「この辺りはお寺が多いですから。だから死が走っていると言われてもさほど驚きはしないんですよ」
ハル(
jb9524)はその言葉に火車型ディアボロの目撃例は確かに存在する事を確信した。しかし、信心深い老人達の数多く住む地域では、それらもディアボロの仕業と言われるよりかは霊的現象だと捉えられているようである。
寺の僧侶は落ち着き払っており、久遠ヶ原が動いている事を説明しても、まずはこの地区の特性から話し始めた。
「教えて欲しいの、は、最近どこで出現した、か。なんだけれど、ね」
ハルと共に情報収集に当たっていた僅(
jb8838)は小言を漏らす。彼からしてみれば、情報さえ仕入れられれば問題ないのだろう。
「北の院には、つい昨日騒がしい何かがいたと聞きましたが、わたしは南の院の担当でしたので」
この地区に点在する二つの寺院。それぞれ北の院、南の院と名付けられた寺院は密集しておらず、少なくとも一キロ前後離れており、騒音があったとしてもすぐに凡人が駆けつけられる距離ではない。
ハルは迷宮の小道の解明から進めるべきだと考えていた。
「ここいら、の、小道、に……。法則性が、あれば……。教えて、欲しいんですが」
「ああ、それはですね……」
「その法則通りならば、私のやっている事も意味があるって事ですよね?」
通話口から聞こえてくる情報に耳を澄ましつつ、草薙 タマモ(
jb4234)はチョークを手に取っていた。
道路に星型やハートなどの記号を記している。今日は動きやすいようにポニーテールに黒髪を結っていた。
「しかし、僅サンとハルさんの仕入れた情報通りなら俺達の動きも随分と変わってきそうですなぁ」
タマモを見守っているのは煙管片手の百目鬼 揺籠(
jb8361)だ。のらりくらりとした風貌だが、彼もまた作戦概要を片耳に入れたイヤホンから同時進行的に仕入れている。
「百目鬼のにーさんは火車の事、何か予備知識ある?」
期待しての事だったが、「学園の用意した情報が主でさぁね」と紫煙をくゆらせた。
「火車型ディアボロ。火車ってのは本来、死者を弔う際に罪人だとか問題が発生したら現れる妖怪。だが今回の事件を追っていくと出てくるのは死を呼び寄せる、というよりも死を食い物にしている感じです。無論、ディアボロに伝承の類のそれが役に立たないのは百も承知でしょうが」
タマモは揺籠の肩を叩く。
「頼りにしてるよ、にーさん!」
「頼りも何も、今回のディアボロ、一人のミスだって致命的でさぁね。囮役の水無瀬サンには情報、きっちり行っているのかねぇ」
揺籠は携帯を取り出して呼び出した。
「はい! こちらにもハルさんと僅さんの仕入れた情報は来ています! 北の院に昨日出現した、って言うんなら、残りは限られてきますね!」
快活に応じた水無瀬 雫(
jb9544)の声に、流麗な長髪を流した蓬莱 紗那(
jc1580)が口元を扇子で隠した。
「つまり、出現ポイントは南か」
呟いた紗那は、しかし、と考え込む。
「鳴子レベルじゃ相手の速さに対応できるか怪しい。私もワイヤーを張っておくけれど、基本的な対処は」
「分かっています。私にかかっていますね」
雫は少し緊張しているようだ。紗那は、「とにかく」と片耳につけたイヤホンを指差す。
「この情報が生きるか否かもなかなかに微妙なところだ。今夜、現れるかどうか」
周辺地域は完全に闇に飲まれている。
小道には街灯がなく、星空の明かりが僅かな光源である。
その中に、ぼっ、ぼっと火の粉が上がった。まだ火炎とまでは行かないが、散っていく火の粉が僅かな痕跡を残している。
火車型ディアボロの出現は静かな訪れであった。
猫を模した上半身を持ち上げてディアボロが車輪を形成する。車輪から上がる火はまだ小さい。それはディアボロが少しずつ、周囲を認識していくのに呼応しているようだった。
ディアボロの視野に獲物が映る。
白いマフラーを風になびかせる少女の姿がその眼窩に捉えられた。
火車型ディアボロが一気に加速し、少女を捕らえようと迫る。その前足がかかるかに思われた刹那、少女の姿が即座に横に掻き消えた。
火車型ディアボロは狼狽したようにつんのめる。
少女――雫は一定距離を取ってディアボロと対峙していた。
「鬼さんこちら、とでも言ったところでしょうかね」
軽口が出るが、自分の役目はこれからだ。ディアボロが甲高い鳴き声を上げて車輪がぎゅるりと空転する。
急加速の前の準備動作だ。
そう判じた雫は指定されたルートを駆けていく。しかし彼女の足が義足である事を見抜いたディアボロは一気に距離を詰めてきた。
即時の回避は不可能だと考えたのだろう。その牙がむき出しにされた時、ディアボロの視界を覆ったのは月光に銀色の輝きを放つ細いワイヤーであった。
車輪がワイヤーを絡め取り、空転した影響で横倒しになる。醜態を晒したディアボロを空中から紗那が見張っていた。
「情報通り、このディアボロ、状況判断に対してはまるで赤子だ」
ディアボロから一定距離を取る雫も感じ取っていた。このディアボロは自分一人しか追ってきていない。それは情報を統合した結果、得られたものだった。
「ディアボロは南の院に出現する。捕食地域は恐らくそちら。そこまで誘導するのが水無瀬サンの役目ですわな」
揺籠の言葉にタマモは応じる。
「私が予め道路に描いておいた星印とか、ハートは一応特殊なチョークで月光程度の光源でも充分に機能する。で、ハルさんと僅さんの言う通り、印は曲がり角には星印。ディアボロの速度を殺す地点にはハートにしておいた」
曲がり角での速度の軽減。今回、囮はその時を狙ってディアボロの動きを制するべきだと判断が下ったのである。
「私が一定距離を保ちつつ、合流地点までディアボロの機動力を出来るだけ削いでおく。いざ寺院に入ってから相手に逃げられたんじゃ話にならないし」
「どちらに、現れるに、せよ……。必ず、通らなければ、ならない……。中央分岐地点、が、存在、します」
ハルの集めた情報によれば迷宮の小道と言っても共通する分岐点は存在し、南の院と北の院だけに絞るのならばその地点はたった一つなのだという。
「問題なのは、その地点まで奴さんが来てくれるかどうかだが……」
揺籠の声に、夕刻に集まった六人は情報を統合する。
「僕とハルは鳴子で位置関係を知らせる、よ。中央分岐地点を通ったならば、殊更大きな音を立て、よう」
僅の提言に全員が納得したが雫だけは不安を隠せなかった。
「火車型を無力化するのに、最も有効なのは何でしょうか? 見当違いの攻撃をしても意味がないのでは?」
それは全員が感じていた事でもある。雫はトリモチやGPSをいざとなれば取り付ける算段だったが、それさえも許さないほど相手が速ければ……。
「心配ないよ。私の張ったワイヤーで車輪を絡めて横転させよう。そうすれば、いざとなっても逃げ切れないだろうし」
紗那は雫のサポートに回るつもりらしい。ワイヤーはそう簡単には切れないだろう。
何よりも火車型ディアボロの特性上、足を殺されるのが一番に痛いはずだ。
「決行は南の院に誘い込んでから。中央分離地点で判断するしかないんだけれど、それまでの鳴子の反応である程度ルートを絞れる、かな……?」
タマモの声に揺籠が、「そう心配する事ないんじゃないのかね」と呟いた。
「水無瀬サンが誘導に関しては一任している。だから俺達は、水無瀬サンの方針に従えばいい」
雫は若干の緊張と共に提言する。
「私は、色々考えてみましたが、ディアボロの習性、分かったような気がします」
「根拠は?」
「ハルさんと僅さんが集めてくださいましたよね? ここら辺のご老人や色んな人達の目撃証言」
書類を手繰りながら雫は一文を読み上げる。
「南の院には、お坊さんが昨日いたんですよね? だって言うのに、おかしくないですか? どうしてこっちなのか、っていう」
交互に現れるとはいえどうして昨日は南ではなかったか。
その命題に揺籠は怪訝そうにする。
「しかし法則上、南の院なんじゃ……」
「いえ、そうではなく、同じ寺院には連続して出現しない。ですが北の院、南の院の二択となれば、当然、確実なほうを狙うでしょう。この場合、前日にお坊さん一人がいた南の院を狙うほうが、ディアボロからしては好都合なんです」
「なるほど。ディアボロはランダムに選んでいるのではなく、人気のあるほうを優先していた、と」
その仮説には揺籠も納得したようだ。タマモは雫に忠言する。
「あの、危なくなったら、すぐにでも援護するよ。無理はしないようにしてね」
タマモの声に雫は首肯する。
「大丈夫です。水無瀬の名に懸けて、やり遂げて見せます!」
「――とは言ったものの、いざ目の前にするとかなり迫力ありますね」
火車型ディアボロは紗那の張っておいたワイヤーで横転しつつも雫を追う執念は変わらない。どうやら獲物を諦めるほど容易い相手ではなさそうだ。
「もうすぐ中央分岐地点……!」
ディアボロが姿勢を立て直し、車輪から火炎を噴き上げてワイヤーを焼いていく。
その勢いを借りて一挙に加速した。中央分岐地点に至ろうとしていた雫のすぐ背中まで肉迫する。雫は咄嗟に身をかわし前足での引っ掻きを回避する。
鳴子の音が連鎖し、重要な分岐点を超えた事を示した。ここから先は南の院への誘導だ。
寺院までは三百メートルを切っている。小道の狭さと曲がり角の多さを差し引けばすぐにでも向かえる距離だったが夜半の暗さと今しがた攻撃を回避した、という点で隙があったのだろう。
ディアボロは車輪から炎を噴き立たせて回転した。空に吸い込まれるように火の粉が舞い上がる。
攻撃が来る、という直感。
雫は防御姿勢を取ったがその時には敵の車輪の風圧による衝撃波が勝っていた。
炎と混みの攻撃に雫は吹き飛ばされる。
植え込みがあったために軽症だったがそれでも攻撃を受けた事は事実だ。
火車型ディアボロが加速して一気に雫を踏み潰さんと直進する。
その瞬間、中空から光を携えた鎖が出現し、ディアボロの肉体を絡め取った。
ディアボロが鳴き声を上げながら引っ張り込まれる。空中に待機していたハルと僅による連携攻撃であった。
「危ないところ、だね」
「でも、ここまで……。呼び寄せて、くれれば……。後は、こちらの領分……」
火車型ディアボロは勢い余って生け垣や家屋の垣根を破壊しつつ、空中を舞った。
ようやく着地したその場所でディアボロが再び加速に身を浸そうとすると声が飛ぶ。
「させないよ!」
ナイトビジョンを外したタマモが一気にディアボロへと攻撃を仕掛ける。その手から伸びているのは目を凝らしても闇に溶けていきそうな黄色の糸だった。
光纏を顕現させ、指先から展開された糸――フラーウムでディアボロを拘束する。当然、車輪狙いだ。動けなくなったディアボロが振り向き様に攻撃しようとするのをタマモは読んでいた。
指と指の間に挟んでおいた御符が飛び、猫の上半身を雷の刃が引き裂く。
咆哮したディアボロが車輪の機軸を高速回転させた。するとワイヤーやフラーウムでの拘束が即座に巻き取られ、自らの炎で焼かれ排除されていく。
タマモは舌打ちした。
「わざと車輪の古い軸を捨てた……!」
ディアボロが即座に新しい軸を車輪に備え、加速攻撃を仕掛けようとする。タマモは防御姿勢を取ろうとした。
「ここまで誘導して、冗談! 通行止めよ!」
砂利を巻き上げて走行しようとするディアボロへと冷水を浴びせたような声が響き渡る。
「おんや、火車って言っても、気配には鈍いんだな」
ディアボロが振り返った瞬間、鉄下駄による回し蹴りがその顔面を捉えた。続いて車輪を踏みつけ、その勢いを完全に封じ込める。
「鬼術、百眼夢」
手で印を結び、紡がれたその言葉にディアボロが硬直した。
百眼夢。その名の通り、百の眼による拘束で相手を幻惑させる技だ。
「タマモさん、今ですぜ!」
「分かって、います!」
直後、ディアボロを襲ったのは澱んだ空気の塊だ。凝固した空気が砂塵を舞い上げ、ディアボロは機軸も、車輪も一切「動けない」状態に晒されている事に気付いたらしい。
「ハルさん! 僅サン!」
動けない火車型ディアボロへと総攻撃が放たれる。斧を振り上げたハルが空中より舞い降りてその車輪の片方を割った。レイジングアタックの効力を持つ斧は光り輝いている。
一方、降り立った僅はデジカメで火車の姿を捉えていた。
余裕がある、かに思われたが彼も撃退士。攻撃の手を的確にディアボロの目鼻に向ける。
呻いたディアボロへと最後の仕上げだった。
「行くぞ、ウラァ! 解体してくれらァ!」
白髪赤眼に変貌した紗那の叫びが迸る。先ほどまでの落ち着きなどどこへやら、闇を凝縮したかのような禍々しい斧の一閃が走り、火車型ディアボロの機動力である車輪を両方そぎ落とした。
咆哮が走り、最後の足掻きかタマモへと一直線に飛びかかってくる。
「悪いけれど、これ以上おイタは御免って奴だよ! 私の必殺の術! 受けてみろ!」
一挙に火車型ディアボロの石化が進み、タマモに牙ががかる前にその身が硬直する。
その背後から跳躍したのは揺籠だ。
「タマモさん、女の子なんだから無理しちゃいけませんぜ。ケリは、男がつけるもんだ」
踵を上げた揺籠はディアボロへと、無慈悲に踵落としを決める。鉄下駄から算出される踵落としの威力はまさしくとどめの一撃に等しかった。
バラバラに砕け散った火車型ディアボロを眺め、全員が戦闘後の余韻に浸っていた。
「厄介には違いなかったけれど、作戦勝ち、って奴ね! 雫さん、大丈夫?」
「正直、危ないと思いました……」
合流してきた雫が胸を撫で下ろす。
僅は、というと砕け散ってもなおディアボロを撮影していた。
「飽きないですねぇ」
「趣味です、から……」
朝陽が差し込んでくる。恐怖の夜からようやく、この地域は一歩踏み出せそうだった。
後からの調べで南の院の湿った場所に巣を張っていた事が発見された。
幸いにも全員、意識はまだあるようで久遠ヶ原が保護し、明日にでも退院出来る人もいるようだ。
「しかし、何で火車だったんでしょうな」
揺籠の疑問にタマモも同調する。
「同感だけれど、百目鬼のにーさん、詳しいんじゃないの?」
「死に誘われるか死を誘うか。きっと、その差だったんだと思うよ」
紗那の言葉に揺籠は微笑む。
「じゃあ、きっと死に誘われないのが、俺達撃退士ってところですかねぇ」
「死に誘われれば敗北します。撃退士は、死を恐れないのではなく、死に打ち勝つ事」
雫の強い口調にハルと僅も同意見のようだ。
「負けるのは嫌、だね」
「常に勝つのは、……難しいかも、しれないけれ、ど……」
それでも勝てるように。
彼らは一様にそれを胸に抱いた。