陽は高く中天に昇っていた。
アスハ・A・R(
ja8432)は断崖から望める景色を視界に入れる。眼下には森林地帯。峠道になっている作戦展開地点にはもう一人、「高いなぁ」と声を漏らすエイルズレトラ マステリオ(
ja2224)の姿があった。
先んじてバスで合流していた二人は既に作戦概要を頭に入れており、アスハはその要として動く事を前提にしていた。
「エイルズレトラ。僕のやり方は承知しているな? 言っておくが、味方をわざわざ識別してやるほどに器用だとは思っていない。何よりも今回の標的、一体ずつよりも多数を一撃の下に討伐する事が優位なのは目に見えている」
アスハの言葉にエイルズは手でひさしを作って応ずる。
「分かっていますよ。まぁ、今回。一番の脅威は少女の変じたハーピー型よりもあなたの雨、だという事は承知していますから。今回最も厄介なのは敵よりも」
その視線がアスハに向けられる。むっ、とアスハが反応した。
「……平等主義者の公平爆撃ですかねぇ」
「分かっていればいい」
アスハは鼻を鳴らして断崖を覗く。
「死してなお、空を飛ぶ悪魔の使いとなる、か。理解できんな」
「はい、こちらは封鎖線を既に地元警察と共同して張っておきました。この峠道は今日一日、工事という名目で封鎖してあります」
雁鉄 静寂(
jb3365)が片手に携帯を持って応対していた。相手はゼロ=シュバイツァー(
jb7501)だ。今次作戦において囮役を買って出た男は今運転中らしく、同乗しているラファル A ユーティライネン(
jb4620)の携帯にかけている。
『そうか、助かったわ、雁鉄さん。しっかし、アスハさんの攻撃を避けなあかんとは。ホンマに、困るで』
笑い話にしようとするゼロに静寂は通話口で微笑む。
「それも作戦のうちですからね。エイルズさんも言っておられました。一番の脅威はアスハさんの雨だ、って」
通話先でゼロが快活に笑う。
『そりゃあ、そうやな。まぁすぐに着くから道路封鎖とかそっちの方面は任せたで』
通話を切り、静寂は息をつく。
地元警察との連携。及び、作戦時までの位置取りは綿密に行わなければならない。連携も然り、だ。今回の作戦に同行する人々の携帯の番号は控えてあった。
「あっ、そういえばフローライトさんのは聞いていませんでしたね、番号……」
周辺を鋭い双眸で警戒する小柄な少女、フローライト・アルハザード(
jc1519)に声をかける。
しかし返ってきた答えは素っ気なかった。
「不要だ」
「不要、と言いましても、作戦時には連携が不可欠です。アスハさんの攻撃が今回の要となるんですから、巻き込まれでもしたら」
「不要だ、と言っている。私には私の考えがある。それに中距離で攻める私のやり方ならば、人間の攻撃をいちいち気にかける意味もない」
無感情でぶっきらぼうなフローライトの対応に、静寂はため息混じりに呟いた。
「……大丈夫かな」
「俺、ここに位置取って狙撃をかけるぜ」
ラファルが指差したのは峠道の上層であった。
ゼロはハンドルを握りながら、「おう」と首肯する。
「俺は今回、囮やからな。そっちの攻撃頼みで行くわ」
「にしてもなぁ。自殺の名所ね。どうせ死ぬんなら大人しく成仏しとけばいいのに悪魔なんかに利用されやがって」
トレードマークのペンギン帽を弾き、ラファルは苦々しい思いを噛み締める。
「死ぬんは勝手やけれど迷惑かけたらいかんなぁ」
ゼロも同意だった。今回、天魔に利用されたのは人の心の脆さ。死を選ぶという愚かさにある。
「まぁ、ラファルさんには関係ないけれど。どんな姿であれ、天魔だって言うんなら駆除してやんよ。生きたくても生きられない奴だっているのにな」
夜の帳の落ちた峠道。
金色の瞳を滾らせて飛び立った影が四つあった。
腕に代わって有しているのは両翼である。羽ばたいて山間部を見下ろす四体のハーピー型は今宵の獲物を探してぎらついた眼差しを向けていた。
「今や。行くで」
そのハーピー型の視界に入ったのは二つの飛翔した影である。
ゼロは黒翼を広げさせてハーピー型にわざと目立つように飛んでいた。
シルクハットに仮面の正装姿のエイルズも同様である。こちらへと注意を引きつける。
仕掛けにかかったのは三体であった。
うち二体はゼロのほうへと向かってくる。ゼロは武器を構えて攻撃に備える。
ハーピー型が鉤爪を突き出して攻撃を仕掛けようとする。
ゼロは構えた大鎌で鉤爪の一撃をいなした。
「悪いが突破はさせんで! んでもってここからは」
「――僕のターンだ」
火線が開き、ゼロを後方から襲おうとしていたもう一体のハーピー型の動きを捉える。
峠道の中でも見通しのいい道路の中央に立つのはアスハであった。
「PDWの牽制は通用しない、か。ある程度予測はついていたがな。だからこそ……」
アスハは武器を持ち替える。その手から伸びたのは目を凝らさなければ見えないほどの極細の糸であった。
「天覆う災禍の雨、だ……。受け取れ」
静かに放たれた詠唱と共に極細の銀糸――フラーウムを掲げて形成したのは魔法陣である。
その魔法陣が上空のハーピー型を捕捉した。
広大な森林地帯へと降り注いだのは蒼く輝く光の雨だ。微細ながらも威力を発揮する魔法の散弾――蒼刻光雨。
魔法の雨に晒されてハーピー型の翼が焼け爛れる。一体が耐え切れなくなったのか降下を始めた。
「外す気はないのでな……」
アスハが手を掲げたまま薙ぎ払う。
「何でや。主に味方からの殺気を感じる……」
ゼロは引きつった笑みを浮かべながらも、まだ諦めていないハーピー型の上を取る。
「飛ぶのは苦手か? 残念! 俺は超得意や!」
空中でつんのめったハーピー型へと、返すように一撃を叩き込んだ。
「悪いなぁ! 巻き添えは御免やで! ホンマに、こっちも死んでまうんでな!」
ハーピー型を蹴ってゼロは離脱する。
蒼い雨がハーピー型の胴体を貫き、悲鳴が迸った。
「一体、墜ちてきた、か」
アスハの声に翼を焼かれたハーピー型が姿勢を立て直して襲いかかろうとする。
それを阻んだのは新たに巻き起こった火線であった。
弾丸がハーピー型の顔面に命中し、そのまま仰け反る。
「当たりました、ね。さて、ここからです」
PDWを構えた静寂が磁場形成を用いて瞬時にアスハの援護に回った。
そのまま接近し、ありったけの弾丸を叩き込む。森林地帯に沈みかけたハーピー型だが、爪を立てて制動をかける。
しかし既に接近していた静寂はPDWを携えたまま、片手を開く。
形成されたのは雷の剣だ。断崖ギリギリで保ったハーピー型を、静寂は切り伏せる。
「……退き際は、潔いほうがいいですよ」
次いで目線を向けたのはゼロが叩き落そうとしたもう一体だ。
静寂は射程外であったが、銃声が木霊した。
目線を振り向けると、峠道の上層の木々に光学迷彩で隠れていたラファルが姿を現す。
「細工は上々。後は仕掛けをごろうじろ、ってな」
ハーピー型が視線を振り向けるが、その時には既にラファルは移動を始めている。
狙撃は位置取りを知られれば終わり。
崖を滑るように移動しつつ、スナイパースコープを覗き込む。
「もう一撃!」
放たれた一撃がハーピー型の頭部を打ち据える。そのまま沈黙したハーピー型は墜落していった。
「さて、こいつだけじゃないんだよね」
機動戦車のように即座に反転したラファルが目標に捉えたのはエイルズの応戦しているハーピー型だ。
エイルズはトランプを周囲に展開し、ハーピー型の動きを阻害する。
「タップダンサー。しっかり踊ってもらいますよ」
シルクハットを目深に被り、エイルズはハーピー型を翻弄する。もう少しで手が届きそうになったところで空中ステップを踏み、常に相手との距離を一定に保っていた。
「背中が! がら空きじゃん!」
ラファルの背筋が開き、内奥から出現したのは巨大な砲門である。四連装の砲台から発射されたのは鎖であった。鎖がハーピー型に絡みつき、そのまま地面へと自由落下させる。
鳴き声を上げて殿を務めている仲間を呼び寄せようとする。
その隙をアスハは見逃さなかった。
「遠慮するな……。たっぷりと味わえ」
片手を翳したアスハが一挙に打ち下ろす。
青白い槍が構築され、ハーピー型を激しく打ちのめした。
――凶藍槍雨。
恐ろしく精度の高い槍の雨にエイルズまでも巻き込まれかねなかった。
ステップを踏んでエイルズは奇術師さながらシルクハットを傾ける。
「止めは……おっと、危ない危ない。僕でなければ直撃でしたねぇ」
「あと一体!」
ラファルが最後に残った一体をスナイパーライフルで捉えようとする。最後の一体は、今しがた撃墜された仲間の仇とでも言うようにアスハへと飛び込んできた。
「悪いが中距離は……」
「私が引き受ける」
言葉尻を引き継いだのは小柄な影である。
峠道を跳躍し、フローライトが飛び上がる。
その手から放たれたのは黒い鎖であった。鞭のようにしなり、襲いかかろうとしたハーピー型を拘束する。
ハーピー型は逃れようとするが、その鎖は翼の付け根に集中的に絡みついており、その非力さでは外れなかった。
「空を飛んだ気分はどうだ? 願いが叶って満足か? 人間であったのならば守ってやるのだが、魔に堕ちた以上は排除する。慈悲はない」
鎖が魔力を帯びて一気に重量を増し、飛行したフローライトはハーピー型を振り回す。
断崖へと叩きつけ、森林へと放り投げた。
「ひゃー。ほんまに慈悲の欠片もないなぁ」
ゼロですら圧倒されたようにそれを見やる。
投げ飛ばされた先にいたのはラファルと静寂である。
ラファルは広域射程の四連装砲台から鎖を発射した。
「墜ちろ!」
フローライトに投げ飛ばされたせいで自身の姿勢制御さえも困難であったハーピー型は即座に絡め取られてしまう。
重力に負けて落下してきたのを、静寂が照準した。
「こんな悲しい連鎖は、終わりにしましょう」
PDWが火を噴き、ハーピー型を下半身から上半身にかけて攻撃する。
鉤爪を立てる気力もないらしく、最早戦闘意識の失せたハーピー型はそのまま地面に倒れ伏した。
すうっと薄くなってその骸は溶け込むように夜空に消えていく。
「せめて、成仏してくれれば、それに勝る事はないな」
元に戻ったラファルがペンギン帽を弾いて声にする。
静寂も両手を合わせてその魂の平穏を願った。
断崖で恋人を失った女性へと連絡したのは静寂である。
ハーピー型の駆逐を伝え、彼女を現場に連れてきた。
恐らく辛い思い出が蘇ったのであろう。静寂の胸で泣いた彼女は花を手向ける。それは恋人のためであったのだろう。
その他にも断崖にはいくつか花が手向けられていた。
今回の討伐任務に参加した撃退士達がそれぞれ魂の無事を祈って送ったものだ。
「結局よー、空を飛びたい、なんて分不相応な願いなんだよな。人間にとっては」
車中でラファルは景色を眺めながら呟いた。
自分の境遇を重ねているのか「人間」という部分にこだわった声音だった。
「人間は願う。願わなければやっていけないのだろう。それがたとえ割に合わない願いであっても。それが、私には半分ほど理解できかねる。それに人を害するのならば例外はない。排除するまでだ」
応じたのは後部座席に乗ったフローライトだった。彼女は天魔だ。人間の願望は半分ほどしか理解できないのだろう。
「必要、不要のラインやないんやろうな。きっと、願わずにはいられんかった境遇もあるんやろ」
ハンドルを握るゼロは供養のために清め酒を用意しておいた。
「なんかなー。ラファルさん的には化け物になってまで飛びたいってのは分からんよなー」
ペンギン帽を弾き、ラファルは息をつく。
「理解されとうてやったわけやないやろ。着いたで」
到着したのは静寂が既に待っていた事件のあった断崖である。
花が手向けられておりゼロは微笑んだ。
「アスハさんに、エイルズさんも、きっちり思うところはあったんやな」
「私は自殺サイトの後始末をしておきます。……もう、こんな悲しい事は続けさせたくありませんから」
清め酒をばら撒き、ゼロは手を合わせた。
「飛びたいんなら、誰にも迷惑かからんように飛んでおきな。せめて、空の向こうには彼女らの居場所があらん事を」
山間部の向こうから黎明の光が差し込み、涼しげな風が吹き抜けた。