慣れないな、と佐藤 としお(
ja2489)はため息をこぼした。
「こういう、オカルトめいた依頼って言うのは」
そのような嘆息など何のその、現地に入るなり、雪室 チルル(
ja0220)は戦意を燃やしていた。
「関係ないわ! あたいが狐なんてぶった斬るもの!」
「しかし、狐の嫁入りにちなんで子供を攫う、と来たか。こりゃ被害者には相当なストレスがあると考えられるね」
天気雨がその嚆矢なのだと言う。
いつ気候が変化してもおかしくない、不安定な曇天。
その合間合間に見える晴天が逆に不安を駆り立てる。
「こんな空ばかり見ていたら、その子はきっと、怯えっきりだろうね」
少年は市役所に保護されているのだという。賢明な判断だ、ととしおは感じていたが、それを潜り抜けてくるのがディアボロである。
「僕は屋上で四方を見やる。雪室さんは周辺警戒、お願いするね」
「警戒任務なんて生ぬるいわ! あたいが全部、やっつけてあげる!」
「そいつは心強い。僕は、できればお目見えしたくないなぁ」
言葉尻だけ本音を滲ませたとしおは市役所へと足を薦めた。
奥まった部屋よりも広い講堂に移せ、と進言したのはラファル A ユーティライネン(
jb4620)である。
当然のことながら、職員たちは抗議した。
「子供をみすみす天魔に渡せって言うのか?」
「違ぇよ。天魔と戦うのなら、むしろ子供をこんな奥まった部屋になんて置くんじゃねぇよ。見通しの利く場所で、堂々としているほうがいい。そのほうが寝首は掻かれないぜ」
「俺も、その意見には一応同意だ」
応じた龍崎海(
ja0565)の声音に職員たちは言葉を彷徨わせる。
「しかし……広い場所になんて置けばいつ相手が来るか分からないのに、入って来いって言っているみたいなもんじゃ……」
「入られても痛くないようにするのが、俺らの仕事だよ。この役所の外周だけで敵を相手取る? そいつは結構難しいんじゃねぇの? 三悪がやってくるってんならよ」
「三悪……?」
首を傾げた職員たちへとラファルが指を立てる。
「雁首揃えて、女幹部にほいさっさと言うだけの従者だろ? そういうのは三悪って言うんだ。毎回吹っ飛ばされるのがオチの連中さ。まぁ、今回、前情報が確かならそれなりに吹っ飛ばし甲斐はありそうだがな」
脅迫のような文句を並べたてるラファルに職員は困惑しているようだ。海がこの場を収めようと口火を切った。
「とにかく、俺たちに任せてもらえませんか? 逆に役所内は人が少ないほうがいい」
「出入りする連中の中に混じっている可能性もあるからな。刻限になったら全員出て行かせろ」
横暴な、と反感の声が上がるかに思われたがラファルが睨みつければその意見は一蹴された。
「出現してからじゃ遅ぇんだよ」
「信じてもらえませんか? 少年の心のケアは俺が率先して行いますから」
その言葉でようやく職員たちが折れた。塊になって出て行く職員の背中を見送りつつ、ラファルが毒づく。
「余計な心配を増やすなっての。三悪ボコるのに大勢は要らねぇぜ。女幹部を初っ端から取りにかかる。俺はこの講堂を中心に見回るからよ。ガキの世話は……」
少年は不安げな眼差しをラファルに送っていた。その視線から目を逸らす。
「後は頼むわ」
「ユーティライネンさん、そういうのは不器用だね」
「うっせぇな。ガキのお守りが仕事じゃねぇんだよ」
言うや否や、ラファルは景色の中に同化した。
突然に消えたことに少年が怯える。その背中を海は優しくさすってやった。
「大丈夫だ。俺たちがついている。狐の化け物くらい、すぐに追い払えるさ」
「でも……連れて行くって……」
「俺たちはもっと強い奴らと戦ってきたくらいだよ。この間なんて街くらいでかい船を落としたことだってあるくらいだ」
「ほ、本当?」
「本当だよ。安心してくれ。撃退士は、強い」
「狐の嫁入り……というよりかはこれじゃ押しかけ女房ですね」
呟いた雫(
ja1894)に槍を担いだ向坂 玲治(
ja6214)は役所周辺を見渡しつつ応じていた。
「だな。神隠しの正体見たり、ってところか。まぁ、神隠しなんて代物は大抵、こういう風に浅い正体が隠れているもんだが」
「周辺警戒に当りますが、もしもの時の通信手段は」
「無線連絡は欠かさないでおこう」
掲げた無線機は全員に繋がっている。雫は首肯し、それにしてもと口を開いていた。
「最悪のケースとして考えられるのは敵の分散です。集中していた場合、一極攻撃で済むのですが……」
「奴さんのボスは二体の従者を倒さない限り徹らない鉄壁、か。話に聞く限りだけじゃともかく、実際に打って出ないと分からない部分ではあるな」
「私は、一秒一刻でも速く、少年を安心させたいです。きっと、眠れずに不安な夜をいくつも越えたはずですから」
「集中も限界に近いかもしれない。龍崎さんがその辺に関しちゃ今回は一級だから任せっ切りになっちまうが」
「私は、ディアボロの恐怖そのものに打ち勝つのに、相当な心の力が必要だと思っています。今回の敵を倒しただけで拭えないかもしれないとも」
その懸念は玲治も持っている。眼前の敵を倒した、だけで天魔の恐怖が消えるのならば、撃退士も苦労はしない。
「だが、倒さなければ同じことだ。俺たちのやるべきことってのは、いつだって先立った恐怖の露払いさ」
「そう、ですね。私たちにできることが今、この剣を振るうだけならば」
――全力で立ち向かおう。
心に誓った雫の瞳に迷いはなかった。
撃退士の対応に文句を漏らしていた職員の一人がふと、水滴が頬に落ちたのを感じ取った。
天気雨だ。
まさか、と振り仰いだ途端、立ち現れていたのは嫁入り姿の痩身である。
一人が腰を抜かした。全員が硬直状態にある中、行灯が一つと嫁入り個体が歩み出ていく。
「本当に、出た……」
大人たちを一顧だにせず、すり抜けるようにして役所へとその歩みが進む。
「――おっと、待てよ、ボス狐。まさかマジに真正面から来るとは思わなかったぜ」
槍の穂を下段に玲治が構えている。
役所正面玄関を任せられた玲治は眼前に位置する嫁入り個体を睨んだ。
行灯が揺らめき、瞬時にこちらへと肉迫する。
ほとんど空間に残像すら刻まないほどの機動力。
目にできるのは行灯の火が線を描く軌道だけだ。
「従者個体かよ……!」
槍でその軌跡を弾き返し、玲治は正面玄関の守りに入る。通信機を用い、全員に達した。
「こちら向坂。奴さん、真正面から来やがった。随分と自信のある様子だが、肝心のもう一体が見えない。不意打ちの可能性がある。復誦どうぞ」
『了解、向坂君。こちらからもよく見えている。まずは、リーダー個体に試させてくれ』
照準器からその様子を窺っていたのは屋上展開するとしおである。
長大なスナイパーライフルの銃口がリーダー個体を狙い澄ました。
「怖いのは、嫌だよねぇ、ホント」
打ち込まれた弾丸は着弾したかに思われたが、リーダー個体は涼しげな様子である。
としおは弾丸が命中した瞬間、見えない皮膜に弾き返されたのをしっかり目撃していた。
「こちら佐藤。どうやらリーダー個体の堅牢な護りは本当のようだ。狙撃じゃ徹りもしない」
しかし従者の行灯はまだ目で追える。としおの正確無比な狙撃が行灯へと撃ち込まれた。
着弾した行灯が内奥から腐食する。
金切り声と共に従者個体が空間に出現した。
「その行灯、邪魔なんだよね。悪いけれどしつこく攻めさせてもらう」
「こちら向坂、リーダー個体一、従者一と交戦中。全員に達す。蟻一匹中に入れるな。ここからは徹底抗戦だ!」
『こちら雫。どうやら、挟み撃ちの様子です』
そう無線機に吹き込んだ雫の眼前には、ゆらりと立ち現れた行灯が一つ。
無造作ながら空中で漂うその機動には迷いが見られない。
――確実に、取りに来ている。
「龍崎さん、中の護衛を厳に。来るなら来なさい。逃がさない」
大剣を構えた雫に行灯を揺らした狐が現出する。
次の瞬間、その痩躯が空間に白の残像を刻みながら攻撃してきた。
刀身で受け止めつつ、返す刀で叩き切ろうと迫る。
しかし相手も退き際が分かっているのか、安直な攻めには出なかった。
ゆらり、ゆらりと空間そのものを蜃気楼と化したかの如く、相手の姿が切れ切れにちらつく。
行灯を狙い澄ませば、と感じた雫の構えに従者型が飛びかかった。
――斬る!
そう断じた神経が行灯を薙ぎ払いかけたが、従者型はその軌道を見透かしたように剣筋からすり抜けた。
雫の防衛を抜けた相手へと狙撃が見舞われる。としおの狙いは正確であったが、狐の速度は侮りがたい。
幾何学に機動し、決して一秒も同じ場所にはいない。
「内部に入った……。護衛班へ! 従者型の侵入を確認!」
舌打ち混じりにとしおが報告する。
講堂で少年に武勇伝を聞かせていた海はその言葉を聞き、首肯していた。
「ゴメン、話せるのはここまでなんだ。大丈夫、落ち着いて。このお茶でも飲むといい」
少年は震えつつも緑茶を飲み干した。
相当に喉が渇いていたのだろう。すぐに眠りを促す効果のある緑茶は作用した。
眠りに落ちた少年の前に海は武装して佇む。
「さぁ、来るなら来い」
その時、廊下の蛍光灯が不意に切れた。一つ、二つと蛍光灯が焼き切れ、暗がりにもつれ込んでいく。
その中をゆらゆらと行くのは一つの行灯だ。
「龍崎より、全員へ。侵入したのは一体か?」
『ああ、一体のようだ。もう一体は向坂君と雪室さんが担当してくれている』
「了解、ならば、対応するのに何の遅れも取らない」
スペルの刻み込まれた魔術書を手に、海は標的を指差した。
途端に発生するのは稲光の槍である。
包囲陣を発生させ、相手を完全にその場に射竦める。
「悪いが、この道も、オーダー通りでね。お前はうまく侵入したつもりだろうが、俺たちの術中に最初からはまっている」
狐が出現し、海へと吼えかけた。
その瞬間、従者型の背後の空間が歪む。
光の屈折角を利用し、その手が従者の顔面をそっと捉えた。
「おいおい、案外三悪の初っ端からやってくれるじゃんよ。吼えるなら、悪の女幹部連れてきな、雑魚が」
空間が鳴動し稲妻が従者型の肉体を震えさせる。
ラファルが流し込んだ電流のいななきに、従者型が振り返る前にその首筋へと刃が沿わされた。
「キツネ汁にしてやるぜ。とくと刻め。俺の剣筋を!」
刃がまず胴体を引き裂く。
身を引き剥がそうとする従者型だが既にラファルの射程に完全に入っていた。加えて海が用意した雷のフィールドがある。
行灯が燃え盛りラファルの身体を焼き尽くさんと迫った。その炎を軽快なステップで避けつつ、海の作った電流の結界陣を足がかりにしてその身が跳ね上がった。
「手こずっている暇はねぇんだよ。こちとら大幹部を倒しに来てんだからな」
一刀の下による両断が叩き込まれる。狐の従者がゆらりと傾ぎ、倒れ伏した。
「一体撃破。ガキは眠ってる。今のうちにケリをつけようぜ」
『了解!』
その言葉を受け取ったのは正面玄関で打ち合っている玲治と、応援に駆けつけたチルルであった。
リーダー個体から渾身の一撃で従者を引き剥がす。
「今だ!」
「分かったわ! あたいが斬り飛ばしてあげる!」
壁を蹴って跳ねたチルルが従者型へと飛び込む。
行灯がその攻撃を防御しようとするが、炎の皮膜は明らかに弱っていた。
「僕の狙撃が効いてきたかな? さて、次は眉間を狙わせてもらう」
としおがライフルを一射する。行灯の炎が狙撃手を狙おうと妖しく輝き、一気に舞い上がった。
「ここまで来るのか……。でも背中が」
「――お留守、ね! そんなんじゃ、お得意の戦法も通用しないわ!」
チルルの剣が従者型を背筋から斬りつける。跳躍力を失った炎と共に従者型が落下する地点には既に回り込んでいる雫と玲治がいた。
「まずは、その頭!」
頭部へと槍の穂が突き刺さる。
「次いで、首から下をもらいます!」
雫の剣が従者の首をはねた。
瞬間、今まで嫁入り個体を守っていた皮膜にぴしり、と亀裂が走る。
チルルは野性の戦闘本能でその契機を逃さない。
「弱まったわね! あたいが、取る!」
地面を蹴りつけて肉迫した神速の剣術に、嫁入り個体が炎を連鎖させて防御膜を張った。
だがその魔術には最早脆さしかない。
炎を引き裂き、その肉体を確実に振り払うかに思われた。
「勝ったわ!」
しかし、その剣は僅かに空を切る。
本能的な幻術であった。
嫁入り個体が最早嫁入り装束を捨て、狐の野性本能を呼び覚まし、四足の俊足を見せる。
玲治と雫の武器がそれぞれ阻もうとしたが、あまりの速度にその機を逃した。
としおの狙撃網を潜り抜け、嫁入り個体が正面玄関から役所の中に潜入する。
ほとんど知性など残されていないようであった。
獲物を捉える野性だけがその俊敏な速度を維持させている。
海が槍を構えて歩み出る。
「通さない!」
放たれた銀色の閃光を嫁入り個体がするりと抜けた。
帯のようなその身体が少年を抱えて呻る。
勝利の雄叫びを上げようとしたその時であった。
「――んだよ、悪の女幹部にしちゃ、随分と品性に欠けるな。それじゃ三悪は成り立たないぜ」
いつの間に接近していたのか、ラファルが刃を携えその背筋に、ぴたりと己の背を合わせていた。
気配が全く読めなかったのだろう。
振り返った嫁入り個体の身体へとラファルが拳をひねった。それだけで見えない力にその身体が束縛される。
全身が痙攣し嫁入り個体が少年を手離した。
「デビルズバイス。何なら悪の決め台詞でも吼えてみろよ、三下が。吼えねぇなら、消し飛んじまえ」
刃が一撃。
嫁入り個体の肉体へと入った。さらに一閃、二の太刀、三の刃が続け様にその肉体を蹂躙する。
怨嗟の声を棚引かせながらディアボロが倒れ伏す。その狐面へと最後の刃が食い込んだ。
「イタズラとしゃれ込むのなら、もっとうまくやりな」
全員が三体の撃破を確認し、声が張り上げられる。
「情況終了!」
ハッと目を覚ました少年は起き上がるなり自分の無事を確かめる。
「もう大丈夫だ。悪い狐は、俺たちが退治した」
海の声に少年は周囲を見渡す。既に全てが終わったのか降り出した天気雨がやみかけていた。
「雨が上がったら腹が減っただろう? インスタントで申し訳ないが、ラーメンだ。食べるといい。僕もお腹が空いたからね」
ラーメンをすすり上げるとしおに少年は呆気に取られている。
「佐藤さんみたいにラーメン大好きってわけじゃないのかもしれませんよ」
少年はそのまなこに、確かに映していた。
六人の撃退士がその勇姿を湛え、夕陽を背に佇んでいるのを。
天気雨はその輝きに消し飛ばされたようにやんでいた。
ようやく、雨に怯えずに済みそうだった。