桜の季節だからと言ってディアボロまで活発になったのでは困る。
そう結んだ雫(
ja1894)に雪室 チルル(
ja0220)は俄然やる気の様子であった。
「お花見を邪魔するなんて生意気ね! あたいが全部やっつけてあげる!」
視界に入る限り、並木を覆っているのは粘性の糸による結界。見た目も糸に過ぎないが、触れれば即座に気配を関知される鉄の要塞だ。
ディアボロの陣取りはあながち間違いでもない。
桜の樹の上に巣を作っていれば視界は良好。かかった獲物をすぐにでも始末できると言う寸法だろう。
「……ですがいささか浅はかですね。自然界の法則に則って共食いでも始めてくれれば楽なのに、同じ巣に三体。毛虫ではなく大蜘蛛の類とは」
ため息をこぼした雫に比してチルルはファイティングポーズを取る。
「あったかくなってきたら、動きやすくなったわ! こっちの闘争本能を舐めたあっちの負けは確実よ!」
「ならばいいのですが……虫というものは元来、煩わしく、発生源も不明なもの。蜘蛛の巣にかからずに相手を葬るのには、こちらも策を練る必要がありますね」
雫は桜並木を侵食する結界を忌々しげに睨み据える。
「そこで巣を張って見ていなさい。人間は、そこまで甘くないですよ」
どんな虫が嫌いか、という瑣末な議論が紅 鬼姫(
ja0444)の口から漏れていた。
アンナマリ(
jb8814)は熟考するまでもなく応じる。
「足のないニョロニョロですわね」
「鬼姫、どんな虫であれ邪魔する相手は大嫌いですの」
アンナマリはどこか憂鬱げにため息を漏らす。
「クモは平気ですわ。すぐに始末して差し上げましょう。紅さんも、その心積もりでしょう?」
「無論、敗北するなどあり得ないですわ。アンナマリ、あなたはどうなのでして?」
「わたくしは、この国の象徴たる桜は大切なものだと思っております。それを穢す者、たとえ虫けらの類でも許すことはないでしょう」
鬼姫は鬼の赤い瞳でアンナマリを見据える。
「お互いに理解は正しいようでしてね。虫けらに、思い知らせて差し上げましょう? この桜、穢すことの罪深さを」
視線の先には糸の結界を張り巡らせた大蜘蛛がまるで王のようにふんぞり返っている。鬼姫の血は、それそのものの在り方を許せない。
季節の王を気取るなど、それはあまりに傲慢。この場所で何が等しく、何が尊いのかを教育する必要があるだろう。
アンナマリも同意見のようであった。
「……桜の樹の上で、まるで王様のよう」
「そうでしてね。蜘蛛の王はしかし、地獄の鬼の所詮は使いパシリ。どちらが優れているのかを、今一度お教えする機会に恵まれたこと、感謝することでしてね。ディアボロ」
その眼光に迷いはなかった。
「せっかくの桜の季節というのに……月に群雲、花に風、というと何かが違うが……まぁ、あれじゃ。桜に蜘蛛は似合わん。殊に彼奴らのような殺人蜘蛛などはな。桜を人の血で染めるでないわ、たわけめ」
鼻を鳴らした白蛇(
jb0889)に鬼塚 刀夜(
jc2355)は飴を齧る。
「殺人蜘蛛かぁ。血染め桜って言うのは荒廃した戦場ならば映えるかもしれないけれど、こんな場所で咲かせるのは無粋だね。さっさとご退場を願おう。そんでもって、花見としゃれ込もうよ」
白蛇は腰に手をあて刀夜へと振り向く。
「おぬし、気は合うようじゃな。その刀から漏れておる鬼の殺気も、あながち飾りではないようじゃ」
「当然。戦いの前だからね。昂っているのさ。僕も、鬼羅も」
その黒鞘に収まった妖刀はやはり斬るべき対象物を探っているのだろうか。白蛇には斬り合いの刹那に全てを賭ける鬼の生き方が刀の求め得る鮮烈な味に思われた。
「連中、足捌きが自慢と言うぞ? おぬし、刀に相当な自負があると見える。して、斬れるか?」
白蛇の浮かべた疑問に刀夜はナンセンスとでも言うように鬼羅を掲げる。
「斬れるか、っていうのは、ちょっと物言いとしては違うかな。――斬るんだよ。何が相手でも」
まさしく相手が神を気取る存在であっても、とでも言いたげだ。その返答に白蛇は満足する。
「よし。なれば斬ってみせよ。その太刀筋に違わぬ実力、期待しているぞ」
大蜘蛛の関知野がふと、空中に位置する敵を感じ取る。
だが飛び去るのならば何の問題もない。脅威度は下だ、とその判定を下そうとしたのを業火の檻が遮った。
他二匹との情報の同期が成される前の出来事であった。
炎を放った鬼姫はのたうつ蛇の炎に鼻を鳴らす。
「どうにも、出来損ないの大蜘蛛たちの棲み処を一番に騒がせる手段を講じてみたのですの。火の手を上げた一匹はどう足掻くか、見物ですの」
結界の縦糸に触れる。その瞬間、大蜘蛛ディアボロの関知網に鬼姫の姿がようやく捉えられた。視えていても意味を見出していない、という事前情報は当てになった形だ。
「一応は潜入の心得で来たのですが、それも必要なかったようですの。さぁて、成功すれば僥倖、失敗すれば、少しばかりハードな鬼ごっこですの」
翼を顕現させた鬼姫が桜並木を滑空する。ルートが作られた、という報告に雫が召喚陣を練り上げた。
「ヒリュウ! 威嚇しなさい!」
召喚されたヒリュウが蜘蛛の策敵範囲に入る。吐き出された糸の塊をヒリュウは素早く回避する。
しかし無双の速さはヒリュウの回避速度を凌駕した。
蜘蛛がその回避軌道を読み取り、事前に立ち現れる場所へと先回りする。
ヒリュウを新たに召喚しようとして、雫は蜘蛛の射線に入っていることに気づいた。
横滑り気味のステップで蜘蛛の節足の一閃を避け切る。
「さすがに! 巣の中では無双ですか!」
でも、と大剣を掲げその節の弱点を狙い澄ます。定石ならば節足と節足の間、関節部位が弱いはず。
奔った節足の刃を剣の腹で受け切り、火花を散らせつつ膂力を発揮した。
呼気一閃。放たれた斬の一波はしかし、節を完全に断ち切るのには至らない。
――攻撃に際し、馬力が足りない、と痛感する。今の反撃はあくまで相手の速度を利用した代物。こちらのペースに巻き込まなくては斬らせてくれない。
刃節が雫を関知し速度を増して真正面から空気の皮膜を破ってくる。
刃で受けるもあまりの衝撃波に遅れを取りかけた。
その時、六角形の盾が干渉部位と足元に宿り、防御のために必要な足場を形成する。足先に力を込め、渾身の間合いで弾き返した。
「ありがとう……アンナマリさん」
「呪われていたと思っていた血でも、こういう時には役に立つものですわね」
アンナマリへと攻撃の照準を変え、蜘蛛が節足を鞭のようにしならせる。翼で飛翔したアンナマリは武器を弓へと持ち替えた。
「聖なる炎で焼かれなさいませ」
射抜いた炎が瞬時に燃え広がり、蜘蛛の体内から銀色の火の手が上がった。
悶える蜘蛛が逃げ場所を探そうとする。
その先に待ち構えていたのは、チルルの大剣であった。
「ようやく来たわね! 待ちかねたわ! そして、さよならよ!」
断罪の刃が迸り、蜘蛛を一刀両断する。
まずは一体撃破の報告をもたらしつつ、雫とアンナマリは次なる標的の移動を耳にしていた。
『こちら紅。大蜘蛛はポイントB地点へと移動を開始しましたの。鬼姫を追ってくるようですが、迎撃に出られるのは?』
「B地点なら白蛇さんが……! こちら雫! 白蛇さん、標的は……」
『見えておる、のう』
白蛇は鬼姫を追ってこちらへと猪突してくる大蜘蛛をその視野に入れていた。
「しかし、蜘蛛が縦横無尽に暴れ回るなど……詫び錆びの欠片もない。これではぱにっく映画、という奴じゃ」
顕現し召喚に応じたのは己が分身の一つ――権能、雪禍である。
雪禍が咆哮し、氷結の壁が構築されていく。
「雪禍、我が司よ。我と道標を伴い、応えよ!」
感覚が共有され、雪禍の力強い咆哮が己の精神と同調していく。
雪禍が跳ね上がり、蜘蛛の頭部を足蹴にする。蜘蛛の節足の刃が天蓋のように頭上を覆うも、雪禍はその速度を凌駕して躍り出ていた。
流星が如くその軌道を蜘蛛が読み切れずに足を絡まらせる。
「自らの放った糸で自らを雁字搦めとするか。所詮は鬼の遣い、鬼事において、真の鬼には勝てんということじゃな」
鬼姫が雪禍の作り上げた壁を蹴りつけて別の軌道を目指して飛んでいく。最後の獲物のための布石は打たれた。
「任せましたの」
今、自分がすべきなのはこの蜘蛛を逃さず、完全に滅殺すること。
雪禍の非情なる攻撃網が蜘蛛へと叩き込まれた。
牙と前足による連打に蜘蛛がひしゃげる。
「さしもの大蜘蛛でも、取り回しにおいてその節足はあまりに長く、ゆえに、その射線はわしの司の動きを捉えられん。長さが仇となったのう」
蜘蛛が自らの節足へと牙を軋ませた。その口腔部が無用となった節足を引き千切り、こちらへと糸と共に質量武装として放り投げてくる。
射線に雪禍が躍り出てその攻撃を遮った。
「……悪食が。己が足さえも喰らうというのならば、最早その足、よほど要らぬと見える」
刹那、雪禍が駆け抜ける。蜘蛛の糸を瞬時に切り裂き、その牙と爪が複眼へと食い込んだ。
「巻き起こせ、辻風。雪禍」
雪禍が吼え立て周囲へと旋風を巻き起こす。煽られた形の節足の脆い部位が軒並み折れ曲がった。
氷結の結界陣の中へと放り込まれた大蜘蛛が末端から凍らされていく。
瞬間、大蜘蛛の節足の一つが白蛇本体へと疾走した。
「……愚か者め。桜を穢した代償、貴様らの命では贖えんほどに、高くつく」
節足が宙を舞い、並木道に突き刺さる。
雪禍の爪が大蜘蛛の横腹を引き裂いていた。
「此れにて、二体目。はてさて、最後の愚者を葬るとしようか」
通信に吹き込んだ声に飛翔する鬼姫が最後の大蜘蛛を視野に入れていた。
「鬼さん此方、ですの」
縦糸にわざと触れてやり、その場所へと誘導する。
大蜘蛛はなだれ込むように最終地点へと到達した。
その意味を成さない視野の先には、遣いではない鬼が佇む。
血染め桜の饗宴を彩る、鬼羅の刃を伴って。
「座興は、これで終いにしよう」
刀夜へと節足の槍が見舞われるが、その時には実体はそこにはない。残像を引いた銀の刃が節足を根元から断ち切っていた。
返す刀が細かい糸を断裁し、大蜘蛛から関知を奪い取ろうとする。
大蜘蛛がまるで独楽のように回転し刀夜を振り払おうとする。刀夜は蹴りつけて離脱し、節足の刃の網を刀一本でいなした。
「……この程度、か」
身体ごと回転し節足をそのままの勢いを殺さずに弾き返す。宙に固定されたかのように硬直した節足へと刀夜は飛び上がっていた。
そのまま足場にして大蜘蛛へと目がけて駆け出す。
大蜘蛛が口腔部を膨らませた。
舌打ちと齧った飴が砕けたのは同時。
跳躍した刀夜が回転軸を作り出す。その刃に烈風が宿った。
硬直していた節足の一つを蹴って力場にする。
「食らい知れ。破城閃」
直進する鋭い突き技が大蜘蛛の口を上から押さえつけた。
糸を吐き損なった大蜘蛛が動きを止めたのを刀夜は見過ごさない。節足を蹴り、立体的にその包囲陣を突き崩す。
「ひぃ、ふぅ、みぃ……数えるのもめんどくさいや」
刃の暴風が関知に使われている糸と足を吹き飛ばした。
鬼羅の切っ先が大蜘蛛の頭部を狙い澄ます。
しかし、沈黙させる一撃に足るには足場が一個、足りていない。
「……もう一個」
呟いた刀夜の足元へと六角形の盾が構築された。
アンナマリがもしもの時のために弓を番えている。
「この距離は、あなたのものでしょう?」
その言葉に刀夜はフッと口元を緩める。
「感謝するよ」
蹴りつけて大蜘蛛の頭部を割った。両断された大蜘蛛の頭蓋が血の糸を引いて露になる。
銀の閃光を刻みつけ、刀夜は刀を仕舞った。
「終わった、ね」
「残骸と糸の回収は行いました。無論、一本も残していません」
報告を終えた雫を尻目に静かな花見が催されていた。
アンナマリがはちみつゆず茶をすすり、ホッと息をつく。
「戦いの後はやっぱり甘いものですわね」
彼女の膝元には花の百科事典が置かれている。白蛇が酒を所望していた。
「宴席と言えば酒であろう? 嗜まぬのか?」
「鬼姫、夜桜を眺めるのが好きですの。今宵の月は、めっぽう綺麗ですのね」
「甘いものがいいのは同意。飴は素晴らしい。休めるうちに休んでおくのも戦士としての義務だからね」
刀夜が珍しい味の飴を配る中、チルルがそれを口いっぱいに頬張る。
「色んなお味でおいしいのね! やっぱり甘いものが一番ね!」
「……もう、ずるいですよ。私も混ぜてください」
頬をむくれさせた雫が花見に混じる。
何に染まるわけでもない。桜は刹那の輝きと共に月下にひらひら舞い散っていた。