「どうにも……いけ好かねぇディアボロだな」
そうこぼしたのは鐘田将太郎(
ja0114)であった。缶コーヒー片手に団地の一角にある公園のベンチに位置取っている。
「ディアボロで好くものなんてあったためしがないですけれどね」
答えた黒井 明斗(
jb0525)は柔らかく微笑んでみせた。将太郎は、というとどこか得心のいっていないようだ。
「道幅の狭いところを三歩、絶対に三歩の距離ってわけか。……ったく、どこで覚えた知識で天魔ってのは作るのかねぇ、こういうの。今時、ないぜ? 三歩後ろを行かせるなんて。フェミニストにしたってやり過ぎだ」
「僕は、分かりかねますかね。その……あんまり女性と関わる機会もないもので」
三歩後ろを行かせる、というほどの男気に溢れているわけでもない。
将太郎は喉を潤して口にする。
「絶対に三歩、これを利用しない手はない。標的のロックオンは俺がされてやる。それ以降は伏兵役に任せて、俺は支援ってところかな」
「僕も囮役で行きます。ただまぁ、やっぱり後ろに立たれるってのは気味が悪いですね」
「後ろに立つ、ってのは元々、とても失礼なことだろ。何も言わず無言で佇むなんてそれこそホラーに違いない。女の美学通り越して、こりゃもうホラーだぜ、ホラー」
将太郎の言い草に明斗は、ハハッと軽く笑い返す。
「じゃあ僕ら、襲われる役じゃないですか。ホラー映画の主人公って狙われるととことんですからね」
「振り返ると、気のせいだったか、って思わせておいて次の瞬間、デカイ音でドーン、ってのが定番だな」
将太郎がコーヒーを呷り、立ち上がった。
「習性が分かっているんなら、対策のしようはあります」
「対策含めて毎回、何かしらやってくるのが天魔のやり口だ。ホラーより冗談きついな」
空き缶を投げる。くずかごに命中し、跳ね上がって入った。
「後ろを三歩キープなんて、それこそ昭和の価値観だよねぇ」
バスに揺られつつ、狩野峰雪(
ja0345)はそう口火を切った。
他に乗客のいないバスの中で狩野の言葉に返したのは鬼塚 刀夜(
jc2355)である。
「古い価値観だって言うのは分かるけれど、僕からしてみればそれもまた、楽しみではあるんだよね」
「楽しみ?」
視線を振り向けた狩野は刀夜の肩に担いでいる直刀を目にした。
――事前情報で得ている通り、この少女は刀一辺倒。
鬼神が作り上げたといわくつきの刀、鬼羅。
今回の敵は刃の使い手。それも込みで楽しみ、という意味なのだろう。
「斬り合いは心が躍る」
「僕は、あんまり斬り合いって言うか、チャンバラは控えようかな。三歩の距離を保つって言うのなら、それを利用しない手はない。確実な距離で確実に潰すのがいいかな」
その言葉に刀夜が唇をすぼめた。
「それじゃ、スリルないよ、狩野ちゃん」
「……ちゃん、ね。まぁ、僕はうるさいタイプじゃないけれど、ちゃん付けは新鮮だなぁ」
「あれ? いけなかった?」
「いや、別にいけなくはないけれど……僕みたいなのを前にしてちゃんって言うのはその、なかなかに馴染まないって言うか。……まぁ、これも古い考え方かな」
三歩後ろを行くディアボロと大差ないのかもしれない。
刀夜は鞘に収めた刀を撫でてフッと笑みを浮かべている。
「楽しみで仕方がない。斬り合いに興じられる」
獣か、あるいは羅刹の眼であった。
しかし野獣ではない。それが分かるのは標的を確実に見据えていると感じられるからである。
ケダモノのように吼え、がなりたてるのではなく、どちらかと言えばその風体に宿るのは強者の風格。
戦う者を選び、弱きものには決して己の真価を発揮しない。刃を振るうのはあくまでも心の発露。そこに正義も悪もない。
典型的な兵。
「戦地でのみ咲く花、というわけか」
こぼしたその言葉の意味をはかりかねたのか、刀夜が首をひねる。
「どういうこと? 分からないことを言わないでよ、狩野ちゃん」
「……まぁ、分からないほうがいいのかもしれないね」
シャッと手にしたトランプを入れ換える。
ラファル A ユーティライネン(
jb4620)はそれを見咎めた。
「てめー、ずるいぞ。大体、仕掛けなしのトランプだって証拠もねぇし」
その言葉を受けるエイルズレトラ マステリオ(
ja2224)は涼しげな様子だった。
「ババ抜きに仕掛けなんてしないよ。確率勝負だろ?」
ラファルは頬をむくれさせ、トランプを引いた。二人でやっているババ抜きなので必然的に毎回札が捨てられる。
「つまんねーよな。二人でババ抜き」
「それはこれから起こるディアボロとの戦いのことを言ってる?」
「三歩後ろを行く、ってのは、それは三尺下がって師の影を踏まず、っていうのの間違いじゃねぇのか? 間違った言葉広めやがって。嘗めてんのか、今回の」
「三尺ってのは約九十一センチ。成人男性が百七十センチだとして、半分ほどの間合いだから、まぁ混同しやすい。意味は全く違うけれどね」
けっと毒づいたラファルが乱暴に札を捨てた。
「んだよ、てめぇ、知ったかぶりディアボロ庇うのか?」
「とんだ暇人だとは思う。三歩キープするなんていう特性をつけるってのがね。しかも振り返らなければ襲わない、という安全装置つき」
「三歩後ろに立たれるってのは気分が悪いってか? 何歩後ろだって同じだろうが。天魔ってのは相変わらず、人間のスケール履き違えてやがるな」
「どっちにせよ、勝つか負けるかってのはババ抜きくらい単純だ。ほら、僕の勝ち」
最後に残ったジョーカーを手にしたラファルが震え出す。
「イカサマだろ?」
「ババ抜きでイカサマなんてしないよ」
舌打ち混じりにラファルは賭けていた缶ジュース一本分を差し出す。
「どっちにせよ、顔を伏せた女のディアボロなんてとんだババだぜ。そのババの本性、晒してやるよ」
最後に捨てた札に描かれたジョーカーは女の姿であった。
三歩後ろの女は今日もまた、標的を見つけた。
ここ数日、出歩きの少ないため獲物を捉えかねているディアボロにとっては久しく感じるターゲットだ。
三歩圏内に不意に佇む。
すると、標的には確実に気配が感じられているはずなのだが、そのまま歩き通された。
だがさらに三歩、三歩とその後ろをついて行く。
――絶対に三歩。そう設計されていた。
それ以上でもなければ以下でもない。
三歩を保ったディアボロはターゲットの足が止まったのを確認する。
どうやらここまでのようだ。気配を感じれば振り返らざるを得まい。そういう風に、人間はできているはず。
だからなのか、いつの間にか道幅の狭い場所に誘導されていたこと。さらに言えば、他の二体さえも別の人間を標的に据えて牽引されていたことなど気づきもしなかった。
ディアボロがその事実に気づいたその時、ターゲットが声にする。
「三歩、絶対に三歩、ってのは本当みたいだな。だがその習性、俺たちからしてみればぬるいんだよ。三歩圏内の射程、逆利用させてもらったぜ」
口にした将太郎が通信機に声を吹き込む。
「総員、振り返ってよし! 迎撃準備、入るぞ!」
同じく囮に入っていた明斗が振り返る。
「すいませんね。全て、こちらの計算通りにいかせてもらっています」
女のディアボロが風の刃を発生させて斬りつけようとするのを、突然の銃撃が防いだ。
三回の攻撃がディアボロを打ち据える。それでも三歩の距離を保つディアボロの執念に、スコープを覗き込んだ狩野は感嘆さえしていた。
「へぇ……ここまでやるんだ。仰け反りもしない。ある意味、強い魔術の域に達しているね。絶対に三歩、か」
「だったらそれ、余計に引き剥がしたくなるよね」
攻撃を受けたディアボロの背後に佇んでいたのは、シルクハットにパンプキンの仮面を被ったエイルズレトラであった。
奇術師のように両手を開き、何も持っていない風を装う。
「ほら、三歩圏内だ」
エイルズレトラの挑発にディアボロが動いた。風の刃が発振し、その首を掻っ切ろうとする。
その刃を受け止めたのは一枚のトランプである。
それを嚆矢として全身からトランプが滑り落ちていった。暴風のように煽られたトランプの風が刃と干渉し、ディアボロとエイルズレトラをその場に縛り付ける。
「これで、お互いに下がることも、退くこともできない。さぁ、ハロウィンナイトのスタートと行こうか」
完全に標的に据えた相手に対し、エイルズレトラがどこからともなく刀を取り出した。
風の刃と打ち合い、干渉波の火花を散らす。
「三歩で斬り合うのは大変だね。だから、結構ズルイ手を使わせてもらう」
刃を思い切り弾き返し、己の武器を手離した。
当然、相手にとってしてみれば好機に映るであろう。しかしエイルズレトラの仕掛けの本懐はそれではない。
もう一方の手に掴んだトランプであった。相手の肉体に潜り込んだ札が瞬間的に膨れ上がり、熱を発生させる。
その爆発力が女型のディアボロを内奥から吹き飛ばした。
「――ギャンビット・カード。さて、三歩が仇となったね。まずは一体」
その報告が飛んだ頃には、明斗が次の標的を縛り上げていた。
鎖が叩き込まれ、ディアボロの動きを封じる。
「でも、今の感じだとこいつ、絶対に、てこでも動かないって感じですよね」
「それならそれで、俺たちが止めておくまでだ」
将太郎へと間断のない刃の応酬が注がれる。盾でその刃を防ぎつつ、伏兵の攻撃を待った。
「構うな! ガンガン行け!」
『そうしたいのは山々なんだけれど』
狩野の銃撃が女型に突き刺さるがやはり三歩以上離れてくれない。どれほどの高威力を発揮しても、その標的との距離は保つのだ。
「……最早、その領域は妄執ですね。鎖で縛っているのも、あまり意味がないかもしれない」
辛うじて風の刃の応用を防いでいる程度だ。
大きく振りかぶった形のディアボロの背後の空間がその時、不意に歪んだ。
「――三歩後ろに立たれるってのは、どういう気分だ?」
わざと気配を発したラファルの声音にディアボロが振り返り様の斬撃を放とうとする。その動作に先んじて、ラファルが切っ先を構えた。
構えは打突。その刀身を指先でなぞり、口中に呟く。
「……電磁加速出力全開、極々超音速突破、用意。極めるぜ、灼閃! プラネット――」
刃が虹色に照り輝き、煽られた形のディアボロがたたらを踏んだ瞬間、ラファルの刃が叩き込まれた。
「バンカー! 炸裂!」
灼熱の突きがディアボロの右腕を吹き飛ばした。宙を舞うディアボロの腕から僅かに風の刃の残滓が漏れる。
「お前のは三歩一殺だったな? だったら俺のは零歩確殺だぜ、へへーん! このまま、引きずり込んでやんよ!」
刃が胴体を割るかに思われた途端、ディアボロの手が刀に触れた。
発生するのは風の刃の陣であったが、その勢いが今までの比ではない。己の肉体さえも崩壊の危機に浸らせての自滅技。
暴風域に達した風圧射程に、将太郎が声を張り上げる。
「その距離は危険だ! 一旦離れろ! ラファル!」
その言葉を受けつつも、ラファルは笑みを崩さない。
「……上等だぜ、三歩ホラー女。今回の依頼よぉ、正直、気合の足りねぇ依頼だと思っていたんだが、やるじゃねぇの。俺とガマン比べっての、嫌いじゃねぇぜ。ただな、お前ら根本的に間違ってる。それは相手になったのが他の撃退士ならともかく、この!」
刃を反らせラファルが切り上げる。袈裟切りの一閃に加え、ラファルは刃を返し、そのまま脳天へと叩き込んだ。
「――飛び切り強ぇ、ラファル様だってことだよ!」
一閃が地面に亀裂さえも刻み込む。
それほどまでの威力に女型が倒れ伏す。
「二体目撃破!」
三体目は、と全員が視線を巡らせた時、まだ振り返っていない刀夜を発見した。
この戦闘の最中、そこだけが水を打ったような静寂に包み込まれている。
女型の仲間がやられたのに恐怖、あるいは警戒して攻撃しないのは分かる。
だが、刀夜が振り返らない理由が他の撃退士には不明であった。
「ようやく、二人きりになれたね」
この戦場とはまるで裏腹な声音に将太郎がうろたえる。
「鬼塚……? 何を考えている?」
『……やっぱり、鬼塚さん。修羅の道を行くつもりか』
通信に入った狩野の言葉を問い質す前に、刀夜が声にしていた。
「西部劇のガンマンの打ち合いさながらにやろうじゃないか。きみはもうこっちを向いているけれど、それくらいのハンデのほうがいい。この鬼塚刀夜と斬り合おうっていうのならね」
刀夜が鯉口を切る。
次の瞬間、振り返りと風の刃が放たれたのは同時であった。
その脳天を割ったかに思われた風の刃だが、その風圧が霧散した。
頭部に顕現した鬼の角を思わせる光纏だけが、刀夜が抜いたのだと理解できる材料だ。
鍔打ちの音だけが響く中、先ほどの銀の閃光が夢幻であったかのように刀は鞘に収まっている。
――果たして、女型が姿勢を崩した。
その腕が肩口から斬り飛ばされていたのである。
それを認識することさえも、あまりに遅い。
刀夜が構えに入る。柄を握り、ようやくと言った様子でその鍔を返した。
「今のは……」
斬ったのだ。だが、その瞬間さえも見えない居合い。
「片腕になったらもっとハンデかな? でも、もう向かい合っているから斬り合いしかないね」
体重移動させた女型が風の刃を片腕に纏いつかせ、一気に薙ぎ払った。
その一閃を受け止めたのは銀の刃。刀身が風圧を受けて月光に煌く。
抜きかけたその刃を女型が風の刃でコーティングした腕で掴んだ。
先ほどのラファルの時に見せた戦法と同じだ。
自らでさえも風の陣の中に置き、自滅覚悟で切り刻む。
しかし、そんな最中でも刀夜は――笑っていた。
口中に舐めていた飴玉を奥歯で齧りつき、それを砕くのと間合いに入るのは同じく殺傷の意味合いを誇る。
風の陣を恐れもせず、刀夜の剣が一太刀で女型の刃をいなし、陣の中の刃を霧散させる。
消え失せた風圧を再度発生させたのは刀夜のほうだ。
今度は踏み込み。
その一呼吸だけで烈風が生じ、女型の残っていたもう片方の腕と切り結んだ。
風の刃が女型の後方へと飛んでいく。それは腕が根本から断ち割られたのを意味していた。
――勝負あり。
剣を払った刀夜の動きに合わせ、女型が倒れ伏す。
「……ち、治療を」
気後れ気味に明斗が発したことでようやくこの戦いの終止符が打たれたのを全員が理解した。
自治体に連絡を済ませたのは明斗であった。
治療を終えた刀夜が鼻歌混じりに刀を担ぐ。
「いやはや、斬り合いとまではいかなかったかな?」
「ま、手応えはまずまずだったな」
同調するラファルがペンギン帽を弾く。
その背中を見送ってから、エイルズレトラが声にしていた。
「本当の女のジョーカーは身内に、だったかもね」
トランプを翻す。
女のジョーカーが札の中で嗤っていた。