遠く、飛行機雲が空を突っ切っていく。
思うところは少なく、あれよりかは遅いのだろうな、と桜庭愛(
jc1977)は腕を組んで頷いた。
「どう来たところで、私のプロレスの妙技の前に沈むまでっ!」
「気持ち悪い鳥はさっさと叩き落すに限るわね!」
応じたのは現場に到着した雪室 チルル(
ja0220)である。愛はその眼差しに自分と似たものを見出した。
「今は戦闘準備だから着物だけれど、戦う時にはアウルを纏ったプロレススタイルになるわ」
「楽しみね! あたいも戦う時にはでっかい剣を持って相手をぶっ倒すわ!」
その心根に愛はサムズアップを寄越す。
「気が合いそうね。あなたの眼に宿っているのは私と同じもののような気がするわ」
「あたいも、着物とかは着ないけれど、何かやりそうなことはそっくりな気がするわ!」
ここに、アウル美少女プロレスを得意とする愛と猪突猛進雪国少女チルルは固い握手を交わした。
どこかが似ている。戦闘前でありながら、そのシンパシーがお互いを衝き動かした。
「あなたの剣、楽しみねっ」
「あんたのぷろれすも楽しみだわ!」
チルルにはプロレスとやらはよく分からないのだが、戦闘における極地のようなものには聡い。愛がその点において極めているのが彼女には直感的に伝わった。
「さぁっ! 毒を撒き散らす害鳥を駆除するわよ!」
刀の射程距離はたかが知れている。
その事実を飲み込んでいないはずがないのに、鼻歌混じりの鬼塚 刀夜(
jc2355)には余裕さえも窺えた。
龍崎海(
ja0565)にはそれが今一つ分からない。
無論、自分たちのサポートが入るのは織り込み済みなのであるが、だとしてもやはりこの少女、銘刀、鬼羅を手離すことはない。
刀に執着する鬼か、あるいは魔に取り憑かれたのか。どちらにせよ、その苛烈なまでの武器へのこだわりは自分には真似できないな、と感じる。
「団地の屋上に陣取って、相手に飛び乗ることは可能?」
不意に問いかけられて海はうろたえ気味に返す。
「そうだな……、高度は恐らくそれほど高くない。あまりに高いところを飛んでいるのなら、健康被害は出ないはずだ。散布範囲を逆算した結果、飛翔距離は団地の屋上で充分だと検出された。だから、そこに陣取るのは、間違いじゃない」
「そう、か。じゃあ、そこで待ち構えようかな。今回の獲物を」
標的を見据えた鬼の刃は今、鞘に収まっている。だが、それがいつ解放されるとも知れない。味方でありながらも、海は唾を飲み下した。
「にしても、毒を散布する害鳥とは、天魔も手の込んだ真似をする。死者が出ていないのは不幸中の幸いか。これ以上の被害が広がる前に、その羽根をもぐ」
「もぐ、じゃつまらないね。叩き斬る。飛ぶなんて二度と考えられないほどに」
「斬る、か。でも四枚も羽根があるって話だ。全部斬るつもり?」
「そんなの、聞くまでもないことだね。――無論、と答えておこう」
この少女に関して言えば、相手がたとえ六枚羽根があろうが、それが十枚であろうが関係がないのであろう。相手の戦意をことごとく破壊し、刃の前に沈める。
そうすることができるのは、刀の持つ本質的な力だと感じている。
刃を極め、その覇道を行き、眼前の敵はその全てが刀の錆となる。一片の迷いもないその志こそが、刀夜の刃を輝かせるものだ。
「被害は出したくない。できるだけ堅実な方法を取ろう」
「堅実、か。戦いに確率論が無意味なように、堅実、という言葉もまた、戦闘においては難しい代物だと、僕は思うけれどね」
飴を齧り、刀夜はフッと微笑んだ。
「まるで毒蛾のような敵ですね」
そうこぼした雫(
ja1894)は敵の飛翔範囲を地図上に落とし込んでいた。毒を撒き散らす敵――屍羽根型。人々を蝕む悪鬼の如きカラスを排除する。それだけであった。
「毒を持つカラス、ね。対地性能がどれほどのものなのかははかりかねるけれど、全員で撃墜にかかる。恐らく今回、最も問題なのは経過時間」
逢見仙也(
jc1616)は冷静に事態を俯瞰する。毒を相手が撒くという性質上、時間がかかり過ぎれば、こちらにも不利に転がる上に、無用な被害者を出しかねない。
雫は首肯し、団地の一角を指差した。
更地であり、いくつか点在している。
「これらのフィールドを利用し、三体を撃墜していきましょう。できるだけ建物には落とさずに、相手を叩き落した後、全員の総火力で殲滅」
「それが理想だけれど、毎回うまく行くとも言えないのが対ディアボロ戦だからな。撃墜した後の戦闘行為は個々に任せるとしても、相手の大きさが今回……」
濁したのはカラスというのにはあまりに巨大な屍羽根型の写真を目にしたからだ。
ワイバーンクラスと言ったところの相手の巨躯に仙也は呻る。
「想定よりも大きいようですね。毒をこの範囲に撒くのですから、その大きさは大きめに見積もっておくのがよろしいでしょう。いずれにせよ、落下した相手を叩き潰すのが定石。……カラスは古来、神の使いと呼ばれていたこともあるそうですが、今回ばかりは災厄の招き手ですね」
「毒なんてなかなかに効率の悪そうなことをする。天魔連中は何を考えているんだか」
「何を考えているのか分からない連中と戦うのが、私たちですから」
その言葉に仙也は嘆息をついた。
「どこまで人を愚弄するのかねぇ……。人を侮った害鳥は駆除するのが正しい」
「私も、これ以上の被害は見過ごせません」
目指すべきは同じであった。
屍羽根型の早期討伐を――。
赤銅の空を、紫の雲が棚引いていく。
竜にも似た形状の屍羽根型は団地を常のルートで横切ろうとした。羽ばたきが霧状の毒を散布し、人々を蝕もうとする。
地上を駆け抜けたのは大剣を握り締めたチルルであった。
急加速で屍羽根型の直下に潜り込んだ彼女が片手を払う。
「カラスなんて、あたいが叩き落してあげるんだから!」
射出された鎖が屍羽根型一体を絡め取り、その飛翔能力を著しく奪った。無様に羽ばたこうとする屍羽根型の肉へと鎖が食い込む。
「落ちたカラスは、ぶっ倒すのみ!」
接近したチルルの剣筋が屍羽根型の羽根の付け根を狙い澄ます。しかし、脚部で確かに接地した屍羽根型は羽ばたきによる抵抗を試みた。
毒の翼が禍々しく輝き、粉塵を発生させる。
紫の霧が雲海のように地上を満たしていく中、チルルは跳躍していた。
中空できりもみつつ直下の屍羽根型を見据える。その瞳に宿ったのは必殺の勢いであった。
太陽剣が斜陽に煌き、切っ先から発した氷の疾風が毒の放出器官を封殺する。
屍羽根型が霜に覆われ、嘴から甲高い鳴き声を発す。
仲間を呼ぶ合図だ。空中展開していた二体がチルルへと飛びかかろうとする。
「――おっと、総力戦はこっちの構えなんでね」
団地の屋上から弾き出されたのは輝く鎖であった。
海がそれを握り締め援護に来た一体を絡め取る。
「B地点に墜落させる!」
もう一体が予め予期していた更地へと砂塵を巻き上がらせながら落下した。二の舞にはなるまいと最後の一体が高空へと逃げおおせようとする。
今は、一体ごとの各個撃破だ。
チルルの対応している個体が嘴で激しく刃と打ち合う。
しかしチルルに臆したところはない。応戦の火花が散り、相手がたたらを踏んだ。
その瞬間、舞い上がったのは着物姿の愛であった。
「戦闘開始っ、私のアウル、燃やし尽くす!」
着物姿から一転、脱ぎ捨てたその身は青いハイレグ水着の戦闘姿勢。
全身から放ったアウルが悪を砕く輝きを帯びる。
「その羽根、もらうわ!」
指鉄砲を形作った愛から放たれたのは天地を射抜く矢に等しい一撃。飛翔能力の削がれた個体へと、愛は踵落としを浴びせた。
たわんだ胴体を押さえ込み、屍羽根型の巨躯を愛は何と持ち上げた。
超重量を物ともせず、そのまま跳躍し、宙返りを決めてみせる。
完全に拘束された屍羽根型の足掻きを他所に、愛の叫びが迸った。
「月よ舞え、花咲く奥義。必殺! ムーンサルトチェリーブロッサム!」
必殺の一撃が屍羽根型の身体に伝導する。痺れたように広がった一撃の余波が砂塵を舞い上がらせた。
恐るべきはその一撃によって飛翔能力どころかほとんどの身体能力が叩き潰された点である。
屍羽根型が仰向けにもがく中、愛が寝技をかけて羽根を押さえ込む。
「ん、カウントスリーはいらないかなっ? でも私は美少女レスラーだからさ、闘う姿で自分のプロレスを宣伝しないとなんだよ♪」
「さすがねっ。ぷろれすとやら、見せてもらったわ!」
舞い上がったのは大剣を掲げたチルルである。繰り出されたのは刃による一閃だ。
屍羽根型を両断し、余波が空気を逆巻かせる。
「一体撃破っ」
愛の報告が飛ぶ中、撃墜したもう一体を相手取っているのは仙也であった。
「飛ぶ鳥を落とす勢いが手に入るか知らんが、飛ぶ鳥は落としてしまおう」
電撃を纏った刃が幾重もの軌跡を描いて屍羽根型へと叩き込まれる。嘴による抵抗を剣先でいなし、羽根を引き裂かんと剣筋が奔った。
毒を放出しようと、その翼が禍々しく輝く。
それに対応したのは仙也の背後から跳躍した雫であった。
大剣を握り締め、屍羽根型の直上を取る。
「昔は高天原の使いとして神鳥扱いされていましたが、毒を撒く害鳥ならば退治されて当然ですね」
重く突き刺さった一撃が羽根から飛翔能力を奪い取る。さらに逆さ十字の重力が屍羽根型を押し包んだ。
「逃がすわけないでしょう。ここで、潰えなさい」
「逃げ場所を失った害鳥の末路なんて、そんなの予測するまでもないな」
アウルの長杖を翳し、七本の氷結剣が屍羽根型を串刺しにした。羽根が冷気に震え、傷口が瞬く間に壊死していく。
無論、それを狙わぬわけがない。
咆哮と共に雫が剣を振るい上げた。羽根が付け根から切り裂かれ、重い音を立てて落下する。
「飛べない鳥は何とやら……無用の長物、ここに置いていけ」
仙也の電撃の刃が喉を掻っ切る。嘴からかっ血した屍羽根型へと雫が眼前に舞い降りた。
「毒蛾の真似事をする鳥は現世から追放されるべき。冥界に墜ちなさい」
呼気一閃。放たれた銀の一撃が屍羽根型の息の根を止めた。
二体目撃破の報を受けたのは、最後の一体へと照準する海である。
「なかなか近づいてくれない……警戒しているのか」
消耗戦になれば被害も出やすい。舌打ちする海の耳朶を打ったのは刀夜の高笑いの声であった。
「我が名は神を斬りし者! 神殺しの赫刀(ワールドリセット)! カラス風情が我の上を飛び回るとは身の程知らず、その愚かさ、万死に値する! 焼き鳥にしてくれよう!」
あまりに突拍子もなくその声が響き渡ったものだから全員が硬直する。そんな中、屍羽根型が高空から睨み据えた。
鯉口を切った刀夜がふっと一呼吸する。
「愚者が我の上を取るとは、度胸だけは買ってくれよう。しかし、我が剣の前にその羽根、散るも無残なり! 征けっ!」
放たれたのは神速の抜刀。居合いの射程を超えた刃が屍羽根型を打ち据える。
不意打ち気味のその攻撃に屍羽根型が刀夜を敵と判じた。真っ逆さまに降下してくる。
「おいおいおい、一直線だぞ」
うろたえる海に比して、攻撃目標に据えられた刀夜は冷静であった。
「我を討つ、か。それもよかろう。だが――討たれる覚悟はあるのだな?」
マンションの屋上から跳躍した刀夜はその剣先を屍羽根型の背筋に潜り込ませた。直感的な姿勢制御は天性のものである。
屍羽根型に飛び乗る形となった刀夜は先ほどまでの口調を完全に忘れ、昂揚していた。
「これが飛び乗るって感覚か! 爽快、痛快!」
屍羽根型の翼が紫色に濁り、毒の霧を放出しようとする。予見した海がハッとして鎖を発動させた。
「させるか! 撃墜する!」
放たれた鎖が屍羽根型の翼から羽ばたきを奪い取る。毒の放出速度が一瞬遅れただけであったが、その一瞬が命運を分けた。
刃で斬りかかると見せて、放たれたのは柄や峰打ちによる相手の予測外の攻撃である。
混乱した鳥頭を足蹴にする。
「悪いね。このまま墜ちるとその速度で僕も参っちゃう。だから、アトラクションはここまで」
背を蹴って刀夜が団地の屋上の手すりへとフックつきの縄で離脱する。
引き摺り下ろされた屍羽根型が地上でもがいた。
その身体へと叩き込まれたのは銀閃。チルルの剣が翼を折る。
「墜ちたんなら大人しく――!」
射程に潜り込んだ愛が担ぎ上げ、その腹腔に蹴りを打ち込んだ。中空に踊り上がった雫がそれを受け、刃で叩き上げる。
刀夜が、ニィと笑みを浮かべた。
「好位置だ。ここからなら狙える」
手すりに足をかけ、刀夜は自らの身体ごと、砲弾のように屍羽根型へと飛び込んだ。
刃が首に突き刺さる。鍔を返し、刀夜は重力と体重を利用して一気に腹部までを引き裂いた。
血が撒き散らされる中、着地した刀夜が刀を払う。
「――屍となれ、だね」
最後の屍羽根型の沈黙を確認し、海が通信機に吹き込んだ。
「情況終了!」
健康被害は想定の範囲内であった。救急車と即席の治療で被害は免れそうだ。
飛行機雲を指でなぞって、刀夜はふと口にする。
「空を飛べたら……なんて言い草、もしかするとわがままなのかもね」
飛べない者たちだからできる足掻きがある。飛べないからこそ願えるものがある。
愛とチルルはお互いの健闘を称えて拳をつき合わせていた。
「ぷろれす、すごかったわ!」
「そっちも、なかなかの剣さばきだったわよっ!」
新たな友情が芽生える中、撃退士たちは赤銅の空が暗く夜の帳に落ちるのを眺めていた。
明日からは、人々は夕刻に怯えなくともよさそうだ。