を見ていた朱多禅は、興味深いという風に吐息を漏らした。
「面白いカラクリだな。その見た目に違わぬ力があることを祈るが」
言うなり、シュトラッサーは自身の身体に力を集め始める。その力は凝縮したかと思うと、次の瞬間には、朱多禅の周囲に三体の半透明な人馬を分離させていた。
いずれも朱多禅と同じ様子を持つ、半透明の騎兵。
「我が分身の幻影騎兵どもよ、我に続けぇい!」
眉尖刀を右腕に水平に構え、一度距離を離したはずの人馬将軍は、再び撃退士たちへと突撃した。今度は、自身と同等の能力を持つ三体のサーバントを伴って。
芝を踏み鳴らす四騎の騎兵。その突撃の対象となったのは、直前まで包囲の蓋を閉じんとしていた攻撃班の三人。
包囲完成の直前にすり抜けられたことで、逆に囮班よりも敵に近い位置にいる格好だった。
片翼包囲、成らず。
「まずは奇怪な……もとい、機械な娘、そなたから討ち取ってくれん!」
「おう! 相手になるぜ!!」
突撃の先頭を進む朱多禅が狙ったのは、ラファルだ。
一方の狙われたほうも、戦る気マンマンである。
……だが元々、囮班と攻撃班による包囲に重きを置いた作戦を取っていた撃退士たちである。ラファルの行動も例外ではない。
その作戦が崩れてもなお、大丈夫なのか?
「我が刃を受けきれるか!!」
正面から激突しようとしていた義肢少女の、側面に回りこむ老将。
大刀が振るわれ、少女の身体で唯一の生体部分……切り裂かれた身体から、血飛沫が舞った。
「撃退士一名、討ち取ったり!」
――いや、まだ終わっちゃいねぇ!!
一撃で終わったとばかりに振り切った得物から血を払うシュトラッサーへ、少女は声無く叫んだ。
気を失うほどの生命力は失ったが、まだ耐えている。芝をしっかと踏みしめて。
「何と、まだ動けると申すか!?」
朱多禅が気付いたときには、ラファルはすでに背中より無数のロケット推進式メカアームを展開させていた。
不意を突いたメカアームたちが、老将を容赦なく拘束していく。
「ヘカトン、ケイルぅぅぅぅ……っ!!」
ラファルの必死の叫びは、しかし朱多禅の後ろを雁行で続いていた騎兵の一撃により途絶えたのだった。
ラファル以外の二人、エルリックとアトリアーナも敵騎兵の襲撃を受けていた。
自身に迫る騎兵を知覚したエルリックが、牽制の弓を放つ。和弓の弦が唸り、番えられていた矢を鋭く推進させていく。
だが、幻影騎兵は牽制を物ともせず……否、矢が放たれたとて急に停止・回避できる速度ではなかったのだろう、半透明の体に真正面から矢を受けつつ、突撃を続ける。
「っ!? これは拙いで御座るな……っ!?」
回避しようにも、間に合わない。
すれ違いざまに幻影騎兵から突き出された槍は、飛びのこうとする直前の九尾の狐を捉え。
槍が、突き刺さる。
「っ、エリー!!」
痛みに気が遠のきそうになったエルリックは、しかしアトリアーナの警告の叫びに何とか意識を留めた。
しかし。
その視線の先には、拘束された身体を天界の力で無理矢理に突撃の力へと変えた、シュトラッサー。
エルリックが回避するよりも先に、馬体は少女を轢いた。
もふもふ自慢の九尾が、似合わぬ赤き色に染まる。
攻撃班の最後の一人、アトリアーナへもまた騎兵が突撃を敢行していた。
「よくも……よくも、エリーを!!」
好きな人が目の前で朱に染められる怒り。それはまず、目の前より迫る騎兵へと向けられた。
エルリックを攻撃した騎兵と同様、アトリアーナに向かった騎兵もすれ違いざまに槍を突き立てるを狙っているようだ。
ならば自分は、それに合わせるのみ。槍に対して斧が構えられる。
銀髪の少女の顔から表情が消え。
「今!!」
騎兵がすれ違う直前に合わせて、アトリアーナは斧を振るった。同時に突き出される槍は刺さるに任せ、『死刑執行人』の紅に濡れた刃を騎兵の胴体を斬りつけ。
結果、お互いが大きな傷を負い、銀髪少女が歯を食いしばる。
「この、ぉぉぉ!!」
しかし、アトリアーナの瞳はすでに騎兵を見てはいなかった。その視線の先には、仲間を倒したシュトラッサー。
痛みを堪えて、少女は斧を地へと突き立てる。
その瞬間、地に立てられた斧からは、巨大な獣の頭部が放たれていた。
「ぬうっ!?」
使徒がアウルの獣の襲撃に気付いたときには、もう遅い。
獰猛なる獣の前には、馬など獲物に過ぎないのだ。
獣の牙が馬体を貫くと……獰猛にして忠実なそれは、こそぎ取った敵の生命力を、アウルを通じてアトリアーナ自身へと還元する。
少女の負っていた傷が、わずかだが癒えていった。
「この好機を待っていた!」
不意に、左方向に飛び出した夢野の叫びが響く。
攻撃班が敵の襲撃を受けている間、囮班は攻撃位置へと就くのに腐心していた。
何分、身体が重く、思うように足が動かないのだ。
だが……それも今や、整った。
「最後にして最も鋭き刃は、生気に充ちて疾いぞ(アレグロ・コン・ブリオ)!!」
両手で構えた長剣の重さが心地良い。夢野は狙いをすまして、最後のティロ・カンタビレ改を撃ち放った。
空間を疾駆する音の刃。その直線上には、朱多禅と一体の騎兵。
「ぬっ、来るぞ! 避けよ!」
急いで指示を出す老将ではあるが、指示を受けた幻影騎兵も、また指示を出した自身も、その一撃を避けることは叶わない。
不可視の刃に切り裂かれ、特に幻影騎兵が深手を負う。
だが、囮班の反撃はそれだけではない。
「あたいったらバッチリね!」
夢野が左ならば、チルルは右方向に走り出す。タイミングはドンピシャだ。
ここまで温存していた技を使う時が来たと、チルルは直感で理解した。今ならば、夢野の一撃と併せてクロスファイア(交差射撃)となる。
右拳を左肩へ交差するように構えた大型エストックの先端に、積もりたての雪の如き白いエネルギーが収束していく。
「いっけぇぇぇぇ!!」
エネルギーが最大まで溜まったと感じたチルルは、大型エストックの先端を敵――直線上に存在する二体の幻影騎兵に対して突き出した。
刹那、剣の先端より荒れ狂う吹雪が解放される。通り過ぎた跡を氷の結晶で彩りながら進むチルルの一撃……氷砲『ブリザードキャノン』は、回避する暇すら与えず、二体の騎兵を包み込んだ。
夢野からダメージを受けていたほうの騎兵が、倒れて霧散する。
三体の幻影騎兵のうち一体を倒し、一体が手負い。
ならば、そのチャンスを逃す手は無い。
斧を構えたアトリアーナが飛び出し、ダメージを負った騎兵を死刑執行人の手の内に収めた。
再び召喚されたアウルの獣は、今度は使徒ではなく幻影のサーバントを食い破り、消滅させる。
やはり、猛獣にとっては馬など獲物でしかないのだ。
二対で一組となる青い銃を最後の幻影騎兵へと向けるのは、紅髪の青年……アスハ。
銃に刻まれたファイアーパターンは、『ブレイジングソウル』の名のとおり使用者の魂を燃え上がらせるためなのか、それとも烈火の如き連射で敵を燃え上がらせるためなのか。
……いや、どちらでも良い。敵を倒すことが出来るのならば。
「やはり、増援があった、な……」
正確には増援ではなく分身のようなものだが、敵が増えたという意味では間違いは無かった。
「速やかに倒さねば、な」
なお、アスハの本来の得物はパイルバンカーだが、敵の結界の効果で移動能力が低下しているのが大きく響き、未だそれを用いる距離には無い。
グリップを握り込むと、両手に携える双銃へアウルが集い始めた。紅髪の青年により注ぎ込まれる光の力に従い、彼の魔具は……瞬時に巨大化した。
銃把はそのままに、銃身の後尾が上腕までを覆うほど大きくなっている。銃把より前、銃身の前部も言わずもがな。
これでは、ピストルではなくロケットランチャーだ。
拳銃を巨大な対戦車火器のように変貌させたアウルはまた、アスハ自身の身体能力をも引き上げる。
本来はパイルバンカーに使う、零距離攻撃魔術。
「……貫く!」
掛け声を一声、紅が跳躍した。強化された足腰が、彼を一二メートルも前進させる。
不意を突かれた幻影騎兵の懐へと入り込む。
躊躇することなく幻影の身体へと押し付けられた銃身は、銃の本体と同様に巨大化していた弾丸状のアウルを叩き込んだ。
ある意味、パイルバンカーと言えなくもない。
「――」
半透明のサーバントは、言葉を発することは無い。それでもアスハには、敵が息を呑む音が聞こえたような気がした。
一方、銃弾に貫かれた幻影騎兵は、たじろぐようにしてたたらを踏むも、すぐに反撃の態勢を整える。
さすがは使徒自ら『我が分身』を謳ったサーバントだが、しかしその反撃態勢は徒労に終わったようである。
銃弾を打ち込み終えたアスハは、勢いをそのままに一二メートルの距離を再び跳び、元の位置へと戻っていた。
敵の反撃を予期しての、そつがない動きだ。
そのアスハと入れ替わるようにして、将太郎は幻影騎兵を刃の範囲に収めた。
脚に集めて燃焼させたアウルは、重圧する結界の効果を受けてもなお、臨床心理士見習いの青年へと快適な移動を約束する。
「よくも真間を……いや、俺の仲間たちをやってくれたな!」
燃え盛る右腕に握られた、対照的に青い大鎌……いや、これは対照的なのではないのかも知れない。
赤い炎と、青い炎。
二つの色の焔は、半透明でともすれば水のようにも見える騎兵の身体を捉える。
「貴様は……使徒の紛い物は、そこで止まっていろ!!」
刹那、光の力を受けて鋭さを増した刃が、幻影の身体を切り裂いた。幻影に刻まれた切り傷は、振り抜かれた大鎌に遅れること一瞬、ぱっくりと開き。
サーバントの痛覚を、激しく刺激した。思わず後ずさる幻影騎兵を、追撃しない将太郎ではない。
アウルを乗せた斬撃を、一閃。
返す片腕でさらに一閃、アウルに強化された腕がそれを支える。
そして。
上段からの一撃が、幻影騎兵の頭部を斬り貫いた。
馬突撃を終えたものの、ラファルによる拘束が解けていない使徒は、目の前の光景に思わず歯噛みした。
「おのれ……!」
劣勢である。自らはまだ余裕を残すが、呼び出した幻影騎兵たちは二体が撃破され、最後の一体も瀕死になっている。
撃退士たちの予想以上の猛攻が、朱多禅の眷属たちを追い込んでいた。
しかし……老将は慌てない。まだ奥の手はある。
そう、まだ奥の手はある。三発の予定が一発になってしまったが、まだ使える手があるのだ。
「かつて孫子は、火攻めに劣ると言ったが……果たしてそうなのか、見てみようではないか」
彼の視線の先には、今まさに最後の騎兵を追い詰めた赤青炎の撃退士の姿があった。
もう一撃。
気勢を吐いた将太郎が大鎌を振り上げたそのとき、変化は起こった。
幻影騎兵の半透明の身体が、ぐにゃりと歪んで不定形をとる。
まるで、水のように。
アメーバかスライムか、といった体になった幻影騎兵は、そのまま川の堰が切られたとでも言うように、その水のような身体を撃退士たちへと殺到し始める。
横幅も縦幅も広い一撃、幻影騎兵を水と変える水計。
それは、チルルや夢野、将太郎にアトリアーナといった残りの撃退士のほとんどを飲み込み、洗い流す奔流だった。
「くっ……だめか……!」
水流に押し流され、内蔵を押し潰される感覚を味わった将太郎は、思わず歯噛みする。
口から血が溢れるのを感じる。ここまでか。
「……あとは頼んだ」
一言だけ呟き、将太郎は意識を手放した。
アイコンタクトで意思疎通を図ったアスハとアトリアーナが、騎兵を集中攻撃して撃破するのは、幻影騎兵が水計の水を演じるという大役を終えたその直後だった。
「ええい! 拘束さえなければ、追撃できたものを……!」
倒れ際のラファルから受けた拘束を心底忌々しく思いつつも、使徒はそれを解除する。
幻影騎兵は全滅し、この場にはようやくシュトラッサーが一人。
アスハが、アトリアーナが、夢野が、チルルが。四人の撃退士は、使徒への総攻撃を開始した。
まずはチルルが、朱多禅へと接近した。
「あたいが相手になると言った!」
「そのセリフは、一騎打ちを挑んでからほざけ!」
短い応酬の後、チルルの剣が使徒を貫かんとするも、それは横にずれて避けられる。
だが……その横にずれた先には、アスハとアトリアーナが飛び込んでいた。チルルの攻撃は、剣を突き出した自らの身体を障害とすることで、敵の回避先を限定させるものでもあったのだ。
そこに飛び込む、二人のベテラン撃退士。
「右から!」
「俺は左からだ、な」
斧と杭打ち機が左右に分かれた。敵将は脚に力を集め、その両側面からの攻撃より脱する構えだ。
銀髪の少女が、その兆候を見つける。
「逃がしませんの!」
実際、朱多禅のこの突撃の技は、加速はほぼ一瞬なのだが……少女はその一瞬に、上手く斧の刃を合わせた。
赤き斧が馬体に食い込み、切り裂く。突撃の加速が一瞬だったことが仇となり、アトリアーナは得物ごと腕を取られ、彼女自身の攻撃により強制的に方向転換させられた敵将の突撃を受けて気絶する形になるものの、しかし脱出は防いだ。
赤き斧の次は、紅き青年――。
「アトリが身を挺した隙、突かせてもらおう」
すでに巨大化したパイルバンカーを右手に着けるアスハが、老将の懐に飛び込む。
空薬莢の音と、突き出された大刀が血の花を咲かせるのは、同時。
老将がたたらを踏む間に、アスハまでも芝の上に倒れこむ。
これで、残りは夢野とチルルのみ。
お互いに、手札は殆ど使い切っている。
あとは正面からぶつかるのみだ。
「もはや、正々堂々と戦うのみ!」
「あたいも望むところよ!」
眉尖刀をエストックで弾きつつ、逆に刺剣を敵へと突き立てるチルル。剣は老将の鎧を貫通し、深々と突き刺さった。
「ぐぅ……っ!?」
引き抜かれる剣に苦悶の表情を浮かべる老将に、もはや余裕は無い。
馬の機動力を活かし、本来はマントが付いているはずの少女の背に一瞬で回り込む。しかし、彼女が着込んだ天使の名を持つ鎧は堅牢だった。
振り向いたチルルは、さらに馬体へ一撃を加える。
そこへ、長剣を携えた少年が突っ込む。夢野もすでに満身創痍だが、縁による回復が無ければ、先ほどの水計で倒れていただろう。
その意味では、決着を付けさせたのは、あのアストラルヴァンガードの青年とも言えるかも知れない。
「覚悟ぉ!!」
一声とともに勢いよく袈裟懸けに振り下ろされた剣は……老将の右腕に食い込み、これを切り落とした。
右手に保持していた朱多禅の唯一の得物、眉尖刀も共に競馬場の地へと落下する。
勝負は、あった。
「終わりだ。……何か言い残すことはないか?」
剣を突きつけつつ、夢野が老将へと問う。
一方の問われた側は、苦笑いしつつ答えた。
「言っただろう、小僧。慢心は悲劇を生むと」
その言葉に、少年は頷く。
「……わかった。いくぞ!」
そして。
『生き生きと』の言葉が刻まれた夢野の剣は、違わずに老将の首を跳ね飛ばしたのであった。
一時間後。
制圧された競馬場の医務室に、八人の撃退士が仲良く並んでいた。
無事と言えるのはチルルだけで、彼女はニコニコと並んだ仲間たちを眺めている。
「これまでの戦い、お前にとってはどうだった?」
将太郎の問いが、すぐ隣のベッドに腰掛ける手児奈に向けられた。
衣服の上からでもわかる豊満な胸を上下させつつ、かつて冥魔との戦いのみを求めた少女は。
「今も、私にとっては冥魔と戦い仇を討つのが目標です。……しかし、天使と戦うことで救える命があることを知りました。冥魔とは仇のため、天使とは命のため戦う。……そう思わせて下さったという意味では、良い経験になったと思いますわ」
そして、そこで一息ついて。
「そのことを教えて下さった鐘田さんやユーティライネンさん、ロットハールさんや君田さんには、とても感謝していますわ」
頬を赤らめつつ、にこりと微笑みかける手児奈。
「この仕事も終わったし、次はお前さんの敵討ちを手伝ってやるぜ」
いつぞやと変わらぬニカッとした笑みを浮かべるラファルに、ディバインナイトの少女は、これまた満面の笑みを返す。
「無理は、するな、よ……」
「あなたがですよ、アスハ」
アスハの忠告とアトリアーナのツッコミ。息の合った不意のコントに、医務室は笑い声で包まれたのであった。
天界軍は敗退し、国府台の地より全面的に撤退。
そして、それを確認した人類側もまた、価値を失った国府台橋頭堡の放棄を決定する。
かくして里見公園は元の閑静な公園へと戻り、ここに国府台を巡る会戦は終わりを告げた。
終