――随分と遠い足並みだな。
逢見仙也(
jc1616)は双眼鏡でディアボロを観察しつつ、そう胸中にこぼす。
急いている様子でもなければ、物捜しに躍起というわけでもない。
「やっぱり、今回の標的で厄介なのがいるとすれば、そいつはヴァニタスのほうか」
恐らくディアボロはそのための陽動か、あるいは尖兵。
「関係ないわ! 懲りないトカゲはあたいが全部、またやっつけてやるもの!」
腰に手を当てた形の雪室 チルル(
ja0220)が宣言する。
仙也は前回の戦闘の経験者であるチルルに意見を仰ぐことにした。
「爬虫類と聞いて蛇男がやってきたわけなんですけれども……前回はどうだったんだ? 途中で進化でもした?」
チルルは唇を指で押し上げて思案する。
「考える前に倒しちゃったから、よく分からない。でも、あたいのほうが強かったのだけは間違いないわ! 文字みたいなものがあったような気もするけれど読めなかったし」
「文字? ディアボロが、文字を使ったのか?」
仙也は考え込む。
進化するディアボロに、文字。古来より文字は進化と共にあった。
それがもし、自律稼動のディアボロによって引き起こされたのだとすれば――。
「……前回のは完全な自律型だと聞いたけれど、それをモニターする天魔がいたのだとすれば、面白がるかもしれないな」
その言葉にチルルはきょとんとした。
偵察任務には三名がついたが、うち一名である向坂 玲治(
ja6214)がまず合流場所に帰還していた。
「どうでした?」
尋ねたのは雫(
ja1894)である。玲治は額に手をやって呻った。
「どうにもこうにも……奴さんに動きらしい動きはない。ヴァニタスがあの場所を基地にでもしようって感じでもなかった。ずっとそこいらを見渡しているだけだ。捜し物でもあるんじゃないだろうかと思ったが、それらしき代物もなし」
「既に久遠ヶ原が洞窟は調査済み、との報告を受けています。何もなかった、とも」
しかし玲治は思案顔であった。
「何にもないにしては、ちょっと執拗だった気もする。あとの二人の情報を待つ、か」
雫は合流地点の小高い丘から望める景色の中に、ディアボロの足跡を見つけていた。
「ここまで来ています。足跡の頻度から、定期的に」
「人里に降りられれば面倒だ。その前に片づけるっきゃないが、今回ばかりは動きが胡乱でもある。一回ヴァニタスをとっ捕まえて聞き出すのが一番早いな」
ヴァニタスの捕獲。雫は可能か不可能かの逡巡を浮かべた後、返答していた。
「……それよりも恐らく今回のディアボロを早期討伐することが望まれるでしょう。進化するディアボロ……長丁場になれば不利に転がるかもしれません」
「だな。進化前にぶっ潰す。それが作戦スタイルなんだが、どうにもヴァニタスの動きが気にかかる。俺は戦闘後、ヴァニタスに聞き出す質問でも考えておく」
ディアボロを潰せば必然的にヴァニタスとの戦闘にもつれ込むだろう。だが、雫も解せないと感じていた。
「悪さをするでもなく、大した動きがあるでもなく、ただ単に洞窟散策……? それにしては、相手の思惑が見通せませんね」
「同感。穴倉で何やってんのかね、あのヴァニタスは」
(穴倉トカゲ野朗め)
そう唇だけで毒づいたのはラファル A ユーティライネン(
jb4620)であった。
光学迷彩を展開、さらに無音の歩方を使用し、彼女は完全に気配を遮断していた。
視線の先には今回の任務の最重要目標であるヴァニタスが壁を撫でている。
姿かたちは完全なトカゲ人間。だが纏った鎧がディアボロ二体との差異を出していた。
少しばかり厄介な相手か、とラファルは判じていたがヴァニタスがやがて静かに語り出す。
「我が主、クリムゾンレイ。やはりあなたの製造した通り、彼奴らには進化の痕跡がある様子」
独り言か? とラファルは息を殺してその言葉を聞き取ろうとする。
さすっているのは血文字であった。血で綴られた何かの象形文字と図柄が示しているものが何なのか、ラファルには見当もつかない。
「血で贖われるべきであるのだ。人は骨を手にし、その骨で獲物の頭蓋を叩くことを覚え、進化した。純粋なる進化は血でのみ、綴られていく。素晴らしい、理想形だ、これは。まさしくあなたのしもべは、理想の進化像を描いた」
(独り言にしちゃ、声がデケェな、こいつ)
誰かに通話しているのか。だがそれらしき物品はない。
まさしく血の象形文字に感嘆しているようであった。その図柄の示す何かに。
トカゲ頭のヴァニタスは近場の岩に腰かける。
「ここで進化は培われ、その精神が形となった。……何とも、人の縮図のようだ。主、クリムゾンレイ。いい結果をご報告できそうです」
(させねぇよ)
唇だけで紡ぎ出し、ラファルは巣穴から這い出ていた。
連中の目的がある程度割れたとは言え、しかしとラファルは眉根を寄せる。ペンギン帽をピンと弾いた。
「分からねぇな……。進化するディアボロに、それを先導するヴァニタス。そして、クリムゾンレイって言う親玉くさい名前……。地上で何をおっ始めようって言うんだ?」
「私も、見ていてよく分からなかったなぁ」
出現したのは不知火あけび(
jc1857)である。ラファルと同じく洞窟で張っていたのだ。
「聞き取れたのは、それっぽい口調のそれっぽいもんだけ。三流映画じゃあるまいし、進化するトカゲなんて生意気なだけだぜ」
「ラル、でもあのヴァニタスの言い草からしてその先があると思う」
「先、か。進化の先、とも言えるが同時にハッキリしたのは、あいつぶっ潰してもまだ親玉がいるってことか。こりゃ何の考えもなくぶった斬るわけにもいかなそうだな」
「ラルは倒せるならすぐにでも倒したがるからね。でも、慎重に行かないととんでもないことになるかも」
あけびのこぼした声にラファルは肩を震わせる。
「怖いこと言うなって。俺一人の責任みたいじゃねぇか」
「とにかく、情報を共有して、できるだけ穏便に。捕獲も視野に入れたほうがいいかもしれないね」
「穏便、ね。いつだって天魔相手に穏便なんて通用するとは、思えないがな」
月光だけが見下ろす夜を這い進むのは、一体の爬虫原人であった。
リザードマン型が石槍を携え、周囲を見渡している。
単純動作の命令しか与えられていないその聴覚が、僅かながら足音を聞き取った。
甲高く鳴き、獲物の到来を神経が予見する。
途端に鋭敏になった知覚が獲物へと距離を詰めようとした。
駆け抜けたリザードマンが目にしたのは、虚空である。
獲物の足音だけが残響する空間でリザードマンが首を巡らせた直後、その首に向けて刃が放たれた。
「進化するってことは足りない部分があるわけで、その度に不要なものを退化、捨てていくことも考えられる。二足歩行のトカゲが捨てたのは、警戒心かな?」
刃が食い込んだ箇所へと石槍が放たれる。
魔術の炎が迸り、不意打ちを仕掛けた仙也は舌打ちした。
「一撃で首を取るつもりだったんだが、反応だけは速いな」
仙也の掲げたのは業火の化身が宿る片刃の剣であった。石槍を構えたリザードマンが炎を纏わせるのに、仙也はフッと笑みを浮かべる。
瞬間、刃から発火した紅蓮が月光の青を染め上げた。
「お揃いだ。俺としちゃ、ちょっと嫌になる。――だが、侮るなよ、トカゲ人間。俺とお前じゃ、格が違う」
石槍を構える手に僅かながら硬直が見られた。
怯んでいるのだろう。仙也はアイサインを寄越す。
直後、跳ね上がったのは大剣を閃かせる雫であった。
銀閃が揺らいだのも一瞬。
ピン、と一本線が空間に棚引いた。
リザードマンが硬直から解けたようにその場に膝を折る。
否、膝を折っただけではない。首から上が消し飛んでいた。
「ちょっとしたホラー、だな。念には念を」
雫が残った胴体を叩き割ろうと剣を掲げる。
直後、二人の聴覚を震わせたのは急速に接近してくる足音であった。
もう一体のリザードマン型が急接近し、雫へと全身による猪突を仕掛ける。
雫の疾駆が辛うじてその特攻をかわしたが、相手は攻撃目標が回避したと見るや、すぐに反転してきた。
石槍を握る手から立ち上るのは赤い魔術の輝きである。
「進化する、って評はこれか。やられた仲間の犠牲を瞬時に読み取り、それが何によるものなのかを分析……いや、これはそんななまっちょろいもんじゃない。理解、だな」
瞬間的に仲間の敗因を理解し、その戦闘神経を上塗りしてきた。
そうとしか思えない立ち回りである。
雫が大剣を携え、片手を払った。
「氷には弱いと聞いた! ディアボロ!」
凍て付いた大気が逆巻き、リザードマンを捉えかけたが、疾走するその躯体に宿っているのは思っていた以上の性能であった。
一瞬、掻き消えた、と思えるほどの反応速度。
氷の射程から逃れたリザードマンへと雫は攻撃を切り替える。
「なら、重力で縛り付ける!」
黒い逆十字が直上からリザードマンを射線に入れた。
確実に入った、かに思われたその一撃であったが、リザードマンの真意は逃走ではなかった。
逃走はその作戦の範疇。
リザードマンが跳躍し、樹木を足がかりに一気に高空へと踊り上がった。
逆十字が地面へと次々と突き刺さる中、リザードマンは背の高い樹木の上で二人を睥睨する。
「私の戦法を、真似た?」
不意打ちであったはずの一撃を模倣し、それ以上を発揮してみせたのか。
リザードマンが宵闇に吼える。
「まずいな……ヴァニタス対応班に影響が出る」
「その前に、仕留めます!」
勇み足の雫へとリザードマンが襲いかかる。
石槍による一撃ならば剣の背で弾いてから返す刀の斬撃。そう判じての行動であったが、リザードマンは刃が掠める直前のところでばねのように跳ね上がった。
尻尾を樹木の枝に巻きつけ、ギリギリのところで攻撃の刃をかわしたのだ。
「遊んでいるの……?」
「射程が読まれているってのか……。まだ数分も経っていないぞ」
再び樹木を足がかりに次の布石を打とうとしたリザードマンの聴覚が捉えたのは、最初に感じた足音と同じ音であった。
それが瞬間的に接近してくる。
仰ぎ見たリザードマンの視界に大写しになったのは、桜文様を棚引かせる忍であった。
軍刀の鯉口を切る。刹那、光を浴びせたあけびがリザードマンへと一撃を叩き込む。
「――秘剣、龍威し。桜の花びらの向こうに散れ。悪の芽よ」
神速の居合いがリザードマンの片腕を叩き斬った。石槍を掴んだ腕が宙を舞う中、もう一閃が跳ね上がる。
二の太刀は風切りの音さえもなびかせず、その頭蓋へと差し込まれた。
スン、と命中の手応えすらも瞬間の幻に思われるほどの鮮やかさ。
頭蓋へと完全に入った一撃にリザードマンの身体が傾ぐ。
その背筋へと地上展開する二人の刃が迫った。
「その一撃の後押し……!」
「もらい受ける!」
二刃がリザードマンの背筋から叩き割り、肉体を両断させた。
しかし、と頬に跳ねた血を擦り、仙也が歯噛みする。
「ヴァニタス班は……!」
すうっと、ヴァニタス、サーペントの目が細められた。
遠吠えが聴覚を震わせた途端、入ってきた刃をその手に携えたレイピアで受け止める。
「一秒……いや、レイコンマの世界で素早ければあるいは……であったな、撃退士」
舌打ちを返したラファルは刀を手に後退する。
後背を完全に取ったつもりの一撃が防がれた。
それは闇討ちの失敗を意味する。
「真正面からの斬り合いならば受けて立とう。しかし、そうではないな。これは」
振り返り様にサーペントがレイピアを払う。
チルルの猪突剣が中空で受け止められた。
「懲りないトカゲは! あたいが倒してあげるわ!」
「前回の個体とは別なのだが……。まぁいい。主に報告することがまた増えた」
「その主とやらに報告する前に、てめぇをここで細切れにしてやるよ」
「やれるかな? 撃退士」
チルルが射線へと飛び込む。その視界いっぱいを埋めたのは赤く煮え滾ったように殺到する石の散弾であった。
咄嗟の戦闘神経がチルルに防御を選択させる。剣の腹で受け止めたその挙動にサーペントは、ほうと感嘆した。
「いい個体だ」
「ナマ言ってんじゃ、ねぇっ!」
肉迫したラファルが刃を叩き込もうとする。しかし、その射程は既にサーペントのものだ。
レイピアがラファルの眉間を正確無比に狙い澄ました。
「残念だよ、撃退士。主に報告するまでもないことだ」
「――そうかな」
引き裂いたはずのラファルの声が聴覚を震わせる。
振り仰いだサーペントの頭上で天井に張り付いたラファルが刃を掲げていた。
「馬鹿な、打ち抜いたはず……」
「空蝉。この狭苦しい洞窟の中じゃ、回避も難しいからな」
浅薄、と声を上げる前に、サーペントの片腕が切り裂かれた。
舞い降りたラファルの剣術が咲き、サーペントのレイピアを持つ利き腕を細切れにする。
「で? 小賢しい思想とやら、聞かせてもらおうか?」
サーペントは完全に腰を砕けさせていた。
周囲には確認できるだけで二名、否、不意に背後へと立った気配にサーペントが顔を上げる。
玲治が冷たい眼差しで佇んでいた。
「どういう風の吹き回しで、穴倉なんて探っていやがった?」
何も分かっていないのだ。
サーペントは笑みを浮かべる。
「貴様らには分かるまい。進化とは! 栄光の先にあるのだと! 血で贖われし進化の歴史を辿るのに、この洞窟は打ってつけなのだ。血と殺戮しか知らぬディアボロが知恵をつけた。この時点で、ある種、貴様らは敗北している」
「うっせぇな。血で贖うってんなら、てめぇの五臓六腑に叩き込んでやるよ。血の味って奴を――!」
魔刃がその肉体を貫きかけてラファルのナノマシンの剣に突き出されたのは、斬って捨てたはずの腕の断面であった。
接触の瞬間、送信されるナノマシンと同期して何かがこちらへと送り込まれてくる。
戦闘の習い性が寸前で刃を霧散させ、伸長した赤い熱神経を遮断した。
「こいつ……熱を伝導させて操るのか……!」
「さらばだ。我が目的、一部は果たした。また見えるとすれば、それは進化した我らが躯体であろう」
直後、地面へと伸びた神経が炸裂し、熱と高密度の石の弾丸が周囲を埋め尽くした。
粉塵爆発に近い衝撃が発生し、全員が眩惑される。
遅れて砂塵を切り裂いたラファルが刃に獲物がかかっていないことを見るや、舌打ちした。
「逃がした……!」
「だが、目的の一部、と言っていたな。進化するディアボロ……その主の名は」
「クリムゾンレイ……!」
洞窟の石壁をラファルが殴りつける。
ディアボロ撃退の報告は間もなく届いたものの、それが安心材料でないのは明白であった。
リザードマンの頭目、クリムゾンレイ。
撃退士の敗北、をヴァニタスに言ってのけさせた。
湿っぽい風が洞窟に吹き抜ける。幽鬼の声のような音響が、撃退士たちの聴覚にいつまでも残っていた。