夜の帳が降りていた。
今宵もショウが始まる。殺戮ビデオの幕が開き、人々は恐怖し、その映像を捉えるのを目的としたサイクロプス型のディアボロ三体が顔を上げてぎょろりと周囲を見渡した。
この三体には自我はなく、ただ殺傷を撮影する目的のために造られた純粋なる殺人マシーンだ。キィン、と音を立てて一つ目が起動し、獲物を探すべく三体ともが動き出そうとした。
その時である。
「なるほど。事前の調べ通り、マネキン工場か」
冷徹な声音に三体ともが振り返った。その眼差しの先には豊かな金髪の女性が佇んでいる。髪をかき上げたエカテリーナ・コドロワ(
jc0366)は、「やれやれという奴だ」と片手に携えた武器の安全装置を外す。アサルトライフルが月光に反射して鈍い光沢を放っていた。
「さぁ、出て来い! 今度は、我々が貴様らを血祭りに上げる番だ!」
エカテリーナの挑発にサイクロプス型のうち一体が乗った。爪を引き出して一気に肉迫する。その素早さにエカテリーナは動じる事もない。
「速い、が、それも所詮は撮影目的での速さ。天魔の映像の見方は知らんが、目視可能範囲を超える速度は出せない、だろう?」
エカテリーナの直上を取ろうとしたサイクロプス型を拳で捉えた影があった。
翡翠 龍斗(
ja7594)が眉間に皺を寄せる。
「捉えた。天魔、お前という悪夢を終わらせる」
拳の命中したディアボロが跳ね飛ばされ、マネキンを巻き込んで倒れ伏す。前に出た龍斗が構えを取る。エカテリーナがアサルトライフルの銃口を三体に向けた。
「狩られる側の痛みを、苦しみを、存分に味わって死ね!」
光纏が発生し、青白い眼光のエカテリーナが引き金を引く。
――アウル炸裂閃光弾頭。
夜間の闇を引き裂き、暁の輝きを誇る弾丸がサイクロプス型を引き裂かんと迫る。マネキンを巻き込んで倒れたサイクロプス型が足を撃たれて転がり、他の二体は先んじて闇に紛れて逃げ出した。
龍斗が息をつく。
「エカテリーナ。逃がしたようだが」
「なに、これも作戦のうち、だろう?」
エカテリーナはこめかみにつけた小型カメラを指差す。
「どっちの趣味が悪いんだか」
逃げ出したサイクロプス型のうち一体は工業団地を抜け、縦貫道に入ろうとしていた。先ほどの撃退士のような射程の長い敵を警戒して、団地を巡り、縦貫道で他の二体と合流する手はずだ。最悪一体でも生き残ればいい。その場合、他の二体の記録を引き継ぐ機会が一瞬でもあればよかった。サイクロプス型が細い道筋に入っていった瞬間、眼前に盾が出現した。その盾に真正面からぶつかり、サイクロプス型が仰け反る。
「最初に射程の長い撃退士を見せつけてやれば、相手は団地に入るに違いない、って」
翡翠 雪(
ja6883)は宝石と鋲を散りばめた血濡れの盾――ブレクリウを顕現させ、サイクロプス型を鋭く睨んだ。
「出ましたね。こんばんは、招かれざるモノ」
サイクロプス型が姿勢を沈めて構えを取る。相手は一人、そう判じたのか縫い付けられた口腔を開き、甲高く吼える。
「……耳障りな。常盤さん!」
「分かってるけどぉ!」
サイクロプス型はその声で振り返る。いつの間にか至近の距離まで近づいていた常盤 芽衣(
jc1304)が叫び声とほとんど大差ない声音で武器を振るい落とす。
少女の身の丈をゆうに超える黒色の大剣がサイクロプス型の脇腹へと深々と突き刺さった。血まみれのサイクロプス型が咆哮するが、それに負けないような悲鳴が木霊した。
「やっぱお化けじゃん! 何これ! めっさ、怖いぃ!」
ほとんど絶叫に等しい声を続ける芽衣に落ち着き払った雪が指を鳴らす。鎖が空間より展開され、サイクロプス型を縛り上げた。
「サイクロプス型ディアボロです。あくまでディアボロですよ?」
「いや、分かっちゃいるけれど! 分かっちゃいるけれどねぇ!」
芽衣が悲鳴と共に大剣を薙ぎ払う。吹き飛ばされたサイクロプス型の退路を阻むように盾を装備した雪が肉迫する。
「私は盾。全てを征し、全てを護る。小間使い程度のディアボロが、思い知りなさい」
弾き返されたサイクロプス型が再度、芽衣へと迫る。芽衣は、「ひー!」と涙目であった。
「お化け、怖いよぉぉぉぉ!」
鎮魂の名を持つ大剣がサイクロプス型を真正面から両断する。半身と生き別れになったサイクロプス型が手を伸ばし、逃げようとするのを雪が足で踏みつけた。振り返ったサイクロプス型の一つ目が罅割れている。
その眼が映し出したのは圧倒的な殺意を滾らせる撃退士であった。
「録画かどうか知らないが、視てるんだろう? 貴様のようなタイプの悪魔には、こう言う事にしている。Why Don’t You Come Down……。その時には、歓迎しますよ。盛大に、ね」
雪は無慈悲に、罅割れた眼球に向けてその手に携えた盾を打ち下ろした。
「こ、怖っ。雪君、怖っ……」
その様子を眺めていた芽衣は何度か声にしてから呼吸を整え、普段の口調に戻った。
「ま、まぁ、作戦勝ちだね。悪魔がいかに我らを愚弄しようと、その牙がかかる事はないと心得るがいい!」
先ほどまでの涙声はどこへやら。雪は嘆息を漏らす。
「ゼロさんの作戦通り、事は進んでいます。昼間の打ち合わせが役立ちましたね」
「俺は、このディアボロ。三チームに分かれて倒すのが正答だと思っとる」
ゼロ=シュバイツァー(ja7501)の進言に六人が一同に会していた。ゼロは事細かに配置を告げる。
「エカテリーナさんと龍斗さんはまず、敵の棲み処とされているマネキン工場から攻めて欲しい。その場合、龍斗さんが前衛、エカテリーナさんが後衛で」
「根拠は?」
エカテリーナの声にゼロは、「アウル炸裂閃光弾頭は脅威に映りやすい」と応じる。
「相手がそれこそスナッフフィルムよろしく派手さを求めるのならば、それは一回こっきりのほうがビデオ的な見栄えになる。つまりエカテリーナさんとそう何度も戦闘をしたくないのが相手の本能だと思われるんやな」
ゼロの分けたチームは三つ。まずB班の配置である龍斗とエカテリーナによる強襲。それによって相手を分散させ、退治しやすくする。
「雪さんと芽衣さんは、ここ。A班として団地内に待機で。かまへんか?」
「構いません。今日ここで、終わりにしましょう。これ以上の狼藉を許すわけにはいかないのですから」
やる気のある声にゼロは手応えを感じる。芽衣へと視線をやるとがたがた震えていた。
「怖いん?」
「こ、怖いわけないだろう! ち、鎮魂の剣の敵じゃないんだよね!」
高笑いを続ける芽衣を無視してゼロは自分の班員に目線をやる。
「んで、C班の俺と龍実さんやけれども、俺らはこっちに逃げてきた奴を」
「どうするんだよ?」
志堂 龍実(
ja9408)が胡坐を掻きつつ質問する。ゼロはにやりと笑った。悪い笑みである。
「追う。それだけや」
逃げ切った、かに思われた。記録を引き継ぐ。そのためにサイクロプス型は団地に逃げた個体とは別に工場の屋根を跳ねた。トタン屋根が軋み、サイクロプス型が周囲を見渡した。敵はいない、と判じたその耳元に声が弾ける。
「敵はおらへん、って安心したところで冷水浴びせられる感覚は、どうや?」
その声にサイクロプス型が咄嗟に攻撃に転じようとするが、それよりも放たれた一撃のほうが速かった。
紫色の焔が燃え上がり、巨大な悪魔の鎌が宵闇を染め上げる。
「ほうれ、食らいなさいな!」
ゼロの放った一撃にサイクロプス型が吹き飛ばされる。縦貫道の道の真ん中で爪を立てて制動をかける。その視野にゼロを捉えようとしたサイクロプス型は背後に気配を感じ取った。
「その視線は厄介だからな」
白と黒、相克する剣を保持した龍実がサイクロプス型の首を刈るように逆手に握った剣を振るった。しかしその手応えに舌打ちする。
「浅い……」
「かまへんで、龍実さん。ちょっと試してみたいのもあるし」
「例の鏡か」
起き上がったサイクロプス型へと龍実が向けたのは鏡であった。その鏡に映った途端、サイクロプス型の四肢が麻痺し痙攣を始める。
「やっぱりな。こういうのは視たらあかんねん。あっちにも通用するってのはおもろいな」
「決めるぞ」
「ほいな! ちまちましとってもしゃあないしな! 一気に行くで!」
サイクロプス型は爪を立ててそれを自身の足に突き立てた。血が迸るが、麻痺は解けたようだ。
「ほう、痛みで誤魔化すか。痛覚があるかは知らんが」
サイクロプス型は即座に跳躍しようとする。それを阻んだのは漆黒の光纏を顕現させたゼロだった。鎌を振るい上げ、サイクロプス型の行く手を遮る。
「悪いな、通行止めやで!」
道路を引き裂き、粉塵が舞い上がる。視界を潰されたサイクロプス型が戸惑うように首を巡らせた。
「なぁ、視てるんだろう?」
その背後から声が聞こえてくる。サイクロプス型の背後に回った龍実が相克の剣をその首筋に引っ掛けていた。
「オマエが誰かは知らないが……、必ずこの非道な行為を止めてやる。首を洗って待っていろ」
サイクロプス型が振り返り様の爪を放とうとする。その前に龍実の剣がその首を掻っ切った。本体と生き別れになった単眼の頭部が吹き飛ぶ。肉体はまだ活動を止めておらず、僅かにのたうっていた。
「ホラービデオちゃうねん。これはあくまで実況、って奴でな」
ゼロが肉体を踏みつけ、こめかみに装備した小型カメラを突く。
「驚かされる側の気持ちってのも、分かってもらわなあかんなぁ」
笑みと共にゼロは肉体を吹き飛ばした。頭部が縫いとめられた口を開いて断末魔を上げる。
「頭残っとるいう事は、相手に繋がるもんも得られる、言う事や」
「分かっている。久遠ヶ原で解析を頼もう」
縦貫道で記録を統合し、その後、この工業地帯を捨て、撃退士から逃げ切らねば。屋根を伝い、様々な小道を使って縦貫道にやっとの事で辿り着いたサイクロプス型は、街灯を背にして佇んでいる六人の撃退士を視界に入れた。
「おんやぁ。遅いご到着で」
ゼロの茶化す声に龍実が続ける。
「あとの一体は全員で潰しにかかるぞ」
「言われなくても……」
龍斗が構えを取る。雪も盾を携えた。
「私達が……護る!」
「いやぁぁぁ! まだいるじゃない! もう、やだ!」
芽衣の悲鳴にゼロが微笑む。
「さしずめ、芽衣ちゃんからすれば、真夏のホラーショーやからなぁ」
「繰り言はなしでいく。チェックメイトだ!」
エカテリーナの放った炸裂弾がサイクロプス型に直撃する。爆発の光が広がる中、サイクロプス型は街灯を伝って逃げようと考えた。それを阻んだのは飛翔したゼロである。
「悪いな。バトルフィールドはここや。テンカウントまで逃げる事は許されへんで!」
大鎌による薙ぎ払いでサイクロプス型は強制的に縦貫道に叩きつけられた。粉塵の舞う中、黒色の剣が突っ込んでくる。
「もう、やだぁ! 私、帰りたいぃぃぃ!」
光纏が帯電するかのように芽衣に纏わりつく。さながら有刺鉄線の様だ。
黒色の剣がサイクロプス型の片腕を吹き飛ばす。もう片方の爪で芽衣を狙おうとしたサイクロプス型だが、それを盾が阻んだ。
「その程度で、私の護りは崩せない!」
弾かれた形のサイクロプス型に追撃したのは龍実だ。背後から接近して首を刈ろうとする。わざと踏み込みを浅くして背中に傷をつける形となった。
「市民の溜飲を下げるためには、この程度で済むと思うな」
その声が響き渡った時には、眼前に接近していた龍斗の姿が大写しになっていた。
「一方的に殴られるのは、楽しいだろう?」
掌底でサイクロプス型の顎を突き上げる。その顔面へと回し蹴りで追い討ちをかけ、地面にめり込ませた。
そのまま周囲を囲うように歩み寄る。
サイクロプス型が不意に顔を上げて龍斗を捉えた。眼球の効力が発揮されようとするが、龍斗は避けもせずそれを受け切る。
「その程度の力しかないのか。哀れだな……」
蹴り上げると、今度はサイクロプス型の四肢にそれぞれ突きを放った。高速の突きの連撃に怯んだその胸元を正拳が貫く。
「どうした? 貫くだけだ、お前より速く」
爪を使ってサイクロプス型は抵抗を試みようとするが、龍斗の速さのほうが上だ。ゼロが囃し立てる。
「今や、やってまえ!」
「龍斗さま、今です!」
力の抜けたサイクロプス型が膝をつく。その単眼を見据え、龍斗が声を放った。
「少々残虐ではあるが……、人間に手を出すとこうなるという事を、こいつらの創造主に伝えないと、な」
神速の貫手がサイクロプス型を貫き、最後の一撃をくわえた。断末魔が上がり、サイクロプス型が死を迎える。
「やれやれやな。さて、結構なホラーになってしもうたん違う?」
「私、絶対嫌! 編集、他の人に任せてよね!」
芽衣が真っ先にカメラを突き返す。ゼロは受け取って笑みを浮かべた。
「ま、ここからも俺ら撃退士の腕の見せどころ、言う事で」
撮影された映像はそれぞれ編集し、撃退士がヒロイックに見えるように加工され、市民に提供された。中にはこの映像を疑ってかかった人間もいたが、当の撃退士本人達がそれぞれ克明な証言をする事で市民の理解は得られたようだ。
その後、彼らは持ち回りを変えて一週間、周囲のパトロールに努めた。当然、サイクロプス型の再出現を防ぐためと、市民の安心を得るためだ。
「一週間で結構、様変わりしたなぁ」
ゼロの呟きに、同じ班に回されていた龍実が団地を見渡す。夕刻に公園で無邪気に遊ぶ子供達。談笑する主婦。明るい顔で帰ってくるサラリーマン。
「当然の結果だろ」
「せやな。俺らがやったんや。当然の結果。んで、龍実さん。今週末の祭りには参加しはる?」
慰安の意味を込めて祭りを企画していたのだ。ささやかな夏祭り。
「パトロールだよ」
「素直になりなせぇ。俺は割と縁日とか楽しみやで」
祭りは夕刻から始まり、屋台が軒を連ねる。
「ほら! ここや、ここ! ええい、おっちゃん、もう一回!」
金魚すくいに精を出すゼロを尻目に、雪と芽衣は綿飴を舐めていた。
「芳醇なる綿の菓子よ。私を感心させたまえ」
「美味しいって、言えばいいのになぁ……」
隣でたこ焼きを頬張っている龍斗へと雪は視線を流す。
「龍斗さま、浴衣どうです?」
「とても似合っているよ、雪」
水玉の模様をあしらった浴衣姿の雪は龍斗へと微笑んだ。
「あれ? これ本当に当たりあるの? おじさん」
くじを引く龍実は怪訝そうにする。
「へぇ、こういうのが売ってるのか。なかなかに興味を引かれるな」
景品のパチンコを眺めてエカテリーナが呟く。
それぞれが笑顔を得た事を確信し、撃退士は縁日を満喫した。
「ねぇ、ママ。何だろう、あれ」
少女の眼差しの先を母親が窺う。
「何もいないじゃない。さ、行きましょ」
少女は今しがた見た人影を反芻する。
単眼の影が、屋根から身を上げたように映った。
「気のせいだよね」
縁日の喧騒の中に、その懸念は溶けていった。