1800年6月14日、9時。
騎馬の上にあって、共和国軍の別働隊を率いる雀原 麦子(
ja1553)将軍は、斜め後方に微かに遠雷のような重低音を聞いた気がした。
その瞬間、聡明な彼女は事態を悟る。
「チビ伍長ちゃんが読み違えるなんて珍しいわね〜。こっちが全滅しちゃう前に引き返しましょ♪」
訝る副官を尻目に、雀原は自ら馬首を翻すと、部下にも同様の指示を出す。一万騎の騎馬が馬首を北へと向けた。
彼女が聞いた重低音……それこそは、後に「マシュンゴの戦い」と呼ばれることになる大戦の幕開けを告げる砲声だった。
同日、11時。
「ここの兵力だけで止めきるのは……無理か……」
石造りの農家など建物に拠って抵抗を続けていた、兵力五〇〇〇の師団を預かるシルヴィ・K・アンハイト(
jb4894)将軍は、無念の臍を噛んだ。
彼女の立て篭もる農家の窓から見えるは、遥か河のほうから湧き出てくる白い装束の軍勢……王国軍。
アンハイト師団は六倍の敵を相手に懸命の防戦を二時間も続けていたのだが、もはやそれも限界に近かった。
「将軍、撤退しましょう!」
「そう簡単に逃げられる状況か?」
副官の進言に返す言葉は、まるで苦虫を噛み潰したよう。逃げれるならとうに逃げている。
「ああっ、バリケードが突破されます!」
即席で構築させたバリケードが、白い軍勢に突破されんとしていた。
あそこが落ちれば、敵は村内に雪崩れ込んでこよう。
シルヴィは、腰にやっていた剣をするりと抜き放った。
「バリケード付近で戦うぞ、他の者も付いて……」
「報告!」
士気維持のための悲壮な決意を固めていたシルヴィに、伝令から報告がもたらされる。
「麻生師団が到着しました! 援軍です、助かった!!」
「さぁ仕事だぞ、お前ら! 我らは友軍の撤退支援に当たる、進めぇ!」
麻生 遊夜(
ja1838)の檄に、兵員五〇〇〇から成る彼の師団は喊声を上げてマシュンゴ村へと突撃していく。
彼も自ら馬を進めて、村内へ突入した。
突破されかけのバリケード前を、彼の青い兵が埋め尽くしていく。白兵戦が展開されていた。
「麻生将軍」
不意に話しかける声。見れば、抜剣しつつ騎乗した前衛の指揮官シルヴィが、やや安堵の表情を見せている。
それに応えるように、麻生もにぃっと笑んで。
「遅れてスマンねシルヴィ将軍。サン・ジュリアナにて敵を包囲する。戦術的撤退を」
「わかった……だが、普通に退いても敵に食いつかれるだけだろう」
「そうだな。だから遅滞戦術だ」
麻生の言葉に、シルヴィは黙って頷いた。
同日、正午、
麻生師団は完全にマシュンゴ村から撤退し、アンハイト師団も後退を開始した。
殿となる兵を交互に入れ替えて反撃しつつ、シルヴィは敵を包囲するという地点へ向かう。
「次は第三大隊を殿へ」
シルヴィは、殿となる部隊を巧みに入れ替え、常に反撃しながらの後退を行っていた。
敵の追撃に彼女の師団の損害は増えつつあるも、敵にも出血を強いている。
王国軍の指揮官も、その巧みな反撃を嫌がっていることだろう。
そうしているうちに、彼女の師団は街道の三分の一を通過した。
「構え! ……撃てぇ!」
そのとき。
不意に鳴り響くのは、大量の銃声。そして出現する青い軍服の集団。
予定どおりに、麻生師団が敵の前衛に食いつき、街道の左右から挟みこむように横列を敷いて、味方に近付く敵兵を攻撃した。
激しい反撃に、思わず王国軍の歩みが鈍る。
「今だ……全軍、敵と距離を取る」
そのわずかな隙を突いて、アンハイト師団は敵から離隔を図った。今まで行っていた反撃を止め、敵との距離を取り始める。
「腕の見せ所、か……。さぁ、装填が終わった者から攻撃しろ。今なら好きな獲物を狙い放題だぞ!」
自分の兵士たちを鼓舞しながら、麻生は後退のタイミングを計る。
麻生とシルヴィの師団は、交互に伏兵となる遅滞戦術を展開し、敵の脚を鈍らせる手はずだった。今、離隔したシルヴィの隊も、少し先の地点で伏兵として反撃準備を行うはずだ。
次は自分たちが、その伏兵の恩恵を受けることになる。
だが、これはあくまで時間稼ぎ。
こうして稼がれた時間は、サン・ジュリアナ村での迎撃準備に充てられるのだ。
同日、13時。
迎撃地点に指定されたサン・ジュリアナ村の前面では、鷹司 律(
jb0791)率いる師団七〇〇〇名が、大急ぎで野戦築城を行っていた。
バリケードに、障害物に、塹壕に、砲撃の目印に……。いささか欲張りとも言える野戦築城だが、しかし時間的にその全てを成すことは叶わなかった。
「将軍、味方が見えました!」
「そうですか、意外と早かったですね」
嘆息しつつ、鷹司は馬上より防備の進捗状況を確認する。
一列しか無いバリケードは高さも長さも足りず、塹壕も掘れていない。一方、砲撃の目印はほぼ設置し終え、また障害物も概ねの設置が終わっていた。
不十分だが、この状態で迎え撃つ以外に無い。
「伝令を。バリケードの開口部に味方を誘導です」
味方が逃げ込むためのバリケードの開口部を教えるべく、伝令を派遣する。騎乗した兵士が大急ぎで走っていった。
一方、共和国軍の司令部があるトッレ・ディ・ガロッファ村の前面で、三〇〇の砲兵に三〇門の砲列を敷かせるのはカデナ=ナキ=カサルティリオ(
jb5063)将軍である。
「はは、敵さんの綺麗な進軍に感服感服……ああいう戦列は、砲撃で滅茶苦茶にしてやりたくなるねぇ」
強気の瞳で望遠鏡を覗き込むカデナ。
見たところ、敵は手持ちの師団を前後二列に並べた横隊を取っているようだ。正攻法である。
「それで、あっちのほうは?」
あっち、とはカデナが派遣した別働隊の砲兵だった。四〇門の砲を、彼女の指定した位置に据え付けに行っている。
「時間では、そろそろ準備が終わる頃かと」
「そうかい。……じゃあ、まぁ。派手におっ始めるとするかい」
望遠鏡から目を離した少女は、目を細めつつにやりと笑みを浮かべた。
同日、14時。
麻生、アンハイト両師団は、バリケード開口部への避難を開始した。
しかし……合計で一万人近い兵士が狭い開口部に殺到しており、想像以上に撤退は捗らない。
まごつく共和国軍に、王国軍の騎兵が殺到しようとしていた……。
遠くに白い装束の集団が見える。
恐らく、味方の歩兵を追撃せんとする敵兵だろう。それを認めたとき……カデナは、ついに部下の砲兵大隊へと指示を出す。
「今だよ。間抜けな王国軍を屍の真っ赤な戦列で埋め尽くしてやりな!」
鋭い声に待ってましたとばかり、砲兵たちがカノン砲へ火を入れてやると、程なくしてそれは、大量の砲声という形で結実した。
銃弾とは比較にならぬ大きな鉛球が、唸りを上げて飛翔していく。目標は、味方に食いつかんとする敵だ。
ほぼ同時に、街道の脇……ぶどう園のある辺りからも砲声がした。それこそが、カデナが設置を指示した第二の砲列。トッレ村からの攻撃だけでは決定打にならないと判断した少女の、巧みな指示の賜物だった。
味方に食いつかんとした白い兵士たちはしかし、次の瞬間には七〇の砲の十字砲火に晒される。
途端に、彼らの損害が増加する。
その様子を見ていた鷹司は、これを好機と捉えた。
「敵を押し返しましょう。撃ち方始め」
少年将軍の指示を、他の部下が復唱し、兵士たちへと伝達していく。。
すぐにバリケードからの銃撃が始まり、砲撃で少なからず混乱する敵へ、容赦なく追い討ちをかけた。
「マシュンゴでの借りを返すときだ。我々も反撃する。撃て!」
「反撃してやれ! 今までやられた分をやり返すぞ!」
シルヴィと麻生も、自らの師団に反転攻勢の指示を出して、鷹司師団の攻撃に同調する。
だが、砲撃で混乱する敵は一部でしかない。いまだ健在な敵がそれに対して撃ち返し……閑静な田舎の村でしかなかったサン・ジュリアナの前面で、激しい銃撃戦が始まったのだった。
他方、自らの後方から聞こえる銃声に耳を傾けつつも、独自行動を取る部隊があった。
兵力二〇〇〇を擁するジェイニー・サックストン(
ja3784)将軍の旅団がそれである。
馬車に木材を積みこみ、敵に見つからぬようにしつつ、川へ向けて迂回する。
「味方の安否は無視します。崩れれば我々は戦わずに投降しますので、そのつもりで」
「はぁ……しかし、よろしいので?」
「まあ、安心してください。本隊が崩れない限りは、一応逃げるつもりはねーので」
あえて敵の後方に浸透し、川にかかる唯一の橋を押さえる。逃げ崩れた敵をそこで叩く算段だが、しかしそれは、サックストン旅団二〇〇〇名が敵中に孤立することも意味していた。
もし味方が負ければ、降伏するしか無い。そのぐらい危険な賭けでもあった。
「将軍、橋のほうに守備隊が見えます」
「……っ」
ジェイニーが報告のあったほうへ目をやると、川の対岸に敵の砲列。そして、橋に守備隊が陣取っているのが見える。
「見たところ、敵の兵力はこちらと拮抗しておりますが……如何しますか」
「後方の連絡線の守りを疎かにするほど、敵は馬鹿ではありませんでしたか」
兵力がほぼ同じ敵が橋という地形を守る以上、正面きって戦えば不利なのは明白だ。、
どうしたものかと、顎に手をやり考えることしばし。不意に、ジェイニーは副官へと問いかけた。
「ところであなた、水泳は得意ですか?」
同日、15時
サン・ジュリアナ村正面での戦闘は、共和国軍不利に傾きつつあった。
元々、共和国軍は全体的に補給不足で、食事すら満足に取れていない。一方の王国軍はこの日のために準備を万端としていたのだ。正面から戦えば不利なのは共和国軍だった。
カサルティリオ大隊の砲撃は続いており、王国軍に一定の出血を強いてはいたものの、敵を撃退するまでには及ばない。
「敵がバリケードを超え始めています!」
「くっ……周辺の兵を集めて撃退しなさい。橋頭堡を作らせてはなりません」
王国軍の一部が、バリケードを超え始めたようだ。バリケードの内側に敵に拠点を作られては、防衛線が崩壊する。
鷹司は冷や汗をかきながら、防戦の指示を出していく。
だが、そんな努力をあざ笑うかのような報告が、鷹司の元へと届けられた。
「敵の一部が南側から迂回しつつあり!」
バリケードの南端からの迂回を狙っているのだろう。兵力不足で、そこまで手が回らない。……だが、手を回さねば味方は瓦解する。
この苦しい中、次の一手をどう打とうか素早く思案を巡らせる鷹司に……しかし運命の女神は、微笑んだ。
「報告! 南方より友軍が接近中!」
馬上にあって微笑む雀原の表情は、見る者が見れば女神のようであったろう。
まだ負けたわけではない。兵士たちを不安にさせぬよう、余裕を見せるように笑みを浮かべつつ、雀原は指揮下の騎兵に命令を下す。
「速度そのまま弛めるな! 全隊突撃!!」
そして、馬たちを速歩から襲歩へと切り替えていく。途端に、彼女の周囲は地響きさながらの足音で騒がしくなった。
「目標は迂回しようとしている、あの敵よ! 行け行け行けぇ!」
しゅるりと剣を抜き放ち、目標となる敵のほうへと突き出す。陽光に銀の刃が煌いた。
騎兵たちが狙う敵も、どうやら彼女らに気付いたようだ。大急ぎで槍衾を整えようとしている姿が見える。
しかし、遅かった。
まるで鋭い槍の穂先のような突撃が、歩兵を主体とする敵部隊に、大いに突き刺さった。
たちまち、白い軍服が跳ね飛ばされ、蹴散らされていく。
「撃ち合うな! 斬り合うな! 撃って斬って蹴散らしそのまま駆け抜けろ!!」
雀原軍団の狙いは、迂回する敵の撃破だけでなかった。
そのまま一万の騎兵は、バリケードを攻め立てる敵兵の後方を北へ向けて突っ切っていく。敵部隊を前後に切り分けながら。
「今です。全軍反撃!」
鷹司はここで、二回目の反撃命令を出す。前後に分かたれ、後方を遮断された敵の前衛を打ち破れれば、味方は大いに勝利に近付ける。
シルヴィと麻生も、残る力を振り絞って反撃を命令した。
一方、雀原の騎兵部隊は敵を一文字に切り裂いて北側に出ると、再集結を開始した。
もちろん次なる突撃のためだが、その目標は味方と戦う敵の前衛ではない。
「整列急げ! 再突撃用意!! 狙いは怒鳴ってる偉そうなやつよ!」
そう、指揮官狙いだ。敵の指揮官がどこにいるのかは、見た目や雰囲気で察するしかないが。
やがて、雀原軍団は態勢を整え……再度の突撃を開始する。
再び響く地鳴りは、敵の後衛部隊を包み込み……は、出来なかった。
「将軍、敵が!」
「っ、しまった、全軍反転!」
雀原から、思わず笑みが消える。
敵は最初の突撃を見て、備えを整えていた。歩兵がそれぞれ外を向くカタチで、四角形になっている。そのような四角形の方陣が、いくつも展開されていた。
近付くまでに銃で撃たれる、近付いても突き出される銃剣で串刺し。あれこそは、騎兵の突撃に対抗して考案された歩兵の陣形。
しかし、一度速度が乗ってしまった騎兵は、そう簡単に反転出来るものではない。
雀原隊の眼前に、銃剣で出来た剣山が迫った――。
同日、17時。
後方と分かたれ動揺した王国軍は、ついに敗走を開始しつつあった。
一度敗走を開始すれば、立て直すのは難しい。後衛もその敗走する兵士たちの影響を受け、程なく逃げ始めるだろう。
バリケードはついに固守され、麻生とシルヴィは、五時間前には自分たちを追い回していた敵を、今度は逆に追い回し始める。
「深追いはしなくて良い!」
自分たちにそれほどの余力が無いことは承知している。シルヴィは深追いし敵に反撃される愚を犯さない。
一方、麻生のほうは敵の一個大隊を包囲下に置いていた。
「降伏すれば殺しはしない。国際法に則って遇することを約束する!」
その言葉に、怯えた王国兵が次々と武装解除されていった。
「あと一時間、一時間でこの戦いは終わります。もうひと頑張りですよ!」
鷹司も、味方を鼓舞して追撃を実施させ、敵の傷口を広げていった。
逃げ崩れる王国軍。
川にかかる唯一の橋に殺到する彼らだが……それを阻んだのは、まさかの共和国軍だった。
ジェイニーの旅団は、川を泳ぐことで敵の後背に出現し、守備隊を奇襲・撃破していたのだ。
そして、当初の予定どおりに橋を封鎖したのである。
「敵は充分に身動きを取れません、徹底的に蹂躙しなさい!」
必死の突破を図る王国軍を前に、ジェイニーは半月状に布陣した旅団へ命令を下した。
同日、19時。
「マシュンゴの戦い」は終わった。
共和国軍は危機的な状況を逆転し勝利を得たが、しかし王国軍を完全に打ちのめすことは叶わなかった。
それでも、この勝利は革命戦争において大きなアドバンテージとなろう。
その勝利をもたらした六人の将軍。彼らを、後世の人々はこう呼んだ。
「マシュンゴの英雄」と。
終